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11年目の縦軸 16歳-4

2013年11月26日 | 11年目の縦軸
16歳-4

 ふたりは別の惑星にいるわけではない。周りのひとと同じく地面に足を着け、同じような時間の流れに逆らうこともないまま日々を過ごしていた。誰かを熱烈に欲するということが違うかもしれないが、もしかしたら、多くのひともそうしているのかもしれない。だが、別の誰かがそうした感情に支配されていたとしても、ふたりにはまったく関係ないことだった。地球のどこかの白夜と同じで。

 ぼくと彼女は自分の町を歩き回る。車もバイクの免許ももっていない。大人に満たない年齢といえばそれまでだが、この数年、もっと短く区切ればこの数か月を通過するころがいちばん楽しいのかもしれない。同伴者もいることだし。

 しかし、自分たちのふたりだけの惑星ではないことを思い知る。彼女の視線を通して。自分がなにを見るということだけではなく、相手がなにを見るのかということをも少しずつ気にしていくことになった。

 ぼくらには、数百人の同級生がいた。彼らにも数人ずつ、兄弟や姉妹がいた。ぼくは友人の兄の姿を目にする。同じ期間に、同じ学校に通うほど年は近くない。向こうがぼくのことを認識しているかどうかも不明だ。だが、ぼくは知っている。格好良い先輩というシンボリックなイメージを伴ったひととして。挨拶をする程度でもない。さらに彼から見れば若造という範疇にいるだけのぼくらかもしれない。だから、ぼくは横を素通りするときも何も話さない。

 驚いたことに彼女も無言でも、彼女のふたつの目は冗舌だった。ぼくはいささかも劣等感を抱かなかったが、容姿は目に留まりやすい長所であるということを思い知った。

「見惚れてなかった?」と、ぼくはとがめる口調でもなくそう訊いた。
「○○のお兄ちゃんだよね、格好いいよね!」と、羨望の気持ちが加わった声を発した。

 ぼくも数歳下の、年の離れた女性たちから冷やかされるような言葉を望んだ。しかし、やはりそれも本心ではない。ぼくを認めるのは彼女だけでいいのだ。そして、その兄は手放しで誉めたくなるような外見の持ち主で、ぼくがどう否定しようとも素晴らしさは消えないのだろう。ぼくらはふたりだけの世界には住めない。それだから、ぼくは彼女といる時間が貴重であり、かつ貴いのだとも思おうとした。

 テレビの中にいる男性をもし彼女が好きになったとしても嫉妬するにあたらない。それは別世界の話なのだから。友人の兄も同じ境遇にいた。彼女とその男性は同じ時間を共有していない。目にするのと、身近に感じるのはあまりにも違うことだった。違うことや隔たったことに、ぼくらは嫉妬さえ容易にできなかった。

 といっても、ぼくは嫉妬という状態がどういうものであるのか知りもしなかった。そのやりきれない経験の箱を受け取ったこともなく、もちろん開封したこともなかった。どこかの私書箱にたまっているのかもしれないが、ぼくとは無関係であった。だが、未来のどこかで感じるであろうことは薄々と知っていた。白髪や、年金と同じように。

 架空のことをぼくはまだうまく説明できない。失うものを貴重なものだったとして後悔し、その再取得が難しいことが嫉妬につながるのだろう。ぼくは得ている。得ている状態が普通であり、通常のことだと決めていた。どこに嫉妬の萌芽があるのだろう。まったくないのだ。

 山火事がメラメラと面積をひろげていく。もうどうすることもできない。ニュースで目にしたことのある場面だ。あの見慣れた道路を歩くぼくには、奪われるという心配もない。彼女はただ美しい花に目をとめただけなのだろう。可愛い犬を目で追っただけなのだろう。そのぐらいの意味しか、あの友人の兄への視線に含まれていなかった。

 ぼくもテレビに出るタレントのことを好きになるぐらいのことはあった。だからといって彼女への忠信や、疑念や、彼女そのものの価値が目減りすることもなかった。そのテレビのなかの女性たちには、青空が美しいとか、ひまわりが咲いたという別次元の美をあらわしているに過ぎない。もっと身近にいて、自分の言葉に反応して、さらには自分が思った以上の愛らしさを返してくれるという副次的な喜びがあるべきだった。別れが近づけば淋しそうな顔をして、次回の会う約束を数学者が理論を解明したときのようにじわじわと喜んで、それでも、淋しさをまぎらわすように陽気に手を振って、という流れがあった。

 ぼくはひとりになって歩く。そこに居なくなった人間を不思議と想像できるような仕組みに頭はなっていた。ぼくは惑星にひとりでいる。途中にバイクが横を通り過ぎる。ガソリンスタンドがあり満タンにした車を見送る働き手を、ぼくが見る風景の一部として機能させていた。居なくなった飼い主を改札の外で待ちつづける犬がいる。高等な人間はもっとその存在をあでやかに、つややかに想像することができるのだろう。ぼくは帰り道にそうしていた。妨害するものはなにもなく、いくつかの信号が停まることを命じるが、その時間もぼくは味方にして、彼女の今日の姿をもう一度、再現した。


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