オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その50 我が家のこのごろ 14-10-08

2008-10-23 12:44:19 | 第41回ー50回
..50..


 2004年6月に始まったこのメルマガは、第50回を迎えました。
毎月あっという間の配信日となり、一ヶ月の早さ、一年を感じます。
私の拙い文章にお付き合い下さってるメルマガ読者の皆様に感謝、これからも宜しくお願い致し
ます。

この4年は、我が家にとって変化に富んだ時期でした。
子育ての卒業期で、娘の結婚、出産、息子の大学卒業、就職、息子は、5月にはオーストラリア
に移住で夫婦二人の暮らしとなりました。
しかし、最近は毎週のように孫が泊まりに来るので、土日も忙しく、なかなか庭の手入れもでき
ません。
熟年夫婦で倦怠期に陥る暇もなく、孫の効用というか、家族にとって孫ができるということは
ごく自然でいいことだなと実感します。


9月の中旬、夫が車を車検に持って行ったら、なんとか通ったものの、ラジエーターがかなり傷
んでいて、まだ走るうちに乗り換えた方がいいのではと言われました。
夫は、トヨタのスプリンターが好きでこれまで2台乗り、一生スプリンターを乗り倒すつもりだ
ったのでショックのようでした。
馴染みの中古車屋によると、もうスプリンターは作られていないということです。
ちょうどカローラのアレックスの2001年のがあったので、即決で購入しました。
日本からの輸入車で、元の持ち主は大事に乗っていたようでシートは染み一つなく、新品のよう
です。
1300CCくらいの小さな車でもいいかなと思ったのですが、孫とのお出かけを考えるとやは
りこのくらいの大きさは必要かなと思いました。
これまでニュージーランドの日差しではげはげの汚いスプリンターに乗っていたので、新車に乗
ると夫は気分がよさそうです。
車を新しくすると、年寄りでも気分が若返るようですね。
(65歳は年寄りではないと、夫の怒られそうですが)


9月27日は、私の誕生日。
今年は、夫婦二人だけで食事にでかけました。
いつも同じレストランに行くので、今年は趣向を変えて、夫はメトロマガジンのベストアジアンレストランを見て研究。
結果、Howickのマレーシア料理、nyonya(ローカルマレーと移民中国人のミックス)のレストラ
ンに行きました。
カレーの味付けが夫の国のビルマカレーに似ていたし、マンゴーのはいったタマリンド味のサラ
ダも変わって気に入りました。
しかし、片道25キロは遠い、もっと近かったらしょっちゅう行けるのに。


9月29日、免許取って以来初めて車の事故をしました。
ちょっと遅れて4時15分に仕事が終わったので、いつもは通らないドメインを突っ切って孫を
デイケアに迎えに行くことにしました。
私は、ドメインのゲートからオークランド病院側に右折しようとし、反対側のオークランド医大
からやはり右折しようとした車にあたってしまいました。
Park Rdはずっと工事中で反対側はオレンジの防護柵がしてあり、私はそこから車が出てくると
知らず、私が見たときは両斜線クリアーだったので出たのですが、相手側の車が一瞬こちらに入るのは早かったようです。
工事のせいで道幅が通常の三分の二くらいしかなく、いつもPark Rdを通るのは嫌だなと思っ
てました。
今オークランドでは、ラグビーのワールドカップに向けて、あちこちで道路工事が行われていて、
道のレイアウトが違っているところが多く、当分気が許せません。

相手は病院出入りでセールスマンでお互い名刺を交換し、保険会社名を伝え別れました。
相手車は、タイヤのホイールカバーで傷が入り、私のはバンパーが傷ついたくらいの軽い事故だ
ったのは幸いでした。
家に帰ってすぐに保険会社に電話し、あくる日保険会社指定のパネルビーダーにアセスメントに
持っていきました。
すぐに修理の許可がでて、先週4日間で直してくれました。
今回使ったOnehungaのパネルビーダーは代車がただで、修理の進み具合も携帯電話にテキスト
してくれて良心的でした。
事故は嫌だけど、後がスムースに行くと気分がいいです。
でもいまだに右折が怖くて、トラウマに陥ってます。


先週我が家のペットの猫、カズがびっこをひき、具合悪そうで寝てばかりいるのに気がつきまし
た。
そのうち直るかなと思っていたけど、3,4日経っても直らずVet(獣医)に連れていきました。
クロアチア出身の女医さんに、“またけんかしたね”といわれました。
腫れてる前足には、けんか相手の歯型の傷がついてました。
2本注射されて、抗生物質の飲み薬をもらいました。
3日たってもあまり良くならないので、昨日またカズを病院に連れて行きました。
傷がうんでいて、うみがたまり、治りにくくなっているとのことです。
猫の歯からいろんなばい菌が入り、薬が効きにくいのだそうです。
ちょっとだけ傷つけて食塩水みたいなのを傷口に注射しました。
それから大分よくなったようで、片手上げでしか座れなかったのが、怪我した足も床につけられ
るようになりました。
カズ見て、招き猫というのは、前足をけがしてる猫だったことをではないかと発見しました。
今日は、傷口から血交じりのうみがでてくるので、カーペットにしみがついて困ってます。
カズが寝そうなところにバスタオルをひいているのに、また違うとこで寝てる。


10月12日は、近くのパークAmbury Farm Dayに孫を連れてでかけました。
一年に一度のファームのオープンデイで、前々からそのイベントがあるのは知っていたけど、
行くのは初めてでした。
孫は一緒だと、おでかけ先も変わってきますね。

入場料、入場料フリーということもありけっこうな人出で、車を止めるにも10分近くかかりま
した。
ポニー乗り、トラクター乗り、警察犬のショー、薪割りコンテスト、羊の毛刈り、牛に乳搾り、
Face Painting、メリーゴーラウンド、バウンシングキャッスル、ジャズバンドのステージな
ど予想以上な盛りだくさんのイベントでした。

13ヶ月の孫が気に入ったのは、ファームアニマルでした。
ラムやビグレット(豚の子)を触らせてもらって喜んでました。
近くにいた同じくらいの男の子に慣れなれしくハグするのでなんでだろうと思ったら、デイケア
のお友達ジェイク君でした。ジェイク君は両親と来てました。
孫は初めて牛の群れを近くで見て、目が点になってました。
この年頃、初めての体験ばかりですものね。

お昼からは、One Tree Hillで娘たち夫婦が主催してバーベキュー。
ここはガスコンロで無料で使えます。
この日は二人の誕生日、娘は27歳と娘の夫は29歳になりました。
赤ちゃん友達の親子連れ、娘達の職場の同僚、うちに東京から遊びに来ていた友人、私たち夫婦
で結構な人数が集まりました。

お天気がよく、料理もおいしいのに、ビールが飲めないと夫がぼやいてました。
最近ニュージーランドはパブリックの場所では禁酒です。公園、ビーチではお酒が飲めません。
私は、サテー風味チキン、Pokeno beconのソーセージ、おにぎり、アスパラガス、赤、黄、オ
レンジのビーマンを持って行きました。
娘はステーキ、ハンバーグ、サラダ、パンを用意しました。
ハンバーガーにしたり、ソーセージにからし、トマトソースをつけて食パンにはさんで食べるの
がキーウィー風です。
孫は、棒切れ持って鶏を追いかけまわしてました。芝生の上だと自由に遊ばせられます。

バーベキューの後は、他のグループはタッチラクビーしたり、お昼ねしたりと一日のんびり過ご
してました。
アイランダーらしき夫婦が、カラフルなふち飾りのござの上で、枕、毛布持参でしっかり寝てい
るしているのには驚きました。


東京の友人は、1週間の滞在を終え、今朝の便で帰国しました。
19日は夫の誕生日で、我が家は9月10月はイベント続きです。
今度は私がごちそうする番なので、レストランを検討中です。
10月1日からシニアシチズンの夫はただでバスに乗れるようになったし、二人でバスで食事に
でかければワインも楽しめそうそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その48 タスマン海を越えて 12-09-08

2008-09-23 03:35:20 | 第41回ー50回
その49 タスマン海を越えて 12-09-08

 キーウィーは、オーストラリアに行くことを、“Cross Tasman”とよく言います。
そうタスマン海の向こうは、オーストラリアなのです。
オーストラリアはニュージーランド人にとって一番近い外国。
オークランダーは、ひょっとしたらニュージーランド南島より身近に感じているかも。


タスマン海を渡って、ブリスベンの息子に会いに行ってきました。
息子は、今年5月からブリスベンのエンジニア会社で働いてます。
ちょうどよく草月流の細川葉霞先生の生花のデモが9月2日にあり、生花ワークショップに4,
5日と参加し充実した旅行でした。

ブリスベンの第一印象は、あまり外国に来てるという気がしないということ。
スーパーで売ってるものはほとんど同じだし、BPやらのガソリンスタンドも同じ。
なんだかニュージーランドの違う町に旅行しているような気分。


到着した8月31日は、Brisbane River Festivalで花火がありました。
疲れて早寝するという夫をホテルに残して、息子と二人で見に行きました。
Spring Hillsを出る頃から花火は始まっていて、ビルの谷間から花火が上がっているの
を見ながら町を突っ切っていきました。
図書館横の広場に着いた時には、結構な人出で、花火が上がるたびに歓声が上がります。
見るとすぐ隣のビルの上からも上がってます。
日本の夏の花火に比べるとたいしたことないな、と思っていたけど、オーストラリア最大
の花火大会だとか。
興に乗って、おっさん達が「オジ、オジ、オジ」と叫びながらこぶしを上げてました。
オジ、オージーとは、オーストラリアのことです。
オジは、まったく陽気だねと横目で見て、私達キーウィーは小さくなってました。


9月4,5日に、私はNorth Lakes Community Centreで開催された草月流生花のワーク
ショップを受講しました。
たいがいの出席者は会場近くのホテルに滞在していたけど、私はブリスベンから2日間通
いました。
こんな田舎では、夫が日中行くところもないし、退屈すると思ったからです。

ネットであらかじめ調べた情報を頼りに、電車とバスを乗り継ぎ行ってきました。
電車はまあいいとして、バスはこのバスと思っていたのがNorth Lakesには行かないと言
われたりと苦戦しました。Petrie Stationで1時間近くバス待ってました。
タクシーは呼んで30分待ってもこなかったし、皆んな気長に待ってるから、バス待つし
かなかったです。
初日は、結局3時間かかって、開始時間の10時ぎりぎりに到着。
帰りはブリスベン市内から来ている中国人のリーさんに車で送ってもらったら、わずか30分
しかかからなかった。
ニュージーランドもオーストラリアも郊外は車がないと不便です。

でも、日本ほどではないけれど、ブリスベン中心部は、フェリー、バス、鉄道が発達していて便
利。
プリペイ式の乗車券、Go cardを購入したら、20%安くなり、いちいち切符を買う必要がなく
助かりました。
Go cardは、乗る時と降りる時に、出入り口の表示機にピットあてて料金を引いていくというも
の。
バス、電車、フェリーとなんにでも使えて合理的です。
Central Station以外の駅は、改札は誰でもはいって行けるし、切符買わなくてもわからないん
ではいう気もしました。
通学の高校生は、自転車を持って乗り込んでました。
どうりで駅前に駐車場はあるけど、駐輪場はない訳です。
North Lakesは、片道100キロくらいだったけど、電車代はAU$3.80.
オークランドの我が家から市内まで15キロのバス代がNZ$5.40かかることを考える
とほんとに安い。
ニュージーランドは公共の交通機関はバスしかなくて、費用とかいろいろ考えると、結局車を使
うしかなく遅れてます。

North Lakesは、郊外の開発中の町で、スーパー二軒、デパートなどのはいった巨大Westfield
Shopping Centreがあり、まわりにモノポリゲームみたいオレンジ色の屋根の100軒くらいの
住宅、プール、学校などがぽこぽこと建ってました。
数年前からオークランドのショッピングセンターもWestfieldに買収されて、North Lakes行っ
ても親しみやすいというか、ニュージーランドにはオージー資本が結構入っていると実感しまし
た。



9月6.7日は、レンタカーを借りてゴールドコーストに行きました。
もうそこは夏で、みんなサーフや泳ぎを楽しんでました。

6日は、Sea Worldというテーマパークに行きました。
ショウを見て、さめ、いるか、熱帯の魚を見たら、夫はもう帰ろうと言います。
まだ2時間もたっていないし、$65(一人)もだしたのにです。
自分が興味ないと我慢しないから、今度から年寄りは連れていかないことにします。
そこで待ち合わせすることにし、私と息子は水路を行くジェットコースターに乗りました。
Sea Worldは、セサミストリートのコーナーがあり、まあ小さい子供向きかなと思いました。
おととし幕張のディズニーシーに行った息子が、日本のほうがずっと凝っていて面白いと言って
ました。
ニュージーランドからだと、ゴールドコーストの遊園地は、リッチな家族のホリデーで結構ポピ
ュラーなんですがね。

この夜は息子も一緒だし、ちょっと奮発してSurfers Beachの Holiday Innで海の見える
19階に部屋を取りました。
翌朝は、ホテルの部屋でだらだらとサッカーJリーグの予選の日本の試合を見たり、我が家にい
りみたいにくつろぎました。

7日は朝ごはんの後、2005年10月にできた世界最高のレジデンスビルのQ1に一人$18.50
だして上がりました。
ゴールドコーストが一望でき、晴れ渡った空に海が映えてとてもさわやかでいい眺めでした。
私は、高所恐怖症だからガラスのそばによるのも怖かった。
もしお金があったとしてもこういう所に住むのはごめんです。

ゴールドコーストは、高級ホテルがいっぱいあって、気候がいいし本当のリゾートという感じで
すね。
中心地をちょっと離れると、ローカルなビーチで家族連れににぎわってました。
息子のボスは、そこから往復3時間でブリスベンまで通っているそう。
小学生までに子供の子育てにはいいかもと思いました。
ティーンエイジャーとなると繁華街でたむろしてて、朝5時くらいまで騒いで問題になってます。
私たちの泊まったのは土曜に夜ということもあり、夜中にパトカーや救急車の音、ガッシャーン
となにか割れる音がしてうるさかったです。
Surfers Beachで食べた炭焼きの韓国の焼肉、Coolangattaの回転すしがおいしかったです。



息子の会社は、ボスはキーウィ、チームはイギリス人、中国人、インド人、マレーシアとマルチ
ナショナルで楽しくやっているようでした。
会社から徒歩10分のところのサービスアパートメントに住み、車のいらない生活をしてます。
息子は、NZのレートで換算すると、給料がNZの時の2倍になったそう。
ほかの職種でもNZからAUに移住した人は平均給料2倍になるそうだから、NZから移住する人が
多いのもうなずけます。


一番の魅力は、日本行きのチケットが安いこと。
関空往復が平均AU$800くらい。安売りだと$300くらいからありそうだし、NZ-関空が
NZ$2000になった今はとっても魅力的です。
今度日本に里帰りする時は、ブリスベン経由にしようかと思いました。
だたし、オークランドからブリスベンからの飛行機は$700くらいするし、滞在費を考える
と本当に安いかどうかわからないです。


Southbankの子供用ブールとか子供連れで行けるただの施設が多いし、物価もNZより安いから住
みやすそうでした。
タクシーも安くて、3人で移動するなら電車代よりタクシーのほうが安かったです。
ビルマ人の夫は暖かいところが好きだし、ニュージーランドの雨ばかりの冬から脱出して
ゴールドコーストあたりで暮らすのも悪くないかと思いました。
息子が結婚して家でも買わないかな。
そしたら気楽に遊びにいけるんだけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その48 チャイコフスキーの夕べ 12-08-08

2008-08-28 06:35:09 | 第41回ー50回
            その48 チャイコフスキーの夕べ 12-08-08


北京オリンピックのオープニングの翌日、コンサートに行ってきました。
中国総領事館の主宰だと友達が言うので、てっきりオリンピックがらみかと思ったらTaipei
Economic and Cultural Office in Auckland がスポンサーでした。Taipei Economic and
Cultural Officeは台湾の総領事館のようなものでパスポート、ビザの発行もしています。

バレエ、ピアノ、バイオリン、歌ありと楽しいイベントでした。
会場は、オークランド大学の中のThe maidment Theaterでした。
だいたいコンサートは友人と行くのですが、たまには旦那もさそってあげようと思い、夫婦で
出かけました。入場料が$15とお手ごろということもあったけれど。
今回は友人がまとめて切符を取ってくれました。
そのため私たちは6時半に到着。
友人も夫婦で、もう一人の友人は夫婦とお母さんの3人連れでした。ロビーは圧倒的に中国人
が多かったです。見た目ではわからないでの私たちはひとからげに中国人と言ってしまうけど、
台湾人は中国人というと怒ります。台湾人と言わないといけません。
6時45分会場に行くと、席はまばらで3割にも満ちません。

ブレトークとしてチャイコフスキーの説明がありました。最初英語で、後半は台湾語訳です。
これが長くて退屈でした。普通はいきなり始まるんですがね。日本関係にだと解説はすべて英
語なのに、やはり自国語を大切にする文化だなと思いました。

7時15分に説明が終わると、ぞろぞろ人が入ってきて7時半にはほぼ満席になりました。
ほかの人たちはコンサートが7時半とわかっていて、遅れてやってきたようです。
プレトークの後、待ち時間が長いので、私たちはロビーのバーで赤ワイン、ビールを買って席
に戻りました。

7時半にコンサートが始まると二人の台湾女性が一人は英語、もう片方が台湾語で演目の解説
を行いました。
これはもうちょっと簡単でもよかったのではないかと思いました。
まだ来賓の挨拶がないだけよかったです。日本総領事館主催のコンサートだと総領事の挨拶が
あったりします。

まずは、かわいらしい子供達のバレエでした。
眠れる森の美女のソリストの女の子、白鳥の湖を踊った男の子たちはまだ14,5歳でほっそ
りとしてけなげでした。とてもまじめにきちんと先生の指導どおり踊ってるという感じでした。
Autumnというバレエでは、5歳くらいの子供から木の葉色のコスチュームをつけてでていて
とてもかわいらしかったです。

バイオリンは前にも聞いたことのあるNatalie Lin とChiristabel Linの姉妹がでていました。
Natalieがアメリカ、Chiristabelがいオーストリアに留学中だそうです。
コンサートの最後に、Natalieがバイオリンコンチェルト D Major, Op. 35 1st move, Allegro 
moderateを弾きました。彼女は、ますます腕をあげたようで音がなめらかで深みが感じられ
ました。
昨日早速図書館でこの曲のCDを借りてきて聞いてます。この曲はチャイコフスキーが作曲し
たバイオリンコンチェルトでもっとも難しいとされているそうです。

テナーのソロは、声質があまり好きでなかったのとドイツ語とロシア語のアリアでもうひとつ
親しみを感じませんでした。
後は管絃六重奏と三重奏がありました。

全体としてはプログラムが雑多すぎるような気がしましたが、あまり硬いのよりたまにはこう
いうコンサートもいいいかなと思います。
9時にコンサートが終わった後、近くの日本の居酒屋で遅い夕食をとりました。

冬で雨が多くてうっとうしいこの頃、ちょっとした気分転換になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その47 地球にやさしい生活 11-07-08

2008-07-14 12:02:22 | 第41回ー50回
               その47 地球にやさしい生活 11-07-08
最近、よく友達と話題にのぼること。
私たちの将来、地球はどうなっていくのだろう、ということです。
オゾン層の破壊、地球の温暖化による異常気象、大型台風、地震などです。
私たちの地球の何かが狂い始めている、過去のつけが回っていると思います。
ニュージーランドの紫外線の強さから子供のアトピーの問題まで、50年前には考えもしなかった問題をつきつけられています。
先日、日本からのお客さんを案内していて、”冬でもサングラスかけて運転するんですか?“
と言われました。
ニュージーランドでは、オゾン層が薄く紫外線が強いため、年中サングラス、日焼け止めはかかせません。夏場は、30分ビーチにころがってるだけで日焼けしてしまいます。
オゾン層の破壊は15年前までのフロンの使用の結果であると言われているし、これがさらにすすめば地球に生き物が生存できなくなるともいわれてます。
南極を中心にしたオゾンホールに近いニュージーランド、オーストラリアが一番に被害をこうむっています。
地球の温暖化も大きな問題だと思います。
最近のビルマのサイクロン、中国四川の地震など災害は、これまでのパターンでは考えられないところから来て、歴史を更新するような被害をもたらしています。
私たち一家は、バブルの最盛期まで日本にいました。
新しいビルがを次々と建ち、生産消費することが美徳とされる社会でした。
15年前のニュージーランドのものの少ない質素な暮らし、ガレージセールで買ったものを大切に使い、無駄な買い物をしない堅実な生活は、私たちに新鮮に写りました。
ここ数年は、NZドル高に伴う景気のよさも伴って、電化製品も安いものが出回るようになり、
ニュージーランド社会も消費社会に転じているのかなという気がしてました。
今年に入ってからのガソリンの高騰、物価高で、人々は生活態度を改め始めました。
まず、町から車が減っています。
ガソリンが高いし、油断すると週$100単位のお金がガソリン代に消えてしまうので、無駄に車を走らせなくなったようです。
地球にもお財布にもやさしい自転車や徒歩の通勤が応援されるようになってきました。
車が減れば、その分大気汚染も防げます。
まだ地球のどこかでは、排ガス規制もなくマスクしてバイクに乗るようなところもあります。
そういうところとも私たちの空気はつながっているし、一部の人たちのわずかな努力ではあまり変わらないかもしれません。
しかしながら、これまでのスピードで消費していく訳にはいきません。

最近は、お買い物の仕方も変わってきました。
これまではバーゲンだったらいつ使うかわからない缶詰を買ったり、予備のスナックなど考えもなく買ったりしてました。
今は、1週間いる分だけ買い、使いきり無駄のないように心がけています。
それでも仕事が忙しくて外食したりすると、余ったり食べきれずに捨ててしまったりすることがあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その46 ガソリン高騰 13-06-08

2008-06-17 14:03:26 | 第41回ー50回
その46 ガソリン高騰 13-06-08

最近、話題に真っ先に上るのはガソリンの高いこと、物価高です。
ガソリンが高くなると、すべてのものが高くなります。
平均のお給料が上がってないのに。どうやって生活していくのと思います。
我が家は、息子がオーストラリアに行ってから夫婦だけのセミリタイア的な暮らしで、
まあなんとかやっていると言う感じです。
これが一家4人、子供達が育ち盛りのころだったらさぞ大変だったろうなと思います。

昨日からガソリンレギュラーが1リッターNZ$2.069(166円)に値上がりしました。
1600ccカローラクラスを満タンにすると$100超えます。
人にもよるけど、これでもって2週間です。
公共の交通機関があまり発達してないし、結局車で移動することになります。
日本と違って職場から交通費が支給されないし、ガソリン高イコール減収なのです。

私は自営業なので、この時期はIR3,確定申告の時期です。
経費として計上するガソリンが、去年は満タンにして$47、今は$63です。
ハイオクが去年4月はリッター$1,689から、今年は$2,029に上がってました。
1300CCの小さなバンのガソリン代もばかにならないのです。

先日、オークランドセントラルにいくつか用事があったのでバストリップに挑戦しました。
一日乗り放題のパスが$11、運転手から買いました。
片道$5.40、往復$10.80ということはデイパスは全然安くないのです。
車だと13kmだから、往復のガソリン代$4.
でも3時間町で駐車すると$24.
まあ、パーキングまで考えるとバスのほうが安いけど、単純に移動するなら、
やっぱりガソリン代のほうが安いのです。


最近、市内ではバイクも増えてます。
50CCのバイクは免許証なしで乗れるし、ちょっとしたスペースがあれば停められます。
満タンにして$5くらいしかかからないそうだし、駐車代もいらないし、一人の移動なら
得策です。
ただし、オークラダーは車の運転が荒いの小さいバイクは気をつけないと、ふきとばされ
そうです。


ガソリンが$2を越した時に、とうとうここま上がってしまったかの感がありました。
$2をこしてから、車の数がぐっと減ったような気がします。
みんな必要以上には車を使わないようにしているようです。
たとえば、前はお母さんが子供を学校に送って行っていたのを、お父さんが少し早くでて
子供を学校にドロップしてから仕事に行くようにするとか。
これまで車は一家に一台というより、一人一台でした。
我が家も多い時は車が4台、それぞれ勝手に行動してました。
最近は夫婦で一緒に出かける時は、時間を調整して、一日にいくつかの用事が済ませられ
よう努力してます。
しかしながら、まだまだ車一台に一人しか乗ってないし、他人同士でカープールするのは
まだまだ難しいそうです。

我が家は、お買い物はスーパー週一回、八百屋一回と決めて、なるべくそれ以上はお買い
物に行かないようにしてます。
日本食品はネットショップで買い、家の届けてもらってます。

ガソリンもさることながら、食料品も去年から比べると30%ぐらい上がっています。
特に乳製品の値上がりがひどいです。
牛乳、バター、チーズはニュージーランド人の食生活には欠かせないので、皆の不満も大
きいです。
ミルク2リットル入りがスーパーの特売でも$3.80してます。NZ育ちでコーンフレー
クをミルクで食べ、ミルクを水代わりに飲む息子がでていったでの、我が家はちょっとは
助かってますが。
お隣は13歳を頭に4人も男の子がいるから、2リットル入り最低週4本はいるのだそう
です。
だいたい酪農国で乳製品を多量に輸出しているのに、自国内でこの高値はどういうことな
のでしょう。
大手ミルク製品のファンテラ社は、ガソリンんの値上がり、諸経費の値上がりを上げ、
ミルクの値下げの交渉には応じななかったようです。


聞くところによると、通貨価値の近いカナダではガソリンがリッター$1.65、
シンガポールでは$1,35だそうです。
お隣のオーストラリアは$1.55です。
ニュージーランドの$2.069は異常に高すぎというか、これは便乗値上げではないか
とも思えてきます。
小さな国で、迷惑をこうむるのは私達です。

15年前、ニュージーランドにやってきた時は物価が安くていいなと思ったけど、
今は逆転してます。
物価が高い、ガソリンが高いからといって、ニュージーランドから出て行くわけにはいか
ないし、なんとかここで生き延びる手立てを真剣に考える必要がありそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その45 ばあちゃんのDay care潜入記 13-05-08

2008-05-28 13:30:56 | 第41回ー50回
           その45 ばあちゃんのDay care潜入記

我が家の孫が、デイケア(保育所)デビューすることになり、ばあちゃんの私が何回が
ならし保育に連れて行った。

孫は8ヶ月の男の子である。

孫は、5月5日からやっとフルタイムでデイケアに通えるようになった。
これまでは週3回民間のデイケアに通っていた。そこは、フルタイムでは入れず、火、木
は私達じじばばが交代で面倒見ていた。
孫はかわいいけど、子守する日は何もできない。
ニュージーランドは、去年からちょっとしたベビーブームで、働くお母さんはデイケア探
しに一苦労する。
誕生と同時に、デイケア探しを始め、ここはと思うところ2-3箇所に予約を入れておく。


母親がオークランド病院で働いているので、孫は今病院内のスタッフ用のデイケアKids
Domainに行っている。
生まれてすぐwaiting listに入れたけれど、その時は1年待ちと言われた。
幸いにも最近欠員がでたらしく、今月から入れることになった。

ここだと娘がお昼休みに覗きに行くこともでき、同じ敷地内にあるので時間の節約にもな
る。
お天気のいい日は、娘は、孫をバギー(ベビーカー)に乗せて、自宅のNewmarketから
Auckland Domainをつっきってオークランド病院まで歩いていく。
雨の時は、バギーごとリンクバスに乗る。

Kids Domainは、週5日間で$250とお安くない値段である。
しかし、保育時間が長いなど利点がたくさんある。
Kids Domainは、朝6時半から夕方5時半まで空いている。
他のデイケアが8時からなのに比べると朝が早い。
シフトワークで働く親がほとんどなので、早くから開いている。
8時前に来た子供達は、担任の先生が来るまでダイニングルームで朝ごはんを食べて待っ
ている。
娘は、孫を朝ぎりぎりまで寝かしておいて、コットからバギーに移しデイケアに連れて行
く。

孫はまだ離乳食なので、朝ご飯にWheat bixをお湯でふやかしたもの、ヨーグルトなど食
べさせてもらっている。
ランチは11時、2時にアフタヌーンテイー、その間にミルクを飲む子もいる。
こっちの保育所の離乳食ランチはだいたいは野菜のマッシュ。
にんじん、じゃがいも、クマラ(さつまいも)、かぼちゃ、シルバーピートを煮てマッシ
ュポテト状にしてある。
デザートはアボガド、バナナ、洋ナシのマッシュにしたものなどだ。

ミルクは、家から持参し、ボトルに分量分の湯冷ましを入れておき、それを電子レンジで
暖めてミルクを作り、飲ませてくれる。
飲む回数分ボトルがいる。飲んだ後のボトルは家に持ち帰り、洗う。
調子が悪い時にはおかゆ、アレルギーのある子は特別の食事を持参することもできる。


ここのデイケアは、乳児4人に対し、先生一人である。
孫のクラスは現在11人に対し先生4人である。
この年齢は午前、午後と日中2回は寝るので、時間帯によっては先生一人が二人の赤ちゃ
んを見るような感じでゆったりしている。
各教室一人は看護婦が常駐するところが、病院のデイケアのいいところである。
オムツを換える時は、使い捨ての手袋をつかい、ナッピーチェンジの台は消毒する。
ナッビー(紙おむつ)、クリーム類は各自自分のを持参しロッカーに入れておく。

乳児の部屋は、遊ぶスペースとお昼寝の部屋に分かれている。
各自ベッドが決まっており、リネンはデイケアのものを使う。
前のデイケアでは、自分のを持っていっていた。
よだれかけもデイケアのものを使う。
孫は寝付く時に必要なダミー(おしゃぶり)、お気に入りの毛布を持って行っている。


話がそれるが、こっちの赤ちゃんは、眠くなったらベッドに入れると勝手に眠るように躾

れている。
日本のお母さんのようにおっぱい飲ませながら寝かせたり、だっこしてゆすって寝かしつ
けたりはあまりしない。
孫は自分の家ベッドだと、自分で子守唄のオルゴールをつけて、ダミーを自分でくわえて、
遊んだりごろごろしているうちに眠ってしまう。
私は息子は赤ちゃんの時、なかなか寝付かず、ベッドに降ろしたまた起きたりと苦労した
思い出がある。
そんなことしなくても、赤ちゃんは眠れることがわかった。
要は育て方しだいである。
こっちでは、生まれた時から赤ちゃんは別室で一人で寝る。
ベビーモニターをつけておいて、泣いたら見に行く。


正式に入所するまで、Kids Domainに合計3回、孫を慣らし保育に連れていった。
1、 2回目は朝10時に行き、1時間ほど遊ばせた。
3回目は10時に連れて行き、2時間ほどして戻った。

一回目は、孫は最初は私のひざの上から、おもちゃを取ったりして遊び始めた。
そのうち他の女の子がガラガラを鳴らして遊んでいるのが気にいったらしく、私から離れ
て取りに行った。それから私の見える範囲で、滑り台の階段を登ってみたり、bouncing
barを持って立ち上がって見たりと行動範囲を広げていった。
2歳くらいのちょっと大きい子達が、「New baby」と言って、孫を見に来る。
兄弟が他のクラスにいたり、上のクラスにいっても先生や遊具が懐かしいらしく時々遊び
にやってくる。

孫は、他のデイケアも行っているし、小さい時から両家のじじばばの世話になっているの
であまり人見知りしない。初めての先生に抱かれても泣いたりしない。

乳児の遊びのコーナーは、赤ちゃんがはいはいするところでも先生達は土足である。
赤ちゃん達も皆靴をはいている。NZらしくずっとはだしの子もいるが。
お天気のいい日は、お庭で遊んだりもする。
それで、孫にもさっそく靴を買ってやった。この時期は、まだつま先を使って歩くので、
底のやわらかい革製した。
ニュージーランドのベビー靴のブランド、Bobux のBazzy Beeのを選んだ。

2回目の訪問は、孫はかなりリラックスした様子でおもちゃ箱をひっくり返して、次ぎか
ら次へと目新しいおもちゃを手に取ったり、口に持っていったりした。
それが済むと、はいはいで保育室の探検である。
小さなテーブルセット、トンネル、滑り台一個づつ触って回る。

3回目は、10時に預けて、ランチが済む頃に迎えに行った。
孫は食欲旺盛で、大きな声でもっととおねだりしたそうである。
新しいところで、先生達も孫がどれくらい食べるのか解らず、与える量が少なかったのか
もしれない。
絵の具でお絵かきしたそうで、はがき大の孫の最初の絵をもらってかえった。


デイケアは孫にとって刺激が多く、8ヶ月児でも毎日変わった芸を覚えてきて披露してく
れる。
ベビーサインをする女の子がいて、その子のまねでミルクのサインができるようになった。
ミルクのサインは、牛のミルクをしぼるように指を開いたり閉じたりする。
後は、ばいばいと手を振ったり、歌にあわせて手をたたいたりする。
これまではつかまり立ちだったのが、一瞬両手を離して立ったりするようになった。


デイケアに通うようになると、病気ももらってくる。
6本目の歯が生え始め、よだれがひどく、口に指を入れたり、なんでも噛もうとする。
きっと他の子がしゃぶったおもちゃも、なめてるだろうし、簡単に病気が移ってしまう。
孫は慣れない環境で緊張したこともあるが、風邪をもらってきて、先週は木金と早速
お休みした。
又じじばばの家で日本の童謡を聴いてゆっくり過ごし、じいちゃんに甘えて過ごした。
最近「じーじ」とか「じーちゃん」とか言うようになったので、旦那は孫がかわいくてた
まらないようである。

今週は、金曜日までお休みせずに行けるかな。
娘達若夫婦は、金曜日の夜は二人でディナーに行くので、孫はまた一人でうちにお泊りの
予定である。
親になっても自分達の楽しみは優先するし、お気楽な子育てである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その44 若者はオーストラリアへ 11-04-08

2008-04-18 10:42:31 | 第41回ー50回
その44 若者はオーストラリアへ

うちの息子が転職してブリスベンに行くことになった。
息子は生まれて初めて、家を出て行く。しかも外国、オーストラリアである。
24歳の息子の旅立ちだ。
大学を卒業して、今の会社に就職しまだ1年余りというのに、もう転職する。

3月なかばに、リクルートのエージェントにCV(履歴書)を送って、仕事が決まる
までわずか3週間。あれよあれよという間に決まった。
コントラクトにサインしてメールで送る、チケットもオンラインで買い、
すべてがあっという間に進んだ。


息子の転職活動は、職場内の根回しから始まった。
CVには、2-3名のReferee(照会先)の名前を載せなければならない。
求職した会社のショートリストに残ると、その会社はReferee に直接電話して、
息子の人柄、仕事ぶりなどを聞く。
どんなにかっこいいCVでも、Referee の評価が悪ければ、求職先は考えるであろう。
転職活動は、今の会社のスタッフには知られたくないし、しかし自分の同僚または上司
でいいコメントをしてくれそうな人物には、その旨を伝えておかなければならない。
今回は、会社でランチを食べてる時に、ブリスベンから息子のシニアの同僚に電話が
掛かってきた。
同僚は、息子に目の前で電話に答えていて、けっこういいコメントをしてくれたそうだ。

さてCVの話にまた戻る。
3月のある週末、息子は自分のCVをアップデートしてオーストラリアのメルボルンとブリス
ベンのリクルートのエージェントに送った。
そのあくる日から、オーストラリアのエージェントから電話がかかるようになった。
土日、夜でも掛かってくる。時差が2時間あるから、こちらの夜9時はあっちの7時で
ある。
静かなオークランドの我が家の暮らしでは、9時過ぎに電話がかかることはあまりないし、
ちょっとした騒動である。

オーストラリアのエージェントの中には、オークランドに支店があるところもある。
息子は、お昼休みや仕事の後、エージェントのオフィスに行き、面接や試験を受けた。
息子はエンジニア会社のドラフターなので、課題に沿ってキャドで図面を描くという
試験もあったそうだ。

面接、CVの選考の結果、エージェントは、求人を依頼している会社に連絡する。
登録人(息子)の就職が決まれば、エージェントはその会社から息子の年収の何%かを
受け取る。
息子は、仕事を探してもらえ、何も払う必要はない。
それにエージェントは、直接会社と喋る時のマナー、その会社の情報、ブリスベン
の暮らしなともアドバイスしてくれる。
めったやたらと自分でCVを送りつけるより合理的である。

具体的に会社が決まると、インターネットを使ってビデオインタビューや電話での
コンフェレンスで面接を受けた。
オーストラリアまで面接に行く必要もなく、双方の都合のいい時に話せて時間も節約できる。

今回息子は、メルボルン、ケアンズ、ブリスベンの3社から仕事のオファーを受け、
ブリスベンのA社に決めた。
A社は、航空券、4週間分の宿泊料、$5000の引越し代をだしてくれるそうだ。
息子は、今の年収から40%アップとなるので喜んでいる。

息子の仕事始めは、ブリスベン空港の拡張プロジェクトだそうだ。
今回の息子の就職の鍵は、そのプロジェクトに必要なArchicadの新しいプログラムで図面
を描けることであった。
A社からは、A社のメルボルンオフィスにも行って、そのプログラムを教えてほしいと言われ
ているそうだ。
期待されすぎると困る、と息子は言っていた。
今の会社でも大学新卒の一年生なのにである。
今はコンピューターの時代で、経験のある中年より、まだ頭の柔らかい、新しいプログラム
を使いこなせる若者のほうが重宝されるようだ。


うちの息子だけでなく、ニュージーランドの優秀な人材が海外に流出している。
ニュージーランド人にとって、ビザのいらないオーストラリアは気軽な転職先である。
飛行機でわずか2時間、高い賃金、所得税の安さ、福利厚生の充実は、ニュージーランド
人にとって魅力である。

おおまかに言うと、平均の労働者の所得税がニュージーランドで33%であるのに対し、
オーストラリアでは16%である。
年金は、ニュージーランドでは会社が4%、本人4%負担であるの対し、オーストラリアで
は、年金は8%全額が会社負担で、給与に上乗せされる。
ニュージーランドでは去年、年金制度Kiwisaverが始まったばかりで、先行きに不安感があ
る。
オーストラリアでは年金制度がすでに確立しているので、どうせ働くのなら、老後の安定し
た収入の得られるところと思うのは当然である。


この息子の転職活動にはおまけがあった。
今週月曜日に退職届けを上司にだしたところ、会社側はまさか息子が辞めるとは思ってい
なかったので大変困惑したそうだ。
そこでオファーをだすので、一日待ってくれと言われた。
火曜日に息子の会社は、メルボルンオフィスでの雇用で今より1万5千ドルの給与増額で
オファーしてきた。
オークランドの今のオフィスでは、今以上は給与は上げられないそうだ。
しかしながら、このオファーはA社には及ばないということで、息子は転職を決意した。


私達一家は、15年前夫の転職に伴って、誰も知り合いのいないオークランドに移住してき
た。
その時に比べたら、息子の今回の引越しなんて簡単なものである。
若者一人ならどうにでも、ブリスベンで暮らして行けるであろう。
小学生からのニュージーランドの教育で、英語も問題ではない。
スーパーでは同じ物が売ってるし、生活もさほど変わらないだろう。
しかし、息子は不安と期待でいっぱいである。

5月から夫婦だけの生活になる。
子供はいつかは巣立っていくものとは思っていたが、なんだかさみしい。
私の友人は、これから食費が節約できていいねとか、ブリスベンに息子に会いに行くついで
ゴールドコーストとか遊びに行けるからいいじゃないという。
幸いに娘一家が近くに住んでいるし、孫もしょちゅうやってくるので、これからはジジババ
に専念しよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その43 里帰りの旅 14-03-08

2008-04-18 10:38:54 | 第41回ー50回
その43 里帰りの旅

 1月22日から2月12日まで日本と台湾に旅行に行ってきました。

今回の旅行の目的は、里帰りでした。
我が家の長女が台湾人と結婚し、去年8月に初孫が生まれたので、私の実家の日本、
娘の夫の台湾の両家の親戚に会うためでした。
日本では、私の実家の両親に、彼らにとって初ひ孫と娘の夫を会わせる事がメインイベン
トでした。
私達夫婦も、娘の夫方の親戚に挨拶に初めて台湾を訪れました。
私達は関空往復で、日本から台湾へ行き、娘一家は台湾往復でそこから日本へ来ました。
その間に、下関と台北で合流しました。


 私達夫婦は、関空到着後、京都奈良で8日間過ごし、1月30日に再び関空から台北
に飛びました。
台北、桃園空港では、娘の夫のお母さん(以後、お義母さん)、叔父さんが出迎えてくれ
ました。

その足で桃園から開通したばかりの新幹線に乗り、一時間半で高雄に到着しました。
高雄の新幹線駅に、娘の夫のお父さん(以後、お義父さん)が迎えに来てました。

高雄金典酒店(The Splendor Kaohsiung Hotel)に全員でチェックインした後、
遅い夕食をホテルの中華レストランでとりました。
海の幸の豊富なお料理、あっさりした味付けも日本人好みで、私達は満足しました。
4人で一緒に食事するのは、昨年8月、孫の誕生以来です。
そこからはご両親と4日間、車で北上し台北まで一緒に旅行しました。

高雄では、お義父さんが経営する稚魚の養殖場、客家の歴史的住居、佳冬粛宅に行きまし
た。
佳冬粛宅は、国指定の文化財ですが、一部は現在も普通の住居として使われていました。
塀の中は集合住宅になっており、仕事場、女性たちの居間、学習室の回りに、数家族分の
寝室が配されている興味深い建物でした。

3日目は、途中日月湖に寄ったあと台中に泊りました。
日月湖では、丘の上の立つリゾートホテルThe Laluのレストランで、アフタヌーン
ティーを頂きました。

観光らしい観光をができたのはここまでで、この後は親戚とのディナー、ディナーで
もう当分中華料理はいらないというくらいでした。
まあ親戚に会うために来たのだから予想はしたのですが、遠来の客をもてなす、一家
の結束の固さを再認識しました。

お義母さんの実家のある台中市では、お義母さんの姉妹夫婦と会食しました。
平日のランチというのに、公務員やら建築事務所をしている旦那さん達も来てくれ
総勢10人で食事しました。
私の夫は中国系ビルマ人で、祖父は雲南省の出身ということで雲南料理店を予約して
くれてました。
あさり、海藻をふんだんに使って、ちょっとスパイスが効いていて、夫は気に入った
ようでした。

翌日は台北で、お義父さん方の親戚と高島屋デパートにある中華料理屋で会食でした。
娘一家も、前日オークランドから到着していて一家全員が揃いました。
叔父さん、叔母さん達は、孫を見るのは初めてで、孫はかわるがわるに抱かれくちゃくち
ゃになってました。ほとんど人見知りしない子なのに、小叔母さんだけが嫌いらしく、
手足をばたつかせて反抗してました。
娘の夫側も、お義父さんが長男、娘の夫が長男、そして3代目の孫が男の子で大変喜ばれ
てました。これでチャン家は安泰、娘にはよくやったというねぎらいという感じがよくで
ていました。
私達は、男でも女でもいいと思っていたけど、中国系に人には男の子を授かるというのは
特別な意味があるのだなと実感しました。

台湾の70歳以上の方は、きれいな日本語を喋ります。
82歳の大叔母さんも流暢な日本語を話され、作られるお料理も味付けが日本風なのだ
と娘が言っていました。

台湾は、昭和天皇の時まで50年近く日本の統治下にあったためか、親日的でした。
あちらこちらで、これは日本が作った鉄道であるとか、天皇陛下がお泊りになった宿
などと日本ゆかりのものが多く見られました。

ご両親は、高級ホテルを予約して下さっていて、快適に過ごすことができました。
ホテル代はお払いすると何度も言ったのに、初めて台湾に来たのだから今回はいいと
言われ、どこでもお世話になりっぱなし恐縮しました。


娘達の結婚の頃、孫が生まれてからは結構頻繁に会っていたのですが、今回の旅で話す
時間も多く、両家の親しみが深まりました。
お義父さんは、今彼が打ち込んでいる稚魚の養殖の話となると、青年のように嬉しそう
に話されます。
お義母さんは、ちょっと心配性で、宿や食事やのことをこまごま気を使ったくれてました。
でもなんと言っても、両家の最大の関心は孫で、孫の話をすると、皆自然とほほがゆる
んでしまいます。


私達は2月5日に日本に戻り、神戸、松山、指宿、博多を旅した後、実家のある下関に
2月9日に到着しました。

2月10日に、関空から来た娘一家を新下関駅に出迎えました。
いったん下関駅前のホテルにチェックインし、その後妹が車で迎えに来てくれ、唐戸のふ
く祭りに行きました。
下関では、フグをふく(福)と言います。
2月9日をふく(二九)に掛けて「ふくの日」、その週末に唐戸魚市場一帯でお祭りが
行われてました。
博多あたりから観光バスで来ている人も多く、すごい混みようでした。

ちょっと軽くお寿司でもと思ったのに、どこのお店も長い行列で、せっかく並んでも売り
切れだったりとさんざんでした。
妹が駆け回ってくれて、ふくフライハンバーガーに缶コーヒーを調達して来てくれました。
唐戸市場の上で回転寿司を食べるのは夢に終わってしまいました。
食いしいぼのせいか、日本へ帰ったら博多のあそこでラーメンが食べたいとか、その味覚
が夢にまで出るほど思い描き、期待が膨らみます。
しかし、往々にして、こんな筈ではなかったとか、忙しい日程で食べ損なったりと裏切ら
れる事も多々あります。
唐戸市場の有名な回転寿司も、次回までお預けです。


今回の下関滞在は、娘一家と総勢5人で、赤ん坊もいるのでホテル泊まりでした。
私の母の痴呆がこの一年かなり進み、妹から「おねえちゃん、家は泊れる状態ではないよ」
と言われました。
一年前に、うちの息子が泊った時は、母は普通に会話でき、大丈夫だったのですが。
海外に住んでいて、里帰りの時に実家に泊れないのはなんとも寂しいものですね。
これからは、下関に帰ってもずっとホテル泊まりだし、そうするとあまり長く滞在できな
くなるしね。
今回も下関は、2日の滞在で、両親と一回しか一緒に食事をしなかったのですが。

10日の夜、妹一家、私達夫婦、娘一家が実家に集まりで御寿司を取って会食しました。
5カ月の孫は、まだ人見知りをせず、誰に抱かれても平気のようでした。
孫は、私の両親が抱くと、何度も振り返って顔を見てました。
自分の家族と知らない人の区別はつくようです。

赤ん坊がいると、その場が和やぎ、両親も気分が若やいだようでした。
「よう太っとるね。なんば食べとると?」と母。
「まだ五ヶ月だからね、主にミルクよ。」と私。
3人の娘を育て、8人の孫がいるのに、そういう事はもう忘れてしまったのかな。
母が、ひ孫のことをどれくらい覚えているか解らないけれど、楽しそうであったのは幸
いでした。

歴史学者の父は、娘の夫と筆談で話ができました。
漢字だと双方意味がわかるので、こういう時便利です。
私の夫が通訳して、双方に説明を加えてました。
娘の夫は歴史好きで、巌流島の決戦とか馬韓条約の事も知っていて、父を喜ばせました。

私は母に、「あんた子供何人やったかね」と何度も聞かれました。
次回の里帰りには、「あんた誰?」と母に言われる覚悟がいりそうです。

同じ下関市内に嫁いだ妹が洗濯、買い物など日々の雑用をやってくれ、両親はなんとかま
だ二人で暮らしていけてるようです。
こうやって私達一家、娘一家が又一緒に下関を訪れることができるのは次はいつだろう
なと思いました。
孫が物心つくくらいまで両親が元気でいてくれること祈りました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その42 ホームコンサート 11-01-08

2008-01-16 10:33:18 | 第41回ー50回
その42 ホームコンサート

新年明けまして おめでとうございます。
どのようなお正月を過ごされましたか?
オークランドは連日いい天気で、暑い日が続いています。


先週の火曜日、友人宅でホームコンサートをやりました。

有志が、一人2曲ずつ歌い、その後は持ち寄りのお料理を頂くというもの。
出演者は、皆趣味で音楽をやっていて、年に2回ほどこのような小さなコンサートを
開いています。
私以外は、音大出に人も何人がいるし、アマチュアとは言えなかなかたいしたものです。

プログラムの一番最初は、ソプラノのソロ。
彼女はこの曲をあまりお正月にふさわしくないのだけどと前置きし、バッハのSeufer,
Tranen, Kummer, not を歌いました。
柔らかな音で、しっとりと聞かせてくれました。

2番目は、ご夫婦でのデュエットでした。
手を取り合って、目を見つめ合って、お二人の愛情が感じられ素敵でした。
こうやって音楽も生活の一部として、楽しみながら老いていくのも悪くないなと思いました

3番目はテナーで、Besame Mucho とTonight2曲。
彼は、ここ数年私達に歌の伴奏をやってくれてます。
若い感性にあふれたピアノのソロ、テナーはいつも私達をリフレッシュさせてくれました。
彼は、ここでの勉学を終え、ミュージックセラピーの勉強のため、ヨーロッパに旅立ちま
す。

4番目は私の番。
モーツアルトRidente la Calmaと藤村の椰子の実
を歌いました。
Ridente la Calma は前日のリハーサルではちゃんと入れたのに、本番は何箇所が入る
タイミングがずれてしまいました。
始めのほうは、緊張して声がうわずってしまいました。
2曲目の椰子の実のほうは、うまくスタートできました。
しかし、最後の”いずれの日にか国に帰らん“というところで、胸が一杯になり詰まって
しまいました。
去年のクリスマスの親しい友人を亡くし、事あるごとに彼を思い出し涙くんでしまうよう
な年末年始でした。
いつか彼のことは記憶の彼方に薄れていくのかもしれないけれど、今は彼の死を受け入れ
がたく平静を保つが精一杯な日々を過ごしています。

5番目はメゾ、6番目はソプラノ、最後は4人目のソプラノでした。
ヘンデルのRejoice greatly from Messiahがとりで、お正月らしく華やかな気分
で終わりました。


このコンサートのホストが、ビデオの撮影をされていたのでよけいに緊張しました。
DVDの出来上がりは楽しみだけど、自分のところはあまり聞きたくないですね。

コンサートの後は食事。
巻寿司、照り焼きチキン、イタリヤ風グリル野菜のサラダ、パスタなどのお料理
に舌づつみを打ちました。
友人の一人は、禁酒していたのだけど、体調がよくなってきたのでお酒解禁といって、
ワインを楽しんでました。
デザートは、チョコレートマッドケーキ、シフォンケーキのベリークリームロースかけ、
イギリス風トライフルと素晴らしく、こちらも別腹でおいしく頂きました。

お酒も回って皆がくつろいでいた頃、ホストが五木の子守歌をムードたっぷりで
歌ってくれました。
私が歌の意味を説明すると、キーウィー達はそんな悲しい歌で子供をあやすのかと
不思議がってました。
子守唄は子守をする人の歌であり、残酷で悲しいものが多いですよね。

その後、このファミリーの息子さんがビアノを披露してくれました。
知性的でとてもシャイな学者風な彼は、バロックのピアノを聞かせてくれました。

最後は、ゲストのリクエストで元合唱団のメンバーで、花、ふるさとを歌い、お開き
としました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その41 ジャパンデイ 14-12-07  

2007-12-20 02:54:01 | 第41回ー50回
           その41 ジャパンデイ

今回は、11月18日に行われたジャパンデイについてです。
出たっきり邦人の配信を始めて丸3年になるのに、まだ一回もこの事について書いてなか
ったのが不思議なくらいです。
オークランド在住の日本人にとってのビッグイベントです。
きっとこの時期、他のイベントも多くなんとなく書きそびれていたんでしょうね。
例年、Kohimarama のASBスタジアムで開催され、日本の文化紹介、展示、バザー、出店、
盆踊りと盛りだくさんでした。


我が家は、一家総出でジャパンデイに行ってきました。
娘夫婦と孫は、職場のイギリス人をさそってお祭り気分を満喫しました。
イギリス人カップルは、ペットのラブラトリレパトリー犬も一緒です。

私は、今回は草月流いけばな展のお世話役を仰せ付かったので、2-3週前から準備してま
した。
当日は、8時に到着。
他のメンバーと一緒にお花の活けこみをしました。今年はちょうど帰国中の会員もいて、
展示数は少なめでした。
ところが、ミニジムの奥壁面15Mの前という大きなスペースを割り当てられてました。
先生のご指導で、大きく大胆にみんなが活けこともあり、去年よりも多かったのと友人に
言われました。
私は、つばきとピンクのユリの盛花とバラのつる、アルトロメリア、エンジのゆりの投入
の2点を出展しました。
先生は、入り口の「迎え花」を展示されました。
柵をしてあったにもかかわらず、子供がさわって迎え花の一部が崩れるというハプニング
ありました。
そのあたりは、まるで日本の通勤ラッシュ時のような人だかりで、もうどうしようもない
と後半はあきらめてました。

ジャパンデイは、10時半から、ゲストスピーカーを迎えてオープニングがありました。
和太鼓の演奏、よさこいソーランダンスに始まり、一番は、ニュージーランド総理大臣の
ヘレン・クラークの挨拶。
ヘレン・クラークは、何十年か前に、日本丸で初めて日本へ行った時の話をしてました。
次は、最近の選挙でオークランド市長に返り咲いたジョン・バンクス、ナショナル党のパ
ンジー・ウォンと続きました。この後、在オークランド日本総領事の挨拶、日本人会会長
挨拶とありました。
ヘレンクラークが餅つきをしてセレモニーは終了しました。

ジャパンデイの一番の楽しみは食べ物。
いかやきの匂いが漂ってくると、日本のお祭り気分満開ですね。
私は、息子、主人と合流して早めのお昼を頂きました。
私はお寿司、息子はイカ焼き、たこやき、ラーメンを買ってきました。
主人は、日本の缶ビール、ウーロン茶を買ってきてくれました。
イカ焼き、たこ焼き、カキ氷のお店は人気で行列ができてました。
デザートはみたらし団子。

スタジアムの中、バザーのあたりは、日本人よりも中国人、韓国人が多くて側に寄り付
けないくらいの人だかりでした。
私は人酔いして、見て回るのをあきらめました。数年前までは、めげずに掘り出し物を探
したのにな。
友人は、ご両親に頼まれて日本の文庫本をダンボールいっぱい買ってきてました。

すぐ横のステージでは、同時進行で武道のデモ、ウェディングショー、幼児のプレイグル
ープかもめクラブの演技などが行われてました。

生後3ヶ月の孫を連れて入るのはちょっとどうかと思われたので、娘夫婦が買い物に行っ
てる間、私と主人で孫を木陰で子守してました。
イギリス人のワンコも中に入れてもらえず、木陰で昼寝してました。
ステージの裏手だったので、日本民謡研究会の叔母さん達が蛇の目の傘を持って、日本舞
踊のリハーサルをしてました。赤青黄色の傘がくるくる回るのがおもしろいのか、孫はベ
ビーカーから身を乗り出して見入ってました。

娘はアロハ柄のジンベエを買って来て、早速孫着せてました。
私は、日本食品店でお醤油、マヨネーズ、みりん、つけもの、なめこのビン詰めを
調達しました。
10年ぐらい前は、日本のお醤油などは高級品で手が出なかったけど、最近はNZドル高の
せいでリーズナブルな値段で日本食が買える様になりました。

二階の展示会場には、私達のいけばなの他に、日本の民芸品の展示、JETプログラムの
紹介、盆栽、陶芸、書道、折り紙、日本観光案内の展示がありました。
将棋のコーナーでは、将棋士は一人で数人を相手に対局してました。
最初から将棋士側の駒はいつくか抜いてあるのにもかかわらず勝ってました。
キーウィーでも将棋をする人は結構いるみたいでした。

午後4時からは、外のステージで、民謡歌手進藤聖子さんを迎えて盆踊り大会です。
民謡研究会からは、63名がわざわざこの日のために日本から参加してました。
日本のおばさん達、着付けもピシッととして、踊りもきっちり揃ってました。

今年から駐車場代$5がかかることになり、人出のほうはどうかなと思ってました。
ところが、晴天であったこともあり例年以上の入りだったそうです。


オークランドでは、この翌週にクイーンストリートでサンタパレード、先週は、オークラ
ンドドメインでクリスマスの野外コンサートがありイベント続きです。
雨続きでいまいち夏らしくないのですが、クリスマスはすぐそこまでやって来てます。

この一年メールマガジンのご購読ありがとうございました。
楽しいこと、悲しいことを読者の皆さんを分かち合え、メールに励まされました。

皆様安全で平和なクリスマス、お正月をお迎え下さい。
2008年も宜しくお願い致します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする