「とほ川」と読みます。
丙戌(へいしゅつ)に、旦(あした)に、朝明郡の迹太川辺(とほかわのへ)に、天照太神を望拝みたまふ。
日本書紀、天武紀にみえる記述です。
天武元年6月26日朝、天皇は朝明郡の迹太川のほとりで、天照大神を望拝されたとある。
今年、7月に名張市で行なわれるイベントに出演させて頂けることになりました。
(詳細はHPをご覧下さい)
既に、昨秋より準備をすすめております。
記述の詳しい考察につきましては、学者でもなんでもない万葉うたいびとですので、万葉歌コンサートをもってあきらかにしたいと思っておりますが、今回は、この迹太川がどういった風土にあるのか自分の目で確かめるべく、いざ出陣!
まず、現在において、迹太川なる川は存在しておらず、朝明郡(現、四日市市北部、三重郡菰野町、朝日町、川越町からなる)とあることから、現在の朝明川(あさけがわ)が有力説となっている。
遥拝所の石碑が、四日市市大矢知町1714に所在する。
但し、この場所から朝明川までは2キロ以上と離れており、立派な石碑が建立されているも学者さんたちの間では否定的な見地であるのが実情だ。
そこで、壬申の乱ルートを確認して、ルート上から遠ざからない程度で、自身の腰の具合と相談しながら、しかも駅から程近いのを条件にあげ事前に探してみることにした。
そんな調子のいいところは、、、と思いきや、選んだ場所は、三重県四日市市にある平津(へいづ)駅付近の朝明川のほとり。
名古屋から近鉄名古屋線で近鉄富田駅(桑名と四日市の間)で三岐鉄道に乗り換え、2つ目の駅である。
今迄何気に乗っていた近鉄特急から見えていた川が朝明川だったとは、無知である。
あこがれの三岐鉄道。特急車窓越しにローカル線の雰囲気漂うこの車両に乗ってみたかった私、こんな形で乗車できる日がくるなんて。
その三岐鉄道への乗り換え方がわからない。
駅員さんにきいてみたら、一旦改札を出て、窓口で切符を買い求め、再度近鉄の改札から乗車できるとの事。
なるほどね。
帰りの切符も不安だったので往復買ってみた。嬉しい紙切符。
ふふふ。
いざ、単線ワンマンの三岐鉄道に乗車〜。
正面には鈴鹿山脈が一望できる素晴らしいパノラマ。
単線なので、電車との行き交えは駅〜。
へいづに到着。
駅を下りて地元の郷土資料館発行の資料をゲット。地元の情報はありがたい。程なく旧道に出る。
なんでも、三重県四日市市富田一色から鈴鹿山脈を越えて滋賀県へ行くルートで、八風(はっぷう)街道と言うと、駅員のおばさまと乗客の地元の人が親切に教えて下さった。
万葉故地を訪ねる度、やはり地元の方と会話を交わせるのが嬉しい。
その土地の雰囲気が、会話の中から伝わるというと大げさかもしれないが、なにかしら感じるものを大切にしたいと思っている。
店の名前も「あさけ」とある。ほっこりする瞬間だ。
この旧道が、朝明川沿いを沿っているのもいい。
上流方向にみえる雪山は、1000m級の鈴鹿山系の一部にあたる山々。
晴天を狙って、でかけたのは、ナイス選択!
いよいよ朝明川である。
下流方向はいうまでもなく伊勢湾、上流方向は、鈴鹿山脈、そして南の方向が伊勢あたりになるかと思われる場所である。
川の辺をどこに求めるかということであるが、やはり万葉うたいびとたるもの、何としてでもこの川岸に下りてみなければならぬ。
ということで、近所の方に下りられそうな場所を尋ねてみると、階段はないものの、護岸工事でコンクリートが組んであるあたりなら頑張れば下りられるのではないか、、、疑心暗鬼なおじさんの表情とはうらはらに耳寄りな!?情報を得、いざゆかん。
12月は、もう歩けなくなるかと思っていた腰痛が、正月明けから何かが落ちたように調子がいいのも手伝ってくれて、、、、
何とか命がけで迹太川の辺を歩く事ができた。
ちなみに人間の足跡は、私のものだけ。
これがまた嬉し。
綺麗な川である。昔は鮎もいたと駅で出会った方が話してみえたのもうなづける。
撮影を終え、行きはよいよいである。
下りた堤防を上がらねば、、、草につかまり、滑り落ちそうなコンクリートを這い上がり、、、、あとは想像にお任せします。
上りきった後は、ひっつき虫まみれでした。
前回近鉄特急で、近鉄富田駅付近にあがる太陽の時間と方向を確認した上での迹太川の辺は、ほぼイメージ通りの感触を得ることができた。
ここまできたので、やはり遥拝所も訪ねてみようと、今度は富田駅に戻り、徒歩にて移動。
ところがである。
迷子になりました。
地元の人、数人に聞くも、わからないとの返答やら、見当つけてきた方向と逆方向を示され不安が。
今どきスマホを持ち歩けば、こんな手間はかからないのだが、不便なことが楽しい。
仕事中の妹に、調べてもらって再度仕切り直し。迷惑な姉である。
十四川沿いを歩く。
近く迄きたら、斎宮橋とやらが。
ようやく到着。住宅街の一画。立派な石碑であった。
さあ、富田駅に帰らねば。
ええ〜!遥か向こうに駅が。
帰宅したのは、予定時刻を3時間以上も過ぎていた。
今朝は、腰が痛い、、、。
養生の一日。。。
迹太川の辺の続きは、7月4日、名張市での上演で。
是非、お越し下さいませ。
丙戌(へいしゅつ)に、旦(あした)に、朝明郡の迹太川辺(とほかわのへ)に、天照太神を望拝みたまふ。
日本書紀、天武紀にみえる記述です。
天武元年6月26日朝、天皇は朝明郡の迹太川のほとりで、天照大神を望拝されたとある。
今年、7月に名張市で行なわれるイベントに出演させて頂けることになりました。
(詳細はHPをご覧下さい)
既に、昨秋より準備をすすめております。
記述の詳しい考察につきましては、学者でもなんでもない万葉うたいびとですので、万葉歌コンサートをもってあきらかにしたいと思っておりますが、今回は、この迹太川がどういった風土にあるのか自分の目で確かめるべく、いざ出陣!
まず、現在において、迹太川なる川は存在しておらず、朝明郡(現、四日市市北部、三重郡菰野町、朝日町、川越町からなる)とあることから、現在の朝明川(あさけがわ)が有力説となっている。
遥拝所の石碑が、四日市市大矢知町1714に所在する。
但し、この場所から朝明川までは2キロ以上と離れており、立派な石碑が建立されているも学者さんたちの間では否定的な見地であるのが実情だ。
そこで、壬申の乱ルートを確認して、ルート上から遠ざからない程度で、自身の腰の具合と相談しながら、しかも駅から程近いのを条件にあげ事前に探してみることにした。
そんな調子のいいところは、、、と思いきや、選んだ場所は、三重県四日市市にある平津(へいづ)駅付近の朝明川のほとり。
名古屋から近鉄名古屋線で近鉄富田駅(桑名と四日市の間)で三岐鉄道に乗り換え、2つ目の駅である。
今迄何気に乗っていた近鉄特急から見えていた川が朝明川だったとは、無知である。
あこがれの三岐鉄道。特急車窓越しにローカル線の雰囲気漂うこの車両に乗ってみたかった私、こんな形で乗車できる日がくるなんて。
その三岐鉄道への乗り換え方がわからない。
駅員さんにきいてみたら、一旦改札を出て、窓口で切符を買い求め、再度近鉄の改札から乗車できるとの事。
なるほどね。
帰りの切符も不安だったので往復買ってみた。嬉しい紙切符。
ふふふ。
いざ、単線ワンマンの三岐鉄道に乗車〜。
正面には鈴鹿山脈が一望できる素晴らしいパノラマ。
単線なので、電車との行き交えは駅〜。
へいづに到着。
駅を下りて地元の郷土資料館発行の資料をゲット。地元の情報はありがたい。程なく旧道に出る。
なんでも、三重県四日市市富田一色から鈴鹿山脈を越えて滋賀県へ行くルートで、八風(はっぷう)街道と言うと、駅員のおばさまと乗客の地元の人が親切に教えて下さった。
万葉故地を訪ねる度、やはり地元の方と会話を交わせるのが嬉しい。
その土地の雰囲気が、会話の中から伝わるというと大げさかもしれないが、なにかしら感じるものを大切にしたいと思っている。
店の名前も「あさけ」とある。ほっこりする瞬間だ。
この旧道が、朝明川沿いを沿っているのもいい。
上流方向にみえる雪山は、1000m級の鈴鹿山系の一部にあたる山々。
晴天を狙って、でかけたのは、ナイス選択!
いよいよ朝明川である。
下流方向はいうまでもなく伊勢湾、上流方向は、鈴鹿山脈、そして南の方向が伊勢あたりになるかと思われる場所である。
川の辺をどこに求めるかということであるが、やはり万葉うたいびとたるもの、何としてでもこの川岸に下りてみなければならぬ。
ということで、近所の方に下りられそうな場所を尋ねてみると、階段はないものの、護岸工事でコンクリートが組んであるあたりなら頑張れば下りられるのではないか、、、疑心暗鬼なおじさんの表情とはうらはらに耳寄りな!?情報を得、いざゆかん。
12月は、もう歩けなくなるかと思っていた腰痛が、正月明けから何かが落ちたように調子がいいのも手伝ってくれて、、、、
何とか命がけで迹太川の辺を歩く事ができた。
ちなみに人間の足跡は、私のものだけ。
これがまた嬉し。
綺麗な川である。昔は鮎もいたと駅で出会った方が話してみえたのもうなづける。
撮影を終え、行きはよいよいである。
下りた堤防を上がらねば、、、草につかまり、滑り落ちそうなコンクリートを這い上がり、、、、あとは想像にお任せします。
上りきった後は、ひっつき虫まみれでした。
前回近鉄特急で、近鉄富田駅付近にあがる太陽の時間と方向を確認した上での迹太川の辺は、ほぼイメージ通りの感触を得ることができた。
ここまできたので、やはり遥拝所も訪ねてみようと、今度は富田駅に戻り、徒歩にて移動。
ところがである。
迷子になりました。
地元の人、数人に聞くも、わからないとの返答やら、見当つけてきた方向と逆方向を示され不安が。
今どきスマホを持ち歩けば、こんな手間はかからないのだが、不便なことが楽しい。
仕事中の妹に、調べてもらって再度仕切り直し。迷惑な姉である。
十四川沿いを歩く。
近く迄きたら、斎宮橋とやらが。
ようやく到着。住宅街の一画。立派な石碑であった。
さあ、富田駅に帰らねば。
ええ〜!遥か向こうに駅が。
帰宅したのは、予定時刻を3時間以上も過ぎていた。
今朝は、腰が痛い、、、。
養生の一日。。。
迹太川の辺の続きは、7月4日、名張市での上演で。
是非、お越し下さいませ。
恐れ入ります。ありがとうございます。
私は全くの方向音痴でどうも東西南北に弱い、、、。
それでも万葉故地探訪は、どこをいっても楽しいものですね。
さて、明日香の現地説明会。私も行けそうにありませんが、飛鳥に思いを馳せるだけで1300年以上前の歴史舞台がよみがえってくるのを楽しんでおります。
万葉歌の制作も、愛知にいながらにして、こうして故地を歩く機会をもつことにより、古代をあぶり出すことができるのも1つの楽しみです。
まだまだ未熟です。
ところで、先日上野先生の万葉オペラいってきました。多忙な先生ですのに、本日お礼状を頂き、敬服している私です。いつお書きになっていらっしゃるのかしら。きっと時間を作り出していらっしゃるんですね。おかげさまで楽しいひと時を過ごして参りました。
今年は多度に行けないので、桑名・四日市方面は昨年で中断したままですが、この地区の頭の空白は埋めていきたいです。
また、なめのはざまがおか・近ければ明日香村の現地説明会にも行きたいところですが、残念です。
いつもありがとうございます。
今回の主題はあくまで伊勢行幸。しかしながら壬申の乱なくして伊勢行幸が語れないことを知ってしまった私は、大舞台となった迹太川を確認すべくの旅となりました。
四日市=コンビナート、工業地帯だった私の中で新たな万葉故地となった日でもありました。
さて舒明天皇陵。ご存知の通り、忍阪にその本拠がありますが、今回改葬される前の初葬墓がみつかったということで、日曜日は久しぶりに飛鳥に人波が押し寄せるのではないでしょうか。
蘇我氏との関連を指摘されている先生もいらっしゃるようですが、滑谷岡であってほしいものですね。
18日の現地説明会、残念ながら仕事で参加できませんが。
四日市周辺にいらっしゃっていたのですね。采女や追分などという地名もありますし、工業地域ではありますが、裏道は歴史ゾーンですよね。
たくさんの写真とともに、いい文章をありがとうございました。