オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その217 ワイへケ島 25−04−24

2024-06-05 12:16:37 | 第211−220回
                ワイへケ島

                 217号
25−04−24

3月に友人達とワイへケ島に週末出かけました。
ワイへケ島は、オークランドダウンタウンのフェリーターミナルから45分毎で
行けます。
日帰りもできますが、今回は2泊しました。


金曜日朝9時のフェリーに乗りました。
通常往復NZ$55ですが、私たちはシニア向けのパスを使いタダで行けました。
オークランド市民は、シニア、65歳になると年金が支給されると共に、
AT(Auckland Transport) cardに切り替えられます。
バス、電車、フェリーが無料で乗れます。

ワイへケ島に到着してから、レンタカーを取りに行きました。
レンタカーに荷物を入れて、Sculpture on the gulfを見に行きました。
島のオークランド側に面した丘に大小様々な彫刻が展示されてました。
私は毎回来ているのですが、今年はちょっと小規模かな、と思いました。
それでも、潮風に吹かれながら散策するのはいい気分でした。

いくつかのワイナリーに行きましたが、大きい所は観光客や結婚式などの
ファンクションのお客さんで混んでました。
ちょうど、オークランド港にクルーズ船が寄港していて、その乗客と思われる
人たちが団体で来てました。
ワイへケ島は、ロックダウン以前の賑わいを取り戻してました。
ただ、ワインのテイスティングが$30くらいに上がっていて、そう何箇所も
試せないな、と思いました。
クルーズ船の人たちも、値段を聞いてびっくりして、見学しただけで帰ってました。


今回は、女性4人でしたので大きめのホリデーハウスに滞在しました。
一人一部屋で大きいベッドに寝れたので、快適でした。
大体、ランチはワイナリーなどのレストランで食べ、夕方、早にめに戻り
ジャグジーに浸かりゆったりした後、夕食を宿で頂きました。
ワイへケ島のワイン、スーパーで買っお惣菜やチーズ、パンをつまみながら、
おしゃべりを楽しみました。
夜は真っ暗で、頭上には一面に星空が広かり、どっかとても遠い所に来た気分
でした。

ワイへケ島は、高級な別荘地で、丘の上や海沿いに豪華な家が建ってます。
週末だけやってくる、夏の間過ごしに来るようです。
もちろん住んでいて、毎日フェリーでオークランド側に通勤してる人もいます。

最近どこへ行っても思うのですが、ホテル代とか全てが値上がりしていて、
とても高くつきます。
コロナ以前の倍近くはすると思います。
ワイへケ島は、オークランド市内ですが、値段は外国より高いと言われてます。
娘一家は先週、家族用のパッケージでフィージーに旅行に行ってました。
国内を旅行するより、アイランドに行くほうが安いと言ってました。
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その216 ジャパンデイ いけばな展示とお茶席 08−03−24

2024-04-25 08:26:51 | 第211−220回
                 ジャパンデイ
               いけばな展示とお茶席


08−03−24

                  216号

2月25日はオークランドのジャパンデイでした。
文化展示、ステージでのパフォーマンス、お店、屋台と楽しいイベントでした。

私は、例年、いけばな展示とお茶席に参加してます。
今年は、朝から雨が降って気温も高く、とても蒸し暑かったです。

いけばな展示は、私の草月流いけばなの親先生の社中展ですが、前回から孫弟子、
つまり私の生徒さんも参加させてもらってます。
一昨年からいけばなを始めた私の娘も一品展示しました。
今回は、最多の参加者で24名がいけばな展示を行いました。
私は、展示の責任者で参加者へのメールでの連絡、当日の搬入、搬出のお手伝い
をしました。
いつものことながら、主催者側からの連絡が直前になってやっとくるという状態で、
毎回なんとかなるのですが、ヤキモキしました。

ジャパンデイの前に、お稽古で本番いける花の下活けを生徒さんにしてもらいます。
作品を見て、アドバイスしたり、当日の手順など伝えます。
社中展となると、私自身の作品より生徒がうまくできるかの方が気がかりです。
ジャパンデイ本番、下活けに使った花が手に入らず、多少デザインを変えた生徒も
いたのですが、みんな上手にできました。

私は、床からの大作と台上がりの2点をいけました。
大作は高さ3メートルほどで、我が家の庭の椰子の皮と泰山木の枝を使いました。
庭に落ちていた椰子の皮を集めておいて、茎の部分はオレンジ色のペンキを塗り
ました。ペンキは昨年12月に家の外装を塗った残りです。
茶色の幅広の椰子の皮で形を作り、中心にオレンジ色に塗った茎を加え、
最後に泰山木の深緑の葉をアクセントに加えました。
草月のいけばなでは、このような大作を作る時は電動ドリルで枝を固定したりする
ので大工仕事のようであり、彫刻やオブジェに近いかもしれません。
台上がりの作品は、庭の畑のコリアンダーが枯れてたなびく雲のような形になったのに、
ウイキョウの枝だけとユリ、紫陽花を加えました。

社中展ですから、何十年もやっているベテランの先生方から入門者までのいけばな
作品が見れます。
入門者の方たちの教科書に沿った盛花や投入は、一般の方にもわかりやすく人気でした。


朝7時に到着してからのいけばな展示が終了したら、着物に着替えました。
これからはお茶席の手伝いです。
一重とはいえ、着物を着ると暑いです。
髪はプロの美容師さんがセットしてくださいました。私はショートなのですが、片側だけ
ウェーブをつけてカッコよくなりました。

表千家の茶道を学ぶ有志でお茶席をジャパンデイで毎年やってます。
11時から4時半までお茶席で、お茶を立てる、半東、影立てのお運びなどしました。
暑くて湿気もあるので、茶杓などお道具が手はから離れにくい、お抹茶がお茶碗にドボっと
落ちてしまう、など普段のお稽古で経験しない苦労があります。
私がお茶を主客に立てた時、その方が飲み方がわからなくてなかなかお茶を召し上がらない
ので、私は帛紗をつけられず困りました。
あとで考えたら、勝手に進めた方が良かったかもしれません。
このようなイベントでのお茶席は経験のない方がほとんとですが、中には心得のある方も
いるので油断はできません。
お運びの人が足りなかったので、私の友人にも手伝ったもらいました。
彼女はプロの方に着付けしてもらい、髪もアップにして、とても着物が似合ってました。
久しぶりに着物が着れて嬉しかった、と言ってました。

4時半のお茶を立てる番が終わると、着物を脱いでジーンズとTシャツに着替えます。
イベントが終了するまでしばらく待ち、5時からいけばなを撤収しました。
私の大作は分解するのに時間がかかり、皆さんが手分けして私の車まで運んでくれました。

いつもほとんど自由時間がなく、家族や友人が来ていてもほとんど喋る時間もありません。
息子が果物とたこ焼きを差し入れしてくれました。

ジャパンデイは、お茶といけばなの両方やっているので、朝一番に来て、帰るのは最後です。
その日は本当に疲れ果てました。
参加者、来場の皆さんに楽しんで頂き、事故もなく無事終わったのでホッとしました。

今年最初のイベントが終わったので、今週末は友人たちとWaiheke Islandに遊びに行きます。
ワイナリー巡り、野外彫刻展などお楽しみがいっぱいです。
次回のメルマガで、またご報告しますね。
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その215 初コロナ 19~01−24

2024-03-07 08:57:40 | 第211−220回
19−01−24
                 初コロナ

                 215号

皆様 新年明けましておめでとうございます。
日本は新年早々、元旦に能登の地震、2日に羽田での飛行機事故と続き、
なんと言う新年の出だしだろう、と思いました。
被災地の皆様には、1日も早く通常の暮らしが戻ってくる事をお祈りします。


我が家は、例年通りの3家族合同のお正月ランチを致しました。
娘一家が、元旦朝5時着の日本便でオークランドに帰ってきました。
彼たちは、眠いのを我慢して一番にやって来ました。

去年から、娘がお重に詰めるものをほとんど作るようになり、私はこれで
バトンタッチできたかな、と思ってました。
ところが、今年は娘をあてにできなかったので、メインの物はほとんど私が
作りました。
お節料理、筑前煮、お雑煮に、今年は、タイの塩焼き、牛たたきも作りました。
他の家族がサーモンの巻き寿司、みたらし団子、杏仁豆腐を持ってきたので、
いつも通りの賑やかな元旦の食卓となりました。


12月に、私は不覚にもコロナにかかりました。
4年間どうもなかったのに、初めてコロナになりショックでした。
4月に5回目のコロナワクチンとインフルエンザの予防注射にしたのですが、
12月には効果は消えていたようです。

12月10日に、友人3人でMaestroの映画を見に行きました。
Bernsteinの音楽、映画の内容もよく楽しみました。
Netflexでもほぼ同時配信ということもあり、映画館は空いてました。
でもどっかにコロナ菌が潜んでいたようです。
3人並んで座って、真ん中にいる友人はかかりませんでした。彼女は、すでに
2回コロナにかかってます。
両側の私ともう一人の友人がかかりました。
彼女も私と同じく、コロナは初めてです。

翌週、月曜日に友人からメッセージが来て、陽性と言って来ました。
翌日、私は異常な喉の痛みで目を覚まし、鼻がむず痒くてはくしょんの連続
でした。
RATテストすると陽性でした。
私は何回も濃厚接触してもうつらなかったし、コロナにはかからない体質だと
思っていたので、RATテストの結果を見ても信じられませんでした。
それから、Foggyな頭痛、疲労感、唾も飲み込めないような喉の痛み、鼻詰まり
が始まりました。
熱はありませんでした。
少し前から、ニュージーランドでもコロナは風邪同様の扱いとなり、陽性になっても
自己隔離はする方が好ましいが、しなくても良い、となってました。
しかしながら、この時期クリスマス、忘年会と人に会う機会も多いし、誰も
うつされたくはないだろうし、5日間家にこもってました。
その週にあったクリスマス会は全部キャンセルしました。
家中の窓拭きをしたら、疲れて長いお昼寝、ちょっと掃除したら、また横に
なるを繰り返してました。
食欲は落ちなかったので、しっかり三食食べてました。

一緒に罹かかった友人が、孫悟空の頭の輪っかと例えた頭痛には、悩まされました。
頭を使うことが全然できない、パソコンに向かって仕事しても集中できないので、
いっさい諦めました。

でもコロナの症状はある日突然消えてました。
あれ、今日は頭痛や鼻のムズムズがない、という具合にです。
風邪やインフルエンザだったら2週間くらい長引く事が多いです。
そういう意味で、5日間と短期間で治って、不思議な感じがしました。
テストすると陰性になってました。
私は寝込む事もなく軽症だったのですが、友人の旦那さんは2週間ぐらい寝込んだ
そうです。

しばらく悩まされたのは胸の動悸です。
ちょっと運動すると、胸がバグバグしてました。

お正月明けから軽いヨーガ、短距離の散歩を始めました。
4キロぐらいから少しずつ距離を伸ばして、先週は、一万歩、8キロを以前のペース
で歩けるようになりました。

今日は、一か月ぶりにジムのクラスに復活して、スピンバイクを1時間やりました。
もう動悸もせず、みんなについていけたので、ほぼ体調は戻ったと実感しました。

ニュージランドは去年の12月あたりからコロナがすごく流行っていて、第五波と
言われてます。
2月の末からマスク、RATテストも無料で配布されなくなります。
今年はどうなっていくんだろうと思います。

昨年の今頃は雨が多く1、2月は洪水と災害が多発しました。
今年は、夏らしい暑い日が続きてます。
庭の野菜もよく育ってます。
しばらくはこのいい天気を楽しめそうです。
                
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その214 4年ぶりの日本 01−12−23

2024-01-18 05:48:19 | 第211−220回
その214                 01−12−23

            4年ぶりの日本


10月23日から11月7日まで、4年ぶりに日本に行って来ました。
今回は、旅行はせずに東京、京都のみの滞在でした。

東京は、11月というのに26度もあり、湿気も多くて疲れました。
暑いと友人にこぼすと、今年の夏の暑さに比べたら何でもないよ、と怒られ
ましたが。
11月8日にニュージーランドに戻ってみると、初夏に向かっているオークランド
が東京より涼しいくらいでした。


さて、東京滞在の目的は、日本橋高島屋で開催された104回草月展の出展でした。
最後の出展は2019年3月で、その年の暮れからコロナのニュースが’聞かれる
ようになり、ニュージーランドは2020年4月にロックダウン入り、3年近く
暗い時間を過ごしたのでした。
ようやく外国人も規制なく日本に入国できるようになり、草月展も4年ぶりに
外国からの出展ができるようになりました。

私がしばらく来なかった間に、草月のトレンドも変わり、奇抜な発想、表現に
驚きの連続です。
まさに、井の中の蛙大海を見る、です。
本番の展覧会の活け込みでは、こんなことで動揺してはいられないので、計画通り、
自分の花を活けました。

自分のいけばな展示の3日間は、なるべく会場にいるようにして、ニュージーランド
から帰国した友人達や親戚と再会しました。
オークランドにいた時は毎週のように会っていた仲間も、いったん帰国して
しまうとほとんど会うことはないようです。
私が草月展にお招きしたチャンスに、オークランドのRe- unuon(同窓会)の
になり、何人かで食事に行き、再会を楽しみました。


東京で感じたのは、私は日本人であるけど、この社会に属していない海外居住者、
出たっきり邦人である、という事です。
7月にサンフランシスコに行った時は、国の文化の違いは感じても、そこにいる
事に違和感は感じませんでした。草月の仲間達とも、初めて会う人でも、わだかまり
なく、一緒に過ごせました。
アメリカも移民の国で許容性が高い、ニュージーランドに文化が似通って
いるせいかもしれません。
ニュージーランドに30年、私の人生のほとんど半分を住んでいるせいか、日本は
懐かしい場所ではあるが自分の国ではない、と感じます。
うまく表現できないけど、日本は特別なところですよね。


毎年日本に帰っている時は感じなかったのに、この4年のギャップは大きい
です。
ホテルでもどこでもやたらとちまちましていて、それは細かい心配りなのかも
しれなけれど、必要のない、過剰サービスに思えました。

この4年間で、ニュージーランドはキャッシュレス化が一気に進み、普段
キャッシュを触る事がほとんどなくなりました。
それに比べると、日本はまだまだ現金が主流でした。
日本の方には不便はないのかもしれないけど、海外のクレジットカードが使え
ないお店、現金のみのお店が多く、困りました。
日本以外の国を旅行した時は、どこでもニュージーランドのクレジットカード、
Apple Payが問題なく使えたのに、です。

展覧会場で、カナダからの友人に出会い思わずハグして、再会の喜びを分かち合い
ました。
だけど、日本の友人にはハグしてしまいそうになっても、いかんいかん、
日本ではこんなことしてはいけないんだな、自制してました。



東京の混沌から抜け出し、京都の1週間はのんびり過ごしました。
今回は、お茶のイベントしか予定を入れず、後の時間は一人でゆっくり過ごしました。

滞在先は、哲学の道近くのゲストハウスで、親戚の家に泊まっているような落ち着いた
気分になりました。
哲学の道の周辺は、50年前、主人とよく散策したところでした。
久しぶりに安楽寺の山門に立つと、5月のある日、ピンクのつつじが’満開だった事、
疏水に揺らぐ柳の枝などが蘇って来ました。
百万遍あたりをバスで通りながら、昔通ったあの喫茶店はあるかしらと、探して
しまいました。
二条城市民茶会で晴れがましい、張り詰めた時間を過ごした後は、出町柳の商店街を散策
し、鴨川べりで川面を見ながらぼんやりしてました。


京都には、大学時代とニュージーランドに来る前までの7年間住みました。
今でも当時働いていた花屋があり、その時代からの友人もいます。
学生時代は主人との、後半は家族と過ごした思い出がたくさんあります。

私にとって東京と京都の違いは、住んだ事があるかないか、だと思います。
住めば都、とはよく言ったもので、住んだ場所がどのようなところでも愛着が
生まれるのかもしれません。
それに比べ、東京は何回行っても、通りは見慣れても、私は訪問者に過ぎません。

窓の外の木々を眺め、鳥のさえずりを聞きながら、今このメルマガを書いています。
やっぱり我が家が何よりです。


この1年間のご購読ありがとうございました。
楽しく、安全にホリデーシーズンをお過ごし下さい。
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その212 7年振りのサンフランシスコ 25−08−23

2023-10-10 11:41:41 | 第211−220回
 7年振りのサンフランシスコ

 25−08−23                
                212号

7月に5年振りにサンフランシスコに行ってきました。
2019年の3月に日本に行ったのが最後で、翌年2020年3月から
コロナパンデミックに突入したので、海外に出るのは4年振りでした。

7月14日から16日に開催されたサンフランシスコベイエアリア、草月支部
の50周年のコンベンションに参加してきました。
コンベンションの前後に、ヨセミテナショナルパークとナパにデイツアーに
行ったり、親戚に会ったりしました。

生花のイベントや観光はもちろん楽しかったけど、今回は久しぶりのアメリカの
カルチャーショックについて書きたいと思います。
あとで考えてみると、この4年間にニュージーランドの生活に大きな変化があり、
そのギャップかなと思います。


キャッシュ

アメリカは、まだまだキャッシュがいっぱい使われてます。
ニュージーランドは、コロナの時にスーパーマーケットでは誰が触れたかわからない
キャッシュをスーパーマーケットでも受け取ってくれない時期があって、一気に
キャッシュレスが進みました。
私は、今回US$300ほどキャッシュを用意していったのですが、そのほとんどがチップ
に消えました。
ニュージーランドはチップの習慣がないので、アメリカのチップ文化には戸惑います。
一番憤慨したのは、ナパ、ワイナリーツアーのバスガイドの態度です。
「もうちょっとでSonomaでランチの自由行動です。
このツアーの最後に、チップを払う人がいると思うけど、外国のお客さんでキャッシュを
持ってなくて、恥ずかしい思いをさせるのは悪いので、教えておくね。
あの角にATMマシンがあるから、キャッシュアウトできます。
ひょっとしてワインをくれるつもりだったら、僕は赤が好きだよ。
でもキャッシュの方が嬉しいです。
パンフレットにはチップは$20くらいと書いてあるけど、もちろん多くても大歓迎です。」
この調子で、ツアーの間チップの話を何回もしてました。
コロナの間、ガイドの仕事がなくてやっと再開したので、儲けたいのはわかるけど
本当にウンザリしました。

今年一月にニュージーランド、ノースランドに旅行に行った時、数泊するので、
ベッドメイキングの方にメッセージと共に$5置いて行ったことがあります。
帰ってきたら、$5はそのままでした。誰も取ってませんでした。
支払われているサラリーでちゃんとしたサービスをするのが当たり前なので、チップ
を渡そうとすると、かえって気を悪くされそうです。

余談ですが、帰ってきたらいつも停める駐車場がGoogle, Apple Payの支払に変わって
ました。
アプリやクレジットカードで払うのが一般的ですが、さらに進化してました。
ニュージーランドでは、こういう変化は、コロナ後一気に進んでます。


お買い物袋など

ニュージランドは、エコの意識が強くて、だいぶ前からスーパーではビニールの
ショッピンクバックはくれなくなったし、今年7月からは野菜とか入れるビニール袋
は廃止され、紙袋になりました。
アメリカのスーパーは、まだまだお買い物パックを無料でくれます。
それも再利用できると称して、しっかりしたのがもらえます。
レストランとかで、こっちでservietteという紙ナプキンが山積みされていて、
みんなバカバカ使ってました。なんか必要以上に紙を消費するな、と思いました。
ニュージーランドでは、一人1枚、それ以上いる時はレジに貰いに行きます。


ホームレス

噂通り、サンフランシスコの街の中心部にはホームレスがいっぱいいました。
歩道にテントを張って、村のようになっているところもありました。
今回のツアーの集合は、Union Square のHilton Hotelでした。
朝6時にウーバーで到着したら、おばあさんが歩道の真ん中で行き倒れてました。
結構寒いのに、そばを人が歩いても動きもしません。
5年前に来た時は、Fisherman warf とか歩いていったけど、今回はとても一人
で歩き回る気になれませんでした。
息子一家も3月にお嫁さんの両親に会いに、やはりサンフランシスコに行きました。
帰ってきた孫が、
「ばあちゃん、ゾンビが道にいっぱいいたよ。」と教えてくれました。
サンフランシスコのホームレスは、薬物中毒者が多いのか、なんか異様です。
孫たちには、ホームレスがホラー映画のゾンビのように見えたようです。
サンフランシスコでもホームレスがいるのは一部の限られた地域で、
私が滞在した空港近くのホテル周辺には見かけなかったし、郊外は全く平和でした。

オークランドにもホームレスはたまにいるけど、
「Hello Madame, Do you have any change ?」
とか話しかけてきたり、
小銭入れ用に缶を置いてギターを弾いていたりと、だいたい正気です。
コロナの間に感染防止の為、CBDにいたホームレスはアパートに収用され、今も
その住宅プロジェクトが’継続してます。
ホームレスだった人も、住所が’決まれば政府から生活保護費が’貰えます。
だから、路上生活してる人はわずかです。


10月には4年振りに日本に行きます。
今からお買い物リストを作って楽しみにしてます。


                 212号

7月に5年振りにサンフランシスコに行ってきました。
2019年の3月に日本に行ったのが最後で、翌年2020年3月から
コロナパンデミックに突入したので、海外に出るのは4年振りでした。

7月14日から16日に開催されたサンフランシスコベイエアリア、草月支部
の50周年のコンベンションに参加してきました。
コンベンションの前後に、ヨセミテナショナルパークとナパにデイツアーに
行ったり、親戚に会ったりしました。

生花のイベントや観光はもちろん楽しかったけど、今回は久しぶりのアメリカの
カルチャーショックについて書きたいと思います。
あとで考えてみると、この4年間にニュージーランドの生活に大きな変化があり、
そのギャップかなと思います。


キャッシュ

アメリカは、まだまだキャッシュがいっぱい使われてます。
ニュージーランドは、コロナの時にスーパーマーケットでは誰が触れたかわからない
キャッシュをスーパーマーケットでも受け取ってくれない時期があって、一気に
キャッシュレスが進みました。
私は、今回US$300ほどキャッシュを用意していったのですが、そのほとんどがチップ
に消えました。
ニュージーランドはチップの習慣がないので、アメリカのチップ文化には戸惑います。
一番憤慨したのは、ナパ、ワイナリーツアーのバスガイドの態度です。
「もうちょっとでSonomaでランチの自由行動です。
このツアーの最後に、チップを払う人がいると思うけど、外国のお客さんでキャッシュを
持ってなくて、恥ずかしい思いをさせるのは悪いので、教えておくね。
あの角にATMマシンがあるから、キャッシュアウトできます。
ひょっとしてワインをくれるつもりだったら、僕は赤が好きだよ。
でもキャッシュの方が嬉しいです。
パンフレットにはチップは$20くらいと書いてあるけど、もちろん多くても大歓迎です。」
この調子で、ツアーの間チップの話を何回もしてました。
コロナの間、ガイドの仕事がなくてやっと再開したので、儲けたいのはわかるけど
本当にウンザリしました。

今年一月にニュージーランド、ノースランドに旅行に行った時、数泊するので、
ベッドメイキングの方にメッセージと共に$5置いて行ったことがあります。
帰ってきたら、$5はそのままでした。誰も取ってませんでした。
支払われているサラリーでちゃんとしたサービスをするのが当たり前なので、チップ
を渡そうとすると、かえって気を悪くされそうです。

余談ですが、帰ってきたらいつも停める駐車場がGoogle, Apple Payの支払に変わって
ました。
アプリやクレジットカードで払うのが一般的ですが、さらに進化してました。
ニュージーランドでは、こういう変化は、コロナ後一気に進んでます。


お買い物袋など

ニュージランドは、エコの意識が強くて、だいぶ前からスーパーではビニールの
ショッピンクバックはくれなくなったし、今年7月からは野菜とか入れるビニール袋
は廃止され、紙袋になりました。
アメリカのスーパーは、まだまだお買い物パックを無料でくれます。
それも再利用できると称して、しっかりしたのがもらえます。
レストランとかで、こっちでservietteという紙ナプキンが山積みされていて、
みんなバカバカ使ってました。なんか必要以上に紙を消費するな、と思いました。
ニュージーランドでは、一人1枚、それ以上いる時はレジに貰いに行きます。


ホームレス

噂通り、サンフランシスコの街の中心部にはホームレスがいっぱいいました。
歩道にテントを張って、村のようになっているところもありました。
今回のツアーの集合は、Union Square のHilton Hotelでした。
朝6時にウーバーで到着したら、おばあさんが歩道の真ん中で行き倒れてました。
結構寒いのに、そばを人が歩いても動きもしません。
5年前に来た時は、Fisherman warf とか歩いていったけど、今回はとても一人
で歩き回る気になれませんでした。
息子一家も3月にお嫁さんの両親に会いに、やはりサンフランシスコに行きました。
帰ってきた孫が、
「ばあちゃん、ゾンビが道にいっぱいいたよ。」と教えてくれました。
サンフランシスコのホームレスは、薬物中毒者が多いのか、なんか異様です。
孫たちには、ホームレスがホラー映画のゾンビのように見えたようです。
サンフランシスコでもホームレスがいるのは一部の限られた地域で、
私が滞在した空港近くのホテル周辺には見かけなかったし、郊外は全く平和でした。

オークランドにもホームレスはたまにいるけど、
「Hello Madame, Do you have any change ?」
とか話しかけてきたり、
小銭入れ用に缶を置いてギターを弾いていたりと、だいたい正気です。
コロナの間に感染防止の為、CBDにいたホームレスはアパートに収用され、今も
その住宅プロジェクトが’継続してます。
ホームレスだった人も、住所が’決まれば政府から生活保護費が’貰えます。
だから、路上生活してる人はわずかです。


10月には4年振りに日本に行きます。
今からお買い物リストを作って楽しみにしてます。
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その211 Plastic Free 07−07−23

2023-08-24 07:57:55 | 第211−220回
07−07−23
                Plastic Free

                 211号

7月1日から、ニュージーランドはPlastic Freeとなりました。
つまり、一回きりの使い捨てのプラスチック製品が店頭から消えました。

スーパーマーケットの野菜売り場にあった、土に戻りやすいベラベラの袋も
なくなり、紙袋に代わりました。
酷いところは、紙袋すら置いてありません。
先週、いつものスーパーでお買い物したら紙袋が13個でした。
レジでは、中身が何かわからないので、キャッシャーがいちいち袋を開ける
ので時間がかかります。
トローリーに入れる時、重いものを下、軽くて痛みやすい物を上に置いて
欲しいのに、下でとっても高価なトマトが潰れていたりします。
袋のないとこでは、玉ねぎ、みかんやキーウィがトローリーの中で転げ回り
ます。

家へ帰ってきてから、冷蔵庫に入れるのにも問題があります。
紙袋は空気を通すので、レタスがシワシワになります。
あとは、何が入っているか見えないので、使い忘れが多く、腐っって捨てたら
全然エコではありません。

このお買い物に懲りて、今週は自分のプラスチックバックを持参しました。
人参、きゅうりなど、持参のプラスチック袋に直接入れました。
まだあんまり厳しくない中国系の八百屋でもらう、大型のビニール袋を貯めるように
してます。
プラスチックは良くないのはわかっているけど、いるしなと思い、フリーザーバッグ
を買う事にしました。
ところが、みんな同じ事を考えるようで、売り切れてました。

テイクアウェイのフォーク等は木製に代わりました。
入れ物は紙製です。
防水はしてあるものの、長い間入れっぱなしだと水分が沁みてきます。
プラスチックの様にしっかりしていないので、持ち帰る時に気をつけないと
こぼれます。
プラスチックコンテナは洗って保存用に使っていたけど、紙製の入れ物は
即ゴミとなります。これはゴミ箱の中ですごく嵩張り、ゴミの量が増えます。

輸入品の納豆も、紙カップにものしか売られてません。
プラスチックに入っている雪見だいふくのアイスが売ってはいけなくなるので、$1
で安売りしていたと聞きました。


その昔ビルマに住んでいた時、お肉はバナナの葉っぱで包んでありました。
油、米、豆とか買う時は自分の容器を持参してました。
エコとかいう言葉もない時でしたが、本当にエコでした。
その時代に戻すのは難しいけど、かといって果たして紙製品がリサイクルされる
かは疑問です。
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