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万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

第6回万葉歌で綴る万葉の旅~風早の浦(広島県)~

2010年08月31日 | 万葉歌で綴る万葉の旅
「嘆きの霧」が完成したのが、今年の4月。
以降、風早への思いが日に日にふくらみ、どうしてもこの目で遣新羅使人が船泊まりした風早を感じたくなってしまった私はついに初夏に訪れることができた。
風早は現、広島県東広島市安芸津町風早である。
深い入り江となっているここ風早は、往時、大和で妻に別れを告げ難波津を出向した使人たちが瀬戸内海沿岸に何度か船を止めながら寄港した場所である。
今に生きる私たち、特に内陸に暮らす私にとっては、瀬戸内海というと穏やかな海を想像しがちだが、過去の楽曲「妹が結びし」の時代において瀬戸内といえば、海路の難所がいくつもあり、潮流の早いことでも有名だったようだ。
数年前、岡山から対岸香川県に船で渡ったことがある。
その折にはまさに潮目が浮き立ち、渦巻くまさに神の渡りを何カ所も目にしたことが思い返される。
フェリーも無い時代の船旅。
それは手漕ぎの船でただひたすら目的地目指して荒波の中を突き進んでいくしかないのであった。

さて、風早を訪れた私がまず向かったのが、風早の高台で風早の浦を見下ろす位置にある祝詞山八幡神社である。
ここの境内には風早で歌われた万葉集をモチーフにした障壁画がそびえ立っているのだ。
大和で夫を立ち尽くし見送る妻、新羅へとむかった夫が風早で妻の嘆きの息を、そして嘆きの霧を感じる瞬間が見事に障壁画となって表されている。
何でも還暦を向かえた地元の有志によって建立されたそうだ。
その発案者が祝詞山八幡神社の宮司、富永氏であった。
今回の旅でどうしてもこの富永氏からお話がきけないものかと事前に役場に問い合わせてみたところ、この5月に逝去されたことがわかった時は言葉にならず、あふれる涙を必死になってこらえ御礼をいって電話を切るのがのが精一杯だった。
文献に言葉として残ると富永氏の風早の風土を説いてみえる文言は、万葉を愛し、風早を愛して止まない富永氏の心そのものであったことを付け加えておくことにしよう。
さて、その障壁画の隣には万葉歌碑が佇む。

風早の浦に船泊りせし夜に作る歌二首
『わが故に 妹嘆くらし風早の浦の沖辺に 霧たなびけり(3615)』

『沖つ風 いたく吹きせば 吾妹子が嘆きの霧に 飽かましものを(3616)』

揮毫は地元の書家によるもので、中学生にも読めるようにとわかりやすい書体で丁寧に書かれていることが、万葉の心が風早に溶けていると感じた瞬間でもあった。
ここ祝詞山八幡神社には神楽殿がある。
風早の浦が一望できるすばらしいものである。
あたりを見渡してみたが、誰もいない。私だけ。
こんなすばらしいシュチュエーション。
靴を脱いで•••••歌いました。風早の浦を遥か眼下に眺めながら。
もう途中は感無量で声にならず。
まさしく自己満足に浸っておりました。はい。
風土を感じ、そこで声に出して歌う。
歌い方は違えど犬養万葉の世界そのものだったように思います。
さて、祝詞山八幡神社を後にした私は次に、富永氏の文献に書かれていた風早の浦を一望できるビュースポットを探しに。
急な坂道を登ってく左右はみかんやビワ畑が広がっている。
ずいぶん登り、ほぼ頂上まできた時、ふりかえってみたらそこには、なんと、風早の浦が見事に広がっていた。
あの感動は今でも心に焼き付いている。
思わず「うわ~~~~~っ」と声を上げた私だった。
そこから山側の中腹に目をやると、大の字焼きでなく「万」の字焼きの痕跡が。
しっかりと「万」が読める。万葉集が詠まれた地だから「万」。
歴史は浅く平成2年にはじまったようだが、万葉の町としての町民の心意気が形となったことを知り、地元民にこれだけ大切にされている万葉故地、「風早」の現代に生きる万葉の心を感じることができ、どこかセンチメンタルになっている私であった。
宿泊先を安芸津にとった私は、早めの夕食を済ませいよいよ夜霧を待つ事にする。天気は晴れ。対岸の島影もよくみえる。
水平線に沈む美しすぎる夕日を見送り、こんな調子良く霧がでるはずもないかとあきらめていた。
ついに落日。
だんだんあたりは暮れなずむ。
すると、今迄見えていた島影だったが、だんだん下の方から白い霧に包まれているではないか!
まさか!
すると時間の経過とともにあっと言う間に島影は山の稜線がかすかに見える程度で霧に包まれていった。
まさに
「我が故(ゆえ)に妹嘆くらし 風早の浦の沖辺に 霧たなびけり」(万巻十五 三六一五)
を見た瞬間であった。

こうしてすばらしい感動に包まれ、歌を感じ、風土を感じ、遣新羅使人の心を感じた私は無事に翌日帰途についたのであった。

後日ここで詠まれた歌について語りたいと思います。


  







嘆きの霧

2010年08月30日 | 万葉history song
           「嘆きの霧」

             遣新羅使人の歌
             万葉集 巻十五 三五八〇 三五八一 三六一五 三六一六

                     現代語意訳•作詞•作曲
                     ウインドチャイム        風香
                     ヴォーカル
        
                     ピアノアレンジ•ピアノ       祐香

                         
1 今日あなたは大海原の向こうにあるまだ見ぬ国 異国の地 新羅へと旅立って行くの
  できることならついて行きたい 離れられない 離れたくない
  からめた指先ほどいて あなたは私に別れ告げる
  Hah ~Aah ~ Aah~   Hah ~ Aah ~ Aah~
  立ち尽くす私の嘆きを白い霧に変えて あなたの旅先へ届けましょう
  君が行く海辺の宿に 霧立たば吾(あ)が立ち嘆く 息と知りませ 
  嘆きの息よ

2 月読(つくよみ)の光 清(さや)かな 秋風吹き抜ける頃 僕は必ず君の元へ帰ってくるんだよ
  白い霧になるほどに どうしてそんなに嘆かれるのだろう
  Hah ~ Aah ~ Aah~   Hah~ Aah ~ Aah~
  立ち尽くす君の嘆きを知った僕 秋には戻れると安心させたかった
  秋さらば相見(あひみ)むものを 何しかも霧に立つべく 嘆きしまさむ
  嘆きの霧よ

3 神の渡り幾度と越えて 僕は今日 風早(かざはや)の地で船泊まり 海に浮かぶ月明かり
  波の音だけが聞こえる
  いつの間にかあたり一面 立ち込めた白い霧 波の音はあなたの嘆きへと変わってく
  Hah ~Aah ~ Aah~   Hah~ Aah ~ Aah~
  立ち尽くしてた大和の君は 僕であるゆえに遥か風早の沖へ嘆きの霧を
  我が故(ゆえ)に妹嘆くらし 風早の浦の沖辺(おきへ)に 霧たなびけり 
  嘆きの霧よ
 
  沖に吹く風もっともっと 早く強く この風早の名のように もっと早く

  真っ白な霧に包まれて 身体の奥まであなたの心を感じていたい
  Hah~ 
  沖つ風いたく吹きせば 吾妹子(わぎもこ)が嘆きの霧に 飽かましものを
  嘆きの霧よ
  Hah~ Aah ~Aah~   Hah ~Aah ~ Aah~ 嘆きの霧よ

高校球児とともに散った夏

2010年08月20日 | なごみ
万葉の歌音楽祭の結果がきました。

残念ながら今年は1次通過なりませんでした。
応援して下さった皆さんのご期待に応えられず申し訳ありません。
ただただ私の力不足です。

敗因は今回の歌は、ほぼ2年がかりで完成した楽曲だっただけに、思い入れが強すぎたのかもしれません。

さすがに結果通知がきた夜は落ち込みました。
しか~し!
私が日々向き合っているのは、1300年前の言霊です。
そう思ったら、1/1300年はたいしたことではないように思えて気が楽になりました。
今年はご縁がなかった。
そう思う事にしました(笑)
1300年も私たちとの出会いを待っていてくれたんですから。
明日の私とまた新たな句をもって出会いを作ってくれるに違いありません。

結果の通知を知った瞬間に一番に頭をよぎったのは、あちらこちらで応援してくれている皆さんのお顔でした。
そして、昨年まで出場できた万葉の歌音楽祭は、私たちが感じてた以上に素晴らしい舞台であることを改めて教えられた次第です。
皆様に支えられている。このことを改めて実感できた結果でもあったことをお詫びと併せてご報告致します。

これからも「とこおとめの万葉歌」を1300年前の言霊と向き合いながら頑張って作り続けてまいります。
どうぞ今後共よろしくお願い致します。


*再掲です。間違って日記をけしてしまいました。コメント下さってた方、ごめんなさい。お許し下さい。

一足早く明日香風舞台

2010年08月08日 | なごみ
今日のランチ。
自家製おにぎり。

ご学友の女性たち4人でランチ。
日陰を求めて私たちが選んだ場所がなんと明日香風舞台。
しかもステージの上で。

4人で靴を脱いで揃えて舞台へ。
他の仲間たちもランチしている。

不思議な夏。
こんなことってあるんですね。

芝生広場には、早くも秋あかねかな。無数のとんぼが飛び回っている。
萩もずいぶん大きく育ってきた。

ご縁があれば、来月ステージに上がり、衣装を着て歌ってる場所。

秋はすぐそこにある。


麻糸の再現

2010年08月01日 | 心に留まった万葉一首
春すぎて 夏来るらし 白栲(しろたえ)の 衣干したり 天の香具山(万葉集巻1-28 持統天皇)

あまりにも有名なこの句を、私は長年知っているつもりでいた。
読んでいたつもりだった。

意訳:
春が過ぎて新都、藤原宮から天の香具山を遠望してみると、干してある白い衣が風に靡いている。ああ、夏がやってきたらしい。

歌を詠んだだけでその情景が思い浮かぶこの句。この中の「白栲(しろたえ)」の表現を深く考えたことがなく、ずっとその言葉の持つ音の美しさから柔らかな素材の布を思い浮かべて詠んでいた。
ところが、数ヶ月前に詠んだ文献によれば、この「白栲(しろたえ)」は麻布であったという。
まさに目から鱗だ。
麻といえば、柔らかに翻るというより、しっかりした素材で表面も粗い。
今まで持っていたイメージとはかけ離れている気さえした。
しかしながら、この知識を得た私は逆にこの句にというより「白栲(しろたえ)」なる表現に、今まで以上の興味を持ってしまった。
そんなタイミングで見てしまったのは、先日訪れた鍵・唐古ミュージアム(奈良県)の麻紐の遺物。
そこで異常に興味を示す私に、ボランティアガイドの方が、ご自身が再現された麻糸を幸運にも見せてもらえる機会を得た私は、再現の手順を丁寧に教えて頂くことができた。

そしてついに麻糸の再現に自身で挑戦することになったわけです。

まずは植物採集から。
今回、和苧(からむし)を使うことにした。
からむしは、イラクサ目イラクサ科の多年生植物で南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古来から植物繊維をとるために栽培されていた植物である。
茎はまっすぐに立つか、やや斜めに伸びて高さ1-1.5mに達する。葉の大きさは最大15cmほどで、縁に細かい鋸歯(ギザギザ)があり、つやがない。若葉は細かいしわがあり縮んだ状態である。葉の裏側は細かい綿毛が密生していて白く、ふとしたことで葉が裏返ると白く目立つ。林の周辺や道端、石垣などのやや湿った地面を好む。地下茎を伸ばしながら繁茂するので群落を作ることが多い。(ウィキペディアより)

事前に集めた情報をもとにまずはからむし探しから始まった。朝6時に家を出発。徒歩にて近くの河川敷を歩いてみるもののからむしらしきは1本たりとも生えていない。かなり距離を歩いてみたが河川敷にはゼロだった。ならばと、今度は山沿いの下道を歩いて探すがここもゼロ。やはり一日では無理なのかと多少遠回りして神社下の小川が流れる道沿いを歩いて帰ることにした。すると、ちょうど自宅から100Mも離れていない道路脇に裏側が白い葉の群生を発見。何種類か持って歩いた写真と照らし合わせ確認すると間違いなく「からむし」の群生であったのだ。
早速採取開始。
片手で何とか抱えることができる程を採取し、帰宅。
早速枝打ち。
茎のみの状態にして、バケツに水を張り水に浸す。
幸いにも我が家には飲料不可能だが井戸水があるため、雰囲気重視で井戸水を使用した。
そして5日間、水替えをしながら浸す。
5日後に表皮をむき、繊維のみ取り出す。
繊維を手で扱き、乾燥させる。
これで完成。

手探りながらも初めてにしては何とか形となったのである。
干しあがった麻を触ってた感触は、感慨深いものがあった。
からむしによる麻糸は、自分が想像していた麻よりも多少柔らかさが出ていた。

麻にするまでは以外にも単純な工程であったが、この出来上がったものを糸にする作業には果たしてどれほどの時間を費やしていたのだろうと思う。
少しだけ撚りをかけてみて糸にしてみたが、思ったほど簡単ではない。撚りが浅いとすぐにほどけてしまう。撚りを強くすれば、その部分だけ気合の入った太さになったしまう。
古代人の時間の使い方は、こうしたことに労力と時間をかけていたのかと思うと、気が遠くなりそうでもあるが、少し羨ましくもあった。

                           (写真は完成した麻)