オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その90 Give way ruleの変更 16-04-12

2012-04-20 14:45:46 | 第81-90回
..90..                    16-04-12

Give way ruleの変更


つい3日ほど前、4月1日にDay Light Savingが終わり、日本との時差は3時間になりました。
つまり朝1時間寝坊できるということ、だけど1時間日が暮れるのが早いのです。
しかしながら体内時計は急には対応できなくて、朝5時に目がさめるし、
そのせいで夜9時過ぎると眠くてたまりません。


Day Light Savingの終わる1週間、3月25日からニュージーランドの車のGive way ruleが変わりました。

ニュージーランド交通局のサイトに詳しくでています。
http://www.nzta.govt.nz/traffic/around-nz/road-user-rule.html

私がここで説明してもさらにややこしくなるだけなので、このサイトを見て下さい。
簡単に言うと、日本と同じになったということです。
このやり方が国際的だそうで、ニュージーランドのこれまでのルールは一般的でなかった
そうです。


私は、こちらに来た頃、左折の時、対向車が右折しようとするのに、先に左折してひんし
ゅくを買ってました。
それが3月25日からは、日本と同じように運転していいということです。


でも、相手が新ルール通りGive way してくれるかはわからないので、そろそろ出て行き
ます。
中には当然のように、前のルールで曲がる人もいるので、ぶつけられてはたまらないので、
いっそう注意深くなります。
一ヶ月くらい前から、このGive way ruleの変更をしつこいくらいコマーシャルの間にや
ってました。
新聞でもでかでかと載ってました。

でも実際始まってみると、ちゃんとやってる人は半分くらいですね。
テレビあんまり見ない人は、この変更を知らないんではないかと思います。
中には、こっちは直進してるのに、いきなり左折でつっこんで来る車がいます。
よくわかってないというか、解釈が間違ってます。
どんな場合でも、直進車が優先なのにです。

本当にこのルールが定着するには半年くらいかかると思います。

この混乱で、接触事故は多くなって、パネルビーダー(板金屋)が繁盛しそうです。


こっちは、ちょっとした車の事故が、本当に多いです。
パネルビーダーにお世話になることも結構あります。

バンパーやドアがへこんだまま、みんな平気で運転してます。
かすり傷程度なら事故のうちにはいらないのではないか、と思います。


3週間前、私は、車の事故にあいました。
赤信号で停まっているのに、右の斜線に斜線変更したジープに私の車の後方のタイヤの上
あたりにすり傷をつけられました。
孫をデイケア(保育所)に迎えに行った帰りで、パーンという音にひやっとさせられまし
た。

たいしたことはないけれど、停まってるのに、横を擦るなんて、まったくどじなドライバ
ーです。
みんな赤信号で停止してるから、目撃者はいっぱい。
車から降りてみると、あいつだよと、後ろの車のドライバーが教えてくれました。

事故がおきて、脇に車を移動させて相手方の詳細を聞いている間も、孫はぐっすり眠って
いたので、やれやれでした。
幸いに双方、full coverの保険があり、明らかに相手が悪いので、相手の保険でなおし
ました。


どんな事故でも、事故すると本当に面倒くさいのです。

火曜:まず自分の車の保険会社に電話をかけ、ケース番号をもらう。
水曜:保険会社指定のパネルビーダーに傷を見せに行く。
翌週月曜:保険会社から電話、相手が悪いということで、相手の保険で直すことが確定
火曜;パネルビーダーに車を持っていく。

代車は一日$20かかるので、修理中は夫の車を借りる
私の車はHonda spikeで、座席が高いのに慣れていて、夫の Toyota allex(カローラ)
は、沈み込んだようで視界が狭くて運転しにくいです。
車がかわると、ハンドル切るタイミングとかの微妙にちがうので、本当に不便です。

金曜:車修理完了。

ラッキーなことに、私がバックして柱にぶつけた時のきずもついでに直してくれてました。
バンパー全部を塗装するから、事故のとこだけということができなかったようです。

今回のようにすんなりいっても、事故から修理完了まで2週間かかってます。


私が、過去19年間にこのパネルビルダーを利用したのは、3回目です。
2回は相手の過失でした。

飲酒運転などによるシリアスな事故も多いけど、ボーっとしていてぶつかることのほうが
多い気がします。
自分がどんなに気をつけても、避けられない事故ってありますよね。


明日から4日間イースターのホリデーです。
田舎からやって来る人も多いし、遠出する人も多いと思います。

我が家は、なるべく出ないようにしてのんびり過ごします。
せっかく新品のようにきれいになった私の車、当分傷つけたくありませんからね。



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その89 ビルマ難民はいなくなる? 12-03-12

2012-04-20 14:42:55 | 第81-90回
..89..                      12-03-12

ビルマ難民はいなくなる?


今、ミャンマー(ビルマ)が注目されている。

4月1日に行われる補欠選挙で、野党党首のアウンサンスーチー氏が勝利をおさ
め、国政復帰することが期待されている。
現状の軍事政権から、民主化されれば、ビルマはよい投資先である。
「ゴールドラッシュ」ならぬ「ミャンマーラッシュ」だそうだ。

隣国のタイが近年の政治不安定や大洪水で、外国企業は打撃を受けている。
日本の工場もタイから撤退を決めたところもあるそうである。
そのせいもあり、タイのお隣のビルマに目がいっている。
これまで、ビルマの軍事政権を嫌い、経済制裁をしていた国も多い。
しかし、最近は、国の内外からの民主化への移行が期待されている。

4月1日の選挙でアウンサンスーチー氏が勝てば、その翌日からアメリカのファ
ーストフードチェーン、マクドナルドがオープンするそうである。

東南アジア諸国だけでなく、アメリカ、ドイツ、フランスなどもビルマへの経済
投資に熱心だそうだ。
すでに、ラングーン市内、下ビルマ、タイとの国境付近の不動産も値上がりして
るらしい。
ビルマは、石油をはじめとする自然資源があり、携帯電話に使われているレアメ
タルも産出する。


ヨーロッパの不況、中東の緊張、世界は今不安なことばかりだ。
これまでビルマは難民を出すような国であった。
しかし、世界のこの状況から見ると、まだポテンシャルのある国のようだ。



オセアニアのメルマガのはずなのに、なんでビルマなんだろうと思われる方もい
ると思う。
理由は、私の夫はビルマ人で、オークランドdrるビルマ難民のサポートを
しているためである。
その活動は、過去のメルマガを御覧頂きたい。
私は、2006年5月9日ビルマ難民、2007年2月9日ビルマ難民その後、ビル
マに関するメルマガを書いている。



ビルマの民主化への動きは、ニュージーランドに送られてくるビルマ難民にも影
響してくる。
難民となるためには、タイの国境付近の難民キャンプに入り、国連から難民番号
をもらわなければならない。
ところが、最近ビルマ人に対し、新たな難民番号が出されていないという。
きのう、オークランド空港近くのRefugee Campに最後のグループが到着した。
このグループの後は、数家族とかの少人数しか来ないらしい。



おとついの日曜日、夫とHamiltonまでビルマ難民に会いに行った。
寄付で頂いた、布団、食器、電子レンジ、コンピューターでバックシートに満載
にして朝からでかけた。

最初に行った家は、ニュージーランドに来て6週間、ハミルトンに移動してまだ
2週間である。
すでに、洗濯機、冷蔵庫、テレビ等の電化製品、レザーのソファー、ベッド、
子供の三輪車まで揃っていた。
地元でボランティアをしているスポンサーと社会福祉事務所が揃えてくれたそう
だ。

1時間半もかかって、オークランドからジャンクを運んでこなくてもよかったの
では、とがっかりである。
でも、まだあんまりすれてないこの家族は、喜んで受け取ってくれた。


3週間前にRefugee Campでこの一家に会った時は、キャンプのパンの食事が耐
えられない、お米が食べたいと嘆いていた。

今は自分の家に落ち着き、表情も柔和で、2歳の子供はふっくらしておしゃべり
になっていた。
Housing NZ(政府の住宅)とはいえ、3ベッドルーム、ガレージ、庭付きで立
派な家である。
すでにネットもつながり、スマートフォンを使っている。

数年前は時計も読めない難民もいたことを考えると、最近の難民は適応が早い。


昼間には、ハミルトン在住の難民家族20人ほどが、私たちに会いに来て、ランチをご
馳走してくれた。
チキンカレー、魚のからあけ、大根のスープ、かぼちゃの葉の炒めものとビルマの田舎
料理がでた。
素朴でなつかしい味でおいしかった。


難民たちは、平日はポリテックで英語の授業を受けている。
去年来た男性は、看護師のコースをとっているそうだ。

話題は当然のように、4月1日のビルマの選挙の話になった。
基本的に難民は、逃げ出してきた国に戻ることはできない。
どんなひどい国でも、彼らにとってビルマは祖国である。

ビルマの刑務所で政治犯として禁固されていた人、国境の紛争で家族を失った人、
将来もわからぬままタイの難民キャンプでの暮らしなど、私たちの想像を絶する苦労を
彼らはしてきている。

この一回の選挙の結果ぐらいでは、彼らの不信感は消えないだろう。
でも、祖国への期待をこめて、彼らの話はつきなかった。


ニュージーランドで教育を受けたビルマの子供たちが、ビルマに戻る日は来るのであろ
うか。
いや、子供らは、Kiwi Kidsとなり、英語をしゃべり、自分の将来に向って生きていく
だろう、と私は思う。

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その88 朝の散歩 10-02-12

2012-02-13 14:46:56 | 第81-90回
その88

                         10-02-12

朝の散歩


最近、朝歩いています。
散歩というより、ウォーキングです。

毎年のことながら、クリスマス、お正月で太り気味の体の引き締めるために、
この時期、朝涼しいうちに歩いてます。
ジムのマシーンに乗っかり、数値やグラフとにらめっこしながらのウォーキング
よりはるかに気持ちいいです。


軽く朝食をすませて、だいたい8時に出発です。
去年の暮れから使い始めているiphoneに、娘婿がiMAP My RUNを勝手に入れて
くれたので、そのプログラムをスタートします。
iMAP My RUN はGPSで私の位置をGoogle map上に記録し、終了後のその日の
レコードが記憶されます。
婿は、new year resolutionで新年から走り始め、毎日走る時にiMAP My RUN
を使っているようです。
お互いこのプログラムの"friends”なので、私のウォーキングの内容もiphone
であっちにすぐわかってしまいます。
テクノロジーの時代ですね。


とにかく出発。
我が家から、やや遅めのテンポでVillageといわれる小さな商店街まで5分。
カフェが4,5軒ならんでいて、老人や中年のカップルがBreakfastとコーヒー
を楽しんでます。
歩道のアンブレラの下では、犬がご主人様のベーコンエッグを片目でにらみなが
ら、伏せってます。
そういう中、私はキャップをかぶり、腕をふって歩いて行きます。

Mangere bridge Villageから古い橋のたもとまで3分。
この橋は,今では歩道のみで、車は通れません。
対岸のOnehungaにお勤めの人たちが,歩いて橋を渡ってます。
橋のたもとに駐車場があり、自転車乗りやマラソンするため遠方から来る人たち
は車が止められます。

この駐車場からKiwi Esplanade Roadに沿って、海沿いに終点の Ambury Park
まで2,4KMの歩道があり、快適に走ることができます。

このあたりから走ります。
対岸は、Hillsboroughで、セメント船やつりのボートが見えます。
はるか東には、One Tree Hillの塔がかすんでます。
犬の散歩の人、夫婦連れ、走る人、すれ違いざまにあいさつします。

右手に公園が見えてきます。
赤、黄やブルーのプラスチックの遊具がひときわ目をひきます。
あそこまで、公園までダッシュ。
公園の横はボートランプで、このあたりはかもめが多いです。
ピクニックの残りをもらえるせいかもしれません。
高い街頭のてっぺんにアルバトラスがとまってます。
まるでお散歩の人間たちを監督しているようです。

かすかに潮の香りを感じながら、スッスッ、ハッハハッハ、2回吸って2回はい
て、同じペースで走っていきます。

あのバス停まで走ろう。
ここまでだいたい家から30分です。
これまでは、歩道は道路とほぼ平行してます。
バス停を越したあたりから、広い芝生の左にそってマングローブの林のわきに歩
道がそれていきます。

ここらは、鳥の楽園です。
Pukekoのつがいがひょこひょこ歩いてます。
Pukekoの飛んでるところを見たことはないけど、たぶん飛べると思います。
ニュージーランドの鳥は歩くのが多いです。
大昔、天敵がいなくて飛ぶ必要がなかったせいかもしれません。
キーウィーバードのように羽がなくなったのもいるくらいです。

Oyster catcherと Godwitsが、水辺に群れをなしてます。
Oyster catcherは長いオレンジのくちばしで、オーストラリアから渡ってきま
す。夏の間、このあたりManukau Harbourにいます。
Godwitsは、はるばるシベリアからやってくるのだそうです。
ここの湿地帯で虫や貝を食べ、太って体力をつけてから、また渡ってきます。

ヨットクラブの周辺は、ひと昔前は、満潮時は芝生が真っ黒に見えるくらい
Oyster catcherが群れてました。
今はそこまではいないけれど、運がよければひとかたまり、ふたかたまり見るこ
とができます。

ヨットクラブからメインロードKiwi Esplanadeに戻ると、右手は、Ambury
Parkの入り口で行き止まりです。ここで歩道も終わりです。

私は、ここから反対側に渡り,住宅沿いに戻っていきます。
ここの住宅はSouth Aucklandの Mission Bay、 South Facingの海の見える高級住宅街です。
2階に広いデッキのある邸宅が並んでいます。
ガーデンチェアー、バーベキューがベランダにあるけど、人気のない家は、きっ
とウイークエンドハウスなのだろう、ドールハウスの周りのちらかったおもちゃ、
木陰にうずくまる猫。
その家々の家族のことや、生活を想像しながら、番地が少なくなるごとに、私の
ゴールも近いとわかります。

またもとのCoronation Rdまで戻り、Villageを抜けて帰路をたどります。
この頃には、じっとり汗ばみ、キャップが暑苦しくなってきます。

小学校をすぎたらベースをおとし、ハートレートを普通に戻します。


1時間後、家に到着。
ガレージ横の植え込みの前で、iMAP My RUNをfinishにして、きょうの反
省です。
1時間で6.5km。明日は、記録をちじめられるかな。

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その87 我が家のお正月 20-01-12

2012-02-13 14:43:25 | 第81-90回
その87

                          20-01-12
我が家のお正月


皆様、新年明けまして、おめでとうございます。
今年は、1月23日が中国のお正月ということで、いまだにHappy New Yearと
言ってます。
辰年、Year of Dragon, 60年に一度のGolden Dragonだそうで、登り竜、
いい年らしいです。


大晦日の午後に娘が、孫と犬を連れてやってきて、初めておせち料理を
作りました。
去年までは、元旦の朝に重箱につめるのを手伝うくらいで、自分で作ったことは
ありませんでした。
娘は、母、私日本人、父ビルマ人で、台湾人と結婚して、うちから10分くらい
のところで住んでいます。
4歳の孫はまあいいとして、スピッツのハナちゃんは、我が家の猫を追いかけま
わすので、お帰り頂きました。
どこでも犬を連れて行く娘もキーウィ化してます。


娘は、4歳から11歳まで日本で過ごしたけれど、その時期、私は大晦日まで花屋
で働いていて、まともにおせち料理を作った記憶がありません。
元旦のお昼に一家でおせち料理を頂くという風になったのは、この家を建ててか
ら、最近10年くらいのことのような気がします。

今年は、娘が作るので、久しぶりにNHKのきょうの料理見てレセピを確かめまし
た。これは平成4年の本でした。今年は平成何年だっけ?

「おかあさん、塩はどのくらい入れるの?」、私、「てきとう」
娘、「てきとうじゃわからない」のやりとりでは、らちが開かないと娘が
気づいたようです。


作ったのは、
紅白なます、ほうれん草の胡麻和え、きんとん、手綱こんにゃく、田作り、
結び昆布、筑前煮、鳥手羽先の七福味、海老の煮物でした。

4歳の孫(男の子)は、冷凍のレンコンを切ったり、こんにゃくに切り目を入れ、
穴をくぐらせて手綱にするのを手伝いました。
こんにゃくは切り目がさけた失敗作は、筑前煮に入れました。
途中であきると、” I’m tired, it’s too hard for me”とかいって、
おじいちゃんのところへいってマンガ見てました。

昼過ぎから私が、野菜を切ったりする下準備を始め、娘がやってきてから調理に
かかりました。
今回は、娘がちゃんとお料理の本どおりに調味料を入れました。
ジャーのお砂糖がほとんど1ビンなくなり、日本料理のお砂糖の量の多いのにび
っくりしました。
おせちのだいたいの味付けは、塩、醤油、みりん、酒、砂糖、だしで、糖分、塩
分が多いので、糖尿病の夫は食べすぎに注意です。
昔は、今ほど生活習慣病のダイエットが意識されてなかったようですね。

すべての料理ができて、重箱に詰める時になって、
娘が「おかあさん、黄色い魚のたまごみたいなのが、今年はない」
「それは数の子、今年は省略」
2年前に知人から送ってもらったのを、覚えてたらしいです。

数年前は、12月に息子が日本へ行った時、京都の錦市場で丹波の黒豆の炊いたの
やら、紅白のかまぼこ、栗きんとんやら買ってきて、その年のお正月はちょっと
本格的なおせちでした。


重箱につめるもの、筑前煮を作り、お雑煮の用意をして、夕方娘が自分の家に持
ち帰りました。


今年は、オーストラリアの息子夫婦はお正月には帰省しないので、
私たち夫婦、娘一家、台湾から来てる婿のお母さんと元旦におせちを頂きました。

午前中に、私はスモークサーモン、卵焼き、ほうれん草を入れて巻き寿司を作っ
て持っていきました。
娘はゆかたを着たいというので、げたから一式持っていって、お雑煮を煮てる間
に着付けしました。

娘がゆかたを着たのを見て、孫は、
” Mummy, you are so beautiful. Can I take a picture with you ?”
とはしゃいで、一丁前におせじ、いや本音かな、言います。
自分の母親でもほめるのは、デイケアでの女性に対するエチケット教育が行き届
いているようです。


テーブルに、漆のお盆に、輪島塗のおはしをセットし、重箱のおせち、お雑煮、
筑前煮を盛り付けたら、お正月らしくなりました。
お屠蘇がわりに、スパークリングワインで乾杯しました。

婿は、娘に日本と台湾の両方の文化を学んでほしいらしく、中国暦の新年には、
自分のお母さんに、娘の台湾の正月料理を教えてやってとリクエストしてました。



2日は、私の生徒さん、日本の留学生、ワーキングホリデーの若い人たちを呼ん
で、我が家でバーベキューをしました。
呼んだ人がその友達を連れてきたので、総勢16名の新年会となりました。
日本人、ガーナ、アメリカ、フィリピン、韓国人でが集まりました。

昨日のおせちの残りをアルミのカップの少しずつ盛り付け、オードブル風にしま
した。
お肉が焼けるまで、希望者にお雑煮をだしました。
うちのお雑煮は九州風で、すまし汁にしいたけ、鳥肉、ほうれん草、大根、人参、
かまぼこ、するめ、昆布を細く切ったものをいれます。
異国の地のお正月で、おせちが食べられて、日本の若い人たちは喜んでました。


庭でバーベキューするつもりで、夫がガーデン用のテーブル、椅子を用意してい
たけれど、風が強く火が消えてしまうので、ガレージの中ですることとなりまし
た。

ニュージーランドでは、この時期よくバーベキューをします。
クリスマス、お正月で人が集まったらバーベキュー、ビーチに遊びに行ってもバ
ーベキューです。

2日のバーベキューは、うちからスペアリブ、鳥のサテー、焼きおにぎり、やき
そばをだしました。
ステーキ、ソーセージ、するめ、ブルゴキを、持ってきた人がその国風に焼いて、
ビールもリサイクルビンがいっぱいなるほど飲みました。
釜焼きピザの差し入れもありました。

こんなに食べてもデザートは別腹。
チェリー、ガドーショコラにアイスクリーム、いちごを添えて頂きました。
最後、残りものは学生さんたちが喜んで持って帰りました。


2012年が皆様にとって良い年になりますように。


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その86 息子の結婚式 09-12-11

2012-01-07 13:12:33 | 第81-90回
その86                   09-12-11

息子の結婚式


11月21日に息子が結婚しました。
今は、我が家のビッグイベントが無事終わり、ほっと一息ついてます。


二人はオーストラリア、ブリスベンで知り合いました。
うちの息子は、ニュージーランド、オークランドから、お嫁さんはアメリカ、
サンフランシスコからやって来て、同じエンジニア会社に働いてました。

お嫁さん一家は、香港からアメリカに移住した、アメリカンチャイニーズです。
息子は、母の私が日本人、父がビルマ人で、娘は台湾人と結婚してるので、アジア系ながら、参加者は世界8カ国からはるばるやってきてくれました。


息子がお嫁さんを我が家に初めて連れてきたのが2年前のクリスマスでした。
去年のクリスマスは、二人はサンフランシスコへお嫁さんの両親に会いに行きま
した。
私の夫の姉、兄一家もサンフランシスコに住んでいるので、息子は25年振りく
らいに、ビルマ側の親戚とも再会を果たしました。
再会といっても、息子は1歳半までしかビルマに住んでいなかったので、叔父さ
ん、叔母さんたちを憶えてはいなかったと思います。



こうして3年越しに、やっと結婚のはこびとなりました。

二人の結婚式はパーネルのSt Mary Churchで行われました。
ここは、オークランドで一番古い木造の教会でステンドグラスも美しく、
落ち着いた雰囲気です。
http://www.holy-trinity.org.nz/weddingsinformation/

私の一番の心配はページボーイを務める4歳の孫が、ちゃんとやってくれるかな
ということでした。
当日、セレモニーの一番最初に教会の入り口から祭壇まで神妙な顔して、一人で
歩きました。
前日のリハーサルでは、お昼寝してなくて機嫌が悪くふにゃふにゃしてて、大丈
夫かなと心配しました。
ところが、当日はスーツを着て、雰囲気を感じ取ったのか、すごく真面目でやり
とげました。

結婚式の司祭さんは、白人の女性で、好感のもてる進行で、全体にとてもいい感
じでした。
嫁の親友が聖書の朗読をし、私の歌の先生がアベマリアとオンブラマイフを歌っ
てくれました。
パイプオルガンの響きといい、おごそかでいい式でした。

ブーケは、お嫁さんの希望で、ライラック色と白のミックスブーケを作りました。
私の花のクラスの生徒さんが前日から手伝ってくれました。


披露宴は7時から、バイアダクトの中華レストラン,Chrystal Horbourで
Chinese banquetでした。
ここは、香港の本店があり、世界的に有名なお店だそうです。

お嫁さんは、赤のイブニングドレスに着替えて、華やかな雰囲気にぴったりで
した。

披露宴の最初に、中国式のTea ceremonyがありました。結婚した二人がひざま
づいて、両親にお茶をささげるのです。
両親からは、赤い封筒のはいったご祝儀が渡されました。
セレモニーは、たぶん香港の結婚式に比べたら、かなり簡略されているとは思う
のですが、膝用座布団もレストランが用意してくれてました。


お嫁さんのUCLAの同級生カップルのそつない司会で、披露宴は進行されました。
アメリカンイングリッシュのアクセントが新鮮に響きました。

お嫁さん、息子、姉としてうちの娘もスピーチをしました。
息子も娘もなめらかな英語を話し、あまり英語でちゃんとしゃべるところを聞い
たことがなかったせいもあり、今さらながら関心しました。
娘は11歳、息子は9歳の時のニュージーランドに来て、現地の学校の通ったの
で当たり前といえば当たり前ですが。

ひとしきりのスピーチのあとは、イセエビを含む12種類のお料理がでて、食べ
ることに集中です。
お味はどれも薄味で、日本人のゲストから、口にあっておいしいとの評判でした。

この日のために、ニュージーランドのスパークリングワイン、白ワイン、オース
トラリアの赤ワインを用意しました。


結婚式のゲストの半分は海外からやって来て、式のあとニュージーランド旅行を
楽しんだようです。
お嫁さんの両親とも、結婚式の3日前に初めて会いました。
結婚式の前後2週間は、我が家に泊まっているお客さんの世話やら、日本から来
てくれた友人たちと食事に出かけたりと大忙しでした。
特に私は、結婚式のお花の製作、仕事も通常通りにしていたので大変でした。


二人はブリスベンに住んでいて、オークランドでの結婚式の準備をする訳ですし、
実際のところ私が下見や支払いにいったりと手伝いました。
嫁はエンジニアらしくエクセルで5ページにわたる結婚式の予定表(ゲストのフ
ライトやホテルも含めた)を用意してました。

ちょっとしたハプニングもありましたが、2週間前に、すべての友人を見送った
後、二人はブリスベンに戻りました。


新婚の二人は、クリスマスの休暇には帰ってこないので、夫と二人静かに
クリスマス、お正月を迎えたいと思います。



今年は、2月にクライストチャーチの地震、3月は東日本大震災と災害が続きま
した。
そうそうロイヤルウェディングもありましたよね。
いろんな意味で、今年は忘れられない年になると思います。

皆様も安全で楽しいクリスマス休暇をお迎え下さい。

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その85 ラクビーワールドカップ 11-11-11

2011-12-07 12:55:56 | 第81-90回
..85..                    11-11-11

ラクビーワールドカップ


9月10月のオークランドは、ワールドカップ一色でした。
10月23日の決勝戦では、ニュージーランドチーム、オールブラックスが優勝を
勝ち取りました。


フランスとの決勝戦は7対8で、監督のGraham Henryは最後の10分は生きた
心地がしなかったそうです。
テレビ中継を見ていた私たちも、一回のペネルティーキックでフランスが逆転優
勝する場合もあるかと思うと、どきどきはらはらでした。
でも、勝って本当によかったです。
勝たねばならる、ニュージーランド全国民の期待を受けてオールブラックスもプ
レッシャーで随分あがっていたように思います。


ワールドカップ中、お祭りムード満開で、家に旗を立てたり、車の応援するチー
ムの旗をつけてみんな走り回ってました。
子供から大人までラクビー大好きで、楽しみました。
我が家の4歳の孫もハカをデイケアで習ってきて、やってみせてくれました。


サポートするチームを見ていると、オークランドがいかに人種のるつぼであるか
わかります。
だいたいもとがイギリスからの移民の国なので、たいていニュージーランド人、
でももとはアイリッシュ、ウエールズ、スコティッシュとかです。
オークランドはパシフィックアイランドからの移住者も多く、トンガ人は熱烈な
自己チームのファンだし、サモア、フィージーも出身者がサポートしまてました。
サウスアフリカの人たちもたくさんオークランドに住んでます。

私たち日本人も日本チームを応援しました。
残念ながら、ジャパンさくらチームは潔く散ってしまいましたが。
サッカーにくらべるとラクビーは、日本ではまだメジャーなスポーツではなし、
そのわりには良くやったと思います。


私は、在NZ19年目にして、今回まともにラクビー観戦しました。
もちろんテレビですが。
うちの夫も含め、いい試合のある日はイベント化して、友人を家に呼んでわいわ
い言いいながら観戦したり、二人だけでもビザとってワインを飲みながら見てま
した。
スポーツバーは、大きなスクリーンで楽しめました。


オークランド、ウォーターフロントのファンゾーンではパビリオン、ステージシ
ョウ、いくつもの巨大スクリーンでの観戦、イベントなどが楽しめました。



ルールもよくわかってない私ではうまく説明できないので、興味のある方はこち
らの公式サイトを御覧になって下さい。

http://www.rugbyworldcup.com/index.html


オールブラックスの選手たち、ハンサムで素敵です。
私は、Sunny Williams のファンになりました。
キャプテンのRichie MaCawは大人気で、うちの孫でさえ名前を知っていて、
”Riche MaCaw is Number 1, He is All Blacks Captain”と言ってました。


今回私が感じたのは、ラクビー大国と言われる所以、たかがラクビー、されどラ
クビーに国家と一体となって盛り上がったことです。
試合では観客はみんな国家を歌うし、通りがかりの子供たちも口ずさんでます。
田舎といってしまえばそれまでですが、いい意味での人々の素直さがニュージー
ランドにはあります。


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その84 Per Benjaminのデモンストレーション 11-10-11

2011-12-07 12:53:33 | 第81-90回
..84..                   11-10-11


Per Benjaminのデモンストレーション


先週の土日、スウェーデンのフローリスト、Per Benjamin氏のデモンストレー
ション、ワークショップに行ってきました。
私は最近はいけばなのワークショップの機会が増え、本業のフラワーデザインの
イベントにあまり参加してないなと思っていて、いいチャンスでした。

Benjamin氏は、スウェーデンのオスロから、南半球、ニュージーランドのオー
クランドへ、地球を半周して遠路をはるばるやってきてくれました。
世界的に花のデモ、レクチャーで活躍する彼は、ニュージーランドは今回が初め
ての訪問だそうです。

Per Benjamin氏のサイト
http://www.perbenjamin.com/per/



10月1日に、まずMt Wellingtonの花市場のオークション会場でPer
Benjamin氏のデモンストレーションがありました。

会場に到着するとバブル(スパークリングワイン)とフィンガーフードが振舞わ
れました。
参加者は、知り合いを見つけて談笑していました。
私は、ほとんど顔見知りの人がいなかっのですが、数人の人と話をしました。
参加者は、フローリスト、フラワーデザインスクールの講師達とその生徒のよう
でした。
地元のフラワーデザインスクールの講師をしている女性に、私が経歴を紹介する
と、うちでTutorをさがしているんだけどと名刺をくれました。
本当にofferがくるかどうかわかりませんが、たまにはこういう場に来るものだ
なと思いました。


2時になり、私達は会場へと移動しました。
デモは花のオークション会場であり、階段上の競りの座席に私達は座り、Per
Benjamin氏は一番下の花を競る場所でデモを行いました。


まず、Benjamin氏は自己紹介をしました。
彼は、16歳から花屋になり、いわゆる正式なフローリストとしての訓練を受けて
いないそうです。たまたま勤めていたフローリストがコンペディションをよくや
っているところで、彼を応援してくれたそうです。


Benjamin氏は、3時間で14個のブライダルブーケを紹介しました。
彼のデザインは、地元オークランドのフローリストの常識を破る斬新なものでし
た。
あるものはブーケに見えない、言われないとブーケだとわからないようなのもあ
りました。


まず花の種類です。
彼は、私達がほとんどブライダルでは使わないカーネーション、菊、スターチス、
オリーブの葉などを使ってました。
カーネーションが一番好きな花だそうです。
ニュージーランドでは、菊、カーネーションはお葬式によく使われるため、あま
りいいイメージが持たれていません。

彼は、スタンダードのカーネーションの頭に#18ワイヤーでステムを作り、円
周上にカーネーションを繋げてならべ、中心でワイヤーをまとめハンドルにして
いました。
これまでのフラワーデザインでは、メカニック、いわゆる骨組みを隠さなければ
なりません。彼のカーネーションのラウンドのブーケでは、#18は他の花のス
テム、カラーのワイヤーとともに、テキスチャーとして同化していました。
彼は、ワイヤーがデザインの一部として機能していれば、見えてもかまわないと
言っていました。
デザインが主体で、それを表現するのにあう花を使うそうです。


彼は、カードボード(ダンボール箱)にウールでおおったベースを使っていまし
た。
色、形、太さ、材質のちがったウールが鮮やかな色のグラディエーションを見せ
ていました。
実際に持ったところ、感触が北欧的な温かみを感じさせられました。
このウールの土台に、彼は胡蝶蘭、シンビジウムなどの花をビンでとめていまし
た。
カーネーションをとめてあったピンは、長さが10cmもありヘッドは金色で飾
りのついた美しいものでした。
ピンクやグリーンの頭のマチ張りもたくさん使っていました。
Mizuhikiワイヤーといってカラフルな地巻きワイヤーで、カラーのステム同士
を突き通し固定してました。
Mizuhikiは、日本の水引から来たのだなとわかりました。


カラフルなコッパーワイヤーでたくさんの渦巻きを作り、それらを組み合わせて
キャスケード状にし、そこにグローリオサリリーなど軽い花をさしこみ、透けて
揺れる軽快なデザインもありました。


釣り糸のような細くてやわらかいワイヤーに子菊、デンファレ、スターチスを数
珠状に間隔をあけてつなぎ、ブーケ本体から何本もぶらさげるデザインもありました。
チャイニーズコードと言われる細いひもや、オーガンジーリボンと組み合わせて
揺れ動く美しいガーランドとなっていました。


ブルー、グリーンの小花をワイヤーのガーランドのトレインとしたブーケは2m
もありました。
これは地面を引きずって持つデザインだそうです。
モデルが持って歩いて回っていたら、カーペットに引っかかっていて、実際の結
婚式では教会から苦情が来るのではと、お隣に座っていたフローリストと苦笑し
ました。


参加者の一人が、Benjamin氏に「ここでのブライダルブーケの主流は、ハンド
タイドと言われる花束のデザインがほとんどなんだけれど、どうやったらこうい
うデザインを売れるのか?」と質問しました。
それに対して彼は、
「世界にひとつだけのオリジナルなデザインで、注目される花嫁を演じてみたら」
とサジェストするといっていました。

結婚式の花はお嫁さんの好みでは決められず、両家が満足するようなものと思う
と、保守的なデザインになりがちです。
フローリストも無理に変わったデザインを勧めて、あとで文句を言われるのもい
やですし、難しいところです。



10月2日のワークショップは、花市場Floramax内の Manukau Polytechnic、
Floristry教室でありました。
30名の定員で、モーニングティー、ランチ、花を含むすべての材料がパッケージ
になってました。


10時から11時までBenjamin氏のワークショップにためのレクチャーがありま
した。

まず色について。
彼は、色彩のチャート、Colour circleが大嫌いだと言ってました。
反対色の組み合わせ、黄色と紫、赤と緑などは絶対にしないと言っていました。
ここでは黄色と紫は、黄色のガーベラと紫のアイリスの組み合わせなどで、よく
売れるパターンというは、一般的な組み合わせなんですけれどもね。
彼は例として、斑入りのカーネーションを見せ、どんな色があるかとみんなに尋
ねました。
赤、オレンジ、アプリコット、黄色、エンジなどが見つかりました。
彼は、これらの色の濃淡をベースにアレンジメントをデザインすると言っていま
した。
メインにする花の中から色を発展させ、それにあったオーナメント、リボン、ワ
イヤーなどを組み合わせていくそうです。


前日のデモから4つの作品が残されていて、それらを見本に私たちはブーケを作
ることになりました。

彼は、まず毛糸の土台の作り方を説明しました。

カードボードを丸、扇形などの形に切ります。
そこに#18ワイヤーをさしこみ、補強します。
其の上にマスキングテープをぐるぐるまきつけます。
これでまず土台ができて、毛糸を巻いていきます。
一番したは、毛糸の元の綿のようなウールをクッション、かつ表面をカバーしま
す。
その上のまず、太い毛糸を巻き、次に変わった材質のもの、細いもの、色がミッ
クスしたものを撒いていきます。
この毛糸の土台ができると、あとはそこに花をびんでとめたり、オーナメントを
つけるだけて比較的簡単です。

レクチャーのあとに、モーニングティーを頂き、各自製作にかかりました。

毛糸は珍しい材料とあって、みんながよってたかって自分のほしい毛糸を選び始
めました。


私は、扇形のブーケを作ることにしました。
グリーン、オレンジを主体に、グリーンのシンビジウム、カーネーション、アプ
リコットカラーを本体に使い、グリーンのスターチス、オリーブの葉、クリーム
のヒヤシンスをガーランドにして両先にぶらさげました。


ランチは、野菜、ハム、果物、パンなどがテーブルに盛り付けられていて、各自
おのおのサンドイッチを作るスタイルでした。
グルテンフリーのパンも2,3種類あり、いろんなダイエットの人達のために考
慮してると思いました。
Benjamin氏に話しかけたら、彼はコーヒー、紅茶は飲まず、白湯だけたくさん
飲むといってました。



実際自分で作ってみると3時間かかりました。
ポリテックの生徒などは出来上がらない人もいました。



持って帰って友人などに見せると、だれもブーケとは思わず、飾りのデザインと
思ったようです。
実際に仕事に使うかどうかは別として、comfortable zoneから出て製作できた
のは、いい刺激となりました。
これからの時代、規制概念にとらわれず、多種の素材をいかして、花を調和させる
ことが大切だなと思いました。

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その83 書けない言い訳 02-09-11

2011-09-07 08:16:32 | 第81-90回
その83                     
                           02-09-11

書けない言い訳


このところ私は忙しいのです。
時間と心のゆとりがないので、今日のメルマガは簡単なものにします。


今、私の最大のイベントは今週日曜にある歌の発表会です。
6年前から歌を習っていて、毎年この時期におさらい会があります。
あと3日ということで、最後の仕上げにかかってます。
今回は、「出船」「Laudate Dominum」を歌います。


あとは、当然ながら仕事です。
フラワーデザインを教えているのですが、私自身のコースに加え、来週まで火曜
日にCommunity Centreでも教えてます。
2時間教えるのに、花の買出し、材料の準備、テキスト作り、デモの内容を考え
ると、いろいろすることがあります。
同じことばかりしてては生徒さんにあきられるし、私も楽しくないです。
10年もやってればマンネリ化してきます。

教えるのは、生徒に自分を表現させること。
ずっとやってると、こちらも花を活けたくなります。
というか、自分を表現しないとアイディアで頭がいっぱいになり、爆発しそうで
す。


そのためにも始めたのが,草月流のいけばなです。
5年目になりました。
去年師範となり、さらに上をめざして、おけいこやワークショップをしてます。


週3回ジムのクラスに通ってます。
これも一回でもさぼると、体が重くてイライラしてきます。
運動すると、エネルギーレベルがあかるので、その日一日元気に活動できます。
二日酔いとか風邪気味とか少々体調が悪いくらいでは休みません。
一番の邪魔者は孫です。
本当に、ひと冬で何回、風邪でデイケア(保育所)お休みするんだろう。
7ヶ月からもう3年以上デイケアに行ってますからね。
相当な日数です。
孫は、前日熱があったり、鼻水でててデイケアお休みしていても、以外と元気な
ことがあります。
そういうときはジムに一緒に行き、Crèche(託児所)に1時間預かってもらい、
私はエキササイズします。
ジムのCrèche は小さいお子さんのいるお母さん達のものと思われてますが、
ばあちゃんも助かってます。


月曜日は、孫は回復して、空手のクラスにも復帰しました。
私が仕事のあとデイケアに迎えに行き、空手に連れていきました。
娘は残業だとか。

今夜は、孫はうちににお泊りです。
娘夫婦はディナーに出かけるですって。



愚痴が長くなってしまいました。
でもご心配なく。
毎日楽しく過ごしてます。
目下の悩みは発表会のドレスです。

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その82 メルボルン小旅行 09-08-11

2011-09-07 08:14:22 | 第81-90回
その82
                          09-08-11

メルボルン小旅行

7月7日から3日間、オーストラリアのメルボルンに夫と遊びに行ってきました。
シドニー、ゴールドコースト、メルボルンはオークランドから片道2,3時間程
度のフライトとあって、小旅行にぴったりです。

今回は, Air NZの食事なし、映画なしという安いチケットで行きました。
3時間くらいのことだから、コーヒーがでる時に持参のお菓子を食べれば、そん
なにお腹はすきません。
映画はクレジットカードで$10?払えば見れるけど、ただのゲーム、
テレビドラマなど見てたらそれで充分退屈しのぎになりました。


私は、メルボルン初めてでした。
町の雰囲気といい、食べ物もおいしく気に入りました。
夫は2回目で、10年くらい前、夏に行って、40度くらいあってとても暑い思い
をしたそうです。

今回は15度くらいの気温で、快適でした。


メルボルンは、歴史の香りのする文化的な町でした。
私たちは、South Bankに滞在し、そばに劇場や公園、カジノがありました。

3日間の滞在でそのうち2日は知人と会ったので、観光したのはYarra valley
のワイナリーツアーに行った日のみでした。

その日のワイナリーツアーは、参加者8人のうちいわゆるツアーリストは私たち
夫婦だけでした。
あとの3組は地元のカップルでした。
自分でドライブしてワイナリー行くと、あまりテイスティングできないからとか、
結婚記念日のおでかけとして参加してました。

まず一番に立ち寄ったのはDomani Shandon。
ここはフランスのシャンパーニュの製法でシャンペンが作られていて、シャンペ
ンでブランチしました。
白ワインでなく、赤のピノノアのシャンペンもありました。
本当はニュージーランドに持って帰りたかったけれど、スーツケースの中でシャ
ンペンが爆発したりすととんでもないので断念しました。

ランチのイタリアンレストランでは、みんなかなり酔っ払ってきてたのもあり、
お互いシャイじゃなくなり、というかうるさいくらいおしゃべりし、よく食べ楽
しかったです。
石釜で焼いた薄っぺらいビザが次から次へとでてきました。

最後に行ったのは、メルボルンの有名なソプラノ歌手の名からとったMelba Rd
にあるBartoli Winery。
Bartoli もイタリア歌手の名前ですよね。
ここのワインは、オペラの名前にちなん名前がついてました。
ここでは、売っているすべてのワインをテイスティングできました。
でも最後にはあまりにも多く試しすぎて、なにがなんだか判らなくなりました。


いろいろおいしいものは食べましたが、夫のビルマの大学での同級生が連れてい
ってくれた郊外の中華料理が一番おいしかったです。

ダーウィンのかにと素麺ケーキみたいなのの炒め物。
みんな両手をつかって、かに身を殻からほじくりだすのに一生懸命で、無言でも
くもくと食べました。
タスマニアの生牡蠣。ニュージーランドのBruff Oysterより大きくて、殻が
深かったです。にんにく、レモン味のソースがかかっていて最高でした。

市内でただのバス、電車が巡回してるのも気が利いていると思いました。
観光客ばかりでなく、地元の住民もお買い物、おでかけに利用しているようです
た。


次回はPhilipp Islandのペンギンツアー、ボタニカルガーデン、できたらなにか
コンサートにも行きたいと、メルボルンのwish listにかかげて帰国しました。

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その81 フローズンショルダー、そしてベジタリアン 01-07-11

2011-08-09 16:41:29 | 第81-90回
その81                     01-07-11


フローズンショルダー、そしてベジタリアン



それは1月の始め、サマーホリデーの間のことでした。
たっぷり時間がとれるこの時期を利用して、庭の草ヌキに精出してました。

私は左ききなので左を主に使って、草を抜いてました。
でも、左ばかり酷使するのは良くないよね、と右手も変わりばんこに使うことに
しました。
ちょっとやっかいな雑草を右手に抜いたあと、肩がぐねったというか、ねじった
ような感じがしました。


あくる日、右手の親指の付け根から肩まで電気が走るような痛み、右手はフライ
パンも持ち上がらなくなってしまいました。
あとで考えると、これが五十肩の始まりだったのです。
10年ほど前からのジム通いで体調はよかったし、バーベルも10kgくらいは
上げられるようになってました。
体力には自信があったので、ちょっとした捻挫でそのうち治るだろうと高をくく
っていました。

ところが、右手手首は1ヶ月くらいで回復したものの、肩の痛みはいっこうに引
きません。
特に夜ベッドにはいってから、ずきずき痛んで眠れなくなってしまいました。
それでも、ジムでのウェイトも左は2kg、右は1kg落として運動は続けてま
した。
でも、右肩は、あるところまでいくと痛くて上がりません。
動きもギクシャクしてしまいます。


ある日、レントゲン技師をしている娘にそのことをこぼすと、
“お母さん、It’s a frozen shoulder. Common for your age.
You need to see your GP( General Practitioner、家庭医)“
と言われてしまいました。
それでやっと自分が五十肩であると自覚しました。
それまでそういう事は聞いたことはあるけれど、私には無縁だわ、くらいに思っ
てました。
自分の年を考えれば、五十肩になったとしても当たり前ですが。


2月中旬、やっとGPに予約を入れ、診てもらいました。
GPは腕を肩からどれくらい上がるかなどを簡単に見て、Ultrasound(超音波検
査)を受けてくるようにと言いました。
すぐにACCの申請をしてくれたので、その日の診察料も安くつきました。

GPは、検査を含めてPrivateとPublicどちらにするかと私に聞きました。
Publicは、ほとんどタダか安いけれど、検査待ち、診察待ちに時間がか
かります。
Privateは、高いけれど待ち時間も少なく、ていねいに見て貰えます。
私は保険があるので、Privateを選択しました。


ACCは、The Accident Compensation Corporationの略で日本で言うと労災保
険のようなものでしょうか。
労災とちがって、ニュージーランド国内で起こった怪我等には外国人など旅行者
にも適応されます。
職場での怪我だけでなく、家庭、スポーツ中の事故、怪我もカバーされます。

一般の人は、給与の中から所得税と一緒にACC税が引かれてます。
私のような自営業者も、年に一度請求がきて支払ってます。
ACCは怪我の治療、その後のリハビリ、もし怪我が原因で働けない場合は、ある
程度の収入の保証もしてくれます。

私の今回の場合、

GPの診察料は通常NZ$52が、$35
Ascot Hospital Ultrasound $268.35 のところを、$80
ステロイド注射がACC料金で、$35

ACCがカバーしてくれない分は、個人で加入している医療保険で返してもらいま
した。


Ultrasoundの検査の結果、特に目立って悪いところはなさそうでした。

1週間後に呼ばれて、GPで腕と肩にステロイドの筋肉注射をしました。
この注射はすぐに効果があり、その夜から肩は痛まなくなりました。

しかし、これには大きな落とし穴があったのです。
ステロイドは痛みに即効性があるけれど、注射を打った部分が固まったようにな
り、どんなに運動してもその部分は血がめぐらずひんやりとしているのです。

ジムのインストラクターにそのことを言うと、ステロイドは3ヶ月くらい効果が
あり、その間は、肩は固まっていて、根本的な解決にならないよ、を言われてし
まいました。

GPに言われるがまま、なんにも考えずに注射を受けてしまったのが大きな間違い
でした。


そこで、最近開業した友人に鍼治療してもらうことにしました。
ニュージーランドでは、鍼治療もACCでカバーされます。
これまで怪我とかしたことないし、体に鍼を刺すのが抵抗があり、敬遠してまし
たが、この際、効きそうなものはなんでもやってみることにしました。
鍼治療に通い始めてから、やっとこのごろやっと肩の動きがよくなってきたとい
うか、ステロイドが抜けてきた気がします。
忙しくて行けなかったり、日本へ行った期間もあり、今までに8回通いました。
あと4回無料で治療を受けられるので、その間に完治したいところです。


友人である鍼の先生曰く、五十肩にはこれまでの食生活、病歴などが関係してる
そうです。
五十肩は、体の老廃物、カルシウムが関節に固まってしまっていて、故障してし
まったという状態だそうです。

中国医学的にいうと、食生活から改めないと治らないと言われました。
友人先生の言う事を聞いて、3月からベジタリアン、ほとんどヴィーガン(乳製
品、砂糖、卵も摂らない)の食事を始めました。
日本に行ってる間とか、たまの外食はなんでも食べますけど、家では基本的にヴ
ィーガン食にしました。
あずき入りの玄米やブラウンブレッドが主食で、お豆腐、納豆、豆類、野菜、果
物を食べてます。
コーヒーは豆乳で飲むようにしました。
ベジタリアンでも、日本の精進料理風とか、インドの豆カレー、メキシコ風野菜
のシチューなといろいろなお料理ができます。
ニュージーランドはベジタリアンが多いせいか、レストランにはベジタリアンメ
ニューがあるし、スーパーでも乳製品のはいってないお菓子とかも売ってます。
ベジタリアン食を始めて、以外となんとかなるなと思いました。
栄養のバランスを考えて、最近は少しお魚は食べてます。


ヴィーガン食を始めてから2週間で体重が落ち始め、4ヶ月で体重は4kg減り、
体脂肪は25%から22%に減りました。
別にやせるためにやっている訳ではないけど、体重は減り続けてます。
体重が減った分、体が軽くてジムでのエクササイズが楽になり、持久力がついて
きました。
お肌もすっきりしてきました。

ベジタリアンの体質になると、不摂生がすぐ体にでるようになりました。
外食の翌日、ジムで走っている時、お腹が重くて、吐き気がしてきます。
たまにお肉を食べた翌日には肩がぱんぱんに張ったりと、逆戻りの日も何回かあ
りました。


まだ冷えると痛むのでエッセンシャルオイルのお風呂に入ったり、寝るときは、
ホットパットを右肩にあてて寝るようにしました。

肩に負担がかかることはしないこととして、庭仕事はガーデナーに頼みました。
すべてにおいてスローダウンです。


五十肩になってから半年がたちました。
変な話ですが、先週からやっとブラのフックを後ろでできるようになりました。
これは大きな進歩です。
五十肩はほうっておいても治ったのか、ダイエットや鍼のせいかわかりませんが、
とにかく肩が軽くなりうれしいです。


ジムでは30台の人たちにまじって運動していたし、自分が五十肩になるとは
予想もしませんでした。食べすぎてもその分運動すればいいと 別にダイエット
はしていませんでした。


やはり年並みの自覚が必要だったというが、五十肩は生活態度を改めるいい経験
となりました。
まず健康でないと、人生エンジョイできませんものね。

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