忍阪区とのご縁のおかげもあって、ここ近年は特に奈良に行く機会が一層増えた。
ありがたいことだ。
ところがよくよく考えてみると、いつもレコーディングであったりミーティングであったりと所用が入っての訪問で、なかなかじっくりと奈良を、、、という訳ではないのだ。
忍阪の魅力に引き寄せられた私であるが、思い返せばゆっくり探訪できたのはいつだっただろうか。
万葉歌を歌っている私にとって、風土を歩いて感じることは、作詞するにも、そして作曲する上においても必要不可欠なのである。
また歌を作る過程においても、また歌ができてからにおいても、今の私にとってはどちらも曲づくりの上で重要なポイントとなり、それは表現力として影響されてくるものとなる。
秋の空はかわりやすいと昔からいわれているように、晩秋の昨今、天気予報をチエックする日が続いていた。
自分だけの都合で動ける身分では残念ながらないので、周囲の様子も伺いながら(笑)
ちょうど、先週の土曜日のこと。
夜21時の天気予報をみていたら、
「翌日、日曜日の朝は一番の冷え込みとなりますが、日中は4~5℃高い暖かなお天気となるでしょう」と。
「年内で動ける日は明日しかない!」そう決めたら、早かった。
母の介護をすぐに妹に懇願して嫌みをいわれながらも(笑)、なんとか了解を得る事ができたのが22時すぎ。
翌朝は5時20分に家をでた。
そして、奈良県桜井市の大和朝倉駅についたのが朝9時過ぎ。
先日の忍坂街道まつりは、桜井市ウオーキングフェスティバルも同時に行なわれており、その中で設定されていた忍阪コースを歩くことを決めていた私だった。
事前に、いろんな方からなんとなく聞いていたコースを頼りに、迷ったら現地で聞き聞き歩いてみた。
(冷え込んだ朝、草木に降りた霜が朝日を浴びて水蒸気となって沸き立つ)
(いい日となりそう)
今回のコースは、桜井市竜谷から忍阪の奥の谷にでる山越えのコース。
(竜谷入り口付近)
(入り口付近の様子、まさかこの先があんなになってるとは、、、)
(野あざみ)
(まだまだ余裕の私)
いつも忍阪側からみる竜谷方面だったが、今回は真逆のコース。
出口をイメージして、とにかく忍坂山の頂上の山容だけを頼りに、ひたすら歩く。
想像以上に山越えの古道で、道は整備されているものの今迄歩いた山道の中では一番の難所である。
不思議と変な人と出逢う怖さはなかった。
(どんどん突き進みます)
怖かったのはいのししの存在だけ(笑)まあ、食べられる事はないだろうが、仲間と思って襲われたらかなわないな、、、とそんなことを思いながら、木の枝を片手に歌を歌いながら、ただひたすら山道を進み行く私。
途中、何カ所か二股の道が。
運命の分かれ道か!?
携帯電話をもっていたものの電波の届かない場所ではただの箱にすぎないし、近代の道具はどうしても使いたくなかった(笑)
そんな中、音のない世界で私の行くべき道を指し示してくれたのは、標結(しめゆひ)だった。
木に巻き付けられた赤いテープ。
いにしえ人も、きっとこうした「標」を頼りに、古道を歩いたのだろう。
私の歩いたのは、太陽の世界。
(ここまで歩いてはじめてあった看板。この道で合ってたと確信できた瞬間でもある。山頂が近いらしく、忍坂山頂上の看板もこの近くにあった)
(ここから下り坂)
万葉集に詠まれた歌には、夜の山道を歩く歌も何首もある。
月明かりがどんなに愛しかったことであろうか。。。
そんな想いにふけながら山道を歩く事、約1時間。
(忍阪側に入ると、整備された古道となる。安全面を配慮してのロープがありがたい)
(すべり止めに丸太がかってあった)
総工程は、1時間30分程であったが、見慣れた忍阪の景色が眼下に飛び込んできた時は、正直泣けそうだった。
静寂な空間。聞こえるのは鳥の鳴き声と樹の下隠り逝く水の音だけ。
人1人誰とも行き交うことはなく、今回はそれが一つの目的でもあった。
無の空間は、私の万葉歌への感性をいつも高めてくれる。
たまにはこんな旅もあっていい。
女心と秋の空。
翌日は、小寒い雨のお天気であった。
ありがたいことだ。
ところがよくよく考えてみると、いつもレコーディングであったりミーティングであったりと所用が入っての訪問で、なかなかじっくりと奈良を、、、という訳ではないのだ。
忍阪の魅力に引き寄せられた私であるが、思い返せばゆっくり探訪できたのはいつだっただろうか。
万葉歌を歌っている私にとって、風土を歩いて感じることは、作詞するにも、そして作曲する上においても必要不可欠なのである。
また歌を作る過程においても、また歌ができてからにおいても、今の私にとってはどちらも曲づくりの上で重要なポイントとなり、それは表現力として影響されてくるものとなる。
秋の空はかわりやすいと昔からいわれているように、晩秋の昨今、天気予報をチエックする日が続いていた。
自分だけの都合で動ける身分では残念ながらないので、周囲の様子も伺いながら(笑)
ちょうど、先週の土曜日のこと。
夜21時の天気予報をみていたら、
「翌日、日曜日の朝は一番の冷え込みとなりますが、日中は4~5℃高い暖かなお天気となるでしょう」と。
「年内で動ける日は明日しかない!」そう決めたら、早かった。
母の介護をすぐに妹に懇願して嫌みをいわれながらも(笑)、なんとか了解を得る事ができたのが22時すぎ。
翌朝は5時20分に家をでた。
そして、奈良県桜井市の大和朝倉駅についたのが朝9時過ぎ。
先日の忍坂街道まつりは、桜井市ウオーキングフェスティバルも同時に行なわれており、その中で設定されていた忍阪コースを歩くことを決めていた私だった。
事前に、いろんな方からなんとなく聞いていたコースを頼りに、迷ったら現地で聞き聞き歩いてみた。
(冷え込んだ朝、草木に降りた霜が朝日を浴びて水蒸気となって沸き立つ)
(いい日となりそう)
今回のコースは、桜井市竜谷から忍阪の奥の谷にでる山越えのコース。
(竜谷入り口付近)
(入り口付近の様子、まさかこの先があんなになってるとは、、、)
(野あざみ)
(まだまだ余裕の私)
いつも忍阪側からみる竜谷方面だったが、今回は真逆のコース。
出口をイメージして、とにかく忍坂山の頂上の山容だけを頼りに、ひたすら歩く。
想像以上に山越えの古道で、道は整備されているものの今迄歩いた山道の中では一番の難所である。
不思議と変な人と出逢う怖さはなかった。
(どんどん突き進みます)
怖かったのはいのししの存在だけ(笑)まあ、食べられる事はないだろうが、仲間と思って襲われたらかなわないな、、、とそんなことを思いながら、木の枝を片手に歌を歌いながら、ただひたすら山道を進み行く私。
途中、何カ所か二股の道が。
運命の分かれ道か!?
携帯電話をもっていたものの電波の届かない場所ではただの箱にすぎないし、近代の道具はどうしても使いたくなかった(笑)
そんな中、音のない世界で私の行くべき道を指し示してくれたのは、標結(しめゆひ)だった。
木に巻き付けられた赤いテープ。
いにしえ人も、きっとこうした「標」を頼りに、古道を歩いたのだろう。
私の歩いたのは、太陽の世界。
(ここまで歩いてはじめてあった看板。この道で合ってたと確信できた瞬間でもある。山頂が近いらしく、忍坂山頂上の看板もこの近くにあった)
(ここから下り坂)
万葉集に詠まれた歌には、夜の山道を歩く歌も何首もある。
月明かりがどんなに愛しかったことであろうか。。。
そんな想いにふけながら山道を歩く事、約1時間。
(忍阪側に入ると、整備された古道となる。安全面を配慮してのロープがありがたい)
(すべり止めに丸太がかってあった)
総工程は、1時間30分程であったが、見慣れた忍阪の景色が眼下に飛び込んできた時は、正直泣けそうだった。
静寂な空間。聞こえるのは鳥の鳴き声と樹の下隠り逝く水の音だけ。
人1人誰とも行き交うことはなく、今回はそれが一つの目的でもあった。
無の空間は、私の万葉歌への感性をいつも高めてくれる。
たまにはこんな旅もあっていい。
女心と秋の空。
翌日は、小寒い雨のお天気であった。