株主優待券

2006年01月29日 | 人生はマーケティングもある。
私の属するあるコミュニティで「株主優待券でマクドナルドを食べると」という題で下のような投稿をした。

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『株主優待券でマクドナルドを食べるとレシートに0円の印字が並ぶ。』

娘のお友達のお爺様が株主なので、と、娘は嬉々として出かけていった。
だが、、その子は、ポテトを数本食べただけだったという。吹き出物が出るかもしれない、と気を使っていたとのこと。
ちなみにその子のご両親、お爺様ともに、お医者様。

お育ちがちがうのよ、お嬢様は。(やたらと"お"が多いが)

やっぱり、金持ちとは付き合うものである。娘にとってもよい社会勉強になったのである。
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この投稿にあるメンバーがメッセージを送ってくれた。

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そう、娘には食わせられないようなものを出している会社に出資して、庶民がそれをたくさん食って、株価が上がるように望んでいるのが金持ちだ、、、(笑)。
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間違ってもらいたくないのですが、ここで、私は「マクドナルドのバーガーは体に悪い」と言おうとしているのではないのです。どうか、誤解していただきたくない。
私はハンバーガーはとても好きです。正直を言えば、モスバーガーの方がおいしいとは思いますが、マクドナルドも紆余曲折しながらも、がんばっていると思う。今はまた、500円セットに戻ってしまっているが、前のセット600円を超えていたときは、おいしかった。(なんかフォローになっていないような気がするが・・。)

ここで言いたいのは「株主責任ってなんだ?」ということなのです。

株主は買おうとしている株の値段=株価を気にしています。私の買う株の将来値は確かに上がるのだろうか。上がったら買う、下がったら買う。上がったら売る、下がったら売る。それぞれ、それぞれ。

でも、株主は、まずは投資家でなければならないと思います。投資家とは、他人のビジネスの元手になる金を出す。その人のビジネスが失敗すれば投資した金は戻ってこない。うまくいけば配当が得られる。
投資とはよく書けたもので「資産を投げる」という意味ですね。投げたものは基本的には自分のものでない(北海道では、なげる=すてる らしいです。)。

じゃあ、それほどまでして(自分のお金がなくなるかもしれないのに)投資をする価値判断はどこにあるのか。

それは、投資する相手のビジネスが「世のため、人のためになる」という確信があるからではないでしょうか。
投資判断は人それぞれですから逆に「こいつは世の中を混乱に落とし込むだろう」という確信で投資するということも"あり"でしょうが。
少なくとも、自分の価値基準にあっているからこそ、その人に投資できるし、そうであるべきだと思うのです。

株価時価総額経済というのは、上の考え方からすると、対極にある考え方と前々から感じています。
株価しかない。企業の価値は"すべて"株価として反映される。という考え方ですね。

株を買うことはその会社に投資することである
それは、その会社の業務について責任を持つことでもある、ということを株を買う人は自覚しなければならないと思うのですが。










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2 コメント

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初めてのコメント (ファランクス)
2006-01-30 11:18:57
処女地に恐る恐るコメントします。



全く、その通りだと思います。



以上。
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会社は誰のために (tetsuda)
2006-01-30 20:19:43
ふぅんなるほど、納得です。



ニッポン放送騒ぎの時「会社は誰のものか」という議論が起こりました。その答えは商法にある通り、会社は株主のものです。



では「会社は誰のためにあるのか」。それは、お書きのように「世のため、人のため」でしょう。



世のため人のためになるから、存在が許されている、それが法人(会社)です。逆に、そうでない会社は存在が許されないのです。



そんな当たり前のことを、今頃思い出しています。
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