オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その56 雰囲気の違い 12-05-09

2009-05-26 13:16:27 | 第51ー60回
その56 雰囲気の違い   12-05-09


日本から帰ってきて3週間近く経とうとしている。
当たり前だが、帰ってきていきなり仕事に突入したので、日本でのことが遠い昔
の出来事のようである。

帰ってくるなり例のH1N1インフルエンザの騒ぎである。
ちょっとは、こっちに景気の風が向うかなと思った矢先の出来事である。
あの私の、日本での営業努力はどうなるのと思う。

オークランドのノースショアーにある、ランギトトカレッジの高校生達15名が
感染したというニュースだ。
彼らはスペイン語の研修旅行にメキシコに行っていた。
現在の感染者は、6名でみんな軽症である。
しかし、しかたない。私一人が影響を受けているのではないからである。



さてと話を元に戻そう。
日本に行く前と日本滞在中京都で事故を目撃した。
その二つのシーンが頭からこびり付いて離れない。

我が家の前で
日本出発の2,3日前のことである。
朝10時半ごろ、郵便受けから手紙を取ったとたん、後ろでパーンと爆発音がし
た。
実際は交通事故、2台の車がぶつかった音だった。
一台は私の通りの友人を訪ねてきたおばあさんの車、道の真ん中で右全前方がひ
しゃげて泊まっている。
もう一台はマオリのカップルの車であった。
彼らの車は、20メートル先で反対車線を越え、ドメイン(公園)の柵をつっきり、牧草地の
窪みに突っ込んでいる。
二人は車からでて、お互い慰めあうように抱き合っている。

私は家のほうに振り向いた瞬間だったから、なにがおこったかわからなかった。
状況から判断すると、直進車を見落として、右折しようとしたおばあさんの間違
いらしい。
私は、その場を散歩していた男性におばあさんの世話を頼み、家から111に電
話した。10分もしないうちにパトカー、救急車が到着した。

公園の芝生がまぶしいほど青く、空は晴れ渡っている。
眠たくなるような晴天の日の空気が、にわかにかき乱された。
それでも、牛達は何もなかったように草をはんでいる。

そのうちおばあさんの娘や、知り合いのおじいさんがやってきて、おばあさんに
付き添っている。
救急車でおばあさんは診察を受けたものの、怪我もなにもなかったらしく、救急
車は空のまま帰っていった。
マオリのカップルも、友人が迎えに来て帰っていった。
2台の車は、2時間後にレッカー車が引いていった。
柵がないと牛が道に出てしまうと旦那がさかんに案じていたが、翌朝柵もcity
Council(市役所)が来て修理した。

私はこの一部始終を、2階の窓からお昼ご飯を食べながら、出かける支度をしな
がら眺めていた。


それは4月のある日、京都滞在中のことであった。
私は元の職場、京都烏丸丸太町交差点角の花屋を訪れていた。
ふと外の雑踏に目をやると、青信号でいっせいに走り出した道路の真ん中に向って若い女性が
ふらふらと歩いていく。
バックパックを背負い、はだしである。
周りの交通はすさまじいのに、スローモーションを見ているようである。
ニュージーランドではだしで歩く人を見てもあまり驚かないが、ここは日本、都会京都の交差
点である。

それに気づいた通行人、背広姿の紳士が、その女性を連れに行き、歩道の端に座らせた。
女性は固まったまま動かない。看護婦らしい通りがかりの女性が脈を取っている。
一斉に通行人の目を引き、就学旅行の女子高校生のクループが立ち止まって見ている。
私も花屋の中から見ると、女性は右手には携帯をもち、左手にはふたなしの食べかけのツナ缶、
千円札数枚を握りしめている。
普段目にしない、異常な光景である。

そのうちに救急車がやってきた。
「名前は?名前言うてえな」と救急隊員が話しかける。
女性は口をきかない。
その女性の札束を握り締めた手が、小刻みに震えているのがわかる。
救急隊員「立とうや」、女性固まったままである。
隊員が身元の判るものがないかと、女性のパックパックの中身をさぐるが何もない。
考えたあげく、女性の携帯からアドレスブックにのっている人に電話をかけていた。

看護婦らしい女性は30分ほどで立ち去り、最初からずっと付き添い、救急車を呼んだ紳士も
行ってしまった。
その後も救急車は1時間近く交差点の中で停まっていた。

もしかしたら女性は。車に轢かれて死んでいたかもしれないのに、はだしで出て行ったのに、
誰も、家族も知人もやって来ない。

日本の平日の街の交差点、だれもが仕事に学校へ、点と点をつなぐだけの空間の移動、周りが
どうであろうと動き回っている。

後日思ったが、その女性は麻薬中毒の禁断症状がでていたのではないかと思う。
ニュージーランドでは、たまに「happy」になっている人を見かけることもある。
それは限られた地域、時間のことだ。
このような日常ではない。



営業のため、私は東京新宿のホテルに4泊した。

雑踏の中、混んだ電車の中で、私は空気になじめない。
迷いながら、時間前に目的地にたどりつき、近くの喫茶店で苦いばかりで味の無いコーヒーを
飲む。ここまでの旅に、すでに疲れているのに、モーティベーションを高めて、営業モードに
切り替え、取引先の会社にのりこむ。

山手線では毎日のように、人身事故で電車が遅れた。
乗客は、寡黙のうちに不機嫌になる。
だれかが携帯で、仕事言葉で約束で遅れることを伝えている。

生きていることがどうでも良くなって、あるいは朦朧として、線路に身を投げた人がいるのに、
電車の乗客には同情のかけらも感じられない。
そういう私も時計に目をやる。

ふと隣を見ると、黒のリクルートスーツの女性が爪をかんである。
この春の新入社員であろう。さかむけが血がにじむほどになっている。


日本は、どこか深いところで病んでいるようだ。
対人関係が希薄である。



2週間後、私はオークランドに戻ってきた。
スーパーマーケットのエレベーターで老人夫婦と乗り合わせる。
「久しぶりのいいお天気ね」と話しかける。
通りかがかりの他人に、微笑みながらハローと挨拶する。


ここでは、人が人として認識し合っているような気がする。
ちょっと田舎ぽいが、善意で他人とかかわりあう。
私は、また自分の居場所をみつけホッとする。



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