オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その70 My house, my castle  30-07-10

2010-08-03 07:54:17 | 第61回ー70回
その70..              30-07-10

My house, my castle


娘夫婦が家を買いました。
ちょうど2週間前のオークションで、彼ら念願の一戸建てを勝ち取ることができ
ました。


娘夫婦は一年ほど前から家を探していました。
今年に入ってからは、週末のたびに“お母さん、ちょっと見に来てくれない?”とオープ
ンホームをいくつも付き合わされて、もういい加減決めてくれない、
と思ってました。
2週間前のオークションも、えー又、どうせ今度もだめだろう、と軽い気持ちで
主人とでかけました。


7月15日午後1時、その家の庭には50人近い人が集まってました。
予想以上の人です。
初めにこのオークションの主催者、Real Estate(不動産業者)から家についての
説明があります。
大勢の観衆のなかでオークションで実際ビットしたのは4人で、最後は娘婿とキ
ーウィー女性の対戦で、競はじめの価格から10万ドル以上の価格で、娘婿が競
り落としました。
観衆のほとんどは近所の人で、あわよくば自分達の家もいい値段で売れるかなと
見に来ていたようです。

この日のオークションでは、“Sold”とは言われませんでした。
なぜなら、最高の価格が家主のリザーブに到達しなかったからです。
しかし最高値をつけた娘婿に交渉をする権利があります。
娘婿は、$X00500。リザーブは$X30000でした。
まだ3万ドルの開きがあります。

この家のオーナーはイギリス在住で、時差のため、不動産屋を通じての
Negotiationは、イギリスが夜が明ける、こちらの夕方からスタートしました。
私達はどうせ今日中には決まらないだろうと思ってました。
ところが、12時過ぎに娘から電話がかかってきて$X10500で成立したと
言ってきました。
すぐに1割のデポジットを支払ったそうです。
不動産屋は6時から12時の間に3回娘夫婦に会いに来たそうです。

やり方は簡単に言うと、リザーブの$X30000に対して、書類にこちらの希
望価格を書く。
この書類を不動産屋がVender売り手つまり家主のところへ持っていく。
家主はちょっとさげて自分の希望価格をまた書き込む。
このやりとりを何回がするうちに、合意に達したら売買が成立します。
今回が家主がイギリスにいるため、お母さんが代理でサインしたそうです。


ここまでが不動産屋の仕事で、この後はお互いのSolicitor(司法書士)が代行
します。
プライベートセール以外は、売り手と買い手が直接やり取りすることはありませ
ん。
不動産屋は手数料として4%前後を売り手から受け取ります。

Settlement Date(契約成立日)までに、買い手は残金(のこりの9割)を自分
のSolicitorに支払います。
銀行からローンを借りる場合は、それまでに手続きを済ませる必要があります。
景気が悪くなってきたせいか、銀行でローンを借りる時のデポジットは、購入価格の
20%だといわれています。2-3年前までは10%でした。
おまけに金利は年間6-8%とけっこう高いです。
Settlement Dateは、双方の条件によって2ヵ月後とかいうこともあります。
今住んでいる家を売ってからお金が払えるとか、その逆の場合もあります。
今回はテナントがオークションのあった週にでたので、2週間と短いです。

買った物件の問題がある場合も、自分のSolicitorに使えます。
娘達の場合は、窓がしまりにくい、換気扇が汚いとかメジャーでない問題があっ
たようです。

買い手のSolicitorから残金を、売り手のSolicitorに支払います。
買い手のSolicitorは、自分の手数料を引いた残額を売り手に支払います。


Auctionで買った場合、unconditionalで買い手はcondition(条件)をつけることができ
ず、買う義務があります。


他の不動産の売られ方として、Tender, Negotiationの場合があります。
これらの場合は、conditionalとして条件をつけることができます。
条件としては、ローンが可能、ビルディングレポートの結果などがあります。

Tenderは、買い人が希望価格を書いた封筒を締切日までに不動産屋に送ります。
締切日に、すべての封筒があけられ、最高値をつけた人、あるいはオーナーが決
めた人に売ります。
価格は高いけどconditionが多いと、unconditionalで少し安い値段をつけた
人に売ったりします。
友人の代理としてTenderに立ち会った時は、最高値と最低に6万ドルもの開き
がありました。
Negotiationは、最初から交渉、上に書いた通りです。


最近オークランド市内では、たくさんの家が売りに出されています。
同じ通りに2-3軒の売り家があったりします。
今年の4月から賃貸住宅の修理費用が納税の時に経費として計上できなくなった
ことも、関係していると思います。
メンテナンス分をテナントに負担してもらおうということになって、賃貸の家賃
も上がっているそうです。


オープンホームに何回かつきあうと、だいたい娘夫婦の好みがわかってきます。

この家は1930年に建てられたヴィラをリノベートしたものです。
寝室3、バスルーム2、キッチン、リビングはワンルームで木の床です。
マスターベッドルームとリビングからデッキにでられるようになってます。
庭は市内としては割りに広く、孫が三輪車を乗りまわすのに十分な広さです。
この家は彼らの条件をほほ満たしていたようです。
現在はアパートメント住まいは、やはり庭つき一戸建てでした。


彼らの新居は、我が家からモートーウェイ20号線を使って10分くらいの市内にありま
す。
Mt EdenのDominion Rdをちょっとはいったところで、近くには中国系の大き
なスーパーマーケットやレストランがたくさんあります。
ダウンタウンまでは、車で20分くらいと便利です。


それにしても家が高い。
オークランド市内だと平均NZ60万ドルくらいしてます。
10年前の平均倍はしてます。
先日、Epsomの友達の家に行ったら、不動産屋からその家は1ミリオンドルの値
打ちがあると言われたそうです。
どこにでもあるような古ぼけたヴィラだけど、有名進学校の校区ということで破
格な値段がついているそうです。
その地区は、2ベッドルームの家でもハーフミリオン、50万ドルぐらいします。


娘達が買った家の値段も、私達の予想以上でした。
昔に比べるとお給料も上がっているし、今はそんなものかと思いました。
若い二人、どっかからスタートする必要があるし、仕方ないですね。
ファーストホームオーナーとして、二人はこれから学んでいくことも多いと思い
ます。

明日は娘夫婦の家のsettlement dateです。
うまくいくことを祈ってます。


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その69 シドニーでの草月いけばなイベント 22-06-10

2010-06-29 03:44:29 | 第61回ー70回
シドニーでの草月いけばなイベント

5月18-22日までシドニーにいけばな草月流のイベントに行ってきました。
オーストラリア、ニュージーランドに草月流が創始されてから50年たち、その
記念として50 Golden Years of Sogetsu, Australia and New Zealandが行
われました。
ニュージーランド、オークランドからは私の先生の社中を中心に10名、クライ
ストチャーチから5名、ウェリングトンから10名の参加でした。
地元オーストラリアは、80名ほどの圧倒的に多く、なかにはインド、モスクワ
からの参加者もいました。

草月流の公式サイトのお家元の報告記”おもいでの花束“に、シドニーのイベン
トのことが載っています。

http://www.sogetsu.or.jp/english/index.html


オーストラリア、ニュージーランドの草月流は、50年前、Norman Spanon氏に
よって始められました。
Spanon氏は、池坊も同時にオーストラリアに紹介しました。
草月流の創始者、勅使河原蒼風氏の友人であったSpanon氏は、日本で伝統的な
池坊とモダンな草月流を学び、オーストラリアに戻り日本のいけばなの普及に努
めました。
今私の手元に、Norman Spanon氏の著書“A Guide to Japanese Flower
Arrangement”1964年発行の本があります。
花のサークルのガレージセールで買ったものです。いけばなのテキストとして使
われていたらしく、書き込みがあります。
少し古ぼけているけれど、Spanon氏のいけばなは、明快でとてもわかりやすく、
英語で解説されています。

現在、オーストラリア、ニュージーランドの草月流のグループは、Spanon氏から
直接習った人達や、其の弟子が中心になっています。
当初のメンバーは、80歳を超える人がほとんで、今は世代交代の時期にありま
す。
うちの社中のValも、草月立ち上げのメンバーであることを、最後のディナーの
スライドショウで知りました。


今回は、久しぶりに旦那との旅行でした。
到着のあくる日、5月16日(月)、この日だけは私の予定のない日でした。
あいにくの雨だし、自分達で動き回るのは億劫なので、hop-on &offバスに乗り
ました。シドニーに歴史などが、テープで流されるので車窓から眺めながら、だ
いたいのシドニーのイメージがつかめました。
残りの日は、旦那は、私がでかけている間、友人に会ったりショッピングを楽し
んだようでした。


5月18日(火)はいけばな展でした。
私の先生やニュージーランドからの出展者は2-3日前に到着し、準備されたよ
うです。
オーストラリア地元の方の作品は、みみずくのような大きなバンクシャ、ストレ
ッチア、大きなやしの葉を使ったものが目にとまりました。
お隣の国ながら、ニュージーランドとは生態系がちがうので、新鮮に映ります。
同じオーストラリアでも、州が違うと植物の持ち込みができす、アデレーからの
出展者の方は、自分のイメージにあう材料集めに苦労したと話しておられました。


5月19日(水)午後1時半から2時間にわたり、お家元勅使河原茜氏のデモ
ンストレーションがありました。
入場料OZ$55にもかかわらず、700人収容のホールは満員でした。
国際的なイベントとはいえ、シドニーの花の芸術に興味を持つ層の厚さを感じま
した。ニュージーランドではとてもこんなには集まらないと思います。
シドニーはオセアニアの東京、都会ですね。

デモは20人ほどのスタッフにお家元が指示をだし、ステージいっぱいに立体の
オブジェを構築し、お家元が花を活けていきます。
音楽にあわせ、ブルーとオレンジの板の立体が組まれていきました。
赤みがかったオレンジ色はオーストラリアをイメージしたものだそうです。
デモの間にステージ上、客席の上方でも中型のいけばなのデモもありました。
このようなショウ化されたデモを見るのは初めてで、大変感激しました。

お家元のお手伝いをされていた私の先生によると、前日は、デザインどうりに時
間内にタイミングよく、スタッフが動けるまで何度もリハーサルをされたようで
す。
デモの中で、竹を掛け声をかけて割ると、中からコバルトブルーが竹のふちの白
に映え、会場からはワッという歓声があがりました。
竹の節を抜いて、事前に着色してあったのです。


5月20、21日はいけばなワークショップに参加しました。
80人ほどの参加者の内、日本人は10人ぐらいでした。

午前、午後一つずつの課題で、2日間で4つの課題を学びました。
20日、午前“With Leaves only”、午後は“With Flowers only”でした。
お家元のデモ2点のあと、45分で参加者各自が活けます。
全員が活け終わったところで、お家元が一点づつコメント、アドバイスをして下
さいました。

“With Leaves only”は、葉ものを2種以上使って、いけばなを活けます。
午後の、“With Flowers only”は、花もの2種類以上使い活けます。
普通、いけばなでは花と枝物の組み合わせが多いのですが、これは花だけでいけ
ます。

21日の午前中は、“Simplified Arrangement”(単純化の極)でした。
植物の究極の形を追求して活けます。

午後は、“Colours in the Same Tonal or Colours in Contract”(色をい
ける、対比または同系色)でした。

参加者は、まだテキストも終了していない生徒から、日本、外国で先生としての
経験を積まれた、いわばプロの教師もいて、レベルもさまざまでした。

お家元は、一点づつ丁寧に批評され、自ら手を加えて直して下さいました。
私の作品も直して下さったので、Before、Afterの写真を撮りました。
日本では、お家元から直接指導を受けることはまずないだろうし、きっと前にも
後にもこれっきりの貴重な体験でした。

草月流では、2007年に新しいカリキュラムになり、新しい課題が加わりまし
た。お花をたくさん使い、いろどりも豊かで、現在のお家元の華やかな影響がで
ていると思います。


いけばなという日本の芸術を伝えていくためには、おのおのが研鑽に励むことも
大切ですが、組織を運営し、展覧会をして一般人の感動を伝え、継続していくこ
とが非常に重要です。
芸術は、形や音を表現するものですが、観客、それをささえていく組織の維持は
大変なことだなと思いました。

シドニー草月支部の尽力のおかげで、今回のイベントは参加した私達にも実り多
いものでした。
今月はシドニーで見たこと、ワークショックの他の方のまねなどおけいこでやっ
てます。
こうやってでていくと触発され、イメージがどんどんふくらんで、活けて形にし
なえではいられない気持ちになり、しばらくは楽しめそうです。
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その68 6人目誕生 10-05-10

2010-06-01 10:53:42 | 第61回ー70回
その68      10-05-10

6人目誕生


我が家のお隣に6人目の子供が生まれました。
お隣は、15歳、13歳、11歳の男の子、かなり間が空いて2歳の男の子、1歳
女の子、新生児の男の子です。

これ見て一般の発想は、「ベネフィット(生活保護)、週いくらもらえるんだ
ろう」
お父ちゃんは昼間も家にいて、働いている様子がない。たぶんbenefitもらって
るだろう。
たぶん、週NZ$1000くらいは、政府からもらっていると思います。
月にして$4000.生活感覚で言うと、NZ$1が100円だとして、月40万
円の収入になります。
そしたらまともに働くより、ベネフィット貰ってるほうが得だよね。


日本で生活保護を受けれいたらかなり肩身の狭い思いをするだろうけど、ここの
人達は堂々と暮らしてます。


最近お隣は、免許を取った長男のために中古車を買ったし、車3台になりました。
上の男の子3人は柔道を習っているらしく、夕方胴衣を来てでかけていきます。
音楽好きでドラムとかもあるし。
結構豊かな暮らしぶりです。

次々に子供を作って、ベネフィットを増やしているという感じ。
ちなみに、ニュージーランドでは出産にかかる費用、検査、定期健診も含めて
無料です。
子供が18歳になるまで、子供分のベネフィットを受け取ることができます。


オークランドで子供二人の家庭のD.P.B(Domestic Purposes Benefit)は、
平均週$580です.
2009年の平均収入は一人あたり週$538.
この数字見てもわかるように、まともに働くほうが収入が少ないのです。

D.P.Bの世帯は家賃などの補助を受けられ、母親はただでポリテックなどの
コースを受講できます。


今の法律だと、D.P.B.貰っているシングルペアレントは、一番下の子供が
14歳になるまで働かなくてもいいことになってます。
ニュージーランドでは、14歳以下の子供を家でお留守番させるのは法律違反です。
つまり、学校とか行ってる時間以外はだれか大人がついていなければならないと
いう訳です。
それで末の子が14歳になるまでは、無理して働かなくてもいいよという感じで
す。


私達が日本にいたとき、娘は小学一年生からかぎっ子でした。
学童保育から帰り、私がもどるまでご飯たいて留守番してました。
最近、日本では子供だけで留守番してて火事やら事故にあうニュースを耳にしま
すよね。ここではそういうことはありません。


ちょっと話がそれましたが、最近Social Development & Employment
Minister(福祉と雇用大臣)の Paula Bennettは、D.P.Bの改革案を打ち
出しました。
彼女自身もソローマザーで、D.P.Bを受け取って時期もあったそうです。

それは一番下の子供が6歳、つまり小学校にあがったら、パートタイムなどの仕
事につきなさい、ということです。
これまでの14歳が6歳に引き上げられるのですから、福祉の大改革です。

しかし、学歴も技術もない女性が、パートタイムでかせげるお金はわずかです。
子供が学校へ行ってるあいだ、9時ー5時の仕事は限られてますしね。


離婚とかで困った女性を助けるためにはD.P.Bはいいけど、働き盛りを家
でのんびり暮らし、キャリアを積み上げる努力をおこたっている気がします。
親がD.P.Bの家庭は、子供もD.P.Dをもらうことになりやすいそうです。
今のナショナルの政府はこの悪循環を断ち切るため、改革を試みているのだと
思います。

D.P.B受給者の44%はマオリ(NZの先住民族)で、全体の90%は女性
です。

私達は、1985年にビルマから日本に帰った時に、子供二人を保育所に預けて
働き始めました。
その時、前年の日本の収入がないということで、保育料がほとんとただで助かり
ました。
日本の公立の保育料金は、世帯の収入に応じているし、片親が亡くなったりして
働かなくてはならなくなった場合、緊急で保育所は子供を受け入れてくれます。
学童保育も月5000円くらいで、土曜日、夏休みなどもずっと開所してました。


それに比べニュージーランドの保育環境はまだまだ立ち遅れていると思います。
孫の保育料は週$250、月$1000です。
学童保育は一時間$8、休み中のホリデープログラムは民営で日ごとにアクティ
ビティー選べるのはいいけど、高い日は一日$60もします。
低所得家庭は、週20時間まで保育料の免除が受けられ、ナニー、学童保育に支
払ったお金は税金の還付の対象になりますが、それでも高くつきます。
両親がある程度いいお給料もらってないと、保育所に入れられません。

そしたら頑張って働くより、ソローマザーになって家で子供を見て、ベネフィッ
トもらっているほうが、経済的にも恵まれ楽ということになります。

新改革についても、6年ごとに子供を生めばD.P.Bがもらえ続けではないか
と悪評する人もあります。


こんな小さな国でどこからそういった財源がでてくるのか、いつも不思議です。
ここは、まともに働いている人の税金は高く、平均33%、消費税は12.5%
と税金が高いのでそれでまかなえるのかもしれません。消費税も近々15%に値
上げされるようです。


日本の生活保護制度はあまりに厳しく、人道的にどうかと思われこともあります。
前日、Paula BennettとD.P.Bの母親達の対談をテレビでやってました。
ある母親曰く、子供が帰宅した時に家にいてあげたい、14歳までは家で子供をみ
たいと言ってました。

私は、子供達が小さい頃、土日も出勤、息子が熱をだしても休めなくて、友人に
面倒見てもらったこともありました。
今の日本の働くお母さんも、たいして私と状況はかわらないと思います。
こういった考えが体に染み付いているせいかもしれないけれど、ニュージーラン
ドの制度はなんとも生ぬるいです。


ちょっと今のやりかたはおかしいと言い始めた、ニュージーランド福祉の改革の
ゆくえを見守っていきたいと思います。


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その67  ワイヘケ島ワイナリー巡り 13-04-10

2010-04-21 13:03:21 | 第61回ー70回
その67 13-04-10

ワイヘケ島ワイナリー巡り


3月の最後の日曜日、夫とWaiheke Island(ワイヘケ島)へ行ってきました。

朝九時前ダウンタウンのカーパークに車を停め、カスタムストリートのフェリー
乗り場に向います。
日曜の朝ということで、フェリー乗り場はにぎわってました。
ワイヘケ島のワイナリーで結婚式に参加するらしい、ドレスアップしたグループ
もいました。ピクニックやビーチに行く人たちもいました。


フェリーの料金は往復で$32.夫はSuper Gold Cardを持っているのでただ
です。最近年金生活者がフェリーを利用しすぎるのではないかと、テレビのニュ
ースでやってました。
ワイヘケ島はシニアのグループツアーで人気です。

ニュージーランドでは、65歳でSuperannuation(政府の年金)もらえるように
なると、Super Gold Cardがもらえます。
このカードを提示すると、バスなどの公共の交通機関が無料、その他映画館が半
額などさまざまな割引があります。


ちなみに、ニュージーランドの政府の年金は、ニュージーランド市民、永住者な
らだれでもほほ同額支給されます。
年金は国民年金などから支払った分からではなく、国家資金から支払われます。
年金制度の話は、次の機会に詳しくしますね。


オークランドから40分ほどクルーズを楽しみ、ワイヘケ島のMatiatia Bayフ
ェリーターミナルに到着しました。
10年ほど前に来た時より、建物も新しくなっていました。
向かいのバス乗り場からFuller Vineyard Hopperバスに乗り、ワイナリー巡り
に出発です。
このバスは$15で、ワイナリー数箇所とフェリーターミナルの間を回り、一日
何回でも乗り降り可能です。
夏の間4月末まで運行されてます。
ワイヘケのワイナリーは夏の間、11月から4月の間しか開いていないところも多
いです。
今のシーズンは収穫前のブドウがなっているところも見れ、ワイナリー巡りには
いい季節です。

http://www.fullers.co.nz/news-events/Fullersvineyardhopperbus.php


朝一番だったこともあり、乗客は私達だけでした。
まず一周して島の景色を楽しみました。
この日は晴天で、オークランド側まで見渡せいい気分でした。


2週目にMudbrickワイナリーで下車しました。

私達は、一人$10のワインテイスティングを頼みました。
試したのはこの通り、

Reserve Riesling 2008, Marlborough
Reserve Viognier 09, Waiheke
Reserve Chardonnay 09, Waiheke
Reserve Merlot/Cabernet Sauvignon 08, Waiheke
Cabernet Sauvignon/Marlot 08, Waiheke
Reserve Syrah 08, Waiheke

Mudbrickのスタッフの説明によると、ワイヘケのブドウ生産は赤が主で、白ワ
インの品種は20%ほどだそうです。
赤はMerlotが主に作られてます。
夫の好きなpinot noir は、ワイヘケでは作っておらず、南島のちょっと寒いと
ころで栽培されているそうです。
Merlotや Syrahは暖かい土地に向いているそうです。

温暖な気候、雨が少ないこと、火山岩の地質などブドウ栽培にむく条件が、ワイ
ヘケにそろってます。
最近では、オリーブの生産量も増えているそうです。


次に行ったのがKennedy Pointワイナリー。
ここはもうひとつのフェリーターミナルを見下ろすような丘の上にありました。
まわりにはポフツカワ(ニュージーランドクリスマスツリー)の巨木があり、12
月頃には赤い花が咲きみごとだろうなと思いました。
ここでチーズ、パテ、生ハムなどの軽いランチを取りました。お勧めのMerlot
を飲んだら、すっかりくつろいだ気分になりおかわりしてしまいました。


暑くなってきたし、これ以上ワイナリー回るのが面倒になり、オークランドに戻
りました。
ワイヘケで買ったワインを、これからなにかのイベントごとにあけるのが楽しみ
です。
今回は行かなかったけれど、GoldwaterのMerlotがスーパーのバーゲンででて
いて買ってみました。
Goldwaterは1978年にワイヘケ島でブドウの栽培を始めたパイオニアーです。


ワイヘケ島の不動産パンフには、2-3ミリオンもするような立派な別荘がのって
ました。
フェリーでしか行けず、水道水はなくタンクウォーターに頼っていて、物価も高
いし、明らかに、海外のリッチなバイヤーをターゲットにした物件だなと思いま
した。

オークランドからわずか40分のワイヘケ島は、平和な別天地のようで、夫とこ
んなところにいたら世間などどうでもよくなるよね、と話しました。
しかし、ワイヘケ島に住めるのはスーパーリッチな人たちで、私達のような庶民
はたまにでかけてワインを楽しむ程度です。

オークランド周辺には、Kumeu, Matakanaなど日帰りで行けるワインの産地があ
り、ワイン好きにはもってこいです。
また別に機会に紹介したいと思います。

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その66  ニュージーランドで草月いけばな 10-03-10

2010-04-21 12:59:00 | 第61回ー70回
その66                      10-03-10

ニュージーランドで草月いけばな


2006年9月から草月流にいけばなを習っています。
フラワーデザイン歴35年と比べると、いけばなは私はまだまだ初心者です。
昨年には、草月流テキストを終了し、「志香」という雅号を頂きました。
草月のテキストは英語、日本語で書かれており、モダンが花型も多く、海外の
会員も多いのです。
5月にはお隣のオーストラリア、シドニーでお家元勅使河原茜氏をお迎えして
のイベントが催されます。オーストラリアの草月流は50周年を迎えます。

ニュージーランドで草月流のいけばなのおけいこは、自分でお花と花器を持っ
て行きます。
日本ですと、お花屋さんがおけいこ花を用意してくれ、生徒さん全員が同じお
花ということも珍しくありません。
お花はフローリストで買えますが、枝物は自宅の庭や友人宅から切って行きま
す。
最初の頃は、用意した材料が課題にあっていなくてうまく活けられないことも
ありました。


草月流家元勅使河原蒼風氏のお言葉に、「環境から生まれたように」があります。
日本なら日本の環境で、ニュージーランドならニュージーランドの環境に調和
した花を活けることだと思います。


私の社中では、オークランドの日本人のお祭り、ジャパンデイで毎年いけばな
展示をしています。
今年も、2月28日にオークランド日本人会のイベント、ジャパンデイが催さ
れした。

ジャパンデイのいけばな展は社中展ということで、経験50年というベテラン
から、始めて間もない新人の方の作品を皆様に見て頂きます。社中展のいいと
ころは、初心者の方でも、テキストに沿い草月流の花型法で出展できます。
花型法は基本とはいえ、高度に完成した形なので、花、枝の作り出す美しさが
感じられます。その一方、ベテランの方達はご自分のテーマに従い、創作され
ます。
私は今回はニュージーランドフラックス(にゅうさいラン)を使った作品を出品
しました。
ニュージーランドフラックスは、どこでも手にいり、私達にとってとても身近
は花材です。
ニュージーランドの原住民のマオリ人は、フラックスをスカートやバスケット、
煎じて薬としたりと生活に幅広く役立てていました。
最近は、日本のいけばな界でも注目されつつあるそうです。作品はフラックス
を結んで止めて輪を作り、その組み合わせの空間に真っ赤なアンスリスムを取
り合わせてみました。

前回は、庭の白樺の枝の作品をだしました。
その年の11月中旬、ジャパンデイはもうすぐそこなのに、私の頭は空っぽ、
なんのアイディアも浮かんできません。
そんなある日、夫は庭の白樺10本をばっさりと2メートルほど剪定してしま
いました。
私は、細い枝先についた葉が風でそよそよ揺れるのが好きだったので、呆れる
というより、とても残念でした。
小山のように積み上げられた枝の残骸を前に、これを使って何かできないだろ
うがと思いました。まずは葉っぱを取るという作業をとりかかりました。麦藁
帽子をかぶって座り込み、3時間近く、通行人の目を気にしながら5-6本の
枝の葉を全部取りました。
そうするとこげ茶色の細い柔らかい線が見えてきました。
前に習った「くりかえし」のいけばなにしよう。せっかくの長い枝だから、天
に届くような線をだして見ようと思いました。
「くりかえし」は、草月流テキスト3にある課題で、丸とか三角とかの同じ形
のユニットを5個以上使いいけるものです。
まだ青臭い匂いの残る枝をまとめて、大小さまざまな輪を作りました。
家にあったアルトトロメリアに合わせて、タイチェンマイ産の黒の大壷に試作
してみました。
数日間、床の間に飾り、そこを通るたび眺め考えます。この花の位置が気に入
らない、会場にはもっと大きいのがいいのかななどと考えが浮かびます。

当日、たての添え木止めで2メートル近い主枝をたてました。これがしっかり
していないと最後までうまくいきません。それに合わせて縦横中心に大小の枝
の輪を組み合わせていきます。枝の強さ、空間にあわせ濃淡2色のエンジ色の
アルトトロメリアのマッスを作ります。
茶色の枝、花の赤のマッスでは退屈なので、白の先のくねったオニソーガラム
をアクセントに入れました。

予定のない日曜日に、庭の手入れをするのは、自分が自然の中に溶け込んだよ
うで心安らぎます。
ぬけるような青空の下で、草の匂い、風になびく木の枝先の動き、手が触れた
草花の材質を感じます。
ニュージーランドの自然からインスピレーションを得て、いけばなを活けるの
はとても幸せなことだと思います。




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その65 夢の国、 Nippon 12-02-10

2010-02-19 02:17:21 | 第61回ー70回
その65  夢の国、Nippon  12-02-10

今回は全然ちがうトピックスで書こうとしていたのですが、モントリオールのは
なさんのメルマガを読んで気が変わりました。

はなさんのメルマガ記載のケント・ナガノ氏のインタビュー記事が実によく、こ
こ最近私が感じていることを言いえていて関心しました。
去年8月、Madame butterflyのオペラに行き、この出たっきり邦人のメルマガ
にも書きました。西洋人からの日本の音楽のアプローチも、ケント氏がうまく説
明されてますよね。
はなさん、紹介して下さってありがとう。


夕べ、久しぶりに2歳半の孫と電話で話をしました。
12,1月、私は日本へ2回行き多忙だったし、今は台湾から娘婿のご両親が見え
ているので、この頃私は子守を免れてます。

私 「ようちゃん、元気?」
孫 「How are you? ばあちゃん
   I’m eating Broccoli、とうふ andごはん。
   I went to swimming pool 」
   
ここ2-3ヶ月で、孫はもう完全に英語の会話が身について、日本語は単語くら
いしか使わないようになっていました。
毎日デイケアで英語をしゃべっているわけだから当然ですか。
例のケント氏のように、3歳というのは言語習得の第一の区切りだと思います。

うちに来ると孫は、「三匹のこぶた」、「ねずみの嫁入り」、「桃太郎」といっ
た日本の昔話や、私が子供達にも読んでやった「ガッタンゴットン」「もうねん
ね」「あいうえ おうさま」などの絵本を私に読んでもらうのが大好きです。
日本の絵本は、日本に帰国された友人からもらったものや、私が日本から買って
きたものです。

子守唄は、「赤い鳥小鳥」「五木の子守唄」「ゆりかご」といった昭和の童謡を
歌ってやります。
孫は私とは歌わないのに、家に帰って、「あかいとりことり、なぜなぜあかい 
あかいみをたべた ……」と歌うそうです。


1月に日本に帰った時、幼稚園の先生をしている姪と話す機会がありました。
姪曰く、今の日本の子供達は桃太郎とかあまり知らないそうです。
日本の童謡もしかりです。

ケント氏も述べておられるように、孫が知っているのは、私や娘を通した日本で
す。
私の22歳までと、一時帰国で家族ですごした1985年から 1992年までの日本で
す。
私は私が知ってる日本しか孫に伝えられないし、自分がいいと思える日本の文化
を孫に伝えたいと思います。
あえて最近流行の絵本を日本から手に入れ、孫に読んでやる気もありません。

昔話は案外言葉が難しく、どこまで孫が理解しているかなと思います。
でも雰囲気、挿絵、繰り返しによって内容がわかるようで、「やまんば こわー
い」と言います。今の日本は子供はやまんば知ってるんでしょうかね?



1月に女友達3人で、持ち寄りランチをしました。
N子さんは筑前煮、R子さんはレンコンのピリ辛煮、私は高菜飯と黄な粉もちを
作りました。普段は旦那のために西洋料理を作っているので、こういう時は自分
達が食べたいものを持ち寄ります。

R子さんとN子さんの夫はキーウィーで、私の夫はビルマ人でみんな国際結婚組
です。


R子さんが相談があるんだけどと切り出した内容は、

R子さんの息子が、去年一ヶ月鹿児島の中学に留学したそうです。
ハーフで英語をしゃべる(NZ育ちだから当たり前ですが)彼は、学校でおおモテ
で、ちょっとした天狗になってニュージーランドに帰ってきたそうです。
息子は、将来は大学で日本語を勉強して(この彼も3歳児程度の日本語しかでき
ません)、日本に行って働いてみたいと言ってるそうです。
日本の女学生から熱烈なラブレターも来たそうです。
彼女は、息子が日本人のお嫁さんをもらうことにでもなったらとても困る、つき
あいきれないと言ってました。
自分が日本人なのにです。

母親としてR子さんは、子供が日本で働くことをどう思うかと、私達に聞きまし
た。

N子さんの意見
あんまりしょっちゅう、息子さんを日本にやらないことね。
日本語専攻以外で、まともにここの大学に行くほうがいいと思う。


ニュージーランド育ちの日本とのハーフの子供達は、日本を夢の国のように思い、
ティーンエイジャーになると日本に行きたがる子が多いそうです。
日本はやさしいおじいちゃん、おばあちゃんがいるしゲームなど若者好みのもの
であふれています。
小さい時から、アンデンティティーは、NZ人なのに、アジア系ということで差別
も受けます。そういった経験からも、彼らの中で日本は美化されていきます。
でも現実は厳しい、日本の単一文化の中で外国人が生きていく厳しさを、夫の苦
労を通じて日本人妻達は身にしみて知っています。

だから、日本人だから日本にあこがれる、よかったねとはならないのです。

日本で英語教師とかしてなんとか生活を立てられるかもしれないけど、その収入
には限りがあります。
それに日本以外での就職のチャンスがありません。
ニュージーランドの大学に行き、エンジニアなどの技術を身に付ければ、英語圏
どこでも仕事ができます。
その上で日本語が堪能ならば、外国人として日本でのプロジェクトに派遣され重
宝がられるかもしれません。
まず自分の専門で勝負し、キャリアーをつんで行くほうが、子供達の将来が明る
いしチャンスも多いと思うと、N子さんは言います。


N子さんは、息子二人がキーウィー女性と結婚してよかったと言います。

私達は日本人であるけど、長年の外国暮らしで日本にいる日本人と感覚がずれて
きているを自覚してます。
N子さんは、自分が半分キーウィー化してるから、日本人のお嫁さんだと、親戚
とうまくつきあえないどではないかと思います。


今回の帰国で、私は日本の親戚や弁護士と、長女としてやりとりする機会が多く
ありました。たぶん、はっきりした物言いや要求は、場違いと思われていたかも
しれません。
「お姉さんは、外国暮らしが長いからしかたがないね」と周囲は思っていたと思
います。
これは、まだ自分の家族だから許されるけれど、義母だったら、息子のパートナ
ーやご両親から「話にならん」と思われるでしょう。

私は平均一年に一回日本に帰ります。
でも、旅行者のようにふるまい、出張先は海外とのやりとりの多いところだし、
私のような人間に慣れてます。

たぶん私は今、微妙なところで日本人でなくなってきています。


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その64 捨てる文化 12-01-10

2010-02-19 02:10:53 | 第61回ー70回
その64 捨てる文化 12-01-10


皆様、年末年始はいかがお過ごしでしたか。

この年末は私にとって、一生忘れられない出来事がありました。
12月22日に日本の実家の父が亡くなりました。
そのため、12月11-28日まで帰国、今月の20-27日は、四十九日の法要に帰り
ます。
クリスマス休暇中とはいえ、我が家の用事、仕事の調整に追われてます。
ここ2-3ヶ月は、時間の上でも心理的にも影響がでると思います。
なるべく普通通りの生活を心がけるつもりですが、メルマガのほうは配信するのがやっと
という状態です。
心にいろんな思いがあっても、文字としてお伝えするまでには、しばし時間がかかると思
います。この思いは、今は未整理のまま心の引き出しにしまっておきたいのです。


私は、18歳の大学進学と同時に親の家を出ました。
大学卒業してすぐ、主人の国ビルマに渡り、ここ17年はニュージーランド在住です。
ほとんど外国住まいで、めったに実家にいない娘なのに、父の臨終を看取ることができ、
本当によかったと思いました。



今回2週間実家に滞在して毎日毎日やっていたことは、整理整頓、ごみ出しでした。
このような事情で家を片付けねばならず、妹と二人、2週間、片っ端から整理していき
ました。
両親にとって大切だったものも、私達が保管できる量には限りがあるので、選択し、
不必要なものは捨てねばなりません。
私のお宮参りの着物(50数年前)、幼稚園の時の使っていたアルマイトのお弁当箱から、
私が海外から出した手紙すべて、写真とありとあらゆるものがありました。
昔は、アルマイトのお弁当箱にご飯を入れて行き、幼稚園の教室の真ん中にある石炭スーブで暖めて食べたっけと、一瞬タイムスリップをしました。
でも残せない、私が捨てました。

業者に頼めば、一日で片付くと思います。
でもその前に、貴重品、大切なものの選び出し作業をしなければなりません。
たんす貯金とまではいかなくても、母はお祝いの時に使うつもりで、新しい一万円札を食
器戸棚とか、家計簿にはさんだりしてました。
封筒もいちいち開けてみないと、お金をごみと一緒に捨ててしまいそうです。


私と妹の頭痛の種は、ごみの捨て方でした。
実家の地区は、月、木は生ごみ、火曜はペットボトル、水曜はプラスチック、木曜は紙類、
金曜はビン缶と決まってました。
それぞれ所定のごみ袋に入れ、記名して朝7時から8時半の間に町内のごみ捨て場に持っ
ていかなければなりません。

オークランドでは、うちの地区は普通のごみは毎週月曜、リサイクルのごみは黄色のふた
のビンになんでもいれてよく2週間おきに取りにきます。
リサイクルビンは、新聞もペットボトルもなんでも一緒くた、仕分けは回収後、市の業者
がします。
家の横にだしておけば、ごみトラックでががっと持って行きます。

日本では市民に仕分けさせるのですね。
ゴミ捨て場まで何往復もしなければならないし。
妹が、プラスチックごみの袋にタッパーをいれたら、夕方町内に係りの方が、これはプラ
スチックごみではないと、返しに来られました。
「ああそうだったんですが。ごめんなさい」と外国生活の長い私、都会人の妹は平謝りで
した。


実家での2週間の間、町内全体のごみより、うち一軒のごみのほうがはるかに多かったで
す。
田舎のことで、普段見かけない人が出入りしているし、異常なごみの量といい、
何か普通でないことがおこっていると、ご近所で噂になっていたと思います。
それにしても、日本の家は物が大過ぎ、実家はトイレットペーパーなど買いだめしすぎで
す。


今回のことで、私は海外に住むことで、知らず知らずのうちに自分の持ち物の仕分け術を
学んだのだと悟りました。
海外引越しはコンテナを頼むとしても、100万仕事でお金がかかります。
本当に必要なものしか持っていけません。

今は、私にしてはかなり長く10年間同じ家に住んでます。
日本に帰国した友人のものも預かっているし、物置にはジャンクがたまりつつあります。
それでも、学校のバザー、難民への寄付、チャリティーなど、不要なものをだすための
システムが出来上がってます。
それ以外の時にごみを捨てたければ、小学校のリサイクルコーナーに入れれば、
学校への寄付となります。

私は1シーズン着なかった服は捨てる、一枚買ったら、一枚捨てるようにしてます。
旦那が設計した我が家は四方窓で、壁が少なく余分な家具が置けません。
お台所のカバット(cup board, 食器戸棚)も小さくて、建築当時は私は文句言ってまし
た。
旦那曰く、手が届く範囲以外は使わないので、余分な食器は持たなくていい、とのこと。
そのため収納しにくい日本の食器はあまりなく、来客が多いため洋皿は20枚くらいずつ
あります。洋食器は重ねられるので収納しやすいのです。



いつ死んでも恥をかかないように、残された人に迷惑がかからぬよう、年末年始、私も荷
物の整理をしました。
そのためおとといのゴミの日は、20リットルのリサイクルビンに入りきれず、2週後に
繰越すくらいごみがでました。

自治体としてごみを増やさないために、2週間で20リットルまでとするのは、ある意味
合理的かなと思いました。
日本は、ごみ袋代さえ気にしなければ、いくらでもごみがだせますものね。

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その63 Yellow River コンサート

2010-01-07 10:26:28 | 第61回ー70回

..`63..

Yellow Riverコンサート  11-12-09

  
 
 先週の日曜日、Manukau オーケストラの公演に行ってきました。
 今年は、メサイヤに行きそびれたし、なんかコンサートに行かないと年がこせ
 ないような気がしていたのです。
 
 この公演は12月5,6日と2日間あるのでチケットまだ残っているだろうと
 思ってました。
 ところが、私の考えが甘かった。
 取れたのは安い$28の席、そして入ってびっくり、最前列でソリストの唾が
 
 かかるくらい近い席でした。
 
 第一部はオーケストラとピアニストChenyin Liの演奏。
 チャイコフスキーのNo.1 in Bb minorでした。
 Chenyinの力強い演奏に魅了されました。
 15年ほどまえ、旦那がまだ大学で教えていた頃、Chenyinはオークランド大
 学音楽家に留学してました。
 その時以来、彼女のファンです。
 
 第二部は中国の有名なカンタータ黄河でした。
 この合唱団の代表を友人のIrisがやっています。
 合唱とソリストは中国から来ていました。
 合唱も100人もいると、迫力があります。
 中国人のソプラノ歌手は、感情表現がとても上手でした。
 何を言っているのか、わからなかったけれど。
 
 ピアニストの指先の動き、指揮者のアクション、第一バイオリンの音が楽しめ
 ました。オーケストラはあまりに近すぎて、全体の響きが聞こえなくて、音楽
 を鑑賞したとはいえなかったです。
 
 オークランドもやっと夏らしくなってきました。
 ポトフカワの木が真っ赤に色つき始めました。
 
 皆様、楽しいクリスマス、よいお正月をお迎え下さい。
 
 
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その62 パーネルローズガーデンフェスティバル 13-11-09

2009-11-20 14:44:44 | 第61回ー70回
..`62..                   13-11-09

パーネル ローズフェスティバル


10月31日はハロウィーン、11月5日はガイフォークスデイとこの1週間
イベント続きです。その間の日曜にローズフェスティバルにも行きました。



10月31日のハローウィーンは、ロリーポップとあめを用意して子供達にあげ
ました。
うちは通りに面していて、オレンジ色の目立つ家のせいか、子供がたくさん来ま
した。恐ろしいコスチュームが多くて、あまりおもしろくなかったけどね。
最初ロリーポップ一本づつ渡したら足りなくなって、あめを2個ずつ。
たまたま泊まりに来ていた2歳の孫は、ハロウィーン初体験しました。
ピンポンがなると、孫は” Trick or treat coming”と言って玄関に行き、
神妙な顔して、何かの儀式のように、飴を子供達に配給してました。
” Trick or treat”の “treat”の言葉を其の晩覚えました。
ご時勢がら、エコバックの子が多かった。
数年前まではスーパーの袋でした。


忙しい合間をぬって、11月1日にパーネルローズガーデンの”festival of
Rose”に旦那と孫で行ってきました。
私の仕事場がパーネルにあるし、このローズフェスティバルは地元のお祭りって
感じですね。

11時前に着いたのに、駐車場はいっぱいで、道の両側にもきっちり車が止まっ
てました。
それでちょっと裏道に入ると、まだ空いてるとこがありました。
そこからローズガーデンにぬける歩道沿いにちょっとした公園を発見しました。
テニスコートと人家に囲まれ、車道に面してないのでここなら孫を安全に遊ばせ
られそうです。


ローズガーデンに着き、旦那の第一のお目当ては屋台。
旦那は毎年ここで、インドのマサラドーサを食べるのを楽しみにしてます。
隣は、たこ焼きと大判焼き屋さん。中国人がやってました。
旦那はたこ焼きを食べたがったけど、どうも冷凍のを鉄板で焼いただけのような
ので却下。

早速マサラドーサを買って、ベンチに座りコーヒーも買ってきて食べました。
マサラドーサは、バリッとした薄焼きのクレープ状のもののなかにカレー味のマ
ッシュポテトが入ってます。ひよこ豆のソース、インド風トマトスープと食べま
す。$10でした。

次に食べたのは、ギリシャのLangos.
揚げパンにガーリック塗り、シーソルトを振ってました。これは$4.
まあまあのお味でした。初めて食べるし、本物が何か知らないから、こんなもの
かなと思いました。


パエレアはまだ仕込み中で、出来上がるのは30分後といわれ、先に他のお店を
見に行くことにしました。
パエレア専用の直径1,5mくらいの浅いフライパンに鳥肉や、えびをオリーブ
オイルで焼いていて、それだけでもおいしそうです。
仕込みを見てるのもなかなかおもしろいです。
ローズガーデンを一周してきたら、できあがっていて、私達はシーフードのを買
いました。これも$10.他はチキンと豚のがありました。
シーフードパエレアは、ムール貝、いか、大きなえび、チキンがはいっていて見
た目も豪華で食べ応えがありました。
ご飯にはスパイスとオリーブオイルがよくしみこんでいて、味付けは濃い目でし
た。
木の下にラグを広げて、食べました。
一皿をみんなでわけ、孫も上手にフォークですくって食べてました。
味が濃くてのどが渇いたので、旦那が絞りたて100パーセントのオレンジジュ
ースを買ってきました。
これにもストローを2個いれて、旦那と孫で一個を飲んでました。
孫は普段はきらいなハムときゅうりのサンドイッチも食べ、持参のジュースも一
本空けて、よく食べました。
外でかわった雰囲気で食べるとおいしのかもね。
なんか食べてばっかりのようでしたが、夕方にはちゃんとお腹がすき、夕飯を普
通に食べました。
全部3人で分けて食べたし、たいした量じゃなかったしね。


出店は創作衣料やアクセサリーの店が多かったです。
どこのフェアーでもある定番の、石鹸、蜂蜜、手作りジャムの店もありました。
私は無農薬のアボガドを10個入り$8で買いました。去年も買ったけど、この
おじさんのはクリーミーでおいしい。
同じおじさんが、花関係の古本を売っていて、旦那は蘭の育て方の本を$4で入
手。


一番のハイライトは、ステージショウでした。
日本生まれ、クライストチャーチ育ちのミュージシャン、フルート奏者、Miho
Yanoさんと CHIQの演奏を楽しみました。
インブロヴァイゼーションで、掛け合いでMihoさんはのってました。
ステージの前では、子供達が踊りだしなかなかいい雰囲気でした。

Mihoさんのサイトはこちら。
http://www.mihowada.com/

帰ってサイトのぞいたら、今日のパフォーマンスが早速U tubeにアップされてました。
さすが今どきのミュージシャンですね。

私達日本人に馴染みの深い「ふるさと」や「春の海」もあり、いい感じでした。
$10でCDを買い、今日も聞いてます。


私が教えてるParnell Community Centreもブースをだしていて、フリーで
face paintingしてました。
子供達は、フェアリーの格好をしたお姉さんから、タイガーやスーパーマンの
ペイントをしてもらってました。

最後はバラのことも書かなくっちゃね。
ローズガーデンのバラは、花も葉っぱもつややかで、初夏に日差しに輝いてまし
た。
足元は、細かいバークがびっしり轢いてあり、よく手入れが行き届いてると思い
ました。
近所に住んでる友人によると、しょっちゅうバラを消毒していて、其の間はガー
デンは立ち入り禁止になるそうです。
消毒は有毒だしね、白血病の原因になるともきいたことがあります。
自分の庭の草花は虫だらけ、しみがついてこうはきれいには咲きません。
孫はバラの間を走り回り、アートセールも絵にふつかるんではないかとひやひや
しました。


11月5日のガイフォークスデイは、朝からずっと雨で例年よりちょっと花火が
少ないかなと感じました。
でも9時すぎからやんだので、遅くまでどっかでぽんぽん上がってました。
翌日も上げそこなった人は、花火をやってました。夕べも。
例年この日は雨のような気がします。

これらの行事が終わると、あとはクリスマスと称してのいくつかのパーティーを
こなせば、今年も終わりです。
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その61 ピンクリボンウィーク 13-10-09

2009-11-07 10:51:27 | 第61回ー70回
..`61..

ピンクリボンウィーク 13-10-09

10月10日はピンクリボンデイ、10月はその月間ということでその関係の
イベントがいろいろ催されている。
The New Zealand Breast Cancer Foundationが中心となってやっている。


ピンクリボンは、乳がんのシンボルである。
これはニュージーランドではなく、世界的に同じシンボルとして使われていると
思う。
ニュージーランドでは2004年からピンクリボン運動が始まった。


今月は、銀行のカウンター、スポーツジムの受付にピンクリボンのドネーション
グッズがおかれている。$3で、ボールペン、ブレスレット、ブローチがもらえ
る。これらを身に着けていたら、ピンクリボンキャンペーンに協力しているなと
わかる。
私もブレスレットを買った。


10月には、チケットの一部が自動的にピンクリボンのドネーションとなってい
るコンサート、チャリティーのイベントが多くある。
ポスター、チケットにピンクリボンがついているので人目でわかる。
私の所属するスポーツジムYMCAも、10月18日にFitness Fiestaスポーツ
イベントをやる。
YMCAのエアロビなどのクラスのプローモーション、子供から老人までのクラスの
紹介をやるらしい。これもピンクリボン協賛である。
www.ymcanz.com


スーパーのチラシを見ていると、ピンク色のパッケージ製品が10月に特売とな
っている。
シャンプー、リンスなど普段白のパッケージがピンクのかわいいデザインとなっ
ていて、価格の一部がドネーションとなる。


政府機関にBreastscreenがある。
www.brestscreen.govt.nz
ここのサイトを見れば、乳がんに関する政府のサービスのことがわかる。
登録すれば、女性は45歳―69歳まで2年おきにメモグラムが無料で受けられ
る。


ニュージーランドでは毎年平均600人が乳がんで亡くなっているそうだ。
特にマオリ女性の乳がんの比率は50%近くをしめている。
子宮がんも乳がん同様多く、マオリ、バシフィックアイランダー女性が登場する
検診を呼びかけるコマーシャルをやっている。


メモグラムの検査は、はっきりいってあまり心地のいいものではない。
おっぱいを冷たい鉄板の上にのせ、プラスチックの板で上から押し付け、
レントゲン写真を撮る。
ひやっとした鉄板の感触、圧縮に伴う痛み、体験した人なら忘れないだろう。


私がピンクリボンを始めて買ったのは、去年の10月である。
親友が、4月に乳がんにかかった。それで、乳がんが人事とは思えなくなってい
た。

彼女は、2年おきにメモグラムを受けていたにもかかわらず、前の検診で見落と
しがあったようだ。
彼女は小柄で、野菜果物好きで運動もよくやっていて、健康には気を配っていた。
なのに乳がんにかかり、“Why me?”と言っていた。

彼女の勤めるショッピングモールの一階のフロアーに、彼女を含め3人も同時に
乳がんになった女性がいて偶然とは思えなかった。
サランラップとかも発ガンに関係してるといわれるが、モールの建築材料等、
何か乳がんに関係しているかもしれない。

彼女は去年一年間に、手術、キモセラビー、おっぱいの復元手術をやりとげた。
治療の日以外は、多少体調が悪くても普通に仕事をこなしていた。
キモの前に丸坊主にして、ショートのウィグをかぶっていた。
乳がんといっても、初期は痛くもかゆくも無い。
逆に治療の副作用でシックになる。
治療が終わり、髪の毛が伸びはじめるとウィグをはずしていた。
丸坊主に近いし、ファッションもそれに合わせていたので、よくレスビアンにま
ちがえられたそうだ。


どんなに気をつけていても、がんになることはある。
タバコをすう人の肺がん、酒飲みの肝臓がんは自業自得と言えるかもしれない。
私達は、食品、空気を含めいろんな発ガン物質にさらされているし、がん予備軍
の細胞はだれでも持っている。

私自身、4年前にしこりが見つかり、それ以来、毎年乳がんの検査をしている。
良性のものではあるが要観察である。
いろいろ考えても始まらないし、禁酒して体にいいものだけ食べて清く正しくも
生きられない。
年に一回の検診はこなして、あとは忘れるようにしている。



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