本日、雨降るかも。
友人からいい質問がメールで来ましたので、
みんなにも読んでもらいたく、今日のテーマにしました。
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【質問】
竹さんのコメントにも書きましたが、 市民農園のような痩せた土地でも、
「耕し」は最初の一回(土作り〜畝作り時)だけ、でよいのでしょうか。
コメント欄でよいので、「耕すこと、耕さないこと」の意味を、
もう一度、教えて頂けるとうれしいです。
よろしくお願いします。
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「耕すこと、耕さないこと」の意味。
すごくいいテーマです。僕も自然農・自然農法を学んで
いろいろな先生について勉強してきましたから、
永遠のテーマだと思っていました。
最近では、耕すことの意味をしり、耕さないことの意味も
わかってきたので、僕なりのとらえ方でご紹介します。
人によって、とらえ方は様々なので、
これだけでなく、自分なりに理解できるようになればいいと思います。
耕すことは、「破壊と創造」です。
自然の営みを壊し、攪拌することで、根を切り、
空気を土にいれて分解を早めます。
先人たちは、肥料を入れずに農業を「業(わざ)」にまで高めてきました。
ただ自然界に、種を下ろしても、野の草には勝てず、
ただの土に種を下ろすと虫や草にやられ、草や虫も憎らしく思い、
もっと良くしようと考え、身近な有機物を肥を利用しました。
また近代では、より効率を求め、化学肥料を撒き、
微生物や今までの土の積み重ね(歴史)さえ、数年で使い切るほどの
短期的な農業になってきています。
土のバランスを崩せば崩すほど、草や虫や病気に悩み、
農薬・除草剤・ホルモン剤・液肥。
果てには、土を使わない、野菜工場もできています。
「耕さないこと」、それは今は亡き福岡正信先生が、
無為自然を大切にしたように、
耕したことが間違いの始まりだったと気づくことに
ありました。
「耕さないこと」=「自然が耕す力を引き出す」ことです。
耕さなければ、バクテリア・微生物・ミミズやモグラ、草の根が
土を自然に耕し、機械や人間が耕せない高いレベルで土を整えます。
しかし、ただ耕さないのも、愚かです。
野菜が育ち、その傍らで、草や微生物・ミミズなど多くの土壌生物は
もちろん、それ以外にもクモやカエルやネズミや猫、トンビなどが、
共に生きていける調和できる立体的な耕さない畑が理想です。
そして、「耕すこと」でも二つのやり方があります。
①「破壊型の耕し方」
農作物が生産される現場でよく行われたり、市民農園の典型的な耕し方です。
なぜ耕すかを考えずに、まずは耕やさなければならないから、
とにかくきれいに草一本生えないようにしなければいけないから、
と天気や微生物や虫など一切無視して行う耕し方です。
②「創造的な耕し方」
一方、こちらは農業を始める一歩として、
今後永続的に土が育つために耕すやり方です。
したがって、耕す頻度は、年一回か、生涯1回だけに極めて
少なく。一度耕したら、あとは耕さないで、
虫も草も敵にせず、生命の営みを尊重して、年々土を育てるやり方です。
やり方は簡単です。
1)秋に、表土15cm以内に浅く耕します。
2)畝(野菜のベットは)動植物が困らないよう、秋のうちに作るか、
春先、梅が咲く頃に行います。
3)野菜の株下などに、刈った草を敷き詰めます。
4)草を刈るときは、根を残して刈ります。
5)土が野菜を養う力がないときは、
刈った草の上から米ぬかやボカシなどを一掴みパラパラと撒きます。
つまり、耕すか、耕さないかよりも、
「自然を信頼して、大地にゆだねる」か、
それとも「自然を敵にして、搾取したり、破壊するのか」を
僕自身は大切にしています。
友人からいい質問がメールで来ましたので、
みんなにも読んでもらいたく、今日のテーマにしました。
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【質問】
竹さんのコメントにも書きましたが、 市民農園のような痩せた土地でも、
「耕し」は最初の一回(土作り〜畝作り時)だけ、でよいのでしょうか。
コメント欄でよいので、「耕すこと、耕さないこと」の意味を、
もう一度、教えて頂けるとうれしいです。
よろしくお願いします。
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「耕すこと、耕さないこと」の意味。
すごくいいテーマです。僕も自然農・自然農法を学んで
いろいろな先生について勉強してきましたから、
永遠のテーマだと思っていました。
最近では、耕すことの意味をしり、耕さないことの意味も
わかってきたので、僕なりのとらえ方でご紹介します。
人によって、とらえ方は様々なので、
これだけでなく、自分なりに理解できるようになればいいと思います。
耕すことは、「破壊と創造」です。
自然の営みを壊し、攪拌することで、根を切り、
空気を土にいれて分解を早めます。
先人たちは、肥料を入れずに農業を「業(わざ)」にまで高めてきました。
ただ自然界に、種を下ろしても、野の草には勝てず、
ただの土に種を下ろすと虫や草にやられ、草や虫も憎らしく思い、
もっと良くしようと考え、身近な有機物を肥を利用しました。
また近代では、より効率を求め、化学肥料を撒き、
微生物や今までの土の積み重ね(歴史)さえ、数年で使い切るほどの
短期的な農業になってきています。
土のバランスを崩せば崩すほど、草や虫や病気に悩み、
農薬・除草剤・ホルモン剤・液肥。
果てには、土を使わない、野菜工場もできています。
「耕さないこと」、それは今は亡き福岡正信先生が、
無為自然を大切にしたように、
耕したことが間違いの始まりだったと気づくことに
ありました。
「耕さないこと」=「自然が耕す力を引き出す」ことです。
耕さなければ、バクテリア・微生物・ミミズやモグラ、草の根が
土を自然に耕し、機械や人間が耕せない高いレベルで土を整えます。
しかし、ただ耕さないのも、愚かです。
野菜が育ち、その傍らで、草や微生物・ミミズなど多くの土壌生物は
もちろん、それ以外にもクモやカエルやネズミや猫、トンビなどが、
共に生きていける調和できる立体的な耕さない畑が理想です。
そして、「耕すこと」でも二つのやり方があります。
①「破壊型の耕し方」
農作物が生産される現場でよく行われたり、市民農園の典型的な耕し方です。
なぜ耕すかを考えずに、まずは耕やさなければならないから、
とにかくきれいに草一本生えないようにしなければいけないから、
と天気や微生物や虫など一切無視して行う耕し方です。
②「創造的な耕し方」
一方、こちらは農業を始める一歩として、
今後永続的に土が育つために耕すやり方です。
したがって、耕す頻度は、年一回か、生涯1回だけに極めて
少なく。一度耕したら、あとは耕さないで、
虫も草も敵にせず、生命の営みを尊重して、年々土を育てるやり方です。
やり方は簡単です。
1)秋に、表土15cm以内に浅く耕します。
2)畝(野菜のベットは)動植物が困らないよう、秋のうちに作るか、
春先、梅が咲く頃に行います。
3)野菜の株下などに、刈った草を敷き詰めます。
4)草を刈るときは、根を残して刈ります。
5)土が野菜を養う力がないときは、
刈った草の上から米ぬかやボカシなどを一掴みパラパラと撒きます。
つまり、耕すか、耕さないかよりも、
「自然を信頼して、大地にゆだねる」か、
それとも「自然を敵にして、搾取したり、破壊するのか」を
僕自身は大切にしています。