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万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

うらうらに。

2013年04月29日 | 心に留まった万葉一首
うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば
                         (万葉集巻19-4292)

意訳
うららかな春の日差しの中、ひばりが空高く鳴きながら飛んでいるのをみると、独り物思いにふけって心悲しくなる。


ヒバリ。
毎年この季節になると、空高くピーチクパーチク鳴いているのはよく耳にし、目にするのですが、実際ヒバリの姿ってなかなか捉えられないものです。
今年こそは、、、と気合いを入れて、歌のような春の陽気に誘われて、日中バードウオッチングにでかけましたら、いつものように頭上にヒバリの鳴き声が。

しばらく双眼鏡で姿を捉えたままいたら、幸運にも田んぼに着地!
ついにシャッターチャンスの到来です。





自宅に帰って、画像をアップにしてみたところ、、、あれれ!?カシラダカ?
頭がぼうぼうで見分けがつきません(笑)

野鳥図鑑で再度見比べ、鳴き声は間違いなくヒバリだったことからヒバリと断定するに至りました(笑)



こちらは山つつじでしょうか。山裾で陽の光を浴びて輝いていました。


こちらは、かきつばた群落の様子。
まだまだ花期は先のようです。
シギが1羽とサギが1羽、羽を休めていました。


ホオジロです。さえずりですぐにわかるのと何より名前の如くほっぺが白いっ!


この川は、、、、泊瀬川!っていいたいところですが、カキツバタ群落近くを流れる川です。

「泊瀬川」を鼻歌しながら、ちょっと遠出して川岸を歩いてみました!(ほぼ病気です(笑))
そう、周囲の景色は心の中で大和に置き換えて!
特技になりつつあります(笑)


春の七草の1つ、ごぎょう。


今ではあまりみかけなくなったれんげ。
明日香あたりだとまだ残っているのかしら。


これはなんていう花かわかりません。
アップだと更に可憐な花です。



こちらはたまにオオタカやノスリがとまっている木なんですが、紫の花をつけることをはじめて知りました。


デスクワークで煮詰まってくると、バードウオッチングに。

ライフワークとなりつつあります(笑)















大和し思ほゆ

2011年01月20日 | 心に留まった万葉一首
葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕へは 大和し思ほゆ

                          万葉集巻一 六四
                          志貴皇子

風香意訳:
葦べを泳いでいく鴨の羽がひに、凍てつくような霜が降りている。こんな寒さが身に沁み入る夕暮れには大和が思われてならない。


今朝外に出てみると、いつも以上に西の空が明るかった。
隣家の屋根に隠れたその正体をみると、月明かりの明るさ。
そういえば、今朝ニュースで今宵が満月だといっていた。

身に沁みる寒さの中でみる月をみながらまず頭をよぎったのは吉隠で眠る但馬皇女。

「人言(ひとごと)を繁み言痛み(こちたみ)己が世(おのがよ)に いまだ渡らぬ朝川渡る」

月明かりの下、突き刺さるような水の冷たさを感じながら朝川を渡ったであろう但馬を思っていたら、どうしても目の前の月明かりを写真に収めたくなった。

近くの池の水面にはどう映っているんだろう。

東の空はすでにうっすら明るい。

こんな時期に柿本人麻呂さんはきっと

「東の野にかぎろひの立つ見えて かえり見すれば 月かたぶきぬ」

こう詠んだんだろうなと思いながらここがかぎろひの出る阿騎野(奈良県)でなく愛知であることを悔やみながらも、デジカメの準備。
近くの池まで普段なら歩いていくのだが、ここ2~3日持病の腰痛が悪化。
痛みがかなりあるので、車を走らせること2分。

そこには、月明かりが繰りなす素晴らしい景色が広がっていた。

暗黒の空には、鴨が群れをなして飛んでいる。
羽ばたきの音がかすかに聞こえて。

「羽がひ」という表現が好きです。
手が使える訳じゃない鴨が、左右の羽を広げてすっぽりと柔らかく自らの身体を包み込んでいるような美しい表現。
万葉集にはこうした美しい言葉が多く残っています。

まだまだ知らない世界が、たくさんあります。



雪月梅花

2011年01月18日 | 心に留まった万葉一首
雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛しき児もがも

                          万葉集巻十八 四一三四
                          大伴家持


風香意訳: 一面真っ白な雪の上に 月が照り輝いている美しい夜。こんな今宵には梅の花を手折って送る愛しい人でもいたらいいのに。



昨日の愛知は全日夜から降った雪で朝から一面銀世界。
我が家でも5~6㎝は積もっていました。
久しぶりの積雪だったように思います。

しとしとと降り積もった雪は午後からの日差しを受け少しずつ溶け出し、夜には北側等日照の少なかった部分に少し残っている程度となりました。
少し寂しさを感じながらも雪生活に慣れていない愛知県民としては一安心といったところです。

上記は雪月梅花(せつげつばいか)を詠む歌とされ、万葉集中、雪と月と梅がはじめて組み合わされて詠まれた作品とされています。
昨晩は、雪解け始めた目の前の風景に、星空を眺めてみると月が高く上がっていました。

まさに「雪の上に 照れる月夜」だったといいたいところですが、もう少し雪化粧してくれてた方がよかったように思います(笑)
人間って勝手なものです。


                              写真は我が家のもみじに降り積もった雪


今宵は皆既月食

2010年12月21日 | 心に留まった万葉一首
倉橋の山を高みか夜隠り(よごもり)に 出で来る月の片待ちかたき
                            万葉集 巻九 一七六三 沙弥女王

風香意訳:
倉橋の山が高いせいかしら。まっ暗な夜に出て来てくれるはずのお月さまは、待っても待っても待ちきれないわ。

今宵は皆既月食。
月の出と共にはじまるみたいですので、夜更かししなくてもお天気さえよければ見ることができそう。

今日は所用で奈良入り。
満月の夜。しかも皆既月食。

奈良月。今からワクワクしています。




麻糸の再現

2010年08月01日 | 心に留まった万葉一首
春すぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の 衣干したり 天の香具山(万葉集巻1-28 持統天皇)

あまりにも有名なこの句を、私は長年知っているつもりでいた。
読んでいたつもりだった。

意訳:
春が過ぎて新都、藤原宮から天の香具山を遠望してみると、干してある白い衣が風に靡いている。ああ、夏がやってきたらしい。

歌を詠んだだけでその情景が思い浮かぶこの句。この中の「白栲(しろたえ)」の表現を深く考えたことがなく、ずっとその言葉の持つ音の美しさから柔らかな素材の布を思い浮かべて詠んでいた。
ところが、数ヶ月前に詠んだ文献によれば、この「白栲(しろたえ)」は麻布であったという。
まさに目から鱗だ。
麻といえば、柔らかに翻るというより、しっかりした素材で表面も粗い。
今まで持っていたイメージとはかけ離れている気さえした。
しかしながら、この知識を得た私は逆にこの句にというより「白栲(しろたえ)」なる表現に、今まで以上の興味を持ってしまった。
そんなタイミングで見てしまったのは、先日訪れた鍵・唐古ミュージアム(奈良県)の麻紐の遺物。
そこで異常に興味を示す私に、ボランティアガイドの方が、ご自身が再現された麻糸を幸運にも見せてもらえる機会を得た私は、再現の手順を丁寧に教えて頂くことができた。

そしてついに麻糸の再現に自身で挑戦することになったわけです。

まずは植物採集から。
今回、和苧(からむし)を使うことにした。
からむしは、イラクサ目イラクサ科の多年生植物で南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古来から植物繊維をとるために栽培されていた植物である。
茎はまっすぐに立つか、やや斜めに伸びて高さ1-1.5mに達する。葉の大きさは最大15cmほどで、縁に細かい鋸歯(ギザギザ)があり、つやがない。若葉は細かいしわがあり縮んだ状態である。葉の裏側は細かい綿毛が密生していて白く、ふとしたことで葉が裏返ると白く目立つ。林の周辺や道端、石垣などのやや湿った地面を好む。地下茎を伸ばしながら繁茂するので群落を作ることが多い。(ウィキペディアより)

事前に集めた情報をもとにまずはからむし探しから始まった。朝6時に家を出発。徒歩にて近くの河川敷を歩いてみるもののからむしらしきは1本たりとも生えていない。かなり距離を歩いてみたが河川敷にはゼロだった。ならばと、今度は山沿いの下道を歩いて探すがここもゼロ。やはり一日では無理なのかと多少遠回りして神社下の小川が流れる道沿いを歩いて帰ることにした。すると、ちょうど自宅から100Mも離れていない道路脇に裏側が白い葉の群生を発見。何種類か持って歩いた写真と照らし合わせ確認すると間違いなく「からむし」の群生であったのだ。
早速採取開始。
片手で何とか抱えることができる程を採取し、帰宅。
早速枝打ち。
茎のみの状態にして、バケツに水を張り水に浸す。
幸いにも我が家には飲料不可能だが井戸水があるため、雰囲気重視で井戸水を使用した。
そして5日間、水替えをしながら浸す。
5日後に表皮をむき、繊維のみ取り出す。
繊維を手で扱き、乾燥させる。
これで完成。

手探りながらも初めてにしては何とか形となったのである。
干しあがった麻を触ってた感触は、感慨深いものがあった。
からむしによる麻糸は、自分が想像していた麻よりも多少柔らかさが出ていた。

麻にするまでは以外にも単純な工程であったが、この出来上がったものを糸にする作業には果たしてどれほどの時間を費やしていたのだろうと思う。
少しだけ撚りをかけてみて糸にしてみたが、思ったほど簡単ではない。撚りが浅いとすぐにほどけてしまう。撚りを強くすれば、その部分だけ気合の入った太さになったしまう。
古代人の時間の使い方は、こうしたことに労力と時間をかけていたのかと思うと、気が遠くなりそうでもあるが、少し羨ましくもあった。

                           (写真は完成した麻)



水江の浦島の子 万葉集 巻9-1740(現代語訳のみ)

2010年03月04日 | 心に留まった万葉一首
霞がかった春の日に墨吉(住之江=大阪)の岸に出て腰を下ろして釣り船が波に見え隠れするのをみていると、昔のことが思い出される。
水の江の浦島の子がかつおを釣ったり鯛を釣ったりして心勇んで7日間も家に帰って行かず海の境を通りすぎていくと、海神の少女に思いがけず漕ぎ会い求婚しあって事は成就した。
契り交わして常世に至り、海神の宮の中の幾重にも囲まれたりっぱな宮殿に手を携えて二人で入り、不老不死の身となった。
ところがある日愚人が
「しばらく家に帰っていないので父母に事情を説明してまた明日にでもここに戻ってくることにしよう」といったので
海神の少女は
「常世にまた帰ってきて私と今のように逢っていたいのならこの箱は絶対にあけないで下さいね」といった。
強く妻と約束した言葉だったが、住吉に帰っても家も里も見当たらず、不思議に思い考えたが家を空けて3年足らず。垣根もなく家もなくなるなんてことがどうしてあるんだろう。この玉箱を開けると元通り家があるんだろうかと思い少し開けてみた。
すると中から白雲が立ち上り、常世の方へ靡いていったので浦島は驚いて立ち上がり、走り回り大声を叫んで袖を振り、ころげまわり足摺をしたがたちまち人心地を失ってしまった。
若々しかった肌もしわがより、黒々とした髪も白く変わってしまった。
やがて後に息も絶え、ついに命も落としてしまった。
その水江の浦島の子の家があったところが目に浮かんでくるようだ。


現代語訳を途中まで読んだところで、もしや・・・と思いました。
みなさんもすでにお気づきかと思いますが、これがかの有名な浦島太郎伝説で万葉集に載っています。
絵本で読むものは、かなりいい意味に脚色されていますね。

この万葉集には古代からの魂ふりの習俗かと思われる場面も見られ、昔読んだ伝説でしかなかった浦島さんでなく、民俗学から見てもなかなか興味深い表現がたくさんあることに気がつきました。

ちなみにこの歌次の句に反歌があってこう続きます。

常世にずっと住むはずであったのに、軽はずみな心によってこうなってしまった。愚かなことよ。と。

今日は雨水

2010年02月19日 | 心に留まった万葉一首
ひさかたの 天の香具山 このゆふへ 霞たなびく 春立つらしも

           巻10-1812  柿本人麻呂

天の香具山の夕暮れに霞がたなびいている。春がやってきたらしい。


今日は二十四節気の一つで雨水。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始める頃のこと。

気がつけば2月も中旬。
天の香具山の美しい言葉の響きの上に、真っ白な霞がたなびいている。
そう心に思うだけで情景が浮かんできます。
淡い桃色が似合いそうなこの句を読んだだけで、今にも春一番が吹いてきそうな予感です。



今日は立春

2010年02月04日 | 心に留まった万葉一首
石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨 
石(いわ)ばしる 垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも

                 万葉集 巻八 一四一八  志貴皇子

歌を詠むだけで、その情景が目の前にさっと浮かんでくる。
まさに春を詠んだ代表的な歌です。

この歌に出てくる「わらび」ですが、古代はわらびもぜんまいもわらびと呼ばれていたそうです。
この歌で歌われているのは後者のぜんまい。
くるくるっと巻いているぜんまいが、日を追うごとに開いていく様子に春の訪れを感じていたのでしょう。
「の」「の」「の」と続く音は、春への律動感が肌で感じられますね。

今日は立春。
昨日でかけた森の中では、小雪が舞い散る中にも、木々の枝先には新芽が春へ向けての準備を始めていました。
こうした季節を感じながら常に生きていきたいと思っております。

今朝は、ガラス越しに入ってくる月明かりも美しかったです。

くれなゐ

2009年12月16日 | 心に留まった万葉一首
紅(くれなゐ)の 濃染(こぞめ)の衣(ころも)色深く 染みにしかばか忘れかねつる  巻11-2624

風香意訳:くれなゐ色に深く染めた衣のように、私の心に深く染みてしまったからでしょうか、忘れがたいわ。

正倉院展でみた巻きスカート。上部はこのくれなゐ色に近い色だったことから往時はその色そのものだったのかもしれません。
紅花で衣を色濃く、そして色深く染める。
凍りつくような冷たさの山清水にだんだん染み渡っていく衣。
それは色だけでなく自分の心も染まっていく・・・。
好きだ、愛してる、というストレートな表現でなく衣に比喩した愛情表現。
1300年前にタイムスリップできるなら一度くらい伝えてみたいものですし、伝えられてみたいものですが、現代に生きる私たちが果たしてそういった感性を持ち合わせているのでしょうか。




今日は大雪(たいせつ)

2009年12月07日 | 心に留まった万葉一首
わが里に 大雪降れり 大原の
    古りにし里に 降らまくは後
                  巻二 一〇三 天武天皇
わが岡の おかみに言ひて ふらしめし
    雪のくだけし そこに散りけむ
                  巻二 一〇四 藤原夫人


風香意訳:わが里飛鳥に大雪が降ったよ。君の住む大原の古里に降る雪はもっと後だろうな。

      あら、あなたの里に降り積もった雪は、私の住む里に降った雪を神様にお願いして、そのかけらが降り散ったものなんですよ。



今日は二十四節気のひとつ大雪(たいせつ)。その言葉通り、夕方あたりからめっきり冷え込んできました。明日の奈良はどんなお天気となるんでしょうか。うふっ。