今回もオケ作りと歌入れのレコーディングに。
この日まず訪れたのは、春の忍阪。
石位寺に直行。


境内に咲いていたのは山吹。
大和で見る山吹は一段と良い。向かい側にあたる赤尾に十市皇女が眠っているかと思うと尚更に思いが募る。

静かな忍阪街道。

舒明天皇陵。

遥か葛城連峰方面が望める。
奥の谷へ。


秋山の 樹の下隠り 逝く水の 吾こそ益さめ 御念ひよりは 鏡王女
風香意訳:秋山の樹の下を深く静かに流れる山清水のように、あなたが思っている以上に私はあなたの事を深く思っています。
そう、この山清水は私の心そのものなのです。

鏡王女墓。八重桜が満開。願い叶う。

今迄も折に触れ手を入れてみえる奥の谷が、より一層美しくなっていた。

美しい。

見事な円錐形、忍坂山。(現:外鎌山だが、断然 おさかやま がいい)

こちらは忍坂川。(現:粟原川だが、こちらも断然 おさかがわ がいい)
万葉集や金石文に残されている名前が現代において変わっていってしまうのが、何とも惜しい。まさに荒れまく惜しも。
静かな忍阪のままを後世に引き継いでいってほしいと切に願い、後ろ髪ひかれながらレコーディングへと向かった。
苦労した歌入れを終え、前回の続きで曲作りに。

ギターの音入れ。綺麗な弦の音色が響く。

和太鼓と併せて使う楽器との事。私には「シンバル」にしかみえないが音の響きが違っていた。
完成が楽しみである。
さて、今回はもう1つの目的があった。
向かった先は、奈良県桜井市金屋。海石榴市(つばいち:原文は つばきち)である。
「万葉の旅 上/大和」を片手に。

大和朝倉駅で下車。

豊泊瀬道(とよはつせじ)、泊瀬川沿いを歩いて金屋へと向かうことに決めていた。

やはり泊瀬川はいい。流れといい、川音といい、いで越す堰に真っ白にはじける白木綿花(しらゆふばな)は、自然が造り出す造形美だ。

振り返ると、泊瀬川の正面に忍坂山、右寄り一段と高い山は倉梯山(くらはしやま)。歌の通りの姿を今に伝えてくれる。
倉梯の 山を高みか 夜ごもりに 出でくる月の 片待ちがたき
そういえば数年前に橋の上は凍り付き冷えきった早朝、忍坂山から上がる日の出を皆さんと一緒に待っていたのを思い出した。



散りはじめの桜も美しい。


山の辺の道を歩いていく。

こんな原風景が残っている。

「万葉の旅」犬養孝著にあった石碑を探していたら、あった!が、この日は小学校の廃品回収でなんとこのありさま。

すでに回収がはじまっているが何時になるかはわからないとの事。石碑前のゴミの山を前に呆然とする私に近所にお住まいの方々が何人か声をかけて下さったのが唯一の救いだ。
後ほど訪ねてみることに。
海石榴市観音(つばいちかんのん)へと向かった。

まだところどころ椿が咲く誇る。

休憩スペースもあり、持参したお気に入りの椿の懐中時計を置いてみた。ちなみにアクセサリーも衣裳の子の手作りで椿柄。
風土にそっとつけてかえる私の心。

真っ直ぐ進めば直に大神神社(おおみわじんじゃ)だがあくまで金屋がメインなので途中、末社の看板を見つけた八阪神社に立ち寄ってみることに。

海石榴市(つばいち)一帯にあたる金屋らしく、あちらこちらで椿を見かけるのも何とも古代を彷彿させてくれる。


誰もいないこの空間がいい。

椿の神さまが舞い降りたよう。

そしてようやく対面。海石榴市観音道とある。




河川敷には、泊瀬川の句が。

偶然にも万葉歌「泊瀬川」に使用した2首であったのが嬉しかった。

桜じゅうたん。

しだれ桜と忍坂山。
朝、金屋へと向かう途中に見つけた気になる看板。

椿山 山の辺。
大和訪問も数知れずの私だが、まだまだ知らないことばかり。
誘(いざな)われるように、のぼってみるも開園前。

どうにも気になって帰路再度立ち寄ってみると、偶然にも主らしき人と麓入り口でお会いすることができた。
事情を話すと、心良く見せて頂けることになってホッと一安心。

大好きな句が掲げてある。
三諸(みもろ)は 人の守る山
本辺は馬酔木花咲き
末辺は 椿 花咲く
うらぐはし山そ 泣く児守る山
お父様の時代から椿山とされたそうで、その深い想いは小冊子にもしたためられている。
山を歩かせて頂けることになった。

別世界が広がっていた。
それは観光としてでない、山守りとして、椿守りとして、まさに人の手によって守られている事をひしひしと肌で感じる空間であったのだ。




万葉集に詠まれている「つらつら椿」は、やぶ椿と考えられるそうだ。
貴重なお話はじんじんと私の心に響き、海石榴市の椿守りの方との偶然の、いや必然的なお出会いに深く感謝せずにいられなかった。
以前に読んだ犬養先生の著書に記してあった「目に見えない心」の言葉が頭をよぎった。
ちなみに椿山の拝観は本日で終了。
心無い訪問はお断りすることもあるそう。それは山守り、椿守りとしてのプライド(誇り)であるに違いない。
万葉へのストレートな思いは、時にその風土を守る土着の人との結びつきを繋いでくれる。

改めて今日という一日が与えられた事に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

帰路、手みやげにと立ち寄った「だんご庄」の店内にかけてあった額は、なんと椿であった。

春の大和路は想像以上の万葉の旅となって新たな心の記憶として刻まれていった。
この日まず訪れたのは、春の忍阪。
石位寺に直行。


境内に咲いていたのは山吹。
大和で見る山吹は一段と良い。向かい側にあたる赤尾に十市皇女が眠っているかと思うと尚更に思いが募る。

静かな忍阪街道。

舒明天皇陵。

遥か葛城連峰方面が望める。
奥の谷へ。


秋山の 樹の下隠り 逝く水の 吾こそ益さめ 御念ひよりは 鏡王女
風香意訳:秋山の樹の下を深く静かに流れる山清水のように、あなたが思っている以上に私はあなたの事を深く思っています。
そう、この山清水は私の心そのものなのです。

鏡王女墓。八重桜が満開。願い叶う。

今迄も折に触れ手を入れてみえる奥の谷が、より一層美しくなっていた。

美しい。

見事な円錐形、忍坂山。(現:外鎌山だが、断然 おさかやま がいい)

こちらは忍坂川。(現:粟原川だが、こちらも断然 おさかがわ がいい)
万葉集や金石文に残されている名前が現代において変わっていってしまうのが、何とも惜しい。まさに荒れまく惜しも。
静かな忍阪のままを後世に引き継いでいってほしいと切に願い、後ろ髪ひかれながらレコーディングへと向かった。
苦労した歌入れを終え、前回の続きで曲作りに。

ギターの音入れ。綺麗な弦の音色が響く。

和太鼓と併せて使う楽器との事。私には「シンバル」にしかみえないが音の響きが違っていた。
完成が楽しみである。
さて、今回はもう1つの目的があった。
向かった先は、奈良県桜井市金屋。海石榴市(つばいち:原文は つばきち)である。
「万葉の旅 上/大和」を片手に。

大和朝倉駅で下車。

豊泊瀬道(とよはつせじ)、泊瀬川沿いを歩いて金屋へと向かうことに決めていた。

やはり泊瀬川はいい。流れといい、川音といい、いで越す堰に真っ白にはじける白木綿花(しらゆふばな)は、自然が造り出す造形美だ。

振り返ると、泊瀬川の正面に忍坂山、右寄り一段と高い山は倉梯山(くらはしやま)。歌の通りの姿を今に伝えてくれる。
倉梯の 山を高みか 夜ごもりに 出でくる月の 片待ちがたき
そういえば数年前に橋の上は凍り付き冷えきった早朝、忍坂山から上がる日の出を皆さんと一緒に待っていたのを思い出した。



散りはじめの桜も美しい。


山の辺の道を歩いていく。

こんな原風景が残っている。

「万葉の旅」犬養孝著にあった石碑を探していたら、あった!が、この日は小学校の廃品回収でなんとこのありさま。

すでに回収がはじまっているが何時になるかはわからないとの事。石碑前のゴミの山を前に呆然とする私に近所にお住まいの方々が何人か声をかけて下さったのが唯一の救いだ。
後ほど訪ねてみることに。
海石榴市観音(つばいちかんのん)へと向かった。

まだところどころ椿が咲く誇る。

休憩スペースもあり、持参したお気に入りの椿の懐中時計を置いてみた。ちなみにアクセサリーも衣裳の子の手作りで椿柄。
風土にそっとつけてかえる私の心。

真っ直ぐ進めば直に大神神社(おおみわじんじゃ)だがあくまで金屋がメインなので途中、末社の看板を見つけた八阪神社に立ち寄ってみることに。

海石榴市(つばいち)一帯にあたる金屋らしく、あちらこちらで椿を見かけるのも何とも古代を彷彿させてくれる。


誰もいないこの空間がいい。

椿の神さまが舞い降りたよう。

そしてようやく対面。海石榴市観音道とある。




河川敷には、泊瀬川の句が。

偶然にも万葉歌「泊瀬川」に使用した2首であったのが嬉しかった。

桜じゅうたん。

しだれ桜と忍坂山。
朝、金屋へと向かう途中に見つけた気になる看板。

椿山 山の辺。
大和訪問も数知れずの私だが、まだまだ知らないことばかり。
誘(いざな)われるように、のぼってみるも開園前。

どうにも気になって帰路再度立ち寄ってみると、偶然にも主らしき人と麓入り口でお会いすることができた。
事情を話すと、心良く見せて頂けることになってホッと一安心。

大好きな句が掲げてある。
三諸(みもろ)は 人の守る山
本辺は馬酔木花咲き
末辺は 椿 花咲く
うらぐはし山そ 泣く児守る山
お父様の時代から椿山とされたそうで、その深い想いは小冊子にもしたためられている。
山を歩かせて頂けることになった。

別世界が広がっていた。
それは観光としてでない、山守りとして、椿守りとして、まさに人の手によって守られている事をひしひしと肌で感じる空間であったのだ。




万葉集に詠まれている「つらつら椿」は、やぶ椿と考えられるそうだ。
貴重なお話はじんじんと私の心に響き、海石榴市の椿守りの方との偶然の、いや必然的なお出会いに深く感謝せずにいられなかった。
以前に読んだ犬養先生の著書に記してあった「目に見えない心」の言葉が頭をよぎった。
ちなみに椿山の拝観は本日で終了。
心無い訪問はお断りすることもあるそう。それは山守り、椿守りとしてのプライド(誇り)であるに違いない。
万葉へのストレートな思いは、時にその風土を守る土着の人との結びつきを繋いでくれる。

改めて今日という一日が与えられた事に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

帰路、手みやげにと立ち寄った「だんご庄」の店内にかけてあった額は、なんと椿であった。

春の大和路は想像以上の万葉の旅となって新たな心の記憶として刻まれていった。