オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その3・・・Food Show 31-08-04

2007-08-15 10:50:45 | 第1-10回
その3・・・Food Show

Food Showに行ってきました。
これは数あるオークランドであるショウのうち毎年私達が楽しみにしている
ものの一つ。

オークランドでいったいどのようなイベント、ショウがあるか挙げてみると、

Extica Adult Lifestyle Expo
AGS Parent & Child Show
Cat Show
Food Show
Auckland Home show
Boat Show
Big Boy Toys
Careers Expo
Girls Day Out
Great NZ Craft Show
Royal Easter Show
Ellersllie Flower Show

などなど、数限りなくあります。特に冬場に多い気がします。夏はみんな
週末はビーチとかでかけてしまいますから。今週週末ひまだな、なにか
イベントやってないかなと出かけていくわけです。

Cat Showは猫の品評会を兼ねていて、猫好きには楽しめます。
住宅ブームのオークランドで、自分の家を新築しようとする人には、
Home showはいろいろは建築資材、キッチンなど見れて大いに参考になり
ます。我が家もバスタブ、シャワー、トイレをこのショウで見て決めま
した。
Ellersllie Flower Showは南半球最大のフラワーショウで、外国からの
訪問者も多いそうです。


Food Showは Auckland Show groundで7月30日から三日間に渡って行われ
ていました。
今年は夏休みを利用して、地元の小学校に2週間留学していた姪のおみや
げ買いがてら、フードショウにでかけました。やっぱり味見して買うの
が一番ですね。
Food Showは入場料$18高いけど、味見、テイスチィングができるので
けっこうな満腹感はあります。最初は物産市で、宣伝目的なのに何で
入場料取るわけと思っていたのですが、サンプルやただの味見に惹かれ
てつい行ってしまうのです。

味見をお昼ご飯がわりにすることにして、11時ごろからでかてました。
土曜日ということで大変な込みようです。さすがイベント好き、グルメな
オークランダーで込み合ってます。NZでこんなにたくさんに人を見ること
はあまりないので、人酔いしそうです。

特設ステージでは日に数回に渡って、お料理のデモンストレーションが行
われていました。テレビでおなじみのPete Mathiasを身近で目にするのは
不思議な気分です。
又ニュージーランドの有名ワインマスターのBob Campbellのワインの保存
法のセミナーも興味深かったです。
ワイン好きなら、どのワインを何年ぐらい寝かせるかは、みんなの興味に
あるところ。

おいしいものを捜し求めて、歩き回り、ソーセージ、ハムの味見の後、
飲み物がほしくなれば、ビールのコーナーに行き、デザートにはケーキと
幸せな気分です。だけど、お腹の許容量に気をつけないと、お目当ての
チョコレートケーキやアイスクリームが食べられなくなってしまいます。

NZワイン、チーズ、食品ありとあらゆるもの、調理用具の展示即売が
行われていました。

チーズは種類も多く、スーパーの売り場で、キロあたりの値段とメーカー
をチェックしながら、ついいつもと同じものを買ってしまうので、新しい
チーズに挑戦するいいチャンスです。チーズはブルーチーズ、カマンベー
ル、料理に使うフェタチーズ、スイスチーズなといろいろ。
1800年代にやってきたボスニアからの移民の子孫の作っている、チーズ
コーナーは市価よりかなり安く販売され、おまけにクラッカーもついて
くるので人だかりができてました。ゴーダチーズがクリーミーでおいし
かったです。

ソーセージはベニソン(鹿肉)のが、脂身もなくしっかりとした味わいで
、ほかのとは違った味わいがありました。ウェストオークランドにいくつ
かデアーファームがあるそう。

味見したスモークチキンのrashers(薄切りハム)は気に入って、最近、
お弁当のサンドイッチに活躍していてます。ここの豚肉、ハムは臭みがあ
るので、ずっとなにかハムの代用品がないかと捜してました。98%Fat
freeというのも魅力。

ワインは今年はブースによっては$3のグラスを買い、そのグラスでテイ
スチィングをしてまわるシステムになってました。もちろん、グラスなし
でも小さなプラスチック容器でのテイスチィングは無料。
ワインはまず白から味見して、軽い赤、最後にシラーを試すようにしまし
た。テイスチィングとはいえ、数が多いと大分飲んでしまうし、最後には
どれがどれだったか判らなくなってしまいます。これまでニュージーラン
ドは白ワイン、オーストラリアは赤ワインと言われてましたが、最近では
ニュージーランドでもいい赤ワインが造られるようです。私は最近、甘み
のすくないGewurz(ギバース)に凝っているので、このワインを捜して回
る。これは、タイ料理、中華などのスパイシーな料理にも良くあう。

ワインのほかに、オリーブオイルもいいものが取れるようになってきてい
て、パンをデップして味見する。私はワイヘケ島、クメウで採れる少し苦
味があって、青臭いオリーブオイルが気に入った。

Organic foodや健康食品はここでもおおはやりで、特別のコーナーな設け
られていた。虫食いだらけで、見た目の悪い野菜は食べるとこが少ないし
、お肉類も普通のと比べたら高価なので、食べ盛りをかかえる我が家の
台所では手が出ない。この機会に試してみる。ヨーグルト、牛乳からほと
んどなんでもオーガニックである。

季節物のオイスター、ホタテ貝、油ののったサーモンにも舌鼓を打った。
サーモンは日本人ならわさび醤油で食べたいところ。

姪は、お父さんにビーフジャーキー、お母さんにハーブテイーのセット、
おばあちゃんに手作りチョコレート、妹に棒付キャンデーを買っていた。
私達は、チーズ、マーマレード、レリッシュ、オーガニックコーヒー、ワ
インを買った。見て味見してるとそれで満足してしまい、購買意欲を失っ
ていて、帰って数日してから思い出してはあれのこれも買っておけばよか
ったと思った。
帰りには、キャンデー、コーンフレーク、ジャガイモ、にんじん、トマト
、バーブテイー、などの試供品で手持ちのバックはいっぱいになった。

さすがに味見のしすぎで夕方になってもお腹がすかない。
それで、その日の晩御飯は、買って来たワインにチーズにクラッカー、フ
ルーツで簡単に済ませる。

10年前、ニュージーランドに来たときは、ここの人たちは味覚オンチでは
ないかと思うほど、なんでもまずかった。イギリス風というか、野菜はく
たくただし、お肉は硬くて味がない。
ところが最近のワインブームでそれに会う料理をだすレストランが増え、
おレストランのレベルも上がったと思う。オークランドは世界中からの移
民の住む町なので、イタリア、インド、中華、韓国、日本料理が楽しめる。
競争があれば、おのずとレベルも上がるのだ。
ここ数年のカフェばやりで、おいしいコーヒーを出す店が増えたのもうれ
しい。
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その4 リタイアメントはどこで 28-04-09

2007-08-15 10:49:03 | 第1-10回
その4 リタイアメントはどこで

タイに行ってきました。
オセアニア発信のメルマガにタイのことがでてくるのは不思議でしょうが、聞い
てください。

最近、知り合いのキーウィーがタイに家を買った。
一年の半年をタイで、後の半年をニュージーランドで暮らすという。
何度かタイに行くうちに気に入り、リタイアメントはタイでと決めたそうだ。
私はこの話を聞いた時は半信半疑であった。
だいたいニュージーランドは日本からのロングステイに人気の土地だし、
なんでまたタイなんかに行って住むの?って感じである。
今回の旅で、タイもなかなか悪くないと思った。一番に物価が安い。プライベー
トな旅であったこともあり、観光、お買い物を楽しんだ。

なんでタイなのか、滞在中に友人達に会って納得した。
主人のビルマ人の友人の一人。
15年間、ニューヨーク国連事務所勤務の後、45歳の若さでリタイアしている。
ホテル経営のアパートメントに母親と二人暮らしていた。
セキュリテイーガード付の15階建て高級アパートメント。住人はほほ半数が
外国人だという。
彼は、週末はパタヤビーチでセーリング、平日はゴルフとテニスに明け暮れてい
るという。ご飯作るのは面倒なので、毎日昼は隣のホテルでビッフェですます。
まあ、もともとお金持ちだったということもあるけど、タイにはお金をだせば、
外国人でも快適に暮らせる住居と生活が手に入れられる。
いやな物は見ず、限られた空間で生活すれば、快適ということだ。
タイの一般の人達の生活からはかけ離れているかもしれないが、西洋諸国の外国人
からすれば三分の一から二分の一で優雅な生活がタイでできる。

チェンマイ周辺には日本人向きのリタイアメントリゾートもあるらしい。
これで知り合いのキーウィに言っていたことに納得が言った。通貨の力関係で、
アメリカのお金持ちはニュージーランドに別荘を買い、キーウィはタイで老後をと
いう訳だ。

タイ政府は外国人退職者の移住に力を入れている。
50歳以上の外国人で800.000バーツの銀行の残高証明と定額の退職金があ
れば、一年の滞在ビザがでるという。
お隣のオーストラリアにもリタイアメントビザがある。
情報によると、日本人に人気のロングステイ先のトップ4は、タイのチェンマイ、
マレーシアのペナン、オーストラリアのクイーンズタウン、ニュージーランドの
オークランドだそうだ。

わたしの住むオークランドは最近、住宅の値上がりも激しく、物価も高いと思う。
生活感としては、日本から来て思ったより高いと感じるでのはないだろうか。
当然、メイドを雇えるような環境ではない。治安のよさ、のんびりしたところが
魅力なのかもしれない。普通のNZ人からすれば、オークランドは都会であるが。
日本からニュージーランドで観光ビザで入国しても、最長いられるのは半年である
永住権を持っていれば別だが、そういう人はわずかだと思う。

私の疑問はロングステイで外国へ行く人のどれくらいが、その地で骨をうずめるか
ということである。
タイなら物価の差、素朴なメイドにつくしてもらって、日本でよりはるかに快適で
優雅な老後を暮らせるとロングステイの宣伝文句にある。
まだ体力のあるうちは、物珍しさで短期間、外国に住むのも悪くないと思う。
子や親戚から離れて、知人も少ない外国で、長年自国で暮らしていた人がどれくら
い生活を楽しめるだろうか?

年をとってからの移住は、現地の言葉の習得も難しいだろうし、現地の社会でどれ
だけ溶け込めるだろうかと思う。隔離されたリゾートに住めば、そこはタイであっ
てタイの普通の社会ではない。
私のようにニュージーランドで一生暮らすと決めても、地元の老人会に入り、
テンピ
ンボーリングやチャーチのボランテイアでうまくやっていく自信がない。
今からなんかのサークルに入って、積極的に友達を作るべきかなとも思う。

チェンマイは国境に近く、ビルマ語を話す人が多く、北タイの食べ物はビルマの
食べ物と似通っている。チェンマイのナイトバザールを歩いていて、ビルマ語が
耳に入ってときは驚いた。後で聞くと、80年代のビルマ抗争後、たくさんの
ビルマ人がタイに移住しているという。
最近、定年も近く、アジアへの思いを強くしている主人は、チェンマイあたりに
しばらく住むのも悪くないなという。タイの人達は、物腰やわらかく、やさしい。
ニュージーランドというイギリス系の社会で現在生活し、定住していても、アジア
の自分の文化にひかれるのは本音であろう。
夫は定年まで数年と迫っているため、やりたいこと、行きたいとこの優先順位やら
よく口にする。

ニュージーランドでは、片方がリタイアして、年金をもらうようになると、その
配偶者も65歳に達していなくても、一緒に年金を受け取り始めることもできる。
夫がリタイアする三年後に、私も年金生活にいるかどうかは今のところ決めてい
ない。
若く子供を生んでいるので、子供達はほぼ独立してる。子育て終了しているから
いいけど、早くリタイアするには老後が長すぎる。

話は変わるが、最近、どこでも女性の結婚年齢が上がってきているので、40歳台
で第一子を産む人もいる。そうすると70台から年金生活にはいる頃に、子供は
やっと二十歳である。これも大変だなと思う。
先に楽するか、あとで楽するかの違いであるが。中年からの子育ては、気力、体力
のある30歳台とは違ったものになると思う。

国際結婚して、一時日本に住んだこともあるが、日本は私達一家にとって定住の
地ではないと思ってきた。
十数年ニュージーランドに住んで、ここは故郷かと言われれば、そうでもない。
何年経っても違和感はある。
親しい友達はいるけど、いつも一人だなと思う。自営のビジネスで、一人での行動
が多いせいもあるが。
でもたまに日本にかえっても、親兄弟との付き合いにとまどい、人ごみには馴染め
ない。新幹線から眺める景色は、外国の景色のようだ。
住んでいた時に気にも留めなかった田んぼ、こいのぼりの田園風景に感動する。
和食は好きでおいしいと感じるけど、毎日食べなきゃというほどでもない。
かといって、洋風の食事ばかりも飽きる。どっちつかずである。
ここで育ったうちの子供達はキーウィになるであろう。移民でも親の世代と子の
世代では、感覚が違うと思う。

ここ数年のうちに、夫と海外を下見して、老後の設計をしよう。
お互い、自分の母国には住めそうもないが、縁あってやってきたニュージーランド
を基点にして旅行して回るのも悪くないかも。
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その5 典型的オークランダーはスポーツがお好き 22-10-04

2007-08-15 10:47:18 | 第1-10回
その5 典型的オークランダーはスポーツがお好き

日常的な私の悩み。食べすぎ、特に週末の食べすぎ、飲みすぎは私をやましい
気分にさせる。でもおいしい物を食べるのはやめられない。
ダイエットせずに、体重、体力を保つには運動しかないと気付いた。
ダイエットのコマーシャルがやっていた、“Energy in, energy out”を実行しようと決意
した訳である。

毎年の事ながら、これからの季節、クリスマスに向けて、外食やパーテイーも多く、コレ
ステロールも上がり気味となる。お口においしいものは、体に悪いのだ。
なのに毎年12月はじめに健康診断をすることになっている。
例年の如く、GP(General Practitioner,家庭医)に“コレステロールがちょっと高い目です
ね。3が月後にもう一度検査をして、その結果で治療を考えましょう”と言われる。
なんでクリスマスとか、外食の多いこの時期に検査があるんだろうといつも思う。一年の
他の時期なら、もうちょっとましかもしれない。それで三ヶ月間ダイエットと運動を心が
けるようになる訳である。
パーテイーにいってサラダばかり食べているのはつまらない。それで普段はローカロリー
の食事にし、朝ジョギングをしていた。でも、都市の両側をタスマン海と太平洋に囲まれ
たオークランドは、天気が変わりやすく、しょっちゅう雨が降る。晴れた日は海岸沿いを
走るのはさわやかだが、濡れながら走るのは楽しくない。雨が降ると、それを口実でさぽ
ってしまう。
友人から体脂肪体重計を譲り受け、毎日計り一喜一憂していた。なかなか成果が上がらな
いのだ。

医者の警告が二年も続き、、去年思い切ってジムの会員になった。
ジムと言ってもいろいろある。
運動マシーンだけあるところ、マシーンもありエアロビなどのクラスのあるところ、それ
プラスにプール、サウナ、スパプールを兼ね備えて所などである。
女性専用のジムもある。
運動マシーン、ウェイトの器具だけのところは刺青の入ったボデイビルダーがいたりして近づきがたい。女性専用のとこは設備はいいが、料金も高めでちょっと遠い。
プール、スパプール、サウナ、ジムを備え、エアロビのクラスも充実しているところもあ
る。ここは街中にあるので若い女性も多く、またそれをナンパしにくるおじさんま多いか
ら、おばさん向きではない。
安いとこで年会費$500、プール付だと$795、有名人が行くようなとこになると$1
000近くもする。安い買い物ではないので研究が必要だ。

いろいろ検討した結果、一番近いOnehungaのジムに決めた。週3回通うためには、近くな
いと続かない。
ここは体育館、エアロビ用2部屋、運動器具の部屋、クラッチェと、プールはないけど充
実している。クラッチェでは2時間6ドルで子供を預かってくれるので、お母さん達も安
心してスポーツができる。体育館では子供のためのホリデープログラムや体操のクラス、
バトミントン、バスケットボールができる。ここでは14歳の子供を家に放置するのは犯
罪となるので、共働きの親は学校の休み中、このようなプログラムに子供も参加させる。
ジムのスタッフがゲームなどをさせて、一日中面倒みてくれる。

ジムに通っているのは、コケーシアン、ポリネシアン、アジア人、黒人といろんな人種が
いる。日本人の私がいても疎外感がない。それにジムのスタッフも親切でフレンドリーだ。

朝6時からジムに来て、一汗流し、ジムでシャワーを浴び、スーツに着替えて出勤してい
くサラリーマン。夕方、近くの自動車修理工場からつなぎのままやってくるトンガンのグ
ループ。50歳以上の女性のグループ、妊婦の体操教室、中国のタイチのクラスとさまざ
まである。

会員になるまでずいぶん抵抗があり、こんな私が行ってもいいのかなと思ってた。
通いだして意外と年代層が幅広いことがわかった。学生から70台と思われるおじいさん
までいる。
会員になると体力テストをする。結果に合わせて、それと自分の希望を伝えてプログラム
を組んでもらう。プログラムは平均2ヶ月に一度見直しをする。
私のこの間の測定は、海外旅行中の食べすぎがたたってウェスト、体重が増えていてショ
ックであった。指導員に1週間さぼると、取り返すのに一ヶ月かかると言われた。

若い人やボデイビルダーを目指している人は、ハードなメニューを毎日こなしている。
その一方、ちょっと足のよたつき気味のおじいさんが、スイスボールを使ってバランスの
運動などやっている。
このおじいさん、割りによく話しかけてくる。おしゃべりを楽しみに来ているようでもあ
る。フレンドリーなのはいいけど、ジムの駐車場でぶつけられそうになった。それなのに
気付かず行ってしまった。すごいよぼよぼでも運転してるので、老人ドライバーを見たら
注意が必要だ。歩けなくても、車は運転できるし、結構高年齢まで運転している。

私は月、金は自分のプログラム、水曜日はピラーテと、週3回ジムに通う事を目標にして
いる。仕事の都合とかで、週2回とか、全然いけない週もあったりして予定通り行ける週
は稀である。そうすると肩は凝るし、やましい気持ちになる。

最近の新聞に、オークランダーの67パーセントが週に2.5時間以上の運動をしているとで
ていた。オークランダーは買い物と外食を好み、渋滞のストレスをスポーツで解消すると
いう。
私も平均的なオークランダーかしら?

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その6 NCEA試験真っ最中 19-11-04

2007-08-15 10:45:37 | 第1-10回
その6 NCEA試験真っ最中

11月10日からSecondary School(中高校)でNCEA ( National Certificate of
Educational Achievement、国定教育水準認定証明)が、各学校で行われてます。
地元高校生達は、自分の取っている科目にあわせて登校し、分厚い試験問題を相手
に3時間の試験時間を健闘しています。
最後は12月1日で、それまで毎日続きます。
結果は来年一月に郵送されてきます。

この時期学校に通ってるのは10年生以下の子供達で、我が家の前のバス停で
スクールバスを待つ朝の制服の集団もひとまわり小さくなってます。

3年前からニュージーランドの中、高校の教育システムが変わりました。
これまでは5th Form(高校1年)は School Certificate(学校証明)、
6th form(高校2年)は  6th form certificate(高校証明)、7th form (高
校3年)はBursary 、university entrance(大学入学試験)という形でした。

2002年から3年間かけてNCEA ( National Certificate of Educational
Achievement)に一新されました。来年は、この制度の下で始めて大学入学者を
迎えるわけです。
私達はこれまでのBursaryに終わる高校のシステムに慣れているので、NCE
Aというものがもうひとつよくわかりません。
現場の先生達はまあなんとか理解、生徒達は混乱しているし、親にいたっては
なんだか訳がわからんという状態です。
地元新聞もジグゾーパズルの最後のピースの試験開始のタイトルで記事をだし
てます。

ニュージーランドでは、5歳の誕生日から16歳の誕生日までが義務教育とさ
れてます。それで昔は、だいたい16歳にあたる5th Form のSchool
Certificateが学校教育の一応の終了とされていたわけです。この試験のパス
すればまあよしとされてました。
成績が思わしくなかった生徒は、学校やめて働いたり、Polytechnicに行って、
料理とか大工とかのコースに行ったりします。
だいたい高校卒業者の一割ぐらいしか、大学進学しない国だし、親も学校やめ
てもよしとする訳です。
ニュージーランドはどっちかというと「手に職」があればいいという気風の国
なので、大学出ていないからといって引け目を感じることもありません。
勉強できないのにだらだら学校行くより、早く技術をつけて一人立ちしてほし
いと親も考える訳です。
5歳から学校に行き始めているので、12年たった6th formが高校卒業という
ことになります。それで経済、看護学部など6th formから行ける大学もありま
す。
従って、7th formまで残るのは大学進学をめざす生徒と外国の留学生が主にな
ります。
制服も6th formまでと区別して7th formの女子学生は、くるぶしまでのロン
グスカートをはいてます。この事情を知らない私の友人はニュージーランドの
不良学生も日本と同じなのねと、言ってました。おまけに7th formerは自己学
習の時間が多かったり、学校によってはお昼休み学外に出ることを許され、町
を昼間からうろうろするのでそう見えたのでしょう。

話がちょっとそれましたが、本題に戻ります。
2002年にはSchool Certificateが、NCEA Level 1
2003年には6th form certificateが、 NCEA Level 2
2004年にはBursaryが、 NCEA Level 3 となりました。
従って2002年に5th Form(Year 11)だった生徒さん達は、NCEAの一期生
となり、NZQA (New Zealand Qualification Authority) のUnit Standardに基
づいた内容を習い、テストを受けました。

数年前からUnit Standardは、ほとんどのSecondary School (Year 9-Year 13,
Form3-7)で導入されています。ところが学校によってはアカデミックな評価に
は向かないとして、あまり積極的ではない所もあります。

Year 11という言い方はPrimary(小学校)の1年生を Year1とし高校卒業ま
でを通して言う言い方です。大分前から変わったのだけれど、先生方を含めて
従来のForm5あるいは5th Formといった言い方がなじみがあり、一般的のよ
うです。

Unit Standardの導入の時と同様、他の方針のある学校は公私高校にかかわら
ず、私的な全国テストや外国の試験を導入しているところもあります。
一般的なのはSFEE (Sixth Form External Examination)で、オークランドでは
参加させている学校も多いです。

また新しいNCEAが外国でどのように評価されるか不明な点が多いため、CIE
(Cambridge International Examinations) をNCEAの導入時期とあわせて2
004年までにBursaryレベルまで取り入れた学校もあります。それら学校で
はCIEに対応できるよう2002年から、Oxford やCambridge出身の先生を採
用しているそうです。
CIEのテストは10月14日から11月23日までです。NCEAと両方受け
る生徒は日程が重なったりしないかなと思います。
CIEは他の諸外国で取り入れられているし、ニュージーランドからでもこの試
験を受けていれば外国の大学に進学しやすくなるでしょう。

それではNCEAを受ける為の条件はどうなっているのでしょう。
まず目新しいのは、これまでの英数に加えてTe Reo(マオリ語)や Numeracy &
Literacy(読み書きそろばん?)のUnit Standardの一定のレベルが試験を受
けるための条件になっている点です。
ニュージーランドではマオリ語がOfficial Languageとされてます。
大きな変化はNZQAのシステムのもとで中高からでなくてもNational
Certificate in Employment Skills の単位を取得していれば、NCEAを受けら
れるという点です。まあでも他の科目は高校でしか教えていないため、大体の
受験生は高校生です。

NCEAの各教科内容はいくつかのUnit Standardからなりたっています。
たとえば正三角形の内角の関係といったようなトピックスがユニットとなりま
す。
ひとつのUnitをパスすると、2とか3とかの単位が得られます。テストの仕方
はInternal (学校内部一年を通じてで随時行われる)、External(最後の一斉
試験)があります。
たとえば美術などは作品提出のInternalで審査され点数になります。

これだと日々の授業をまじめに受け理解していれば、海外からの留学生でもパ
スしやすと思います。科目にもよりますが、点数の少なくとも20%はレポー
ト提出、実技、少テストなど学校内で評価されます。またこの制度は再試験の
チャンスもあり、落ちこぼれをへらすのに役立つのではないかと思います。

ちなみに地元オークランド大学の入学基準は、

Level3以上で42 credits以上であること。
Level1の数学が14credits以上であること。
Level2の英語かマオリ語が8credits以上であること。

これが最低基準で、さらに学部ごとに必要な科目、単位数が決まっています。

つまりLevel1(高1)で数学の単位がとれてなかったなら、ここですでにオ
ークランド大学に願書はだせないことになります。いつオークランド大学がこ
の基準を決めたか知りませんが、普通、高1では自分がどこの大学に願書だす
かとか決めてないし、募集要項を調べたりもしないでしょう。
Year11(高1)の数学はパスできなかったけど、他の科目を頑張っていた生徒は
今になってがっかりするのです。それでさっさとあきらめて、Year13(高3)の
途中で高校やめて、ポリテックのコースに通い始める生徒も今年は多かったと
聞きました。


一方で、同じ基準で点をつけられるべきなのに、学校間で基準が違って問題に
なるケースがありました。
A高校のYear11の数学をパスした生徒が、B高校に転校しました。B高
校の先生は、この生徒の成績に疑問を持ち、テストしなおしたら、Year1
1の問題が解けなかったそうです。

ニュージーランドでは各分野にわたって、新しいシステムを取り入れるにが盛
んです。
やってみてうまくいく場合とそうでない場合があります。うまくいかなければ、取りやめたり軌道修正するのも早いです。試行錯誤をくりかえしながら、ベス
トの方法を探していきます。
このやり方ができるのは、国が小さくて、新しい法案を実行しやすいというバ
ックラウドのせいだとも思えます。

この3年間のNCEAのシステムのある意味での結果を見れる、大学入学への
判定は来年わかります。
Year13の生徒達は、自分のがんばりがどう反映されるか、不安を感じな
がらの年越しになるでしょう。
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その8 50歳って? 18-01-05

2007-08-15 10:43:42 | 第1-10回
その8 50歳って?

皆様、新年明けましておめでとうございます。
お正月はいかが過ごされましたか?
私達は毎日ビーチにいって、ボーっとしてました。

先週土曜日、元私の上司のシャノンの50歳の誕生パーティーに行ってきました。
ニュージーランドでは21歳の誕生は成人を祝って、50歳は人生の中間地
点として大きな誕生会をやります。
21歳のパーティーには何度か行ったことがあるけど、50歳のは初めてで
興味しんしんで出かけました。

その日はパーティーのお花を頼まれていたので、朝から大忙し。
200人の入る会場で、日本の結婚式のように壇上に主賓席が設定してあり
ました。
メインテーブルの花、その両脇の2mほどの高さのもの、ビッフェテープル
の装花と合計7個。テーマカラーがゴールドとグリーンとシンプルな設定。
テーブルクロスは白、バンナー、ナプキン、テーブル飾りのリボンはゴール
ドで統一されてます。
お花もグリーンのアンスリウム、アマランタス、カーネーション、ブルーの
アカバンサス、アジサイ、金色の花はないので、ゴールドのネット生地を花
の間に装飾し、シンプルにしました。

シャノンは地元マオリオーガナイゼーションのCEO(Chief Exusutive
Office、代表取締役)で、テレビのチャンネル2のInside New Zealandで
も取り上げられたこともありました。
マオリ女性のサクセスストーリーを地で行くような人です。
高校中退後、オーストラリアへ渡り、若くして結婚。女工からホテル経営者
になるまで、さまざまな仕事をこなしながら子供を育てあげました。
数年前、オークランドに戻り、マオリ人地域社会に貢献しています。
まだ50歳なのに、子供4人、孫が10人もいるんですよ。もっとも、マオ
リ社会ではめずらしい事ではありませんが。

6時スタートと言うので、正確に6時に到着。
すでに50人ほど中庭に集まってました。まずシャノンに挨拶。
シャノンは黒のラメ入りのトップにひらひらの黒のミニスカート。髪はシャ
ギーなカットにメッシュを入れて嬉しそうです。とても50歳とは思えない
いでたち。
「Happy 21st Birthday!!」と言う人があるくらいでした。
二人の娘と並んでも、友達同士に見えます。
普段はスーツ姿なので、びっくり。ちょっと太めだけど、なかなかの着こな
しです。

お祝いのハグをして、パンチを頂きました。大きなボールに、ストロベリー、
ミントの入ったフルーツパンチ。マオリのおばちゃん達はミントの事をこの葉っぱみたいの何?って言ってました。
招待客が揃ったら、会場にポーフリ(Powhiri,マオリの歓迎式典)で呼び入
れるるという事なので、中庭で待機。
チップス、デップでパンチを飲みながら、知ってる人に挨拶したり、しゃべ
ったりして待ってました。
6時半になってもまだ全然始まる気配がありません。重要なゲストの到着を待ってるらしく、シャノンは携帯でほうぼうに電話かけてました。
退屈しのぎにちびちびと3杯もパンチを飲んでしまいました。これは甘いけ
ど、アルコールはちゃんとはいっているので結構まわります。

8時にやっとポーフリが始まることに。
地元マラエのコーマツア(ko matua,長老)達は会場内で出迎えのカーランガ
(karang, ご詠歌のよう)で招待客を呼びいれます。私達招待客はホールに
集まり、シャノンの家族の後に続いて会場にしずしずと入っていきます。
先頭のシャノンの家族、年配の女性がカーランガ答えて歌います。
ポーフリはその日に儀式にふさわしい内容で行われるそうです。
ニュージーランドの学校では新入生を向かえる時、オフィシャルなオープニ
ングの時には必ずポーフリで始めます。

この後、長老の始まりのスピーチ。すべてマオリ語で執り行われました。
ところどころ知ってる単語がでてくるけど、何をいっているのか私にはさっ
ぱりわかりません。主役のシャノン、招待客のパケハ達(pakeha,白人、
マオリ語で外国人という意味)や主役のシャノンさえも意味がわからないの
です。
マオリはニュージーランドの公用語ですが、1980年位まで公立学校で
あまりマオリ語が教えられなかった為、60歳以上の人かコハンガレオ
(kohanga re, マオリ語教育の幼稚園)に言った子供たちしかマオリ語を話
せません。
家族によっては、ちゃんとマオリ語で会話してるところもありますが。

シャノンの家族のワイアタ(waiata,歌)の後、やっと英語の司会で今日の流
れが説明されます。
ビッフェ式のディナーは、長老のカラキア(karakia,祈り)で始まります。
最後にアーメンと唱えて、ダイニングルームへ。
マオリの伝統の従って、年配の人たちから、大人、子供がそれに続きます。

メニューは生牡蠣、ロウフィッシュのココナッツサラダ(マオリ料理)、
イセエビ、チキン、ビーフ、ジャガイモ、かぼちゃのロースト、サラダ、マオリ
ブレッド(あげぱん)と豪華。
テーブルにはシャンペン、赤ワインが数本ずつ。バーコーナーでは、生ビー
ル、カクテルがサーブされてます。
隣のマオリの叔父さんはちゃっかりとドッギーバックにイセエビの半身とチ
キンをいれてから、食事の取り掛かってます。ドッギーバックとはお持ち帰
り用のコンテナのこと、犬の餌にするからといって残り物のいれるところか
らそう言われます。

一通り、食事がいきわたると又スピーチが始まります。
マオリの式典では演説者はしゃべいたいだけ、時間の制限なしにしゃべるこ
とが許されます。ある時、マオリの式典に言って、意味のわからないマオリ
語でえんえんと演説が続き、えきへきして「何時終わるの?」友達にこっそ
り聞いたら教えてくれました。
きょうの場合、まずステージに座っている人の紹介。シャノンの親、兄弟、
子供たち、親友のその日の重要人物10人が座ってました。
シャノンの家族の半分はオーストラリアに住んでいて、今日のためにかけつ
けた人もいます。
その後、長女のスピーチ。「私はシャノンと知り合って31年経つわ」って言
っていたから、彼女は31歳、シャノンが19歳の時に生んだことなります。
前に友人がマオリの平均寿命はだいたい50ぐらいだから、50歳まで生き
れば後は人生を楽しまなきゃと言ってました。おおむね早婚だから、50歳
で孫がいても普通です。
日本なら50歳は子供がやっと成人するかどうかくらいで、孫にいる人は少
ないと思いますが。

それに続き、大叔父さんのスピーチ。前半、シャノンが2歳の時の逸話をマ
オリ語でしゃべっているが、これも私には解りません。隣に座っているマオ
リのおばさんが、とてもいい話だから英語でしゃべってみんなに聞いてもら
えばいいのにね、と言ってました。後で大叔父さんは英語でしゃべったけど、
内容な省略されていて面白みに欠けてました。

いずれの人のスピーチも最後はワイアタ(歌)で締めくくられます。
ワイアタはスピーチの内容を象徴的に歌っており、ワイアタを歌いことによ
りスピーチの内容がlift upし、スピリチュアルに高められると言います。
スピーチは一人でしても、ワイアタになると親族がでてきて応援し、即興で
素敵な合唱を聞かせてくれます。
隣に座ったマオリのおばさんによるとソングとワイアタは違うそうです。
ワイアタはそれぞれに特別な意味があり、儀式にふさわしいものを選ぶそう
です。

シャノンとお兄さんは白人のような顔つき、他の兄弟は色が黒くてまさにマ
オリという感じです。シャノンはアイリッシュのお父さんに似てるそうです。
シャノンのの兄はキチンとスーツを着こなしビジネスマン風、黒の革ジャン
着て腕に刺青を入れてる弟(いかにもマオリのギャングと言う感じ)と対照的。
家族親戚関係で100人近くはいそうです。
マオリの葬式に行ってもわかりますが、大家族主義で、なんかの集まりがあ
りとと、家族全員、赤ん坊からおじいいちゃんからいとこはとこに至るまで
一族をひきつれて参加します。
それにパートナーがいる人はパートナーとカップルでくるし、すごい数にな
ります。

家族のスピーチから始まって、スタッフの感謝の言葉やら、祝福のカードの
披露など1時間近くかかりました。
「ママには男は要らないのよ」と言った娘の発言で、シャノンのプライベ
ートライフもちらっとわかったりします。シャノンは、最近5年ほど同居し
ていたボーイフレンドと別れたらしいです。
又しても、退屈まぎれに目の前にあったシャンペン、ワインをつい飲みす
ぎてしまいました。

それからしばらくして、各テーブルの蜀台に火が点され、電気が暗くなり、
バンド演奏でHappy Birthdayの歌が始まり、シャノンが中央に置かれたケー
キをカット。
ケーキはシュークリームと季節のイチゴ、生クリームのクロカンブッシュ。

ケーキの後は会場の半分のテーブルと椅子が取り払われ、ライトもパブのよ
うに薄暗くなり、若い人たちは踊り始めます。
ここまでいればもう帰ってもいいかなと思いました。もうすでに11時近
くになってます。
せっかくきたので、デザートも食べて帰ることに。デザートはババロア、
チョコレートケーキ、イチゴケーキ、フルーツサラダ。
コーヒーをおかわりして、酔いを醒まし、運転できるようししないと家に帰
れません。
ホールの音楽があまりにうるさいので、ダイニングでコーヒーを飲んでいる
とシャノンの幼馴染のリンダがやってきました。
リンダとシャノンは18歳の時に一緒にオーストラリアに渡ったそうです。
しばらくは同じ工場で働き、リンダはその後ニュージーランドに戻りました。
ニュージーランドの人にしてみれば、オーストラリアはすごい近い国です。
こっからシドニーに行くのは、北海道から東京に出稼ぎでるくらいの感覚で
しょう。

ようやく酔いもさめたので、シャノンの捜しに行き、お礼の挨拶をして帰途
に着きました。

おしゃれなシャノンらしく、お料理もテーブルセッティングもモダンにセッ
トされてました。それでもパーティーの流れはマオリの伝統にのっとって行
われました。
招待客もアジア人一人(私)、白人30人ほど、それ以外はマオリ人でロ
ーカルな催しでした。
マオリ人は西洋文化を受け入れながらも、人生の大切な儀式には自分達の伝
統を守り続けています。


最後に私はそれほどのんべえではありません。決してお酒が嫌いとはいいま
せんが、この日はちょっと飲みすぎましたが。いろいろ飲んだので、あくる
日は気分悪し。
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その9 バレンタイン 18-02-05

2007-08-15 10:41:59 | 第1-10回
その9 バレンタイン

今週の月曜日はバレンタインデイでした。
皆さん、何かいいことありましたか?
今週は女性同士、バレンタインどうだったというのが挨拶代わりになってます。
ニュージーランドを含め西洋諸国では、バレンタインデイは女性から贈り物を
するのではなく、男女双方が好きな人に送るのです。
ここニュージーランドは女性はもっぱら受け取る側という感じですね。
Kiwi Wifeはカカア天下で強いせいかな。
旦那さんは奥さんにバラの花束をあげ、子供はお母さんに赤バラ一本やチョコ
レートをあげたりします。
男性によっては、花のほかに宝石などの贈り物を贈り、ディナーに連れて行って
くれる人もいます。

私がやっていたフローリストで、Loyalty card(日本でいうポイントカード)
を作った事があったんですが、男性のお客さんに好評でした。キーウィの男性
は、バレンタインデイ、誕生日、結婚記念日に花束などの贈り物をしないと
一ヶ月くらい奥さんに口を利いてもらえない人もいるそうです。いつも”I
love you darling”と言って、しょっちゅうお花を贈るわけです。
これらのイベントに加えて友達の奥さんの出産祝いに花を贈ったりすれば、わ
りと簡単にポイントがたまります。

日本のバレンタインデイは、女性から愛を告白するのにチョコレートを送る日
となってます。女の子たちはチョコレートを手作りしたり、どういうタイミグ
で愛を打ち分けようかなとちょっと前からうきうきしますよね。
昔、職場では今後の人間関係をスムーズのするためにも、上司、同僚に義理チ
ョコを贈ったりしました。今でもやってますか?

もともとバレンタインデイはローマでおこり、聖バレンタインにまつわるお祭
りだったようです。現在は、元来の意味は離れて、コマーシャル化されて、日
本ではチョコレート、西洋諸国では花やギフト需要拡大の日になってきてます
ね。
ちなみに、ホワイトデイは日本で作られた日で、こっちにはありません。

ニュージーランドのフローリストでは、バレンタインデイは一年で一番よくお
花が売れる日です。2位は母の日、3位がクリスマスです。
花の生産者はこの週に合わせて、生産し出荷してきます。そのため、クリスマ
ス以後、花の供給不足で、花の品揃えがわるくて、花屋は四苦八苦します。

   バレンタインの前の週の金曜日、花市場にでかけました。
オークランドの花市場はMt Wellington にありFloramax flower auction と
United flower auctionの二つの花市場が同じ敷地内にあります。道路をへだ
てた広大な敷地には、野菜、魚市場もあります。

   6時半の到着したのに、セリはすでに始まってました。今日は荷が多い
ので、5時半に始まったそう。
生産者は高値のつく今日出荷するために、花の生産調整をします。
Floramax flower auctionは5年ほど前に新築され、すべてコンピューター化
されています。日本でも手ぜりの花市場が、コンピューターを導入してきてい
ますよね。
バイヤーは雛壇上にすわり、トローリーでひかれてくる荷も見て花を競り落と
します。正面中央にでっかい時計のような電光掲示板があり、1単位あたりの
価格は高いほうから安いほうに向かって時計周りに回ります。バイヤーは自分
が買いたい値段のところで手元のボタンをおし、何束ほしいか入力します。
みんなその日の適当な売値のところでは一斉にボタンを押すし、タッチの差で
も遅いと買えません。私もよく悔しい思いをしました。従ってどうしてもほし
い場合は、少し高めで落とす事になります。
みんなは欲しがるものは、競りあがったりするので、市場内の卸やで買った方
が安い場合もあります。
今日は、14日のバレンタインデイを控えてバラの荷が多いです。
特に赤バラ、ブラックマジックが大量にありました。このバラは本当はBlack
Baccarolaと言いますが、ヨットレースのニュージーランドの船ブラックマジ
ックにちなんでつけられました。残念ながら、2003年にはマジック(Magic,
魔法)はおこらず、ブラックマジックはスイスのアリンギチームに敗れてしま
いました

ブラックマジックはつぼみの時は黒味を帯びだ赤ですが、咲いていくにつれて、
花の中心が明るくなっていくあでやかなバラです。数年前まではやりだった
First Redはわずかありません。他にも、アイリスも濃いブルーのはブルーマ
ジックと名前にマジックがついてます。
   このブラックマジックなんと一束(10本)NZ$50(約4000円)
からスタートしました。ふだんはバラの小売値は一束$25くらいなので、す
ごい高値がついています。
他のいろんな花のセリが終わって、ブラックマジックの番になると、会場がざ
わめきたちます。さあ買うぞという気合が伝わってきます。大体一束$28位
で落ちていたようですが、いったいいくらで店で売るのでしょう。
後日、知り合いの男の子の聞いたら、近くのフローリストで赤バラ一本ラッピ
ングして$15と言われて驚いたそうだが、仕方なく買ったそうです。

すでにウェディングや店売りで注文を受けている花屋は必死です。
同じバラでも、競り始めは$30前後だが、最後のほうは$17ぐらいまで落
ちていきます。今日は、けいとう、ガーベラなどなんでも赤い花が人気です。


我が家では、バレンタインデイに息子は私と娘にちょっと高級なアイスチョコ
をくれました。旦那は赤ワインを買ってきてくれて、家族で夕食を楽しみました。 
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その7 忘年会シーズン 17-12-04

2007-08-15 10:38:49 | 第1-10回
その7 忘年会シーズン

これでも夏なのと思うくらい、雨嵐の肌寒い日が続いてます。
気候異常でも、お隣のボフツカワ(Pohutukawa,ニュージーランドクリスマスツ
リー)は満開で、クリスマスが近い事を私達に教えてくれます。
常緑に緑に真っ赤な花が咲くボフツカワは11月末から咲き始め、オークラン
ドの夏の象徴です。

12月に入ると一年の終わりという感じで、忘年会シーズンです。
ニュージーランドは小学校から大学まで2月頃が新学期で12月が一年の終了
なので、12月はなおさらこれからの長い夏休みに向けて、一年のまとめって
いう行事が多いのです。

仕事関係、プライベートのクリスマスパーティー、忘年会も11月の末くらい
から始まります。

私達の某公館のフォーマルなおよばれを皮切りに、すでに三つのパーティーに
参加しました。

まず毎年夫婦でお招き頂いている、某公館のパーティー。
フォーマルなので、主人はスーツ、私は主人の国のビルマの民族衣装を着る。
今年は、着物姿の方も多い。一年ぶりに再会する人もいるし、250人の招待
客で知ってる人も多く、挨拶してまわるだけでもたいへん。
家族の近況や、クリスマス休暇の予定など聞きあう。
私がいつも関心するのは、キーウィー人がよく名前を覚えていること。
私は顔見知りなのに、名前が思い出せない人がいてひやひやした。
この手のパーティーは立食で、ワイングラス片手に、おしゃべりの間にちょっ
とフィンガーフードをつまむって感じである。
ガーデンパーティーで体は冷え切り、家に帰って暖かいコーヒーに一息ついた。

二つ目はその翌々日のお茶会。
お花で先生でもある友人宅のお茶会によばれる。
オークランドから数人乗り合わせて、車で45分海のみえる友人宅へ。
今日は、わたしも張り切って浴衣を着る。待ち合わせの場所に出かけると、
友人達は小紋や色無地で、私もちゃんとした着物にすればよかったとちょっぴ
り反省。
お茶室は本格的なもので、ここは本当にオークランド、日本にいるんではと錯覚しそうになる。
玄関には、グリーンのお化けアンスとポインセチヤの生け花が生けられていた。
茶室の外には芝生が広がり、松の枝ごしに海が見渡せる。ちょうどその日はヨ
ットがでていて、時々海上で白い帆がちらちら揺れる。
床の間にはちいさな木製のクリスマスツリーが飾られていた。

Y子さんが日本から取り寄せた塩漬けのさくらの葉で作った桜餅と、一保堂の
お抹茶との取り合わせがすばらしく、ため息がでる。
さくら餅のお重がはいったお重をあけると、さくらの葉の匂いがお茶室いっぱ
いに広がり、一同感激する。
日本にいても、着物を着てお茶会にでることはめったとなかったのに、誘って
くれる友人に感謝。

10年も外地に住むと、日本の文化に触れるたびに、私の昔の記憶が呼び戻さ
れ、懐かしい思いがする。
帰路は、もっぱらクリスマス、御節料理の話で盛り上がった。どこそこの日本
食料品店で黒豆が手にいるとか。
我が家もお雑煮くらいは作ろうと思った。

三回目はコーラスグループのクリスマスパーティー。
日本風の洋食レストランでのフルコース。コーンクリームスープ、和牛の
ステーキに季節のグリーンアスパラ添え、デザートは季節のフルーツ盛り合
わせとシュークリーム。あっさりした甘みのシェリーで始めて、ニュージーラ
ンド産のシャルドネ(白ワイン)、ピノノア(赤ワイン)を楽しむ。
食事の後は、一曲ずつ好きな歌を歌う。
70年代のフォークソング、「風」、「小さな木の実」で盛り上がる。でも、
驚いたことに、20台のメンバーの中にはこれらの曲を知らない人もいて、
ショック。年代の差を感じる。私はここ数年の日本の流行歌を知らないし、
おあいこである。

12月は行事をこなしながら、一年を振り返りながら過ぎていく。
去年のそうだったし、また来年もこうして年が過ぎていくのだろうな。
私達はだんだん年をとっていくし、このままのんびりとニュージーランド
にいてもいいかなと思う。

6月から「出たっきり邦人」のライターに加えて頂き、半年たちました。
今年はあっという間にメルマガの締め切りがやってきて、毎回書くのがや
っとでした。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
皆様、楽しいクリスマス、よいお正月をお迎え下さい。
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その10 ECOSHOW 15-03-05

2007-08-15 10:37:09 | 第1-10回
その10 ECOSHOW

土曜日に主人とEcoshow行って来ました。来ていたのは私達のような中年夫婦、
子育て中の若い家族づれが多かったです。
去年に続き2回目であり、少し前からテレビ等で宣伝してあったこともあり、
なかなかの人出でした。
今年のEcoshowは3月3日から6日まで、ウェストオークランドのWaitakere
Cityに去年9月のできたての Trust Stadium でありました。
この体育館はニュージーランド最大で、この建物自体もEnergy efficient
building だそうです。
去年はマオリトラスト主宰で、ちょっと大きめの学校文化祭のようでしたが、
今年は出展者も多く、Expoらしかったです。

エコショウには“Sustainable solutions for living today”という副題がつ
いており、それに関連した展示、レクチャー、ツアーが行われていました。

会場はスタジアムと外のグラウンドふたつ。
スタジアムの中は、主催者の一つであるWaitakere Cityとユネスコの展示のコ
ーナー、省エネ商品、製品のデモ販売。

入り口の横で知り合いの日本人が、キャンペーンガール数人と光るタイル売っ
てました。このタイルは昼間に蓄えた太陽熱で、夜間光るというもの。近くの
公園の遊歩道ですでに採用されていると言うことで、さっそく帰りに見に行き
ました。

他に何があるかというと、ソーラーパネルヒーター、羊毛の断熱材、貯水タン
ク、有機栽培野菜、ハーブのサプリメント、ヒーリングのマッサージコーナー
(マオリ、霊気、中国式、インド式といろいろ)、エコ洗剤、マオリバスケット、
ハーブ治療、じゃがいもで作ったトレイ、オーガニックの化粧品、トヨタ電気
自動車が売り物などいろいろ。
コンポス、パーマカルチャー、バイオダイナミック、の教育展示。

感想としてエコハウスって、とても高くつく高尚な趣味だなと思いました。
まだ一般的なものでないし、大量生産されるわけでもなくどれも私達にはとて
も高く思えました。パネルヒーターつけても一昔の日本のように、市町村の援
助金がでるわけでもなし。
我が家も数年前、自宅を建てる時研究したけど、何年かたてば元は取れるとは
いえ、費用の高さに断念しました。貯水タンクの水は飲めないし、トイレ、シ
ャワーに使うには特別のろ過器がいります。
ソーラーパネルだけでは電気は足りないから、結局普通の電気、水道と二重に
使うことになります。
結論として市から水を買い、民間電気会社からの電気を使ってます。 
窓が多く、よく日がさすため、冬でもそんなに暖房がいらないというだけで、
普通の家を建てました。

もっともニュージーランドは非核国で、電気は水力、風力発電で、原子力にた
よっていないだげ、地球にやさしいかもしれません。
電気はニュージーランド中、津々浦々までいってますが、ちょっと郊外に行く
とタンクに雨水を貯水し使っているところも多いです。


ちょうどユネスコがLaunch of Decade of Education for Sustainable
Development のオープニングセレモニーをやっていたので、二階の会場に入り
見学しました。
お馴染みのGreen Partyの国会議員も来賓として来てました。
パシフィックアイランダーのフラダンスの後、地元小学生のパフォーマンスが
ありました。
アイリッシュ、朝鮮服、インドのサリーなどの民族衣装を着た小学生がステー
ジに上がり、この開会式にふさわしい子供宣言を唱えながら、それにあった振
りをつけて踊ってました。

外の会場にはマタカナのパーマカルチャーをやっているレインボーファーム、
粘土レンガ作りのデモンストレーション、エコファームの円形網にはいったに
わとり達、反核運動で有名なGreen Peace、人権擁護運動のアムネスティの展
示などがありました。
アムネスティは“ストップ、女性への暴力”キャンペーンをやっていて、私も
自分の手形を押し、署名をしました。

食品コーナーでは、ベジタリアンバーガーとか、土かまどで焼いたピザがとて
もおいしそうでした。その場で作って伸ばした生地に具をのせ、長い柄のつい
たオーブントレイにのせ釜に入れて、そとから焼ける様子が見えます。
そのとなりで貝殻、フレックス、木の実で作など自然の素材で作ったイヤリン
グを、夫婦が赤ん坊をあやしながら売ってました。

専門用語が多くて、頭がごちゃごちゃしてきたので、帰ってから調べてみまし
た。
パーマカルチャー、エコロジー、バイオダイナミック、サステナビリティー、
モルゲンランド、フンデルワッサー、シュタイナーは何をした人?

そこで簡単エコロジー講座です。

パーマカルチャー:Permanent (永久の)Agriculture(農業)をあわせて造語。
オーストラリアのビル モリソンが造語しました。
オークランド近郊ではマタカナのレインボーファームでやっているし、
ニュージーランドのあちこちにパーマカルチャーの農場があります。
具体的には、“土地の構成要素(水、土、植物)”と“エネルギー要素(エネル
ギーと建物)、“社会的要素(人々、経済)、“抽象的要素(時間、倫理等)”をお
のおのの適切な関係においてトータルデザインすることです。
ここで言う倫理とは地球という星の生存をかけた道徳的信条であり、“地球に対
する配慮”“人々に対する配慮”“余ったお金や時間、物質をその目的にあわせ
て使う事”という3つの側面があります。

バイオダイナミック: 宇宙や自然のリズム(波長)を共鳴できる農法。シュ
タイナーが作った理論。
シュタイナーが作ったバイオダイナミックカレンダーに基づき、種まきしたり
収穫したりします。
天体の運行(12獣正座、惑星、太陽、月)の運行の調和して作業します。
後自然物から作った調合剤(肥料?)を使います。化学肥料ではない。
結果、化学肥料で土、虫を殺さないので、虫、細菌も多く発生します。
この農法は欧米、南北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドで多く行
われてます。
シュタイナーの信奉者が多くやってるわけですね。
シュタイナーの理想とする教育、生活を実現するのがモンゲルランドです。

結果的にどっちもでオーガニック。でも違う農法です。
数年前からGEフードの導入について、ニュージーランドではさまざまな議論、
おおがかりな反対デモが行われました。今のところ、ニュージーランドは」は
GE Freeだと思います。
輸入食品で少しでもGEの材料がはいっているものは、表示が義務付けられてい
ます。
スウェーデンに行った時、GEのもの、GE Free の2種類のトマトを見ました。
タイでは手のひらサイズの白菜や、並外れて大きな南国のくだものに驚き、野
菜がどれも甘みがあっておいしいかったです。あとでそれらは遺伝子組み換え
食品であったと気付き、なんだか不安になりました。
今すぐには直接、わたしたちの人体に影響はないかもしれませんが、これから
の世代にどんな影響を及ぼすのかわかりません。


サステナビリティー:持続可能性
経済成長のみを追及するのではなく、環境や社会的公正に配慮し、人、企業、
社会、地球全体が持続的に発展していこうという考え方。
風力発電、バイオガス、自然にやさしい建材(最後に土になる)、自給自足など。

NZでこういう農法をやってる人たちは、自分の哲学をつらぬくために、信念を
持って生きていかれているように見受けました。荒れ野を切り開き、外界から
閉ざされ、孤独なストイックな生活だなと思いました。ニュージーランドは移
民の国と言う事もあり、ドイツ、オランダあたりからやってきて、こんなとこ
ろでいうような所で数人で生活されているようです。
気候もおだやかで、危険な猛獣のいないニュージーランドは、このような農法
を行うのに適した国なのでしょうね。


今日のショウで一番の収穫はCentameterを買ったこと。
これを配電盤に付けると、一時間あたりどれくらい電気を消費するが家のなか
のモニターに表示されます。
節電対策にいいらしく、平均20%節電できると書いてありました。
今まで無神経だった息子まで、使ってない電気を消しまわってます。
$170のところをショウスペシャルで$140で買いました。もっとも
$140の元とるにはかなりかかりそう。
うちはなんにもしてなくても、1時間5C(冷蔵庫2台、アラーム、電話等)
消費してることがわかりました。
高いのは、ドライヤー、ストーブ、オーブン、一気に30Cに上がり、オーブ
ンストーブ、換気扇で一時間調理すると$1近くかかります。

理論的には、今日のエコショウで見たことは正しいのですが、世界のほんの一
握りの人たちに支持され実行されていると思いました。
もっともみんながこの生活すると、世の中なりたたないし、経済発展しません。
ショウを見て、改めてこの時代に子供を生み、育てていくくことの難しさ、自
分たちを守り地球を守るということの難しさを感じました。

地球にやさしい生き方を実行するかどうかはべつとして、自分にとって適切な
判断をするために、知識は力だと思いました。知らないうちに、侵されてい
くのはいやですから。


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その2 仕事探し 27-07-04

2007-08-15 09:43:41 | 第1-10回
その2・・・仕事探し

ここ一ヶ月寒い日が続いてます。なんといってもこちらは冬ですから。暖炉の火
が耐えないよう、一日中まきやら石炭をくべてます。でもオークランドの気温は
平均12度ぐらいだから、ちょっと寒いのをうれしがって火を炊いているんです
けどね。

さて今回は、私の仕事探しについて書きたいと思います。それは1993年のこと。

オークランドにやってきて2ヶ月がたち、私は、専業主婦にたいくつし始めてまし
た。これまでこんなに長く家にいたことはなかったし、友達もなく、昼間のテレビ
のソープオペラはつまらないし。夫は職場に、子供たちはそれぞれの学校に馴染ん
できたし、そろそろ仕事を始めてもいいかなと思いました。

ここでの職探しは月曜日の新聞を買うことから始まります。月曜のヘラルドの
Situations Vacantのコーナーに目を通し、職を捜します。たくさん職があるように
見えるけど、実際に募集していて、私に向くのはわずか。これまで聞いたことの
ないような職種もあって、まるで雲をつかむようです。
後で知ったことだけど、ニュージーランドの会社は欠員があると、新聞等に広告を
出すことが義務づけられてます。たとえ、内定していても、その人よりも優秀で
その職に向いている人にチャンスを与えるためです。
これは、会社がワークビザをだして外国人を雇う場合も同じです。しょっちゅう
新聞に目を通し、慣れてくると、これが本当のSituations Vacantかどうかわかっ
てきます。特殊な条件や、資格を要求しているのと、一回きりの広告はあやしい
ですね。

私の場合、ヘラルドと地域のただで郵便受けに配布される新聞から探しました。
花に関する仕事を捜していて、ある日、二つの新聞に”Floral Arts & Crafts
tutor”という募集を見つけました。同時に二つの新聞に載せるんだから、
きっと本当の仕事だろうと踏んだわけです。

Floral Artsというのはなんとか教えられると思ったけど、 craftsというのはいっ
たい何をするのかわからないが、まあなんとかなるかと思い願書を出しました。
小さなフラワーデザイン教室だろうくらいにと思ってました。 
後にMaori Arts & Craftsに対して、フラワーデザインを教えるクラスということ
が、勤めだして判りました。
マオリ人は独特な工芸技術も持っており、それを若者に継承するコースもあった
のです。マラエ(マオリの集会所)を飾る巨大な木彫りや、牛の骨を使ったボーン
カービングが教えられてました。

何十もApplication Letterをだして、やっと面接にこぎつけると言われていたので
、一回目の願書で、面接の電話がかかってきたときは驚きました。その頃の私は、
英語もかなり頼りなかったと思うのですが。

目指す学校は、空港に向かう橋を渡ったところにありました。
最初、同じ名前の通りのショッピングセンターのあるほうを探したけれど、学校が
見つかりません。捜す番地がないのです。通りがかりの人に聞いたら、高速道路の
反対側だと言います。後からできた高速に道路が切断されていたのです。橋のとこ
ろまで戻って、広大な空き地をぐるっとまわった所に目指す学校はありました。
オークランドにやってきてから、New Marketや自宅周辺しか、行ったことはなかっ
たし、とんでもないところにやってきてしまったと感じました。

今考えると、通りをはさんで、スーパー、肉や、銀行、郵便局など生活に必要な
お店はひととおり揃った、ビレッジと呼ばれる典型的な郊外のショッピングセンタ
ーでした。

やっとたどり着くと、道をはさんで、右側にはマラエ(マオリ人の集会所)、
左手には事務所と教室、それを取り囲むようにコーマツア(長老達)の住宅が建っ
ています。そこは他のオークランドの町とは全く違った雰囲気で、トーテンポール
などあり、インデイアンの村のようでした。

よく見ると、学校の前にはネッカチーフを被ったマオリ婦人の銅像。それはマオリ
のタイヌイ族の血を引くPrincess Te Pueaの像でした。Te Pueaはマオリの福祉に
貢献したことでよく知られています。テプエアマラエの名前はこのプリンセスから
来ています。

学校に隣接したテプエアマラエは、ワイカトを中心とするタイヌイの最北端にある
マラエです。

面接に行ったところはMaori Trustの経営する Training Schoolでした。
花のコースの他に、Maori Arts & Crafts(マオリ工芸), Sawing(縫い物)
Store &Manufacture (倉庫)Catering(もてなし学)がありました。
各コース、生徒は7人という小さなクラスで、おまけに授業料はただという
恵まれたところでした。ここで初めて、私はフルタイムで半年のコースを教える
ことを知るのです。

それはちょっと変わったインタビューでした。インタビューに呼ばれたのは私だけ。
校長のマオリ女性(ボス)は、私のCVをちらった見ただけで、早速どんなアレン
ジを見たいから作ってみてというのです。それがボスと私の運命的な出会いで、
その後8年にわたってボスと仕事をすることになったのです。
早速、スタッフと車で卸屋に花を買いに行き、30分ほどで花を活け上げました。
ここは無難にと思い、ピンク、紫の花を使いました。いったいどういうスタイル、
デザインを求めているのか判らないし、まさか面接のフラワーアレンジメントする
とは思ってもみなかったので、でたとこ勝負ってかんじでした。

結果は2,3日中に知らせると言われ、私は帰途につきました。まるでタイム
トリップしたような、狐につままれたような日でした。

専業主婦の日常に戻って二日後、採用するという電話がかかってきました。
来週の月曜からきてほしいというのです。お給料の安さには、驚くよりあきれて
しまいましたが、とりあえずフルタイムジョブだし、土日休み、夏休みもあると
いうことで、しばらくやってみようと思ったのです。これまで日本で休みは火曜
だけで、子育てしながら働いていましたし、土日を家族で過ごせるというのは
魅力でした。
あとで聞くと、ボスは私のアレンジがたいへん気に入り、早速レセプションに
飾ったそうです。私とボスが同い年で、誕生日は2日違いなのも、採用した
理由と後で知りました。
太って貫禄のあるマオリ人のボスは50歳くらいかなと思ったのですが、
実は当時30台でした。ボスはテプエアマラエの直系の子孫で、タイヌイ族の若い
リーダーの一人でした。

ここでの仕事で、私はマオリ社会がかかえる深刻な問題に直面する事になるのです。
なんいっても、生徒達のすべてにわたってのネガテイブな態度、無気力。私は、
毎朝5時に起き、教材を準備し、毎日不安いっぱいで、教壇に立つと頭は真っ白に
なり、言葉がでてきませんでした。英語での日常会話さえおぼつかないのに、
英語を母国語とする生徒たちに教えるのに足がふるえました。生徒は17歳から二十
歳までぐらいのマオリの女の子達でした。前のマオリの先生になついていたので、
私を見る目は冷ややかでした。前の先生が家庭の事情で急にやめてしまい、
見捨てられてと感じていたようです。

ボスは、授業は英語でうまく説明できなければ、デモンストレーションで補えば
いいと寛大でした。
私もワークブックを工夫したり、花のアレンジメントの実習を多くとりいれて、
楽しく学習できるよう工夫を凝らしました。
すぐにstaff trainingとして、教師資格やコミニケーションのコースをポリテク
で受けさせてくれたのは、後々役にたちました。

でもなにか問題があると、教室までとんできてサポートしてくれたボス。親切な
同僚、家族のような暖かさで接してくれたマラエのおばちゃん達。私を彼らは
パケハ(マオリ語で外国人を意味する、主に白人をさす)としてではなく、同じ
ワカ(マオリのカヌー、マオリ族は祖先がカヌーでハワイキからやってきたと
されるので、同族を意味する)に乗り合わせた人間として扱ってくれました。
それで私の名前の一部をとって、モコ(刺青あるいは孫の意味)のニックネーム
で呼んでました。マオリの人たちは、日本の田舎のおばちゃん、おじちゃんのよ
うで、接し方が私にはとても懐かしく、異国に住む私に安堵感を与えてくれまし
た。

マオリ社会の問題。それは教育、健康部門では深刻です。
高校を卒業するのは、一割にも見たず、ほとんど高1になるまでにドロップアウト
していきます。10台での妊娠、出産、ドラッグ、アルコール、犯罪、親の教育
に対する無関心等、問題は複雑です。

ドロップアウトした子供達は、資格も技術もないまま、失業者になっていきます。
当時、そうした人たちをトレーニングし、就職の機会を与えるためにこの学校の
ような職業訓練校多くがつくられました。1993年から2000年の間に、
約2500のプログラム、50の訓練校が設立されました。学校はプライベートな
機関で運営されてますが、資金は政府機関のひとつ、Skill New Zealandからま
かなわれてます。失業率の高いマオリ、パシフィックアイランダーのプロバイダー
や教会グループが学校作りました。
従って、学校はSkill New Zealandの方針に従って、教育運営されているのです。
私がいた頃は、その前身であるETSA(Education & Training Support Agency)の元
にありました。
Skill New Zealand は、現在はTEC(Tertiary Education Commission)の配下にあり
ます。
TECは失業者の職業訓練だげでなく、School leavers(資格、学歴もなく学校を終え
た若者達)や移民の英語教育などのコースも取り扱ってます。
WINZ(work & Income New Zealand、職業紹介とベネフィットを取り扱う)に26
週以上に登録すると、審査を元に職業訓練のコースが受けられます。

ニュージーランド市民、永住者で無職であれば、WINZにJob seekerとして登録でき
、就職の斡旋、職業訓練などのサービスを受けることができます。
コース費用で無料で、交通費の支給も受けられます。ただというのはすばらしいけ
れど、自腹をきってないので真剣味がない生徒もいることは確かでした。コース
内容は、地域住民のニーズ、企業への雇用の必要性によってデザインされています。

Skill New Zealandの条件にあえば、誰でもこれたのコースを受けることができる
ので、マオリ人だけでなく難民、アジアからの移民の人います。ある時、スリラ
ンカの女医さんが、ニュージー
ランドでは無資格とみなされ、職を見つける事ができず、私の教えるのコースに
来ていました。彼女はこれまでのキャリアを生かす事ができず、しかし、ニュー
ジーランドに住みたいというジレンマに苦しんでました。
こういった問題は最近のニュージーランドの移民政策に関して議論の的になって
ます。移民の問題はまた別の機会に書きますが、いったんニュージーランド人と
して受け入れれた後は、政府は平等に、手に職を就けさせて、就職させ失業者を
減らす事に努力しています。

現在、テプエアマラエには 職業訓練校のほか、コハンガリョウ(マオリ語教育を
する保育園)、クリニック、ソーシャルワーカー事務所が併設され地域住民の福祉
、教育に貢献しています。


私が、最終的にボスを去った理由。やっぱり私は外部者で、彼らのかかえる深刻な
問題を一緒に受け止められない、解決して行けないと感じたからです。
それとマオリ的な時間の流れのなかで、私はもっとちがう生き方ができるのではな
いかとも思いました。のんびりというか、時間がゆったりしているのです。
私はマオリ人の文化を理解できるけれど、その中で生きていくにはあまりのも異質
でした。彼らからすれば、ちょっとせっかちで、成果を上げようと急ぎすぎたかも
しれません。
それでも後から雇われたCatering Tutorの白人の男性は、決してマラエの行事に
参加しようとしないし、仕事以外のことではかかわりたくないという態度でした。
確かに、アジア人の私は、マオリ人からは感情の表現の仕方、人と接し方などパケ
ハより親しみやすかったのかもしれません。

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その1 富士登山から戻ったら 29-06-04

2007-08-15 09:39:57 | 第1-10回
            ・・・その1・・・富士登山から戻ったら

始めまして。
今回、ニュージーランド、オークランド市から「出たっきり邦人」を配信する
ことになったTamakiです。
夫の転職に伴い、一家でオークランドに住み始めて11年がたちました。
11年を振り返りながら、仕事でかかわったマオリ社会、子育て、生活全版に
わたっての思い出を語ります。時には、リアルタイムのオークランドのイベン
トをレポートしていきます。

さて第一回目はどうして、私達がオークランドにやってきたかお話します。
それは1992年の夏休み。これが日本での最後の思い出にと、私達は富士
登山にでかけました。その時はすでにアメリカへの移住を決めていたのです。
2泊の旅行から帰り、郵便受けを覗くと、オークランドの大学からの手紙。
夫をLecturerとして採用するから、来年2月の引っ越してくるようにとの
お達し。最初に願書をだしてから丸3年がたってました。
だめなものと思って、義兄を頼ってサンフランシスコへ行く事にしていたの
です。旅行中、この事ばかり話してたし、急には頭が切り替えられない
私達夫婦。
当時10歳の娘、8歳の息子は、「羊のたくさんいる国にいくんだね」という
程度の理解しかありませんでした。

ビルマ人の夫には、日本は好きな国だけど、生活するには難しい所でした。
子供たちを英語圏育てたいという思いと、定住の地を探すべく、夫はアメリ
カ、オーストラリア、シンガポール、ニュージーランドと仕事探しをしてま
した。仕事さえあれば、私達はどこでもよかったのです。
(ニュージーランドファンの皆様ごめんなさい)

急遽それまで勤めていた花屋をやめ、とりあえず引越しに向けて、準備開始。
やった事がある人なら、ご存知ででしょうが、国際引越しはなかなか面倒。
すべて箱詰めにし、税関申告のための内容物のリスト作り。出発前の京都の
狭いアパートはコンテナ一個分にダンボールの山積みで、足の踏み場もない
ほど。

翌年2月4日。雪の名古屋空港から、大学指定のニュージーランド航空で、
私達はオークランドに向けて出発しました。
オークランド空港には、大学の先生が迎えにきてくれてました。
空港から町へ行くモートウェイから見えた、吸い込まれるような青い空。
今での印象に残ってます。都会だけかもしれないけれど、晴れてても日本の空
は曇ってますよね。
今でも海外旅行から帰ってくるたびに、この空が又私を迎えてくれると感じ
ます。

次回は、私の就職活動をお送りします。
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