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物語の連鎖
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11年目の縦軸 38歳-42

2014年07月31日 | 11年目の縦軸
38歳-42

 支流だと思っていたものの、上流からの水が干上がり、放出する側も滞れば、もう流れとは呼べなくなった。堰き止められたものはゴミを貯め、透明度を失う。だが、ひとりの女性がいなくなっただけで、ぼくの世界がすべて消えると考えるほどには、夢中にはなっていなかった。手元にのこる趣味がある。カメラがあり、買い集めたCDやレコードのすべてが津波で流れ去ってしまったわけでもない。堰き止められたなかに大切なものも少なくない程度にあった。

 それらとは長い期間を通して親しくなっていた。手のひらや息という実際の温度で直になぐさめてくれるわけでもないが、ひとりの夜に無視するほど冷酷な媒体でもない。あるレベルまでにはときめきをもたらさないが、友人との酒を酌み交わす日々もあった。学ぶという作業もいまだにのこっており、また反対に学びえない事実というのも経験と結果をこうして提示され、有無を言わせず教え込まれた。

 ぼくはひとりの女性と永続させる関係を築けない欠陥品なのだ。それは、十六才のあの経験が刻んでしまった遺産だった。戻ってやり直しが利かない以上、抵抗も恨みも起こらない。若気の至りで自分の身に色を彫ってしまっても、その状態が長引けば、これが自分だと認めるしか方法も解決もなかった。

 誰も悪くない。ついでにおまけのように上手くまぶせて誤魔化してしまえば、ぼくも悪くない。みなどれも若くて青い時期に判断をくだした積み重ねであり、失敗したとしてもぼくの判断でそうなったために、慎ましい責任も生じた。親や教師のアドバイスもない代わりに、自分のこころが先頭を突っ走っての判断であるので、悪いことでも身軽な責めであると認められた。うまく説明できたとも思えないが、だから、ぼくも悪くない。ぼくの買い集めたレコードも悪い趣味ではないのだから。

 ある面では自分の子孫へバトンをつなぐのが人類たる個々の運命だとも呼べた。そう考えればぼくはレールからもコースからも外れた。六十億人以上がいれば、不具合がある人間がいても、ある程度は、計算のうちの誤差や妥当という大まかな意味合いで済ませることは可能であろう。

 ぼくは悪くない。

 十七才のある夜に人生を終わらすことだってできたのだ。ぼくは悪くない。

 希美と沖縄に旅行に行き、それをハワイの新婚旅行という思い出として重ねることもできたのだ。ぼくは悪くない。

 もっと音楽の趣味も悪く、つまらない曲に感動することも起こり得たのだ。ぼくは悪くない。一冊の本も読まない人生だって、ぼくの学力では当然かもしれなかったのだ。ぼくは悪くない。

 サリンを精製して、地下鉄にばら撒くことに喜びを感じる人生も、まったくなかった訳でもないのだ。ぼくは悪くない。幼児に必要以上の愛着をわかす趣味も植え付けられたかもしれなく、嗜好が芽生えることも皆無ではないのだ。ぼくは悪くない。

 だが、総じてぼくは悪かった。悪いということを認めるのが、これからの花を咲かす機会ともなるのだ。

 ぼくは悪い。

 あの少女に再会したときに、もう二度と離さないと口にしなかった自分は、誰よりも冷たく、愛が足りないという意味で悪かった。悪夢を彼女につくった。

 希美を成田で送った夜に彼女の友だちと過ごした夜も悪かった。世界は報いを与えたがり、罰の行使も容認という風には簡単にすすまなかった。どこかで痒い背中には誰かの手が伸びるのだ。神も悪魔もいなくても、どこかで水平と均衡というバランスを保つ物差しが世界を支配しようとしていた。ぼくは、いろいろなものから逃げおおせたつもりだった。

 ぼくは悪かった。買い集めたレコードと同じ列に絵美を置く自分は最悪だった。卑劣であり、人間の記録を書く権利も義務も有するはずもなかった。ひとりとなって淋しい未来を冷たく固い布団で迎えるのが当然だった。

 ぼくは悪くもなく、良くもない。いつもながら中庸だった。犯罪者にもならず、正義の使者でもない。絶えず寄付を念頭におくこともなければ、収賄や賄賂も知らない。失敗でなにごとかを学び、完全には失敗を生かし切れないということでも普通だった。その普通たる、圧倒的な美も絶大なる権力もない自分を少なくとも三人は一時的にせよ愛してくれた。全力で、愛してくれた。ぼくは勝利者である。

 ぼくはあるいは敗者である。

 その全力を闘牛の猛進でもあるかのように身体をひるがえした自分は、勝利をおさめたように見せかける敗者である。衣装を汚さないという面だけが華やかであると勘違いして。

 彼女らは鮮血を流した。

 ぼくは愛した女性たちを牛と同列に置く、悪人である。この文章が見事であるかどうかだけを大事にしている極悪人である。彼女らの涙にハンカチを差し出すことより、てにをは、だけを気にしている身勝手な自己中心的な悪人である。

 ぼくはひとりになった。親も子も血の遺伝も介在させないただひとりの人間である。

 数滴の液体を彼女らに居座らせようとしながら、結局は失敗した失笑されるべき恥にも無頓着になれる、貴重な潜在的な悪人である。これらをひっくるめて後天的な芸術家を目指したが、これもどうやら終わりになりそうだった。やっと肩の荷が降りる。


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