オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その35 外国で死ぬということ 12-06-07

2007-08-15 10:29:01 | 第31ー40回
その35 外国で死ぬということ


 先週土曜日、友人のお葬式がありました。
彼女は54歳の若さで、胃がんで亡くなりました。

2,3回会っただけど、同じ町の出身だし行くことにしました。
外国でのお葬式では、ほとんど親戚は出席できないだろうし、知り合いが一人でも多く
いったほうがいいかと思いました。
一報を受けて、日本人のニュージーランド永住者もここを最後と地として選ぶようになっ
たのだなと思いました。
これまでは、数十年永住していても、病気になると日本に帰って行く人が多かったのです。
彼女は、日本で入院治療をされていたそうだけれど、死ぬために3月にオークランドに戻
ってきたのです。
日本の病院で意識がなくなっても、チューブに繋がれその分苦しみ長生きするよりも、自
分の家で家族に見守れながらの死を選んだのです。
末期がんで、最後は栄養がとれないためやせ細り枯れて生き、亡くなったそうです。
訪問看護婦をお願いし、痛み止めの注射だけは打ってもらっていたそうです。
死を覚悟でオークランドに戻ってから、お葬式に使う自分の写真を選らび、ピンクの棺お
けもみずから決められたそうです。

葬儀の後、すでにここで親族を亡くされた方達のお話を聞いて、日本よりニュージーラン
ドのほうが死に対する選択の幅があると思いました。
今の日本で、24時間体制で病人を自宅で看護し、看取る余裕があるだろうかと思いまし
た。今、たいていの方は病気の場合、病院で亡くなるのではないでしょうか。


死に方、お葬式はある意味でその人の一生に対する締めくくりです。
事故などで外国で亡くなっても、遺体を自国に持ち帰り、葬儀を行います。
移住者が、ニュージーランドを自分のついの住処、死に場所として選ぶには、それなり
の理由、定住していたことが条件でしょう。

お葬式は仏式でした。
オークランドでも仏式のお葬式ができるとは知りませんでした。
キーウィの尼さんとお坊さんが、英語で般若心経を上げました。最初はなんとも不思議
でしたが、木魚にあって言葉が違うだけで十分雰囲気はでてました。
読経の後はお焼香でした。この前したのは、いつか記憶にないくらいで、お数珠も持って
いなかったせいもありとまどいました。

友人、遺族からのスピーチの後、息子さんの自作の歌の独唱、友人による「千の風にのっ
て」の独唱。「千の風にのって」は初めて聞きました。去年の紅白で歌われたのですね。
その場にぴったりの歌で、参列者の涙を誘いました。
こういう悲しい歌詞の歌が、日本ではやったとは驚きでした。
この曲を聴くたびに、彼女を思い出しそうです。

お葬式はとてもさわやかでした。お葬式の後、別室でお茶とサンドウィッチがでました。
友人達と言葉を交わし、ご遺族にあいさつしてから帰りました。

お葬式は心がえぐられるようで、大変疲れました。
自分の死を覚悟し、残された家族を宜しくと書き残した友人、そして彼女の希望どうり
葬儀を行った家族の目の見えない苦悩を考えると、胸がつまるようでした。
その日、一日一日を大切に生きよう、当たり前のこと、平凡な日々の生活に感謝しよう
と思いました。
1週間経ち、通常の生活に戻り、お葬式は遠い昔の出来事のようです。


数年前、家を建てたのをきっかけに私と主人は、遺言(will)を作りました。

私達家族4人以外だれもニュージーランドにいないし、もしもの時のためにと考え作りま
した。
長女とLawyerをtrusteeとし、長女にはなにかあった時には、その法律事務所に
相談するように言ってあります。
内容は、遺産の引継ぎ、葬儀の仕方などごく簡単なものです。
この友人の死の後いろいろ考えさせられ、必要以上の延命措置をとらない、葬儀の具体的
形式など追加すべきだなと思いました。
自分で選んだ人生を送っている訳だから、最後も自分の意思で決定したいなと思いました。

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1 コメント

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uso (tamaki)
2011-03-02 05:16:30
言葉も完全にわからない土地で死ぬって、勇気いりません?
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