オークランド通信

のんびりしたお国柄が気に入りニュージーランド在住27年。仕事、子育て、生活全版にわたって語ります。

その32 ビルマ難民その後 09-02-07

2007-08-15 10:00:15 | 第31ー40回
その32 ビルマ難民その後

第23話でビルマ難民のことを書きました。
今回は、最近のオークランド周辺に住むビルマ難民の近況をお伝えします。
前にも書いたように私の夫はビルマ人で、地元ビルマ人友好協会の会長をしています。
この関係のボランティアが、リタイアした彼のライフワークのようになってます。

2006年中は7回にわたり合計200人あまりのビルマ難民がタイ国境付近の難民
キャンプと、マレーシアのクアラルンプールからやってきました。
最初の6週間をオークランド空港近くのRefugee Centreで過ごした後、彼らはニュー
ジーランド各地に受け入れられていきました。
最初のまとまったビルマ難民がニュージーランドに受け入れられたのが2000年。
まる6年が過ぎ、お世話する側もされる側も慣れてきた反面、いろんな問題もおこって
います。


ある朝のこと。
私が朝7時に、コーヒーをいれているとミャさんからまた電話。ミャさんはカレン族の
女性。
ミャさん「おばあさん、私。おじいさんいる?」とビルマ語で。
私「私ってだれ?」
私、「わたしは私よ」とミャさん。
私はあきらめて、まだベッドにいる主人に電話を取り次ぐ。
後で私は主人に小言を言う。
「ちゃんと難民の人たちに、ニュージーランドではよそのお宅に電話していいのは朝9
時から夜9時の間って教えてよね。電話では、まず自分の名前をなのること。それと私
のことをおばあさんというのは許さないから」
どう考えても、私はまだおばあさんと呼ばれる年ではございません。

それに、常識はずれの時間にかかってくる電話はなにか緊急事態が起こったのかと、
不安になってしまう。
世界中に友人、親戚を持つ我が家では、時として時差の計算を間違えて深夜にかけてく
る友人もあるのだが。

後日、主人はミャさん宅に掛け時計を持っていった。
ところが、ミャさんは時計が読めないというのだ。これでは何を言っても無駄である。
子供の頃、ビルマの生まれた村を離れ、ずっとタイ国境付近に隠れ住んでいたので小学
校すら行ってないという。
このミャさん、ドイツやアメリカにいる親戚に電話して先月の電話代が2000ドル以
上になり大問題となった。本人はプリペイのテレフォンカードでかけたので、電話代は
かからないと思っていた。ところが、掛け方が間違っていたらしい。
ミャさん一ヶ月の一家のベネフィット(生活保護)が$1000しかないので、当然一
回では払いきれない。
幸いにWINZ(Work and Income New Zealand)が立て替えて払い、月$100ずつベ
ネフィットから天引きしてくれるという。

電気もないところから来て、いきなり文化的な暮らしを与えられても、まどう事が多い
のが判る。
別の難民はお湯がでるのがうれしくて、毎日バスタブにお湯はってお風呂に入っていたら、
電気代が300ドルを越えたそうである。
一人お風呂に入ると三人がシャワーは入れるくらいの水代、電気代がかかるので、我が
家でもめったとお風呂にはいらない。

カレン人たちは、目上の人を「ボボ(ビルマ語で長老、おじいさん)」と呼ぶそうだ。
それで私の夫をボボ、その妻の私をボアボア(ビルマ語でおばあさん)と呼ぶらしい。
ふつうビルマ人たちは、夫のことをサヤー(ビルマ語で先生)、私のことをサヤマ
(ビルマ語で先生の女性型)と呼んでいる。どちらも先生なので、これは許せる。


別の難民を夫が訪問した時のこと。
Oさん、「ノースの友達のところに行きたいから連れてって」と言う。
夫「住所知ってる?」
Oさん「知らないが、いきゃわかるさ。俺は前に行ったことがあるし、曲がり角に大き
な松の木があった」
松の木一本の目印では、ノース中走り回ってもたどりつかないだろう。


うちの夫は到着したての難民に、ニュージーランドの家庭を見せたくてうちによく連れ
てくる。あるとき、私の留守に来た。
Pさん「うちはフライパンがないから、ここのをくれ」
夫「サヤマに聞かないとだめ、あげられない」
当然私はあげません。たとえ古いフライパンでも、わたしの稼ぎで買った愛用品だし、
あげられません。

ニュージーランドでは、善意ある人々のドネーションで、難民たちは衣類はもちろんの
ことテレビ、DVD、冷蔵庫、ソファなどの高級品などもタダでもらってる。
もらうのが当たり前になっていて、大分厚かましいところもあるのだ。


ある時、夫が難民のグループをスーパーにお買い物の連れていった。
買い物が終わり、Uさん一家がレジでもじもじしてる。
夫が行くと、「サヤー、払ってくれ」
夫は当然払いません。連れていくだけでもガソリン代がかかるわけだし、たとえ大金持
ちであっても難民に無条件に払ってやるのは間違っている。


Uさん一家は、新興住宅地の新築の家に住んでいる。
Housing New Zealandが民間から借受、ほとんどタダに近い家賃でUさん一家に貸し
ているのだ。
隣は40万ドルで売りにでている。近所に住む人たちは、ローンでやっと新居を手に入
れた中流の人たちである。たなぼた式に新居に住む難民一家をどう思うだろう。
Uさん一家にしても、果たして幸せだろうか。
スイッチをいれれば炊飯器でご飯が炊けるのと、森であつめた薪でゆっくり炊いたご飯
とどっちがおいしいだろうか。
まだペンキのにおいのする部屋で寝るより、高床式の板葺きの屋根の下で寝るほうが心
豊かかもしれない。


難民は、自分達の意思とは無関係に、ドイツ、スウェーデン、あるいはニュージーラン
ドと彼らの地図にない土地に送られ、その国の言語を学び生きていかなければならない
訳である。


先日のニュースでも報じられていたが、15年前にやってきたベトナム難民のSさんは、
不動産業で成功し、今回は馬主となったそうだ。
彼は、無一文からパン屋を始め、チェーン店をふやし、現在はパンやの社長と不動産業
を兼業している。
こういう話は、いかにも成功談としてニュージーランドではてはやされる。


いろいろ書きましたが、難民の中には、純情な人、笑顔のかわいい子供達もたくさんい
るのだ。
しかしながら、私達が常識と思っていることが通じない、価値観の違いは大きい。
中には英語どころかビルマ語もしゃべれない人もいる。
私達の西洋社会でいいこと思っていることが、彼らには窮屈できまりだらけと感じない
だろうか。
私達が善意でやっていることを、彼らは感謝しているのだろうか。
ボランティア活動の難しさを感じる今日この頃である。
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