万葉うたいびと風香®’s ブログ

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バードウオッチングと万葉集

2014年09月30日 | なごみ
一見、何の関係もないように思える両者。

ところが。

ご存知の通り、万葉集にも野鳥は詠まれているし、古事記にも詠まれている。

古代人の見た鳥たち。そして鳥たちに見る往時の人々の思想感。
後者はこれからもっともっと時間をかけて考古学の世界も踏まえて読み解いてみたいと思っています。

そこで前者の鳥。
例えば鶴。

万葉集、古事記では「たづ」と詠む。

漢字表記となると、鶴=つる のみと捉えられがちだが、古代において鶴(たづ)は、鶴(つる)のみに限らず大型の鳥を指していたようだ。

鶴鳴き渡る。

古代、マナズル、ナベズルは日本全国各地に生息していたらしい。

私の住む愛知県でも、「桜田(さくらだ)へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」と詠われている。

ちなみに桜田は、現、名古屋市南区桜本町周辺をいい、今は干潟であった名残も感じられない程に市街地となっている。

さて、この鶴鳴き渡る光景を何とか現代の映像の中で再現できないものかと、ここ近年野鳥観察へ行っては、挑戦しているがこれがなかなか難しい。

まずは、鶴(たづ)の種類。

これは、アオサギが一番近いのではないかと思っている。


(いづれもアオサギ)


シラサギも美しい。




が、「鳴き渡る」という言葉の響きからも、シラサギよりアオサギの高らかな一鳴きが、断然イメージに近い。

そして、姿。

シラサギだとコサギは平均全長61センチ、チュウサギ68センチ、ダイサギ90センチに対し、アオサギは93センチ。


(チュウサギ?とアオサギ)

ちなみにマナズル、ナベズルは100センチ越え。

せっかくの再現、飛んでいる容姿を撮影できればと、アオサギに出会っては撮影を試み、今まで撮った映像数知れず。

しかし。

いい距離感で撮れたと思えば、電線が入っていたり、今回こそと思いきや、アオサギの早さにビデオがついていかずと、苦労が絶えません。

期限無く挑戦していた私に、タイムリミットがやってきました。

11月、明日香村でその映像を再現してみたいと思っています。

バードウオッチングと万葉集。

奥の深い課題に、入り込んでおります。


(ノビタキか!?)


(モズ)


(ヒバリかなあ)

鳥の識別、、、まだまだ未熟です。

歩いた分だけ鳥がいる

2014年09月25日 | なごみ
バードウオッチング。

というと大げさだが、首から双眼鏡を下げて歩いているだけである。

葉が生い茂る季節は、あきらめていた野鳥観察だったが、季節の移ろいによって鳥たちも違うことを肌で感じる昨今、暇をみつけては足げく通うことが多くなった。

雨上がりの朝。

晴れ渡る日の野鳥観察もいいが、先日曇り空の日にアカモズに出会えたことを思い出して、リベンジにでかけてみることにした。

予想通り、人気のいない遊歩道を進むと、キセキレイがお出迎え。

幸先良いスタートである。

最近気になる場所がある。

湿地帯付近の草むら。

先日、アカモズがいた場所。

どうも鳥たちもお気に入りの場所があるようで、少しずつではあるが、そんな場所を見つけられるようになった自分が嬉しい。

アカモズは不在であったが、ホオジロと何やら先日の鳥。

もう1ヶ所気になる場所へ移動。

すると。





はじめて見る鳥。

野鳥図鑑が脳裏によぎる。

サメビタキか!?

自宅に戻って映像確認。

お腹の色からたぶんコサメビタキ。

まだまだ知らない鳥たちが、身近な自然に暮らしているんだなあ。

ちっぽけな自分を知るひと時。

さて、きょうは衣裳の打合せをしました。

ありがたいことに、また新たなお話を頂戴しております。

どんな演出が可能か。

思い立ったが吉日で、早速、布屋さんに衣裳の子と出かけてきました。

いい生地選びができ、仕立てが楽しみとなりました。

風土に見合った万葉歌と共にお届けできればと思っております。






夕占(ゆふけ)

2014年09月24日 | なごみ
夕占をご存知だろうか。

言霊(ことだま)の 八十(やそ)の衝(ちまた)に 夕占(ゆふけ)問ふ 占(うら)まさに告(の)る 妹は相寄らむ(巻11ー2506)

言霊の宿る幾重にも分かれる道辻で、夕占を尋ねてみた。すると占いでは、はっきりと「あなたの思い人はきっとあなたに寄ってくるでしょう」という。



玉桙(たまぼこ)の 道行き占(うら)に 占(うらな)へば 妹は逢はむと 我に告(の)りつる(巻11-2507)

玉桙の立つ道で、道行く人の言動で占った所、「あなたの愛しい人にきっと逢えるでしょう」と、私にきちんと告げてくれた。


古代、八十の衝(ちまた)には、言霊が宿ると考えられていた。
その辻に立って、通りすがる人の言葉の端々から吉凶を占うのが、夕占。

夕方は言霊が活動すると考えられていたようだ。
現代においては、辻占という。

その辻占の総本社が、大阪にあることを以前から知っていたが、この度ようやくその機会に恵まれた。

瓢箪山稲荷神社という。




(賑わいをみせるアーケード街を抜けてむかう)


(参道)




(瓢箪山稲荷神社)

現代は、夕方でなく、昼間行なわれおり、事前予約時に生年月日と何時に産まれたのかを告げる必要がある。

当日は社務所にて、受付をすませ、指示に従い辻占の占い場で道行く人を手順に従い観察し、その後社務所で筆記内容を手渡す。


(鳥居向こうの辻が、占い場となる)

そしていよいよ宮司による辻占のはじまりとなった。

占いの結果云々というよりは、民俗学的視点から辻占を知る絶好の機会となったのである。

現代において多少形を変えているものの、万葉びとの生活をほんの少し垣間みることができたように思えたのが幸せの瞬間であった。

万葉びとになりきった私はそのまま、レコーディングに。



こちらは練習不足、いや、練習の仕方のまずさを露呈した時間となり、早々にお開きを決めて次回リベンジとなった。

日々修行。











万葉歌を作る

2014年09月22日 | なごみ
万葉歌を作るということ。

考古学や史料学などはあくまで歌詞制作の準備段階。

歌詞ができると、次は音を乗せる。

若い頃大学で学んだのは、幼児教育。

なので、多少、、、は音楽がそばにあった。が。

毎回、蓋を開けては、真っ白になりそう(笑)

ここ数年は皆様のお力を頂いての楽曲制作が多くなってる私にとって、正確な楽譜作りまでいってこそ、ようやく音楽が完成となるのである。

しか~し!

迷惑のかけ通し。

そこで、一発奮起しました。

楽典を学ぶ。

ありがたいことに、教えて頂ける先生にも恵まれて、本日1日目。

目から鱗でした。

まずは、過去に制作した楽曲でダメだしされた楽譜の書き直し作業からです。

はじめの一歩!

相変わらずの野鳥観察。秋風に変わったら、鳥たちも様変わり

(たわわに実りはじめた稲穂をみると、吉隠(奈良県桜井市吉隠)が恋しくなる。
秋の田の 穂向きの寄れる 片寄りに 君に寄りなな 言痛くありとも)


(水面を照らす朝陽)


(セッカではないような、、、???お名前は?)


(狙いを定めるカワセミ。かなり遠距離。)


(ミサゴかな?こちらもかなり遠距離だが、白羽が木々の間からよく目立つ)


((左)シラサギと(右)アオサギ。こんな画になりました)

発掘調査報告書&現地説明会資料

2014年09月16日 | なごみ
万葉歌の楽曲制作の上で、欠かせないものがいくつかある。

万葉集、日本書紀など、いわゆる記紀万葉に関する原書はいうまでもない。

その中で、発掘調査報告書、現地説明会資料なるものも私にとっては欠かせない材料となっている。

一見、無縁のように思えるのだが、大学で文化財歴史学科という、普段馴染みの薄い、友たちがいうには「マニアック」な科を卒業した私だからこその史料かもしれない。

その歌の風土をあぶり出すには、いづれも切っても切り離せない、もってこいの材料である。

先日、既に歌は完成しているが、ずっと気になる点があったので、埋蔵文化センターから何冊か取り寄せてみた。

こうなると、どんどん深みにはまり出す。

というのも、もっともっと知りたくなるのだ。
そして、その史料をもとに、風土を歩く。
そんな活動を繰り返している。
その延長線上に万葉歌があるのだ。

回り道かもしれない。
しかし。
もっともっと先にある自分の道を信じて。


(藤原京から見た倉梯山方面)



オペラ「万葉集」名古屋公演

2014年09月14日 | なごみ
千住明氏(音楽)、黛まどか氏(台本)による、オペラ「万葉集」名古屋公演に行って来ました。

会場は、愛知県芸術劇場。


石川能理子(ソプラノ) 、松原宏美(メゾソプラノ) 、井原義則(テノール)、 吉田裕貴(バリトン)、 演奏は名古屋室内管弦楽団 によるもの。



テノールの井原氏は、以前に出演したオペラ「魔笛」の演出、総監督でもあった方なので、なんだかとっても舞台が身近。
ご指導頂いた先生の舞台は、とても嬉しい。

万葉歌を歌っているはしくれとして最近気になるのは、プロフェッショナルの方々の万葉舞台の脚本と演出。

素材を元に、どこまで踏み込んだ脚本で、一般の方々にどう表現してみえるのだろうかと。

オペラは2部構成。

1部は「明日香風編」。
白村江の戦いを中心に激動の歴史舞台を、額田王を主人公にし演出した内容であった。
額田王の人物像については、なかなか深い考察をしてみえて、あの文献、この文献もご存知なのかと感じさせてくれる歌詞が織り込まれており、ソプラノの方によって高らかに歌い上げられていた。

2部は、「二上挽歌編」。
過日の歌物語というなれば同じ演目となるのだろうが、脚本次第でいかようにも表現できるのは面白い。
黛氏の台本は、大津皇子と石川郎女の相聞歌からはじまり、草壁皇子の思いを交錯させながら持統天皇の親としての思いをからめた内容に仕立て、大津皇子の謀反へとつなげていった内容であった。
最後の二上山の位置づけを大和の頂(いただき)という表現にし、輝きという言葉を使った表現でしめくくってみえたのは、俳人黛氏ならではの視点とでも表現したいものである。

音楽は、生オーケストラならではの生音の迫力と美しい千住明氏のメロディが奏でられ、うっとりとした中で聴かせて頂いた。

何でも、東京、奈良、京都で上演してきたが、今回千住氏自らの指揮は、名古屋初演との事。
贅沢な空気と、ソリストたちとのアイコンタクトとで形で現れない息のあった呼吸に、こちらが息を止めそうな場面なども。

バリトンの吉田さんは、気鋭の若手歌手みたいだが、時折楽譜に目を落とす程度で、歌詞をほぼ暗唱して歌い上げられていたのは、とても印象的だった。

マイクなしで会場に響き渡らせる歌唱と音楽。

西洋の表現を、大和の言の葉で味わう。

オペラとしては、近年にない大ヒット作となっているそう。
プロである千住明氏をもその気にさせてくれる万葉集の魅力、いや魔力、呪力だろうか。

画期的ともいえるこの取り組みが、海を渡っていったらどんなに素敵だろう、そんなことを感じさせてくれるひと時だった。

手紙~心のふれあい~

2014年09月10日 | なごみ
ありがたいことに、何通か温かいお手紙を頂きました。



思いをかけて下さるというのは、本当に嬉しいことです。

それぞれに感じた、万葉歌への思いをしたためて下さっています。

その中に「心のふれあい」という言葉を書いてきて下さった方がいらっしゃいました。

メールやラインで用を済ませてしまうことも多い昨今、直筆でしたためられた1通1通のお手紙から、心を頂きました。

万葉集的表現。「物につく心」。
万葉学者、犬養孝先生の言葉では、「心をつける」。

ありがとうございます。



墨書

2014年09月07日 | なごみ
佐々木がん邦先生の墨豊会書展に、母と一緒に楽しんできた。



かつて愛知県の文化教室が閉講するまでの16年間、母がお世話になったご縁である。

左半身麻痺の上、車椅子生活での作品づくりは、本人の努力はもちろんだったが、先生はじめ周囲の方々のお力添えがあったからこそと、ただただ感謝の日々である。
毎日書道展 書道部参与も務められる日々ご多忙な先生でありながらも、母への気遣いや心配りはとにかく頭が下がるものだったと記憶に新しい。

今回の書展の見所は、、弓技の行事に命ぜられた矢を調達できなかったことを繰り返し詫びた藤原佐理(すけまさ・平安時代・草書の第一人者といわれている)の書状で、縦1.5メートル、横5メートルの作品。
流れるような筆脈にため息。



先生によると、書状を半紙に書き写し、絶えず携行して全文暗記した上でこの作品に取り組まれたそう。

母との再会に、とても喜んで下さった。

やはり書はいい。

さて、こちらは、、、。


先日したためた私の万葉集第1作。もちろん、、、額田王!

熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな

楽しい~。
でも、足元にも及ばな~い。




法隆寺展ー聖徳太子と平和への祈りー

2014年09月02日 | なごみ
大役を何とか果たし、ほっとしたのか、無性に遺物に触れたくなった。

近年は、どうもそうした傾向にあると友人に話したら、即刻返事が返ってきた。

「普通はならないよ」と。

奈良へ、、、といきたいところだったが、現世はそうは甘くない。ということで、法隆寺展にいってきた。



岡崎市美術博物館でみるのは、2回目。前回からきっと10年ぶりぐらいだろうか。

夢違観音とは、3年前の法隆寺訪問以来。

国宝に指定されている夢違観音は、白鳳仏の傑作といわれており、銅造のそれは美しい観音像である。

ちなみに白鳳時代といわれるのは、正式な年代区分でなく美術史上の時代区分となるので、本来は飛鳥時代後期作となる。

薬師寺 日光、月光菩薩の美しさとはまた一種違った趣と表情を持ち合わせた夢違観音に吸い込まれながらの観賞となった。

数々の仏像や遺物に触れるのは、やはりいい。

本物である輝きとでもいうのだろうか。(目で見る輝きではない)

遺物から伝わるいにしえ人たちの息吹。

そんな思いを大切にしていきたいと思っている。


(ご褒美ランチへ)




(至福のひととき)