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今日一日だけ生きてみよう

卯月タラの日々のつぶやき

愛情を伝えるということ。

2009-07-05 19:42:53 | タラの日記

ようこそ、卯月です。
友達とカラオケに行くという息子を朝、送り出して、しばらくウトウト。
お昼過ぎに家を出て、京王線で15分ほどの街へ行き、三鷹の子育て時代の友達と一緒にゴハンを食べた。
「三鷹のときは細くて、鈴木保奈美みたいだったのに、ほんとに太っちゃったね~」とビックリされた。ははは。いや、細かったときも、鈴木保奈美には似てなかったと思うんだけど、ときどき言われた。あんなにきれいじゃないよ。残念。
いろいろお喋りしてたのしかったのに、夕方、彼女と別れた途端に、息が苦しくなって、死ぬかと思った。
最近、この「息が苦しい」というのが増えていて、じつは仕事で事務所に行くと、帰りのエレベーターで決まってなる。
すぐ治まるんだけど、頻度が増えていて、今日は仕事がらみでもないのに帰りに苦しくなって、なかなか落ち着かなかったので、どうなるかと思った。
疲れてるのかな。
なんか、最近の私って、病状が悪化してる気がするのは気のせい?

電車の中で薬を飲んで、スーパーで買い物して帰って、しばらく休んで、さっきラーメンを茹でて食べた。

仕事をするつもりだったんだけど、気持ちが落ち着かなくて、なんだか不安定で、手につかない。
今日から少し進めておくと楽だと思ったんだけど、無理かな。

子育て時代は、毎日が競争だった気がする。
同じ年頃の子どもが近所にいっぱいいて、公園に集まるのはたいがい初めての子どもを育ててる熱心な若いお母さんだった(私もその一人だった)から、どこの子がどんなことをできるようになったとか、そういうことにすごく敏感で、いやでも競争心を掻き立てられていった。
良くも悪くも、みんな一生懸命だった。

今日会った友達も、一番上のお子さん(うちの息子の同級生だった)が、心療内科にかかっている。
「ママは世間体ばっかりで、私のことなんか考えてくれてない。私は親らしいことを何もしてもらった覚えがない」と娘に殴られた、と彼女は言った。
彼女がどれほど頑張って子育てをしていたか、私は知っている。子どものためにと必死だったのは、私も同じだ。
それも愛情だったのだけれど、私たちの熱心さは空回りしていたようだ。
私の子どもたちを見ててもわかる。
この子たちが当たり前の幸せを手に入れられずに苦しんでいるのは、私たちがあまりに一生懸命だったせいなのだ。

生まれた瞬間から競争させられて比べられて、「早く」「上手に」とせきたてられてきた子どもたちが病んでいくのは、当然だ。
むしろ、今、病気が表面化している子どものほうが、健康的なのかもしれない。

私の子どもたちは私を殴ったことはないけれど、殴れたら殴っていただろう。その力さえ、私が奪ってしまったとしたら、それはとても申し訳ないことだ。

子どもの健康な成長を願わない親はいないのに、どうして歪んでいってしまうのだろう。
愛情を伝えるって本当にむずかしい。
なんだかやりきれないよ。

明日は市役所に行こうと思ってたんだけど、仕事をやってからにしようと思ってる。
とうもろこしを買ってきたから、朝ご飯のときに焼いて食べよう。
とうもろこしを見ると、昔私を愛してくれた伯父を思い出す。
伯父は村でただ一人のお医者さんだった。田舎に遊びに行くと、伯母が裏の畑でとれたとうもろこしをよく焼いてくれて、私はそれを縁側で食べながら、伯父が仕事を終えて診療所から戻るのを待っていた。そのときの風景を、思い出す。

じゃあまた明日ね。
おやすみなさい。