オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その80 kumeu ワインカントリー   31-05-11

2011-06-26 06:28:01 | 第71回ー80回
その80                    31-05-11

Kumeu ワインカントリー


今回の出たっきり邦人、北米・オセアニアの配信は、888号です。
私の配信は、今回80回目です。
中国人も好きな数ですが、日本人から見ても末広がりで縁起いい番号です。
今日はいいことがありますようにと祈ってます。
最近、当たり前のこと、普通に仕事に行って、夜、夫とワイン飲みながらご飯をゆったり頂くのもとてもいいことに思えます。


今日はワインの話題。

先週日曜日、日本からの友人を連れてワイナリーツアーに行ってきました。
オークランドから一番近いワイン地方、West AucklandのKumeuにお昼近くに
でかけました。

その日はオークランド市内から30分しかかからなかったです。
モーターウェイ16号線の出口は車線が増え、Alubanyへの接続工事をしてまし
た。
West gate ショッピングセンターからKumeuへ行く道に新しいRoundabout
(ロータリー)が2個もできていて、一瞬あれっと思いましたが、なんとか通過
しました。
もともと交通量の多いところで右折に苦労していたので、Roundaboutができて
曲がりやすくなりました。

Kumeu(キュメウ)ワイン地方のサイト
http://www.kumeuwinecountry.co.nz/


先週は月曜からずっと雨で、もうこれ以上いらないというくらい降ってました。
木曜は、Mt Wellington近くのモーとーウェイが冠水して、大停滞してました。
そういう週末、お天気よくなるようにと願ってました。

日曜は朝から晴れ、ラッキーでした。
たっぷり水をすった牧草が輝き、羊、牛、アルパカなどの家畜が道沿いに見られ
るようになり、気分はもうカントリーです。


まずはCarriage Caf?でランチです。
電車の車両がレストランになっていて、車窓からダックポンドが見渡せます。
ダックも追いかけっこしたりと、晴天を満喫しているようでした。
カフェは、家族連れでにぎわってました。
観光客も多いけれど、近郊のファーマー(お百姓)一家がランチを食べにきてい
る様子です。
チキンバーガーを頼んだら、ハンバーガーも充分大きいのにチップスがどっさり
ついてました。
日本のラーメンライスじゃないけれど、チップス食べないとご飯食べた気がしな
いのでしょうね。

http://www.carriagescafe.co.nz/


最初のワイナリーのストップは、Cooper’s Creekです。
http://www.cooperscreek.co.nz/

ここは私のお気に入りのワイナリーにひとつです。
なかでもキャットシリーズ、Far cat Chardonnayとかは猫のイラストのラベ
ルもかわいく、お値段も手ごろです。
この地方のワイナリーのテイスティングは無料にもかかわらず、Cooper’s 
Creekでは10種類ものワインが試せます。

白は、Pinot Gris(ピノグリ) Sauvignon Blanc(ソービニオンブラン),
Riesling(リースリング) Chardonnay(シャロネー) Viognier (ビゴニ
エ)Gewurztraminer(ギバーツ)まん中は地元Huapai のRose(ロゼ)
赤は、Pinot Nor(ピノノア) Syrah(シラー)、最後は、Desert wine(デ
ザートワイン)で締めくくりです。
カタカナで書いたワインの名前はニュージーランド読みです。
呼び方は国によりちがうようです。


ニュージーランドは、ワインの産地が点在していて、たいていの大手のワイナリ
ーでは全国からのワインを加工してます。
ここでも地元産のぶどうで作ったワインは2-3種類でした。
フランス系のViognier(ビゴニエ)はHawks Bayから、Central Otagoの
Pinot Norというようにです。
私たちは冬場は赤ワインをよく飲みます。Pinot Norは、最近の夫のお気に入
りです。
Merlotより重いけど、Syrahほど渋くなく、ワイナリーによって味に特色があ
り、毎回ちがった味が楽しめます。

ちなみに、ニュージーランドは白、オーストラリアは赤がおいしいというのが、
このへんの評価です。

今回訪れたKumeu地方は、Sauvignon Blanc, Chardonnayなどの白が有名で
す。


次は、Bees on Lineで蜂蜜のテイスティングです。
ご存知のように、ニュージーランドでは抗菌作用のあるマヌカハニーは有名です。
ここでは、風邪引いたらマヌカハニー食べればと言う感じです。
ニュージーランドクリスマスツリーといわれるポフツカワの花の蜂蜜など、花別
の蜂蜜が数種ありました。
ブリーベリー、いちごなどの果物と蜂蜜をあわせたものもちょっとかわっていておいしかったです。

http://www.beesonline.co.nz/


次は16号線からWaimaukuのほうへそれてMatua Wineへ行きました。
ここはニュージーランドのワイン地方がよくわかるように、ラミネートした大き
な地図を用意して、産地とそこのワインの特色をよりやおかりやすく説明してくれました。

http://www.matua.co.nz/agegate.html

ばら味のGewurztraminer(ギバーツ)は、ばらの香りがほんのりしてうっとり
しました。


ここでちょっと寄り道して、Muriwai Beachへ行きました。
ここはかつお鳥のコロニーで有名なところですが、鳥たちは4月にすでにお隣の
オーストラリアの飛んでいっていて一匹もいませんでした。
半島のせりだした台地に巣のあとが見れるだけでした。
それでも蘇鉄のまじった長い海岸線、サーファーたちが沖へ沖へととあしかのよ
うに泳いでいく様子を、日本からの友人は楽しんだようでした。
http://www.arc.govt.nz/parks/our-parks/parks-in-the-region/muriwai/


Muriwai Beachからメインの16号線に戻り、オークランド方向に戻りつ
Sojians到着です。

ワイン通の友人二人はテイスティングにもだいぶ慣れてきて、リストにないピン
クのロゼのシャンパンが飲みたいとか何度かリクエストをしました。
そのたびに店員さんは、じゃあレストランのほうにあるから取ってくるわ、と気
軽に応じてくれました。
2回目には“you keep me fit”といってましたが、感じはよかったです。
こここのスパークリングワイン、Fusion Sparkling Muscat NV は特に有名で
飲みやすいです。私も2本買いました。
$15と安いのもうれしいです。
ここにはワインのビンの見本か置いてあり、小瓶から40リットルいりのものまで
見れます。

http://www.soljans.co.nz/index.php/ps_pagename/welcometosoljans
http://www.soljans.co.nz/index.php/ps_pagename/winedetail/pi_wineid/1710



まわりの牧場に日は沈みかけ、空が赤くそまってきました。
ここを最後にワインの余韻を味わいつつ、オークランドに戻ってきました。


ここに書いたこと全部“見たこと”です。
実は、私はドライバーで一嫡もテイスティングしなかったのです。
今度はだれか私のドライバーしてほしいな。
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その79 東日本大震災,そしてジャパンデイ  01-04-2011

2011-05-31 06:55:59 | 第71回ー80回

その79                    01-04-2011

東日本大震災,そしてジャパンデイ


3月11日の東日本大震災で亡くなられた方々、心よりご冥福をお祈りします。
そして、被災者の方、不自由な生活をされていらっしゃる皆様、一日も早く日常
の生活が戻ってきますように。


長い長い一ヶ月でした。
3月のメルマガでは、2月22日におこったクライストチャーチのことに触れまし
た。クライストチャーチの地震は、ニュージーランド人にとってはショックな出
来事でした。
それから20日後、東日本大震災がおこりました。
その夜の日本の津波の映像がいまだに目に焼きついています。
映画のワンシーンのようなことが、実際に起きていたのです。

4月の配信には違った話題をと思っていたのですが、やはり地震に関することを
を書きます。
私たちは短い期間にニュージーランドと日本での大震災を身近にし、歴史を塗り
かえる現実に直面していると思います。


3月11日、日本の大震災の日、私達の3歳の孫は台湾のおばあちゃんと東京、
町田の親戚の家にいました。日本語と中国語の習得のため、日本と台湾で3ヶ月
過ごす予定でした。
初めて両親と別れて旅行し、地震を体験し、日本語のわからないアマ(台湾語で
おばあちゃん)と公園に避難しました。大変ショックを受けたようでした。
幸いにもアマがI phoneを持っていて、スカイプで地震直後、ニュージーランド
へメッセージを伝えてきました。この日、インターネットは通じたようでした。

ゆっくりと夫とご飯を食べていたら、娘から電話が入り、日本で地震か起きたと
知らせてきました。
半信半疑でテレビをつけると、どのチャンネルもNHKの特別ニュースをやってい
ました。
車や家がおもちゃのようにおしよせる津波に飲み込まれていく様子が、何度も繰
り返し放送されていました。

その日、私たちは、3月13日のジャパンデイ(オークランド日本人会のおまつり)
の準備に追われていました。
友人は、ジャパンデイ会場にでクライストチャーチの地震の募金箱を設定するた
め、赤十字との連絡にやっきになっていました。
私は、例年通りジャパンデイのいけばな展の担当で、花の仕入れ、材料の準備を
していました。
私は、地震を知ってからすぐ千葉の妹に電話かけましたが、連絡がついたのは2
日目の日曜でした。
妹一家は、電車がとまったため、帰宅に苦労したものの、全員無事で家も被害が
なかったそうです。


地震のニュースを受けて、何人かがあさってのジャパンデイは取りやめではない
かと日本人会会長宅に電話してきたそうです。
しかし、もうキャンセルはきかないところまで日にちが迫っていました。


あくる日、12日はジャパンデイの準備の日で昼ごろから関係者が、会場のASBシ
ョウグラウンドに集まり始めました。
前日遅くまでテレビで地震のニュースを見て夜更かししたり、日本の親戚、友人
の安否確認の電話に追われて、みんな疲れて元気がありません。
まだ日本の家族と連絡の取れてない人がたくさんいました。
電話が混乱していて、被災地だけでなく、東京、関西にも国際電話が通じなかっ
たです。

「こんな時にお祭りだなんて不謹慎じゃない?、花なんか活けてる場合じゃない
でしょ」と涙ぐむ人もいました。
ここまできたらやるしかないと自分に言い聞かせ、なんとかジャパンデイの準備
ができました。


3月13日、総領事館、日本人会の判断でジャパンデイは予定どおり行われました。
地元キーウィーも含め、約3万人がこのイベントを訪れました。
お茶、お花のコーナーも盛況で、たくさんの方々に見ていただきました。
会場入り口では、大型スクリーンで津波の映像が一日中映されました。
クライストチャーチの地震の募金箱と日本の東日本大震災の募金箱の両方が、設
置されました。
オープニングは、総領事のスピーチの後、オペラ歌手高橋侑子さんが君が代を歌
い、その間全員で黙祷しました。

こういった状況でのジャパンデイは、賛否両論がありました。
結果的には、日本の文化を伝えることにより、より多くのオークランド市民に東
日本大震災を知ってもらえたのではないかと思います。

あれ以来、私は行く先々で「あなたの日本の家族は大丈夫?」と声をかけてもら
ってます。友人はもちろんのこと、スーパーのレジのおねえさん、Fish& Chips
Shopのおじさんやらふだん口をきいたこともない人たちまで、日本を案じてく
れてます。

孫とアマは、地震の翌週火曜日に成田空港より台北へ脱出しました。
娘夫婦が孫を迎えに台湾へ迎えに行き、おととい家族3人でオークランドへ帰
ってきました。


娘は、自分がレントゲン技師ということもあり、放射線の人体被害に敏感で、今
回の福島原発の事故を大変気にしてます。
職場では、胎児の超音波検査をやっていていろんなケースを知っています。放射
能汚染された食物の人体への影響、胎児への影響がこわいと言います。

福島原発の放射線の影響を恐れて、東京在住の台湾人の親戚も一時帰国していま
す。
福島在住のニュージーランド人の女性が、赤ちゃんを連れて帰ってくる様子が
こちらのテレビのニュースで放送されてました。


私を含めオークランドの日本の友人達は、東京以北のいる親戚や友人に避難を呼
びかけました。
でも「どうもないよ大丈夫だよ」とか、逆に「どうしようもないからほっとい
て」と、怒る友人もいました。
今回の地震については、ニュージーランドと日本の温度差を実感しました。


私を含め、たいがいの海外在住の日本人は、自分たちで選んで海外に住むことに
したと思います。
従って、今回のような災害がおきれば、安全な地へ移るのが当然と考えます。

新聞によると、多くの都道府県が被災者受け入れを申し出ているにもかかわらず、
被災者の方たちは地元を離れたたがらないため、受け入れが思うように進んでい
ないといいます。
福島原発20キロ以内にも、残っている老夫婦もいるそうです。


私はここでできることをするしかないな、と思います。
普通の生活を送れることに感謝し、一日一日をていねいに過ごそうと思います。

明日、私は、Farmer’s Market のHarvest Festival でいけばなとフラワー
アレンジメントのデモを行います。
主催者に了承を得て、その場で日本の地震の募金を集めます。
デモの謝礼も募金するつもりでいます。

私は花を活けることしかできないから、どんな時も花を活け、花に託して私の思
いを伝えていきます。


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その78 家庭菜園 04-03-11

2011-03-30 13:37:33 | 第71回ー80回
その78         04-03-11

家庭菜園


2月22日午後12時51分に、クライストチャーチで大地震がありました。
今回は、日本の方も含めて200人余りの人が亡くなる大惨事でした。
私は、去年の9月に第一回目の地震のことを出たっきりのメルマガに書きま
した。
その時は、まさか又ここで地震の報告をしなければならないとは思ってもみませ
んでした。
9月4日、12月26日のボクシングデイ、2月22日とクライストチャーチの地震
は続いています。
ニュージーランド中ショック状態です。
クライストチャーチの地震で亡くなられた方達に、心よりご冥福をお祈りいたし
ます。


クライストチャーチはまるで戦場のようですが、オークランドでは普通の暮らし
が続いてます。
日本でニュージーランド地震として報道されたこと、日本の語学学校の生徒さん
達が被害にあったことにより、よりみなさんの注目を浴びたようです。
私も他のオークランドの友人達も、たくさんのメール、お電話頂きました。
ご心配ありがとうございました。



最近私は、家庭菜園を始めました。
庭の手入れで精一杯で、野菜までは手に負えないとこれまで私は野菜を育てたこ
とがありませんでした。この家に引っ越してから11年、レモン、アボガドとか
は植えたけど、面倒ちゃんと見れないから野菜には手をだしちゃいけないなと思
ってました。

今は、家の裏の洗濯干し場の下の幅40cm長さ2mほどの簡易菜園に、菜っ葉
など生い茂ってます。
はっきり言って、野菜を育てるのがこんなに簡単だとは知りませんでした。
2cmくらいのひょろひょろの苗が2週間くらいで、立派なレタスやほうれん草
となるのは驚きでした。
この夏の暑さのせいもあると思いますが、本当にぐんぐん育ってます。
この前の日曜に苗を買って少し増やしました。
今あるのは、シルバービート(菜っは)、パセリ、ミント、しそ、ほうれん草、
レタス2種、豆2種、ロケット、かぶ、ねぎ、チャイブです。

うちで作った野菜は、柔らかくて甘くおいしいです。
ゆうべはシルバービートをベーコンと炒めました。
パセリは買うと量が多すぎて腐らせていたのが、今はちょこっといる分だけ取れ
るので便利です。
ねぎは買ったのの根っこを埋めておくと2,3日で伸びてきます。
これも薬味がいる時に助かります。
取り立てで新鮮、無農薬で安心して食べられるし、こんなにいいことはありませ
ん。


家庭菜園のきっかけは娘夫婦でした。
彼達は去年マイホームを購入し、この夏初めて家庭菜園を作りました。
種から育てたらあまりに多すぎて、「お母さんいらない?」と言っていくつか分
けてくれました。

それから夫に囲いを作ってもらい、コンポスをいれて畑ができました。
豆の花が咲いたとか、つるが延びてきたから支柱を立てなくてはとか、野菜の成
長に夫も楽しそうです。

自給自足には程遠いけれど、庭に食べられる野菜が植わってると心豊かです。


この世の中いついったいどんなことが起きるかわかりません。
オーストラリア、クイーンズタウンの洪水、サイクロン、今度のクライストチャ
ーチの地震と大災害が身近なところでおこっています。

災害がおきると、水道、電気はとまってしまいます。
緊急事態でも、ある程度暮らせる程度の準備が必要だなと思います。


この夏私達がしたこと。

薪作り
停電してもfire placeをたけば、家じゅう暖かい

雨どいの水をドラムかんに常にためる
普段は庭に水遣りに使ってる
断水したら、トイレ用にと思っている。
  しかし、クライストチャーチでは地震で下水道は破損して
トイレの水も流してはいけないそうだ。

家庭菜園作り
1週間くらい食べられる。


クライストチャーチの地震の被害にあった人に言われて

飲み水のストック
水道水が汚染されるので飲めなくなる

懐中電灯の電池の点検、ろうそくの常備
停電の時に

キャッシュを家においておく
停電するとEFTPOSが使えないから、お買い物に困る

クッキー、パスタなど食品のストック

バーベキューコンロ、カセットコンロをそろえる
ニュージーランドの家はすべてが電気なので停電するとお湯もわかせない。

コードレスじゃない旧式の電話機の確保
直接電話のジャックに繋ぐ電話機は停電の時にも使える。
今回はテレコムが集めて、クライストチャーチに送るそうだ。

車のガソリンは空っぽにしない
逃げる時、あるいは友人、家族を救いに行くとき車は必須。


そして夫に一言。
出かけるときは携帯電話を携帯すること。
用事があってかけても、いつも家で鳴ってます。
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その77 お正月はやっぱりおせち料理 04-02-11

2011-03-02 14:02:49 | 第71回ー80回
その77..                       04-02-11

お正月はやっぱりおせち料理



先週土曜日は、1月恒例の日本人女性のお正月のお食事会に行ってきました。
元メンバーでこのシーズンだけニュージーランドの夏を楽しみに来ている友人や、ゲスト
の方々も多く、賑やかにおいしいおせち料理を頂きました。
去年1月のお食事会はどんなレストランがいいかと話し合った結果、やっぱり1月はおせ
ち料理と決まりました。
オークランド在住の日本人家庭でも、元旦におせちを用意するところは少ないと思います。
だいたいバーベキューです。これは普段の夏の週末とかわりません。
何も特別な事はしない人もいます。
でもやっぱり日本人ならお正月は、おせち料理食べたいですよね。
土曜日のランチは、数の子にお雑煮、感激しました。


我が家では、元旦はおせち料理のランチを家族で頂くのを恒例にしてます。
一年の初めの会食、「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶、ワインで乾杯し
て、新年を祝います。

私は、手に入る範囲、あまり高くない食材でおせちを作ります。
日本のそれとは比べ物にならないけれど、重箱に入れればばなんとかかっこうはつきます。


オークランドでは、日本のスーパーマーケットへ行けば、たいていの日本の食品が手に入
ります。
お値段が私達庶民からするとすごく高いので、今年はかまぼことこんにゃくを買っただけ
です。

ちょっとした日本食は、ふつうのスーパーマーケットで買います。
最近は日本食ブームで、スーパーマーケットにも日本食コーナーがあり、みそ、寿司セッ
ト(のり、酢、まきす)、カレー粉、マヨネーズ、パン粉、ふりかけとか売ってます。
流通の関係か、こっちのほうが日本のスーパーより安いことがあります。

いちばんよく利用するのはチャイニーズのスーパーです。
アジア系の野菜もお手ごろな値段で手に入ります。
白菜、大根、かぶ、なす、ねぎは、以前に比べるとずっと質のいいものが出回ってます。
お豆腐、あげなどもあります。
しゃぶしゃぶ、すき焼き用の薄切りのお肉もあり重宝します。



さて今年の我が家のおせちは、息子達がいなかったので簡単にしました。
私達夫婦、娘一家の5人のランチでした。

お雑煮
我が家は九州風のおすましのお雑煮です。
おもち、大根、人参、かまぼこ、ほうれん草
おもちは随分前の頂きものを冷凍しておいて、お正月用にとってありました。

筑前煮
こんにゃくだけ日本製
中国製の冷凍れんこん、鶏肉、しいたけ(これも中国産)、絹さや、
タロイモ(里芋のかわり)

紅白なます
大根とにんじん

えびの姿煮
タイ産の大正えび

照り焼きチキン
手羽先と松の実をオーブンで焼いただけ

お赤飯
中国のあずき、タイ産のもちごめ


ガレージセールで買った半月のお盆に箸置き、お箸、取り皿の配膳は3歳の孫が手伝いま
した。
重箱の料理を詰めるのは、娘にやってもらいました。
本当はお料理から手伝ってほしいけど、せめて盛り付けくらい学んでもらおうと思います。
重箱はちょっとしか入らないので、えびとか鳥は大皿に盛り、各自好きなだけ取って食べ
て貰いました。


1月11日に息子達がサンフランシスコから戻ってきました。
おみやげは、日本の抹茶カステラとうさきのお饅頭でした。
サンフランシスコでは日本直送で、ほとんどの和菓子の手にいるそうです。
きっと他の物もなんでもあるのでしょうね。


普段の食事は、夫の国のビルマ料理、中華、イタリアン、洋風のロースト、タイなどいろ
んなものを作ります。
日本食は週の一回あるかないかくらいです。
従ってこれくらい日本の食材が揃えば、まあ満足かなと思います。


昨日は、中国の新年でした。
娘の夫は台湾人なので、中華レストランに招かれました。
北京ダック、魚の姿むし、鳥、えびのあんかけ、インゲン豆、なすびなどのご馳走でした。
中国のお正月には鳥とお魚を必ず食べるのだそうです。

クリスマス、元旦、中国の旧暦お正月とそれぞれのご馳走を食べられるのは、海外ならで
はの贅沢ですね。
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その76 去るものを追わず 11-01-11

2011-01-20 15:05:26 | 第71回ー80回
その76                           11-01-11

去るものを追わず


新年明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い致します。

1月5日から、夫と二人で小旅行にでかけ、昨日帰ってきたところです。
旅行の話は又の機会にお話しするとして、今回は年頭にあたって今の私の思いを書いて見
たいと思います。


2006年に始めたこのメールマガジンも6年半を迎えました。
75回も何を書いてきたんだろうと思い返しています。
その間、出会いがあり、別れがあり、孫の誕生があり、ここ数年親しい人を何人か見送り
ました。

半世紀余りを生きて、夫婦二人だけの生活となると、これまでのいろいろな出来事を思い
返し、語り合う事が多くなりました。
少し前までは、昔の思い出話ばかりする夫に対して、反発的な思いがありました。
私自身は常に前を向いてわずかでも進歩のある生活を送りたい、チャレンジし続けたいと
考えていました。


2009年暮れに父を見送ってから、あまり焦らなくなったというか、私に与えられた時間
をゆったり丁寧に生きようと思うようになりました。
夫に対してもそばにいてくれるだけでもありがたい、一緒に食事をし生活していけるだけ
でも充分と、感謝の気持ちが持てるようになりました。
親しい人達の死に接っして、ああこれはこの人に与えられた時間だったのだと、受け入れ
られるようになりました。
それと同時に、自分を納得させる為に、やっておきたい事、見てみたいことははっきりし
てきました。


その友人は2007年のクリスマスに、滞在先の山小屋の火事で亡くなりました。
私が彼のニュージーランドでの一番親しい友人ということで、警察官がボクシングデイに
やってきて、この事故のことを教えてくれました。


その直後はどうしてと疑問を発するよりも、どう議論しても彼は帰ってこない、この事は
もう考えないようにしようとしていました。

彼は、「クリスマスは仕事やし、お正月ご馳走してや」とトラウトフィッシングのガイド
の仕事に出かけていきました。
その数日後、警察から連絡を受けた私は、自分でも事情がはっきり飲み込めないまま、彼
の日本の家族に連絡を取りました。

ボクシングデイの日、いけばなのおけいこから帰り、花のはいったバケツを家に運びいれ
たとたん、突風でバケツがひっくり返り床が水浸しとなってしまいました。
あの時、彼は山小屋の火事で死んでいて、水が欲しかったのだろうと後で思いました。


病気で覚悟の死なら、本人も身の回りの整理やらできたと思います。
このような突然の彼の死、いきなり消えてしまうなんて、残されたほうが迷惑、
いったいどういうつもりと、当時は怒ってました。

まず彼の猫の行き先をさがし、金魚を川に放し、庭木に水遣りをしました。
すべては当然彼が帰ってくるのを待っていて、それ以外のことは予想できないようで、
私は勘違いの行いをしているようでした。
家を片付け、数ヵ月後、彼の家が売れるまでのもろもろの雑用、事務処理は、仕事感覚で
こなしました。
その時は悲しいとも思わず、涙することもありませんでした。



あれから3年、彼の家から我が家の庭に移植した植物は半分ほどは枯れ、残りは季節がめ
ぐってくるたびに花を咲かせています。
彼のコレクションだったrhododendoron(しゃくなげの改良種)が、お正月からクリーム
色の花を咲かせています。

我が家の庭は、何度植えても私の好きなピンクッションは枯れてしまうし、枯れるたびに
苗を買い、ガーデンセンターを潤わせるのに嫌気がさしていました。
でも今は、残るものは残る、枯れてしまったものはそこには合わなかったのだあきらめが
つくようになってきました。



今回の旅は、Te Arohaから Taurangaを経由して Gisborne、 Napier、Taupoから
Aucklandに戻るというものでした。
旅行の日程を決めてから、そのルートは彼が亡くなったTe Urewera National Parkの周
りをぐるりと回るのだと気が付きました。

Opotokiから Gisborneへ抜ける山道は、私が運転しました。
山の斜面、川沿いのカーブの多い道で、間には小さな村があるだけでした。
この山の向うがTe Urewera National Parkなのだな思いつつ、運転しました。

翌日、Gisborneから Napierから行く途中に、Te Urewera National Parkの Lake
Waikaremoanaに行ってみようと思い立ちました。
Wairoaから往復3時間ほどで行けそうです。
この道、38号線は、Te Urewera National Parkを横断して、Muruparaを経由して
Rotoruaまで抜けることができます。

38号線のTuaiを過ぎると砂利道で電線もなく、電気が来ていないことがわかります。
しばらく走ってもそれらしい湖は見えてこないし、この道があっているのかどうか不安に
なってきました。
しかしながら、以外と対向車が多く、この奥に何かあるとわかりました。

あと10分走って何もなければ引き返そうと思ったところで、キャンプ場にたどりつきました。
湖岸のキャンプ場は、ホリデー客でにぎわってました。
釣り船は10数台停泊していて、少年が家族に見守られながらカヤックしていました。
私達はもっとさびしい所を予測していたので、これまでの道のりから比べると、意外な賑
わいに驚きました。


彼はこの湖の湖岸のどこかの山小屋で亡くなり、この水の続くどこかでフライフィッシン
グを楽しんだのだなと感慨にふけりました。
あの当時は、Te Urewera National Park がどこにあるのかも知らず、彼の家の残された
公園の稜線の多い地図からは、どのような土地が想像することもできませんでした。


今回、夫とこの湖を訪れて、彼への私達なりの弔い、彼の死に対してのclosureとするこ
とができました。
今でもふっと我が家の庭先から短パン、アロハシャツ姿の彼が現れるような気がします。
しかし、あの地を訪れてから、私達は一つの区切りをこえ、過去のこととして受け止め
ることができるようになりました。



亡くなった人はもう戻ってきません。
私達がどんな思いをいだいても、伝わることはありません。
残された私達は、自分の人生を歩み続けなければなりません。
一つ一つていねいに仕事をこなし、充実した一年がおくれますように。

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その75 サンタパレード 10-12-10

2011-01-11 10:45:48 | 第71回ー80回

..75..

サンタパレード

クリスマスまであと2週間余りとなり、今年も終わりが近づいてきました。
オークランドでは、クイーンストリートのサンタパレードを皮切りに、あちこちでサンタ
パレードが行われています。

11月28日のクイーンストリートのサンタパレードはFarmers(デパート)がメインスポ
ンサーで、企業や各国の団体も参加して華やかで大規模なものです。
日本のよさこいソーランのグループも参加しました。


先週木曜日は、私の地元Mangere Bridgeのサンタパレードでした。
パレードは、Mangere Domain(公園)から出発して Coronation RdをMangere Bridge
Village(小さいショッピングセンターのことをビレッジといいます)を往復する1時間
もかからない小規模なものです。

私達は、3歳の孫を連れていってきました。
こういうローカルなパレードの方が、小さい子向きです。
Farmersのサンタパレードはダウンタウン全域が交通止めになり、遠くに車を停めて
歩かなければならないし、人垣で小さい子はおしつぶされそうです。


早めに晩御飯をすませて、歩いてスタート近くの小学校の歩道まで行きました。
パレードの間、この通りは通行止めになるので、我が家の前の道にもパレードを見に来た
車が停まり始めました。


サンタパレードの最初は、パトカーに先導されたバグパイプの楽団です。
ニュージーランドの初期の移民はスコティッシュが多いし、ここはイギリス文化圏だな
と思います。
男女ともタータンチェックのスカートを履き、ベレー帽をかぶり、腰には丸いポシェット
をぶら下げてます。
ベレーと白いハイソックスのつけた赤いボンボンがクリスマスらしいです。

次は、小学生で、自分で作ったダンボール製のギフトボックスから手足をだして行進です。
小さい女の子達は、白いチュールのロングスカートをはいてかわいらしいです。
はだしの子もいて、typical Kiwi kidsだなと思いました。
たぶん全校生徒参加のようで、沿道からはその子達の家族が声援を送ります。


小学生の後は、オールドファッションカーが数台続き、この最後では古い食パン型の2階
建てロンドンバスの登場です。
昔のロールスロイスは、車体が長く、タイヤも大きくておしゃれですね。

ポニークラブのパレード
馬もモールで飾りつけして行進です。
Mangere Bridgeにはポニークラブあり、週末家の前の道をお馬さんが歩いていること
があります。
馬に乗っているのも、手綱をひいているのもティーンの女の子達でした。

お次は映画のキャラクター達。
スーパーマン、スパイダーマン、忍者トータイル、シュラック、シュッラクにでてくる猫、
バナナパジャマなど。
あんまりかわいくないキャラクター達でした。というかみんないかついおっさん達でした。

サーフガードは、ボートが牽引されていて中に水兵帽の男の子達が乗ってました。
Mangere Bridgeにはボートクラブがあり、クラブのメンバーが一緒に行進してました。

SPCAからは、犬達が募金を集めながらまわりました。
小型犬は、ボランティアのおばちゃん達が乳母車にいれておしてあげてました。

孫のお気に入りはAmbury Farm.
“ Farmer is wearing milking cow costume.”と言って喜んでました。
Farmerは、Burnyardの映画にでてくる牛の着ぐるみを着てました。
孫は毎週のようにミルキングを見に行っているので、ファームのスタッフが覚えていて手
を振ってくれました。

最後にサンタの登場です。
サンタは、道路工事用の通行止めサインのトラックに乗って登場。
トラックからはシャボン玉がとばされ、子供達はおいかけまわしてました。
其の周りをピエロがミニバイクに乗って走り回ってました。

行進の最後はいさましいブラスバンドでした。
若いアイランダーが多く、力強い演奏をしてました。


パレードはビレッジを一周して元のドメインに戻り、解散です。
孫にサンタさんを見たら帰ろうねとうながします。
ところがサンタのトラックに、サンタは乗ってませんでした。

それで孫は、
“Where is he?
Is Santa coming back with a lot of lollies and Christmas presents?”
と言ってました。
よほどそのことが気になったらしく、あくる朝デイケアでも先生に訴えてました。



ニュージーランドでは、9月にクライストチャーチの地震、11月にはグレイマウスの炭鉱
の爆発で29人の炭鉱マンが一度に亡くなる大惨事と不幸なことが続きました。
被害者の家族、友人にとっては、今年は忘れられないクリスマスとなると思います。


どうか皆様、安全で楽しいホリデーシーズンをお過ごし下さい。
良いお年を!


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その74 はがゆい医療 19-11-10

2010-12-08 08:24:15 | 第71回ー80回
その74                   19 Nov 2010

はがゆい医療システム


先週、ここ1年ほどオークランドに滞在してる友人から電話がありました。
友人“あのう、耳鼻科に行きたいんですけど”

友人は、鼻の奥が痛くて、頭痛がするということでした。

そうだよね、日本だと耳鼻科とか眼科とか自分の判断で受診できますよね。
ところが、ここニュージーランドではそういう訳にいきません。

耳鼻咽喉科(Ear nose throat specialist)にかかろうと思ったら、まずGP
(General Practitioner)家庭医に行きます。
GPの判断で、Specialist(専門医)の受診が必要とされる場合は、GPが紹介
状を書きます。
患者はGPが紹介した耳鼻咽喉科医などのスペシャリストに予約を入れます。
人気のスペシャリストだと、2ヵ月後くらいにしか予約が取れなかったりします。
そして又スペシャリストの受診料が高いのです。初回は$200~$300
(1万3千円以上)します。
これはプライベートのシステムを利用した場合で、パブリックだと待ち時間がさ
らに長いです。
パブリックホスピタルだとほとんど無料か安く見てもらえるのですが、
待ってる間でどんどん症状が悪化するし、それまでに死んじゃうことだってありえます。


去年、私は喉の調子が悪くて、2ヶ月おきくらいに喉が腫れてました。
そのたびにGPに行き、抗生物質を処方され直すということを繰り返してました。
咳もでず、頭痛もしない喉だけが腫れるのです。
それは歌いすぎた時とか、仕事で4時間しゃべり続けた後とかになってました。
それがパターン化してるので、なんかおかしいと思いGPに相談しました。
それではということで、Ear nose throat specialistを紹介され一ヵ月後に受
診しました。
結果は、慢性の喉頭炎でした。
さらに超音波とバイオプシーをしたところ、甲状腺にも異常がみつかりました。
幸い甲状腺のポリープは今のところ悪性ではないということでした。
最初に喉が腫れた時から、正確な診断がされるまで1年近くかかってます。
日本で耳鼻咽喉科にかかっていいたら1,2回の受診でわかったろうと思います。


一般に日本人は病気好きというか、会社の検診とかで病気がわかって予防の治療
をするし、病気の知識が高いと思います。
病気になった時も、受診の満足感を満たすようにいろいろ薬くれます。
たとえば風邪なら、風邪薬、風邪薬は胃を痛めるから胃薬、ビタミン剤とかです。
ニュージーランドなら、40度くらい熱があったとしてもパナドール(解熱剤)
だけです。パナドールなんてスーパーでも売ってます。
ここでは、GPは診察するだけ、薬は処方箋を持って薬局で買います。
日本のようにお薬をたくさんだせば医者が儲かる訳ではないので、お薬は必要最
低限しかでません。
とういか、自然の治癒力を信じて、なるべく薬を飲まないように言われます。

ニュージーランド人は極力医者に行かない、ひどい症状がでてないから自分は大
丈夫と思っている人が多いと思います。
ニュージーランドでもその気になれば、ただの検診もあります。
もちろん、希望して自分でお金を払ってプライベートのお医者様へ行けば、
ある程度はこちらの希望する検査も受けられます。
検査とかすれば千ドル単位のお金がかかるし、あえてそういう事をする人は
わずかです。
そういう事情で、結構手遅れでがんとか見つかることとか多いのです。


話は戻りますが、友人は、ローカルのGPに行きました。
私が思ったとおりパナドール(バファリンみたいなの)、アモクシン(抗生物質)
を処方されたものの、まだ直らないそうです。
そこできのう言葉の通じる、オークランド唯一の日本人GPに連絡したところ、
すでに夏休み休暇に入っているそうで、がっかりしてました。

ここニュージーランドでは医師でも人並みに1,2ヶ月の夏休みを取ります。
だから11月中にアポイントメントが取れなかったら、次は2月という事も珍し
くないのです。
まったく友人はタイミングの悪いときに、具合が悪くなってしまったのです。

私のアドバイス、あなたも早めに夏休みを取って、日本で耳鼻咽喉科に行けば、
ということです。

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その73 消費税15%に値上がり 22-10-10

2010-12-08 08:20:03 | 第71回ー80回
その73                           22 Oct 2011

消費税15%に値上がり

10月1日から、ニュージーランドでは消費税が12,5%から15%に値上がりしました。
2,5%の値上がりだし、たいしたことないんじゃないのと思いつつ、それなりに準備しまし
た。

9月28日に夫を引き連れて、大量買出し。
$540もかかりました。
水、キャットフード、缶詰、コーヒーとか日持ちのするものを一か月分購入。
このチーズおいしそう、ついでにワインも数本とか、普段買って貰えないものを、
夫は便乗してカートにいれてました。
きっと、一人でいつもどおりのお買い物したほうが、安くついたかもしれないと、
後悔しました。

9月27日に新車購入。
新車といえど、ニュージーランドニュー、すなわち日本からの輸入中古車ですが。
大きなお買い物は、今月中にしたほうがお得ですよと、テレビでさかんに宣伝してました。
テレビとか冷蔵庫とか車とか。
おなじみのカーディーラーから電話もらったのが私の誕生日だったこともあり、
即決めてしまいました。


10月以降だと車の保険も値上がりするだろうと思って、車が納品される前に車の保険を
かけました。
保険会社に電話かけたら、10月から値上げされるので、其の分はすでに見込んであります
とのこと。
あせって早々と保険かけるんじゃなかった、3日分損しました。


とはいえ、すべてのものが確実に値上がりしてます。
一番痛いのはガソリン。リッター180セントだったのが、今日は185セントに
上がってます。
こんなものまでと思ったのは宝くじ。当たり前ですが。
健康保険代、車、家の保険すべて、電話代、インターネットブロードバンド代、水代、
銀行口座から毎月引き落とされるものもすべて2.5%分かそれ以上上がってます。
市民税、地方税が変わる来年の6月以降が思いやられます。
食べて生活する以前に、お金が目減りしていきます。

今日スーパーにお買い物に行きました。
ちなみにニュージーランドでは、内税でスーパーのレシートにはいくらGST払ったか
記載されてません。

いつも買う飲料水、95Cと先月と同じ。
2個で$5ドルセールをやっていて、なんとなく以前より安く感じてしまいます。
でも牛乳、米、パンなど、多少高くても買わざるを得ない基本食品はきっちり値上がってます。
お気に入りのコーヒー豆が$7.60から$8.30に上がっていて手がでませんでした。
これって2.5%以上の値上げと思われるものも多くありました。
ニュージーランドに移住とか夢をいだいていらっしゃる方に申しますが、ここは物価が高い
ところですよ。
お買い物は日本のほうが安いし、オプションもたくさんあると思います。


私は、自営業をしているので、半年ごとにGST(good and service tax,消費税)の申告を
してます。先週、今年4月から9月までの分の申告をしました。
申告用紙には、売値を9で割ったのがGST12.5%として記入する欄があります。
15%になったらどういう計算すればいいのだろうと、今から悩んでます。
まあ本当にしなければならないのは半年後ですが。

イギリスでは今年1月から消費税が20%となったそうです。
今調べたところ、お隣のオーストラリアは10%。
ニュージーランドの15%はオセアニアで一番高いです。
カナダ7%はちょっと休め、デンマーク25%でとても高いです。
日本は、5%でしたよね。
ニュージーランド人は、冬の間は景気が下がり気味のこともあり財布の紐がかたいです。
でも10、11月になって暖ったかな陽気になってくると、ホリデー用の車やら、
クリスマスを新居でいうことで、家もよく売れるそうです。
たぶんGSTが上がったこともこの夏までに忘れてしまうんではないか、と思ってます。
商売してると、仕入れにGSTがかかるし、請求書にもGSTを加算してだします。
でも一般の人は、あんまり意識してません。


今のところ12,5%の時に仕入れられた商品が流通しているのが多く、まだそれほど値上が
りしていないと思います。
これが生産、流通に増税が完全に反映される半年後ぐらいには、人々はレシート見てぴっくり
することになるのでしょうね。
 
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その72 クライストチャーチの地震

2010-09-30 08:10:55 | 第71回ー80回

..72..

クライストチャーチの地震 21-09-10


9月4日午前4時35分(日本時間午前1時35分)にニュージーランドの南島中
央部クライストチャーチの西約30kmを震源として、マグニチュード7.1の地震
がありました。
クライストチャーチ市内の古い建物や道路、Kaiapoi, Waimakariri District
に大きな被害が出たものの、土曜の早朝といううこともあり、死者はでませんで
した。
2週間たった今も余震は続いていて、クライストチャーチの人々は落ち着かない
日々を送っています。


たまたまその週末は、私の友人が3人もオークランドからクライストチャーチ
に行っていました。
テレビのニュースを見て、すぐに友人達の携帯電話にテキストメッセージを送っ
たのですが、返事が返ってきたのは2時間ほどたってからでした。
安否を気遣って多くの人が電話したので、回線がパンク状態だったようです。
その時点では、まだクライストチャーチは停電したので、オークランドにいる私
のほうが情報が早かったです。
クライストチャーチにいる友人に、震源地、空港が閉鎖していることなどを教え
てあげました。


ヘラルド紙のサイトにこの地震の被害の写真がでています。
http://www.nzherald.co.nz/nz/news/image.cfm?c_id=1&gal_objectid=10673504&gallery_id=113868#7087912


地震が発生した日に、総理大臣のジョン・キーは海外への出張をキャンセルして、
クライストチャーチ入りしました。
この辺が国が小さいせいと、1931年のネイピア以来の大地震ということもあ
り、すばやい行動でした。

上下水道が破損し、水が吹き上げたりと復旧には相当時間がかかるのではないか
と思いました。
どうせニュージーランドのことだからだらだら時間かかるだろうと思いきや、
国に全力投資のせいで案外早かったそうです。
道やら建物の復旧には1年近く予想されてますが、とりあえず市民生活の正常化
を計るのを最優先されてます。


カンタベリー大学の学生がFacebookで被災地でのボランティアをよびかけ、
Facebook Armyと称して後片付けを手伝いました。
学生達は、ガンブーツ(長靴)はいて、とシャベル持って参加してました。
この様子はテレビで放映さて、いつもカーレースやパーティー騒ぎで迷惑な学生
達も、なかなかいいところあると評価されてました。


この地震の震源は11キロと浅く、レンガ作りの建物の被害がひどかったです。
レンガの暖炉の煙突が落ちたところが多かったです。煙突が停めてあった車を
直撃して、車がへこんでました。
地震のあと、liquefaction(液化現象)が起こり、地中から砂が吹き上げてきま
した。
そのあたりはもともと砂地だったところに家が建っており、地震により地面に割
れ目ができたところに地下から水分を含んだ砂が盛り上がってきていました。

ニュージーランドには温泉もあるし、オークランド近くにあるランギトト島の火
山が活動しているにもかかわらず、ニュージーランド人の地震に対する認識はま
だまだだなと思いました。

地震の多い日本で生まれ育った日本人は、地震をよく経験しているし、ちょっと
した揺れには驚きません。

クライストチャーチの友人一家は、9月4日の大地震のあと怖くて、リビングに
家族全員で寝ていると言ってました。


テレビ等の報道を見た日本の友人が、地震騒ぎがちょっとお祭り騒ぎのような、
なんか違和感を感じると言ってました。
この国では地震はまだ珍しい出来事のようです。

災害キットののリストとかと特集をテレビでやっていて、日本人の私からすると
今さらというか、そんなの当たり前じゃないと思えました。
たとえば飲料水、水(トイレ用)、カセットコンロ、ろうそく、懐中電灯を常備
するとか。
実際クライストチャーチでは、下水道が壊れて汚染されたため、しばらく水道水
が飲めなくなりました。それでスーパーでは飲料水が売り切れとなり、その上み
んながストックしだしたので、今でも品薄だそうです。
クライストチャーチは水道代がただなので、市民は「湯水のように」水を使って
きており、
今回の地震で水のありがたみを思い知ったようです。


ニュージーランドでは、地震も住居の保険でカバーされます。
詳しく言うと、最初の10万ドルを家と土地に対して、家財は2万ドルを政府機
関のEQCが支払います。
残りを各自が加入している民間の保険でカバーします。
地震のあと9月5日には、かけこみで約1500件の保険を入りたいというお問
い合わせがあったそうです。当然、審査の結果、却下されたようです。

EQC(Earthquake Commission)のサイト
http://www.eqc.govt.nz/

9月4日の時点でEQCは、この地震の救済には$2 billionかかるだろう言っていま
した。
あれから2週間経ち、被害は予想より深刻で、当初の倍以上かかるのではないかと
言われています。
いくら保障されたとしても、地震で全壊した家のあったところにまた家を建てたいと
思わないだろうし、クライストチャーチの地震の被害の多かった地域は不動産の値打
ちも下がると思います。


地震により、農場のなかに新しい川ができ、地形そのものが変化しました。
下水道の破損で、ウィルス性の下痢の集団発生が起きていて、人間だけではなくファ
ームの動物達も病気になっているそうです。
さらには、川、海岸線の汚染も報告されてます。
歴史的建造物の復旧には、まだまだ時間がかかりそうです。


ニュージーランドで一番美しい町、ガーデンシティ、クライストチャーチが、元に近
い形になり、経済的にも復興するにはしばらくかかるのではないかと思います。


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その71 父の初盆 27-08-10

2010-08-29 02:38:46 | 第71回ー80回
その71                       27-08-10

父の初盆


20日まで父の初盆のため日本に帰ってました。

日本はとにかく暑かったです。
特にまとわりつくような暑さにはまいりました。
お盆は8月、夏と決まってるし変えようがありませんね。

一番不思議に感じたのは、この暑いのに女の人はほとんど長袖で、半そでの
人は、なんとも不格好な長い手袋してました。
日焼けを気にしてか肌を露出してないですね。
たまにショーツ、タンクトップの女性を見かけると、だいたい外国人でした。
お勤めの女の人はちゃんとストッキングはいてるし、男の人はスーツ着
てました。
エアコンの中で仕事するからあれでいいのかもしれないけど、外へでた時は
熱気でむっとします、

冬でも日中15度くらいまで上がり、夏もせいぜい28度というゆるー
いオークランドの気候に慣れてると、日本の夏はとても耐えられません。
体感温度が日本人と2-3度違うでのはないかと思いました。
体もキーウィー化してしまったようです。


こんな私ですが、父が亡くなってから喪主として葬儀、四十九日、初盆を
執り行い、日本の伝統の重さを感じてます。



昨年暮れに亡くなった私の父の初盆を、8月14日に福岡県の父の本家で
行いました。
本家は父の一番下の弟が継いでいます。

私達姉妹とその家族、父の兄弟、従兄弟達、その子供達総勢30人が集まりまし
た。
我が家ゆかりの人がこれだけ集まるのも、何十年ぶりだったと思います。
私達姉妹は、長女の私はニュージーランド、次女夫婦は千葉、三女一家は山口か
ら結集です。
前日から本家である叔父さん宅には、おじさんの子供達、孫全員が泊まっていて
とてもにぎやかでした。
盆暮れには来ているそうですが、従兄弟達も九州各地からこの日のため集まって
くれ感謝です。


準備のため初盆の前夜から、私は本家に泊まりました。
初盆には遺族がちょうちんを買うしきたりだそうで、仏壇の前に一対、玄関には
お迎え用の家紋と苗字の入ったものをおじさんが用意してくれてました。

まだ箱のはいったままだった父用の盆のちょうちんを従兄弟達と組み立てました。
5歳の従兄弟の子も、“おばちゃん、どれどうすると?”と手伝ってくれました。
祖母の分とあわせて2組のちょうちんを仏壇の両側に飾ると豪華で、盆の雰囲気
がでてきました。


子供達を寝かしつけた後、1時くらいまでビールを飲んで話してました。
この前会ったのは10年以上前で、従兄弟達がやっと成人したところでした。
今はそれぞれに家庭を持ち、いいお父さん達になってました。
ニュージーランドに住む私に興味があるらしく、いろんな質問がでました。
気候、人々の暮らしから、スノーボードのできるスキー場など若者らしい質問も
ありました。


翌日は、朝9時にお坊さんが来て法要が始まりました。
20分ほどの読経の一区切りついた時に、お坊さんにお茶とお菓子を差し上げま
した。
お茶で一服のあと、後半のお経かと思いきや、お坊さんは袈裟を脱ぎ始め、私達
は“これで終わりなの?”とちょっと驚きました。
お盆はどこの家でもお盆だし、お坊さんも忙しいらしく、短いバージョンでした。
膝が悪くて長く座れないおばさんもいるし、後ろでは子供がそわそわし始めたか
ら、逆にお経は短くてもよかったかもしれません。


お坊さんが帰られてから、線香、ろうそく、仏花を持って、全員でお寺の納骨堂
に向いました。
子供の頃、ラジオ体操をした丘の上の広場、その横の盆踊りの練習に通った公民
館のそばの道を通ってお寺で向いました。
子供の時代に、私はタイムトリップしたようです

納骨堂で、私の父、おばあちゃんを始め我が家のご先祖様にご挨拶です。
この納骨堂の建っているところは、元は菩提寺付属の幼稚園でした。
ここらへんは年寄りが死に家が朽ち果てているところもあり、子供の数がへって
います。
きっと納骨堂のほうが必要とされているのでしょう。
敷地内には、幼稚園の名残のジャングルジムがさびたまま放置されてました。
見るにあわれですが、大人の付き合いに飽きた甥の子供達はしばらく遊んでまし
た。
私とお坊さんは、この幼稚園の同級生でお遊戯会で共演したのを憶えてます。
50年近くたってこういう形で再会するとは、夢にも思いませんでした。


納骨堂から帰るとちょうどお昼時で、料亭から法事用のお弁当が届いてました。
何十年も前からそうしているように、仏間と居間のふすまを取り払い、テーブル
を4つ縦につなげてお食事用に設営します。
仏壇に近いところに年配の叔父叔母、私達姉妹が座り、玄関に近いところに子供
達のお母さんが座りました。
少しお酒がはいると、昔話やら今の仕事のことなど話が盛り上がりました。

本家は、少しの改装はしてあるもののほほ元の形をとどめています。
昔スイカを冷やした井戸はまだあるのとか、かまどはどこ、ヤギ小屋はどこだっ
たなどといとこ達と思い出をたどります。
おばあちゃんが元気だった頃は、この家で私達姉妹も夏休みでやってきた従兄弟
達とよく遊んだものでした。

こうした私達のふるさとが残っており、それを維持してくれている叔父さん夫婦
がいて、昔ながらの法事を本家で行えるのもひとつの贅沢とも言えるでしょう。


お供えの野菜、ほうずき、かぼちゃ、なす、すいか、蓮の花の形をしたラクガン
叔母さんが用意してくれてました。
お供え用の栽培されたソフトボール大のすいかがありました。
昔は食べられる大きなすいかがお供えしてあったのを思い出しました。


今回一番感激したのは、この日のためにおじさんが強力なエアコンを3台も新調
してくれていたことです。
私と妹は、真夏の法事に喪服で読経の間正座するのに、かなり覚悟を決めて来て
ました。
エアコンのおかげで、私は前夜も快適に休めたし、喪服、ストッキング履きでも
耐えられました。


法事にあたってお寺への連絡、お料理、お返しの準備、親族への連絡等、法事を
営むのは簡単なことではあありません。
私達は、初めて親が亡くなったわけですから全く法事の経験がありません。
叔父さん夫婦もおばあちゃんの時は、どうやったかねと試行錯誤でした。
お花の手配、お返しの準備等は私達姉妹でしたものの、叔父さんの全面的協力が
なければ、このような和気藹々とした法事はできなかったと思います。
79歳のおじさんから10ヶ月の赤ん坊にいたるまで、親族の交流を図れたのは、
亡くなった父のおかげでもあると思います。


次は12月4日、父の一周忌に帰ります。
昨年からこの一年の間に、4回日本に行くことになるとは思ってもみませんでし
た。次回は夫とふたりででかけるつもりです。
外国人の夫が、日本の法事にどのように反応するか楽しみです。


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