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嗚呼見の浦(あみのうら)

2015年02月28日 | 万葉集と風土
伊勢の国に幸しし時に 京に留まれる柿本人麻呂の作れる歌

嗚呼見の浦に 舟乗りすらむ をとめらが 珠裳の裾に 潮満つらむか(万1−40)

釧着く 手節の崎に 今日もかも 大宮人の 玉藻刈るらむ(1−41)

潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ舟に 妹乗るらむか 荒き島廻を(1−42)
                                   柿本人麻呂



嗚呼見の浦=「あみのうら」と読みます。

風香意訳:
あみの浦で 舟遊びをしている乙女たち、そのきらめくスカートの裾に満ち潮が寄せているだろうか。(40)

釧(くしろ)を着けるその手。その手節(現 答志島)の崎で、今日あたりは、都に仕える人たちが玉藻を刈って楽しんでいるだろうか。(41)

潮騒の伊良湖の島あたりを漕いでいる舟に乗っているのは、僕の愛しい人だろうか。あの荒く潮流の早い島の辺りを。(42)

3首ともに、持統六年(692年3月)伊勢行幸の折に柿本人麻呂が都に留まって作った歌とあります。
この歌の舞台が、あみの浦。
あみの浦に関しては、諸説あるものの小浜在住だった故佐久間弥之祐氏が関西大学時代の卒論にて提唱された三重県鳥羽市小浜の「あみの浜」が有力とされているところです。

歌が自分の中で近づいてくるにつれ、どうしてもこのあみの浜からの人麻呂のみた志摩の遠景をこの眼で確かめたく思い馳せるも、なかなか気象条件と鳥羽訪問が合致せず。

今回ご縁あって、鳥羽郷土史会 会長様にあみの浜をご案内頂けることになり行って来ました。

この日は快晴とまではいかないも春霞漂うまずまずのお天気。



今回訪問の目的は、あみの浜の所在確認と、あみの浦、答志島、伊良湖と遠景の広がる景色。

まずは、この歌のよみどころを。

1首目 あみの浦に対して乙女。

2首目 答志(島)の崎に対して大宮人。(大宮人=宮中に仕える女性)

3首目 伊良湖の島辺に対して妹(妹=愛しい人)

あみの浦に立ってみると、答志の崎、神島、そして伊良湖の順にその景色が一直線上にみえます。その景色はどんどんと広がり遠ざかっていくのに対して、女性については、漠然とした乙女から宮中に仕えている人に集約し、3首目で、その大宮人の中にいたのは、自分の愛しい人であったとぐぐっと距離感を縮めていっているところに、この歌群の素晴らしさが光ります。さすがは人麻呂ですね。

とある学者の先生いはく、
人麻呂の技巧的な表現は、古代において現在のように深い文学的な見地から発せられたものではないと思うが、彼はごくごく自然にこうした歌が詠めるほどの知識と教養を兼ね備えていたのでは、、、というようなことを書いてみえたのに深く納得です。

当日は、鳥羽駅から程近い鳥羽歴史文化ガイドセンターで待ち合わせ。


簡単な自己紹介と今回の訪問目的をお伝えし、レクチャーを受けたところでいよいよ出発です。

バスでの移動手段しかないとの事でしたが、ありがたいことにお車を手配下さり、
ほどなくあみの浦に到着しました。
ありがたい事です。

到着した場所は、おおよそ見当つけて訪問していた場所と合致しておりました。
最近はどこにいっても万葉の匂いがする!?動物的感覚が備わってきたようです(笑)

あみの浜一帯は、現在、波除けのテトラが広がるも、心の中でそのテトラポットを消せば、1300年前の光景が広がります。

小浜港。


たこつぼ〜。 


こちらはワカメの天日干し。美味しそう〜!


そして高台に移動。

旧小浜小学校。現在は公民館として利用されているそう。

立派な建物です。
そのグランドで、地元の方々から貴重なお話をお聞かせ頂く事ができました。


小浜は、北組、中組、南組、東組と分かれる。
その中で、北組、中組、南組には、神社、仏閣を有している事等から「サト」と呼ばれてきた。
そして東組を「あみの浜」と呼ぶと教えて下さった。
民俗学的考察の入り口とでもいっておこう。
思わず時間をかけて追求したくなるようなお話が伺えたのも、郷土史会会長さんのご案内だったからこそ。
ありがたいことです。

更に歩みを高台へと進むと、鯛取りの餌となった螠虫(ゆむし)と、ボラの供養塔のあるお寺、済度院へ。



供養塔。


よくみると、ボラと漢字表記。

こちらは、ゆむしと同じく漢字表記されている。
きっと、漁獲量がすごくあったんだろうなあ。

鳥羽郷土史会発刊の『鳥羽郷土史考 第三集』によると、ここは「唐人お吉」の映画のロケ地だったとか。

そして、そこから程近い土宮神社へ。

地図をみて、その名称から気になっていた場所。
なんでも膨大な古文書を有していたとか。
とても気になりますが。
いかん、まずは7月7月と。。。。


境内にあるナギの木。

何でも、海の凪ぎ(なぎ)に通じるとか、また、葉が固くちぎれないことから夫婦円満の意もあると教えていただいた。
なるほど〜。

そして、あみの浜からみる景色、、、、。

テトラ奥にあるのが答志島。
そのむこうは、、、一直線上のうえ、春霞が。。。

それでも、さすが郷土史会の方々。
お迎えにきて下さった車で、なんとか見える場所はと探して下さって、、、。
見えました!
イメージ通りです。

答志島の向こうに、神島が、そしてその向こうの春霞の中にぼんやりと、伊良湖岬がみえました!


(手前にみえるのが、答志島の先端部分あたり、正面の三角山は神島、そしてうっすらその背後にみえるのが、伊良湖。)


こうして、漁村にお暮らしの人たちの開放的なお人柄に触れながらお聞かせ頂けたあみの浜の風土は、想像以上に古代の情景をみせてくれ、小字名として残る1300年前そのままの風土は、そこにお暮らしの皆さんの中に、ずっしりと根づいておりました。

お世話になった皆様、ありがとうございました。


旅の仕上げは焼き牡蠣〜!


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