南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 





 最近CMでもよく流れるし、以前、会社の上司も「よかった」と言っていたので、思い切って『鳥栖プレミアム・アウトレット』へ行ってみた。
 鳥栖って、高速道路もJRも、九州の南北と東西を結ぶ重要地点と言われるものの、それ以外に特に何もない場所で結局は単なる通過場所だったんだけど、この鳥栖プレミアム・アウトレットができてからは、鳥栖を目的地として来る人も増えたみたいね。だからちょっと期待…。


 なるほど、そのアウトレットに近づくと大渋滞で車が動かない。よほどの人気スポットなのだろうか?
 何とか駐車場に入っても、これまた渋滞で身動きが取れない。うぎゃ~、早く降りてトイレ行きたいんだけどなあ。
 というより、P4駐車場2階のとある警備員が、一方ばかり20台くらいどんどん通して、もう一方はたった1台しか通さないような“おバカな”交通整理をするから、こんなことになるんだけどね。


 で、感想はと言うと、一言で言えば“期待外れ”だった。

 アウトレットって、規格外品や売れ残り品や難あり品(キズモノ)などのセールをやっているってイメージだったんだけど、ぜんぜん違った。
 辞書で調べたら、メーカー直販店って意味なんですね。勉強不足でした。

 確かに、いろいろなブランド物や有名メーカー物が30%オフくらいで売っているけれども、どれもこれも「う~ん…」って感じ。
 それに食事するところがぜんぜん充実していない。みんなここに滞在して何を食べてるの?

 結局は、せっかく来たんだからと、熊本の鶴屋にもあるからわざわざここに来る必要がない『franc franc』で、食器を数枚買っただけ。

 熊本から高速を使ってわざわざ約1時間半もかけて行くところじゃないな。
 あんな交通整理しかできない警備員にもウンザリしたしね。初めてです、こんな人。こんな警備会社で大丈夫?


 ここはまさに“行って失敗した”と思った場所かも。ガッカリ。非常に残念。
 もう行くことないだろうな。


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■今日の行動
 なし

■今日の買い物
 弁当のヒライ
 鳥栖プレミアムアウトレット

■今日の献立
 朝:なし
 昼:弁当
 夕:お好み焼き弁当

■今日の歩数
 5349歩

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時々

 朝。押入れの中で目覚める。寝返りが打てなかったからか、体の節々が痛い。
 部屋で誰かが昨夜に一升瓶(焼酎)をこぼしたらしく、なんともいえない匂いが充満。うう、気分が悪い。

 朝の温泉に入る。そういえば昨夜は遅くまで飲みすぎて(先輩に捕まって)、温泉の時間を逃してしまったっけ。

 予定ではこれから天草五橋巡りクルージング(正確には1号橋は、ぜんぜん違う場所に離れているので、見るのは4つの橋だけだが)。
 しかし、ツアー船に乗らない人がちらほら…。二日酔いで船には乗りたくないだろうね。
 30分くらいかけて各橋を巡る。普段、橋を真下から見ることはなかなかないので、いい経験にはなった。
 でも、今日から12月。海風が冷たい。雨も降ってきた。もっと厚手のコートかジャンパーを持ってくるべきだった…。

 船から上陸し、バスへ戻る途中、昨日飲み会の席で捕まえられた先輩○○さん(女性)が「私、昨日なんか失礼なことしなかった?」と近づいてきた。
 私は何とか逃げおおせたので被害は少なかったのだが、「頭を叩かれた」の「無理やり酒を飲まされた」だのちょっと大げさに振舞い、ここでもちょっと逃げ腰な態度を取ってみた。
 そのあと「あーん、○○(←私の名前)さんに嫌われちゃった…」と何度も何度も繰り返していた。ちょっと罪悪感。

 帰りのバスはみな夢の中。
 途中、「道の駅不知火」で買い物タイム。

 こうやって、2週連続の社員旅行は無事に終了。


【写真1】天草5号橋

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 先週に続き社員旅行。
 なんで? とお思いの方もいるかも知れないが、私は2つの職場を兼務しているので、それぞれの職場の社員旅行に参加した訳である。

 金曜の終業後に出発して1泊する強行スケジュール。したがって場所も近場にならざるを得ない。目的地は天草五橋の途中の島・上天草市松島町。

 バスでは早速飲みながら移動。あまり多く飲みすぎるとトイレが近くなるし、(豪華なはずである)天草の海の幸ディナーが食べられなくなる。もっと飲みたい気持ちをセーブしながらバスに揺られる。

 ホテルに到着。有名な「ホテル竜宮」。温泉に入る間もなくすぐに宴会。本当は温泉に入りたいところだけど、致し方ない。
 宴会場がいわゆる畳部屋ではなくテーブル&椅子なのにはちょっと驚いたが、腰の悪い人もいるから、これまた仕方がない。
 料理は豊富だったが、みんなが期待していた「伊勢海老」は結局最後まで出なかった。ちょっと残念…。
 しかし、アワビの“地獄蒸し”っていうのかな、生きたまま小鍋で蒸して、それをいただくという贅沢をすることができた。これにはみんなも感動していた。

 二次会は幹事部屋で宴会となった。
 本当はその前に温泉に入りに行きたいところであったが、温泉セットを持って部屋を出たところで上司に捕まり、敢えなく拉致される…。

 その後は先輩職員○○さん(女性)のお酒攻撃&携帯呼び出し攻撃を何とかかわして、自室に戻る。何とそこはともに逃れてきた同僚が既に布団を占領していた…。
 やむを得ず、「ドラえもん」のように押入れで寝る。←実は大学の頃も押入れで寝ていたことがあったっけ。

 そんな訳で1日目の夜は更けていきました。

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 長崎に旅行に来ているのに、いつもどおり出勤するための起床時間、7時に目が覚める。
 う~ん、酒臭い。
 カーテンを開けると、ちょうど日の出。私が起きるとみんなも起きだしてきた。ベランダでご来光の撮影会。
 朝風呂に入る。うん、気持ちいい。
 朝食はバイキング。ここでもビールを注がれる。もうお酒は勘弁して…。

 平戸の物産館へ。平戸の土産って何なんだろう。
 とりあえず、牛蒡(ごぼう)餅なるものを買う。九十九島せんぺいの「ぺ」ってなんで?

 1時間ほど掛かって、佐世保に到着。SSK(=佐世保重工業)の特大クレーンが立ち並ぶ壮大な眺め。
 しばらくすると米軍・海上自衛隊の基地と並ぶ軍艦が見え始める。こちらも壮大な眺め。

 佐世保といえば、全国的にメジャーな「佐世保バーガー」。是非食べてみたくて、一番有名といわれる店に電話すると「今は1時間待ちですね。予約?ダメです。直接いらして下さい。駐車場?ありません。日曜は休みです」とのつれない答え。実際店に行ってみると思ったほど大した大きさではない(大きいのは店員の態度だけか)。
 海軍博物館にバスを停め、館の前のハンバーガー屋で注文してから博物館を1時間掛けて見学しようとすると、博物館の職員(自衛隊員? そんな格好してるだけ?)に「こら、あんた達はどこに行くとかね。今、ここにバス停めたでしょ? ハンバーガー食べに来たんならすぐ出てってくれんかね。この前も『博物館を見る』とか言ったくせに5分くらいで出て行ってバーガー買いに行ったのがいて…」と、愚痴というかなんと言うか、初めて佐世保に来た客に失礼なんじゃ、その態度? こっちに発言させるまもなく一方的にグチグチ・ガミガミと。海上自衛隊員なのに丘の上の仕事だからストレスでも溜まってんの?
 はあ~。なんかね…。ハンバーガー屋といい博物館職員といい、佐世保って案外、心の狭い人たちの集まった街なんかね。期待外れ。
 佐世保バーガーも「1時間も待って食うようなものでもないや」と意見が全員一致。

 移動し、「パールシーリゾート」という港の観光地でカレーを食べる。
 牡蠣が1kg600円は安いと思い、購入。ほかにも海産物を中心にお土産を買う。

 帰りはまた3時間掛けて熊本市へ。さすがにほとんどの人が夢の中。
 非常に疲れた2日間だったが、とても楽しかった。

 帰宅し、夜は焼き牡蠣と牡蠣鍋。これはさすがに美味しかった。

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 仕事先の社員旅行で長崎へ行くことになった。
 長崎へ行くのは大学院1年の時以来。かれこれ…何年ぶりだっけ?

 メンバーは11名。
 目的地へは、熊本市から貸切バスで約3時間。本当はそこまでの時間は掛からない筈である。それは、バス内で宴会が始まるため、パーキングエリアやサービスエリアや道の駅の度にトイレ休憩を設けないといけないからである。
 飲んだくれているおかげで、途中に寄った店での美味しそうな昼食も、あまり喉を通らない…。
 追い討ちとばかりに、酒蔵にも寄る。なんとそこには天井裏から見つかったという河伯(かっぱ)のミイラが…。科学的な調査はしていないという。

 宿泊するホテルは平戸の「ホテル蘭風」。蘭風とは文字通り、オランダの風の意味であろう。
 温泉は泥湯で、いかにも肌が綺麗になりそう。
 また、ここはまな板ショーで有名なホテルである(変な意味ではない…)。夕食時に鰤(ブリ)の生き造りショーを行うのである。料理人を前に最後の抵抗とばかりに跳ね回る特大の鰤。早くも骨と化す鰤。飛び散る切り身。ものの10分足らずで、鰤はあっという間に調理されてしまった。頭と骨、尻尾だけになってもまだピクピク動いている…。日本人には受けても、きっと外国人には残酷に映るに違いない(汗)。
 その後はカラオケ大会。意外な宴会芸も。
 夜は部屋に戻ってみんな集合して二次会。
 三次会はホテルの居酒屋で長崎チャンポンを。閉店間際に10杯も注文してゴメンなさい。

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 今日から3日間の予定で、東京へ行くことになった。東京へ行くのは5年半ぶり。大学院生時代に学会で福島に行った時以来である。
 今回の目的は「学会出席」「東京ディズニーシー」「病院」である。

 1日目は彼女が所属する学会に出席する日である。会場はなんと「東京大学」。私はここを訪れるのは生まれて初めてである。
 赤門や安田講堂、三四郎池を見たいところであるが、東大に到着した時は、既に学会が始まって1時間以上過ぎていたため、急ぎ足で会場を目指した。

 午前中の論文報告会が終わり、昼食を取ることに。
 東大生はどのようなものを毎日食べているのだろうか? そんな訳で学生食堂に行くことにした。
 とりあえず「赤門ラーメン」を選んでみた。ん…坦々面、かな? 他にも定食やハヤシライスを注文。味の方はま、普通といったところでしょうか。
 お昼時間ということもあり、学食には土曜日にもかかわらず大勢の(恐らく)東大生が集まっていた。しかし、確かに彼らは頭は良さそうな面持ちであるが、男女関わらずどうもオシャレじゃないというか、服装も髪型も気に掛けないガリ勉の集団という印象を受けた。
 本当にこの人達が数年後に日本を動かす人材になるんだろうか? 日本の将来、なんか不安…。
 また、外国人留学生の姿も多かった。大学時代にイヤっていうほど聞かされた中国語がここでも飛び交っている状況は、個人的にあまり気持ちのいいものではなかった。

 学食の隣にある大学生協に東大グッズがたくさん売っていた。鉛筆やノート、マウスパッドにTシャツ、履歴書用紙までも…この履歴書なら難関の大企業の就職試験だって容易に受かりそう? でも、学長直筆のサイン本って…誰が買うんだろう?(汗)

 午後は基調講演とシンポジウムだった。
 会場が狭すぎる上に東大生が多数押し寄せていたため、中に入ることができず、とても講演を聞けるような状況になかった。(彼女が)学会の年会費を払ってしかもはるばる九州からやって来ているというのに、(東大ならいくらでも広いホールがあるだろうに)こんな会場しか用意しない主催者にだんだん腹が立ってきた。
 しかも内容が取るに足りない話であったため、中座して大学構内を見て廻ることにした。

 安田講堂前。この建物を見ると安保闘争が思い起こされる(無論、私は生まれてないが)。残念ながら別の講演会が行われており、内部を見ることはできなかった。
 三四郎池。正式名称は違うらしいが、夏目漱石の小説にちなんでそう呼ばれているらしい。
 赤門。赤門をなでたり、赤門前で写真を撮ると合格できるらしいので(何のために???)、一応実行してみた。これでよし、と(何が?)。
 それにしても、なんという広大な敷地だろう。とてもじゃないが廻りきれるような広さではなかった。また、近代建築の文化財になってもいいような建物も多かった。


 東大が…東大に入ることが、必ずしも素晴らしいことだとは思わないが、来世には行けるように頑張りたい。
 赤門を撫でたからきっと大丈夫だよね?

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のち

 神戸観光。天気にも恵まれた。
 神戸といえばまず行くべきところは「異人館」の街だろう。という訳でホテルをチェックアウトして、早速観光周遊バスで向かう。

 異人館の街「神戸市北野町山本通」。ここも伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されている。
 木造2階建てで外壁は下見板張りにペンキ塗り。どの家にもベランダがある。ベランダの柵にはおしゃれな装飾が。
 暖炉があるのか、屋根から煙突が伸びている。塀はレンガ造。
 う~ん、とても日本国内とは思えない、エキゾチックな雰囲気。

 高台にある神社(神戸北野天満神社)の境内からの眺めがこれまた絶景で、多くの観光客がカメラ撮影していた。
 そこからすぐの場所にある「風見鶏の館」の光景は見に焼きついて離れない。


 最後は中華街に行く。
 入口にある龍の彫刻の入った門の彫刻が秀逸。
 もっと写真を撮りたかったがデジカメの電池がここで…。

 神戸、また来たい街である。


【写真1】異人館街と観光周遊バス


【写真2】ラインの館


【写真3】風見鶏の館(旧トーマス邸)


【写真4】中華街の門

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 今日は学会当日。
 三ノ宮駅から神戸大学までの交通を考えたが、乗り換えの必要がないタクシーで行くことにする。しかし、このタクシーが大失敗だった。この運転手、地理がろくに分からず、途中で道行く人に何度も聞く羽目に…。お蔭で会場にたどり着いたのは、開始のわずか15分前であった。

 初めて触ったパワーポイントで先々週に作ったばかりの発表原稿。
 発表自体は無事に済んだのだが、事前準備不足だったせいか、質問に即答できず今後の課題となってしまう(汗)。

 学生食堂で昼食を取る。学食なんて久しぶりだ。
 午後は基調講演を聞き、彼女は懇親会へ。私は1人で先にホテルに戻る。
 その後、彼女と合流し、熊本・鹿児島にはまだ展開していない居酒屋「和民」へ行く。先日テレビ番組に社長が出演していて、その話を聞いて是非行きたいと考えていた店だ。予想通り、健康を考えたメニューや食材でいっぱいだった。

 さあ、明日は神戸市内観光だ。


【写真1】高台に位置する神戸大学からの眺め

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 彼女が所属する学会の発表会が今年は神戸大学で行われることになり、私も有給休暇を取って一緒に行くことにした。

 神戸。
 かつて伯母とその家族が住んでいた街である。その伯母も私が高校3年の時に他界し、伯父や従兄姉も今は別の街に住んでいるため、今ではすっかりなじみのない場所になってしまった。
 私が小学1年の頃に開催された「ポートピア'81」を見に行ったのが24年前…。足を踏み入れたのはそれ以来なので、なんと四半世紀ぶりに訪れた計算になる。

 三ノ宮駅に隣接するホテルに泊まったのだが、ここが本当に阪神淡路大震災の被災場所とは思えないほどの復興ぶりであった。

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時々

 大分県日田市は「九州の小京都」といわれ、良質の木材が取れるということもあり、江戸時代は天領であった。
 筑後川の支流・三隅川が市内を東西に流れる自然に囲まれた盆地に展開し、夏は猛暑が続き、冬は大雪が降る、九州で一番暑くて寒い場所とも言われる。
 豆田町という町家集落が現存し、江戸時代当時の街並みを伝えている(観光地化されて整備しすぎの感もあるが)。噂では近々伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されるらしい。
 また、咸宜園(かんぎえん)という私塾をつくった幕末の先哲、広瀬淡窓を輩出した地でもある(現在の大分県の広瀬知事は、淡窓の子孫でもある)。

 私は1歳~7歳までをこの日田で過ごした。幼くてあまり覚えてはないが、幼稚園までの通園路、土筆を取った線路の土手、中央公園のプールと蒸気機関車、岩田屋デパートの展望レストランなど、ところどころ覚えているところがある。

 毎年5月の20日以降の土日に、川開き花火大会が開かれる。この時期の花火大会は珍しく、九州はもちろん、西日本の各地から観光客が訪れる。
 私は今回、なんと21年ぶりにこの地を訪れることにした。果たして、どこまで記憶と一致しているだろうか…。

 車を飛ばして思い出巡り。
 真っ先に向かったのは当時住んでいたアパートである。しかし、当時も既に古かったくらいなので、当然ながら既に影も形もなく、新しいマンションが建っていた。毎日のように遊んでいたアパート前の広場も駐車場化されていて、面影は全くなかった。
 10ヶ月間だけ通った小学校はそのままだった。プールも体育館も古いまま。学んだ教室は放課後育成クラブとなっていたが、そのままの位置に存在していた。感涙。
 2年間通ったキリスト教系幼稚園も見つけることができた。しかし園舎は新しくなっていた。当時、周囲は空き地が多かったが、すっかり市街地化されていた。
 中央公園の蒸気機関車はそのままだった。毎日のように水浴びしたプールは見つけることができなかった。
 父がよく商品を卸していた壽屋は既になく、黒潮市場となっていた。
 駅前にあった岩田屋も閉鎖されていた。看板からすると解体されてマンションになるのだろうか。

 いよいよ日も傾いてきた。
 思い出巡りの最後は、幼稚園の遠足などで何度も行った亀山(きざん)公園。綺麗に整備はされていたが、なんとなく記憶のまま。紅葉狩りやドングリ拾いが懐かしい。

 そして夜。
 花火がはじまった。5月の川風はひんやりして肌寒い。ってゆーか超寒い…。
 花火の趣向も当時のまま。クレーンを使ったナイアガラに、広告塔花火。すべてが懐かしい。

 今回はとてもいい旅だった。転勤族っていうのも、先々に思い出の地があっていいかもね。

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のち

 今日は家族でお花見。でも、生憎の雨…。
 それでも11時前に両親と私の3人でお花見に出発。目的地は鹿児島市南部の平川動物公園。途中、壽屋でお昼の弁当等を購入。
 動物公園の入口へと通じる道路へ入ると、道路の両側に桜並木が。でも、昨夜からの雨と風で結構散ってる感じ。葉っぱも多く目にする。ちょっと不安。
 動物公園横の、錦江湾公園でお花見&昼食を取ることに決定。
 きっと昨日は大勢客がいたのだろうが、平日の今日はまばら…というか、ほとんどいない。席は好きなトコ取り放題だが、如何せん雨で濡れているので、ベンチに座らざるを得ず。シートを持って来ればよかった…。

 さて、お花見をした後は動物公園に行くことに。
 私は鹿児島に丸8年も住んでおきながら、未だに1度も行ってない。そんな訳でちょっと楽しみ♪

 確かにいろいろな動物がいるのだが、雨の中なのに天井も木陰もなく寒そうに寄り集まっているサル、ぐるぐる回り続けるオオカミなんかを見てると、なんか可哀相になってくる。
 以前、三省堂の新明解国語辞典で「動物園」の項目に「生態を公衆に見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえて来た多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設」の文句を思い出す。この辞書の著者は偏った考えの持ち主に間違いないが、確かにその通りでもある。

 でも、コアラやウサギは可愛らしくて仕方ない。
 ペンギン小屋。「触らないでください」とあったが、手の届く範囲にいたので、周囲を見渡してからペンギンの頭を撫でてみた。イメージ的にはツルツルしてそうだが、そこはやっぱり鳥類。やっぱり羽毛なんだね。後ろから前に撫でて毛を逆立たせてあげた(笑)。
 うーん、いつかいい人ができたらまた来たい…かな?

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 今日は鹿児島県枕崎市にある「おさかなセンター」というところへ行った。
 行く前は「何それ…?」と思ったが、父いわく「それは着いてのお楽しみ」だそうである…。

 何故いきなりここに行くことになったのか詳しい理由は分からないが、どうやら父が会社の同僚に勧められたようだ。ま、久し振りに家族でドライブというのも悪くない。

 鹿児島市からは内陸部を通った方が枕崎には早く辿り着けるのであるが、そう慌てることもなかったので、指宿廻りで海沿いルートを行くことに。
 お蔭で、久し振りに開聞岳を眺めることができた。

 2時間程で枕崎市内へ入る。
 程なくしておさかなセンターに到着。んー、まあ、簡単に言えば、魚市場に併設された「直売センター兼レストラン」ってとこか?

 2階のレストランで新鮮なお魚料理を安価でいただく。ただ、客が多いせいか、50分待ち(!)だったのには待ちくたびれたが…。でも、やはり美味しかった。

 帰りは疲れてずっと眠ってたので、記憶にない。
 ずっと運転していた父に感謝!



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 今日は出発時間は遅め(8:00)にしていたのだが、ふと目が覚めるとまだ6:00前だった。
 窓を開けると外はまだ暗く、入り込んでくる風は寒かったが、サラリーマン風、学生風の人通りが結構見られるようだった。
 身支度を終えて、玄関前に集合。
 おじさんには「ありがとうございました」、おばさんには「アンニョンヒケセヨ(さようなら)」と告げ、宿を発つ。

 百貨店(高速バスターミナル)前に着く。
 初日にここで空港バスから下車したので、同様に空港行きのバスがあるはずである。そのバスの見当は着いていたが、念のため学生風の人に確認しようと尋ねてみた。すると、その人は「私もこれから飛行機で日本に行くので、あとに付いて来て下さい」とのことだった。

 そして無事にバスに乗車できた。
 それは空港から乗ったのと同じ番号のバスだった。つまり空港発空港行きの環状線だったのだ。
 しかし空港行き専用ではないので、いろんな人が乗り降りし、また沢山のバス停にも停まりながら満員のバスは空港へ向かった。
 バスを教えてくれた彼は、日本のある大学で開かれる学会に参加するとのことだった。そして終点の一つ前の停留所で降りて行った。

 空港に着くとすぐに搭乗手続きを済まし、食事を…とレストランに入った。メニューは韓食、和食、洋食と揃っていたが、韓食はもういい…、和食は味が変じゃないかな…ということで、洋食にすることにした。

 そして免税店で研究室へのお土産(お菓子)、家族へのお土産(キムチ他)などを購入した。
 また、いかにも韓国(太極?)というデザインの団扇を購入し、「包んで」と言うと店員は露骨に嫌そう(面倒臭そう)な顔をした。
 日本だったら絶対許されそうもない態度だが、韓国ではこれが普通なのだろうか? 少々疑問を感じながら、品物を受け取った。
 また、韓国ウォン硬貨&紙幣は一番のお土産になる(?)ので、両替は最小限にとどめておいた。

 出発口を抜けると、アナウンスに日本語も混じるようになり、また日本人とおぼしき団体も目に入ってきた。
 ここでハングルの案内板をバックに、先輩が記念にと1枚撮って下さった。でも、空港内での撮影は(前述の通り)一応厳禁のはずなんで、ちょっと緊張してしまった。

 機内へ。
 スチュワーデスが言う「カムサハムニダ(ありがとうございます)」は、もう聞き慣れてしまっていた。そして、また1時間足らずの空の旅。

 福岡空港着。
 先輩はここでキムチを直接奥さんの実家に宅配する手続きに。そして、来た道を帰るように地下鉄に乗り、博多駅へ。特急つばめに乗り、車窓から有明海を臨む頃には、西の空は夕焼けで真っ赤になっていた。

 西鹿児島駅に着くと、辺りは既に真っ暗になっていた。先輩夫妻とはここでお別れし、1人市電で帰宅。

 こうして、私の生まれて初めての海外旅行は、怪我もなく無事に終わったのであった。

-----「完」-----



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 今日はいよいよ慶州を去る日である。
 だが、その前に行くべき場所があった。「市役所」である。
 一昨日、立ち寄った本屋で慶州市の地図を探したが、道路地図のようなものしかなく、市役所に行けば手に入るのではと考えたからである。先輩いわく「外国で困った時は、市役所の国際交流課へ行けばなんとかなる」とのことである。

 昨日、一昨日に比べるとやや遅いものの、朝一番で旅館を出た。
 まずちょっとした店でパンを買って腹ごしらえをする。その後、高速バスターミナルへ行った。そして釜山行きのチケットと少しばかり慶州土産を購入し、荷物をコインロッカーに押し込んで(待合室の客の視線を浴びてちょっと怖かった…)、一路、市役所へ向かった。

 10分ほど歩いて市役所に到着。
 受付で尋ねていると、奥から若い青年2人を連れて、国際交流課の日本担当の鄭(チョン)さんという方が出てきた。
 挨拶をかわし、別館にある課へ向かう。「この2人は日本の奈良市役所から研修で3ヶ月前からここ慶州に来てるんですよ」と鄭さんはおっしゃった。しかし2人は「なんでオレ達が日本を離れてこんな所にいなきゃならないの?」といった不愛想な態度で、また全然ハングルを喋ろうともせず(覚えようともしてなさそう)、やる気がなさそうだった。税金で留学してるくせに、これだから公務員は…。
 課へ着くと課長さんをはじめ、多くの方が迎えて下さった。
 しかし大歓迎なムードではなかった(汗)。というのは「今日、午後にアメリカの××市(何処だったかは忘れた)の市長さんが来るから今とても忙しいんだよ」との言葉が示す通りであった。だが、3人に1部ずつパンフレットと観光マップを下さり、また朝鮮人参茶までご馳走になった。
 で、目的の地図だが、1部しかないのでコピーという事になったが、先輩が懇願すると太っ腹にもその地図を下さった。
 マニュアル通りのサービスしかしない日本の役所よりもよっぽど温かいと感じた。しかも市民でもなく、アポなしでいきなり訪ねた外国人の私達に対してである。

 昼前、釜山行きの高速バスに乗る。
 今回は「優等」バスなので1人当たり3,600ウォンと少し高いが(日本円では約470円と安いのだが)、座席を倒してリラックスできる車内であった(運転は相変わらずリラックスできるものではないが…)。
 乗車前に屋台で買った焼きイカを食べながら、移り行く窓の外の風景を眺めて過ごした。

 釜山に着くと、今回の旅行の最後の宿を探す。
 幸い高速バスターミナルの向いに、わりと綺麗で安く、おじさんが日本語を話すことができる宿が見つかった。宿代を少しでも安くしようと、慶州の時と同じく3人部屋をお願いした。
 しかしおじさんは我々3人を見て、「先輩=引率の先生、奥さんと私=学生」と思ったらしく、「結婚してない男女が同じ部屋に泊まるなんて、日本じゃ許されても韓国人の私は絶対に許さない」と言った(じゃあ昨日までの宿は何なんだ(笑))。
 先輩も我々の関係を説明するのが面倒だったらしく、「郷に入っては郷に従え」とばかりに2部屋取る事にした。無論、私が1人部屋だけど…。まあ、最後の夜くらいはね…。

 本場(?)のロッテリアで軽く昼食を済ませて、バスに乗って南部の釜山市街中心地へ向かった。
 海沿いの市場が目的地である。道路は片側5車線くらいもある大通りなのだが、行き交う車はウィンカーすら出さずに、自分の意志に基づくまま急ハンドルで進んで行く。もう、ウンザリ…。

 市場の入口前の停留所でバスを降りる。
 釜山に行く観光客には有名なチャガルチ市場。ここは大きな魚市場で、水揚げされたばかりの海産物があちこちで売られている。
 周辺では服飾品や日用品などの店も沢山ある。その一角で私は韓国ポップスのテープを3本買った。そのうち申昇勲(シン・スンフン)の歌は、今も私のお気に入りである。

 「今晩の食事はこの市場で魚でも食べよう」と決め、取り敢えずここを一時離れる。

 我々は釜山タワーに向かうことにした。タワーは高台の上にあるため、坂を登って行かなければならない。商店街の間をなんとか抜けて(途中で私達が日本人と気づくといろいろ売り付けようとしてくる)、30分程歩いただろうか、ついにタワーの前に着いた。

 タワーの前で交代で写真を撮る。今回の旅行中で初めて観光をした気分がした。
 せっかくだから、とチケットを買ってタワーに登ることにした。展望台に出ると眼下に韓国第2の都市・釜山の町並みが広がっていた。
 残念ながら今日は快晴ではなかったので、遠くに見えるはずの対馬は確認できなかった。
 最初の方でも述べた通り、韓国ではこのような場所での写真撮影は軍事上禁止されている。だが韓国人観光客も平気で写真を撮り、ビデオカメラを回している。私達も気にせずにシャッターを押した。
 このチケットには隣接する水族館や展示場の値段も含まれていたため、そちらにも向かった。だが水族館は水槽が置いてあるだけ、展示場は受付の女性が熟睡中(!)であったため、どちらも5分も経たずに後にした(どうなってんだか…)。

 タワーの前の広場には立派な銅像が立っている。そう、豊臣秀吉軍が侵攻した時に、亀甲船を率いて日本の海軍を破った忠武公・李舜臣(イ・スンシン)将軍の像である。
 この前で写真を撮るのは、まるで歴史を知らない馬鹿な日本人の若者のような気がしたが、記念として撮ることにした。う~ん、私も馬鹿者かな?

 さて、だいぶ日も傾きかけたので、先程のチャガルチ市場へ向かった。
 大きな建物の壁に日本語で「ようこそチャガルチ市場へ」とあった…。ちょっと嫌な気分になったが、そこに入ってみた。
 入って間もなく、おじさんとおばさんは私達を見つけると、すぐに魚を売りつけてきた。「ヒラメ1匹、20,000ウォン(=約2,600円)」「高い、そのイカはいくら」「じゃあ、ヒラメにイカをつけて20,000ウォン」「高い」「じゃあ、イカをもう1匹つけて20,000ウォン」という様な会話を、少しの日本語と韓国語とジェスチャーでした。
 「まあ、調理代込みだから、それならいいか」と、それらを買うことにした(元値はいくらだよ、全く…)。すぐに2階に案内された。

 座席で待っていると、キムチに続いて先程購入したヒラメとイカの刺身が出てきた。ビールで乾杯する。
 おばさんが「ヒラメのあらの部分を味噌汁みたいなのにできるけど、要るか?」というようなことを言ってきた。「いいねえ」と、頂くことにしたのだが、それもキチンと別途料金になっていた(汗)。

 1階に降りてお土産用の干物などを買って外に出ると、辺りはすっかり夜になっていた。
 バス停を探して歩き出す。何ヶ所かのバス停に行ってみるものの、どれに乗ればいいのかわからない。また、バスもあまり来ない。

 ずっと歩き回っていたのでトイレに行きたくなって来た。
 「交番ならトイレを貸してくれるだろう」と思い、入ってみる。だが、その警官に「May I use toilet?」等と言っても全く通じない。結局「ファジャンシル(化粧室)」と書かれたドアを指差してやっと分かってもらえた。何で英語が通じないんだろう…?
 後から出て来た一番若い警官は英語を解するようだった。
 英語で「高速ターミナル行きのバス停は何処ですか?」と訪ねてみる。「OK、OK! ついて来なさい」みたいなことを言うので従う。5分程歩いたであろうか、不意に地下に降りる階段に入っていった。「あれ? ここって地下鉄の駅? 地下鉄で帰るんだったらわざわざ警官に教えてもらわなくても分かるんだけど…」。
 先輩は「地下鉄じゃせっかくの風景が見えないので、意地でもバスに乗る」という考えだったらしく、かなり不満そうだった。私と奥さんはどんなルートでもいいから早く宿に帰りたかった(沢山歩き回ったので、もうくたくた)のでこれで良かったんだけど…。しかも、もう夜だから景色はあまり見えないんだけどね。
 その若い警官は案内版を指差し、降りる駅名を語り、またご丁寧に地下鉄の切符まで買って下さった。親切で有り難いんだけど、そこまでしてもらわなくても…。ちょっと離れた所で、明らかに日本人観光客と思われるおばさんがこちらを見て笑っていた。…。

 地下鉄は降車予定駅の少し前から地上高架線になっていた。東京の営団地下鉄東西線みたいだと思った。東莱(トンネ)という駅で降車、歩くこと20分、夜食を買って宿に戻る。

 今日は最後の韓国の夜。ビールとともに、すっかり毎晩の恒例となった「UNO」をし、適当な時間をみて先輩夫妻は隣の自室に戻り、就寝。

 「次に韓国に来るとしたら、何年後だろう…? それとも、今回が最初で最後かも知れないなあ…」などと独り言を言いながら、最後かも知れない温突の温もりを全身で感じていると、いつの間にか寝入ってしまった。



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のち

 今日は良洞村民家調査2日目である。

 昨日は全家屋の1/3程度しか調査できなかった。当初は、今日の午前中に調査を終わらせて、午後からは慶州市の名所・旧跡を見に行く予定だった。
 しかし、この調子では午前中どころか明日も調査になってしまうかも知れない。そこで今日は昨日よりも早く、6:30前には宿を出た。厳しい寒気が3人を襲う。

 昨日も利用したバス停に到着。
 裏手の市場ではあちこちで湯煙が上がっている。昨夜買ったパンを取り出すが、寒さのせいかどうも湯煙が気になる。そして3人とも導かれるようにその方へ歩き出す。
 湯煙のもとは、おでんのような、魚のすり身を棒に巻きつけたものの鍋であった。

 「大丈夫だろう(腹をこわさないだろう)」と意見がまとまったところで、早速買って食べる。スープも頂く。体が芯から暖まってきた。「ああ、やっと韓国の庶民の味を知ることができた」と思った。

 ---一昨日・昨日と2日続けてけっこう豪華な夕食を取った。これらは間違いなく韓国料理であった。
 しかし韓国料理であることには変わらないのだが、どうも観光客(=外国人向け)のための料理であったような気がしていた。キムチを除けば普段地元の人が食べる料理ではないような気がしていた。
 だから、この何気ない素朴な屋台風のものを食べたことに、豪華韓国料理の時とはまた違った嬉しさを感じた。


 バスに約1時間程揺られ、良洞村入口に到着。今日はその看板の前で記念撮影をする。
 そして、村を目指して歩き出す…。朝早いこともあり、何かモヤでもかかったような天気。並行して走る線路を無窮花(ムグンファ)号が汽笛とともに駆け抜けていく。

 今日はまず、村の手前側にある安楽亭(アンナクジョン)という亭子(あずまや)から調査を始める。
 山の中腹にあるその亭子の下方にはお墓があった。直径1.5m程の丸い小山のような饅頭のような形のお墓である(韓国は土葬である)。
 カメラを向けるのは失礼かも知れないが、2枚ほど写真を撮り、その後で手を合わせた。

 その山を下り、村へ向かう。
 村の左側に良洞国民学校がある。校庭の入口の脇にはハングル文字を創始した世宗(セジョン)大王の像がある。
 昨日は気づかなかったが、その校舎の造りを見て唖然とする。どう見ても韓国の伝統的住宅の外観を模倣している(RC造だが)。民俗村の景観に違和感を与えない、設計者の意図が窺えた。

 今日が日曜日だからであろうか、早朝だというのに外国人(特に西洋人)観光客が少なからず目に入った(私達も外国人だけど…(笑))。良洞は民俗村として観光地化されつつあるが、その殆どの家には今なお人が普通に住んでいるのである。
 であるから見られる方にとっては、はたまた迷惑であろう。せっかくの日曜日に朝っぱらから庭先でガヤガヤされては落ち着かない筈である。実際、私が庭を掃除していた女の人に家のことを尋ねると、はじめは答えてくれたが(うるさそうにではあるが)、最後には「あ~、もう!」といったふうに屋内に去ってしまった。

 20軒目くらいに、独り暮らしのお婆さんの家に行った。家の造りが他と異なる複列型で興味を引いたが、犬があまりにも吠えるので写真だけ撮ってパスしようかと思った。
 しかし、お婆さんが何か声を掛けると犬は急におとなしくなった。お婆さんは日本語が分かり、部屋の名前やその用途などいろいろ教えて下さった。「ありがとうございました!」と声を掛け、そこを去る。

 その10軒くらいあとに、資料では紹介されていないが結構立派な家屋があった。
 その前で立ち止まっていると、私より何歳か年上の女の人がこちらをチラチラと窺っていた。私はその人に近づき「アンニョンハセヨ!」と声を掛け、尋ねてみる。
 その家屋や部屋の名称、そしてその用途を紙に書いてもらった。その後、英語で「I'm studying Korean traditional houses.」「I came here to write graduation report.」等と雑談をしていると、ふと、その人は家の中へ入って行き、何か本を持ってまた出て来た。それは少し古くなった日本語の教科書であった。

 ---まだその人とお話をしたかったのだが、離れたところで先輩が時計を気にしながらこちらを見ていたので、お別れを言って立ち去った(あ~あ、お友達を作るチャンスが…。名刺でも作ってくればよかったな…)。


 朝食べなかったパンを昼食にし、ほとんど休む間もなく調査を続ける。

 李氏の派宗家(パジョンガ=宗家傍流)を見て下りてくると子供連れのおじさんが何か話しかけてきた。
 もちろん、言葉が分からないので首を傾げていると「Oh, Japanese?」と聞いてくる。「Yes.」と答えると続けて英語で「上の建物を見てきたのか」とか「どうだったか」の様なことを聞いてきた。
 私は答えようと頭で英作文をしていると、今度は「Oh, you can't speak English?」と言ってきた。すると先輩は「Yes!」と言って、ちょっと呆れ顔をするおじさんを尻目にさっさと歩きはじめた。
 先輩いわく「構ってる暇はない、時間がない!」とのことらしいが、ここで反論すると「誰の論文の為に調査をやってあげてるんだ?」と言われそうだったので、私は黙ってることにした…。

 「孫東滿(ソンドンマン)氏家屋」という、韓国でも非常に稀な、現存する李朝時代初期の建物の前に来た。良洞村の入郷祖・嚢敏公(ヤンミンゴン)孫昭(ソンソ)が1457年に建てたものだといわれている。
 月城孫氏の大宗家ということでもあり、ロ字型の主屋、一字型の行廊棟(ヘンナンチェ=使用人の棟)、そして祠堂(サダン=家廟)からなる、村屈指の建物である。
 ここから家来達の住む集落全体を見下ろす眺めは絶景である。しかし、舎廊マダン(庭)の樹齢500年の欅の木の奥には祖先を祭る祠堂が鎮座しており、日常生活にも儒生(儒教を守って生きる者)としての制約を受けるようにも配慮されている。

 その3軒ほど後に、カメラを向けると「ちょっとこっちに来い!」といった感じで手招きする老人がいた。「怒られるのかも…」と思いながらも、その老人に近づく。
 この老人・李さんは何と戦時中に日本軍の兵隊であった人で、音信不通の日本人を探しているという。手紙をその人に会ったら渡して欲しいという依頼であった(残念ながら渡せていないが)。

 次の家屋へ向かっていると、後ろから若い女性が2人やって来た。どうやら私達の持っている資料や地図が気になっているらしい。
 「アンニョンハセヨ!」と、そのうちの1人が声を掛けてきた。すかさず先輩が「Can you speak English?」と聞き返す。相手はちょっと驚いたような表情を見せたが、「あのー、もしかして日本人ですか?」と尋ねてきた。
 その女性はソウル大に留学している日本人学生で、韓国人の友達とここ良洞村に観光に来たという。まさかガイドブックにも載っていない良洞村で日本人に会うとは、お互い思っても見なかった。少しの雑談の後、余っている地図のコピーを渡して別れた。

 夕方になり、山の裏手の残り10軒へと向かった。
 裏側であるから余り人の手が入らずにいい家が残っているのではと期待していた。
 しかし、その全く反対で、観光客もわざわざここまでは来ないだろうといった感じで、かなりの家が現代的に造り替えられていた。これには呆れさせられた。

 調査可能な家屋を全て調べ終わった頃には、辺りはすっかり夜の帳が下りていた。
 バスに乗ったが満員で座れる所がない。しかも相変わらずの乱暴な運転で疲れは増すばかりであった。


 やっとことで慶州に戻る。
 調査が終了したお祝いにと、夕食はちょっとした飲み屋に入った。おでんや天ぷらをつまみに、焼酎(ソジュ)で一杯やった。
 ここの店の女主人の夫は鞠地(きくち)さんという日本人であった。そのおじさんは「三綱五倫」といった韓国思想や、戦争のことなど、色々と有益な話をして下さった。また、先輩を見て「フィリピン人だろう!」と言い張って聞かなかった。

 今日は慶州最後の夜なのでいつもよりも遅くまで起きていた。しかし、やはり疲れからかいつのまにか3人とも眠ってしまった。



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