南九州の片隅から
Nicha Milzanessのひとりごと日記
 



のち

 今日は良洞村民家調査2日目である。

 昨日は全家屋の1/3程度しか調査できなかった。当初は、今日の午前中に調査を終わらせて、午後からは慶州市の名所・旧跡を見に行く予定だった。
 しかし、この調子では午前中どころか明日も調査になってしまうかも知れない。そこで今日は昨日よりも早く、6:30前には宿を出た。厳しい寒気が3人を襲う。

 昨日も利用したバス停に到着。
 裏手の市場ではあちこちで湯煙が上がっている。昨夜買ったパンを取り出すが、寒さのせいかどうも湯煙が気になる。そして3人とも導かれるようにその方へ歩き出す。
 湯煙のもとは、おでんのような、魚のすり身を棒に巻きつけたものの鍋であった。

 「大丈夫だろう(腹をこわさないだろう)」と意見がまとまったところで、早速買って食べる。スープも頂く。体が芯から暖まってきた。「ああ、やっと韓国の庶民の味を知ることができた」と思った。

 ---一昨日・昨日と2日続けてけっこう豪華な夕食を取った。これらは間違いなく韓国料理であった。
 しかし韓国料理であることには変わらないのだが、どうも観光客(=外国人向け)のための料理であったような気がしていた。キムチを除けば普段地元の人が食べる料理ではないような気がしていた。
 だから、この何気ない素朴な屋台風のものを食べたことに、豪華韓国料理の時とはまた違った嬉しさを感じた。


 バスに約1時間程揺られ、良洞村入口に到着。今日はその看板の前で記念撮影をする。
 そして、村を目指して歩き出す…。朝早いこともあり、何かモヤでもかかったような天気。並行して走る線路を無窮花(ムグンファ)号が汽笛とともに駆け抜けていく。

 今日はまず、村の手前側にある安楽亭(アンナクジョン)という亭子(あずまや)から調査を始める。
 山の中腹にあるその亭子の下方にはお墓があった。直径1.5m程の丸い小山のような饅頭のような形のお墓である(韓国は土葬である)。
 カメラを向けるのは失礼かも知れないが、2枚ほど写真を撮り、その後で手を合わせた。

 その山を下り、村へ向かう。
 村の左側に良洞国民学校がある。校庭の入口の脇にはハングル文字を創始した世宗(セジョン)大王の像がある。
 昨日は気づかなかったが、その校舎の造りを見て唖然とする。どう見ても韓国の伝統的住宅の外観を模倣している(RC造だが)。民俗村の景観に違和感を与えない、設計者の意図が窺えた。

 今日が日曜日だからであろうか、早朝だというのに外国人(特に西洋人)観光客が少なからず目に入った(私達も外国人だけど…(笑))。良洞は民俗村として観光地化されつつあるが、その殆どの家には今なお人が普通に住んでいるのである。
 であるから見られる方にとっては、はたまた迷惑であろう。せっかくの日曜日に朝っぱらから庭先でガヤガヤされては落ち着かない筈である。実際、私が庭を掃除していた女の人に家のことを尋ねると、はじめは答えてくれたが(うるさそうにではあるが)、最後には「あ~、もう!」といったふうに屋内に去ってしまった。

 20軒目くらいに、独り暮らしのお婆さんの家に行った。家の造りが他と異なる複列型で興味を引いたが、犬があまりにも吠えるので写真だけ撮ってパスしようかと思った。
 しかし、お婆さんが何か声を掛けると犬は急におとなしくなった。お婆さんは日本語が分かり、部屋の名前やその用途などいろいろ教えて下さった。「ありがとうございました!」と声を掛け、そこを去る。

 その10軒くらいあとに、資料では紹介されていないが結構立派な家屋があった。
 その前で立ち止まっていると、私より何歳か年上の女の人がこちらをチラチラと窺っていた。私はその人に近づき「アンニョンハセヨ!」と声を掛け、尋ねてみる。
 その家屋や部屋の名称、そしてその用途を紙に書いてもらった。その後、英語で「I'm studying Korean traditional houses.」「I came here to write graduation report.」等と雑談をしていると、ふと、その人は家の中へ入って行き、何か本を持ってまた出て来た。それは少し古くなった日本語の教科書であった。

 ---まだその人とお話をしたかったのだが、離れたところで先輩が時計を気にしながらこちらを見ていたので、お別れを言って立ち去った(あ~あ、お友達を作るチャンスが…。名刺でも作ってくればよかったな…)。


 朝食べなかったパンを昼食にし、ほとんど休む間もなく調査を続ける。

 李氏の派宗家(パジョンガ=宗家傍流)を見て下りてくると子供連れのおじさんが何か話しかけてきた。
 もちろん、言葉が分からないので首を傾げていると「Oh, Japanese?」と聞いてくる。「Yes.」と答えると続けて英語で「上の建物を見てきたのか」とか「どうだったか」の様なことを聞いてきた。
 私は答えようと頭で英作文をしていると、今度は「Oh, you can't speak English?」と言ってきた。すると先輩は「Yes!」と言って、ちょっと呆れ顔をするおじさんを尻目にさっさと歩きはじめた。
 先輩いわく「構ってる暇はない、時間がない!」とのことらしいが、ここで反論すると「誰の論文の為に調査をやってあげてるんだ?」と言われそうだったので、私は黙ってることにした…。

 「孫東滿(ソンドンマン)氏家屋」という、韓国でも非常に稀な、現存する李朝時代初期の建物の前に来た。良洞村の入郷祖・嚢敏公(ヤンミンゴン)孫昭(ソンソ)が1457年に建てたものだといわれている。
 月城孫氏の大宗家ということでもあり、ロ字型の主屋、一字型の行廊棟(ヘンナンチェ=使用人の棟)、そして祠堂(サダン=家廟)からなる、村屈指の建物である。
 ここから家来達の住む集落全体を見下ろす眺めは絶景である。しかし、舎廊マダン(庭)の樹齢500年の欅の木の奥には祖先を祭る祠堂が鎮座しており、日常生活にも儒生(儒教を守って生きる者)としての制約を受けるようにも配慮されている。

 その3軒ほど後に、カメラを向けると「ちょっとこっちに来い!」といった感じで手招きする老人がいた。「怒られるのかも…」と思いながらも、その老人に近づく。
 この老人・李さんは何と戦時中に日本軍の兵隊であった人で、音信不通の日本人を探しているという。手紙をその人に会ったら渡して欲しいという依頼であった(残念ながら渡せていないが)。

 次の家屋へ向かっていると、後ろから若い女性が2人やって来た。どうやら私達の持っている資料や地図が気になっているらしい。
 「アンニョンハセヨ!」と、そのうちの1人が声を掛けてきた。すかさず先輩が「Can you speak English?」と聞き返す。相手はちょっと驚いたような表情を見せたが、「あのー、もしかして日本人ですか?」と尋ねてきた。
 その女性はソウル大に留学している日本人学生で、韓国人の友達とここ良洞村に観光に来たという。まさかガイドブックにも載っていない良洞村で日本人に会うとは、お互い思っても見なかった。少しの雑談の後、余っている地図のコピーを渡して別れた。

 夕方になり、山の裏手の残り10軒へと向かった。
 裏側であるから余り人の手が入らずにいい家が残っているのではと期待していた。
 しかし、その全く反対で、観光客もわざわざここまでは来ないだろうといった感じで、かなりの家が現代的に造り替えられていた。これには呆れさせられた。

 調査可能な家屋を全て調べ終わった頃には、辺りはすっかり夜の帳が下りていた。
 バスに乗ったが満員で座れる所がない。しかも相変わらずの乱暴な運転で疲れは増すばかりであった。


 やっとことで慶州に戻る。
 調査が終了したお祝いにと、夕食はちょっとした飲み屋に入った。おでんや天ぷらをつまみに、焼酎(ソジュ)で一杯やった。
 ここの店の女主人の夫は鞠地(きくち)さんという日本人であった。そのおじさんは「三綱五倫」といった韓国思想や、戦争のことなど、色々と有益な話をして下さった。また、先輩を見て「フィリピン人だろう!」と言い張って聞かなかった。

 今日は慶州最後の夜なのでいつもよりも遅くまで起きていた。しかし、やはり疲れからかいつのまにか3人とも眠ってしまった。



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