万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

地形は語る

2017年02月24日 | なごみ
まだまだ終わらない「年魚市潟」。

先般レコーディングを予定するも、インフルエンザにかかり急遽キャンセル。

この間にあたっていた文献を整理。

歌えば歌うほどに疑問となった。
なぜ「桜田だったのか、なぜ年魚市潟だったのか」。

氏族をあぶりだし、時代背景に入れ込んでいくとおぼろげながら今まで見えていなかった「何か」が見えてきた。

そうだ!古代の名古屋を空中散歩してみよう!

母がデーサービスに行っている間に所用を済ませ足を伸ばして名古屋都市センターへ。


金山駅前、名古屋ボストン美術館も入る11F。



本日の目的はこれ!


一角に掲げてある1:25,000のデジタル標高地形図。

緑や黄色、赤は台地上で標高が高い。

自宅に帰って見比べたのがこれ。

1994年 名古屋市博物館発行の『あゆち潟の考古学 弥生・古墳時代の名古屋』P5 (あゆち潟とその周辺の地形および主な遺跡より)

1枚目の地形図で中央右手寄り、突出した台地が 桜田 のある笠寺台地である。

博物館資料ではあゆち潟と書いてある上方、見晴台遺跡があるのが笠寺台地。

地形は語る。

上物は姿を変え変貌を遂げているが、地形はそのままである。

名古屋といえどもこうしてほんの少し古代に思いをはせるだけで、まだまだその痕跡がそこかしこに残っているのだ。

古代の爪痕。

大学の教授が言っていたことを思い出した。

「自らが語るのではない。遺物に語らせるのだ」。

万葉ヒストリーソングもかくありたい。

ミコアイサの楽園

2017年02月23日 | 身近な野鳥たち
昨日は母を皮膚科へ。

車椅子に座っていても相変わらず傾いていってしまうが、それでも少し座位がとれるようになり帰路母が行きたがっていたお店で二人でランチ。

こんな時間が持てることに感謝。

帰宅後の母はお昼寝タイム。

外出した疲れた身体なのでぐっすりだろうと、私は数ヶ月ぶりに近所の池に。

今までは行く気になれなかったが、久しぶりの凛とした母の表情が嬉しかったのかもしれないのと、腰も労わってばかりではとムチ打って(笑)

そんなことを思いながら池周遊。1周2、3キロだ。

久しぶりの池は賑わっていた。

やはり冬はいい!

まずはおなじみオオバン。

水草を一生懸命についばんでいる。

ちょっと遠いなあ。。。私のカメラでは限界。。。

たぶんカンムリカイツブリ!お初にお目にかかります!

そして、ミコアイサ。




なんとご一行さまでいらしてます!




こちらはコガモ。


そして、ラストは、、、カワセミ!

今日は近いっ!真下にいるっ!



水鳥たちの楽園、ミコアイサの楽園は心洗われたひととき。











ウインタースポーツ

2017年02月20日 | なごみ
昨日見たフィギュアスケート4大陸選手権。

日本勢の活躍が素晴らしい!

スケーティングの美しさでいつもながらうっとりするのはカナダのパトリックチャン。

競技終了後映し出されたのは、羽生、宇野両選手に駆け寄って握手する姿。スケーティング同様、彼自身の人柄、懐の広さが感じられた。

小学生の頃、ほぼ毎日行き来していた仲良し友達やえちゃんの家。

現在の日本ガイシホールの近くで、当時は富士スポーツセンターなるものがあった。古代のあゆち潟のど真ん中〜!あ〜れ〜っ!


(ネット上で見つけた当時の広告)

中にはボーリング場やアイススケートリンクがあり、時折やえちゃんと二人で滑りに行っていた。

今思えばいくら近所とはいえ子供二人でよく行かせてくれたものだし、あのお金はおばさんが払ってくれていたんだろうな。。。今さらながらに感謝だ。

今は亡き父がスキーが大好きで、スキーにも子供の頃からよく連れて行ってもらった。

大人になってからも電車やスキーツアーなど友達とこぞって行ったものだ。

そしてこちらは飛んだことはないが(笑)、観るのが好き。

スキージャンプ。

岐阜県にあるジャンプ台をみたことがあるが、それはそれは恐ろしいほどの高さである。

そこを人間が飛ぶ。

まるで鳥のように。

夢の世界だ。

いつぞや とある会場で、夏と冬、どちらが好き?と問われ、もちろん「冬!」と即答したのは私だけだった。(笑)

今朝も窓を開けて外に出る。

まだ月明かりが照らしてくれる。凛と冷え切った空気が頬に触れる瞬間がいい。

一昨日は雨水。

昨日とは打って変わって今日の雨。雪から雨へと変わり春の足音が聞こえ始めるまさに暦通り。

庭の蝋梅(ろうばい)。花の盛りなり。。。。のはずが日増しに花が減っていく。
それもものすごいスピードで。。。

おかしいな、、、と思っていたら、なんとこの方の仕業です。


パクっ!


パクパクっ!!っと。

I am ヒヨドリ!

丸飲み!!!!!!!


こちらはノスリ。なんだか痛々しいなあ。精一杯生きています。



























二上山の落日〜現世の人なる我〜

2017年02月18日 | 万葉history song
現世(うつそみ)の 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)と我(あ)が見む
磯の上に 生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど 見すべき君が ありといはなくに

 万葉の歌を作っていると作者の深い思いに触れる瞬間がある。もちろんどの歌もこの感動があってこそ歌になるだが。
この歌は大伯皇女が関わったとされる三重県名張市にある夏見廃寺、創建1320年祭の出演依頼を受け制作した、

『万葉歌物語 二上山の落日 大伯皇女の嘆き〜斎王として 姉として〜』

の作品の中に収めた1曲である。大伯皇女が万葉集に残した歌を全て歌にしたためて思ったのは、斎王として、姉として生きた大伯皇女の心の動き、変化を強く感じたことだ。
一部ご紹介しよう。この2首の前に歌っているのは
「神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなくに」
「見まく欲り 我がする君も あらなくに 何しか来けむ 馬疲るるに」。

伊勢の神宮(かむのみや)で斎王としての任を解かれ戻ってきた大和。しかし既に弟、大津皇子はいない・・・。

「何しか来けむ」(何のために帰ってきたの?)と繰り返しているこの2首に、大伯皇女の悲しみの頂点があると感じている。いはば絶唱。

そして二上山の歌、

「現世の 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世と我が見む」。

現世に生きる人である私は明日からは二上山を弟そのものとして見続けていくわ。

「現世に生きる人である私」、客観的に自身を見つめ生身である限りは生涯かけて弟を見続けていくという強い決心が感じられる。この歌の前に大津皇子の屍(しかばね)を二上山に移し葬る時にとあり、その場所については葛城市染野 鳥谷口古墳が最有力。二上山はサヌカイトの産地。石切場も見られる。この古墳近くに初田川が流れる。砂防工事の為その景観は古代と異なっているが古地図と併せその上流に古代の情景を求め歩けば

「磯の上に 生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど 見すべき君が ありといはなくに」

の歌が活き活きと鳥谷口古墳前に響きわたる。現代語の歌詞にはその情景も織り込んだ。歌の解釈は「磯(ゴロゴロとした水辺の岩場)の上に生えている馬酔木に手を伸ばしとって見せようとしても、その弟がこの世にいるとは誰も言ってくれない」。罪人として移葬された者のことを口にすることは禁句だった。そこにも大伯皇女の深い悲しみがあり、「現世(うつそみ)の 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟世(いろせ)と我(あ)が見む」の歌を繰り返し詠めば、だからこそ永遠に私一人が弟を守り見続けていくという皇女の決意がひしひしと現代に生きる私たちに伝わってくるのである。二上山の落日は斎王として 姉として生き抜いた大伯皇女の嘆きも包み込んでいるのであった。

〜二上山の落日〜現世の人なる我

良き人 良き師

2017年02月14日 | なごみ
歌を歌うようになって12年目を迎える。

歌い始めてからずっと「師」と仰いでいる方がいらっしゃる。

長年古都「飛鳥」にお住まいだ。

自身が迷ったり、悩んだりするとふっと連絡を取り合い、こんな私の拙い話にも、いつも熱心に耳を傾けてくださり、常に冷静に私の行くべき「道」を照らしてくださり、背中を押してくれる。

この方、お会いしても「負」のオーラゼロ。
常に明るく、常に前向き。

こんな素晴らしい方が身近にいて下さる、その存在だけで、お声を聞かせていただくだけでも十分元気を頂けるのです。

良き人、良き師。

輝き続けていらっしゃいます。

さて、明日香村では2月18日から「明日香の匠」展が今年も行われるそうです。そうそうたる名匠ばかり!













The early bird catches the worm

2017年02月11日 | 身近な野鳥たち
早起きの小鳥が虫を捕まえる!

英語にあることわざです。

我が家にやってくる鳥たちの中で、一番バッターはヒヨドリ。
日の出まえから「ヒヨヒヨ、ピーピー」。
庭の山茶花目当て。


次にやってくるのは、モズ。
いえ、こちらは正確には出かけていきます。(笑)
我が家の大きな金木犀の木がねぐらのようで、ぬっくりと起きてくるとお出かけ。周辺をお散歩したり、日暮れ時になるとお隣の家の塀に止まって様子を眺め、安全確保してから金木犀にベッドインです。


明るさを感じられるようになると、スズメが起きてきます。

こちらも定宿。お代はいただいておりません(笑)
人間の側でこんなに密接に暮らしているスズメ。でも双眼鏡で覗いて見るとまた違った素顔が見られてびっくりすることも。

ガザっ!ゴゾッ!
木の根元に集めておいた落ち葉をめくるのは、シロハラ。

口ばしを使って上手に葉っぱ1枚1枚めくり上げながら、虫たちを探しています。
器用なその仕草はなんとも愛らしい。

今日もシロハラだと思って見てみると、ツグミが同じ所作。





そうか。当たり前のことだが口ばししかないんだよね。
改めて鳥たちの自らで生きる「力」を感じた瞬間だった。

1月半ばからオオタカが鳴き始めています。
今年もまた安住な子育て環境を近くに求めてくれたようです。

標題のことわざを日本語に直すと、「早起きは三文の徳」。

青空の下野鳥と向き合う空間は、創作力を高めてくれる汚れのない空間。



最近、個人情報が漏れてるなあ。と感じることがありました。
外側は団体名の封筒でしたが、中身は他所の一個人が差出人。

信頼が揺らいでおります。





































万葉の時代

2017年02月09日 | なごみ
万葉の時代。

と言ってもその幅は広く、ざっと120年もの間となる。

万葉学者、上野誠先生は都を軸に大まかに3つに分けるとする。

飛鳥に都があった時代(飛鳥京) 592年ー694年

藤原に都があった時代(藤原京) 694年ー710年

奈良に都があった時代(平城京) 710年ー784年


私が得意としているのは、飛鳥ー藤原の時代。初期万葉、白鳳万葉の時代である。

何ともありがたいことに、こんな私でも重宝してくださり、またまた新たなご依頼を頂戴いたしました。
ありがたいことです。

万葉故地で思いをかけて下さる方々がいる。
守り伝えていらっしゃる方々の存在の大きさを常に感じております。

そうした方々と縁(えにし)が繋がっていくことが私にとっても本当に嬉しいことです。
万葉故地が万葉故地をつなげてくれる。歌が結ぶ縁とでも言うのでしょうか。。。

新しいことを生み出すことは勿論容易なことではありませんが、それでもそこにある感動、そしてさらにはずっと待っていて下さる方々がいらっしゃることが何より私に力を与えてくれます。

派手なこともできませんし性分にもあっていませんが身の丈を知り、心を尽くして万葉の風土にしっかりと足をつけて立ち、真っ正面から取り組んでいきたいと思っております。


いつも誰かに支えられています。ありがとうございます。

深謝。


「たったひとりでは踏み出すのが難しい最初の一歩も ほんのちょっと背中を押してくれる誰かがいることでその道を行くことができるのです」
                                                  『NHK べっぴんさんより』


今年の運勢を占って昨年暮れ春日神社での友人たちとの水占(みずうら)。水に浸してじっと待つと文字が浮かび上がってきます。
友人たちはもとより私が一番びっくり!単純だわ!それにしても絵柄がちょっと可愛いすぎ!?(笑)


 
















万葉のしおり その後

2017年02月03日 | なごみ
昨年作った万葉のしおり。

少し進化しました。


布製和紙を使っています。張りが出たかな。

このしおりを重宝してくれている友からプレゼントが届きました。



中を開けてみたら、質感も柄もそれぞれの何とも美しい和紙の数々。美しい!



色、柄を選びながら作るのも楽しいもの。


お返事に添えたツバキの文香。気にいっています。

さて、ここのところの三寒四温のお天気に、ついに持病が暴れだしました。。。

喉の調子悪し。。。。

こんな時こそ万葉のしおり作り!