..100.. 05-03-13
100回目配信までのこと
3月になったとたん、庭で蝉がジージー鳴いて、夏を名残り惜しんでいるようで
す。
朝晩涼しくなり、心なしか秋の気配が感じられます。
さて、私の出たっきり邦人の配信は100目を迎えます。
この北米、オセアニア編も前回1000回、この号は1001回です。
すごいですね。
私が配信し始めたのが2006年、丸7年近いです。
これまで続けて、あるいはちょこっと読んで下さった皆様、ありがとうございま
した。
2013年2月2日で、我が家は、ニュージーランドへきて20周年を迎えまし
た。
オークランド通信の第100号も記念致しまして、この20年を振り返って
みたいと思います。
1993年にオークランドへやって来た時は、娘11歳、息子は9歳でした。
ビルマ人の夫にとってそれまでの日本での生活は、いい友人に恵まれたけれど、
決して楽ななものではなかったと思います。
私もフルタイムで働いていたし、保育所、小学校に通う子供の子育ての時期でも
あり、いつもカリカリして時間に追われていたように思います。
日本は私の国であるため、私は自分のほうに余計に責任を感じていました。
オークランド大学に夫の仕事が決まった時は、本当にほっとしました。
ずっと子供たちを英語圏で育てたいと思っていたので、ニュージーランドにこれ
て本当によかったです。
ここでは私たち夫婦はフィフティーフィフティーの立場で一家をささえていける
し、オークランドは移民が多く、私たちは普通の市民として暮らしていけます。
その頃の日本では、夫が外国人というだけで特別な目で見られ、遠慮のない関西
人の興味のターゲットになると、質問攻めにうんざりしてました。
最初は、ほとんど英語のできなかった子供たちですが、数年でなんとか追いつき
オークランドで大学を卒業しました。
今は二人とも家庭を持って、それぞれの家族と充実した生活を送っています。
夫は、ずっとオークランド大学に勤め、数年前にリタイアしました。
今は、ビルマ難民のサポートのボランティアと、週2回は孫の学校のお迎えに
忙しくしてます。
私は、ニュージーランドへ来てすぐに、フローリスト養成の講師の職を得て6年
勤め、その後フローリストで働きました。
健康の転機(いつか書いたと思いますが)に、自分のビジネスを始め12年経ち
ました。
現在、フリーランスのフラワーデザイン、いけばな講師、ブライダルなどの花の
仕事をしています。
6年前に縁あって、いけばな草月流を始めました。
2年前に師範の資格を頂き、コミュニティーセンター、自宅で教えています。
2月26日にブライダルのお仕事があり、初めて草月のスタイルで個人のお宅を
装飾しました。
これまでどちらかというと趣味のいけばなが、今回は実際の仕事となり、私に
とって記念すべき出来事でした。
竹のスタンドを使ったいけばな、巨大な流木をアンスリウム、アステリア、アー
ゲイブで装飾、庭の植え込み、垣根にいけばなを活けました。
もちろん、オーソドックスなブライダルブーケ、ブートニアも作りましたけれど。
オークランドは、ニュージーランドの中では都会ですし、コンサートやイベント
も多く、海に囲まれマリンスポーツも楽しめます。
おいしい中華、日本料理、イタリアンなどエスニックなレストランも多いです。
みな人それぞれであまり余計な干渉をされないのも、住み心地がいいです。
地震、台風などの災害、大気汚染は比較的少なく、適度の都会であるオークラン
ドは住みやすいと思います。
ニュージーランドは、人口が少ない分、就職の機会も少なく、若い人たちには困
難なこともあるかもしれません。
我が家の息子も含めまして、いい仕事を求めてオーストラリアに移住する人も多
いです。
日本の地方都市から東京へ行くような感覚で、ニュージーランドからオーストラ
リアに渡っていくようです。
最近の私の悩みは、日本からの観光客が減ったせいで、日本行きの直行便が減り、
航空料金が高いことです。
ニュージーランド航空は、20年前は東京、大阪だけでなく福岡、名古屋からも
直行便がでてました。
1993年2月2日、私たちは旧名古屋空港から出発しました。
その日はとても寒く、滑走路の隅に雪がかきよせられていたのを覚えています。
ところが、オークランドに到着すると夕方なのに青空が晴れ渡り、さわやかな夏
風が吹いてました。
オークランド空港と市内を結ぶMangere Bridgeから見る水面が。きらきら光
ってました。
不思議なもので、20年たった今、Mangere Bridgeに住み、20年前に見たお
なじ景色を毎日見て暮らしてます。
今朝も1時間ほど、海岸線を渡り鳥を眺めながら歩いてきました。
老いていく日本の母のこと、いろんな不安や心配事はあります。
しかし、考えてもどうにもならないこともあるし、日々小さな目標を達成しなが
ら、日々楽しく暮らして行きたいと思います。
100回目配信までのこと
3月になったとたん、庭で蝉がジージー鳴いて、夏を名残り惜しんでいるようで
す。
朝晩涼しくなり、心なしか秋の気配が感じられます。
さて、私の出たっきり邦人の配信は100目を迎えます。
この北米、オセアニア編も前回1000回、この号は1001回です。
すごいですね。
私が配信し始めたのが2006年、丸7年近いです。
これまで続けて、あるいはちょこっと読んで下さった皆様、ありがとうございま
した。
2013年2月2日で、我が家は、ニュージーランドへきて20周年を迎えまし
た。
オークランド通信の第100号も記念致しまして、この20年を振り返って
みたいと思います。
1993年にオークランドへやって来た時は、娘11歳、息子は9歳でした。
ビルマ人の夫にとってそれまでの日本での生活は、いい友人に恵まれたけれど、
決して楽ななものではなかったと思います。
私もフルタイムで働いていたし、保育所、小学校に通う子供の子育ての時期でも
あり、いつもカリカリして時間に追われていたように思います。
日本は私の国であるため、私は自分のほうに余計に責任を感じていました。
オークランド大学に夫の仕事が決まった時は、本当にほっとしました。
ずっと子供たちを英語圏で育てたいと思っていたので、ニュージーランドにこれ
て本当によかったです。
ここでは私たち夫婦はフィフティーフィフティーの立場で一家をささえていける
し、オークランドは移民が多く、私たちは普通の市民として暮らしていけます。
その頃の日本では、夫が外国人というだけで特別な目で見られ、遠慮のない関西
人の興味のターゲットになると、質問攻めにうんざりしてました。
最初は、ほとんど英語のできなかった子供たちですが、数年でなんとか追いつき
オークランドで大学を卒業しました。
今は二人とも家庭を持って、それぞれの家族と充実した生活を送っています。
夫は、ずっとオークランド大学に勤め、数年前にリタイアしました。
今は、ビルマ難民のサポートのボランティアと、週2回は孫の学校のお迎えに
忙しくしてます。
私は、ニュージーランドへ来てすぐに、フローリスト養成の講師の職を得て6年
勤め、その後フローリストで働きました。
健康の転機(いつか書いたと思いますが)に、自分のビジネスを始め12年経ち
ました。
現在、フリーランスのフラワーデザイン、いけばな講師、ブライダルなどの花の
仕事をしています。
6年前に縁あって、いけばな草月流を始めました。
2年前に師範の資格を頂き、コミュニティーセンター、自宅で教えています。
2月26日にブライダルのお仕事があり、初めて草月のスタイルで個人のお宅を
装飾しました。
これまでどちらかというと趣味のいけばなが、今回は実際の仕事となり、私に
とって記念すべき出来事でした。
竹のスタンドを使ったいけばな、巨大な流木をアンスリウム、アステリア、アー
ゲイブで装飾、庭の植え込み、垣根にいけばなを活けました。
もちろん、オーソドックスなブライダルブーケ、ブートニアも作りましたけれど。
オークランドは、ニュージーランドの中では都会ですし、コンサートやイベント
も多く、海に囲まれマリンスポーツも楽しめます。
おいしい中華、日本料理、イタリアンなどエスニックなレストランも多いです。
みな人それぞれであまり余計な干渉をされないのも、住み心地がいいです。
地震、台風などの災害、大気汚染は比較的少なく、適度の都会であるオークラン
ドは住みやすいと思います。
ニュージーランドは、人口が少ない分、就職の機会も少なく、若い人たちには困
難なこともあるかもしれません。
我が家の息子も含めまして、いい仕事を求めてオーストラリアに移住する人も多
いです。
日本の地方都市から東京へ行くような感覚で、ニュージーランドからオーストラ
リアに渡っていくようです。
最近の私の悩みは、日本からの観光客が減ったせいで、日本行きの直行便が減り、
航空料金が高いことです。
ニュージーランド航空は、20年前は東京、大阪だけでなく福岡、名古屋からも
直行便がでてました。
1993年2月2日、私たちは旧名古屋空港から出発しました。
その日はとても寒く、滑走路の隅に雪がかきよせられていたのを覚えています。
ところが、オークランドに到着すると夕方なのに青空が晴れ渡り、さわやかな夏
風が吹いてました。
オークランド空港と市内を結ぶMangere Bridgeから見る水面が。きらきら光
ってました。
不思議なもので、20年たった今、Mangere Bridgeに住み、20年前に見たお
なじ景色を毎日見て暮らしてます。
今朝も1時間ほど、海岸線を渡り鳥を眺めながら歩いてきました。
老いていく日本の母のこと、いろんな不安や心配事はあります。
しかし、考えてもどうにもならないこともあるし、日々小さな目標を達成しなが
ら、日々楽しく暮らして行きたいと思います。