オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その170 変電器設置 13−09−19

2019-10-11 09:03:02 | 第161ー170回
170号 13−09−19

   変電器設置


半年近くに及んだ変電器の設置と電線のアップグレイドの工事が、ようやく
終わりました。
現在は、向かい側をやってます。


ニュージーランドでは、庭の空き地、公道の両脇には芝生が植えてあります。
4月のある日、突然ディガー(パワーシャベル)がやって来て、我が家の前
の芝生を掘り返し始めました。
そこは、公道なので私が文句を言う筋合いではないのですが、すごく腹が
経ちました。

なぜならその芝生は私が種を蒔き、26年間うちが2週間に一度芝刈りをして
手入れをしているからです。
28年前に20区画が売りに出て、私たちはメインの通りに面した区画を
買いました。
そこに家を建て、庭のランドスケープ終了後も市の管轄である道路側は、何も
されず放置されていました。
いわば、うちの庭と一続きで柵もないので、家側、それに隣接した歩道わき
も一緒に芝生を植えました。

多分、やったことがある方ならご存知だと思いますが、大変な作業です。
まず地面を平らにならす。
ならしながら、小石など取り除く。
トップソイルを均等に入れる。
ひもで枠を作り、芝生の種まきをする。
撒いても小鳥に食べられたりするから、まだらになったところはまた種まき
する。

お隣も我が家と同じように公道部分の芝生を、自分で手入れされてます。
ただし、お隣のおばあさんのところは、2週間に一回ガーデナーが来てい
ます。


歩道のコンクリートを壊し、道に沿って1kmくらいに渡って深い溝が掘られ、
太い電線が地中に埋められました。
最終的に歩道に新しいコンクリートを敷き直すまで、埋めて終わったか、
と思いきや、また掘り返す、埋めると言う作業が数ヶ月続きました。
工事のため片側通行になる日もあり、うちの前に車が数珠繋ぎになり、外出
もままなりませんでした。


6月3週間ほど旅行に行き帰って来たら、何と家の真ん前に高さ3M、幅3M
X1Mの巨大な変電器が鎮座してるではないですか。
郵便受けには、3週間ほど前の日付けのVector(電気会社)からの手紙が
届いてました。
それも間違った住所で、気づいたポストマンが手書きでうちの正確な住所を
書き、やっと届いた様子です。
それによると、この発電機設置に不満なら2週間以内に申し立てるように、
と書いてあります。
その日付はとうに過ぎていました。
しかしながら、この工事ははるか昔、4月に始まっていたし、私が設置反対
しても、決行されたと思います。
それにその場所は市の管轄ですし、文句言ったところで無駄です。


8月の中旬からよく停電するようになりました。
短くて30分、ちょっと長い時で2時間停電してました。
工事の車が数台止まり、工事人が10人くらい作業をしてるので、明らかに
何かをやってるとわかります。
家に出入りする時、”こんにちわ、今日何してるの?”と工事の人に挨拶して
家にいることがわかっているのに、いきなり電気が切られます。

あとで隣人に聞いてわかったことですが、彼女には事前に停電を知らせる
テキストメッセージが届いていたそうです。
私は、Ipnoneに電気会社のアプリを入れ、この地域で停電があればお知らせ
がくる設定にしてました。
ところが、私には何の連絡もありませんでした。
先の迷子手紙と言い、明らかに電気会社とコミニケーションミスがあったよう
です。


8月28日、仕事から帰ると、出かける前にオンにした食洗機が途中で止まった
ままで、家は停電してました。
7時間以上は停電していた様子です。
その日は、朝早くから普段の工事会社だけでなくVectorの車も数台止まって
ました。
後から考えると、その日は新しい電線を変圧器に接続する最後の作業をしていた
ようです。


翌日、怒りのテンションを上げて、Mercury enegy(電気供給会社)に電話
しました。うちの電気はここと契約してます。
停電の詳細を話すと、
担当者、”こちらでは停電の記録はないので、アクシデントではないですか?”
私、”アクシデントではないと思います。隣人には9時から4時までの停電の
お知らせがきてるし、朝から工事してました。”
担当者、”では上司に聞いてみます”
30分後、
担当者”これはうちの責任ではないので、Vectorと話してください。”
(私は、これはたらい回しにされるのか、と少々不安。)
Vectorにまた一から28日の停電の顛末を話すと、検討の上、結果をメール
します、と言う返事でした。

こういう時は、はっきりと申し立てる必要があります。
自営でネットが繋がらないと仕事にならないとか、食事も作れないとか、
色々文句を並べたてました。
実際には、留守だったのですが。

2日後、Vectorから返事が来ました。
今回の停電の慰謝料として、$50支払うと言うことです。
Vectorが非を認めたと言うことです。
この勝利に私は大喜びです。

しかしながら、この国では申し立てないと何もしてもらえない、それで
当たり前にされてしまいます。
不服があるときは、声高に叫ばないと無視されてしまいます。
26年も住んでいると不条理に慣れ過ぎて、怒る気さえもなくなって来ます。
今回は久しぶりに、この数ヶ月の怒りをぶつけて、怒りの虫が治りました。


あとは、Vectorがちゃんと元どおり芝生を植えてくれるのを待つばかりです。
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その169 映画発見 09−08−19

2019-09-05 15:57:46 | 第161ー170回
169号 09ー08−19

                映画発見


7月はたくさん映画を見ました。
オークランドは冬は雨が多く、7月は家でもお出掛けしても映画をよく見ます。

昨年も書きましたが、毎年この時期にNZIFF (New Zealand
International Film Festival)が開催されます。
図書館とかでカタログを手に入れ、見たい映画を探します。
ほとんどがまだニュージーランドでは公開されていない映画だから、
選ぶのも一苦労です。カタログの説明だけでは、内容が掴みきれない
です。
期間中、オークランド市内7カ所の映画館で、同じ映画が違う日程で2、3回
上映されます。
自分の空いてる時間、行きやすい映画館とフィルムから探していきます。

友人で15個見たというツワモノがいました。
その数になると、多分適当に選んでるだろうし、あまり覚えていない
映画もあるようです。


今年は、私がピックアップしたものと、友人達が選んだものの合計3個の
映画を見ました。
今回は、シネマも全部違っていて、それも楽しめました。


Maria by Callas
Rialto, Newmarket
https://sonyclassics.com/mariabycallas/#page1

趣味で声楽をやっているので、音楽関係には興味があります。
あの有名なマリア・カラスのドキュメンタリーでした。
音楽好きの友人と行きました。
NZIFFは、60歳以上がシニア料金$12.50(通常$15)で見れるので、
ちょっと得した気分です。
普通の映画館は65歳からがシニア料金です。

Rialtoの座席は広くて、足も伸ばせるのでゆったりとした気分になります。
バーでワインを買い、チビチビ平日昼間からの映画鑑賞は、なんとも
幸せです。

マリア・カラスがギリシャ人とは知っていましたが、ニューヨーク生まれ
とは知りませんでした。
マリア・カラスのインタビューを中心にオペラのシーンもあり、アリアが聞け
楽しめました。
フランスで制作されているので、マリア・カラスがフランス語で喋るシーン
もありました。
彼女は栄光の影で、プライベートではあまり恵まれなかったようです。
恋人であったオナシスがジャックリーン・ケネディと結婚した話は、あまりに
有名です。


A seat at the table
The Civic, CBD
https://www.nziff.co.nz/2019/auckland/a-seat-at-the-table-1/

これはニュージーランドワインに関するドキュメンタリーでした。

映画監督達が、ニュージーランドワイン約10本をフランスのBurgundy地方に
持ち込み、ワイナリーのオーナー達に味見してもらった時のコメントが多く
映ってました。
全てインタビューで構成され、ワイン界の知識があまりないので、途中退屈なところ
もありました。
同じワイナリーのシャロネー(シャルドネ)が何度もでてきて絶賛されるので、
露出度はこの映画への出資金と比例するのか、勘ぐりました。

最近、ニュージーランドのスーパーで買うワインのキャップは、ほとんどスクリュー
ですが、ヨーロッパはコルクが主流のようです。
ヨーロッパでは、ワインはコルクというかなり強いこだわりはあるようです。
6月にイタリア旅行中にワインを買った時も、たとえ5ユーロの安ワインでもコルクで、
ワインオープナーを買わなければなりませんでした。

一つ興味を持ったのは、フランスのシャンパーニュのワイナリーが英国北部の土地を
買っている、という事です。
地球温暖化に伴い、シャンパーニュ地方では近い将来シャンペンを作る葡萄が
作れなくなるため、ワイン農家は北上していかなければならないそうです。

フィルムではフランスとは200年の歴史の違いと言っていましたが、ワイン生産国
としてはまだまだ若いニュージーランドは、全般にわたって合理的にワイン作りが
されているようです。

The Civicはオークランドの町の中心、クイーンストリートに面した歴史的な
劇場です。
ここで何回かミュージカルを見ました。
雰囲気はいいのですが、席が真ん中の方だとExcuse meと言いながら、席まで
行かなければならないのが厄介です。
図体の大きい方には立ってもらわないと通れません。


This changes everything
Academy cinema, Auckland Central Library, CBD
https://www.youtube.com/watch?v=nIS0zcCnDyY

これも友人のチョイスです。
カタログでは、昨年のアメリカであったsexual harassment, "me too"
の運動のフィルムのように見えました。
しかし、実は、これまでハリウッド映画のほとんどが男性の監督により作られ、
女性を主人公とする映画は少ないという事を明確にしていました。
ハリウッド映画界のCultureが男性主導であり、性的虐待も見逃されてきて
いた事実が、"me too"運動に繋がり、女優たちが過去を告白始めた事で
締めくられていました。
この映画は、映画に興味のある若い人たちに見てもらいたいな、と思いました。
これから家でNetflixを見るときは、女性の映画監督のをもっと見てみます。

Academy cinemaは、中央図書館の一部でとてもこじんまりしたシアターです。
普段はアニメ映画のシリーズとかもやっているようです。



今年のNZIFFは、友人の推薦で自分では選ばない映画を見て、これをきっかけに
私の世界が広がりました。
フィルムに出てきたワイナリーのワインを試したり、知らなかった女優さんの
映画も見てみたいと思います。

    
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その168 地中海クルーズ 12−07−19

2019-08-05 14:14:40 | 第161ー170回
その168 12−07−19
         
              地中海クルーズ


まず、先月は旅行中で配信ができなかったことをお詫び致します。


6月8日から26日まで友人とイタリア、ギリシャに旅行に行ってきました。
そのうち7日間はクルーズでした。

今回は、初めてQatar Airlineに乗りました。
往復Auckland-Dohaは,ノンストップ17時間の飛行でした。
行きは、Dohaからローマに飛び、帰りはアテネからDohaの飛行でした。
結果から言うと、一回の乗り換えで行けたので、時間のロスが少なく、
時差ボケにもならず、疲れも早く取れました。
しかし、17時間のフライトは長い。
去年カナダのバンクバーまでの直行便の13時間も長かったけど、17時間
はとにかく長かったです。
私の最長フライト記録になりました。
もう結構長いことたったよねと思い時計を見ると、まだ8時間しか経っていない。
まだ半分。
映画も見飽きて、うつらうつらするものの、なかなか眠れません。
Qatar Airlineはサーピスがよく、食事は4回出ました。
まず乗ると夕食、その後スナック、またしばらくしてサンドイッチ、到着前に
朝食が出ました。
機上で30分はフリーでWiFiが使えました。
南半球からヨーロッパは遠い。
それでもニュージーランド人は旅行好きで、よくイギリス、ヨーロッパに
行ってます。
今回も、クルーズ船に乗っていた夫婦何組かと往復同じ飛行機でした。

6月9日早朝ローマ到着。
空港にはホテルにピックアップを頼んでおいてたので、スムーズに行きました。
9時にホテル到着。
当然まだチェックインできないので、荷物を預けてお出掛けしました。
ローマ中央駅まで10分ほど歩いていき、hop-on&hop-offバスに
乗りました。
翌日にはフィレンツェに行く事にしていたので、疲れてはいたけれどローマ市内
をちょっと見ておきたかったのです。
当然のことながら、バスに乗ってるのは外国人ばかり。
大声で喋るアメリカ人がいて、みんな迷惑そうです。
どうして普段のような会話をローマでする必要があるのか不思議です。
携帯電話、roamingの普及で世界が狭くなったと言うか、家との距離感が
ないですね。
バスで移動とはいえ、ローマはすでに夏でちょっと歩くだけで汗が噴出して、
疲れ果てました。
午後早々にホテルに戻り、シャワーを浴びて一休みしました。
出発から2日間シャワーを浴びてなかったのです。

夕方は近くのレストランで食事しました。
Fettuccine(イタリアの松茸みたいなの)が初入荷してオススメということ
で前菜に頼みました。
友人は5年間イタリア語を習っているので、できる限りイタリア語で注文。
私は、某社の1時間で学ぶ旅行のためのイタリア語を行く前ちょっとやった
ので、ワインの注文くらいはできました。


2日目は、汽車でフィレンツエに向かいました。
やはりお昼頃ホテルに着いたので、荷物を預けてその辺りを散策に出かけました。
ホテルはDuomoの近くで至極便利。
ただ朝ごはんが付いていないと、シャワーがとても狭かったです。
スリムな日本人の私たちでも身動きが取れず、バスルームの床が水浸しになり
ます。
太った人は、シャワードアを開けっ放して浴びるかもしれないと思いました。

中央市場で軽くランチをとり、マーケットでお買い物しました。
私は、革のベルトとキーホールダー、カシミアのショール、オリーブオイル
を買いました。この日にほとんどのお買い物を済ませてしまいました。
夕方、Danta Maria NovellaのPharmacyに娘から頼まれていた石鹸
を買いに行きました。
650年の伝統のあるお店の店内は、まるで美術館のようでした。
日本語を含む数ヶ国語のパンフレットがあり、それを見て商品を選ぶシステム
になってました。
商品自体に値段が付いてないのが分かりづらいというか、お高くとまって
いるという感じです。
娘は、職場のボスにクリスマスプレゼントにもらって気に入ったようです。
ニュージーランドからオンラインでイタリアの石鹸を注文し、スタッフ全員
にあげるなんて、なんて贅沢。
あとで友人に聞いたら、京都の大丸の隣にも支店があるそうで、石鹸一個
3000円で売ってるそうです。

フィレンツェでは、有名なT-boneステーキを食べました。
大きいので二人分がセットメニューとなっていて、Chianti Classico
(赤ワイン)をボトルで頼みました。
まだ早い時間でお客は私たちだけで、このアジア人女性二人で食べきれるのな、
とウェイターがチラチラ様子を伺っているのが感じられます。
私たちが完食した時は、驚いた顔をしてました。
友人も私もニュージーランドに20年以上住んでいて、お肉は結構食べられます。

UffiziとAcademia Galleryは、skip the lineという指定時間に
行けば、並ばずに入場できる券を事前に買っておいたので時間の節約
になりました。

美術学校に通っていた時に何度も本で見た名画の数々、木炭デッサンでおなじみ
だった石膏像の模作の本物が想像のほか大きく、また本物を見ている自分が
フィレンツェに実際にいるというのが不思議な気がしました。
カタログを見ながら丁寧に見ているアジア人がいるなと見ると、だいたい日本人
でした。
日本の方は教養があって勉強熱心ですね。


6月12日に再びローマに戻り、バチカン、コロッセウムに行きました。
バスに乗ったのですが、英語で道を聞くと、英語は話せないと言って教えて
くれません。
ローマは大都会で、ローマの人は観光客に辟易してるのでしょうね。
できれば観光客は一般の路線バスには乗って欲しくないと、思っていると
思います。
まあ、京都の市バスが観光客で満杯で市民が迷惑を被っているので、わかる
気もします。

6月16日にローマからクルーズ船に乗り、22日ギリシャのアテネで下船
まで7日間の地中海クルーズを楽しみました。
このクルーズは、夜の間に航海して、早朝港に入港します。
私達は、ほとんど毎日朝からExcursionに行き、夕方船に戻り、
プールで疲れを癒し、夕食を食べてショーを見るという繰り返しでした。
前回娘達と行ったニューカレドニアのクルーズは洋上の日が多かったので、
朝ジムのクラスに行ったり甲板を走ったりしてました。
今回は、毎日お出かけしていたのでその時間はありませんでした。
Excursionは、ガイドが説明してくれ、移動はバスやフェリーで楽チンでした。
ただここはもっと見たいと思っても団体行動しなければならないし、自由時間も
少ないですね。
クルーズ船の乗船客は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド
人で南米の人も少しいました。
日本人のツアーグループも乗ってました。
中年カップル、友人同士というのが多く、ディナーの時はきちんと正装して人が
多かったです。
クルーズの食事はお野菜、果物が新鮮で美味しかったです。
特に完熟トマト、スイカ、メロンをよく食べてました。

ギリシャの島々は初夏でブーゲンビリアやたわわに実るレモンが美しかったです。
クレタ島は、思っていたより都会でした。
ミコノス島は、四角い漆喰におうちが青空に映え美しかったです。


22日にアテネに到着しました。
ここのホテルの屋上からパルテノン神殿が見渡せました。
朝食も質がよく、コーヒーも美味しかったです。
ただ土曜日の夜、近くの広場、バプから音楽が鳴り響き、一晩中人々がうち
騒いでいて、よく眠れませんでした。

グーグルマップを頼りに歩きまわり、グルグル歩かされ同じところに戻ったり
したけれど、自分達で街を散策でき楽しかったです。

イタリアもローマも2000年も前の遺跡、教会が多く、たくさん見たので、
どこだったか思い出せないくらいです。
今回の旅はクルーズ7日間、自分達でローマとフィレンツェ6泊、ギリシャ、
アテネに3日いて自分達で行動でき良かったです。


帰ってからは、グリークサラダとフムス、ケバブ料理に凝ってます。
でもやっぱりあの完熟トマトがないと、本物のグリークサラダは作れませんね。
今年の夏はトマトをたくさん庭に植えようと思います。
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その167 Budo展で生け花デモンストレーション 10−05−19

2019-08-05 14:10:27 | 第161ー170回
167号 10−05−19

         
        Budo展で生け花デモンストレーション


オークランド、ノースショアEstuary Arts Centreで4月12日から5月5日
まで" BUDO, The History of Japan's Martial Arts"が開催され
てました。
オークランド総領事館の主催で日本の兜、刀などの武道具が展示されていました。
平成から令和にまたがった展覧会でした。
その一環として、日本文化の講座が開かれて、私は、会期最後の5月5日に
生け花のデモンストレーションとワークショップを担当しました。
折り紙、日本茶、茶道、習字、生花のワークショップがありました。


4月13日はオープニングイベントでお茶と和菓子が振舞われ、太鼓、津軽三味線
のパフォーマンスがありました。
午後からは、武道のデモンストレーションがありました。
柔道、剣道、空手、薙刀、合気道、少林寺拳法がありました。
オークランドでこんなにたくさんの人が武道を学んでいる事を知り、薙刀のデモ
は初めてで、興味深かったです。
日本人のお祭りで合気道、柔道のデモは見たことがありますが、このように
オークランドの武道家達が一堂に会するのは、恐らく初めてではないかと思います。


私のデモのある5月5日は、子供の日、私にとって令和に入ってから初めての大仕事
と言う事で、数週前から準備致しました。


当日8時半、家を出発しました。
会場まで54キロありました。
日本文化の紹介のイベントですし、着物を着て行きました。
緊張しているせいか、帯がうまく行かなくて3回やり直ししました。

9時半に会場到着。
デモ用の花器と花、12人分のワークショップの材料、道具一切を積んでの出前
で大荷物です。

会場を設定していると参加者が集まって来ました。
女性11名、男性1名でした。地元のフローラルクラブに属している人が数名
いました。

まずいけばなデモンストレーションをやりました。
始めに簡単にいけばなの歴史、草月流の説明をしました。

第1点目は、基本立真型盛り花です。
これは草月流のお稽古では、まず最初に学ぶ基本花型です。
アイリス、ナデシコ、枝物を使いました。
子供の日ですので、菖蒲をいけたいところですが、ないのでアイリスで代用
しました。

二つ目は、モダンな鉄花器にひまわりとユッカの葉を活けました。
ユッカの葉を三角に折り立体にし、最後にひまわりを高く活けました。

最後は壺いけです。
南天、松、黄色の菊をいけ、最後に金銀の水引を入れました。
紅葉した南天が季節感があると好評でした。
松はお正月などおめでたい時に使われ、大輪の菊は天皇家の象徴であると
説明しました。
このいけばなは令和天皇御即位のお祝いに活けました。


後半はいけばなのワークショップです。

剣山、花ハサミを使うのは初めての方達ばかりですので、道具の説明を
しました。
全員に基本立真型盛り花をやってもらいました。

その後、ミルクボトルを風呂敷でラップして花を自由に活けてもらいました。
こちらでは花といえばフラワーアレンジメントですので、作品は持って帰れます。
いつもいけばなのワークショップをするとこのまま持って帰れないか、と質問
されます。
日本人なら大抵、いけばなは花を抜いて持って帰るものと知っています。
せっかく参加された方達をがっかりさせたくないので、今回は工夫しました。
スーパーマーケットで袋をくれなくなり、エコバックが普及してきています。
風呂敷は、日本のエコバックみたいなものと説明し、ワインボトルの風呂敷
ラップ、お弁当箱の包み方など説明しました。
フラワーデザインをされている方は、アイリスの葉の扱いもリボンの用にして
工夫されていました。
前半の基本花型は、決まりも多く、堅苦しいので後半は自由にやってもらい
ました。
いけばな紹介のワークショップですが、花を使って楽しくできたらいいな、
と思ってます。

皆さん、日本の元号が変わり、新天皇になった事をご存知で、なぜ愛子様は
天皇になれないのかと質問されました。


片ずけは、1970年の大阪万国博覧会、ニュージーランド館の元コンパニオン
の女性が手伝ってくれました。
彼女は、とても丁寧な流暢な日本語が話せました。
全て無事終了し、1時に会場を出ました。
また来て下さいと言われましたが、Orewaはちょっと遠いなと思いました。


次回6月13日の配信はお休みさせて頂きます。
ヨーロッパにクルーズに出かけます。
7月には、その報告をしますね。
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その166 私の平成 10ー04−19

2019-05-09 14:55:19 | 第161ー170回

166号                

          私の平成


4月1日の新しい元号、「令和」が発表されましたね。


私は、1989年2月24日の大喪の礼の事を思い出しました。
その年、1月7日に昭和天皇が御崩御になり、その葬儀の日2月24日が国民の
祝日となりました。
私たち一家はその頃、京都府大山崎町に住んでいました。
娘は8歳、息子は6歳でした。
ビルマ人の夫は京都の建築事務所、私は京都御所近くの花屋に勤めていました。
思いがけない一家全員で過ごせる休日に、何か記念になる事をしよう、という夫の
提案で、琵琶湖一周のドライブをしました。
夫が友人から譲ってもらった軽自動車で、簡単なランチを持って出かけました。
琵琶湖の湖面が暗く、寂しい漁村を通り抜けた事を思い出します。


この機会に、私の平成を振り返ってみたいと思います。
私は昭和の生まれで、平成、令和と三つの元号の時代を生きることになります。
平成は、その大半をニュージーランドで暮らしたので、たまに日本に帰った時に
耳にする程度でした。
そういう訳でここでは、西暦で書きます。


平成になる少し前からお話ししますね。

1985年8月
一家でビルマから日本に戻って来ました。
日航ジャンボ機墜落からまだ日も浅く、バンコクからのジャル便はがら空き
でした。
その翌月、9月に私は30歳になりました。

1987年
日本に戻ってから、夫は、名古屋の国連支部でしばらく働き、私はその当時
実家のあった下関の花屋で働いていました。
夫は京都で職を見つけることができましたので、大山崎に引っ越して来ました。
京都は夫と私が学生時代を過ごした土地で、友人もたくさんいました。
いずれは英語圏に移り住むつもりで、節約の為、お風呂のない安アパートに
住んでいました。
ちゃんちゃんこを着て、一家でお風呂屋さんに行くのも楽しみに一つでした。
子供達は、保育所から小学校、学童で友達がたくさんできました。

1993年2月
長年の願いが叶い、私たちはニュージーランド、オークランドに引っ越して
来ました。
夫はオークランド大学で教鞭をとり、アジア人学生に慕われていました。
地元ビルマ人社会にも関わるようになり、水祭りなどオークランドでの
ビルマ人のイベントに家族で参加していました。
数ヶ月後、初めての家を購入しました。
小さな家ですが、ローンを組まずに、日本で貯めた現金で買うことが出来ました。
その頃、ニュージーランドの家はまだまだ安かったのです。
多分、現在の三分の一以下の価格だったと思います。

1999年5月
南オークランドに土地を購入し、夫のデザインで家を新築しました。
あれから20年経ちましたが、私はまだこの家に住んでいます。
子供達は、大学を卒業し、それぞれ巣立って行きました。
2009年に父が亡くなり、2013年に母が亡くなりました。
その前後、実家の片ずけなど、何回も日本に帰っていました。

2007年2月
娘が結婚しました。
ブライダルブーケ、宴会場の花は全て私が一人で作りました。

2011年11月
息子が結婚しました。
その当時、息子と嫁はオーストラリアのブリスベンに住んでいて、結婚式を
挙げに帰って来ました。
娘の長男が、幼いながらもページボーイをしっかり努めてくれました。
二人の友人、家族など、アメリカ、日本、香港、オーストリアからやって来て
くれました。

2014年1月
事故が原因で夫が亡くなりました。72歳でした。
息子がそれを機会に、オークランドで職探しをしたところ、運よく仕事が見つかり
4月に帰って来てくれました。
二ヶ月後に嫁も合流しました。
その年10月、息子達に男の子が生まれました。
その翌年、娘の次男、3年前に息子の長女が生まれて、夫が亡くなってから
3人の孫に恵まれました。

2016年7月
息子達とは2年同居しました。
息子達は、すぐ近所に新築の家を購入し引っ越して行きました。
この機会にと、息子の家に二ヶ月住まわせてもらって、私は家全体の
リノベーションをしました。
1999年に建てた家は、水周りなど痛んでいたし、私のこれからの生活に
合うように全てを一新しました。

現在
家族の誕生日などあると、全員うちにやって来て10数人で賑やかにご飯を
食べます。
普段は、私一人と猫2匹の生活を楽しんでます。
仕事、趣味等でほとんど毎日お出かけしてます。
年に2回くらいは、生け花のイベント、ホリデーで海外に出かけてます。
今は、これまでで一番ゆったりと暮らせているように思います。

令和、どういう時代になるのかわかりませんが、今を大切に、楽しく暮らして
いきたいと思います。
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その165 洞窟の日本人女性 10ー03−19

2019-04-11 14:48:56 | 第161ー170回
165号                   10−03−19

   洞窟の日本人女性


まず、配信が2日遅れてしまったことをお詫びします。
先週の日曜日、3月3日がオークランドの日本人のお祭り、ジャパンデイ
でした。
生け花展示の責任者をしているので、2、3日は、会場Eden Parkに朝早く
から夜まで缶詰になってました。
私は、今年は生け花の展示と茶道をやりました。
3年前から表千家のお茶を習っているのですが、今年は初めてお客様の前で
お点前しました。

今週に入ってからは、フラワーデザインと生け花の教室の間に、たまっていた
諸々の仕事、事務処理をして時間が経ってしまいました。
火曜日くらいから疲れがでてきて、今週が3月の第二週ということをすっかり
忘れていました。


おととい、友人から聞いた話が、どこが心に残ったので調べてみました。

それは、1978年にニュージーランドのStewart IslandのRakiura Cave
に住んだKeiko Agatsumaさんの話です。
40年前、あの当時は、海外旅行は今ほど一般的でなく、ニュージーランドへ
行く日本人もそう多くはなかったと思います。

Keikoさんがどういう経緯で、数ヶ月、あるいは2−3年、Stewart Island
のDoughboy Bayの洞窟に住むようになったのか、あまり知られていません。

37歳で日本へ強制送還されたということは、今77歳くらいと思います。
ご本人ご存命のようですし、当時のことに関しては口を閉ざされているので
しょう。


その頃、ニュージーランドの観光ビザは一ヶ月でした。
Keikoさんは、Christchurch, Queenstownを観光し、Invercargill
からStewart Islandに渡りました。
Stewart Islandは、ニュージーランドの南の端っこの小さな島です。
私は、まだ行ったことはありません。
最近でこそ、自然の美しさやトレッキングで知られてますが、その当時は、
観光地としはあまり一般的ではなかったと思います。

東京で仕事をされていたKeikoさんさんが、人里離れた洞窟の生活する決心を
されたのは、よほどの強い思いがあったのでしょう。

最初は、近くの町で食料品を仕入れていたそうです。
近くの農場夫婦と仲良くなり、スクリュードライバー一本で貝を取って食べる
ようになったそうです。
最後は、ほとんど自給自足に近い生活だったようです。
全く孤独だった訳ではなく、通りががりのハンターらと交流があったようです。

Keikoさんは病気になり、ハンターの勧めで病院に行くことになったようです。
それで、オーバーステイであることがわかってしまいました。
結果、警察に拘束され、クライストチャーチから強制送還されたのでした。
弟さんがクライストチャーチまで迎えにきたそうです。


このニュースがニュージーランド中駆け巡り、一般の注目を浴びるようになりました。

この話を元に、1999年にNiki Core監督が "Memory and Desire"という名の
映画を作り、Best Film at New Zealand Film Awardに選ばれました。
映画では、ハネームーン中に夫を亡くした日本人女性が、Stewart Islandに
戻ってきて、洞窟に住むようになったというストーリーになってます。
Niki Core監督は、ニュージーランドを代表する映画” Whole Rider”の監督
でもあります。

Keikoさんは、帰国後、アニメーションのプロダクションの仕事をされていた
そうです。
いろんな意味で、教養のある能力の高い方なのでしょう。


Stewart Islandの洞窟での生活は、その時のKeikoさんにとっては、一番望んだ
事であったと思います。
しかし、何が彼女をそうさせたかは、私たちにはわかりません。


今は、世界中どこでもネットが使えて、似たようなライフスタイルがどの国でも
おくれます。
Keikoさんの話は、現在ニュージーランドに住む私の想像の絶してして、
惹きつけられました。


詳しくは、下のリンクを見てみて下さい。


https://farfarawaylandblog.com/2018/01/15/stewart-island
-rakiura-2-tales-and-truths/

https://www.magic.co.nz/home/archivedtalk/audio/special-
feature-archives/2015/05/outsiders-with-gerard-hindmarsh-
keiko-agatsuma-the-cavewoman-of-stewart-island.html
John Horrocks

Outsiders: Stories from the Fringe of New Zealand Society,
by Gerard Hindmarsh (Craig Potton Publishing, 2012)

https://en.wikipedia.org/wiki/Niki_Caro


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その164 サイクリング 08ー02−19

2019-04-11 14:45:46 | 第161ー170回
164号                     08−02−19

         サイクリング



今週火曜日は、中国の新年でした。
月曜日、ニューイアーイブは、息子のところで嫁が中国の新年の食事を
用意してくれました。
大根もち、鯛の姿煮、マッシュルームと青梗菜、エビ卵餡掛けなどのご馳走
でした。


今週からやっと、私の通うジムの通常のクラスが始まりました。
12月中ばからクラスがなかったので、長い長い夏休みです。
今年に入ってからジムに来るのは、今日が初めてという人もいました。

例年、ジムのクラスのない夏休みの間、朝涼しいうちにジョギングをするのが
私の習慣になっていました。
ところが、この夏は5キロも歩けば足底が痛むので、とてもジョギング
どころではありません。

去年から足を使いすぎると、右の足底が痛むようになりました。
マッサージしたり、ユーカリのオイルを塗れば一時的には痛みは和らぐのですが、
完璧には治りません。
ふくらはぎ、足の付け根も痛むようになり、これ以上は体を騙し通せないな、
と感じるようになりました。

それで、まずGP(家庭医)に会いに行くと、Physiotherapyに行く事を
勧められました。
1月23日に私の人生で初めてのPhysioでした。
1回目は、いろんな動きをしたり、痛むあたりを押して、どこが痛んでいるのか
何が問題かの検査でした。
いくつかのエキササイズの宿題が出て、右足にテーピングをしてもらいました。

それから2、3日でこれまでの刺すような痛みがなくなりました。
この一年近く悩まされていたのが嘘のようです。
昨日まで3回Physioに行ったのですが、私の場合は軽度で回復が早いので
あと一回で終了していいという事です。
もっと早くPhysioに行くべきだったと思いました。
そうしたら、すっきりしない気持ちで運動を続ける必要がなかったんですよね。


自転車買いました。
この素敵な季節にアウトドアを楽しめないのは惜しいので、自転車に切り替え
ました。
考えたら、スピンクラスをやっているので、バイクパンツ、手袋、サドル
カバーはあるし、ないのはバイクとヘルメットだけです。

私の住むMangere Bridge には、Kiwi Esplanadeというジョギング、
バイクのコースがあり、週末はバイク乗りでカフェも繁盛してます。
海岸沿いに渡り鳥、ボートを眺めながらのサイクリングは気持ちいいです。
私の家の前も、グループや個人のバイク乗りが通ります。
みんな楽しそうです。


実は、昨年10月にアリゾナで京都時代の友人と旦那さんに会ってから、
ずーっと自転車のことを考えていたんですけどね。
友人の旦那さんは90歳で車の運転も確かだし、サイクリングを毎日してる
そうです。

友人の旦那さん、「T子、自転車に乗れるかい?」
私、「週2回、ジムのスピンクラスで、動かないバイクに乗ってるけど」
友人の旦那さん、「そんなのは何の役にも立たないよ。道で自転車に乗れば、
デコボコに気づくし、バランス取ったり、周りの様子やら車や歩行者の動き
も考えて行動できる」

私は、友人の旦那さんに馬鹿にされて落ち込みました。
彼が90歳過ぎても、好奇心が強く元気で生活しているのは、自転車に乗ってる
せいかな、と思いました。


私の自転車は、ドイツ製でfocuseというメーカーだそうです。
バイクのことは何も分からないので、近所の自転車屋で見繕って貰いました。

まだ、私は、自転車乗りたてで公園でしか乗れない小学生のようです。
やっと足がつくくらいなので、すぐには停まれないので、こわごわ乗って
ます。
今朝も1時間サイクリングしてきました。
体力はあまり使わないけど、周りに注意を払うので、それなりに疲れます。
この夏じゅうに颯爽と乗りこなせるようになりたいものです。
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その163 26年目のお正月

2019-02-06 16:03:45 | 第161ー170回
163号

         26年目のお正月
11−01−19

皆様明けましておめでとうございます。


我が家は、この2月でニュージーランドに来て丸26年になります。
娘は11歳、息子は9歳でした。
その娘の長男は、今11歳です。
この26年間に、子供達は大学を出て、職につき、結婚し親となりました。
私は4人の孫のおばあちゃんです。

我が家は、毎年元旦のランチに集まり、御節料理を頂きます。
女性陣は浴衣を着ます。
ここは真夏のお正月なので浴衣です。

例年は私の家でするのですが、今年は娘宅でやりました。
今年初めて、娘が御節料理に挑戦しました。
考えてみれば、娘は私がニュージーランドに来た時の年になっているので、
この辺でバトンタッチもいいかなと思いました。

暮れに日本のスーパーに二人でお買い物に行きました。
日本食料店は、26年前はオークランドには一軒しかなかったのが、各ショッ
ピングモールにできて5軒となり便利になりました。
しかし、御節の材料が全部揃う訳ではないので、こちらにあるもので作ります。
昆布巻き、田作り、黒豆は真空パックのを買いました。
御節で娘が作ったのは、紅白なます、栗きんとん、こんにゃく、レンコン、
卵焼き、有頭エビでした。
お重の詰め方は、グーグルの画像を参考にしてました。
そのほか娘は、鳥の手羽先の煮込み、牛タタキも作りました。
息子は、きな粉とみたらし団子を作ってきました。
私は、お雑煮、筑前煮、いなり寿司、巻寿司を持って行きました。
何しろ、友人家族も来て大人8人、子供6人、総勢14人の御節なので、
量も要ります。

私は、家から浴衣を着て行き、娘宅で娘、嫁、友人に浴衣を着せました。
中国人の息子の嫁も、年に一回浴衣を着るのを楽しみにしているようです。
娘には、今年はお太鼓を結んでやりました。
私は、数年前からお茶を習うようになってから着物を着る機会が増え、
自分で着れるようになりました。
娘たちにも着せてやることができ良かったです。
男の子達は甚平さんを着ました。
2歳の紅一点の孫は、私の妹が送ってくれた浴衣ドレスを着ました。
フリフリのレースのついた浴衣地スカートです。
今の日本は可愛いのがあるのですね。

全員でワイワイガヤガヤ御節を頂き、2時過ぎには解散です。
まだお昼寝をする子がいるので、みんなそれぞれの家に帰ります。
帰り際に、子供達はお年玉をもらって嬉しそうです。

この子達は、大きくなってもオークランドでの日本風のお正月を覚えている
かな?

オークランドは真夏日和の穏やかな元旦でした。
この一年、皆んなが安全に平和に暮らせるようお祈り致します。
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