オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その54 うちの旦那はガーデナー  13-02-09

2009-02-14 03:07:10 | 第51ー60回
その54 うちの旦那はガーデナー  13-02-09


ここ1週間ほど、夫婦でガーデニングにいそしんでいる。
息子もブリスベンに戻り、年末年始の一通りのイベントが終わり、平常の生活が
戻ってきたせいもあろう。
この家に引っ越してから10年近くたち、もういいかげん庭らしくしないととい
う焦りもある。
私は、仕事が本格的に忙しくなる前にやっておかないとチャンスを逃がし、今や
らねば5月くらいまで時間がなさそうだ。
実際のところ、オークランドは4月から9月まで雨が多く、せっかくの日曜と思
っても、庭仕事がままならぬこともある。
おまけに南国育ちの夫は、夏の暑さには耐えられるようだが、寒さに弱い。


我が家は、分譲地であった500平方の土地に建っている。
家、うちの前の車3台分の駐車場を除くとたいした庭ではない。

隣近所は建売住宅であるため、最初からごく決まりきったランドスケープがされ
ていて、住人は時々芝を刈る程度ですむ。
よくある道に面した長方形の芝地は手入れがしやすい。

ところが我が家は、建築家である夫が角地で20軒分区画整理の岩がごろごろ
した斜面の敷地を選んだ。
こういう土地は、ランドスケープ的におもしろいそうだ。
そのせいで価格は20区画の中で一番安かったように覚えている。
わが夫は、大学で建築とランドスケープデザインを教えていた。
私は彼の講義を聞いていた訳ではないので知らないが、アカデミック的には優れ
ていたのであろう。

しかしながら、庭作りは紙の上、理論通りにはいかない。
よく教師にありがなように、夫は人に指示してやらせるのは好きだが、実際自分
でやるのは得意ではない。
私は、花関係の仕事をしていて知識があるが、実際花を育てた経験が少ない。
仕事で花にかかわるので、家に帰ってまで花を見たくないという時期もあった。


最初はまず自分達の好きなものを植えた。
火山岩でおまけに土地は粘土質で、穴を掘るのは用意ではなかった。
おまけに隣の山からの強風で、やさしい草花はなぎたおされ生き残れなかった。

そこでと、私は好きな花でもあるプロテア科の花を植えた。
プロテアは、水はけがよくドライな土地を好む。しかし、成長が遅く苗から花を
つけるまで5年ほどかかる。
水はそんなにいらないが、気難しく湿気の大過ぎ、害虫などで枯れてしう。
おまけに植え替えをきらうので、場所をかえたりすると死んでしまう。

私は、珍しい品種を求めに、1時間かけてプロテアのMatakanaのナーサリーま
で行った。
20本植えたうち約半分が残り、ようやく花がさき株が安定してきた2年前、夫は
庭全体をやりなおすことにした。
隣の空き地で採石作業をしていたマオリのおじさんに口説かれたようだ。
庭は、地面のレベルから3段のレベルとなった。家と駐車場のレベル、2、3段
目は前の道と隣の敷地の間をゆるくカーブを描いている。
入り口のところには三角形の歌壇も作った。1週間の突貫工事で出来上がった。
現場監督をしていた夫は、なかなか楽しそうであった。
NZ1万ドルほどかかった。私達にしては大出費であった。


そこで私のプロテアはどうなったか。
工事のある日、仕事から帰ったらブルドーザーの下敷きとなり、形も影もなかっ
た。
あまりに愕然として、それ以来私が庭に熱心になれないのは、その時の後遺症か
らである。


大工事をしたため植物がほとんどなくなった。
桜が1本、ポフツカワ2本、 マグノイア1本しかない殺風景な庭になった。
そこで、庭の2段目にやしを10本、フィジョア、マガデミアを夫が植えた。
3段目は私の持ち場ということで、またプロテア科のピンクッションを5本植え
た。家のレベルには芝を植えた。

私のピンクッションは成長がよく、一年目にしてわずかだが花をつけた。
来年は切花として、仕事にも使えるかなと思った。

ところがである。
ある日突然ピンクッションは枯れだし、1週間くらいで茶色になってしまった。
芝も茶色になっている。

すぐに夫がまいたWeed killer(除草剤)、水のやりすぎが原因だなと思った。
夫に問い正すと、「そんなに近くには撒いてないよ」という。
夫は雑草が大嫌いで、せっせとWeed killer(除草剤)を撒いていた。
そのため庭のすべての植物が生長不良で葉っぱのふちが茶色く縮れている。
友人の家でもそうなっているという。
友人と「なんで男の人はWeed killerがすきなのかねえ」と嘆きあった。
彼女は高価なバラを枯らされたと言っていた。
男達は、Weed killer入りのタンクをしょって、ホースでしゅしゅっとやるのが
好きらしい。


先週の日曜日、私はガレージ横の多肉植物の庭を一からやり直した。
全部引っこ抜いて、weed matをひき、植えなおし、バークを一面に敷き詰めた。
夫に私の庭に手を出すなときつく言い渡した。

夫の植えたトマトはもうすぐ花をつけそうである。
しかし、寒くなるまでに実がなるかどうか心配である。


夫は、せっせと水をやり、手入れをしても枯らしてしまう。
そしたら又ガーデンセンターに行って、植木を買う。
10年間この繰り返しである。
でも最近は、少しはガーデニングのことがわかってきたかもしれない。
定年生活2年目の夫は、まだまだ学習する時間は十分ある。
夫の気力のあるうち、足腰のしっかりしているうちに庭が形が整うといいなと思
うこの頃である。

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その53 日本人の定義 13-01-09

2009-02-14 03:04:04 | 第51ー60回
その53 13-01-09


日本人の定義


新年明けましておめでとうございます。

元旦は、恒例の家族でおせち料理を頂きました。
暮れに日本の友人から日本食の差し入れがあり、ニュージーランドとしては結構
豪華なおせちができました。
北海道産数の子、京都丹波の黒豆、紅白なます、かまぼこ、スモークサーモンの
マリネ、かまぼこ、寒天入りの重箱。お雑煮は京風白味噌仕立て、それに巻寿司、
筑前煮、手羽先の七味煮でした。
そうそうオーガニックのお米で作った日本酒もありました。
16ヶ月の孫も同席したのでゆったりと食事という訳にはいかなかったけれど、
一家全員でお祝いできいいお正月でした。



今回は、モントリオールのはなさんに続き日本語の話題です。

去年の5月からブリスベンで一人暮らしを始めた息子が、休暇で帰ってきてます。
息子は、最近日本語、日本文化にめざめたようです。
一人暮らしを始めたことにより、自分のアイデンティティーについて改めて考え
始めたのかもしれません。
息子は、ビルマで生まれ、9歳まで日本、それからはニュージーランドで育ちま
した。我が家は夫も日本語を話し、家庭内の会話は日本語ということもあり、息
子は、日常会話程度の日本語を話せます。

25歳の息子は、最近小学校1年生の漢字を練習してます。
日本で学校に通った3年生までの漢字はなんとか読めるけど、仕事に使うレベル
にはまだまだと実感しているようです。
それでも日本の学校教育はすばらしい、習った分は身についていたのですね。

我が家は、ずっと共働きでした。
それでオークランドにやってきて日本語補修校に行かせる経済的、時間的余裕も
なく、子供達の日本語教育にはそれほど熱心ではなかったと思います。
それよりも英語が最優先でした。学校の宿題、英語、数学などの家庭教師、サッ
カー、バトミントンの練習と時間はいくらあっても足りなかった気がします。


息子の今の職場に、日本語の読み書きのできるオージーがいるそうです。
当然息子より日本語がよくできるのです。
その友人から、日本語検定だの、日本で仕事するにはどの程度の日本語ができる
なければいけないかなどと聞いたようです。

英語で高等教育まで受けた息子の視野に、これまで日本で働くということはなか
ったのです。それが今は、具体的に日本行きを考え始めています。


先日、オークランドの百円ショップ、$3Japanに、息子とお買い物に行きました。
息子が買ったのは、ウサギの模様のはいったお椀、お醤油入れ、さしみ醤油用皿、
だるまでした。
「なんでだるまなんか買ったの?」と私。
「だって日本人の家には、だるまをがあるでしょ」と息子。
日本のDVDでそんなシーン見たのかな。

また別の日、
「お母さん、将棋教えて。日本人なら将棋できないとね」と息子。
「将棋できない日本人もいっぱいいるんだけど」と私。

息子の日本へのアプローチは、日本びいきの外人と同じです。
息子がアニメやDVDのドラマ、日本の歌謡曲から得た日本のイメージ、間違っ
てはいないけどどっかずれてます。
しかし、大人になってから改めて日本語を勉強しなおし、息子が自分のめざす日
本人のあり方に近づこうとしていることはいいことだと思います。

日本の会社で日本人として働くことはちょっと難しいと思うけど、外資系の企業
に日本語のちょっとできる外人として働くのは夢ではないかもしれません。

息子は、英語圏なら、自分で生活していける技能を身につけたし、日本語習得は
選択の幅を広げるチャンスだと思います。
しかし、小3レベルから、専門用語、クライアントとの会話、社内でのビジネス
といった日本語までに引き上げるのはなかなか難しいでしょう。

上下関係とかの日本の社会ではみだすことなくやっていけるかは、また別問題だ
と思います。
一緒にDVDで日本のドラマ見ていても、サービス残業なんて信じられないと言
います。
主張をして当たり前の社会で育った息子が、空気を読むとかつきあいとかいう日
本社会になじめるかなとも思います。



かわって今度は孫の話。
孫は、最近話す単語数も増え、言葉で意志を伝えることができるようになってき
ました。
そして、なんとなく英語と日本語の使い分けをしているようです。
もちろんこれが日本語、英語という区別はないけれど、この人にはこの言葉が通
じるとわかってきているようです。
孫は、母親が日本人とビルマ人の混血、父親が台湾人、住んでいるのが英語圏の
ニュージーランドなので、この4ヶ国語をミックスして使います。
ビルマ語は、「アペーイお父さん」、「アメーイ(お母さん)」「ネネ(ちょっとち
ょうだい)」、「ホケ(ハイ)」
私達夫婦が、お互いにアペーイ、アメーイと呼び合うので、孫はそれをまねして
ます。
中国語は、「パパー(お父さん)」「ママー(お母さん)」「アゴン(おじいさ
ん)」「アマ(おばあさん)」など。
日本語は、「ねんね、くっく、いこか、ない、ごはん、おふろ、ぶーぶー、
いちご、めーめー、わんちゃん、にゃんにゃん、かず(猫の名前)、タマ(猫の
名前)」と一番語彙が多いです。

デイケアでは英語で、友達の名前、ご飯の時に「more」、「no more」、
「please」など話しているようです。

先日、デイケアで三輪車で遊んでいた時、孫は友達にあんたはこっちのに乗って、
君はこれなどと指示をして忙しそうにしていたそうです。
それで保母さんが、「Do you need any help?」と聞いたら、孫は「No」と答
えたそうです。けっこうボスぶってるようです。
2歳までの英語、それ以外の母国語も確立していない赤ちゃんグループで、孫は
自己主張し、意志を伝えられます。
言葉は意志を伝える手段であるけれど、body language、伝えたいという気持ち
でもコミュニケーションは成り立ちます。

今は月例のわりにはおしゃべりな孫ですが、将来4ヶ国語を話せるようになると
は思えません。最低英語は残るだろうし、日本語、中国語は家族と会話できる程
度までいけば上出来だと思います。

言葉はアイデンティティーの確立に役立つけれど、それ以前の自己の確立、明る
いすなおな子に育てることといった事のほうが大切だと思うのです。
言語習得には個人差もあるし、生まれつきシャイで口数の少ない子もいます。
現にうちの息子は、2歳までに2-3語しかしゃべりませんでした。
その後の日本の小学校でも苦労したし、ニュージーランドに来てからは、一年く
らいは学校でほとんどしゃべらなかったようです。


移民3世代家族の我が家では、いろんな文化が入り混じってます。
混血が進めば進むほど、ルーツも増え、言葉、文化も複雑になります。
両親、曾祖母は、時間が許す限り楽しく文化や言葉を伝えられればいいなと思い
ます。
孫はこの一年の間に、お正月だけでも、日本のおせち、台湾での旧正月、ビルマ
の正月水祭り、そしてここではクリスマスを経験しました。
大きくなった時、イベントとともに日本のおばあちゃんちはこうだったとか思い
出してくれればいいなと思います。

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