オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その130 メサイヤ 22-12-15

2016-04-05 17:23:32 | 第121-130回
            メサイヤ


    130号
22-12-15

1歳の孫がお昼寝してる間に、ベピーモニターを時々ちょっと見ながら
メルマガ書いてます。
孫のデイケアが先週の金曜日で終わってのだけど、息子夫婦は明日まで仕事が
あるので、ばあちゃんの私が子守してます。
クリスマスまで3日となり、今年も押し詰まってきました。


先週の火曜日、友人とオークランドタウンホールにメサイアのコンサートに
行ってきました。
ニュージーランドでは、毎年12月になると各地でメサイアが演奏されます。
このヘンデルのオラトリオはもともとイースター(復活祭)に演奏されていた
ようですが、ニュージーランドでは12月にあります。
キリスト教徒ではない私でも、12月メサイヤに行かないと年を越す気分に
なれません。

音楽の仲間の友人が合唱で参加しているので、今年は特に親しみを持てました。
オークランドタウンホールは歴史的な建物で、舞台が階段になっていて、段の
ところに140人の合唱団が並びます。
その真上にパイプオルガンがあります。

指揮者は、Uwe Groddでした。
彼は、4年前の東日本大震災のチャリティーコンサートでも指揮を振りました。
私たち日本の合唱団は、彼の指揮でハレルヤを歌いました。
Uwe Groddはオークランド中心に活動しているので、音楽好きならだれでも
知っているポピュラーな指揮者です。

ソプラノはニュージーランド生まれのサモアの歌手 Merlena Devoeでした。
4人のソリストの中で飛び抜けてすばらしかったです。
声が息の流れに乗って、とても素直な発声でした。
ヘンデルのメサイアのアリアのいくつかは、私は発表会で歌ったことがあり、
Merlenaの歌い方にはとても好感を持ちました。

メゾソプラノのWendy Dawn Thompsonは、ラジオのインタピューでも知りま
したが、妊娠中でした。
多分妊娠6ヶ月ぐらいだと思うのですが、歌う時にお腹に力が入ることもあるし、
妊娠中のコンサートは普段とどう変わるのだろうか、と案じました。
Auckland Choralのシーズンは、1年以上前に決まるので、役を引き受けた
時は、Wendyは妊娠していなかったのでしょう。
メゾに近い音域と、観客の音が吸収されるのか、音の響きがあまり感じられません
でした。

合唱団の友人が、テナーのDavid Hamiltonが好きだというので、期待して
ました。ところが、Part Oneの最初のアリア、Every valley shall
be exaltedから冴えなくで、とてもがっかりでした。
歌は、最初の一声がとても大切だなと、再確認しました。

バリトンのMartin Snellは、まずまずのできだったと思います。
ただ、Part Three のThe Trumpet shall soundで始まるアリアを、
もうちょっと盛り上げてほしかったと思いました。
トランペットはすばらしかったです。

今回のメサイアはfull versionで、長いコンサートでしたが、英語で
わかりやすい事もあり、眠くもならず長さを感じませんでした。
オーケストラ、合唱も素晴らしかったし、全体的には、とてもいいコンサート
でした。

コンサートの後のサパーに友人が招待してくれました。
今年最後のコンサートでしたし、Auckland Choralを始めとする演奏者達、
Managementも含め、コンサートに関わった人達へのねぎらいのパーティー
でもありました。
私たちは、ソリスト達ともお話ができ満足でした。
サパーは、クリスマスケーキ、ミンツパイ、チーズとクラッカー、サンドイッチ
、お寿司、ハムのプラッターもでで豪華でした。


11時過ぎに帰途に着くと、Western Springのあたりが大変停滞していま
した。
ゴブリンのつので仮装した若者の集団が歩いたいたりして、警察官も多くで
ていました。
夜中にこの騒ぎは何だろうと思ったら、AC/DCのロックコンサートがあった
そうです。

孫はまだ眠ってます。手足が動き出したのでもうそろそろ起きるかもしてません。

今年は、私は息子一家との同居で生活が随分変わりました。
こういう環境で、仕事、趣味の歌やジム通いを続けるのは、ばあちゃんなりに
集中力が必要だと実感した年でした。

これからのホリデーシーズン、楽しく安全にお過ごし下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その129 東京高島屋草月展 27-11-15

2016-02-15 18:08:14 | 第121-130回
       東京高島屋草月展


129号 
                       27-11-15

11月の文化の日まで、東京、日本橋高島屋で開催された草月展に行って
きました。

高島屋の草月展は、いけばな草月流の一年に一度のメインイベントで、
これまでも写真を見たことはありました。

これまで一度見に行ってみたいな、と思いつつ実現しませんでした。
今回は、どうせ行くのなら出品しちゃえということで、新人席に出品
致しました。
今回は参加することに意義がある、ちょっとお試しの出展でした。
作品の出来は、まあまあですね。

私が出展した新人席は、40X40X高さ80cmというとても小さなスペース
でした。
私の娘くらいの若い方に混じり、新人席は7名の展示でした。
総展示者数が約700名ということを考え合わせると、本当に小さなコーナー
でした。

私は、ニュージーランドの陶芸家作の黄色の花器に、黄色、グリーン、エンジ
色のカラー、ユーカリをあしらい、ブルーのワイヤーと組み合わせました。
展覧会当日、私の作品だけ浮いているというか、外国人の作品のようだと
思いました。
ニュージーランドで草月流を始めて、ニュージーランド人に混じって活けて
いてこれまで全然違和感はありませんでした。
しかし、日本の中心東京の展示場では、私の作品は他のと違って見えました。
少数外国人も出展していますが、大多数が日本人の草月展で、私の色彩が
日本人のそれとは異なってきていたのです。
このことは、見に来てくれた友人たちの言っていました。
”T子さんの作品はすぐわかったよ。明るいブルーがニュージーランドだよね”

草月展の2日間に、ニュージーランドで知り合い、現在は関東に住んでいる
友人と再会できました。会場を抜け出して、ランチ、コーヒーを飲むわずかな
時間でしたが、楽しい時間でした。
出戻り組の生活の様子、日本での暮らしの感想も興味深いものでした。
もともと江戸っ子だから、東京の賑わいの暮らしに戻れてよかった、という
友人もいました。
リタイアのために東京に戻った友人は、友達作りが難しいと言っていました。
同じアパートに住んでいても、交流がなく、孤立してしまうそうです。


展覧会の後、JR Passを使って、博多、下関、四国の松山、高松、京都を
1週間旅行しました。
JR Passは、外国人向けのJRの乗り放題のパスです。
新幹線のぞみには乗れないけど、指定席も取れて1週間乗り放題、3万円
足らずと非常にお得です。
みどりの窓口で行き先と時間を伝えると、ベストの乗り継ぎで指定席を
取ってくれるので、日本語が解らなくても目的地までたどりつけます。
これは、日本が世界に誇っていいサーピスの一つだと思います。


東京から博多に着くと、やっと日本に帰って来たと感じます。
私は福岡出身なので、夕飯を取りに入った居酒屋の、隣の席のおじさん達
の会話の博多弁が子供の頃の思い出させ、懐かしい気分でした。
博多のホテルの朝ごはんのビッフェはとても充実していて、ご飯、お味噌汁
煮物、焼き魚等が日替わりで違ったメニューで出てました。
私は、高菜漬けと辛子めんたいだけでも幸せでした。

最近はどこのビジネスホテルの朝食でもコーヒーマシーンがあり、好みの
コーヒーを飲めるので嬉しいです。
気の利いたところでは、ロビーにもフリーのドリンクコーナーがありました。

博多到着の翌日は、日帰りで下関へ向かいました。
妹夫婦が新下関駅まで迎えに来てくれ、母の墓参りをした後、角島に連れて
行ってくれました。
https://ja.wikipedia.org/wiki
/%E8%A7%92%E5%B3%B6%E5%A4%A7%E6%A9%8B

角島は、”死ぬまでに行きたい世界の絶景”の3位に選ばれ、有名になって
いるそうです。
角島大橋は、とても長く、宙に浮いてるような気分でした。
2007年のヨーロッパ旅行で渡った、デンマークとスウェーデンを繋ぐ
オーレンス大橋を思い出しました。

この日初めて、サングラスがないと眩しいと感じる日差しを経験しました。
東京では、晴れの日も薄雲っていて、私は目が悪くなったのか、と感じる
ほどでした。
ランチに名物瓦そば、てんぷらを頂きました。

博多から四国の松山、高知の友人を訪れました。
四国の鉄道は進化してなくて、トイレは和式だけでした。
九州は、九州新幹線開通からJRが工夫され、人気の乗り物になっていること
を考えると、落差が大きいです。

高知から、懐かしの京都に11月6日にたどり着きました。
私は、大学時代を含めて12年京都に住んでいたので、日本滞在中は必ず
京都を訪れます。
紅葉は始まるこの時期、京都のホテルはとても高かったです。
私の泊まった東山三条のホテルは1泊2万円もしました。
ビジネスホテルで、日本人の私でさえ身動きしにくいくらい小さいバスタブ
で、この値段はひどいと思いました。
しかし、取れただけでもラッキーと思うしかありません。

その晩は、とてもいいことがありました。
三条京阪駅の近くに、私と夫が学生時代から通っていた居酒屋があります。
6日の夜、居酒屋のおかみさんに2年前に夫が亡くなったことを話しました。
すると、おかみさんはその場のいたお客さん全員に赤ワインをふるまい、
献杯してくれたのです。
3年前、母の法事で日本に行った時に、今度京都へ行ったらその居酒屋に
行きたいと夫は言っていました。
それから半年もたたないうちに、夫は事故で亡くなったのでした。
夫が果たせなかった夢は私が実現し、食べたかったものも私が代わりに食べて
ます。
おかみさんとは一気に親しくなり、真如堂の炉開きのお茶会に連れて行って
もらいました。
下町風の居酒屋のおかみさんがお茶が趣味だとは意外でしたが、やはり京都
だなと思いました。
堂本印象の掛け軸をはじめて素晴らしいお道具でした。
拝見の時に、平棗を慈しむように両手で包み込んでいたおかみさんの姿が
忘れられません。
扇型のお棚は初めて見ました。
お茶会のあとは、河道屋さんのおろしそばの振る舞いがあり、ほっこりと
温まりました。


翌日、午前中は琳派の展覧会を見に、京都国立博物館に行きました。
到着した時点で、すでに1時間待ちの長蛇の列です。
1時間半ならんで入場した時には、疲れてベンチで座り込んでる老人も
いました。
日本の方は、説明やら真面目に読むので、入り口のあたりはとても混み合って
いました。
私は、小さな色紙や書はすっとばして、まず龍神雷神を見に行きました。
琳派の豪快な構図、あでやかな色使いは、現在でも十分インパクトが
ありました。
後日東京でモネ展を見たのですが、日本画の一見平面的な表現方法をとても
力強いものに感じました。
モネは光の世界で立体を表現しているけど、モヤっとぼんやり感じます。


今回の旅では、中国本土の団体客が目立ちました。
京都のホテルでは、20人ほどの団体が泊まっていました。
朝食の時に、全員ショルダーバックをたすき掛けにしてまま食べていたので、
よく目立ちました。
普通日本人は、部屋の鍵と携帯電話くらいしかダイニングにもってこない
からです。
帰ってから香港出身の嫁にこのことを話すと、中国ではホテルでも泥棒が
多いので、貴重品はいつも身につけているのだと言ってました。

最後に寄った東京銀座のユニクロでも、中国人客が目立ちました。
店員も中国語ができる人が数人いて、質問に答えてました。
免税用のレジでは、中国人の行列ができてました。
そうだ私も免税価格で買えるのだと気付いたけれど、パスポートも飛行機
のチケットも持っていなかったので断念しました。


2週間の日本滞在は楽しかったですが、オークランドへ戻ると落ち着き
ます。
やはり毎日緑を見て暮らすのに慣れてしまったようです。
たまには東京へ行き刺激を受け、帰ってきてゆっくり消化するのもいいかと
思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その128 3度目のシドニー 11-09-15

2015-11-25 11:35:05 | 第121-130回
128号
11-09-15

3度目のシドニー


8月18日から24日まで草月流のイベントでシドニーへ行って来ました。
私がシドニーに行くのは3度目です。
2001年、2010年はこれも草月のイベントで行っています。

8月21、22、23日の週末にシドニーで、日本から草月流の先生方を
招いてのワークショップ、デモンストレーションがありました。

2010年は、夫も同行しました。
夫は、私が花のイベントに行ってる間、シドニー在住のビルマの友人達に
会い、再会を楽しんだのでした。


今回は、シドニー滞在中に時間を作って夫の友人に会うことにしたのです。
生きてたら、誰々さんに会いに行ってよ、と言うだろうと思ったからです。
だれもが予想もつかない逝き方だったので、ご心配頂いた方達にお礼を
言いたかったこともあります。

ホテルにチェックインして、あまり期待もせず電話したら、全員の方が
会って下さいました。
年のせいか、夫の死後、あまり物事の執着しなくなって、何事にもダメなら
それでもいいや、と思うようになりました。
深い期待をしなかった分、もてなしてくれた方々には感謝です。

シドニーの郊外に夫の友人達が住んでいるので、バスと電車で最寄りの駅
まで出かけました。
ダウンタウンから40kmもあるのに、バスは高速道路を通って30分
ほどでつきました。それにバス代がわずか$4.30と安かったです。
ニュージーランドだったらこんな距離だったらゆうに$20は超えると
思います。
郊外はそれなりに発達していて、大きなショッピングモールもあり、生活
には困らないようです。
駅前にはPark & Rideで、車を駅において仕事に行く人たちのための
5階建の大きな駐車場がありました。
このへんもオークランドとは規模が違うな、と思いました。


今回滞在したMenzies Hotelは、シドニー一古いホテルで内装やボール
ルーム(宴会場)のインテリアに伝統を感じました。
ホテルの前は、Wynyard Stationとバスステーションで交通の便が非常
に良かったです。
駅の地下街には、なぜかベトナム麺のお店が多かったです。
行列のできているところに食べたら、ミントやコリアンダー、チリも入って
いて本場のフォーの味に近かったです。

今回は、友人にシドニーフラワーマーケットに連れて行ってもらいました。
ウェアハウスのようなところに、100件以上生花の卸屋があり、一軒一軒の
品揃えも充実してました。
私は21日のホテルであったいけばな展に出展したので、マーケットで
花を揃えました。
地元の展示会でも希望の花が手に入らないこともありますが、アウェイの時
は出たとこ勝負です。
今回は枝物も含めて予定した花が入手でき満足でした。


草月のイベントは、学ぶことも多く、消化しきれないくらいの収穫が
ありました。
今もシドニーの経験を思い出しつつ、いけばなを活けてます。


地球の南の果てのニュージーランドにずっと住んでいると、井の中の蛙に
なりそうなので、機会があれば出て行くことにしてます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その127 風邪の季節 14-08-15

2015-11-25 11:31:50 | 第121-130回
14-08-15

127号

風邪の季節

一ヶ月位前から、我が家で風邪がはやってます。

6月にデイケア(保育所)デビューした孫が、まずもらってきました。
この月齢だと、なんでも舐めるので、デイケアのおもちゃからばい菌を
もらったようです。
タミーバグとかいいますが、下痢、嘔吐は数日続きます。
孫は、未熟児で生まれたせいか、以前からミルクとかよく吐いていたのですが、
ちょっと吐き方が違うなと思いました。
そういう症状だと、デイケアいけないので、ばあちゃんと家でお留守番です。

その後は、咳、鼻水で熱も出ました。
デイケアに行き始めると、色々病気をもらってくるので、覚悟はしていたもの
の、休むたびに子守りすると、私の仕事にも支障がでてきます。
2週ぐらい続けて週末に具合が悪くなり、月曜に医者に連れて行き、水曜日
くらいまでお休みしてました。
息子夫婦に共働きは、私の犠牲の上で成り立っているようなもんです。


7、8月と暗い我が家でしたが、いいいこともありました。
7月1日からニュージーランドの法律が変わり、13歳以下の子供は、
ファミリードクターの診察料、薬代が無料になったことです。

一番に具合の悪くなった孫は、最近はすっかり元気になり食欲も増してきたよ
うです。
今生後9ヶ月の孫は、6月はやっと座れる状態だったのが、最近はハイハイで
動き回り行動範囲が広まりました。
人は靴で歩くところを、這い回るわけだし、ばい菌もらわない訳がないけど、
そのうち強くなります。


孫から息子夫婦に風邪が移り、一ヶ月くらい咳してました。
体調悪くても仕事が休めず、夫婦でつらそうにしてました。
家中、風邪菌が充満してたと想います。
会社でも同僚が次々に風邪を引き、お休みが多かったそうです。


私は大丈夫かなと思ったのですが、3週間前から咳が出始め、まだ完治してま
せん。
孫と一緒に、医者に診てもらいました。
最初に処方された抗生物質がきかず、1週間後に別の種類の抗生物質をもらい
ました。
治ったように思って、ちょっと運動したりすると、翌日また体調が悪くなった
りしました。
来週から、シドニーに行くので治さねばならぬと思ってます。


ファミリードクターによると、今年は風邪の当たり年だそうです。
インフルエンザの予防注射はしていたのですが、風邪にはちっとも効きません。
雨が多くて、湿気の多いオークランドの気候は、風邪がはやりやすいようです。

早く春よ来い、暖かくなってほしいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その126 道路工事 19-07-15

2015-11-25 11:29:02 | 第121-130回
19-07-15
126号

     道路工事


6月22日から始まった我が家の前の通りの道路工事は、目下頭痛のタネです。


昨日のこと。
ほぼ工事が終わって、おとといあたりからロードローラーで道をならしてます。
我が家の駐車場が道に面してるのと、私の車のアラームの設定のせいか、
ロードローラーが往復するたびにアラームが鳴ります。
鳴るたびにリモコンで二階からアラームをオフにしていたのだけど、あまり
にもたびたびで家のことが手につきません。
それになにより、車のバッテリーが上がるのが怖くて、最後には車を家の裏に
とめに行きました。
こちらの車のアラームって、最初はピピピットとなるんですが、とめないと
そのうち大音響でワーンワーン鳴り出すんです。
近所迷惑だし、せっかく寝付いた赤ん坊が起きたら困るのです。


1週間前から、うちの真横の設定された信号も本当にAnnoyingです。
うちの駐車場からバックで道に出るのだけれど、朝など数台車が信号待ちし
てて、出ていけないのです。
この細い道は、ここのコンパウンド20軒が使ってます。
信号ができて、けっこうたくさんの車があることに気づきました。
平均一家に2台はあるし、40台のトラフィックも時間帯によりたいした量
になります。
それと我が家の横、道路工事の両端(片側通行になっているので)3台
信号機があり無線、自家発電機で動いてます。
ところが、うちの前が青なのに、まだどんどん車がきます。
それと待ち時間がすごく長い。赤信号に2分くらいかかります。


文句は後半に譲るとして、工事の概要をお話しします。

名前は、Hunua 4 Watermain Projectと言います。
工事は2012年に始まり、オークランド市内中心部からマヌカウ市まで
28キロに渡り、直径1、9メートルの水のパイプを埋める工事です。
住宅が増え、人口の増加に伴い、これまでより太いパイプを使うことに
なったのです。
うちの地域は、2015年5月から12月にかけて工事が行われます。
少し前まで我が家から空港へ行く道がこの工事のため通行止めで、
空港へまで15分余計に時間がかかってました。


我が家の2階の窓からプロセスの一部始終を観察できました。

1 道路に穴を掘る
  巨大なドリルでまず穴をあけるのだけど、地震かと思うほど
  家がゆれました。
  穴をだんだん大きくして作業に十分な深さ広さにします。

2 鉄枠を入れる
  周りから土砂が崩れてこないように、幅3メートル、深さ3メートル
  長さ10メートルほどの枠を入れます。

3 パイプを入れる
  パイプは直径1、9メートルでトラックで運んできました。
  地面の下には、水道管だけでなく、電気、インターネットのラインなど
  通っている訳だし、それらを傷つけないよう、慎重に進められたと
  思います。
  パイプをどのように繋ぐかは、見えなかったのでわかりませんでした。
  パイプが埋め込まれたあと、一晩断水でした。

4 鉄枠を取り除く
5 土を埋める
6 道をロードローラーでならす

現在ここまでです。ここまでほぼ1カ月かかってます。
たぶんこれから新しいアスファルトをひいて、中央の白線を書くのだと
思います。

書くと簡単ですが、毎日クレーン車、大型トラック、ロードローラーが
家の前を行き来してます。
オレンジ色のベストを着た作業員も20人くらい働いていると思います。
彼らは、朝7時にはやってきて、日によっては暗くなってからも作業してます。
パイプを埋め込む前の晩は、一晩じゅう作業をやっていて、ほとんど寝られ
なかったです。

よかったこと。
夜間、週末の交通量が減ってとても静かでした。
この道から2分ほどのところに、ショッピングセンターがあるし、モートー
ウェイ(高速道路)の入り口まで1分なので、普段の交通量は多いところです。
最近は、工事が地域の人に知れ渡っているので、みんなこっちを避けて通るよう
です。


オークランドは住宅ラッシュで、我が家の隣も200軒が新築されてます。
人口が増えると水の供給も増える、交通量の増えるということで、そのための
工事があちこちで行われてます。
今年のオークランドの固定資産税の平均20%上がるようです。
私たちのように長く住んでいる人間にとっては、本当に良い迷惑です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その125 首都ウェリントン 05-06-15

2015-11-25 11:26:22 | 第121-130回
125号
05-06-15

              首都ウェリントン



Mother’s Day の週末にウェリントンに行ってきました。
ウェリントンは、ニュージーランドの首都です。

前に行ったのは、21年前。
クリスマス休暇に車で北島一周の旅行をして、その途中で寄ったのでした。
街は一方通行が多くて、運転しにくかったことしか覚えてません。
だから、今回のウェリントン訪問は、初めて訪れる街の気分でした。

http://www.wellingtonnz.com/discover



5月9日に、草月流いけばなのウェリントン支部ワークショップがあり、
それに参加するついでに3泊のホリデーを楽しみました。

実は、私の属するオークランド支部でも3月に東京から本部講師を招いて
のワークショップがあったのですが、私は娘が第二子を出産ところで参加
を断念したのでした。役員として、さまざまな下準備、裏方としては
お手伝いしたのに、ワークショップには参加できませんでした。

それから4月は丸一ヶ月、お嫁さんの両親がサンフランシスコからやって来て
我が家に滞在してました。息子の子供は、彼らにとっては初孫で、生後六ヶ月の
可愛い盛りを充分楽しんで帰って行ったのでした。
私は自分のペースで生活してたものの、それなりに疲れました。


そんなこんなで、ちょっと息抜きが必要、どっか行きたい病でした。


ウェリントンは、週末の旅行にはちょうどよい街でした。
どこでも歩いていけるし、バスも本数が多くて便利でした。
首都だからもっと大きな町だと思っていたのですが、スケールが小さくて
散策するにはちょうどいいサイズの町でした。

金曜日の昼にウェリントンに到着しました。
空港から町までエアバスで20分ほどでした。
ホテルは、ケーブルカーの乗り場の近くで、夜もさほどやかましく
なく快適に過ごせました。

その夜は、Oriental Bayの支部長宅でワークショップの参加者の
パーティーがありました。
支部長は、歩いても来れるけど夜だしバスで来れば、と言いました。
全然土地勘がないし、初めてのところだから、iphoneの
Google Mapでバスを調べて、iphoneの画面で現在位置を確かめ
バスを降りました。
テクノロジーのおかげて、旅先でも不安なく
動けて、本当に便利になりました。
バスに乗っていたのは10分ほど、本当に近かったです。

どっかよその土地にいくと、オークランドと比べてしまいます。
ウェリントンのOriental Bayは、オークランドの Mission Bay
みたいなとこかなと思いました。
ダウンタウンからMission Bayは、もうちょっとかかります。

ウェリントンの住宅は、崖っぷちにへばりつくように建ってます。
支部長宅も、道路に面したところはガレージ、その横を上がっていくと
玄関でした。家自体は2階建だけど、正面から見ると3階建てのよう
に見えます。
ウェリントンの町の中心部は、平たい土地が少なく斜面に家が建ってます。
Mt Victoriaのある住宅は、道から細い階段で自宅に登るところや、
道から自宅まで私設のリフトのある家がありました。


9日のワークショップは、オーストラリアのメルボルンからの講師
でした。
オーストラリア、ニュージーランドの草月は交流があるので、何人か
顔見知りの人もいて楽しく、充実した1日でした。
金、土曜両日、ウェリントンの会員の方が私をホテルまで送ってくれました。
旅行やらで世界のどこでも一人歩きするけど、知らない土地でこういう
気配りはありがたいです。


母の日の日曜日は、歩いて町を散策しました。
ケーブルカーで植物園まで上がりました。
展望台は、晴れて海岸まで見渡せました。
晴れてるけど風が強い。
さすがwindy Wellingtonです。
植物園は前日、草月のメンバーから話を聞いていて、かなり期待して
行きました。
興味のあったベゴニアガーデンは、温室のちょっと大きめなのという感じ
でたいしたことなく、がっかりしました。
まあニュージーランドはカジュアルというか、ふつうの山道のようだけど、
植物に名札がついてるから、ああここは植物園だったのだ、という程度には
慣らされてますけど。
植物園のカフェは、母の日ということで、家族連れで賑わってました。
去年の母の日は、娘が近所のカフェでブランチをご馳走してくれたのを
思い出しました。


カフェの外は普通の道で、だらだら下っていくと、ニュージーランドの
国会議事堂Parliament, Beehiveがありました。
建物の形が蜂の巣のようなので、Beehiveと呼ばれてます。

国会中継やら、テレビのニュースのバックに映っていて、画像では
よく見慣れたものでしたが、実際訪れたのは初めてでした。
もうちょっと賑やかなことろかなと想像していたのですが、まわりはちょっと
政府機関の建物があるだけで、以外とひっそりしてました。



お昼時になったので、国立博物館Te Papaの前の毎日曜日に行われている
Farmers Marketに行きました。
よくある石窯焼きのピザ、ドイツのソーセージのほかに、インドネシア料理、
中華まん、タイ料理、おなじみのFish & Chipsなどの屋台がありました。
その先には、野菜、果物、魚など売られてました。
野菜は新鮮で安く、レジに行列ができるほどでした。
私は、おみやげにアボガドを3袋買いました。
オークランドでは、すでにシーズンは終わっているけど、ここではまだたくさん
売ってました。
私は、インドネシア料理でもち米を竹の皮に包んで蒸したものに、ビーフカレー
がかかっているものを買って食べました。
カレーはココナッツミルク入りの濃厚な味で、もち米のもちもち感と意外と
あいました。


そのあと、Te Papa博物館をゆっくり見て回りました。
ニュージーランド、オーストラリアの連合軍が、トルコのカルポリに
上陸して100年ということで、ANZAC Dayの特別展示室前には、長い
行列ができてました。
http://www.nzhistory.net.nz/war/anzac-day/introduction

日本だとどこへ行ってもよく並びますが、ニュージーランドでこんなに並ぶことは
少ないです。

夜は、Cuba Streetのイタリアンレストランで食事しました。
昼間コーヒーを飲みにはいったら、私の好きなイタリアワイン、Chiantiが
あったので夕飯はここにしようと決めました。
Cuba Streetのおしまいの方には、レコードの専門店があり、レトロだなと
思いました。日本なら昭和時代のようです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Cuba_Street,_Wellington



最後の月曜日は、6時半のフライトまで丸一日時間がありました。
金土日は素晴らしい晴天だったのに、月曜は小雨が降ってました。
ダウンタウンを歩き回るのも飽きたので、Hop on Hop off バスに
乗ることにしました。

Weta Workshop

映画監督Peter Jacksonの小道具や舞台セットを作っていて、一般向け
のツアーもあります。
https://www.wetanz.com/

The Lord of RingsやThe Last Samuraiで使われた刀、剣などどのように
作るか知りました。
この周辺は、ダウンタウンから30分くらいでふつうの住宅地でしたが、
Peter Jacksonがここで映画製作をするようになって、雇用の機会も増え
地元では喜ばれているそうです。

Mt Victoria

港の方まで見渡せて景色はよかったけれど、ここも強風でした。

http://en.wikipedia.org/wiki/Mount_Victoria,_Wellington

Zealandia

ここは鳥の楽園で川沿いを歩きながら、ニュージーランドネイティブの鳥
を見ることができます。
http://www.visitzealandia.com/

私は、KakaとTuiに出会うことができました。
ランチもここで食べたので、Hop on Hop off バスには2時間後に迎え
に来てもらいました。


車でないと行けない
ようなところをバスで回れ、ウェリントンの町のイメージ
がはっきりつかめました。

帰りは、5時頃エアバスで、空港に到着しました。
バスのドライバーに、ここはDomesticか Internationalどっちですか、
と尋ねました。
ドライバーは憮然として、空港はひとつしかないよ、と教えてくれました。

Air New Zealandのチェックインも国内線、国際線同じところ、
ウェリントンは小さい空港だなと実感しました。


オークランドまでわずか1時間のフライトの間に、ワイン、チーズ、クラッカー
のサービスがありました。
ワインを飲み終えないうちに、オークランド空港に到着しました。



最近は割安のチケットもでているので、こういう旅行も悪くないな、と思いました。
次回は、いいコンサートでもあれば、またウェリントンに行ってみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その124 端午の節句、お茶会

2015-06-03 10:54:41 | 第121-130回
124号

             端午の節句、お茶会
08-05-15


カナダのJunkoさんに引き続き、お茶の話題です。
私は、茶道はお免状も持ってないし、ニュージーランドに来てから趣味として
しかやってないので、内容、記述に間違いがあるかもしれません。
オークランドでどのようにお茶を楽しんでいるか、知ってもらえればと思います。


この間の日曜日は、端午の節句のお茶会でした。
涼しくなってきたので、合わせの着物が着られるようになりました。
私は、加賀友禅の小紋に名古屋帯を着ました。
長い帯は自分では着られないので、着物の上に半コートを着て、車を運転して
行きました。
先生宅で、友人が二十太鼓を結んでくれました。
持つべきものは友人です。

友人もオレンジ、紺色の美しい小紋、もう一人の友人は大島紬でした。

お茶会は、着物を着る楽しみでもあります。
私は、自分のと亡き母の着物で、桐の長持ちがいっぱいになりました。
この桐の箱は結婚時に購入して、私と海外を旅してます。
クリーニングにだすとか、洗い張りとかはできないし、私一代着倒すつもり
で、機会があれば着物を着て楽しんでます。
ほかのお友達も日本に引き上げる方からもらったりと、着物を着る人のところ
にはいい着物が集まるようです。
母の着物を着ると、ああ母はこういうやわらかな色彩の柄が好きだったのだな、
とか思い出します。


お茶室では、鉄釜にお湯が沸き立っていて、炭から香の匂いが漂ってます。

前回までは、風炉でしたが、紅葉も見られるようになった今日のお茶会は
炉でした。
炉のへりは、黒地に朱色の花が描かれた漆製のものでした。
端午の節句にふさわしく、華やかでした。


先生の御宅は日本風で、玄関を入ると6畳のお茶室があります。
畳は日本から持ってきて、ふすま、障子はこちら在住の日本の大工さんにお願い
されたそうです。
そこは全く日本的な空間なのに、はるかかなたの山の斜面にはニュージーランド
によくある景色で、羊と馬が牧草を食んでいるのが見えます。


床の間には、ろうけつ染のエンジ色のこいのぼりがかけてありました。
花は、菖蒲の葉(花はこの時期ありません)と雪柳が足元にあしらってありました。
丸卓の飾り棚、カキツバタ文様の漆の棗が印象的でした。

お茶碗は、唐津焼、京焼、朝鮮のもの、ご近所のポッターの備前と様々です。
こちらのポッターも、tea bowlと称してお茶碗を作ってます。
表面がさらざらで茶筅の先が折れそうなものとか、高台がうすい、大きさが中途半端
だったりと、なかなかおもしろいものがあります。


お茶会のお菓子は、手作りしたものを持ち寄ります。
今回は、スイートポテト、栗あん入りミニどら焼き、シフォンケーキと柚子羊羹
(これだけ日本から)でした。
お菓子が食べたくて、お茶会に来てるのかもしれません。
日本なら和菓子が簡単に手にいるでのですが、ここでは自分で工夫して作ります。
みなさんの和菓子が食べたい、手にいるものでおいしい和菓子を作り出す
パッションにはいつも感心させられます。


私は、大学時代を京都で過ごしました。
京都は四季折々の和菓子が楽しめて、お節句のちまき、お麩のお菓子、水無月という
お菓子など知りました。
ちょっと歩けば名の通った和菓子の老舗があったし、デパートの地下にはあると
あらゆる和菓子がならんでます。
表、裏千家は近くにあり、四季折々にお茶会がありました。
二条城や平安神宮の野点など、学生の私でも気軽に楽しめる一般的なお茶会も
ありました。
今考えると、なんという贅沢だったと思います。
海外在住22年となった今もお茶やお花を楽しめるのは、若い時の京都でも経験
に基づいているのだと思います。


先生は表ですが、私の友人は裏です。
表の作法でたてたり、裏でやったりとしました。
袱紗捌きなど、裏だったらこうだよねと、おしゃべりするのもなかなか楽しいです。
半東さんもかわりばんこにやります。

私は半東さんだけやって今回は免除されるかと思いきや、3服立てさせられました。
ここ2年ほどは、お茶から遠ざかっていたので、お茶をたてたのは本当に久しぶり
でした。先生の号令でやりましたけど、うっかり水差しのふたを開けるのを忘れてました。


最近、息子さんと同居することになった友人が、茶箪笥、お茶のお道具一式、なんと
御釜も2つくれました。
彼女の新居には持っていくことができず、処分しなければならなくなったということで、
私が頂きました。
いつかはお茶をちゃんとやりたいなと思い、京都に行くたびにすこしずつ揃え始めては
いたのですが、これでフルコレクションとなりました。
茶箪笥にお茶碗、建水を飾り、そこを通るたびににんまりしてます。
京都で日本建築を勉強した亡き夫は、日本風なスペースを我が家に残してくれました。
床柱があり、掛け軸をかけられる空間があります。
4畳半くらいが上がり床になっているので、ここにゴザと毛氈をひけば、将来お茶会が
できるなと思ってます。
いつか本格的に始めようと思っていたら、機会のほうが先にやってきて、お膳立てが
揃ってしまいました。


最近生まれた二人の孫達も順調に育っているし、私の生活も落ち着いてきたので、
このお茶会を機に、来月からお茶のお稽古を始めようかと思ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その123 Kids' TRYathlon

2015-06-03 10:51:03 | 第121-130回
123号

             Kids’ TRYathlon

14-04-15

 3月22日に、私の7歳の孫、Y君がトライアスロンを初挑戦しました。
http://try.weetbix.co.nz/kids/try-trainer

トライアスロンは、Triathlon と普通書くのですが、このイベントは、
TRYathlonとなっていました。
理由は、”TRY”、子供たちがやってみる、初めての挑戦という意味合いらしい
です。
weetbixのTRYathlonは、夏の間に、ニュージーランド全土13箇所で
順次に開催されます。

ニュージーランドではトライアスロンが盛んで、Taupo であるIron man
は有名です。
泳いで、自転車、そして走るという過酷なスポーツですが、けっこう友人
でやってる人も多いです。



今回のTRYathlonのメインスポンサーは、Sanitarium Weet-Bix
でした。
Sanitariumは、コーンフレークなどのブランドで、Weet-Bixは、
コーンフレークを固めた平べったいものです。
ニュージーランドでは、おなじみの朝ごはんで、ミルクやヨーグルトをかけて
食べます。

スポンサーは多数で、NZ Post, ASB Bank,Toyota などなど。
エントリーすると、当日着る全部のスポンサーのロゴがプリントされた
Tシャツが送られてきます。

このイベントは、7歳から15歳まででした。
学校や仲良しなどのグループエントリーもできました。
Y君は7歳で一番小さいグループでした。
7歳児は、50mのスイミング、4kmのサイクリング、1.5kmのランニング
でした。


一ヶ月位前から、ばあちゃん応援に来てね,と言われてました。
娘は一ヶ月前に出産したところだったし、Y君をCheer upしてあげなくては
と思いました。


3月22日朝7時、娘宅を出発しました。
自転車、着替えの入った白い箱をつんで、Y君、Y君のパパ、私で出かけました。
ハーバーブリッジをわたって、高速をでると、もう停滞が始まってます。
たいていジープの屋根や、後ろのキャリヤーに子供用のバイクをつんでます。
なかには2、3台つんでる車もありました。

Devonportの会場近くにイベント用の駐車場ができていて、そこに車を
停めました。
そこから10分歩いて、エントリーをします。
エントリーすると、これもスポンサーのロゴ入りの白のスイミングキャップ
をもらい、白男子の列にバイク、ヘルメット、靴、Tシャツなどのはいった
箱を置きに行きました。

7歳は白、8歳は赤、9歳は緑などと色分けしてあってわかりやすいです。
参加人数分、約3000台の自転車が整然と並べられます。


エントリーナンバーを、腕と足に油性のマジックで書いておきます。
水泳中はゼッケンがつけられませんからね。

エントリーをすますと、出番まで待ちます。これがけっこう長かったです。
年齢別に30分ごとにスタートで、Y君がスタートしたのは10時半くらいでした。

この間、スポンサーのSanitariumのただの朝食を食べました。
オレンジジュース、ピーチなどの缶詰とWeet-Bix、ヨーグルトでした。

ASB Bankコーナーで輪投げしてブーメランをもらい、
NZ Post でロゴや配達車のtatoo(刺青、シールですが)をしてもらったり、
Asicsで塗り絵をしたりして時間をつぶしました。
こういうイベントに慣れてる家族は、ビクニックバスケット、敷物も
持ってきていて、一家でくつろいでました。


その後、ピーチに行って年長のグループが泳いでいるのを見にいきました。


10時半、やっと白色男子のスタートの時間となりました。
200人くらいのグループを柵の中で待たせます。
さらに10人のグループに分けて、スタートさせていました。
実際泳ぎ始める地点まで、2つのステーションがあり子供達をさらに待たせます。
あのお兄さんところに行って、と言われて走っていきます。
ボランティアのお兄さんは、子供たちに簡単な準備体操をさせます。
ジャンプジャンプ、はい行っていいよ、と言われて、次のステーションまで
子供たちは走ります。
海が混み合わないよう、事故がないよう調整してました。


ほとんどの子が、水の中を歩いていたのですが、Y君はなんとか泳いでました。
Y君は、スイミングは5歳からやっていてクロールができます。

50mのスィムが終わると、走って自転車置き場までいきました。
濡れた体で裸足で、コンクリートの歩道をかけていきます。

競技中は、自転車置き場はスタッフと選手以外入れてくれません。
ここでも、ボランティアのお姉さんたちが子供たちの着替えを手伝ったり、
ちゃんとヘルメット被れているかサポートしてくれます。
孫は、足が濡れているのでソックスが引っかかってなかなか履けず、
もたもたしてました。


サイクリングは、ゴルフ場の周りを1周して、また自転車置き場に戻ってくる
コースでした。
Y君は、お父さんと毎週のようにマウンテンバイクに乗っているので、バイク
は自信があります。
坂道もブレーキをかけずに、すべり降りたそうです。
なかには、怖くてとまったり、押して歩いている子もいたようです。


バイクが終わると、自分の場所にバイクをヘルメットを置いて、ランニング
です。
これくらいになると、暑くてどの子も真っ赤になってました。

Y君はこのトライアスロンのために、一ヶ月前からお父さんと一緒に走り、
トレーニングしてました。
登り道でY君は3人抜いたそうです。

私は、レース中会場内を移動しつつY君を応援していたのですが、みんな
同じユニホーム着てるし、何回も見失ってしまいました。


ランが終わって、ゴールでは、ジュースとりんごをもらってました。
全員金メダルをもらい、記念写真撮りました。
順位はないので、全員チャンピオンです。

Y君は金メダルがうれしくて、その日はずっと首にかけてました。
初めてトライアスロンの参加して、やり遂げたことで、Y君も私たちも
とても誇らしく思いました。
We are proud of you !!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その122 おっぱいおっぱい 17-03-15

2015-04-09 09:23:05 | 第121-130回

122号    17-03-15

             おっぱいおっぱい



我が家は最近ベビーブームです。

去年10月に息子の長男K君が産まれました。
先月は、娘が次男N君を出産しました。

この二人は4ヶ月違いで、大きくなったらいい遊び相手になると思います。
娘の長男は7歳で、我が家の孫は男の子ばかり3人です。

病院のこと、ミッドワイフのことなど、いろいろ思うことはあるのですが、
今回はミルクに絞って書いてみたいと思います。


まずK君。
10月に35週、2、15Kgで産まれました。
プレミー(premature baby)で最初2日間は保育器に入ってました。
早産のため、お嫁さんのおっぱいもまだ十分にでてきてないし、
吸う力もないので、チューブを鼻から入れてミルクをやってました。
この子は泣かないし、よく寝て、世話のしやすい赤ちゃんと思ってました。
それは実は、小さいため、おっぱいを吸う力が十分備わってなくて、吸って
いても、すぐに寝こけてしまうのです。

この時期の赤ちゃん、ミルクだけで生きてるし、3時間おきにミルクを
与えなければなりません。
普通に生まれたら赤ちゃんだったら、on demandで欲しがる時に授乳
すればいいのよ、とか言ってられるけど、未熟児にとってはミルクを飲む
かどうかは死活問題です。

お嫁さんが、でるだけ母乳を与えて、その後、直径5ミリくらいの細い
チューブでミルクを直接、K君の鼻から胃に入れます。
赤ちゃんの口より高い位置にチューブ付きのミルク入り注射器を持ちます。
一人は赤ちゃんを抱いていないといけないし、絶対2人いないとできません。
このやり方で、少しずつですが、体重が増えてきました。

しかし、チューブでミルクを足してる(top up) うちは、家に帰して
もらえません。
出産前から3週間も入院してるお嫁さんも疲れが出てきました。
初めての育児もあるけど、病院での生活はひっきりなしに病室に人が入って
くるし、休まる間がありません。
やっと寝れたと思ったら、同室のお母さんの赤ちゃんが泣き出したりします。

そんなある日、ボトル(哺乳瓶)を試してみたらということになりました。
そしたらK君はすぐうまく吸えて、やっと家に帰れるようになりました。
退院したのは、2、8Kgの時だったと思います。

ここでは母乳を優先させているので、チューブは使っても、ボトルは、
最終手段です。
ボトルから飲むのは赤ちゃんには楽ですが、おっぱい吸う努力をしなくなるし、
初乳は栄養価も高いため、病院では母乳優先という方針のようです。

家に帰ってきて、自分のベッドで寝て、リラックスすると、お嫁さんのおっぱい
もだんだんでるようになってきました。

最初2ヶ月は、私が朝5時におきてK君にミルクをあげました。
一回授乳をスキップすれば、お嫁さんは6時間続けて寝ることができます。
お嫁さんの家族はアメリカにいて、彼女はここには私たち以外身寄りがないので、
私にできるだけのことをしてあげよう、と思いました。

K君は、5ヶ月になり、今週から離乳食をスタートしました。
体重も6kgとなり、標準児に追いついてきました。
家族とよそのの人の区別がつくようになり、息子(おとうさん)が帰って
くると、手足をばたばたさせて、だっこをねだります。



娘の次男N君は、帝王切開で産まれました。
2時に手術が始まって、30分後に産まれました。
陣痛から出産までの時間、普通分娩に比べると、あっけないくらい簡単でした。
3050gで、アジア人の赤ちゃんとしては標準サイズです。
手術後、リカバリールームで、N君はおっぱいを吸い始めました。

娘は第一子の時は母乳を与えなかったので、授乳は初体験です。

やはり最初の2、3日はおっぱいの出が良くなくて、N君の体重は1割ほど減って
しまいました。
母乳とTop upのミルクでも充分でなかったようで、ちょっと脱水状態になり、
おしっこが24時間出ませんでした。
赤ちゃんによっては、うんちは1日以上でないことはあるけど、おしっこが長時間
でないのは危険です。
それでTop upを40ccに増やし、3時間ごとに与える事にしました。
おっぱい吸ってる時に細い管を口元の差し込み、おっぱいと錯覚させるように
して与えます。
もっとやりやすかったのは、人差し指を赤ちゃんに吸わせながら、チューブでミルク
を与える方法です。

娘は、出産から5日目に退院しました。
家に帰ってからは、母乳とボトル両方与えてます。


うちの孫達は、おばあちゃんが3人いるわけですが、なんと授乳の経験があるのは、
私だけでした。
たぶん30年位前は、ミルクのほうが母乳より栄養価があると思われていたようです。
現在のニュージーランドは、まず母乳で、やむをえない場合はミルク(Formula)
というのが主流です。

そうはいってもDay care(保育所)に行くようになったら、ほとんどボトル(ミルク)
になるんですけれどね。
お嫁さんは、職場復帰、K君が保育所に行くまで、なるべくたくさん母乳を与えられるよう
努力しているようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その121 猫の老人ホーム 13-02-15

2015-04-09 09:15:54 | 第121-130回


121号       13-02-15

猫の老人ホーム

我が家には、SPCAから養子にした2歳のナミちゃんと、推定18歳の先輩と
いう猫がいます。

先輩は16年前に我が家がここに家を建てた時から、この辺をうろついてま
した。
その頃飼っていた雄猫のタマが先輩を慕っていたので、タマの先輩という
ことで先輩と名ずけました。
そのタマも、2年と3ヶ月前に突然死してしまいました。

5年くらい前、先輩は病気でレモンの木の下にうずくまっていました。
いつも私が近づくとこそこそ逃げるのに、その力もないのか動きません。
近くに水とキャットフードを置いておくと、食べるようになりました。
それからは、私を見るとご飯をねだるようになりました。

たぶん先輩は、どっかの飼い猫だったと思うけど、夜になってもどこにもいかず、
うちのそばに居着くようになりました。
かわいそがった主人が、、勝手口の横に猫小屋を作ってやりました。
雨よけにブルーシートをかけたので、まるで乞食ハウスです。
冬は吹きっさらしで寒いけど、先輩はマイホームがもてて嬉しそうでした。

ある冬の日、先輩は腎臓かどっかの病気らしく、ほとんど動かなくなりました。
それでもご飯の時は、顔をあげて食べてました。
もうこれで先輩ダメかなと思ったのですが、春めいて暖かくなったせいもあり
回復しました。
タマが残した抗生物質があったのを飲ませたのが、効いたのかもしれません。
若い時のケンカ傷で耳がギザギザになってます。
猫闘争にも打ち勝ち、生き延びてきた先輩はきっと丈夫な、猫なのでしょう。

充分に回復したある日、先輩をブラッシンクしてやりました。
毛が固まってこべこべのハンバークのようにへばりついていたのを、ハサミ
で切ってやりました。
毛が長いのに、歳のせいが毛繕いもしないから、あちこち汚れ放題でした。

これまで先輩は外猫でした。
ところが、去年の5月私が日本から帰ってくると、なんと先輩がリビングのソファ
に寝てたんです。
留守番してた息子に問いただすと、キャットドアの使い方を教えてやったそう
です。
どうしてと尋ねると、
だって寒くでかわいそうでしょ、と息子に言われました。
おまけに洗ってやったそうで、茶色の水が何回ゆすいでもでたよ、と言って
ました。

今も先輩は当然のように、先輩専用の椅子の清潔なタオルの上で眠ってます。

去年の12月、先輩は又病気になりました。
よだれがタラタラでて、足元もふらついてました。
これを放っておくのはかわいそうだな、と思い獣医さんに連れて行きました。
獣医さんいわく、
歯槽膿漏で歯茎が痛んでるから、歯を全部抜かないとだめですね。
あとたぶん腎臓が腫れてると思うけど、血液検査とレントゲンとらないと
治療方法がわかりませんね。
私、
それっていくらくらいかかるんですか?
獣医さん、
検査は$500、抜歯は$300くらいですね。
私、
先輩はうちの猫でもないし、最低の治療だけお願いします。
食べるにだけが楽しみなので、歯は抜かないで下さい。

ということで、週一回先輩を注射に連れて行ってます。
いつ死んでもおかしくないよな、と思っていたのに、薬が効いたのか
最近元気になりました。
獣医さんでついでに、黒猫のまいごの届けはでてないか、マイクロチップ
がはいっていないか調べてもらいました。
どっちもなしでした。
これで先輩は、正式に我が家の猫になりました。
推定18歳、人間でいうと90歳くらいですかね。


歳とった先輩は、だれにも優しいです。
ナミちゃんもおじいちゃんのように慕ってます。


ここで1月の配信が抜けたことを、お詫び致します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする