1985年の東京モーターショーに出品され、
その後1987年1月に1万台の限定モデルとして
発売された日産のパイクカー(とんがったクルマ)
第1弾のBe-1です。
初代マーチをベースにレトロモダンな丸いボディを纏った姿は、
一躍モーターショーの人気者となり、発売後2ヶ月で限定数を完売、
中古車価格が倍の値を付けるほどの爆発的な人気を博しました。
それまで四角いボディが全盛だったクルマ業界に大きな衝撃を与え、
その後、丸いボディのクルマが多く開発されるきっかけとなり、
90年代にはレトロデザインのブームも起こりました。
デザインコンセプトを手掛けた
坂井直樹さん(ウォーターデザイン)の話によれば、
元々、モデルチェンジが延期されたマーチの派生車のデザイン案のひとつであり、
B-1案がそのまま車名になったそうです。
スーパーカーブームの後、免許を取るまでクルマから遠ざかっていたボクは、
モーターショーで発表されたコトを知らず、このクルマを知ったのは、
発売日の新聞の全面広告でした。
(当時、広告を見て「なんやこれー!」と仰天した覚えがあります)
Be-1人気は社会現象となり、
青山通りにはBe-1ショップがオープンし、Be-1グッズが販売されました。
その後、2年に1度の東京モーターショーごとに新作が発表され、
パイクカー・シリーズと呼ばれました。
1987年にはPAO(パオ)と
商用車のエスカルゴを発表。(共に1989年発売)
今回は期間限定販売とされ、
パオは5万台以上、エスカルゴは1万6,000台が販売されました。
1989年はオープントップを持つフィガロを発表。(1991年発売)
フィガロは限定2万台で抽選による販売が行われました。
(『笑っていいとも!』でチャゲ&飛鳥のチャゲさんが当ったって言ってましたね。)
サニーベースの量産車であり、
他のパイクカーとは少し成り立ちが違ってますが、
1993年に発表したライトクロカンのラシーン(1994年発売)も
同じくウォータースタジオ(現ウォーターデザイン)が手掛けており、
似たような匂いが感じ取れるクルマです。
よくこの頃の日産パイクカーは、
バブル景気の申し子のように語られていますが、
のちのニュービートルやBMWミニ、フィアット500などの
長期に渡る世界的な大ヒットを見れば、
デザインのチカラでクルマを魅力的に仕上げる手法は、
現在でも十分通用するはず。
東京モーターショーで一番楽しみにしていたのは、
発売されるコトのない近未来のコンセプトカーではなく、
もっと身近な存在であった日産のパイクカー・シリーズでした。
最近のモーターショーが今ひとつ盛り上がりに欠けるのは、
その辺りに原因があるような気がします。
Be-1発売から来年で30年。今も現役のBe-1をたまに見掛けますが、
元々の販売台数の少なさを考えると、
Be-1の残存率の高さって異常に高いんじゃないでしょうか。
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