今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

助けて。

2018-02-28 20:25:31 | タラの日記
自分の熱も、まだ下がらず、今週は仕事に行けてない。

姉は、肺炎と多臓器不全に改善が見られないというのが昨晩の話。

多臓器不全とか言われちゃうと、何というか、なんか怖い予想しかできなくなる。

諦めずに祈る、気力が切れそうだ。

寝込む。

2018-02-27 11:08:55 | タラの日記
姉の容態は少し落ち着いてきたとのこと。
なんとかここを乗り切ってほしいと祈るばかり。

さて。
情けないことに、またも私は熱を出して寝ています。
先週土曜日、喉が痛くて微熱があったのだけど、日曜日に熱が上がり、今日、まだ仕事を休んでいます。
いつもは火曜は休みなのですが、今週に限って、どうしても人が足りなくて、私が出勤することになっていたのだけど、結局出られず、こういう時になんで役に立てないかなと悲しくなります。
めそめそ。

息子は、精神的に疲れて熱が出てるんじゃないの?と言ってます。
でも、姉のことの知らせが来る前から、微熱はあったのだし、ヤワな私は職場のかわいい人たちからまた何かもらってしまったのだろうと思っています。

うう、早く治して仕事に行かないと。

なんやかんやと、体調が安定しない日々で、勉強が手につくはずもなく、4月の保育士の資格試験はどうなっちゃうんだろう。
とにかく、この風邪を治さないと。

ではまた。

動揺。

2018-02-24 22:11:07 | タラの日記
なんだか忙しい。
生活全体が忙しいというより、次々、いろんなことが起きる。

なんとか元気に過ごしたいと思っているのだけど、難しい。

今日はクリニックの日だったので、先生に会えて少し持ち直し、帰宅してずっと気になっていた台所の汚れを落とし、夕ご飯も作れた。

そこに、姪からのLINEが届いた。
姪の母親、つまり私の実の姉が、今、肺癌で闘病中なのだが、風邪をこじらせ肺炎になり、集中治療室に入ったという。

医療機器フル装備でなんとか頑張っているらしいけど、いつでも連絡が取れるようにしておいてくださいと姪は言われたとのこと。

私が駆けつけたいと言うと、姪は、来ても面会できないし、今は本人の体力に任せるしかないから、と言っていた。

と、書いている今も、私はまだ信じられない。
姉の命が危ない、という実感がない。

動揺している私と、どこか上の空の私がいる。

ピアス。

2018-02-13 13:37:45 | タラの日記
すごく久しぶりにピアスを買った。

やたらとピアスを買ってた時期もあったんだけど、今の仕事についてからピアスをしなくなって、休みの日もめんどくさくなって放置していたら、ありゃりゃ、ピアス孔が塞がってしまったらしいぞ。

で、使い捨ての透明ピアスを買ってきて、それにクリームを塗って、耳たぶをぐりぐり。
左右で1時間もかかっちゃったけど、なんとか貫通。
パチパチ。

ピアス孔はね、30歳になった時に、「おばさんにならないぞ」という誓いのしるしとして開けたのだよ。
その頃の私が今の私を見たら泣くだろうな。
すみません、もうしっかりおばさんで。
ってか、おばあさん?
友達が普通に還暦になっていくし、え?え?という感じです。

中身は変わってないつもりなんだけど。

このところ気持ちが落ちているので、ピアスであげようと思います。
浮き沈みの激しい私と付き合うのはたいへんだわ。

思うこと。

2018-02-10 19:34:37 | タラの日記
おかげさまで熱は下がり、今週はシフトどおり仕事に行けました。
と言ったら、いつものクリニックの先生、「素晴らしい!」と。
それが当たり前なんですってば!
まあ、現実に休んでばっかりなんで、そうも言えないか。

息子が16〜17歳ぐらいの頃かな、こもってる彼の気晴らしに、月2回ぐらいカラオケに連れていってた。
ま、私の気晴らしでもあったかもしれない。

私は、スピッツをよく歌った。
今も好きだけど、その頃すごく気に入ってよく聴いていたし、スピッツの曲は私の声にキーがちょうどいいのだ。
いつも、「ロビンソン」「スカーレット」あたりを歌っていたのだけど、ある時、気分を変えて、「楓」を歌ってみた。

思ってもみないことが起きた。

「風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに」
という部分にさしかかった時、声が出なくなった。
歌声は嗚咽になり、私の目からは、涙が後から後から溢れて膝の上にこぼれた。

なぜ泣いているのか、自分でもわからなかった。
息子が肩を抱いてくれた。

それから何年も、つい最近まで、「楓」を聴かずにいた。

ひとと同じような幸せを信じていたのに、という言葉にあまりにシンクロして、痛くてたまらなかったのだと、今、思う。

虐待と呼んでいいような仕打ちを受けて育ち、学校でいじめられて、中学2年の時に精神疾患を発症した。
不調を抱えたまま大人になり、私を理解し愛してくれる人と結婚し、2人の子どもに恵まれた。
その子たちが、幼い頃からそろって不登校になる。
不登校に対する理解などこれっぽっちもない時代、過保護、甘やかし、と周りから責められ、母親失格の烙印を押される。
親もきょうだいも、誰も味方はいなかった。
息子が小学校2年生になった春、私の心は更に壊れていった。
初めて精神科に繋がり、自分が中学の時から病んでいたことを知る。

やがて私と子どもを支えきれなくなり、息子の15歳の誕生日に夫が自殺。
私の人生は、42歳で一度終わっている。


その後、大切な友達をやはり自殺で失った私は、恐る恐る、心理学の道に入っていった。
カウンセリングを学び、大学で心理学を学んだ。
カウンセリングスクールで、私はようやく、重い荷物を背負ってもがいているのは自分だけではない、と知った。
みんな、それぞれに、荷物を背負っているものなのだ。

誰にも取り替えてもらえない、この人生を生きるしかない、そう覚悟を決めた。
そして生きている。

ときどきは、それでも人生を放り投げたくなり、泣いたり喚いたりジタバタ足掻いたり、している。

いろんなことを、このところ、考えた。
好きで病気になったんじゃない、と、今日はクリニックで泣いた。

いろんな日がある。
いろんな人がいる。

うまく言えないんだけど、私はできるだけ、真面目に、誠実に、生きていきたい。
多分それは、ずっと変わらない。