南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 



のち

 3月に部分開通したばかりの『九州新幹線つばめ』を体験できるシミュレーションソフト。
 九州の人間にとっては「待ってました!」と言える1本だと思う(あ、一部の人に限る…かな?)。

 運転を体験できるのはいいんだが、プレイ時間=実運転時間となる。つまり、新八代~鹿児島中央間の約40分間、ゲームをプレイし続けるということになる。これは鉄道マニア以外にはある意味拷問かも…。
 しかも、九州新幹線の路線はトンネルばかりなので、景色を楽しむ環境ソフトとしても使えないかも(涙)。

 1つ特典もある。
 それは、新幹線開通によってなくなってしまった「特急つばめ」の熊本~水俣間も体験できるというものだ。
 熊本~新八代間は「リレーつばめ」として残ったが、八代~川内間はJRですらなくなってしまった(「肥薩おれんじ鉄道」という第三セクター路線になった)。あの海岸線を走るつばめの姿がもう見れないなんて、悲しい…。


 新幹線が開通し、熊本~西鹿児島(鹿児島中央)間の所要時間は2時間半から1時間へと大幅短縮された。しかし、単線ローカル特急もまた魅力だった。
 便利になることばかりがよいことじゃないよね。

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時々

 大分県日田市は「九州の小京都」といわれ、良質の木材が取れるということもあり、江戸時代は天領であった。
 筑後川の支流・三隅川が市内を東西に流れる自然に囲まれた盆地に展開し、夏は猛暑が続き、冬は大雪が降る、九州で一番暑くて寒い場所とも言われる。
 豆田町という町家集落が現存し、江戸時代当時の街並みを伝えている(観光地化されて整備しすぎの感もあるが)。噂では近々伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されるらしい。
 また、咸宜園(かんぎえん)という私塾をつくった幕末の先哲、広瀬淡窓を輩出した地でもある(現在の大分県の広瀬知事は、淡窓の子孫でもある)。

 私は1歳~7歳までをこの日田で過ごした。幼くてあまり覚えてはないが、幼稚園までの通園路、土筆を取った線路の土手、中央公園のプールと蒸気機関車、岩田屋デパートの展望レストランなど、ところどころ覚えているところがある。

 毎年5月の20日以降の土日に、川開き花火大会が開かれる。この時期の花火大会は珍しく、九州はもちろん、西日本の各地から観光客が訪れる。
 私は今回、なんと21年ぶりにこの地を訪れることにした。果たして、どこまで記憶と一致しているだろうか…。

 車を飛ばして思い出巡り。
 真っ先に向かったのは当時住んでいたアパートである。しかし、当時も既に古かったくらいなので、当然ながら既に影も形もなく、新しいマンションが建っていた。毎日のように遊んでいたアパート前の広場も駐車場化されていて、面影は全くなかった。
 10ヶ月間だけ通った小学校はそのままだった。プールも体育館も古いまま。学んだ教室は放課後育成クラブとなっていたが、そのままの位置に存在していた。感涙。
 2年間通ったキリスト教系幼稚園も見つけることができた。しかし園舎は新しくなっていた。当時、周囲は空き地が多かったが、すっかり市街地化されていた。
 中央公園の蒸気機関車はそのままだった。毎日のように水浴びしたプールは見つけることができなかった。
 父がよく商品を卸していた壽屋は既になく、黒潮市場となっていた。
 駅前にあった岩田屋も閉鎖されていた。看板からすると解体されてマンションになるのだろうか。

 いよいよ日も傾いてきた。
 思い出巡りの最後は、幼稚園の遠足などで何度も行った亀山(きざん)公園。綺麗に整備はされていたが、なんとなく記憶のまま。紅葉狩りやドングリ拾いが懐かしい。

 そして夜。
 花火がはじまった。5月の川風はひんやりして肌寒い。ってゆーか超寒い…。
 花火の趣向も当時のまま。クレーンを使ったナイアガラに、広告塔花火。すべてが懐かしい。

 今回はとてもいい旅だった。転勤族っていうのも、先々に思い出の地があっていいかもね。

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