朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

ピダムの正体

2010年05月28日 | 善徳女王
その正体が明かされるのはもう少し先のことかと思っていたが、視聴者には意外にあっさりと伝えられてしまった。

毗曇(ピダム)はなんとミシルの子供だったわけである。(もちろんドラマ上の設定で史実ではない)

「善徳女王」の初回で子供を抱いたミシルが真智王に認知を迫り、断られて赤子を宮殿に置き去りにするシーンがあるが、あの赤ちゃんが実はピダムだったわけだ。

設定上は一応、真智王とミシルの子ということなので、真智王が廃位されなければピダムは真骨(シンゴル)にあたる身分だったということになる。

そして真智王の子供ということであればチョンミョンの旦那であったヨンス(龍春)とは兄弟関係になり、ということはチョンミョンは義理の姉で、その妹のトンマンは・・・えーと、どうなるんだった?ややこしいな。

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1 コメント

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平清盛 (猪目)
2012-07-08 11:32:15
白河院の落し胤っていうのは、日本人の中では実しやかに言い伝えられていますよね。某国営TV?でも確かそういう設定で進行していたかと…。
では、何故そんな風に言われたかと言うと、源氏の扱いとは余りに差が有り過ぎた、という処からではないのか、という処からだと思うのです。
一方、ピダム、歴史的に「毗曇の乱」というのが史実としてあり、その身分は最終的に上大等(サンテドゥン)という最高位、上流貴族でないと到底到達出来ない位、でありながら、その出生が有耶無耶だという処。ひょっとして…、という憶測が生れる要素がありありではなかったでしょうか?
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