南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 



時々

 鹿児島には多くの石橋がある。
 中でも鹿児島市を流れる甲突川(こうつきがわ)には、かつて玉江橋(たまえばし)、新上橋(しんかんばし)、西田橋(にしだばし)、高麗橋(こうらいばし)、武之橋(たけのはし)の「五石橋」と呼ばれた石橋があった。
 これらは江戸時代末期に薩摩藩が肥後の石工・岩永三五郎を招いて造った、日本を代表する石橋群である。以来、貴重な文化遺産として親しまれ、また現役の橋として利用されてきた。
 しかし、平成5年8月6日の鹿児島大水害(通称8・6水害)によって新上橋と武之橋が流出してしまう。行政側は「石橋が流木をせき止めて洪水を誘発した」「幅が狭く交通量の増加に対応できない」「残った石橋だけでも移築・永久保存したい」などという理由で、県民・市民、学識者など多くの反対運動・保存運動にもかかわらず、150年以上鎮座し水害にも耐え抜いた残りの3橋の取り壊しが無残にも決定する。
 現在、その3橋は鹿児島市の石橋記念公園に移築されているが、造られた循環式の水路に架かる「死んだ橋」となっている。

 そして、今度は鹿児島市の南部の和田川に架かる三連アーチの石橋「潮見橋(しおみばし)」(明治23年竣工)にも行政の魔手が伸びる。早ければ12月にも解体されることとなったのである。
 理由は「大雨の際に水害の原因になる」とのことらしいが、その明確な根拠も示されていないのである。
 また、甲突川の五石橋は、武之橋を除けばいずれも多くの車が行き交う交通の要所となっていたため、交通量に対応できない理由も考えられるが、この潮見橋は幹線道路から外れた場所に位置し、地元の住民が利用する程度に他ならない。

 鹿児島はまたしても文化遺産を壊そうとしている。なんとも文化的意識のレベルが低い県・市であろうか?
 明治の頃、維新の立役者という自負心から率先して「廃仏毀釈」と称し県内の寺院をことごとく破壊した悪行をまた繰り返すのだろうか?

 そもそも本当に水害対策といえるのか?
 鹿児島市には他にも大雨(というか中程度の雨)の度に水害を起こす新川などがある。
 私も新川の河川改修に際し、平成9年3月に家を立ち退いた経緯があるが、未だにろくに工事が進んでいない。新しく造った橋や道路の路肩に土嚢がうず高く積まれ、設計のお粗末さも露呈している。景観も最悪である。
 血税で飯を食っているくせに、もう少しちゃんと考えて欲しいものである。


【写真1】後方に桜島を望む


【写真2】見事な三連アーチの潮見橋


【写真3】上流側には水切石が付いている

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