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夏雲

2010年07月26日 | 人生は旅である。
アジア大陸の東の端から少し離れた太平洋上に位置する日本。

気圧的にも大陸の気圧と太平洋の気圧の狭間にあります。
夏も冬も太平洋高気圧と大陸高気圧の狭間にありますね。

その狭間に出来るのが 雲 ですね。

ここ数日の暑い暑い夏の天気の中でも海からの暑い空気と、大陸からの冷たい空気との狭間で写真のような立派な夏雲が出来ています。関東方面では今日も夕立の降っている地域があるようです。

こうやって、一日一日季節は移ろっていくのです。

移ろっていくことだけが、常なることなのです。

JR西日本阪和線:山中渓:103系:2010年6月20日

2010年07月18日 | 人生は旅である。
先日、大阪府は山大阪府阪南市山中渓(やまなかだに)の街をご紹介しましたが。今日は、まもなく姿を消すであろうといわれている、103系の写真を紹介いたします。

103系車両は、『1964年(昭和39年)以降の国鉄における通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車はもとより、日本の鉄道車両としても最大の車両数を誇り、昭和40~50年代(1970 - 1980年代)の東京や大阪など日本の大都市圏の通勤輸送を支えた。』とWikipediaにあります。21年間に3,447両が製造されたということです。最後の車両が作られた1984年からすでに25年も経っていますが、こうやって、大阪の中心天王寺と和歌山市をつなぐ阪和線で元気に走っています。
私にとっても、「国鉄の電車はこの形」と懐かしさを越えて、普遍性すら感じる車両です。



昔から、阪和線は天王寺と和歌山という堺を初めとする大阪南部の近郊都市を走る日本を代表する近郊電車の一つといいながら、古い車両が走っていることでちょっと有名な路線であります。
ちなみに、「特急はつかり」として有名だったボンネット型気動車キハ81の終の棲家(ついのすみか)が阪和線から紀勢本線の線路上であったことからも、ここ阪和線はJR電車車両の博物館といってもいいかもしれません。



阪和線は、昭和4年の開業からずーっと電車が走っているのですが、この山中渓は時代の流れとはあまり関係なくひっそりとした峠越えの路線です。
今日も、もうすぐ最後になるだろうここでの仕事を確実に、着実に、安全に人々を乗せながら、103系は走っているのです。

なんだか、自分の人生を重ねてしまうのは、「人生は旅である」からですね。


山中渓:大阪府阪南市

2010年06月20日 | 人生は旅である。
JR西日本、阪和線(はんわせん)は、天王寺駅から和歌山駅まで結んでいます。
大阪府と和歌山県を結んでいるわけですね。

で、大阪府から和歌山県に越える峠の途中にここ山中という場所があります。この峠は熊野街道の一部で、この村落には関所跡や、その昔陣屋をされていたお家が今もあります。

このあたりを風致地区として、歴史の重みのある街並みが保存されています。

大阪市内からもそう遠くない場所ですから、一度ふらりと訪れられたらいかがでしょう。


甲子園球場2010年5月

2010年05月29日 | 人生は旅である。
写真を大きく見るならこちら

平成19年(2007年)の10月から大規模なリニューアル工事を行っていたここ、阪神甲子園球場も今シーズンは球場本体だけでなく、周辺施設も完成して、フル稼働をしています。

この駄blogもこのリニューアル前何度か阪神甲子園球場を紹介していました。

  • 2005年11月の紅葉
  • 2007年11月の蔦の取れた壁
  • 2008年11月の新しい銀傘製作の頃
  • 2009年5月の新装成った内野席

    そして、本日の甲子園球場です。
    季節はセ・パ交流戦真っ只中。今年は兵庫県西宮地方は涼しい梅雨前になっていますが、今年も、相変わらず球場内では熱戦が繰り広げられているのです。

    大正13年(1924年)年から86年の時代を超え阪神間モダニズムを記念碑としてではなく「この時代に活躍する場所」として伝えている阪神甲子園球場。

    あと14年で竣工100年を迎える頃には、明治維新頃に始まる日本の近代の終わりが、平成の初め頃までに拡張されることになるのではないかと感じています。