オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その60 Ambury Park 11-09-09

2009-09-30 09:07:46 | 第51ー60回
その60

Ambury Park             11-09-09

おととい、猫缶を開けようとして、左人差し指先を切ってしまいました。
左利きの私には致命傷。
すべてのことが不自由。右手で歯磨きしてるが、肩が凝りそうです。
今もぽちぽちとパソコン打ってます。
そういう訳で、筆が進まない、調子がいまいちでないのです。
それで今回は、箇条書き風にします。


最近、2歳の孫と近くのAmbury Parkによく行ってます。
孫はFarm Animalsが大好きです。


Milking cows
最近の孫のお気に入り。ファームに着くとすぐに「Milking cows
、Milking cows」といって、搾乳所のところへ行こうとします。
Ambury Parkでは、毎日10時半に牛の乳搾りが見れます。
ばんばんに張ったムームー(牛のこと)のおっぱいから、大好きなミルク
がでてくるのが不思議でたまらないようです。
絞りたてのミルクはまだ生暖かく、クリームががってます。
ここでしぼったミルクは、ラムや子牛に与えられます。
興味津々なのにそばへ連れていくと、「こわーい」と日本語で言います。
土日はこれ目当てに家族連れでにぎわってます。
子牛も5.6頭いて、かわいい目をしてます。
大きくなると、にごったビー玉のような目になりかわいくないのにね。

Sheep& lambs
春になりたくさんのラムが生まれてます。
ラムは一箇所に集められて、人気者です。
週ごとに足取りがしっかりして、大きくなっているのがわかります。
家から人参、キャベツを持ってきて羊に食べさせている家族もいました。
羊の目は、どこか不気味、ひそかに悪意をいだいているような目です。
どこ見てるのかわからない目ですね。
シーズンになると羊の毛刈りショウーもやってます。

Rabbit
3匹のウサギは、入り口近くの小屋にいて、孫のお気に入りナンバーワン
でした。前はにゃんにゃんと言っていたのが、最近はラビットと言え、区別
がつくようになりました。



ここの豚は食いしん坊で、パンの袋を持った孫に近づいてくると、こわがって
私の足にしがみついてきます。


七面鳥
しわくちゃ鶏冠の七面鳥は、シリアスな顔しながら豚の食べ残しをねらってます。


孫は、雄鶏は「コケコッコー」、雌鳥を「チキン」と呼んでます。
いつもパンを持っていって、鶏にやってます。


その他の鳥、あひる、プケコ、かもめ、孔雀
あひるにえさをやっていると、遠くでプケコが物欲しそうな顔してます。
かもめはさっと飛んできて、バンを横取りしていきます。
プケコは、青い体、オレンジ色のとさかのニュージーランドの鳥です。
姿がユーモラスなので、コマーシャルとかにも登場してます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Pukeko
ファームに一羽だけ孔雀がいて、運がいいと羽を広げた姿を見ることができます。



Ambury Parkは、 Auckland Regional Council(オークランド地方役場)の管
理下にあります。
http://www.arc.govt.nz/parks/our-parks/parks-in-the-region/ambury/

ファームアニマル以外に、バーベキューコーナー、オートーキャンプ場、散歩道、
マオリの遺跡があり、バードウォッチングもできます。
私達がいつも行くのは、入り口周辺のあたりだけです。
トレッキングなら一日中楽しめます。
入場無料でいけるところが、とてもいいと思います。
8月に地方税を払いましたが、こういう身近なところに税金が使われていて、
恩恵を受けることができるというのはわかりやすくていいですね。


今日も、娘が遅くなるのでデイケアに孫をお迎えに行きます。
帰りはいつもAuckland DomainのDuck pondによります。
孫はここのことを「Duck pond パン」と呼んでます。
ダックポンドに言って、ダックにパンをやるのが大好きです。
グースは、孫の背丈ほどあり近づいてこられると、私でもこわいんですけどね。

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その59 オペラコンサート Madame Butterfly 14-08-09

2009-09-09 14:29:51 | 第51ー60回
..`59..

オペラコンサート Madame Butterfly


先週の金曜日の夜、友人とオークランドタウンホールへMadame Butterflyの
オペラコンサートに行ってきた。
最初にさそった友人は、本当のオペラじゃないといって一緒に行ってくれず、
2番目に声をかけた友人と行った。
私自身もコンサート形式だしな、どんなもんだろうとあまり期待していなかった。
明治時代の日本、長崎舞台のプッチーニのオペラ、蝶々夫人を一度見てみたいと
思ったからだ。


Madame Butterfly(蝶々夫人)、とてもよかった。
久しぶりで感動した。
6月に行ったオペラ「アルジェのイタリア女」は、主役のソプラノが風邪のため、
口ぱくでとてもがっかりした。そういう訳で、今回はいいものが見れて嬉しかっ
た。


オーケストラは、オークランドフィルハーモニア、指揮者はドイツのEchehard
Stier、蝶々夫人は ロシアのSvetiana Katchourだった。
それ以外は地元キーウィー歌手でピンカートン(Patrick Power),スズキ(Anna
Pierard)、 シャープレスアメリカ領事(Jered Holt),ゴロー(Richard
Greager)、ボンズ( Richard Green)、ケイト夫人(Kate Spence)であった。


Madame Butterflyは、オークランドでは一回きりということで早くからチケッ
トはよく売れていた。
音の響きのいい正面席は、私が電話かけた時はすでにソールドであった。
そこで、歌手の顔が見えたらいいなと思い、舞台前方右手の席を取った。
ちょうど指揮台の線上くらいである。
その席は、思いのほかよかったのある。
指揮者の動きが良く見えるし、コンサートマスターは真正面である。
メインの蝶々夫人、スズキもよく見えた。
脇役のゴローなどの男性歌手は2階サークル座席の影となり、頭しか見えなかっ
たが、主役が見えれば充分である。
このオペラ、ほとんど蝶々夫人が出ずっぱりで歌っているようなものなので、こ
れはとてもいい席であった。


指揮者のSvetlana Katchour は、若くて指揮も新鮮だった。
彼は、合唱の時はちゃんと口開けて歌っていた。
いつも指揮者の後ろ姿しか見ていなかったから、前から見ると表情も見えて
とても良かった。Svetlana Katchourは左手の動きがとても繊細であった。
体全体から指先までを使って巧みに指揮をしていた。

まずコンサートマスターがでてきて、バイオリンで全員と音あわせをする様子も
見れた。
まるでのだめカンタービレの世界、友人と指揮者かっこいいねとか、コンサート
マスター、ハンサムねなどど話していた。
普通のオペラだとオーケストラは、薄暗いボックスのなかにはいっていて、顔な
どとても見えない。
こういうコンサート形式のオペラは、オーケストラのメンバーは見せ場が多くい
いなと思った。


ロッシーニは、さくらさくら、お江戸日本橋などの日本のメロディーをこのオペ
ラに取り入れていて、日本人として親しみが持てた。
バイオリンのソロもあったりと、オーケストラの音楽自体も楽しめた。


蝶々夫人のオベラといえば、「ある晴れた日に」があまりにも有名である。
Svetiana Katchourは小柄で初々しい蝶々夫人の雰囲気がでていたし、低音から
高音まですばらしい響きであった。
蝶々夫人の扇子が日の丸というのには笑ってしまった。まるで応援団みたいだ。
まあ、日本とすぐわかるが。

ピンカートン役のPatrick Powerもよかった。
しかし、ピンカートンが太鼓腹で白髪頭で老眼鏡をかけているのはちょっとイメ
ージにあわない。本当のオペラだったら、もっと若いテナー歌手がやるだろうな、
と思った。

スズキ役のAnna Pierardもなかなかの好演であった。
奥ゆかしくお辞儀をして退場する様子は、日本の女中らしくてよかった。
蝶々夫人の心のうちを察した、ちょっと抑えた感情表現をうまく演じていたと思
う。

コーラスは、舞台の右手、パイプオルガンの上のほうにいた。
第2幕のハミングの水夫の合唱は、波のうねりのようで印象的であった。
「Cio-Cio-San, Cio-Cio-San」と呼びかけるところが、今でも耳に残っている。

ピンカートンのアメリカ人妻、ケイトを演じたKate Spenceの出番は、第3幕の
最後のわずかな部分であった。
Kateは、メサイヤのアルトのソリストとして歌ったのを聴いたことがある。
その時から比べると、声に存在感がありずっとうまくなっていると感じた。


インターバルに、下のバーでチェリーのシャンペンを買って、席に戻る。
グラス片手に、後半はリラックスしてコンサート観劇できた。


今回は、私としては珍しくパンフレットを買った。
$10もして、其の割には宣伝が多く少々がっかりした。
まあ、これにはドネーションが含まれているとしよう。
パンフレットを眺めていて気づいたが、指揮者ばかりでなく、楽団員にもスポン
サーがついている。
美術蒐集家で有名なJames Wallace氏の Wallace Arts Trustも数人の楽団員
のスポンサーをしている。
企業、トラストばかりでなく個人でもスポンサーをしている人もいる。
オークランド規模の町で、クラッシック音楽で身を立てていくのは難しいであろ
う。ファンの中からサポートする人がいるのはとてもいいことだと思った。


コンサートは、拍手大喝采で終わった。
立ち上がった拍手をしている人もいた。
蝶々夫人を演じたSvetlana Katchour が感極まって涙したら、指揮者がポケッ
トからハンカチをさしだそうとしたら無くて、笑いをかっていた。

出演者への贈呈の花束は、チューリップとキーウィーフルーツのつるのシンプル
なものであった。
花束も春らしく好感が持てた。


Madame Butterflyのコンサートから1週間、あとしばらくは、この幸せな気分
に浸っていられそうである。
いいコンサートは余韻があり、夢の中にもそのシーンがよみがえってくる。


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その58 風邪の季節 14-07-09

2009-07-21 11:57:33 | 第51ー60回
..`58..

風邪の季節


私としたことが、最近連続して風邪をひいている。

先月は、お腹の風邪、Tummy bug、今週はインフルエンザ(豚ではない)から回
復しつつある。
手洗い、うがいをいつもやっていたのに、風邪を引く時は、ひくのだ。

これまで私は風邪に無関係、少々体調が悪くても、ジムで汗を流せば治るといっ
た調子であった。
ところが、今回はそんな訳にはいかなかった。

先週日曜から、なんとなく風邪気味かなという感じはあった。
でも、月曜はふつうに朝ジムに行き、仕事に行った。
夕飯後、なんか気分悪くて早寝した。
夜中に目をさますと、体が熱っぽい。節々が痛む。
パナドール(バファリン)を飲む。
1時間ごとに目がさめる。のどが渇くので、スポーツドリンク(ポカリスエット
みたいなの)を飲む。


あくる日、夫がGP(家庭医、general practitioner)に行くというので、私もつ
いていく。
GPの診断はインフルエンザ。
処方された薬は、パナドールだけ。はあ、しんどい思いしていくんではなかった。
インフルエンザには、抗生物質はきかないという。
例のタミフルをだせなくはないけど、あまりお勧めできないということであった。
ちなみにタミフルは、実際H1N1のインフルエンザにかかったら政府がただで支
給するが、ふつうには1コースNZ$80と高価である。

GPは、水分を充分に摂ってとにかく寝てること、今週中は回復しないだろうとい
う。

月曜の夜から、丸2日38度の熱が続き、椅子に座っているのもつらかった。
朝から晩まで、ふとんの中でうとうとしていた。
炊飯器でおかゆを炊き、大切に取ってあったうめぼしと少しずつ食べる。
ああこれは日本の病気の時の味だなと感激する。
木曜の夜は、夫が近所のヌードルショップからワンタンスープを買ってきてくれ
る。夫はもち米をはすの葉で蒸したのを食べる。

やっと土曜あたりから、最低の用事だけ済ませるために車ででかけた。
ふだん元気で薄着なのに、弱った体には、寒さがこたえる。

今回はなぜか夫には風邪は移らなかった。
彼は、インフルエンザの予防注射をしているせいか、この種の風邪に免疫があっ
たのかもしれない。

今から考えると、1週間前の土曜日のコンサートで風邪引きの友人2人しゃべっ
たので、その時に移されたのかもしれない。


一ヶ月ほど前、tummy bug(stomached flu)にかかった。
これも、ニュージーランドに冬場に流行して小さな子供から一家中に移ることが
多い。
症状は、吐き気、下痢、発熱である。お腹の風邪である。
菌が残っているうちに固形物を食べると、また下痢するので、水分、スポーツド
リンクだけ取る。

急激に吐き気がして、1週間ほど体調が悪かった。
最初は食中毒かなと思った。
夫は、この時もどうもなかった。


オークランドの冬は、9月ぐらいまでまだまだ続く。
いやというほど雨が降り、うすら寒い。
しばらくはサプリをまじめに取り、気をつけよう。
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その57 Robyn or David 判決はいかに 12-06-09

2009-07-14 06:34:19 | 第51ー60回
その57

Robyn or David 判決はいかに   12-06-09


先週の金曜日、35日間の裁判の後、David Bain は無罪を勝ち取った。
ニュージーランド史上、一番高い裁判だった。
今現在の見積もりでNZ$1.17ミリオンかかったと言われている。
このケースの勝訴は、元オールブラックスのJoe Karenの貢献が大きい。
裁判後のインタビューで、Davidは、Joeなしでは判決を勝ち取れなかったと言っている。

「The David Bain Case」として知られるこの事件は、1994年6月20日におきた。
私達一家は、ニュージーランドにやってきて2回目の冬を迎えていた。
真冬のダニーデンで、両親、娘二人、息子一人が銃殺死体で見つかり、発見者であった長男のDavid Bainが逮捕された。
彼は、朝の新聞配達から帰ってきて、一家5人の死を知ったという。
テレビもニュースの映像が寒々としていて、部屋を薄暗かったことなど、なんとも不気味だった。

この裁判は35日間かかり、最後には12人の裁判員が決断した。
女性7人、男性5人、12人の裁判員全員が”not guilty”と答えた。
6月4日のニュースで、裁判官がjuror達に、犯人は、Davidか父Robynどちらか決めるようにと言っていた。

Davidが新聞配達をアリバイとし、一家5人を殺害したという説。
Robynが、一家を銃殺した後、自分も自殺したと言う説。
最終的に、このどちらかであった。

ニュージーランドでは、裁判員裁判が一般的である。
友人や家族もこれまで1,2回はjuryに呼ばれたから行かなくちゃとか、行けないから手紙を送らなくてはなどというのをよく聞く。
裁判員は選挙人名簿からランダムに選ばれる。
過去16年に、私には1回、息子には3回来た。
息子は今25歳で18歳に選挙権を得てから7年しかたってないから、2年に一度来たことになる。
2回は、大学の授業で行けないと、主任教授の手紙を書いてもらい断った。
3回目は12月始めで、休みが始まったところで断る理由がない。
彼ととして精一杯フォーマルな格好、ドレスシャツ(カッターシャツ)と黒のパンツでオークランドのHigh court(最高裁判所)に出かけていった。
ところが、彼はJurorとして選ばれず、一日で帰ってきた。
初日は、12人よりかなり多め、30人くらい呼ばれて、其の中から12人が選ばれるそうだ。
今進行中の中国人Xueの妻 An An Lue殺害のケースは裁判員全員は女性だそうである。どういう基準で選ばれるのが良くわからない。

Juryは、国民の義務である。
よほどの理由がないかぎり、行かなければならない。
通常、日当NZ$80と交通費が支給される。

Juryは、1週間で終わる場合もあるが、今回のThe David Bain caseは35日間と長丁場であった。
判決の出る前日は、裁判員12日人は同じホテルの泊まらされ、テレビ、インターネットも見てはならず、外界との接触を禁止され、携帯電話も取り上げられたそうだ。
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その56 雰囲気の違い 12-05-09

2009-05-26 13:16:27 | 第51ー60回
その56 雰囲気の違い   12-05-09


日本から帰ってきて3週間近く経とうとしている。
当たり前だが、帰ってきていきなり仕事に突入したので、日本でのことが遠い昔
の出来事のようである。

帰ってくるなり例のH1N1インフルエンザの騒ぎである。
ちょっとは、こっちに景気の風が向うかなと思った矢先の出来事である。
あの私の、日本での営業努力はどうなるのと思う。

オークランドのノースショアーにある、ランギトトカレッジの高校生達15名が
感染したというニュースだ。
彼らはスペイン語の研修旅行にメキシコに行っていた。
現在の感染者は、6名でみんな軽症である。
しかし、しかたない。私一人が影響を受けているのではないからである。



さてと話を元に戻そう。
日本に行く前と日本滞在中京都で事故を目撃した。
その二つのシーンが頭からこびり付いて離れない。

我が家の前で
日本出発の2,3日前のことである。
朝10時半ごろ、郵便受けから手紙を取ったとたん、後ろでパーンと爆発音がし
た。
実際は交通事故、2台の車がぶつかった音だった。
一台は私の通りの友人を訪ねてきたおばあさんの車、道の真ん中で右全前方がひ
しゃげて泊まっている。
もう一台はマオリのカップルの車であった。
彼らの車は、20メートル先で反対車線を越え、ドメイン(公園)の柵をつっきり、牧草地の
窪みに突っ込んでいる。
二人は車からでて、お互い慰めあうように抱き合っている。

私は家のほうに振り向いた瞬間だったから、なにがおこったかわからなかった。
状況から判断すると、直進車を見落として、右折しようとしたおばあさんの間違
いらしい。
私は、その場を散歩していた男性におばあさんの世話を頼み、家から111に電
話した。10分もしないうちにパトカー、救急車が到着した。

公園の芝生がまぶしいほど青く、空は晴れ渡っている。
眠たくなるような晴天の日の空気が、にわかにかき乱された。
それでも、牛達は何もなかったように草をはんでいる。

そのうちおばあさんの娘や、知り合いのおじいさんがやってきて、おばあさんに
付き添っている。
救急車でおばあさんは診察を受けたものの、怪我もなにもなかったらしく、救急
車は空のまま帰っていった。
マオリのカップルも、友人が迎えに来て帰っていった。
2台の車は、2時間後にレッカー車が引いていった。
柵がないと牛が道に出てしまうと旦那がさかんに案じていたが、翌朝柵もcity
Council(市役所)が来て修理した。

私はこの一部始終を、2階の窓からお昼ご飯を食べながら、出かける支度をしな
がら眺めていた。


それは4月のある日、京都滞在中のことであった。
私は元の職場、京都烏丸丸太町交差点角の花屋を訪れていた。
ふと外の雑踏に目をやると、青信号でいっせいに走り出した道路の真ん中に向って若い女性が
ふらふらと歩いていく。
バックパックを背負い、はだしである。
周りの交通はすさまじいのに、スローモーションを見ているようである。
ニュージーランドではだしで歩く人を見てもあまり驚かないが、ここは日本、都会京都の交差
点である。

それに気づいた通行人、背広姿の紳士が、その女性を連れに行き、歩道の端に座らせた。
女性は固まったまま動かない。看護婦らしい通りがかりの女性が脈を取っている。
一斉に通行人の目を引き、就学旅行の女子高校生のクループが立ち止まって見ている。
私も花屋の中から見ると、女性は右手には携帯をもち、左手にはふたなしの食べかけのツナ缶、
千円札数枚を握りしめている。
普段目にしない、異常な光景である。

そのうちに救急車がやってきた。
「名前は?名前言うてえな」と救急隊員が話しかける。
女性は口をきかない。
その女性の札束を握り締めた手が、小刻みに震えているのがわかる。
救急隊員「立とうや」、女性固まったままである。
隊員が身元の判るものがないかと、女性のパックパックの中身をさぐるが何もない。
考えたあげく、女性の携帯からアドレスブックにのっている人に電話をかけていた。

看護婦らしい女性は30分ほどで立ち去り、最初からずっと付き添い、救急車を呼んだ紳士も
行ってしまった。
その後も救急車は1時間近く交差点の中で停まっていた。

もしかしたら女性は。車に轢かれて死んでいたかもしれないのに、はだしで出て行ったのに、
誰も、家族も知人もやって来ない。

日本の平日の街の交差点、だれもが仕事に学校へ、点と点をつなぐだけの空間の移動、周りが
どうであろうと動き回っている。

後日思ったが、その女性は麻薬中毒の禁断症状がでていたのではないかと思う。
ニュージーランドでは、たまに「happy」になっている人を見かけることもある。
それは限られた地域、時間のことだ。
このような日常ではない。



営業のため、私は東京新宿のホテルに4泊した。

雑踏の中、混んだ電車の中で、私は空気になじめない。
迷いながら、時間前に目的地にたどりつき、近くの喫茶店で苦いばかりで味の無いコーヒーを
飲む。ここまでの旅に、すでに疲れているのに、モーティベーションを高めて、営業モードに
切り替え、取引先の会社にのりこむ。

山手線では毎日のように、人身事故で電車が遅れた。
乗客は、寡黙のうちに不機嫌になる。
だれかが携帯で、仕事言葉で約束で遅れることを伝えている。

生きていることがどうでも良くなって、あるいは朦朧として、線路に身を投げた人がいるのに、
電車の乗客には同情のかけらも感じられない。
そういう私も時計に目をやる。

ふと隣を見ると、黒のリクルートスーツの女性が爪をかんである。
この春の新入社員であろう。さかむけが血がにじむほどになっている。


日本は、どこか深いところで病んでいるようだ。
対人関係が希薄である。



2週間後、私はオークランドに戻ってきた。
スーパーマーケットのエレベーターで老人夫婦と乗り合わせる。
「久しぶりのいいお天気ね」と話しかける。
通りかがかりの他人に、微笑みながらハローと挨拶する。


ここでは、人が人として認識し合っているような気がする。
ちょっと田舎ぽいが、善意で他人とかかわりあう。
私は、また自分の居場所をみつけホッとする。



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その55 Have a bad day 13-03-09

2009-05-26 13:11:42 | 第51ー60回
その55 Have a bad day  13-03-09


それは1週間前のことであった。

先週木曜日は、いくつか予定がはいっていて、私にしてはハードな日であった。
その日は、晩御飯の支度中にオーブントースターが爆発、ガラスが粉々になり吹っ飛ぶとい
う惨事に終わった。


その日の私の行動を朝から思い出してみると、

朝10時、歌のレッスンに行く
今はモーツアルトのフィガロの結婚から伯爵夫人のアリア、”Porgi, amor”,
カッチーニのアベマリアを練習している。
今日はなかなか快調、声もよくでるようになったとほめて頂き、いい気分でレッスン終了。
ここからだんだん魔の手がのびて悪運が忍び寄ってくるとは予想もつかなかった。

そのから、Air portのショッピングセンターへ車を走らせる。
午後からの授業にカラープリントしたものを渡したいと思ったら、あいにくプリンターのカ
ートリッジが切れていたのだ。
大型文房具店でカラーカートリッジを買い、家に戻り、カラーのカートリッジをつけ、印刷
開始。
1枚目はきれいにでている。ところが、2枚目からは青色がでなくなり、最後はまったくの
白黒。
これは、今日午後生徒さんに渡さなければならない。
渡してしまうと、返金のための証拠品がなくなる。

そこで急いでお昼ご飯を食べ、午後からのクラスの材料を車に積み込み、早めに家をでる。
例の文具店に行って、事情を話したらあっさり返金してくれた。

後日談:この件を家人に話したら、プリンターが古いからではと言われた。
10年近く使っているから、プリント面が磨り減っているのではないかと。
ひょっとしたらプリンターの寿命のせいだったかもしれない。


2時から4時までCommunity Centreで、フラワーデザインを教える。
この日はトピアリーツリーを作った。
生徒さん達は、貝殻、松ぼっくり、ポプリなど持って来ていて、なかなかいいのができた。


そこからスーパーマーケットへ、2週間分の買出しに行く。
夫婦二人だけになって、以前と比べて買い物の量も減った。
それでも2週間となると、いろいろ足りないものがでてきて、ショッピングリストを見なが
らお買い物をする。
ワイン、野菜、キャットフード、洗剤とかこまごまとしたものを買うと、結局ちょっとした
分量、エコバック3つ分になった。


家に帰りつき、荷物を運んでと夫に頼む。
夫は、今マッサージチェアに座っているから出来ない、と手伝ってくれない。
退職して一日中家にいるのに、なんで必要な時に手伝ってくれないのかと、頭にくる。
決して口にはだして言いませんが。
しかたなく、自分でキッチンまで運んで、買ってきた食糧を仕分けして、パントリー、冷蔵
庫にしまう。


これでやっと夕食の準備にとりかかれる。
今日は簡単に、赤ワイン、サラダ、ムール貝の白ワイン蒸し、ガーリックブレッドとする。

まずガーリックブレッドをオーブントースターに入れ、暖める。
次は、フライパンを暖めてオリーブオイル、ガーリックをいためる。
そこへ殻つきのムール貝を放り込んだとたん、オーブンがバンという音をたて爆発した。
カバーのガラス戸が取っ手ごと吹き飛んだ。
ベンチトップ、床にガラスの破片が飛び散った。
ショック、私のイライラがオーブンに伝わったのかと思った。
混乱の最中、物見高いタマ(猫)が寄ってくる。
掃除機をかけ、気分を取り直して食事にする。
こころなしかワインが苦いような気がする。
怒りながらガーリックブレッドで空腹を満たしていたら、アオカビ発見。
今日買ったガーリックブレッドなのに。ついてない日は、最後までついてない。

昔なら、すぐにスーパーまで言って苦情をいうところだが、最近はその気もない。
たかが$3のパンの車を走らせれば、ガソリン代のほうが高くつく。
ここは食品管理が甘いのか、買ってきた新しいのでも痛んでいることがある。
この間はお豆腐が腐っていた。
前は、毎回怒っていたが、いちいち怒っていては命がもたない。
なるべく回転のいい店から買う、賞味期限を確認、五感を働かせることを心がけるしかない。

後日談:たぶんフライパンのオリーブオイルがはねて、オーブントースターのガラス面につ
き、急激な温度変化でガラスが壊れたのではという友人の説。
でも耐熱ガラスの筈だし、それくらいのことで壊れるのがおかしいと思う。


日本から持ってきたオーブントースターは13年もった。
トースト3枚同時に焼け、おもちやビザトーストにも重宝した。

その後ニュージーランドのメーカー製(だいたいMade in China)を使っている。
一回は、1週間目にコイルが一個つかなくなった。
とにかく故障が多く、ほぼ1年おきに買い替えている。
今使っているのは、しばらく使っているような気がする。
200ドルの臨時出費はいたいなと思うと、余計に腹がたつ。

あくる朝、保証書を探し出した。
ラッキーなことに、このオーブンとスターは去年の3月24日に買っている。
保障期間内、ぎりぎりセーフである。


翌日、夫とオーブントースターの販売店に持っていく。
ここでもたいして話も聞かず返金してくれる。
ニュージーランドは不良品が多いせいか、従業員もこの手のことに慣れているようだ。
その店で買おうとしたが、気に入ったものがなく出る。
結局、5軒回ったが私達が考えてるような、日本風なオーブントースターはない。
チキンが丸ごと焼けるようなでっかいものばかりである。

夫と話し合った結果、ニュージーランドのオーブントースターに見切りをつけ、普通の
トースターにした。
このほうは、4枚焼き、6枚焼きと機種、種類も豊富だ。

日本でオーブントースターを買ってこようかなと思い、ネットで検索してみた。
二、三千円でいいものがあるし、目玉焼きは焼けるもの、コーヒーメーカーと一体となった
ものなど、日本製は芸が細かい。
きっとそんなに簡単には壊れないだろうなと思う。


私、4月に日本へ出張件里帰りに行ってまいります。
それでメルマガの配信はお休みします。
桜が見れるといいな。

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その54 うちの旦那はガーデナー  13-02-09

2009-02-14 03:07:10 | 第51ー60回
その54 うちの旦那はガーデナー  13-02-09


ここ1週間ほど、夫婦でガーデニングにいそしんでいる。
息子もブリスベンに戻り、年末年始の一通りのイベントが終わり、平常の生活が
戻ってきたせいもあろう。
この家に引っ越してから10年近くたち、もういいかげん庭らしくしないととい
う焦りもある。
私は、仕事が本格的に忙しくなる前にやっておかないとチャンスを逃がし、今や
らねば5月くらいまで時間がなさそうだ。
実際のところ、オークランドは4月から9月まで雨が多く、せっかくの日曜と思
っても、庭仕事がままならぬこともある。
おまけに南国育ちの夫は、夏の暑さには耐えられるようだが、寒さに弱い。


我が家は、分譲地であった500平方の土地に建っている。
家、うちの前の車3台分の駐車場を除くとたいした庭ではない。

隣近所は建売住宅であるため、最初からごく決まりきったランドスケープがされ
ていて、住人は時々芝を刈る程度ですむ。
よくある道に面した長方形の芝地は手入れがしやすい。

ところが我が家は、建築家である夫が角地で20軒分区画整理の岩がごろごろ
した斜面の敷地を選んだ。
こういう土地は、ランドスケープ的におもしろいそうだ。
そのせいで価格は20区画の中で一番安かったように覚えている。
わが夫は、大学で建築とランドスケープデザインを教えていた。
私は彼の講義を聞いていた訳ではないので知らないが、アカデミック的には優れ
ていたのであろう。

しかしながら、庭作りは紙の上、理論通りにはいかない。
よく教師にありがなように、夫は人に指示してやらせるのは好きだが、実際自分
でやるのは得意ではない。
私は、花関係の仕事をしていて知識があるが、実際花を育てた経験が少ない。
仕事で花にかかわるので、家に帰ってまで花を見たくないという時期もあった。


最初はまず自分達の好きなものを植えた。
火山岩でおまけに土地は粘土質で、穴を掘るのは用意ではなかった。
おまけに隣の山からの強風で、やさしい草花はなぎたおされ生き残れなかった。

そこでと、私は好きな花でもあるプロテア科の花を植えた。
プロテアは、水はけがよくドライな土地を好む。しかし、成長が遅く苗から花を
つけるまで5年ほどかかる。
水はそんなにいらないが、気難しく湿気の大過ぎ、害虫などで枯れてしう。
おまけに植え替えをきらうので、場所をかえたりすると死んでしまう。

私は、珍しい品種を求めに、1時間かけてプロテアのMatakanaのナーサリーま
で行った。
20本植えたうち約半分が残り、ようやく花がさき株が安定してきた2年前、夫は
庭全体をやりなおすことにした。
隣の空き地で採石作業をしていたマオリのおじさんに口説かれたようだ。
庭は、地面のレベルから3段のレベルとなった。家と駐車場のレベル、2、3段
目は前の道と隣の敷地の間をゆるくカーブを描いている。
入り口のところには三角形の歌壇も作った。1週間の突貫工事で出来上がった。
現場監督をしていた夫は、なかなか楽しそうであった。
NZ1万ドルほどかかった。私達にしては大出費であった。


そこで私のプロテアはどうなったか。
工事のある日、仕事から帰ったらブルドーザーの下敷きとなり、形も影もなかっ
た。
あまりに愕然として、それ以来私が庭に熱心になれないのは、その時の後遺症か
らである。


大工事をしたため植物がほとんどなくなった。
桜が1本、ポフツカワ2本、 マグノイア1本しかない殺風景な庭になった。
そこで、庭の2段目にやしを10本、フィジョア、マガデミアを夫が植えた。
3段目は私の持ち場ということで、またプロテア科のピンクッションを5本植え
た。家のレベルには芝を植えた。

私のピンクッションは成長がよく、一年目にしてわずかだが花をつけた。
来年は切花として、仕事にも使えるかなと思った。

ところがである。
ある日突然ピンクッションは枯れだし、1週間くらいで茶色になってしまった。
芝も茶色になっている。

すぐに夫がまいたWeed killer(除草剤)、水のやりすぎが原因だなと思った。
夫に問い正すと、「そんなに近くには撒いてないよ」という。
夫は雑草が大嫌いで、せっせとWeed killer(除草剤)を撒いていた。
そのため庭のすべての植物が生長不良で葉っぱのふちが茶色く縮れている。
友人の家でもそうなっているという。
友人と「なんで男の人はWeed killerがすきなのかねえ」と嘆きあった。
彼女は高価なバラを枯らされたと言っていた。
男達は、Weed killer入りのタンクをしょって、ホースでしゅしゅっとやるのが
好きらしい。


先週の日曜日、私はガレージ横の多肉植物の庭を一からやり直した。
全部引っこ抜いて、weed matをひき、植えなおし、バークを一面に敷き詰めた。
夫に私の庭に手を出すなときつく言い渡した。

夫の植えたトマトはもうすぐ花をつけそうである。
しかし、寒くなるまでに実がなるかどうか心配である。


夫は、せっせと水をやり、手入れをしても枯らしてしまう。
そしたら又ガーデンセンターに行って、植木を買う。
10年間この繰り返しである。
でも最近は、少しはガーデニングのことがわかってきたかもしれない。
定年生活2年目の夫は、まだまだ学習する時間は十分ある。
夫の気力のあるうち、足腰のしっかりしているうちに庭が形が整うといいなと思
うこの頃である。

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その53 日本人の定義 13-01-09

2009-02-14 03:04:04 | 第51ー60回
その53 13-01-09


日本人の定義


新年明けましておめでとうございます。

元旦は、恒例の家族でおせち料理を頂きました。
暮れに日本の友人から日本食の差し入れがあり、ニュージーランドとしては結構
豪華なおせちができました。
北海道産数の子、京都丹波の黒豆、紅白なます、かまぼこ、スモークサーモンの
マリネ、かまぼこ、寒天入りの重箱。お雑煮は京風白味噌仕立て、それに巻寿司、
筑前煮、手羽先の七味煮でした。
そうそうオーガニックのお米で作った日本酒もありました。
16ヶ月の孫も同席したのでゆったりと食事という訳にはいかなかったけれど、
一家全員でお祝いできいいお正月でした。



今回は、モントリオールのはなさんに続き日本語の話題です。

去年の5月からブリスベンで一人暮らしを始めた息子が、休暇で帰ってきてます。
息子は、最近日本語、日本文化にめざめたようです。
一人暮らしを始めたことにより、自分のアイデンティティーについて改めて考え
始めたのかもしれません。
息子は、ビルマで生まれ、9歳まで日本、それからはニュージーランドで育ちま
した。我が家は夫も日本語を話し、家庭内の会話は日本語ということもあり、息
子は、日常会話程度の日本語を話せます。

25歳の息子は、最近小学校1年生の漢字を練習してます。
日本で学校に通った3年生までの漢字はなんとか読めるけど、仕事に使うレベル
にはまだまだと実感しているようです。
それでも日本の学校教育はすばらしい、習った分は身についていたのですね。

我が家は、ずっと共働きでした。
それでオークランドにやってきて日本語補修校に行かせる経済的、時間的余裕も
なく、子供達の日本語教育にはそれほど熱心ではなかったと思います。
それよりも英語が最優先でした。学校の宿題、英語、数学などの家庭教師、サッ
カー、バトミントンの練習と時間はいくらあっても足りなかった気がします。


息子の今の職場に、日本語の読み書きのできるオージーがいるそうです。
当然息子より日本語がよくできるのです。
その友人から、日本語検定だの、日本で仕事するにはどの程度の日本語ができる
なければいけないかなどと聞いたようです。

英語で高等教育まで受けた息子の視野に、これまで日本で働くということはなか
ったのです。それが今は、具体的に日本行きを考え始めています。


先日、オークランドの百円ショップ、$3Japanに、息子とお買い物に行きました。
息子が買ったのは、ウサギの模様のはいったお椀、お醤油入れ、さしみ醤油用皿、
だるまでした。
「なんでだるまなんか買ったの?」と私。
「だって日本人の家には、だるまをがあるでしょ」と息子。
日本のDVDでそんなシーン見たのかな。

また別の日、
「お母さん、将棋教えて。日本人なら将棋できないとね」と息子。
「将棋できない日本人もいっぱいいるんだけど」と私。

息子の日本へのアプローチは、日本びいきの外人と同じです。
息子がアニメやDVDのドラマ、日本の歌謡曲から得た日本のイメージ、間違っ
てはいないけどどっかずれてます。
しかし、大人になってから改めて日本語を勉強しなおし、息子が自分のめざす日
本人のあり方に近づこうとしていることはいいことだと思います。

日本の会社で日本人として働くことはちょっと難しいと思うけど、外資系の企業
に日本語のちょっとできる外人として働くのは夢ではないかもしれません。

息子は、英語圏なら、自分で生活していける技能を身につけたし、日本語習得は
選択の幅を広げるチャンスだと思います。
しかし、小3レベルから、専門用語、クライアントとの会話、社内でのビジネス
といった日本語までに引き上げるのはなかなか難しいでしょう。

上下関係とかの日本の社会ではみだすことなくやっていけるかは、また別問題だ
と思います。
一緒にDVDで日本のドラマ見ていても、サービス残業なんて信じられないと言
います。
主張をして当たり前の社会で育った息子が、空気を読むとかつきあいとかいう日
本社会になじめるかなとも思います。



かわって今度は孫の話。
孫は、最近話す単語数も増え、言葉で意志を伝えることができるようになってき
ました。
そして、なんとなく英語と日本語の使い分けをしているようです。
もちろんこれが日本語、英語という区別はないけれど、この人にはこの言葉が通
じるとわかってきているようです。
孫は、母親が日本人とビルマ人の混血、父親が台湾人、住んでいるのが英語圏の
ニュージーランドなので、この4ヶ国語をミックスして使います。
ビルマ語は、「アペーイお父さん」、「アメーイ(お母さん)」「ネネ(ちょっとち
ょうだい)」、「ホケ(ハイ)」
私達夫婦が、お互いにアペーイ、アメーイと呼び合うので、孫はそれをまねして
ます。
中国語は、「パパー(お父さん)」「ママー(お母さん)」「アゴン(おじいさ
ん)」「アマ(おばあさん)」など。
日本語は、「ねんね、くっく、いこか、ない、ごはん、おふろ、ぶーぶー、
いちご、めーめー、わんちゃん、にゃんにゃん、かず(猫の名前)、タマ(猫の
名前)」と一番語彙が多いです。

デイケアでは英語で、友達の名前、ご飯の時に「more」、「no more」、
「please」など話しているようです。

先日、デイケアで三輪車で遊んでいた時、孫は友達にあんたはこっちのに乗って、
君はこれなどと指示をして忙しそうにしていたそうです。
それで保母さんが、「Do you need any help?」と聞いたら、孫は「No」と答
えたそうです。けっこうボスぶってるようです。
2歳までの英語、それ以外の母国語も確立していない赤ちゃんグループで、孫は
自己主張し、意志を伝えられます。
言葉は意志を伝える手段であるけれど、body language、伝えたいという気持ち
でもコミュニケーションは成り立ちます。

今は月例のわりにはおしゃべりな孫ですが、将来4ヶ国語を話せるようになると
は思えません。最低英語は残るだろうし、日本語、中国語は家族と会話できる程
度までいけば上出来だと思います。

言葉はアイデンティティーの確立に役立つけれど、それ以前の自己の確立、明る
いすなおな子に育てることといった事のほうが大切だと思うのです。
言語習得には個人差もあるし、生まれつきシャイで口数の少ない子もいます。
現にうちの息子は、2歳までに2-3語しかしゃべりませんでした。
その後の日本の小学校でも苦労したし、ニュージーランドに来てからは、一年く
らいは学校でほとんどしゃべらなかったようです。


移民3世代家族の我が家では、いろんな文化が入り混じってます。
混血が進めば進むほど、ルーツも増え、言葉、文化も複雑になります。
両親、曾祖母は、時間が許す限り楽しく文化や言葉を伝えられればいいなと思い
ます。
孫はこの一年の間に、お正月だけでも、日本のおせち、台湾での旧正月、ビルマ
の正月水祭り、そしてここではクリスマスを経験しました。
大きくなった時、イベントとともに日本のおばあちゃんちはこうだったとか思い
出してくれればいいなと思います。

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その52 チャリティーカレンダー 12-12-08

2009-01-12 05:06:57 | 第51ー60回
その52 チャリティーカレンダー 12-12-08


週末の疲れからか、月曜からのどがはれて、水を飲み込むのも痛いです。
という訳で、今日はあんまり気負わずだらだら書いてみます。


ニュージーランドにいると、色んな形でチャリティーにかかわることが多いです。

最近のことから書いてみると、先週金曜日12月5日はNational Jandal
Dayでした。
1週間前から、ジムのインストラクターのカレンから、この日Jandalを持ってこ
ないとエアロ参加禁止ともお達しがありました。
Jandal Dayは、Surf Life Saving New Zealandというビーチでの人名
救助隊への募金活動の日です。寄付金を払い、この日1日Jandalをはいてすごす
というものです。
カレンは、Jandalをマイク用の腰ベルトにくくりつけ、マークは赤ちゃん用のを
両耳につけ、ショーナはミニjandalのキーホールダーをシャツにつけてました。
さすがにjandalはいてエアロビできないしね。
このjandal Japanese sandalの略だとか聞くけど本当かな。


11月は、breast cancer(乳がん)予防協会の Pink ribon月間でした。
銀行の窓口や、ジムの受付でプラスチックのピンクリボンのバッジや、ボールペン、
ブレスレットが$2で売られてました。
私もブレスレットを買って、11月中つけてました。
5月に親友が乳がんになり、抗がん剤治療、手術、胸の復元手術、放射線治療を仕
事にしながらやっていて、とても人事とは思えません。
まさに彼女は、乳がんと戦っているという感じです。


8月最後の金曜日は、Daffodil Day,Cancer Society,がん予防協会の募金
の日です。
この週は、スーパーの入り口とかでボランティアのお年寄りが募金入れのバケツと
造花のラッパ水仙をもっていたりします。


あとは、4月25日のAnzac Dayに第一次大戦、バルカン半島に咲いていたとい
う赤いポピーをもらう募金があります。



私達夫婦の今年最大のチャリティーは、夫の国ビルマ(現ミャンマー)のサイクロン
被害への個人的な募金集めでした。

5月2日から3日にかけて、ビルマのデルタ地方を襲ったサイクロン「ナルギス」
は、14万人以上の死者をだしたと言われてます。
世界からの助けを素直に受け入れず、被災者への支援物資の横流し、その挙句の果
ては総選挙の強行でした。
もとからミャンマー(ビルマ)政府に不信感を持っていたけれど、今回のことで自
国民のことをどうでもいい思っているいることが証明されました。


これは、その時に私が友人に送ったメールの写しです。


ボガレ地区のサイクロン「ナルギス」被災者への募金のお願い

2008年 6月23日

あのビルマ(ミャンマー)のサイクロンから一ヶ月半がたちました。
最初は驚き、2-3週間後にはビルマ政府の対応に怒り、今は心のどこかにひっか
かっているものの、どうしようもない私達でした。
どうにかして直接ビルマの人々を助ける方法を思案するうちに、Kの姉ドクターNが行動をおこしてくれました。
Nは被災地ボガレーに私費で病院を設立し、僧院の協力を得て孤児達の世話を始め
ました。
K一家はボガレ地区の出身で、私達も訪れたことがあります。

募金のご案内のパンフレットを同封致しましたので、ご覧になって下さい。
日本からの募金は、ニュージーランドでの募金と合わせてビルマに送り、
Nの活動資金とさせて頂きたく思います。

この募金活動はメールを送ったくらいで、たいした活動はしませんでした。
娘や息子達が職場で、同僚に募金をつのったくらいでした。
それにもかかわらず、同調した友人が、またその友人にメールを送ってくれました。
私達一家と友人というごく小さなチャリティーでも、9月末までにNZ$20000近
く集まりました。
まったく知らない方からNZ$1000の小切手の寄付もありました。

この資金をもとに、姉は災害孤児を僧院に収容、制服、教科書を買い与えました。
死体の収容がされなかったので、現在もイラワジデルタの水は汚染されてます。
これまでは雨水をためて飲み水としてきました。しかし、これから数ヶ月は乾季で
雨がふりません。
そこで姉たちは、井戸を掘り、水をくみ上げることにしました。
一つの井戸にNZ$2000かかるということで、募金で6-7個の井戸が掘れるので
はないかと思います。


カレンダーの行事になってる募金は、なんとなくしていました。今回のこのビルマ
の募金は、黙って見ている訳にいかない、なんとかしなければいう思いがあったよ
うな気がします。
この募金に協力してくれた友人は、募金がちゃんと被災者のために使われるところ
がいいと言ってくれました。

これまでは、募金したってどういう風に使われるかわからないしね、とさめた目で
見てました。
しかし、これだけの災害がかつて私達の住んだ国、夫の故郷でおこると身につまさ
れます。


わが身を投げ打って人につくすというような事は、とても私にはできません。
でもできる範囲で、なにか人の助けになることができればと思います。

今日も夕日がきれいだとか、日々のささやかな喜びを大切ににして、一家が平和に
クリスマス、お正月を迎えられることに感謝したいです。
皆さんもいいホリデーをお過ごし下さい。

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その51 遺言の書きかえ 14-11-08

2008-11-17 12:44:42 | 第51ー60回
その51 遺言の書きかえ 14-11-08

最近思うところがありWill(遺言状)を書きかえることにしました。

当然のことですが、ここに書くニュージーランドの遺言等の内容は私の経験、知識
に基づいたものです。読者の方で実際遺言を作成する時は、専門家に相談して最新
の正しい情報を得て下さい。


昨年、親しかった友人の死に遭遇し、本当に残された者はいかに後始末が大変か、
という事を実感しました。
逝ってしまうのはあっけなく簡単でも、家族、友人は、故人のすべてもろもろの後
始末しなければなりません。
そういう場合、Willがあれば事は簡単に済むはずです。
最近の日本のことはわからないけれど、ニュージーランドは遺言を作成することは
わりと一般的です。


できる時に、冷静に夫婦でお互いの死について話し合える時に遺言を見直そうと今
回決心しました。
離婚しそうになってるとか、死にかけてる時は、下心がありそうでこんな話できま
せんからね。


昨日、solicitor(司法書士?)に夫婦で会いに行き、下書きを元に私たちの意向
を伝えてきました。
これをもとにsolicitorが、Will用の書式にそって文書にし、私達が確認した
上でサインをします。
Willの原本は法律事務所が保管します。必要になった時に、法律事務所に連絡し、
遺言を執行します。


現在の私達のWillは、8年前に作成したものです。
子供達は成人したし、最近の経験から私たちの考えも変わってきています。

Willは新しいものが作成されると、古いものは無効となります。
そのため、Willの一番最初の文章は、"I revoke all earlier wills.
(これまでの遺言を無効とする)“です。

Willは、あまりしょっちゅう書き換えるのも大変だし、できるかぎりシンプルに、
家族の変化にも対応できるような文書にします。


今回変えたところ。

Trusteeに息子の名前を入れる
Trustee(遺言執行者)は、今の遺言では我が家の担当の弁護士と娘になっていま
す。
8年前は息子は15歳で未成年だったので、Trusteeにすることができませんで
した。
今は息子は成人しているし、娘が結婚したことにより娘婿が関係してくることを考
えると、兄弟二人で遺言を執行するのが公平だと考えたからです。

葬式を行う
これまでは、私のWillは、火葬にし灰は海にまき葬儀はしないとしていました。
友人が逝ってから、どんな人生を送ってきた人でも、お別れを言いたい友人、親戚
がいると思いました。
それと葬式をしないと死後いつまでもお悔やみを言われて、遺族はずうーと悲しみ
を引きずってしまいます。
お葬式は死んだ人のためではなく、残された者のためにあると実感しました。
人生の一つの区切り、社会と故人、故人の家族の通過儀礼です。
それで今回は、無宗教のお葬式をすると変えました。
花をふんだんに飾り、私の好きな曲を流して、友人に歌を歌ってもらおうと思って
ます。
夫は仏教式のお葬式をしてほしいそうです。

beneficiaries(遺産の相続人)
現行のは、My childrenとなっているところを、息子と娘の名前を明記しました。
この年で私は子供は生まないだろうし、夫も作らせることはないとしても、ひょっ
として養子を迎えるかもしれません。
どういうことがあっても、私たちの財産は私と夫の子供にいくようにしました。

一般的なWillでは次のように相続されます。
私が死ぬと、遺産は夫に行きます。もし夫がその時いなかったら息子と娘に半分ず
ついきます。
孫の代になると、子の取り分を等分します。
もし息子に子供が二人なら、その子達は半分の半分を受け取ることになるのです。


今回、Solicitorが参考にとくれた New Zealand Law Society 発行の
“Making a will and administration”の冊子によると、必ずWillど
おりに実行されない場合もあると書いてあります。
Property(relationships)Act, Family Protection Actにのっとり
Willの内容が変更される場合があるそうです。
Property(relationships)Act では、生き残った配偶者に相続の権利があ
ります。
ニュージーランドでは、夫婦であったもの、3年以上同居のパートナー、Civil
Unionによる結婚の同性同士、異性のパートナーにも権利があります。
もし私が遺産はペットの猫タマにやると書いていても、Family Protection
Actにより息子娘が私の遺産を受け取ることになるでしょう。
だれも身寄りがなかったとしても、タマは財産を管理できないから、タマの後見人
が受け取ることになるのではないかと思います。

Business
今回、Solicitorから私にビジネスをどうしたいかかと聞かれました。
私の自営業は、私が死んだあとは廃業とし、最後の税金を申告し、請求書を支払っ
たあとの残りは他の私の遺産と同様に扱うという風にしました。

25歳までは相続はお預け
これまでのWillでは、子供は25歳に達してから相続できるという風になってい
ました。
親の遺産ががっぽり入って、車とかで使い込んでしまったりしないように、良識の
ある大人になってからもらえるということです。
我が家の息子は、来年の1月で25歳になるのでこの文章は今回はなくしました。
余談ですが、車の保険も25歳まではアクセスに$1000くらいかかったりと割
高なのです。
ニュージーランドでは、18歳から成人ですが、一人前と見なされるのは25歳から
です。


これ以外に子供が未成年の場合は、Guardian(後見人)の指定も記載できます。
遺産を寄付する場合も、どうようにいくらくらいどこに寄付するか明記できます。



通常Willにと同時に、”Enduring power of attorney(代理執行人の指
定)“をする事もあります。
これは、病気、怪我などにより本人が知的、体力的能力がなくなった時、に本人か
わって財産等を管理できる権威です。
たとえば認知症で老人ホームに入れるのに、本人の口座からお金を引き出して使っ
たりできます。

最近Enduring power of attorneyに関する法律がかわったそうで、夫婦
だとお互い違うsolicitorに会いサインをしなければならなくなったそうです。
とりまとめる我が家のsolicitorを含め3人のSolicitorを使うことになり
割高になります。
今回見積もりをお願いしたら、$1000くらいはかかると言われ、しないことに
しました。
これまでは一人のsolicitorでできたのに、手間とお金が余計にかかるようにな
ってました。
利害とか厳密に言えば、遺言状の作成も夫婦で同じSolicitorを使うのは理にか
なわないのではないかと思いました。


ニュージーランドでは相続税、不動産購入税、不動産売却税が存在しません。
不況とはいえ、家の売買は比較的簡単なので、離婚、親が死亡したりした場合は、
売却して分けることが多いです。
Willがあれば、家のタイトルも簡単に買い換えられるので売りやすいのでしょう。


死んだら後の祭りで私にはどうしようもないけど、みんなが混乱しないよう意思表
示は元気なうちにすべきですよね。


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