オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その160          草月流いけばなオークランド支部50周年イベント 14−09−18

2018-11-08 09:39:10 | 第151−160回

160号
14−09−18


草月流いけばなオークランド支部50周年イベント


8月25日から28日の4日間、草月流オークランド支部の50周年イベント
がありました。
私は支部長として、一年間このイベントに向け時間を費やしたので、無事終わり
ほっとしてます。


1968年7月に14人の夫人達により、草月流オークランド支部が設立され
ました。
当時の写真を見ると、毛皮のショールに手袋のドレス姿の夫人達は、きっと上流
社会の方々だっただろうと思います。


私自身は、オークランドに来てから12年前に草月流を始めました。
メンバーはほとんど30年、40年やってる人ばかりで、私なんてヒヨッコです。
昔も今もそうですが、ニュージーランドの草月のメンバーはキーウィーで、
日本人はわずかです。
最近は私の教室も、海外に出て改めて日本文化を再認識する意味で、日本人
の生徒さんも増えてきました。


去年4月の会議で、私はオークランド支部支部長に任命されました。
支部長職も初めてなら、50周年という大きいイベントを仕切るのも初めて
でした。
50周年記念は、創立以来のビックイベントだったのでだれも経験者はいない
わけですが。
今考えると怖いもの知らずというか、何もわかっていなかったです。
特に最後の3ヶ月の苦労とストレスを考えると、予想できていたら引き受けて
いなかったと思います。


昨年9月から会場探しを始めました。
草月流東京本部の片山健先生が、快く私たちのリクエストに答えて下さい
ました。
例年やっているいけばな展と、片山先生のステージでのデモンストレーション
できるシアターの両方があるところに絞り候補をあげました。
交通の便も考えて、Epsom Girls Grammar School (公立女子高)の
アートセンターに決めました。
ここは私の娘の卒業校です。ニュージーランドの元首相のヘレン クラークも
この学校の出身です。
後半2日間のワークショップは、私が働いているParnell Community Centre
にお願いしました。


2月25、26日の展覧会は、オークランド支部だけてなくお隣のオーストラリア
の支部、日本、サンフランシスコからも出展者もありました。
26日の片山健先生のいけばなデモンストレーションのチケットは完売でした。
ポスター、地元日本人のコミュニティー、ソーシャルメヂアを通じて宣伝した
甲斐がありました。

26日のデモンストレーションでは、片山先生は羽織袴姿で、10点を活けられ
ました。
オークランドの季節の花々、枝物、さまざまなテクニックを明確に表現したデモは、
オークランドの一般の人たちにも好評でした。
最後は高さ3メートル、幅5メートルに及ぶ大作をオークランド支部メンバー
全員で仕上げました。
私の友人達、家族も全員見に来てくれました。


デモの準備期間、片山先生と過ごす時間が多かったのですが、片山先生の気さく
なお人柄に助けられました。
片山先生は、いけばなを通じて世界中回っていらっしゃるので、たぶんどんな
所でも材料にもこだわらずいいお仕事をされているのだろう、と思いました。
草月流のモットーは、世界のどこでも、何を使っても、誰にでもいけられる、
です。
片山先生は、これを実践されているとても優れたお手本だと思いました。


8月27、28日は会員向けのワークショップでした。
私の生徒も参加しました。
オークランドメンバーの参加者が14人に対し、海外、ニュージーランド国内
からの参加者が倍以上もいて材料、花器の準備も大変でした。
全員がいけ終わってから、先生が講評して下さいました。
皆さんの作品はとても素晴らしいと思ったのですが、片山先生がちょっと
手を加えただけで見違えるようによくなりました。
ワークショップは、世界の仲間が草月のテキストに基づいて、同じトピックス
を学びあえるとてもいい機会です。
いつものオークランドのメンバーだけの勉強会と違って、とても刺激になり、
他の国のメンバーとの交流もできます。


28日の夜は、Celebration Dinnerをオークランドダウンタウンの有名
日本料理店で行いました。
参加者とそのパートナー、家族を加わり、楽しく交流を図ることができました。
私は、30分ほど家に帰る時間があったので着物を着ました。

それぞれの分野で優れた才能を発揮できるCommitteeメンバー、会員全員
の協力で、イベントは大成功でした。
ゲストも楽しい思い出を胸に、それぞれの土地に帰っていきました。


私は、フローリストとしての経験を加えると40年以上、花に関わってます。
草月のいけばなは、私の花の世界を広げてくれました。
いけばなのイベントで、本当の世界の街を訪れ、友達ができるのはとても楽しい
です。
支部長のお役目としての今年のイベントは終わりました。
これからはもうちょっとリラックスして、私の花を楽しんで行きたいと思います。


自分へのご褒美に、10月はカナダとアメリカに旅行に行きます。
10月の配信の頃は、カナダのケベックにいますので、まぐまぐの配信はお休み
させて頂きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その159  New Zealand International Film  10−08−18

2018-11-08 09:37:18 | 第151−160回
159号
10−08−18

New Zealand International Film Festival



ここ最近、8月末に開催される花のイベントの準備で、今回は配信パスしようかな、
と思っていたのですが、簡単に書きます。

花のイベントのためのやりとり、自分の責任を考えると非常にストレスが高くて、
燃え尽きそうになるので、時々息抜きしてます。


オークランドでは7月19日から8月5日まで New Zealand Film Festival
がありました。
私は、二つの映画に行きました。

一つ目は、是枝監督の万引き家族でした。
この映画は日本で上映されているし、ここで私が書かなくてもいいと思います。


二つ目は、Rebeca Tansley監督の “The Heart Dances -the Journey
of The Piano: the ballet”です。
これはドキュメンタリーで、ニュージーランドのマオリ文化と西洋人のぶつ
かりあいを考えさせられる、非常にいい映画でした。

1993年の製作された” The piano”の映画をもとにしたバレーの完成するまで
のドキュメンタリーです。
日本では”ピアノレッスン”という表題だっとと思います。

これがあらすじです。
After a long voyage from Scotland, pianist Ada McGrath
(Holly Hunter) and her young daughter, Flora (Anna Paquin),
are left with all their belongings, including a piano,
on a New Zealand beach. Ada, who has been mute since
childhood, has been sold into marriage to a local man named
Alisdair Stewart (Sam Neill). Making little attempt to warm
up to Alisdair, Ada soon becomes intrigued by his Maori-
friendly acquaintance, George Baines (Harvey Keitel),
leading to tense, life-altering conflicts.


New Zealand Royal Ballet は、チェコから有名な振り付け師で双子の
Jiri & Otto Budenicekを迎えます。

この二人のよる練習風景、オーヂィデョンの様子などはウェリングトンの
New Zealand Royal Balletで撮影されました。

http://rnzb.org.nz/shows/the-piano-the-ballet/


一番印象に残ったのは、振り付けのJiri Budenicekとマオリ文化の
アドバイサー Moss Pattersonとのやりとりです。
Moss Pattersonは、このバレエにマオリ文化を正しく表現することを
主張します。
しかし、Jiriはオペラ、蝶々夫人を例に挙げ、反論します。
蝶々夫人は舞台が日本で日本人という設定になっているが、必ずしも日本人
が蝶々夫人を演じる必要はない、とJiri言っていました。
Mossの主張がとおり、Adaがやってきた船はマオリのワカ(マオリ人のカヌー)
のデザインに変えられます。
しかしながら、マオリのダンサーがひとりもいないなどの不満から、Mossは
バレーの完成を見ずにプロダクションを去ったのでした。


ダンサーの体全体動きで感情を表現する素晴らしさ、演技のうまさに
見とれました。
3月の実際のバレー公演を見逃したのが悔やまれました。


映画祭ということもあり、映画が終わるとRebeca Tansley監督と
バレリーナ4人が舞台に登場し、観客の質問に答えました。
実際に映画に登場した人、監督に会えるのは映画祭ならではの楽しみです。


Rebeca Tansleyは2015年に”Crossing Rachmaninoff”という
映画も製作しています。
主人公となったイタリア人のピアニストは現在もオークランドで活躍して
います。

これまであまりバレエファンではなかった私ですが、肉体でアートを
表現するバレエを見てみたいと思いました。
New Zealand Royal Ballet、来年はぜひ見に行きたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その158 Fibre(光回線)が来た 13−07−18

2018-11-08 09:34:35 | 第151−160回
158号
13−07−18

         Fibre(光回線)が来た


昨日からFibre Broadbandの工事が、我が家の周りで始まりました。
光回線のインターネットがこの街にもやってきます。
今年11月からFibre Broadbandの契約ができるそうです。


ここ数年でニュージランドのネット事情はずっと良くなりました。

25年前にニュージーランドに来た時、夫は大学からインターネットをつけて
もらいました。
会議や学生の予約がメールで来てました。それ以外は、週3回の授業だけ行け
ばよかったようです。
その頃は、まだ携帯電話も普及していませんでした。


17年前にこの家を建てた時は、ランケーブルをメインから天井沿いに各部屋
に引いてました。
この辺りから、息子がネットでゲーム、夫はチェスの対戦をしていたように
思います。
この間にインターネットは、ダイアル回線からADSLに変わりました。
でも何人かが一度にネットを使うとすごく遅くなったら、切れたりしてました。


そうこうしているうちにWiFiが一般家庭で使われるようになり、ランケーブル
は無用の長物となりました。


2年前、家のリノベーションをした時に、天井裏のランケーブルを全部取り払
いました。
ランケーブルの各部屋への引き込みの穴を塞いで、ペンキを塗りました。

リノベーションの後からADSLを無制限のVDSLに変えました。
月、120GBではメールのチェックかネットサーフくらいしかできなかったの
です。
ルーターも縦型から、4本角のでた小型ロボットのようなのになりました。
キッチンベンチでロボットルーターが陣取っているのが不細工で、気に入らない
のですが、そこが一番いい場所とのことで致し方ありません。


婿が、その年の私の誕生日にApple TVをプレゼントしてくれました。
ネットが無制限なので、Apple TVでNetflixで映画や Youtubeで音楽を
楽しんでます。


息子の家は2年前からFibre Broadbandが入ってます。
ガレージの中にルーターがあるのですが、2階までネットが届かないのです。
そこで2階の階段の踊り場にルーターをもう一台つけて、やっと2階でも
ネットが使えるようになりました。
ultra-fast fibreを売りにしてるけど、距離はとばないようです。


話はそれますが、息子と娘の家は家の電話(landline)がありません。
携帯電話とインターネットだけ使ってます。
家族間のコミュニケーションは、I phoneのmassangerを使ってます。
嫁がたまに家で仕事をする時は、skypeなどのチャットで国際間のネット会議
などしているようです。

最近、家電に掛けてくる人がほとんどいなくなりました。
勧誘かお花のグループのお年寄りくらいです。

携帯電話もガラ系を使う人は稀で、スマートフォンかI phoneが主流になり
ました。
当然、携帯電話でもネットを使います。
自分の家を含め、WiFiが使えるところが多いので、携帯のネットの容量は
少ないものでも足りるようになりました。

車の中のスクリーンでもI phoneの画面が見れるので、Google Mapをナビ
代わりに使ってます。


Fibre Broadbandの工事の人たちは、うちの前の芝生を掘り返していき
ました。グリーンの芝生と土むき出しのところがありとても無様です。
そこは、私が芝の種をまき、手入れしてるところなので残念です。
とは言っても、歩道沿いで公道の一部なので文句は言えないのですか。

Fibre Broadbandに変えるかどうかは、評判とかも聞き検討します。
ルーターも買い換えなければしれないかもしれませんしね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その157 燃えろよペチカ 08−06−18

2018-11-08 09:27:47 | 第151−160回
157号
08−06−18
         
     燃えろよペチカ


雪は降らないけれど、この頃よくペチカ(暖炉、Fire place)を焚いてます。


19年前に家を建てる時、亡くなった主人が一番に言ったのは暖炉のある家
に住みたい、です。
うちは2階建で一階のリビングに暖炉があります。
煙突は、2階を突き抜け屋根まであるので、1階で火を焚くと2階まで温かく
なります。

毎年4月ぐらいに薪(fire wood)を買います。
今年は2立方メーター分のパイン(松)を買いました。$200でした。
ネットで注文すると、指定した時間に大きなトラックで配達に来ます。
電動で荷台が上がり、薪が我が家の駐車場にぶち撒かれます。
濡れてしまっては火の点きが悪いし、車も止められないので、フラットメート
のMさんに手伝ってもらい家の横に並べました。
2立方というとたくさんのように思えるけど、並べると地面から窓枠の高さに
もなりません。

我が家は、植木屋が剪定した木も使ってます。
生木は燃えないので半年くらいは、庭に積んでおきます。
それを鉈、ノコギリ、チェーンソーで適当な大きさに切ります。
字に書くと簡単ですが、それはそれは重労働です。
一気にやると体力を消耗するので、休み休みして木を解体していきます。
小枝は、焚き付けにします。
大きいところは、太いのは直径30センチくらいあるし、切るのも大変です。

最近チェーンソーが使えるようになったのですが、かなり問題があります。
私は左利きなので左手で持ちます。ところが支える取っ手が左側について
いるのです。右手で左の取っ手を持つと、手が交差するので非常に持ちに
くいのです。
それとチェーンソー自体も5キロくらいあり、結構重いので、震えるのを
支えて切るのは腕力が入ります。

すごく頑張って薪を作っても、燃やすとあっという間になくなります。


私の体力を使って、お金を燃やしているようなものです。
長年の筋トレが役立ってます。


暖炉に火をつけるのも、慣れないと途中で消えてしまいます。
燃料がなくなると、火は消える訳で、火焚きババアがいります。
ということは、時間に余裕がないと暖炉は炊けないのです。
炊いた後の灰の始末や、ガラスのドアも週一回くらいは磨かないと、
炎が見えません。
揺れる焔を眺めるのはうっとりして、飽きません。

猫のフーちゃんは焔が好きで火をたいて、とお願いに来ます。
暖炉を覗き込んでは、「おかあちゃん、焔が見えないよ。なんでかな?」
と、小首をかしげてます。


こんなこと年取ったらやってられないと思い、2年前にリノベーションを
した時にヒートパンブ(エアコン)を取り付けました。
朝寒い時など5分くらいで部屋中温まるので重宝してます。


しかしです。
暖炉のまろやかな暖かさは、電気のものとはまるで違うのです。
家に帰った時、暖炉がついていると、体だけでなく心も温まる気がするのです。


娘の家は最近、暖炉を付けました。
その家は、1900年代初期に建てられた古いヴィラです。
もちろん、当初は暖炉がついていました。
彼たちは8年前に購入した時は、今のはやりのデザインでキッチン、リビングが
大きな部屋でリノベーションされてました。
その時に、レンガの古い暖炉と煙突は撤去されました。
木造のヴィラは隙間が多く寒いので、彼らはヒートパンブを付け、窓も2重ガラス
にしました。
それなのに、婿が暖炉が欲しいと言い出し、リビングの隅に暖炉を先月設置
しました。
薪はどの業者に行っても今シーズン使えるのは売り切れで、切って間のない
生木しか売っていません。
それで、私のパインを少し分けてあげました。


娘宅のリビングは、Alexaでテレビ、エアコン、音楽、灯りの操作ができる
今流行りのハイテクです。
それなのに、すごくマニュアルな暖炉が鎮座してます。

テクノロジーが進んでも、手の温かみのあるものに惹かれるのかもしれませんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その156 ワインはお好き 11−05−18

2018-06-07 16:12:10 | 第151−160回
156号                     11−05−18

         ワインはお好き?


ニュージーランドに来てからワインをよく飲むようになりました。


20年ほど前知り合ったYさんが、私にワイン指南をしてくれました。
Yさんとご主人は、オークランド市内の伝統あるワインショップのオーナーです。
その頃は、ワインショップの2階で隔月に行われていたテイスティングに参加
してました。
ワインだけでなく、かわったチーズもお目当てでした。
Yさんのご主人の説明が節妙でした。
”雑巾のような味がするチーズ”とか
だれが雑巾食べるんだろうと思いましたが、確かに臭いチーズで、不思議と
ワインに合ってました。

一緒にご飯を食べた時にYさんが、
”このワイン飲んでみ、お肉とよう合うし”
京都弁で美味しいワインの飲み方を教えてくれました。


それ以来、私のワイン選びの基準は、美味しいと感じるかどうかです。

15年ほど前、カルフォルニアから友人夫婦が遊びにやって来ました。
オークランドのViadactのレストランでお魚といただいたシャービニオン
ブランが美味しい、と絶賛してました。
ところが、自分で買ってホテルの部屋で飲んだら、それほどでもなかったと
がっかりしてました。
ワインは不思議な飲み物で、雰囲気、料理との取り合わせ、飲む人の体調とかで
味が変わると思います。
だから”美味しい”の基準は曖昧です。

話はそれますが、最初にオリオンビールを飲んだ時に、水っぽくておいしく
ないな、と思いました。
ところが、去年沖縄石垣島に行って飲んだらおいしくて、ジョッキ2杯も
のんじゃいました。あの暑さ、あの海がビールをおいしくするのですね。


最初の頃は、もっぱら白ワインを飲んでました。
オセアニアでは、白ワインはニュージーランド、赤ワインならオーストラリア
が美味しいと言われてます。
最近では、ニュージーランドのPInot noir(赤ワイン)もいいものがあるし、
先週飲んだオーストラリアのViognior(白ワイン)も美味しかったので
一概には言えませんが。
でも白ワインならニュージーランド、例のニュージーランドワインを世界の舞台に
引き出したCloudy Bayの Sauvignion Blancがいいし、赤を飲むなら
オーストラリア、Barossaの Syrahがコクがあっておいしいと思うのです。


当初は、ドライなのは苦手で、白ならシャービニオンブラン( Survignon Blanc)
をよく飲んでました。
それから飽きて、アロマティックなGewurztraminor(ギバーツと呼んでます)、
Viogniorをなんかを飲んでいました。
最近は、Pinot Gris(ピノグリ)も友人達と飲んでます。
Pinot Grisは、昔は甘すぎるワインと思っていたけれど、最近はマイルド
な飲みやすいものが出回ってます。


去年くらいからイタリアンワインもよく飲んでます。
私だけでなく、ニュージーランドワインをお国のために飲んでたけど、
他の国のも試したいな、という浮気者が増えてきたと思います。


友人に誘われて、昨年11月、ラクビーの監督で有名だったJohn Kiewanの
ワインとリカーとお料理の夕べに行きました。

https://www.jk14wines.com/

レストランで、前菜から始まって、2種類のパスタ、デザート、それぞれに
あったリカーかワインが一杯ずつでてきました。
お料理の間にJohn Kiewanが、スライドショーでjk14winesを紹介して
行きました。
John Kiewanは、テレビで見たままのNice Guyで気さくに誰とでも
喋ってました。

バブル(シャンパン)、ロゼがお手ごろな値段だったので、その日クリスマス
用に注文しました。
翌日、娘のフランチェスカが車で我が家に自分で直接配達してくれ、
びっくりしました。

ここのロゼは上品で、他のロゼが飲めなくなりました。
去年あたりからロゼも増えて来ていると思います。
これも普通のワインに飽きた人たちのニーズをつかんだのだと思います。


先週、オークランドでのイベントで小山浩平さんのワインセミナーに
友人と行ってきました。
浩平さんは、南島のネルソンでワイン作りをされてます。

https://www.greensongswine.com/

ワインのことを学術的に分かりやすく説明して下さいました。
箱ワインは、ぶどうの絞りかすから作られるとか、ニュージーランドでは
スーパーで買われたワインは48時間以内に飲まれているとか、興味深い
お話も伺いました。
ニュージーランドワインの事、ワインについてこんなによくまとまった
レクチャーを聞いたのは初めてでとても為になりました。
テイスティングした中から、Funky SauvignonとPinot Noirを注文
しました。
Funky Sauvignonは、次回の友人宅での夕食会に持っていくつもりです。
Pinot Noirは、ちょっと寝かせてから飲もうと思ってます。



スーパーマーケットでは、一本$10足らずのワインから一本$100くらい
まで売っていて種類も多いので、普通の人がその時々にイベントや気分に合わ
せて楽しめると思います。お買い物のついでにワインも買えるところがいいで
すね。
ニュージーランドに来たら、スーパーマーケットで自分好みのワインを見つけて
下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その155 ハリケーンで停電 13−04−18

2018-05-07 12:51:28 | 第151−160回

         ハリケーンで停電
                         
                        13−04−18

火曜日の夜、ヒューヒューと強風が西から吹いて、雨がガラス窓にたたき
つけられひどい嵐でした。
居間で本を読んでいたらいきなり停電しました。
火曜日の夜8時40分から翌日夕方6時まで停電してました。
おまけに、嵐で気温が急に下がり水曜の朝は8度でした。


停電の日、4月11日は私にとってBig Dayでした。

午前中は、草月いけばなグループのAGM(Annual General Meeting
年度総会)でした。
去年支部長になって初めてAGMで年間の活動報告のスピーチをしました。
会議の議題を決め、メンバー全員の前で会議を進行しました。
ほとんどの会員の家が停電、雨嵐の中参加してくれました。

停電するということは、信号がついてません。
おまわりさんが交差点の交通整理をしているところはまだいいです。
本来信号があるべきところにないと、道を渡るのに肝を冷やします。
みんなそろそろ動くので、そのせいで渋滞してました。

お昼近く、友達の卒業式に参加のためアオテアセンターに向かいました。
Mt Eden Rdを直進しようとしたら、消防車が道がブロックされてます。
迂回する時に見たら、ダブルデッカーバスが電柱にぶつかりコンクリート
の塀も壊れてました。
木が倒れて道を塞いでいる所もあり、何回か迂回しながら、いつもの倍
くらい時間がかかってダウンタウンに到着しました。

別の友人とおちあい卒業式の会場のすわって、一息つけました。
こちらの卒業式は、卒業生は黒いガウンをまとい、房がたれさがった四角
のキャップをかぶり、なかなか雰囲気があります。
やはりイギリス系の国だな、と思います。
友人は私の年代ですが、この日修士号を取得しました。


夜は、うちのプリンセスの2歳の誕生会でした。
私には4人孫がいますが、3人男の子で最後に生まれた息子の子だけが
女の子です。
うちと息子宅は停電していたので、急遽Mt Edenの娘宅でChinese
take away dinnerでした。
孫たちはみんなでお風呂に入り、パジャマ着て家に帰りました。
家に帰りついたら、電気がついていて嬉しかったです。
嵐のあとから気温が低くなっていたし、早速ヒートパンブ(エアコン)を
つけました。

木曜日の朝は、また停電すると困るので外から薪を運びこみ暖炉の準備
をしました。
夜は、今年初めて火をたいて家じゅう暖かでした。
嵐から急に冬模様になって、家は火の気がないとうすら寒かったです。

ニュージーランドの家は電気がないと機能しません。
電気のありがたみを感じてます。


ニュースによると、オークランドの4分の一の世帯が停電したそうです。
火曜日は時速120kmの風が吹き、木が倒れたり、屋根が吹き飛んだ
所があったそうです。
今ジムに行ったら、友人二人の家はまだ停電していて、これで3日目
と言ってました。
ジムについたらすぐ携帯を充電して、シャワーを浴びて帰るそうです。

電気会社は修理のため、すでに電気が戻ったところでも、また止める
こともあると聞きました。
電気があるうち、ネットが使えるうちにさっさとこのメルマガアップ
しますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その154 シドニー発クルーズ 09−03−18

2018-05-07 12:45:49 | 第151−160回
          シドニー発クルーズ
                      09−03−18


2月に娘一家とシドニー発の8日間のクルーズに行ってきました。
3家族14名のグループでした。最年少は1歳の赤ちゃん。

アメリカ船で、シドニーを出発してバヌアツのミステリーアイランド、
ニューカレドニアのヌメアに泊まりました。その前後はひたすら航海です。


シドニー発のクルーズですので、オークランドから2日前にシドニーに向けて
飛びました。
日曜日の午後2時半からが私たちの乗船時間でした。
波止場に行くと、オペラハウスの向かい側に巨大船が泊まっていました。
18階建て4000人が乗船できます。

部屋に行くとカードキーがありました。
このカードには、私のクレジットカード番号が登録されてます。
船の上では、キャッシュレスでお金を持ち歩く必要はありません。
お買い物、食事の時にワインを頼むのもこのカードを提示すれはすみます。

クルーズのいいところは、宿泊代、食事代がすでに支払済で、その気になれば
余分な出費をする必要はありません。

この船には有名なイギリスのシェフ、ジェイミー・オリバーのイタリアレス
トランもありました。
その他、日本のお寿司やさんもありました。
数件の高級レストラン、バーは有料ですが、ビッフェレストラン、カフェ、
ディナーは料金に含まれるので、その時に支払う必要はありません。
ディナーは3コースメニューですが、何品とってもかまいません。
婿はステーキを食べた後、息子のパスタがおいしそうと言って、お持ち帰り
をオーダーしてました。
エスガルゴの前菜は人気で、2皿頼んでる人もいました。

ディナーの服装はフォーマルの日は2日、スマートカジュアルが3日、
その他はカジュアルでした。
フォーマルの日は、男性は蝶ネクタイで女性はロングドレスという正装
の人は一部で、おおむねカジュアルでした。
3000人オージー(オースラリア人)が乗っていて、彼らは割にカジュ
アルですから。

24時間営業のカフェには日替わりでドーナッツやお菓子が並び、ピザも
いつでも食べられます。
ベジタリアン、グルテンフリーのビッフェコーナーもあり、よくできてる
と思いました。

問題は食べ過ぎること。
千と千尋の両親のように豚になって、船から降りれなくなるという悪夢を
見てました。


船には、カジノ、免税店のショッピングモール、劇場2つ、プール、
ジャグジー、ゴーカート、ジムなどがありました。
毎日、船新聞が部屋に配達されるので、それを見てその日の行動を決め
てました。
日替わりのナイトショーやジムのクラス、免税品のバーゲンなどチェック
してました。


私のクルーズの日課は、

まず6時起床(ふだんから早起きなのでホリデー中も朝寝ができない性分)
寝ざましにカフェでコーヒー一杯
16階のデッキのランニングトラックで5KM歩く。
朝日を見ながら、潮風に吹かれて歩くのは最高。
7時半、朝ごはん
パッフェだけど、注文すれはベーコンをカリカリに焼いてくれたりします。
体に悪そうと横目で見てましたが。
8時くらいからジムのクラス
スピン(自転車)、ヨガ、ピラティスなどやりました。
16階のジムでは、揺れを感じます。
ヨガの片足で立つポーズが決まらない、ふらっとします。
10時からラテンダンス、ズンバのクラス。
ズンバのインストラクターは、ピングゲームに司会も兼ねてました。
クルーは2つ以上の仕事をしているようです。
11時からジャグジー、ブールで体をほぐしましす。
デッキチェアーで本を読んだり、うとうとしてました。
昼頃部屋に帰り、シャワーを浴びてからランチ。
日替わりで、インド、インドネシア、中華、メキシコ、スペイン料理など
でてました。
部屋に帰ってお昼寝。
昼寝からさめたらモールをそぞろ歩き、バーゲン品見る。
暇なのと、つられて自分の腕時計、お嫁さんにブランドのバックを買いました。
6時過ぎ、部屋にかえって着替え、お化粧。
7時に家族と合流してディナー。
3歳の孫はディナーのテーブルで最後の方は、寝こけたりしてあまり食べない
ので、後半は娘が5時ごろにビッフェで孫に先にご飯食べさせてました。
9時からショーを見に行く。
デジタルスクリーンを駆使したり、天井から宙つりでダンサーがでてきたり
と、毎晩すばらしいショーでした。
10時過ぎ、部屋に帰って就寝。

アメリカ船なので、船上の通貨はUSドルです。
アメリカンの嫁のアドバイスで、チップ用にUSドルを持参しました。
客室にチップを数回置いておいたら、サービスがよかったです。
毎日、タオルアートでカバやゾウがベッドに置いてありました。
リクエストしなくても、バスルームのタオルは濡れるたびに替えてありました。

有料ですがインターネットが使えるので、婿は時々仕事してました。

上陸地のミステリーアイランドでは、婿、10歳の孫とシュノーケリングを
楽しみました。
30分で一周できるこの小さな島は、ふだんは人は住んでいないそうです。
クルーズ船か止まる時だけ、隣の島から地元の人がやってきて商売するそう
です。
海がとってもきれいで、暖かったです。
砂が白いので、透き通って魚が見えます。
ちなみに、ニュージーランドの海は真夏でも海温が低くひやっとします。
南の島で泳いだり、寝そべったりしたら本当にリラックスします。
頭のネジがゆるんでしまいそうです。

ヌメアは、港に寄港しました。
明日8時から4時半までの上陸時間でした。
クルーズ船が、ホップオフ・オンのバスを手配してくれて、10箇所に15分
おきにバスが出てました。
ニューカレドニアは、一昔前、天国に一番近い島ということでかなり期待して
いたのですが、ちょっとがっかりでした。
バスで行ったショッピングモールも半分くらいお店が閉まっていて、昔は
栄えていただろう、という感じでした。
フランス語圏で、英語があまり通じませんでした。


気になるお値段ですが、私一人分は8日間のクルーズがNZ$1250でした。
前後泊したシドニーのホテルが、一泊NZ$300、3泊で$900ということを
考えると、非常にお得です。
私たちは、シドニー往復の航空券代もかかるので、それなりの出費ですが、
オージーにとってはお手頃なホリデーだと思いました。

皆さんも是非試してみて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その153  Waitangi day 09-02-18

2018-03-08 16:24:57 | 第151−160回
153号                       09−02−18

         ワイタンギデイ


今週の火曜日、2月6日はWaitangi Dayでした。
日本で言うと、建国記念日に近いと思います。
1840年2月6日にワイタンギで、イギリス政府とマオリの首長達との間に
条約が交わされました。

ウィキべキアにはこう書かれています。

ワイタンギ条約
(ワイタンギじょうやく、Treaty of Waitangi,
マオリ語: Te Tiriti o Waitangi)

とは1840年2月6日、ニュージーランド北島ワイタンギにおいて、当時武力
衝突が絶えなかった先住民族マオリ族とイギリス王権との間で締結された条約
のこと。

全てのマオリ族は英国女王の臣民となりニュージーランドの主権を王権に譲る。
マオリの土地保有権は保障されるが、それらの土地は全てイギリス政府へのみ
売却される。
マオリはイギリス国民としての権利を認められる。
という一見緩やかなものだった。しかしながら条約を英語からマオリ語に翻訳
した訳文に問題があり、21世紀に入った今日においても、マオリ族の権利の
問題として議論が絶えない。例えば「主権」(sovereignty) を表すマオリ
語が存在しなかったため、マオリ語の造語「カワナタンガ」(kawanatanga)
を使った。だがその造語は英語に訳して「主権」よりも「支配」(governance)
に近かった。このような経緯から、マオリ側の認識は「全ての土地は自分達のもの」
というものであり、一方で白人側は「ニュージーランドはイギリスの植民地である」
と捉えていた。

このため、1843年から30年間続くマオリ族の反乱が起こる。反乱は鎮圧されたも
ののニュージーランド政府はその後100年にわたり問題を放置、1975年に至りワ
イタンギ審判所が創立され、ワイタンギ条約で認められた権利について、再度審議
が開始された。その結果、一部強奪された土地を返還し、英語だけだった公用語に
マオリ語を加えた。


ジャシンダ・アーダーン首相は、昨年首相に就任して初めて、ワイタンギデイで
スピーチを行いました。
彼女は労働党のリーダーでもありますが、選挙のことに関しては私の去年11月
のメルマガを参照してください。

副首相であるウィルソン・ビーターによると、今年のワイタンギデイはこの40
年間で一番穏やかであった、そうです。
プロテストもほとんどなかったようです。

労働党とニュージーランド第一党の共同政権が開始されて100日。
ジャシンダ・アーダーン首相はカワカワ付近のカレツ・マラエ(マオリの会議)
に招かれました。
このマラエはイウィ(マオリの部族)ナチ・マヌから5人の代議士が国会に選出
されたことを祝っての催しでした。数100人の地元のイウィと近隣のコミュニテ
ィの住民が、アーダーン首相の言葉を聞くために集まりました。首相は彼女の
政権を支える全てのマオリの代議士たちに、感謝をささげるスピーチを行いました。
アーダーン首相はワイタンギデー前後にかけてワイタンギに5日間滞在。
これは歴代首相の中では最も長いそうです。


話は変わりますが、アーダーン首相は1月に、彼女は妊娠中で今年6月出産予定
であると発表しました。
6週間の産休を取り、その間はウィルソン・ビーターが首相を代行するそうです。

これが、アーダーン首相が’Instagramに発表した内容です。

And we thought 2017 was a big year! Clarke and I are
really excited that in June our team will expand from
two to three, and that we’ll be joining the many parents
out there who wear two hats. I’ll be Prime Minister AND
a mum, and Clarke will be “first man of fishing” and
stay at home dad. I think it’s fair to say that this
will be a wee one that a village will raise, but we
couldn’t be more excited. I know there will be lots of
questions, and we’ll answer all of them (I can assure
you we have a plan all ready to go!)
But for now, bring on 2018.

パートナーであるClarke Gayfordが、専業主夫となって家庭を支えると
いうのも、素晴らしいと思います。


世界で初めて首相就任中に妊娠・出産したのは、娘を出産したパキスタンの
ベナジール・ブットーBenazir Bhuttoだったそうです。
アーダーン首相は、歴史上2人目になります。

アーダーン首相の妊娠がわかったのは去年10月半ばで、連立政府の話し合い
の最中であったそうです。

子供は私たちの将来を担うものであるし、2018年ニュージーランドは
明るいスタートでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする