オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その40 ファーマーズマーケット 16-11-07

2007-11-28 08:39:48 | 第31ー40回
その40 ファーマーズマーケット

11月になってからボカボカ陽気で、どっかに出かけたくなります。
でも、まだビーチに行くには肌寒いかなと言う感じです。でも気の早い人は、潮干狩りに
出かけたりしているようです。


そこで最近の私達の娯楽は、ファーマーズマーケットです。

先々週は、パーネルのに行って来ました。
大いに期待して、私、夫、娘夫婦とその赤ん坊の5名で出かけました。

Parnell Community Centerのパーキングであり、今回が第一回目でした。
前宣伝の効果があったのか、お店より人のほうが多かったです。
これからのクリスマスシーズンに向けてタルトのお店が2軒、オーガニックの野菜、
ベニソンのサラミ、ドイツ風すっぱい黒パン、出盛りのいちごなどなど。
おいしいものがいっぱいでした。
しかしながら、お値段は高い目。まあオーガニックのものは普段でも高いんですが。
ドイツ風のパンが$7.50.一回の食事分しかなくて、このお値段。私にはちょっと手
がだせません。
イチゴ3パックで$10.この週スーパーで1パック$2.50で特売だったのに。
と言う調子で結局何も買わずに帰りました。
夫は、ベニソンのサラミ半分で$12でかってましたが。

来たついでに、Parnell Community Centerの2回でNewmarket駅周辺の再開発の展示
を見ていきました。娘夫婦は、この駅のすぐ隣に住んでいるので関心大です。
駅は日本の地方の地下鉄駅ぐらいにきれいになるようだけど、電車のサービス自体が変わ
らないとね。最低時間通り運行されるとか。


先週の土曜日。今度はBritomartのFarmer’s Marketに挑戦。
友人から、胡蝶蘭の生産者が来ているという情報を仕入れたので、行ってみました。
行ってみるとBritomart駅周辺は、土曜日でもパーキングは有料。
パーキング代をはらって払ってまでマーケットに行くのはあほらしいので、近くの
Foodtownスーパーマーケットの駐車場に停めて、そこから歩きました。

ここは、パーネルよりお店も多く賑やか。
胡蝶蘭売ってるおじさんを見つけました。ピンクの胡蝶蘭の鉢植え、アンスリウムなど売
ってました。
ところが私のお目当ての胡蝶蘭は1箱だけ。
それも、ピンク、黄色、白の胡蝶蘭が混じってる。
1本で$5.00、5本なら$25.00って、箱買いしても全然安くないじゃないです
が。
しかし、これを目当てにきたので、胡蝶蘭1箱とアンスリスム3本1束を買いました。
その日最初のお客さんということで、おじさんは、小さめのアンスリスムの束をおまけに
つけてくれました。

その反対側の角に、またお花を売っているお店発見。
そこはKumeuの花の生産者で、フローリスト風の若い女の子が店番してました。
アルストロメリア2束$5、ルレーブというピンクのゆり2束$10と結構お買い得。
しかし、家で開けてみると、花つきも悪く、茎の細い二級品でした。道理で安いわけです。
たぶん市場でだせない規格以下の花でしょう。
まあ、いけばな用には線が繊細でいいかなと、自分で納得してました。

その後は、味見したりお店を冷やかしたりとぶらぶら。
手抜きの晩御飯用に、ビーフのソーセージ$8、マルチグレインのパン$5、フェタチー
ズ、サンドライトマト、オリーブの詰め合わせ$6、サラダ菜50セントを買って帰りま
した。


ファーマーズマーケットは、生産者が直接消費者に自分を作ったものを売るという決まり
があるそうです。
高い安いは別として、生産者と会って会話して買うというのもいいかなと思いました。
当たり前ですが、現金でないと買えません。
何でも揃っているスーパーマーケットで、ショッピングリストに従ってカートを埋め、ク
レジットカードでお買い物をするより、味がありますよね。
トマトのように、実は夏の野菜だったということが忘れられていく今、旬のいびつなイチ
ゴに夏の訪れを感じるのも悪くないかも。
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その39 ダブルバースデーパーティー 16-10-07

2007-10-17 03:25:14 | 第31ー40回
その39 ダブルバースデーパーティー 16-10-07

 先週土曜日は、娘夫婦のバースデーバーティーでした。
娘と娘の夫は誕生日が一緒です。最近亡くなったテナーのバヴァロティも同じ誕生日だと
か。


メニューは、恒例の手巻き寿司。
台湾人の娘の夫は、お刺身好きです。
娘達が掃除、片付けをしている間に、私はシティのフィッシュマーケットのお魚を買いに
行きました。
サーモンの半身、ツナ、鯛、うに、いかを買いました。
ニュージーランドの原住民のマオリ人は、うにをキナと言って好んで食べます。
生うにをバターをたっぷり塗ったトーストに載せて食べてます。それを見た時は、さすが
の私もカルチャーショックでした。
土曜ということもあり、お店は混雑してました。レジには10人くらい並んでます。
ここは、お刺身にできるくらい鮮度の高い魚を常に置いてあり、無料で裁いてくれるので
時々行きます。

娘達のアパートに戻って、下準備にかかりました。
我が家のストーブ(コンロ)は電気の耐熱ガラスなので、いつも厚焼き玉子焼くのに30
分くらいかかってました。
娘のところはガスストーブなので火力が一定していて、20分ほどでできてしまいました。
私は、千切りキャベツ、さらしたまねぎ、チックピー、ツナ缶にフレンチマスタードドレ
ッシングをかけたサラダを作りました。
生魚食べない人もいるだろうから、娘は手羽先を照り焼きチキンにしました。
こっちで照り焼きチキンというと、はちみつ、醤油、ニンニク、しょうがでチキンをマリ
ネードしてオーブンで焼くだけです。
私は、このレセピをキーウィから教えてもらいました。
日本の名前がついていて、日本のお料理だと思っていても、キーウィ風になっている
お料理ですね。インド料理のバターチキンも、瓶詰めのベースがスーパーで売ってますが、
インドにはない味でしょうね。
ご飯を炊いて寿司飯を作り、サラダ菜、アボガド、きゅうり、ウオータークレス、カイワ
レなど手巻き寿司の付け合せの野菜を切って準備は終了。
こっちの人はお寿司といえば、サーモンとアボガドだと思っているので、この二つは大量
に用意しました。

スターターは、チーズボード、コーンチップとディップ。
来た人に飲み物を勧めて、ホストの娘夫婦は、お客さん同士を紹介したら、あとは適当に
おしゃべりです。
最初の一杯だけは、ホストがお客様に飲み物をついで勧めるけど、後は勝手に飲み物コー
ナーから自分でつぐのがNZ流です。娘のところにいつも来てる友人達は、冷蔵庫から勝手
にビール出して飲んでました。

8時過ぎにほぼ全員揃ったところで、息子と私でお刺身を切り始めます。
大きな寿司桶と旦那手製の巨大な生板の上に彩りよく並べていきます。
いつもの事ながら、お魚切るのはなかなか難しい。日本でも一般家庭でトロの大きな塊
や、長さ60cmのサーモンの切り身を刺身用に切ることはないですからね。
「それ大き過ぎるんじゃない?」と息子に私が言ったり。
「お母さん、もっときれいにならべてよ」と息子。
デザイナーの息子は、プレゼンテーションにうるさいのです。
プロの板前には程遠いけど、サーモン、たい、ツナ、おちょこに盛ったうに、いか、
アボガド、きゅうり、ウオータークレス、カイワレ、卵を盛り付けると豪華です。
息子がリビングに持っていくと歓声が上がりました。

娘の夫が、お客さんに手巻き寿司の食べ方を説明しました。
手巻き寿司は各自が好きなものを、好きなだけ食べられるので好評でした。
ベジタリアンの人は、アボガド、きゅうり、卵で手巻きにしてました。
キーウィーのお客さんは、照り焼きチキンも手巻き寿司にして食べてました。
今回気付いたのは、白人もお箸の使い方がうまくなったなということです。
短く持ちすぎていたりと見た目は不自然でも、なんとかお刺身をつかんでました。
お客は、娘夫婦の職場の同僚、友人と私達家族なので、中国系の人達、日本人は当然お箸
が使えます。
過去3年、手巻き寿司をしてるのですが、ニュージーランドでお刺身がポピュラーに
なってきて、余らなくなりました。

食事も一段落して、皆お腹いっばいになったようなので、メインのディシュを片付けて、
ケーキの登場です。
キッチンでケーキのろうそくに火をともし、電気を消します。
ハッピーバースデーの歌を歌いながら、テーブルにケーキを運びます。
待っていた二人は、一緒にろうそくを吹き消しました。
こっちでは、結構な大人、お年寄りのお誕生日でもケーキでお祝いします。
みんな甘いものが好きですね。
ケーキを切り分ける時に数えたら、まだ20人残ってました。
途中で帰った人も合わせると25人くらい来てくれたようです。

娘夫婦の長男、生後二ヶ月の孫は、みんなに抱かれてくちゃくちゃになってました。
ハローウィンのベビー服を着せられて、皆と記念撮影しました。

ケーキを食べ終わるとほほ終わりという感じで、少しづつお客さんは帰っていきました。
まだ飲んでいる人もいるし、後片付けもあるということで、娘に頼まれて孫を我が家に連
れ帰りました。
車の中ではよく寝ていた孫は、家につくと大泣きし、お風呂入れる間だけ泣き止んだけど、
すこぶるキゲンが悪かったです。
お風呂から上がり、ミルクを飲むところっと寝てしまい、翌朝9時まで10時間寝続けま
した。赤ん坊でもお客さんが多いと疲れるんですね。

車で15分のところに実家があり、気軽に子守を頼める娘はラッキーだなと思います。
私は、初めての海外生活で、一人でこの子を守らねばと、かなり緊張しながら子育てして
いたなと思います。
私達の世代は自分の親に対してもかなり隔たりがあったと思います。
11歳の時にニュージーランドに来た娘は、半分キーウィーだし、もっとカジュアルでお
友達感覚で私に接してきます。

我が家は、ニュージーランドでは親戚もなく家族だけということもあり、家族の誕生日、
結婚記念日などは皆でお祝いすることにしてます。
今年は初孫が誕生し、3世代家族となり、孫の成長という楽しみも増えました。
これからも家族の絆、平凡な生活を大切にして行きたいと思います。
間には諍いや事件があっても、誕生日のたびに区切りがあり、これからの一年を希望
を持って展望できます。

今週はうちの旦那様の誕生日です。
65歳となり、年金がもらえるようになりました。
旦那はどんな風に祝ってもらいたいのかな。
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その38 Taste of Japan 立礼式お茶会 14-09-07

2007-09-16 04:25:05 | 第31ー40回
その38 Taste of Japan立礼式お茶会 14-09-07

9月8,9日とオークランド博物館で、在オークランド日本国総領事館とNZジャパン・
ソサエティによる共同主催の日本文化祭りが行われました。
書道・茶道、和太鼓の演奏、着物ショー、尺八演奏、合唱、折り紙、切り絵などアトラク
ションも様々でした。
会場は、最近リノベーションの行われた博物館の新館でした。
私達有志9人は立礼式のお茶会を担当しました。
入場無料とはいえ、今年は屋台など食べ物はないし、博物館では敷居が高くて入場者が少
ないでのはないかと案じたのですが、盛況でした。


立礼式の作法は御園棚を使い、お客様は椅子に座って薄茶を頂きます。
この式は椅子点前と言って、明治5年京都の仙洞御所で博覧会が開催された際に、裏千家
11代目玄々齎宗匠が外人客の接待のお茶のために考案された点前作法です。
現今諸流で行われている椅子点前と称する作法は、凡てこの立礼式が規範となっているそ
うです。
最近は東京のホテルあたりで御園棚が常設されていて、希望があれば外国人客にお茶を
たてたりするそうです。


私達は、二ヶ月前7月からこのお茶会のための準備にかかりました。
7月1日に先生宅で、総領事館所有の御園棚をはじめとする茶器の荷解きから始めました。
これらのお道具は、すべて新品で使用するのは今回が初めてとあり、扱いに気を使いまし
た。
なにしろ総領事館のリストにはお値段まで書いてあって、これは3万円の茶杓なのねと言
う調子でした。

私は、御園棚を担当しました。
御園棚は組み立て式で、漆塗りの50センチ四方の板をはめ合わせでいきます。
砂金袋の銘で打ち出の小槌のついた金魚蜂のようなひらひらのふち飾りのついた水差しは、
私が今まで見た中で一番派手でした。
お茶碗も棗もなにももかも派手で、ちょっと悪趣味ではないかと感じたくらいです。
後で聞いたところによると、立礼式のお手前は、絢爛豪華なお道具立てなそうです。
四畳半の茶室の侘寂とは、かけ離れた世界です。外国人には、最初はこの方がわかりやす
いかもしれません。


本番までに2回先生宅でおけいこをしました。
皆んなこのお作法は始めてなので、ああでもないこうでもないと言いながら楽しく、
練習しました。
R子さんが、日本でお茶の先生をやっているお姉さんに問い合わせて、手順を確認してくれ
ました。
外国だから適当にやってもわからないとは思いますが、ひょっとしたらこのお手前の心得
のある人もいるかもしれないので気は抜けません。


Taste of Japanのお茶会当日は、8日3回、9日一回、合計4回のお茶席がありました。
お茶席は17席、見学は25席であらかじめ整理券をだし、幸いにすべて完売でした。
お茶席は一人$5で、私達としてはちょっと高いのではないかと思いました。
先生が亭主、K美さんが英語の解説でした。
英語でうまく解説されたこともあり、厳粛に落ち着いた雰囲気で茶事が進行できてよかったです。
最初に亭主がお茶の頂き方をデモンストレーションして、K美さんが解説しました。

主客、次客にだれを座らせるかは、亭主が決めます。
次客以下のお客は、主客の作法のまねをするので、主客の選定は重要です。
一回目はオープニングにいらしたVIPの方でお茶の心得のある方になって頂きました。

主客、次客まで手前が点て、半東が運び差し上げます。
3客以下は、点て出し(影点て)で水屋で次々と立てて、お運びさんが持って行きます。
この時、歩く距離が長いので、歩き方の練習をしたほどです。
なにしろ、普段は洋装で颯爽と歩くのに慣れているので、その調子だと着物のすそがはだ
けて無様です。
踊りのお師匠さんのM子さんが、膝頭をくっつけて歩けばいいと教えてくれました。
15杯の影立ては、沸かして保温のポットを使い、ピッチャーで分量を量り、お茶を立て
ました。
点て方は裏千家風に泡をたくさんたて、カフェラッテ風にしました。
リハーサルで沸かし置きのお湯を使ったら、ぬるい、少ない、薄いとおいしくなくて、
この方法となりました。
一般の方お茶会をすると、いろんな工夫ないるものだなと思いました。

私が水屋担当の時、お運びさんのM子さんの鼻緒が切れるハプニングがおこり、急遽私が
ピンチヒッターとなりました。
それ以外は練習をつんだかいがあり、私達のお茶会もミスなくスムーズに行きました。


最初は、砂金袋の水差し、大降りの棗を見て、「まあなんと派手な」と思いましたが、最後には、
お道具立ても目になじんできました。
広い会場では、そんなに派手とも感じられず、Auckland Museum の半月型の会場に置くと、
御園棚も思ったより小さく見えました。
総領事館所有の金屏風をたて、足元まで隠れる赤のテーブルクロスをかけたので、緋毛氈みたい
でお茶席らしいセッテングになりました。

お茶会に来てくださった外人さん達も、気分が移ったのか、静かにそろりと退場されていた
のが印象的でした。


私は着物を着るチャンスなので、一日目は色無地、二日目は重陽の節句にちなんで菊の模様の
小紋を着ました。着物も大分なじんできました。
一日目ちょっと寝坊したこともあり気があせって、着物が旨く着れず30分遅刻してしま
いました。
水屋で、皆がよってたかって着せなおしてくれました。
二日目、着れたと思ったら駐車場で車を降りる時にはらりとお太鼓が解けてしまって、ま
た皆に締めなおしてもらいました。
普段のお茶会でも着物を着ているのに、まだまだ経験不足を悟りました。
前日のパーティーでお会いした日本振興会のご婦人方は、ぴしっと決まった隙のない着付
けで、見とれてしまいました。


最近は生花、お茶と日本にいた時より、日本的なことをしてます。
結婚以来、外国を桐のたんすに入れて持ちまわった着物も、着てあげたほうが着物が喜ぶ
だろうと思って、最近はどんどん来てます。
今回は、わたしより上手の人がいて、30年前に買って、一回も袖を通してなくて、仕付
け糸についたまま着てきた人もいました。
私達の世代が着ないと、娘達はますます着物から縁遠くなりますよね。


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その37 NZ的職人気質 14-08-07

2007-09-13 03:37:33 | 第31ー40回
その37 NZ的職人気質 14-08-07

家を新築して、8年になる。
3年目からぐらいから、雨の多い冬場に玄関のドアが膨らんで、開け閉めに支障をきたす
ようになってきた。
2年ほど前、ドアをはずして4隅で金具をつけてのびないようにするという細工をした。
1年ぐらいはもったものの、今年は雨が多く、本当に開かなくなってしまった。

ここで言わせてもらせば、これはデザインミスである。
我が家は真四角の2階建てで、ドアは壁にくっついているだけである。
雨風が容赦なく、ドアをたたきつける。
そのへんの建売住宅だって、玄関部分はちょっとひっこんでいてドアに直接雨風がかから
ないようになっている。
我が家は、建築家のわが夫がデザインした。
えてして建築家自身が設計した自宅というものは、住みにくいものである。

図面と模型を見せられた時、「玄関のドア、このままだと雨の日に鍵を開けてる間に濡れ
るんだけど」と私。
「この家はシンプルなデザインなんだ。だから庇はつけないんだよ」と夫。
そういうデザインと言われると、これ以上質問の余地なしであった。
他にも不満はある。

玄関の間がほしかった。一階の玄関入ると、いきなりリビングである。
まあ、ニュージーランドではよくあるデザインだあるが。
開けたとたん雨は打ち込むし、冷たい風は二階まで駆け上がる。

キッチンが狭い。
せめて朝食がとれるくらいのカウンターがほしかった。

朝日と夕日が見える家ではあるが、そのため四方に窓があって家具が置けない。
二階はよく日がさしこんで、暖かいのはいいのだけど。

極めつけは家の色。
オレンジ色に、グリーンのドア、中の壁はセロリのようなグリーンである。
近所の人は我が家のことをパンプキンハウスと呼ぶ。
最近、いけばなをするようになって、いけばなの似合わない、侘寂とはかけ離れた世界だ
なと思ってしまう。
南国風と言ってしまえばそれまでだが。
前置きというか、文句はこの辺にして本題に入ろう。


今年は、もうこれは限界というところまできたので、インドネシア製のパインのドアを
伸び縮みしないアルミニウムのドアに変えることにした。
6月の末、電話帳でアルミニウムのドアを取り扱っている業者を調べる。
結果、私達の住む地域には一社しかないことが判った。
2-3社あれば、見積もりを取って比べることもできるが、選択の余地がない。

6月27日、C社に電話を掛けた。
受付の女性がでて、「担当者に明日電話掛けさせます」、と言う。
明日と言ったのに待つこと4日間。
痺れををきらして電話したら、「担当のマイクの電話させます」ということであった。
あくる日、やっとマイクが電話がけてきて約束に1時間遅れてやって来た。
マイクは、替えたい玄関と勝手口のドアを測る。
ドアのフレーム、ノブはそのまま使えると言う。蝶番だけは、ドアの厚みが違うので
変えることになると言った。
マイクは、「明日中に、見積もりを郵便受けに放り込んでおくからね」と言う。

それからさらに3日。何の音沙汰もなし。
しびれを切らして電話した。午後、返事するとのこと。
結局、返事なし。

7月10日、車検でC社の近くまで行ったので帰りに寄ってみた。
別のスタッフがでて、「今日送ろうと思っていたんだよ、5分まってね、今プリントする
から」と。
待つこと20分。これは、きっと私達が来てから、見積もり書を作成しているに違いない
と思った。
スタッフ曰く「プリンターの調子が悪くってね。時間かかってすまないね」と言い訳をす
る。
見積もりは私達が予想していたのより3割ほど高かったが、一日も早くドアを買えたかったので、
その場で、デポジットを払った。
明日早速発注して、2週間後くらいに取り付けに来るという。

7月27日、2週間以上経つので電話してみる。
マイクは留守で、メッセージを残す。

7月30日月曜日又電話する。
私、「注文して3週間もたってるんですけど、いつ取り付けに来てくれるんですか?」
ドア屋、「担当は今はマイクからリチャードに変わってます。リチャードに電話させます」
かかってこなかった。

7月31日火曜日朝
またまた電話する。「リチャードさん、いつ来るんですか?」と私。
リチャード「実は先週、俺の携帯が壊れてて電話できなかったんだよ。今日午後1時にいくから」
うそばっかり。会社の電話からでもできるでしょ。


8月1日、やっと玄関と勝手口(どっちも同じ)のアルミドア取り付け完了。
窓枠と同じ色のドアにしたので、オリジナルのように家になじんでる。
これでやっと開け閉めするたびにぎしぎしいって家族を悩ました、木のドアとは
おさらばだ。

注文から5週間、見積もりから3週間。
これで堂々と玄関から出入りできる。
最近は、家族はガレージドアから出入りしていて、玄関先にお客さんが来ても、すぐに出
れない状態であった。


しかし、取り付けも、すんなりとは行かなかった。

結局、リチャードは3回来た。
1回目:新しい蝶番に変えると見積もりに来たマイクが言っていたのに、
連絡がいってなくて予備の2個しか持ってない。
「マイクが新しい蝶番にするといってんだけど」と私。
「何も聞いてないよ。It’s typical Miki」とマイクをけなす。
とりあえず玄関だけ、2個の蝶番で換える。本来なら4個いる。
ここ数年間、冬場無理やりにドアを開け閉めしたせいで、フレームが歪んでいて
ドアの取り付けが難しそうだ。
リチャードは何度も計りながら、作業を進める。

2回目:あくる日朝10時 2つのドアを取り付け完了。
と思いきやリチャードが帰った後で、
裏のドアのデットロックがかからない、玄関の鍵が掛けられないことが判明。
鍵を掛けられるぐらいは、工事の後で確認するのが当然だろう。

玄関のドアは蝶番2個だけの時は問題なっかたのだか、4個取り付けてピシッとすると
微妙な誤差で外側から鍵が回らなくなったのだ。
勝手口のドアはデットロックのノブの位置が3センチほどずれている。
これは、最初に計ったマイクのミスである。

会社に電話をかける。
3回目:12時、鍵穴をずらすなどの微調整の末、やっと完了。
裏口のデッドロックはフレーム側の穴をずらして、鍵の中のバーがうまくかみ合う
ようにした。

リチャードは、自分がドジでも悪びれず、当たり前のようにしているところは、
怒る気にもならない。
こんな調子だから、仕事がずれてますますお客様を待たせることになると思う。
しかし、こういうことはニュージーランドでは日常茶飯事である。
電気工事の人とか、時間通りにやってくると、逆に気味が悪いというか、
「ちゃんと時間守る人もいるんだ」関心してしまう。

次は春先に、雨どいの掃除と屋根の塗りかえをしなければならない。
雨どいに草が生えていて、下から見える。
家は次々に修理やらに手間がかかる。
次回はもう少しマシな業者にあたると、私のストレスも軽くなるんだけど。

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その33 ぶたのトニー 12-03-07

2007-08-15 10:32:58 | 第31ー40回
その33 ぶたのトニー

先週土曜、豚のトニーがペットの豚の11歳の誕生パーティーをやるというので
Karaka Bayのトニーの家に行ってきました。
豚だけでなく、トニーの誕生日でもありました。
友人にトニーは何人かいるので、私達は彼のことを「豚のトニー」と呼んでます。
トニーもうちの旦那様も元オークランド大学の建築のレクチャラーでした。

事実、Karaka Bayの砂浜で飼われていた豚は物議をおこし、建築家というよりも
トニーは豚で有名なのです。トニーの豚の本も出ています。
“Piglet the Great of Karaka Bay”
トニーのサイトはこちら、
http://www.tony-watkins.com/content/section/18/109/

トニーの豚は数年前からノースの牧場に預けられているそうで、不在でした。
トニー曰く、”Dogs look up to you, cats look down on you, pigs look you
straight in the eye.”
トニーの豚の部屋は、まるでキリストが生まれた馬屋のようで心地よさそうな藁が
敷き詰めてありました。


Karaka Bayは車の入らない、オークランド市内の別天地です。
賑やかなMission Bayからわずか10分のところにあります。
行き止まりの道を降りていくと、小さな海岸があります。
海沿いに20数件が暮らしています。
近所やKaraka Bay の住民が水着姿でサンダルひっかけて泳ぎにやってくる、
そんな気楽さがある、庶民的なプライベートビーチです。


誕生パーティーは1時から8時まで。
好きな時間にやってきて、しゃべりあきたら泳いで、砂浜の上に張られたテントの中
でお昼寝して、また食べたり飲んだりという感じです。
マーキーの下には、持ち寄りのご馳走、素敵なワイン、ビール。
私は寿司桶の巻き寿司を持参しました。
次々に来客が一品を持ってくるので、目が離せません。
トニーはワイン通らしく、私はotagoの白ワイン Reaslingを見つけて一人で
満足してました。
みんなが持ってきた安ワインに混じって、おいしいブティックワイナリーのワインを
もったいぶりもせず置いているのがトニーらしいところ。

建築家のトニーとパートナーの画家のカレンの友人の集まりということで、
招待客は芸術家、学者が多かったです。
うちの旦那様は久しぶりで、大学の同僚に会えて楽しそうでした。
トニーは、Sustainabilityが専門で、友人の中には環境学、Green Peaceの支持者
もいました。
初対面の人と、いきなりマオリ部族のニュージーランドnative plantsに対する権利
の問題や、クラシックのコンサートの話ができ、会話を楽しみました。

私は、私の音楽の友人が2人も来ていたのはびっくり。
トニーと知り合いとは知りませんでした。
オークランドは、小さな社会のせいか、どっかで繋がっているようです。


トニーの家は、ユニークでドアもなく独特な雰囲気があります。
Karaka Bayの斜面を利用して、海岸から3つのレベルとなっています。
まず薄暗い通路を入っていくと、そこはインドの祠。
ガネッシャやシバ神が、岩をくりぬいた神座に祭られています。
2階は右側はカレンのアトリエ、左はキッチンと露天風呂です。
露天風呂は、昔母の田舎にあったような、木桶のお風呂にうす暗がりで恐る恐る入った
気分を思い出させます。遠い記憶な中の、懐かしい、そしてふっと落ち着く日本の暮らし
を感じます。
3階はリビング、寝室、トニーの書斎です。
行きかうヨットやフェリーを眺めながら、浜風に吹かれながら生活するのは悪くないだろ
うなと思いました。
こんなところ電気きているのだろうかという雰囲気ですが、ちゃんと電話もインターネッ
トも使える環境なのです。


今回トニーが誕生日をやろうと思いたったのは、数ヶ月前に脳梗塞を煩い、その快気祝い
も兼ねてということでした。
Karaka Bayの暮らしは健康で足腰の丈夫なうちはいいけれど、救急車もはいってこれない
し病気の時は不便だろうなと思いました。
それでもここの住人達はあえて選んでKaraka bayに住み、生活を楽しんでいるようでし
た。

来月4月は配信お休みします。
一ヶ月ヨーロッパで休暇です。帰国後、キーウィーが見たヨーロッパをなどお伝えしたい
と思います。

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その35 外国で死ぬということ 12-06-07

2007-08-15 10:29:01 | 第31ー40回
その35 外国で死ぬということ


 先週土曜日、友人のお葬式がありました。
彼女は54歳の若さで、胃がんで亡くなりました。

2,3回会っただけど、同じ町の出身だし行くことにしました。
外国でのお葬式では、ほとんど親戚は出席できないだろうし、知り合いが一人でも多く
いったほうがいいかと思いました。
一報を受けて、日本人のニュージーランド永住者もここを最後と地として選ぶようになっ
たのだなと思いました。
これまでは、数十年永住していても、病気になると日本に帰って行く人が多かったのです。
彼女は、日本で入院治療をされていたそうだけれど、死ぬために3月にオークランドに戻
ってきたのです。
日本の病院で意識がなくなっても、チューブに繋がれその分苦しみ長生きするよりも、自
分の家で家族に見守れながらの死を選んだのです。
末期がんで、最後は栄養がとれないためやせ細り枯れて生き、亡くなったそうです。
訪問看護婦をお願いし、痛み止めの注射だけは打ってもらっていたそうです。
死を覚悟でオークランドに戻ってから、お葬式に使う自分の写真を選らび、ピンクの棺お
けもみずから決められたそうです。

葬儀の後、すでにここで親族を亡くされた方達のお話を聞いて、日本よりニュージーラン
ドのほうが死に対する選択の幅があると思いました。
今の日本で、24時間体制で病人を自宅で看護し、看取る余裕があるだろうかと思いまし
た。今、たいていの方は病気の場合、病院で亡くなるのではないでしょうか。


死に方、お葬式はある意味でその人の一生に対する締めくくりです。
事故などで外国で亡くなっても、遺体を自国に持ち帰り、葬儀を行います。
移住者が、ニュージーランドを自分のついの住処、死に場所として選ぶには、それなり
の理由、定住していたことが条件でしょう。

お葬式は仏式でした。
オークランドでも仏式のお葬式ができるとは知りませんでした。
キーウィの尼さんとお坊さんが、英語で般若心経を上げました。最初はなんとも不思議
でしたが、木魚にあって言葉が違うだけで十分雰囲気はでてました。
読経の後はお焼香でした。この前したのは、いつか記憶にないくらいで、お数珠も持って
いなかったせいもありとまどいました。

友人、遺族からのスピーチの後、息子さんの自作の歌の独唱、友人による「千の風にのっ
て」の独唱。「千の風にのって」は初めて聞きました。去年の紅白で歌われたのですね。
その場にぴったりの歌で、参列者の涙を誘いました。
こういう悲しい歌詞の歌が、日本ではやったとは驚きでした。
この曲を聴くたびに、彼女を思い出しそうです。

お葬式はとてもさわやかでした。お葬式の後、別室でお茶とサンドウィッチがでました。
友人達と言葉を交わし、ご遺族にあいさつしてから帰りました。

お葬式は心がえぐられるようで、大変疲れました。
自分の死を覚悟し、残された家族を宜しくと書き残した友人、そして彼女の希望どうり
葬儀を行った家族の目の見えない苦悩を考えると、胸がつまるようでした。
その日、一日一日を大切に生きよう、当たり前のこと、平凡な日々の生活に感謝しよう
と思いました。
1週間経ち、通常の生活に戻り、お葬式は遠い昔の出来事のようです。


数年前、家を建てたのをきっかけに私と主人は、遺言(will)を作りました。

私達家族4人以外だれもニュージーランドにいないし、もしもの時のためにと考え作りま
した。
長女とLawyerをtrusteeとし、長女にはなにかあった時には、その法律事務所に
相談するように言ってあります。
内容は、遺産の引継ぎ、葬儀の仕方などごく簡単なものです。
この友人の死の後いろいろ考えさせられ、必要以上の延命措置をとらない、葬儀の具体的
形式など追加すべきだなと思いました。
自分で選んだ人生を送っている訳だから、最後も自分の意思で決定したいなと思いました。

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その34 キーウィーの見たヨーロッパ 11-05-07

2007-08-15 10:15:19 | 第31ー40回
その34 キーウィーの見たヨーロッパ

4月一月休みを取り、主人とヨーロッパに旅行に行って来ました。
先週金曜に帰ってきて、月曜からは通常通り時差ぼけのまま仕事を始めたと
いう感じです。


南半球の端っこのニュージーランドから、ヨーロッパは本当に遠い。
今回はEmiratesを使い、行き帰りにシンガポールで泊り、メルボルン、ドバイ
にてトランスファーでドイツのハンブルグの往復でした。
さらに、ツアー参加のためハンブルグーロンドンの往復も飛行機。
トランジットではいったん降ろされるので、合計10回飛行機に乗りました。
例の手荷物の持ち込み規制で、チェックイン後に免税店で買ったワインも没収
されて、その後はかなり手荷物に気を使いました。
もうしばらくは飛行機に乗りたくないと言う感じです。
やはり、かなり思い切らないと行けませんね。
でも旅行中、新しい体験やゆっくり考えることもでき、いい時間が持てました。


ロンドンからのツアーではフランス、イタリア、スイス、オーストリアを回り
ました。
歴史の本でしか見たことのなかったローマのコロセアム、パリのルーブル美術
館など、まさにlife time experienceでした。
それに比べ、ニュージーランドは何もないところです。
原住民のマオリ人は文字を持たなかったし、歴史が始まるのはイギリス人が
やって来た1800年代です。せいぜい200年の歴史しかありません。


ツアーで興味深かったことは、いろんな国の人達と知り合えたことです。
年齢、国籍、バックグラウンドも違う44名が一台のバスに12日間乗り、
同じ体験をするわけですからね。
ガイドは、オランダ人のマーク。彼は、英語、オランダ語、イタリア、ドイツ、
フランス、スパニッシュの六カ国語が堪能で、バスの中で簡単な会話レッスン
もやってくれました。
ドライバーは陽気なイタリアン。
イタリアでドライブできれば、ヨーロッパじゅうどこだって運転できると言って
いましたが、そのわけは後にイタリアに行ってわかりました。
イタリア、フランスではバスの乗っているだけでも、心臓が止まりそうなくらい
ひやひやさせられました。
帰ってきて、ニュージーランド第一の都会であるオークランドでさえ、車はゆっ
たり走っているなと思いました。
信号待ちの車の車間距離は広いし、横からの進入にも道を譲ってくれます。

ツアーの参加者は、半数がお隣のオーストラリア人、ニュージーランド人7人
(私達も含めて)、カナダ人、アメリカ人、コロンビア、インド、南アフリカ人
でした。
一口にオーストラリア人と言っても、アデレーから参加した男性はイタリア
の出身でした。彼は、生後18ヶ月の時にオーストラリアに移民し、それ以
来初めてイタリアを訪れたのだと話していました。
私達同様、ツアーは初めてと言う人が多く、一生の一度のヨーロッパ旅行の人
も多く、みんな積極的に行動してました。
自己主張の強いオーストラリア人、イージーゴーイングのカナダ人、なんでも
ジョークにできるアメリカ人、個性の強い南アフリカ人、文句の多いインド人
と私は思いました。
さて、私達キーウィーはどのように思われていたのでしょうか?

中年の夫婦、母娘のコンビが大半で数人が一人での参加で、最後には誰とでも口
をきくようになり、楽しく過ごしました。
最後のパリでのfarewell Partyでは大いに盛り上がり、帰りホテルまで
全員で歌いながら帰ってきました。
ガイドのマークが釘をさしたにもかかわらず、夜中まで二次会が続き同宿の
皆様にはご迷惑をおかけしました。


今回の旅行で主人とよく話したことは、逆にニュージーランドがどんなどこかと
いうことでした。
お互いにニュージーランドは母国ではないけれど、旅行の最中、地元の人や他の
ツアー客と話す時は、ついニュージーランドびいきになっていました。

ツアー中、シドニーからの老夫婦とランチを一緒に取った時のことです。
シドニーの婦人「どこからきたの」
主人「僕達はニュージーランドから」
シドニーの婦人「ああ、クイーンズランドの一部よね」
この言葉に私達は、ああこういう風にオージーはニュージーランドのことを思って
いるんだとがっかりさせられました。
オーストラリアに一部のならまだしも、その中のクイーンズランド州の一部だと言
うのですから。
ちょっと憤慨した主人が、
「ニュージーランドには、危険な蛇はいないし、コアラもカンガルーもいない。
キーウィーはオーストラリアにはいないだろ。つまり大昔からこの二つの国は、
一度も一緒になったことはないし、全然違う国なんだ。だから将来も、ニュージ
ーランドがオーストラリアの一部になる事はありえないよ。」
シドニーの婦人は、思いのほかの主人の応酬に返す言葉もありませんでした。
Commonwealth ゲーム、ラクビーとニュージーランドは常にオーストラリアの
競争相手ですから、オーストラリア人達の間にそういう感情があるのでしょう。


ニュージーランドに来てからワインを嗜み始めた私達は、ニュージーランド
ワインはおいしいと思っていたし、友人にも勧めてました。
ところがイタリアのトスカナ地方、フランス、ブルゴーニュー地方を訪れて
いろいろ試してみました。ドイツでは、甘いリースリングも飲みました。
私達はホテル近くのスーパーで適当に買って飲んだのだけど、どのワインも
それぞれの味わいがありおいしかったです。歴史が違いますよね。
ニュージーランドでワインが生産され始めたのは19世紀からで、盛んになった
のはここ30年くらいです。
同じくチーズも15年くらい前からさかんに生産されるようになったそうです。
フランスの田舎町の露天でおばさんが売っていたいびつなチーズもおいしかった。
イタリアは水の値段かと思うくらいの安いワインが売られてました。
帰ってみると、ニュージーランドのワインもチーズも高い。まだまだ高級品ですね。
私達はニュージーランドのワインしか知らないから、これがベストと思っていた
けど、本場はヨーロッパですものね。


この旅でクライストチャーチのブライアンと仲良くなりました。
彼は、エイボン川で観光用の乗れる小船(バンド)作りの職人です。
この種の船はもともとスコットランドのものだそうです。
船の研究のため、ブライアンは一ヶ月スコットランドに滞在し、その後このツアー
に参加したのだそうです。
イタリアのベニスででゴンドラに乗った時は、ブライアンは特にお願いして船の
サイズを図ってました。
彼は大変な物知りで、行く先々でガイドが説明しない歴史の裏話、Jewishの視点
からの解釈を聞かせてくれました。
彼は、一般にキリスト教肯定的、観光客向けの美談の多いガイドブック的な説明に
批判的でした。


帰ってきて、道歩くオークランド人の表情は柔らかだなと思いました。
ロンドン、パリはやはり都会で歩いている人たちの表情も厳しかったです。
私達は歩いているだけでも緊張してました。幸いにすりにも物取りにもあわなかっ
たけれど、人の多さだけでも疲れました。
14年のオークランド暮らしで、日本の都会で暮らしていた私達も田舎者になった
ようです。

Better lifeを求めて人は移民します。
最初は、パブリックトランスポートが充実していない、物価が高い、移民局の事務
処理がスローなどと文句をいい、こんなこと日本ではありえないなどと言ってました。
10年もたつと慣れてきて、すべてが当たり前になってきます。

今、私はニュージーランドは自分を見つめ、鍛錬していくにはいいところだと思い
ます。芸術家、職人が自分を見つめ、マイペースで技を磨いていけ、他人の目を気に
する必要もありません。
ただし競争、都会の喧騒がすきな人には向かないかも。
私がこういう風に思うようになったのも、年のせいでしょう。
中年期となり、これまで自分がやってきた仕事をこの先10年でどのように展開、
発展させていくかということに課題をおいているせいでもあるでしょう。

ニュージーランドは平和で暮らしやすいところですが、こうやって時々は海外
にでて刺激を受けないとマンネリ化してしまいます。
旅行で撮った写真を整理して、旅先で見た花のデザインをすこしずつ試していこう
と思ってます。

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その32 ビルマ難民その後 09-02-07

2007-08-15 10:00:15 | 第31ー40回
その32 ビルマ難民その後

第23話でビルマ難民のことを書きました。
今回は、最近のオークランド周辺に住むビルマ難民の近況をお伝えします。
前にも書いたように私の夫はビルマ人で、地元ビルマ人友好協会の会長をしています。
この関係のボランティアが、リタイアした彼のライフワークのようになってます。

2006年中は7回にわたり合計200人あまりのビルマ難民がタイ国境付近の難民
キャンプと、マレーシアのクアラルンプールからやってきました。
最初の6週間をオークランド空港近くのRefugee Centreで過ごした後、彼らはニュー
ジーランド各地に受け入れられていきました。
最初のまとまったビルマ難民がニュージーランドに受け入れられたのが2000年。
まる6年が過ぎ、お世話する側もされる側も慣れてきた反面、いろんな問題もおこって
います。


ある朝のこと。
私が朝7時に、コーヒーをいれているとミャさんからまた電話。ミャさんはカレン族の
女性。
ミャさん「おばあさん、私。おじいさんいる?」とビルマ語で。
私「私ってだれ?」
私、「わたしは私よ」とミャさん。
私はあきらめて、まだベッドにいる主人に電話を取り次ぐ。
後で私は主人に小言を言う。
「ちゃんと難民の人たちに、ニュージーランドではよそのお宅に電話していいのは朝9
時から夜9時の間って教えてよね。電話では、まず自分の名前をなのること。それと私
のことをおばあさんというのは許さないから」
どう考えても、私はまだおばあさんと呼ばれる年ではございません。

それに、常識はずれの時間にかかってくる電話はなにか緊急事態が起こったのかと、
不安になってしまう。
世界中に友人、親戚を持つ我が家では、時として時差の計算を間違えて深夜にかけてく
る友人もあるのだが。

後日、主人はミャさん宅に掛け時計を持っていった。
ところが、ミャさんは時計が読めないというのだ。これでは何を言っても無駄である。
子供の頃、ビルマの生まれた村を離れ、ずっとタイ国境付近に隠れ住んでいたので小学
校すら行ってないという。
このミャさん、ドイツやアメリカにいる親戚に電話して先月の電話代が2000ドル以
上になり大問題となった。本人はプリペイのテレフォンカードでかけたので、電話代は
かからないと思っていた。ところが、掛け方が間違っていたらしい。
ミャさん一ヶ月の一家のベネフィット(生活保護)が$1000しかないので、当然一
回では払いきれない。
幸いにWINZ(Work and Income New Zealand)が立て替えて払い、月$100ずつベ
ネフィットから天引きしてくれるという。

電気もないところから来て、いきなり文化的な暮らしを与えられても、まどう事が多い
のが判る。
別の難民はお湯がでるのがうれしくて、毎日バスタブにお湯はってお風呂に入っていたら、
電気代が300ドルを越えたそうである。
一人お風呂に入ると三人がシャワーは入れるくらいの水代、電気代がかかるので、我が
家でもめったとお風呂にはいらない。

カレン人たちは、目上の人を「ボボ(ビルマ語で長老、おじいさん)」と呼ぶそうだ。
それで私の夫をボボ、その妻の私をボアボア(ビルマ語でおばあさん)と呼ぶらしい。
ふつうビルマ人たちは、夫のことをサヤー(ビルマ語で先生)、私のことをサヤマ
(ビルマ語で先生の女性型)と呼んでいる。どちらも先生なので、これは許せる。


別の難民を夫が訪問した時のこと。
Oさん、「ノースの友達のところに行きたいから連れてって」と言う。
夫「住所知ってる?」
Oさん「知らないが、いきゃわかるさ。俺は前に行ったことがあるし、曲がり角に大き
な松の木があった」
松の木一本の目印では、ノース中走り回ってもたどりつかないだろう。


うちの夫は到着したての難民に、ニュージーランドの家庭を見せたくてうちによく連れ
てくる。あるとき、私の留守に来た。
Pさん「うちはフライパンがないから、ここのをくれ」
夫「サヤマに聞かないとだめ、あげられない」
当然私はあげません。たとえ古いフライパンでも、わたしの稼ぎで買った愛用品だし、
あげられません。

ニュージーランドでは、善意ある人々のドネーションで、難民たちは衣類はもちろんの
ことテレビ、DVD、冷蔵庫、ソファなどの高級品などもタダでもらってる。
もらうのが当たり前になっていて、大分厚かましいところもあるのだ。


ある時、夫が難民のグループをスーパーにお買い物の連れていった。
買い物が終わり、Uさん一家がレジでもじもじしてる。
夫が行くと、「サヤー、払ってくれ」
夫は当然払いません。連れていくだけでもガソリン代がかかるわけだし、たとえ大金持
ちであっても難民に無条件に払ってやるのは間違っている。


Uさん一家は、新興住宅地の新築の家に住んでいる。
Housing New Zealandが民間から借受、ほとんどタダに近い家賃でUさん一家に貸し
ているのだ。
隣は40万ドルで売りにでている。近所に住む人たちは、ローンでやっと新居を手に入
れた中流の人たちである。たなぼた式に新居に住む難民一家をどう思うだろう。
Uさん一家にしても、果たして幸せだろうか。
スイッチをいれれば炊飯器でご飯が炊けるのと、森であつめた薪でゆっくり炊いたご飯
とどっちがおいしいだろうか。
まだペンキのにおいのする部屋で寝るより、高床式の板葺きの屋根の下で寝るほうが心
豊かかもしれない。


難民は、自分達の意思とは無関係に、ドイツ、スウェーデン、あるいはニュージーラン
ドと彼らの地図にない土地に送られ、その国の言語を学び生きていかなければならない
訳である。


先日のニュースでも報じられていたが、15年前にやってきたベトナム難民のSさんは、
不動産業で成功し、今回は馬主となったそうだ。
彼は、無一文からパン屋を始め、チェーン店をふやし、現在はパンやの社長と不動産業
を兼業している。
こういう話は、いかにも成功談としてニュージーランドではてはやされる。


いろいろ書きましたが、難民の中には、純情な人、笑顔のかわいい子供達もたくさんい
るのだ。
しかしながら、私達が常識と思っていることが通じない、価値観の違いは大きい。
中には英語どころかビルマ語もしゃべれない人もいる。
私達の西洋社会でいいこと思っていることが、彼らには窮屈できまりだらけと感じない
だろうか。
私達が善意でやっていることを、彼らは感謝しているのだろうか。
ボランティア活動の難しさを感じる今日この頃である。
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その31 ノースへの旅 09-01-07

2007-08-15 09:58:13 | 第31ー40回
その31 ノースへの旅

新年明けましておめでとうございます。

先週、主人とノースに小旅行にでかけました。
親戚もなく、クリスマス、お正月は簡単に済ませたのだけど、呼んだり呼ばれたりでやっ
と年を越したと言う気分でした。
元旦は気温も上がってきて、晴れ渡りやっとオークランドに夏がやって来ました。
これを楽しまないのは損と、旅にでかけました。

元旦夕方に思い立ち、Russell, Paihiaなど Bay of Island 周辺に宿予約の電話
をかけはじめました。10件ほどかけたけどどこも“ I can’t help you”という
つれない返事。なにしろ夏のノースの休暇と言えば、Bay of Islandですからね。
最後にちょっと目標を落として、Waipuのモーテルにかけました。ちょうどキャンセルが
あったということで3日の夜泊れることになりました。
モーテルと言っても、日本のいががわしいモーテルではなくて、駐車場付の
Accommodationです。だいたい小さなキッチンがついていて、調理もできるように
なってます。

Waipuは、オークランドから1号線を北に1時間半のところにある小さな町です。
友人が毎夏でかけていて、いいよって言っていたので前々から一度行ってみようと
思ってました。

3日の朝、ポットにコーヒーをいっぱい入れ、サンドイッチを作って出発。
最初は私が運転。
1時間ほどでWarkworth到着。ガソリンスタンドで給油した後、カフェに入りました。
いかにも別荘地に来ているという感じの熟年夫婦か、小さな子供連れが多いです。
ポーチドエッグとベーコンの朝食をひとつ取り、二人で食べました。
お客がたくさん入っているところなら大丈夫だろうとはいったけど、カフェラテが
おいしくなくてがっかりしました。

この少し先のMatakanaはニュージーランドのトスカーナ地方とも言われ、ワイナリーで
有名なところです。今回はWaipuが目的地なので寄りませんでした。

Warkworthから20分ほどでWaipuの町に到着しました。
Waipuは、スコッテッシュ移民の開拓した小さな町。
Waipuのパンフレットに、New Zealand- Nova Scotia (Canada?)- Scotland
と書いてありました。現在スコットランド人が住んでるところということでしょうか。

Waipuには、1817年からスコットランドからの移民が始まったそうです。
1993年に、町ぐるみでスコットランドとの交流が始まり、Waipu Highland Gamesが
始まり、スコッテッシュカントリーダンス、ハイランドパイプバンドのニュージーランド
大会が、今では毎年1月1,2日に行われています。
主催者は、Waipu Caledonian Societyとあります。
昔、ローマ人は現在のスコットランドのことを、カレドニアと呼んだらしいです。
この「カレドニア」という言葉、今でもスコットランドをあらわす言葉として使わている
そうです。

スコットランドの北部を「ハイランド」と呼び、誇り高きスコットランド人のなかでも、
とりわけ「ハイランダー」と呼ばれる北部の人間は特にプライドが高く、またイングラン
ドへの対抗心もひときわ強いらしいです。
ニュージーランドは主にイギリス移民でできた国で、単にイギリス人が祖先というより、
Scottish, Irish, Walshと区別して呼びます。

Waipuの町は、スーパーはSuper Value一軒だけという小さな商店街があるだけです。
普段は人口2000人で、ホリデーシーズンには五倍の一万人に増えるそうです。
それでもモーテル近くのPizza Burnはイタリア式のうすいビッザをだし、なかなか本格
的でした。食事に出かけたら超満員で1時間待ちと言われ、お持ち帰りも40分かかると
言われました。
私たちは$10のベニソンソーセージ入りとアボガド、小エビ入りのちいさなビザを注文
し、モーテルに持ち帰り、持参の赤ワインで夕食にしました。

Waipu coveは、Waipuから10分のビーチ。海を見下ろす高台にはミリオンの豪邸が林
立してます。ニュージーランドじゅう、景色のいいことろはオークランドや外国からの投
資家に占領されていて、地元の人とはかかわりなく生活していると感じです。
海岸は白人が多く、アジア人、マオリ人はわずか。
トイレ、シャワーなどの施設もきれいでした。
最近オークランド近郊のビーチはごみも多く、トイレもグラフティーが多く、がっかりさ
せられるけれど、ここはまだ平和です。
私は水着に着かえたものの、水はまだ冷たくとても泳ぐ気にはなれません。
日差しは強くでも、気温は22-23度だから海水はまだまだ冷たいです。
それでも子供、若者は水遊びしていて、上がってきては歯をがちがちさせてました。

結局、コーヒー飲みながら、ボーっとしてました。
主人は缶ビールが飲みたいとこぼしましたが、一昨年あたりからビーチでの飲酒は禁止
になり、だれーもお酒飲んでませんでした。

Waipu caveは、Waipuの町から1号線をこえて西へ15分。無料で土蛍が見れます。
だたしなんの設備もないので、ガンブーツ、強力な懐中電灯が必要です。
他の訪問者にくっついて恐る恐る入っていると、Glow Wormsが天井一杯に星のように輝き
それは見事。成虫は蝿みたいですね。
懐中電灯をつけたり消したりして、土蛍を楽しみました。
真ん中は浅い川になっていて、ところどころに石がおいてあり対岸に渡れるようになって
ます。つかってもせいぜい足首くらいまでしか水はないのだけど、真っ暗で足元しか見え
ないのでこわごわ渡ります。


あくる日は、東から西海岸へと縦断し、Dargavilleを越えて、Kauri Coastを北上しま
した。
途中、単調なドライブに飽きて、Kai Iwi Lakes を見に行きました。
Kai Iwi Lakes Dargavilleから北で20分の淡水湖。Waipu caveの時もそうですが、
ハイウェイをそれて入っていくと、ほとんど車にも会わず、いるのは羊と牛だけで、
たとえ10キロあまりといえども、この先本当に何かあるのかと不安になります。
Kai Iwi Lakes湖岸には、ぼっとん便所があるだけの昔ながらの無料のキャンプ場があり
ました。
ジェットスキーしたりと、こんな山中で賑わってました。ドイツ人らしいカップルが、ジ
ョッギングしてました。

さらに、北へ1時間、やっと目的の Tane Mahuta(NZ最古最大のカウリの木)にたどり
つきました。キリストの誕生より古いと言われるTane Mahuta。一見の価値があります。
こんな辺鄙なノースランドだから伐採されずに残ったのでしょうね。このあたりの道はカ
ウリを避けるように走っているので、くねくねして酔いそうになりました。

遠かった。退屈なドライブで、私は暑さもあり眠気と戦ってました。
Tane Mahutaからオークランドまで帰り5時間かかりました。
あと1時間でオークランドという、Orewaあたりから渋滞し始め、家に到着したのは5時
近くでした。


そこで私のおすすめ日帰りニュージーランド凝縮旅行。
まずPuhoi でボヘミア移民の村見学。 Puhoi cheese工場で朝食。
Honey Centreも10分のところです。
http://www.puhoivalley.co.nz/
http://www.honeycentre.co.nz/index.html

Workworth, Matakanaでワイナリーめぐり。我が家のプロテアはここのナーサリーで買
いました。
http://www.matakanacoast.com/

Sheep World Farm、 Workworthから北で10分。羊のショウが見れます。ロトルアま
で行かなくってもここで十分。
http://www.sheepworld.co.nz/farm.htm

Waipu Capeで土ぼたる見学。Waitomo Caveはけっこう高価な入場料取るし、オークラ
ンドからは4時間はかかります。

その後、Waipu Pizza Burnでビザをtake away.
Waipu coveのビーチでビザでランチ。泳ぎ、マッスル取り、釣りなど。
リラックスしたあと夕方オークランドに戻る。

一度お試しあれ。

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その37 NZ的職人気質 14-08-07

2007-08-15 09:51:17 | 第31ー40回
その37 NZ的職人気質

家を新築して、8年になる。
3年目からぐらいから、雨の多い冬場に玄関のドアが膨らんで、開け閉めに支障をきたす
ようになってきた。
2年ほど前、ドアをはずして4隅で金具をつけてのびないようにするという細工をした。
1年ぐらいはもったものの、今年は雨が多く、本当に開かなくなってしまった。

ここで言わせてもらせば、これはデザインミスである。
我が家は真四角の2階建てで、ドアは壁にくっついているだけである。
雨風が容赦なく、ドアをたたきつける。
そのへんの建売住宅だって、玄関部分はちょっとひっこんでいてドアに直接雨風がかから
ないようになっている。
我が家は、建築家のわが夫がデザインした。
えてして建築家自身が設計した自宅というものは、住みにくいものである。

図面と模型を見せられた時、「玄関のドア、このままだと雨の日に鍵を開けてる間に濡れ
るんだけど」と私。
「この家はシンプルなデザインなんだ。だから庇はつけないんだよ」と夫。
そういうデザインと言われると、これ以上質問の余地なしであった。
他にも不満はある。

玄関の間がほしかった。一階の玄関入ると、いきなりリビングである。
まあ、ニュージーランドではよくあるデザインだあるが。
開けたとたん雨は打ち込むし、冷たい風は二階まで駆け上がる。

キッチンが狭い。
せめて朝食がとれるくらいのカウンターがほしかった。

朝日と夕日が見える家ではあるが、そのため四方に窓があって家具が置けない。
二階はよく日がさしこんで、暖かいのはいいのだけど。

極めつけは家の色。
オレンジ色に、グリーンのドア、中の壁はセロリのようなグリーンである。
近所の人は我が家のことをパンプキンハウスと呼ぶ。
最近、いけばなをするようになって、いけばなの似合わない、侘寂とはかけ離れた世界だ
なと思ってしまう。
南国風と言ってしまえばそれまでだが。
前置きというか、文句はこの辺にして本題に入ろう。


今年は、もうこれは限界というところまできたので、インドネシア製のパインのドアを
伸び縮みしないアルミニウムのドアに変えることにした。
6月の末、電話帳でアルミニウムのドアを取り扱っている業者を調べる。
結果、私達の住む地域には一社しかないことが判った。
2-3社あれば、見積もりを取って比べることもできるが、選択の余地がない。

6月27日、C社に電話を掛けた。
受付の女性がでて、「担当者に明日電話掛けさせます」、と言う。
明日と言ったのに待つこと4日間。
痺れををきらして電話したら、「担当のマイクの電話させます」ということであった。
あくる日、やっとマイクが電話がけてきて約束に1時間遅れてやって来た。
マイクは、替えたい玄関と勝手口のドアを測る。
ドアのフレーム、ノブはそのまま使えると言う。蝶番だけは、ドアの厚みが違うので
変えることになると言った。
マイクは、「明日中に、見積もりを郵便受けに放り込んでおくからね」と言う。

それからさらに3日。何の音沙汰もなし。
しびれを切らして電話した。午後、返事するとのこと。
結局、返事なし。

7月10日、車検でC社の近くまで行ったので帰りに寄ってみた。
別のスタッフがでて、「今日送ろうと思っていたんだよ、5分まってね、今プリントする
から」と。
待つこと20分。これは、きっと私達が来てから、見積もり書を作成しているに違いない
と思った。
スタッフ曰く「プリンターの調子が悪くってね。時間かかってすまないね」と言い訳をす
る。
見積もりは私達が予想していたのより3割ほど高かったが、一日も早くドアを買えたかったので、
その場で、デポジットを払った。
明日早速発注して、2週間後くらいに取り付けに来るという。

7月27日、2週間以上経つので電話してみる。
マイクは留守で、メッセージを残す。

7月30日月曜日又電話する。
私、「注文して3週間もたってるんですけど、いつ取り付けに来てくれるんですか?」
ドア屋、「担当は今はマイクからリチャードに変わってます。リチャードに電話させます」
かかってこなかった。

7月31日火曜日朝
またまた電話する。「リチャードさん、いつ来るんですか?」と私。
リチャード「実は先週、俺の携帯が壊れてて電話できなかったんだよ。今日午後1時にいくから」
うそばっかり。会社の電話からでもできるでしょ。


8月1日、やっと玄関と勝手口(どっちも同じ)のアルミドア取り付け完了。
窓枠と同じ色のドアにしたので、オリジナルのように家になじんでる。
これでやっと開け閉めするたびにぎしぎしいって家族を悩ました、木のドアとは
おさらばだ。

注文から5週間、見積もりから3週間。
これで堂々と玄関から出入りできる。
最近は、家族はガレージドアから出入りしていて、玄関先にお客さんが来ても、すぐに出
れない状態であった。


しかし、取り付けも、すんなりとは行かなかった。

結局、リチャードは3回来た。
1回目:新しい蝶番に変えると見積もりに来たマイクが言っていたのに、
連絡がいってなくて予備の2個しか持ってない。
「マイクが新しい蝶番にするといってんだけど」と私。
「何も聞いてないよ。It’s typical Miki」とマイクをけなす。
とりあえず玄関だけ、2個の蝶番で換える。本来なら4個いる。
ここ数年間、冬場無理やりにドアを開け閉めしたせいで、フレームが歪んでいて
ドアの取り付けが難しそうだ。
リチャードは何度も計りながら、作業を進める。

2回目:あくる日朝10時 2つのドアを取り付け完了。
と思いきやリチャードが帰った後で、
裏のドアのデットロックがかからない、玄関の鍵が掛けられないことが判明。
鍵を掛けられるぐらいは、工事の後で確認するのが当然だろう。

玄関のドアは蝶番2個だけの時は問題なっかたのだか、4個取り付けてピシッとすると
微妙な誤差で外側から鍵が回らなくなったのだ。
勝手口のドアはデットロックのノブの位置が3センチほどずれている。
これは、最初に計ったマイクのミスである。

会社に電話をかける。
3回目:12時、鍵穴をずらすなどの微調整の末、やっと完了。
裏口のデッドロックはフレーム側の穴をずらして、鍵の中のバーがうまくかみ合う
ようにした。

リチャードは、自分がドジでも悪びれず、当たり前のようにしているところは、
怒る気にもならない。
こんな調子だから、仕事がずれてますますお客様を待たせることになると思う。
しかし、こういうことはニュージーランドでは日常茶飯事である。
電気工事の人とか、時間通りにやってくると、逆に気味が悪いというか、
「ちゃんと時間守る人もいるんだ」関心してしまう。

次は春先に、雨どいの掃除と屋根の塗りかえをしなければならない。
雨どいに草が生えていて、下から見える。
家は次々に修理やらに手間がかかる。
次回はもう少しマシな業者にあたると、私のストレスも軽くなるんだけど。
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