JR西日本阪和線:山中渓:103系:2010年6月20日

2010年07月18日 | 人生は旅である。
先日、大阪府は山大阪府阪南市山中渓(やまなかだに)の街をご紹介しましたが。今日は、まもなく姿を消すであろうといわれている、103系の写真を紹介いたします。

103系車両は、『1964年(昭和39年)以降の国鉄における通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車はもとより、日本の鉄道車両としても最大の車両数を誇り、昭和40~50年代(1970 - 1980年代)の東京や大阪など日本の大都市圏の通勤輸送を支えた。』とWikipediaにあります。21年間に3,447両が製造されたということです。最後の車両が作られた1984年からすでに25年も経っていますが、こうやって、大阪の中心天王寺と和歌山市をつなぐ阪和線で元気に走っています。
私にとっても、「国鉄の電車はこの形」と懐かしさを越えて、普遍性すら感じる車両です。



昔から、阪和線は天王寺と和歌山という堺を初めとする大阪南部の近郊都市を走る日本を代表する近郊電車の一つといいながら、古い車両が走っていることでちょっと有名な路線であります。
ちなみに、「特急はつかり」として有名だったボンネット型気動車キハ81の終の棲家(ついのすみか)が阪和線から紀勢本線の線路上であったことからも、ここ阪和線はJR電車車両の博物館といってもいいかもしれません。



阪和線は、昭和4年の開業からずーっと電車が走っているのですが、この山中渓は時代の流れとはあまり関係なくひっそりとした峠越えの路線です。
今日も、もうすぐ最後になるだろうここでの仕事を確実に、着実に、安全に人々を乗せながら、103系は走っているのです。

なんだか、自分の人生を重ねてしまうのは、「人生は旅である」からですね。



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2 コメント

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田舎の思い出 (Chiaki)
2010-08-03 06:48:47
この記事を書いてくれて有難うございます。

どうと書きましょうか、山中渓はまさに私にとっては「田舎のおばあちゃん家」でした。実家はアメリカで、二年に一度、高校時代から4年に一度いけるかいけない私ですが、ここを思い浮かぶととても強いノスタルジアを感じます。

テレビや漫画でよく出される「田舎に帰る」モチーフは当たり前に思っていた私ですが、あなたの記事を読み、これは普段あまり見られない光景だと感じました。あの青い電車がホームに入り、冷房も無い、扇風機だけの力で中を涼める103系、私は当たり前の存在だと思いました。

今度日本へ行ったら(もう二年以上いっていません)また一度このあたりを歩こうと思います。歴史の感を味わえさせていただき有難うございます。
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chiakiさんへ (たま@blog主)
2010-08-29 23:22:30
私の駄blogにコメントいただきありがとうございます。
多くの方々からコメントをいただいておりますが、chiakiさんのコメントほど心を揺さぶるコメントはありません。
私の文章と写真があなたを気持ちを動かしたのならこれほど幸せを感じることはありません。
次にchiakiさんが次に山中渓をおとづれる時に、かなうことならば、ぜひお会いしたいものだと思っています。
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