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11年目の縦軸 27歳-4

2013年11月28日 | 11年目の縦軸
27歳-4

 策略を練る。言葉としては、表立って使いたくないものだ。そこには明るみに出したくないものが含まれており、成分としていささかの悪も内在されている。だが、ひとは追いつめられると、多少は計画を練る。反対だろうか? 追いつめられると自暴自棄なことをして、八方ふさがりになると、いろいろな可能性を探る。そして、自分の利益にならないよう計画を立てることもしない。だから、自分にとって好都合なこと、優遇されることを望んで計画を立てた。

 ぼくは請求書を渡辺さんに持っていく。毎月、欠かせない仕事だった。普段、準備ができれば午前中の早いうちに手渡していた。ずっと。ある朝、考えた。策略を練った。夕方のぎりぎりの時間に持参すれば、その後の時間を自分のものにできるのではないかという浅はかなプランを。ぼくは、仕事でこの辺を廻っていたので、といういくらか誇張した言い訳を見出し、渡辺さんに会った。仕事として会った。

「いつも、午前だったかしら?」

 ぼくが非礼でもないが、時間を変えたことを敢えて詫びると、渡辺さんはそう答えた。なんだ、本当のところは気にもしていなかったのか。渡辺さんは、今日の仕事は一段落していたようで、いつもより寛いでいて、慌ただしさなど微塵もない様子だった。ぼくらは対面に座り、どうでもよい内容の会話をつづけた。朝に立てた予定はすべて消化されている。早い時間に来た先月までは、その予定はもちろん途中でいろいろと片付けなければならないことがあったのだろう。用事が済むとぼくは直ぐに立ち去って、止める必要もない渡辺さんは簡単に挨拶をすますと未練のないひとの特徴のように、背を向けて奥にと消えた。ぼくはエレベーターのボタンを押し、振り返って何度も入口を見たが、そこに渡辺さんの姿などあるわけもなかった。

「お腹、空きますね、この時間になると」ぼくは、意味ももたせない口調でそう言う。
「お腹、空きますよね」
「この辺に、どこか、おいしい店ってあるんですか? たまにしか来ないところだから、珍しく外食でもして帰ろうかな」ぼくは誘い水のように仕向ける言葉を出した。
「ありますよ。たまに顔を出すところ」
「どこですか?」

 彼女はもって生まれた性格通りにきちんと説明しようとする。だが、場所を特定することが不案内のようで、ぼくは空想の路上でさまよった。歩いてきた駅はそちらにはない。左に見えた商店がなぜだか反対にあった。

「ごめんなさい。もうすぐ終業なので、いっしょに出ましょう」彼女は困惑と笑顔の完全なる比率で合体した表情があることをぼくに教えてくれた。
 一隅は都心のそばでありながら外気のすがすがしい場所だった。

「ひとりでご飯を食べるって、味気ないですよね」ぼくに歩くペースを合わそうと意識している彼女のリズミカルな歩調は愛らしかった。
「でも、なれっこだから」ぼくは意に反してそう答える。事実は、事実だ。策略のない事実だ。
「ひとりでお店でご飯食べるの、まったく気にしない? 平気?」仕事を離れると彼女の言葉遣い、特に語尾が多少かわった。
「あまり長居もしなければ、平気だよ」
「ここ。おいしんだよ。わたしも食べたくなったな」
「じゃあ、いっしょにどう?」
「いいの?」

「いいよ、もちろん」策略を練る。そうそう思い通りに運ばないのも計画の一端だ。ラフやバンカーを目指して球を打つわけではない。結果として、そちらに行っただけなのだ。結果として。だが、まぐれの確立など誰も数値として証明できない。そして、世の中は数値だけで計るべきものでもない。もしくは、大まかな数字だけをつかんでいるに過ぎないのだ。ご飯、一膳と、茶碗内のご飯粒の絶対数など相容れない脳でもある。

 好き嫌いのある女性もいたし、これほど旨いものを敬遠するひともいるのか、と思うひとなど様々なひとと食事をしてきた。渡辺さんはゆっくりと味わいながら食べている。ぼくは彼女の可憐な手首についている、これまた可憐な腕時計を見た。時というものをひとは大事にする。あるときから、時というものがぼくたちを無残に置き去りにする。自分の味方だと思っていたものが、急に敵に回った。時間を奪い、ゆっくりと進むことを軽蔑した。その一定に運行する時はまた、様々な苦悩を時間をかけて濾過した。エスプレッソのようにその抽出された傷を、ぼくはあるこころのポケットにしまった。もう湿度もそれほどない。しかし、乾ききってもいない。いくつかの思い出の抽出が、ぼくの生きた形跡のすべての証拠となり得た。

「これ、苦手?」

 ぼくが皿の横にはじいたものを彼女は目ざとく見とがめた。
「食べられないというほど、嫌いじゃないけど、なるべくなら入っていない方がいい」

 悲しみもなるべくなら遠ざけたかったが、もし、それがひとつもなければ、ぼくの形跡も同時に消えた。
「食べると、おいしいのに」

 泳げると、楽しいのに。いくつかの外国語が話せると、もっと、楽しいし潤うのに。別れがなければ、悲しみは少なくなるのに。ぼくらは選択の結果を、自分が選ぼうが、選ばされようが、逃げてしまったある目標のことや、挑まなかった経験を受け入れざるを得なかった。でも、できないものはできないし、できなかったことはできなかったのだ。こぼれたミルク。何リットルだろうが、数滴だろうが、こぼれたミルクも戻らない。


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