小さい頃から、お片付けというものが得意ではない子どもだった。
そしてそれを意識し始めて、なるべくモノを持たないようにしてきた。管理しきれないことがわかっていたから。
少ないモノと、暮らしていた。
夫が亡くなるまで、かなぁ。
買い物に依存するようになったのは、いつ頃のことだったか。
広く感じていた、夫のいない4LDKは、やがてモノで溢れ返るようになった。
買い続けた。
そして、買っても買っても、足りなかった。
当然、管理などしきれない。
おびただしい数のぬいぐるみやお人形さん、キャラクターグッズ。
とにかくかわいいものが欲しかった。
自分を慰めてくれるものを探しては買った。
湯水のようにお金をつかった。
そして、部屋は手のつけられないほどになっていった。
そこから、2度、引越しをしている。
その度に、びっくりするほどの数、量のものを捨ててきた。その為に高いお金を払ってトラックを出してもらった。
今の間取りは3DKだけど、各部屋がすごく小さい。収納も少ない。
たくさんモノを捨ててきたけど、それでもまだ、溢れ返っている状態だ。
どこからどう手をつけていいのかわからないぐらい、家の中は散らかっている。
けれど私は、あまりモノを買わなくなった。一時期の狂気じみた購買意欲は今はそれほどはない。かわいいモノは好きだけど。
多分、収入の中で堅実に暮らせるようになろうと決心したことと繋がっている。
もう湯水のようにはお金をつかわない。
そして、このところ、休みの度に、私は家の中を片付け始めている。
まだまだ、人に見せられる状態の部屋ではないけれど、きれいになってゆくのを見て、ああ、気持ちの良いものだなと、感じ始めている。
今日は、市の「しごと・くらしサポートステーション」に、やりくりのアドバイスを受けに行ってきた。
12月は黒字だったね、と担当のTさん。「素直に喜んでいいと思うよ」と言ってくれた。
1月も、今のところ予算内で暮らしている。
こんな風に、片付けをし、収入の中で暮らす工夫をする自分を、どこか自分でないように感じるのだけど、これは良いことなんどよ、と自分に言ってみる。
丁寧に暮らすというのは、多分、こういうことなのだろう。
まだしっくり来ないけれど、じきに馴染んでいくのかもしれないし、そうだとしたら、それは喜ばしいことなのではないか。
でもね、どこか、その、上手く暮らす自分を、寂しく見ている自分がいるのだ。
まだ、幼い子どもでいたいのかもしれない。