ここ数年、「新日本プロレスが面白い」っていう話を
よく耳にするようになりました。
『ワールドプロレスリング』(テレビ朝日)が深夜に移ってから、
すっかりご無沙汰になっていたのですが、
今年の夏ごろから久しぶりにプロレスを見るようになりました。
IWGPヘビー級チャンピオンのオカダカズチカ
ドロップキックの高さ、姿勢とも絶品です!
IWGPインターコンチネンタル王者の棚橋弘至 . . . 本文を読む
ボクが見ていた時代、プロレスと言えば猪木でした。
タイガーマスクにキッドにブロディ、好きなレスラーはたくさんいましたが、
猪木はやっぱり特別な存在でした。
世の中にカリスマと呼ばれるヒトは多数おられますが、
猪木ほどのカリスマ性あるヒトをボクは知りません。
ジャイアント馬場は恵まれた体格を生かして、
プロレスの最高峰NWAのタイトルを獲得したのを始め、
多くの強豪レスラーと名勝 . . . 本文を読む
“刺青獣”クラッシャー・バンバン・ビガロ
頭全体に刺青を施したスキンヘッドと
インパクト抜群のネーミング
そして巨体に似合わない身軽な動きで人気をさらいました。
コール時の側転に始まり、
ふわっと浮くようなドロップキックや
延髄斬り、
トップロープからのフライング・ボディプレスなど
軽量級のレスラー顔負けの身のこなしで魅了します。
またプロレスの上手さでも定評があり、
本人 . . . 本文を読む
1984年8月、突如新日本マットに登場したマシーン軍団。
当初ひとりだったのが、
ふたりに増殖。
翌年には4人に。
マネージャーは元国際プロレスの将軍KYワカマツ。
マット界きっての「いいひと」で有名です。
ストロングマシーン1号はのちに藤波辰已によって
正体が明かされるコトになる平田淳嗣であり、
85年4月にワカマツらと仲間割れし、
スーパーストロングマシンに進化。
魔 . . . 本文を読む
プロレスならではの魅力のひとつに、
正体不明の覆面レスラーの存在があります。
"白覆面の魔王"デストロイヤーや
"千の顔を持つ男"ミル・マスカラス、
そして我らが"スーパーヒーロー"タイガーマスクなどなど
それこそメキシコへ行けば、多種多様な覆面レスラーが活躍しています。
そんな中でマスクマンと聞いて真っ先に思い浮かぶのが、
"流星仮面"マスクド・スーパースターです。
新日本プ . . . 本文を読む
"ドラゴン"こと藤波 辰巳(現在は辰爾に改名)
ボクがプロレスを見だした頃、
藤波はジュニアヘビーからヘビー級に転向した時期でした。
身長183㎝とレスラーとしては小柄な藤波は、
「ヘビー級の証明」をするべく
「飛龍十番勝負」と銘打って、バックランド、ブッチャー、
ホーガンなどヘビー級の強豪レスラーと対戦。
そして長州との日本人同士の抗争では、
意地の張り合いから新たなプロレスの魅力を . . . 本文を読む
新日本、WWF(のちのWWE)で一時代を築いたハルク・ホーガン。
1982年、トップ外人だったスタン・ハンセンの抜けた新日本を
救ったのは、ハルク・ホーガンでした。
ハンセンのウエスタン・ラリアットを模した
必殺技アックスボンバーをひっさげ、
(相手ののど笛に叩きつけるラリアットとは違い、
直角に曲げた肘を相手のアゴに叩きつけるそうです。)
「一番」の掛け声で日本のプロレスファン . . . 本文を読む
2m09㎝という日本人離れした巨体で、一時代を築いたジャイアント馬場。
ボクの見ていた80年代にはすでに全盛期を過ぎており、
あんまり強いイメージがありませんでした。
やっぱりジャイアント馬場を語るのであれば、
60年代、70年代の日本プロレスのエース時代、全日本プロレスを立ち上げたころの
数々の名勝負を見ないコトには語れません。
ネットで少し調べただけでも
白覆面の魔王デストロイヤー
. . . 本文を読む
8度に渡ってNWA世界ヘビー級の王者に君臨した
〝ミスター・プロレス″ことハーリー・レイス。
レイスの強さって、ハンセンやブロディのような問答無用に叩き潰すような
パワーファイターではなく、
かといってケンカさせれば強い、マードック的な怖さでもなく、
無類のテクニシャンというのとも違う、独特の凄みだと思います。
例えば、序盤で相手の技を受けきって、相手が優勢に運んでいるような展開をつくり . . . 本文を読む
「世紀の大巨人」と呼ばれたアンドレ・ザ・ジャイアント。
身長2m23cm、体重236kgの巨大な身体は、
それだけで大きな武器であり、
他のレスラーなら単なるつなぎ技であっても
アンドレが繰り出すと一撃必殺の大技となります。
アンドレの凄いところは、単に身体が大きいだけではなく
類まれなレスリングセンスを持ち合わせ、
アンドレが真剣に潰しにいくと
誰も太刀打ちできないとまで言われていました。 . . . 本文を読む
新日本プロレスの一大イベント『IWGP』。
欧州代表として12種類のスープレックスと
フライング・ニール・キックを引っ提げて凱旋帰国を果たした
前田 明(のちに本名の前田日明に改名)。
帰国第1戦は実力者ポール・オンドーフとの対戦でした。
セコンドには師匠のカールゴッチも。
大柄な身体から繰り出すダイナミックな
フライング・ニール・キックは圧巻のひと言。
スロイダー(変形のフロント・ス . . . 本文を読む
第46代NWA世界チャンピオン、
テキサスの若馬ことドリー・ファンク・ジュニア。
プロレスラーのドリー・ファンク(シニア)の長男として
二男のテリーと共に幼いころからプロレスの英才教育を受けて育ったドリー。
その甲斐もあって史上初の兄弟揃っての
NWA世界チャンピオンにまで上り詰めました。
マンガの『タイガーマスク』(原作 梶原一騎/画 辻なおき)では
世界最高峰のレスラーとしてタイガー . . . 本文を読む
一世を風靡したクラッシュギャルズの人気で
女子プロレスが活況を呈していた、1986年。
新たな団体として『ジャパン女子プロレス』が旗揚げしました。
「プロレス版おニャン子クラブ」をコンセプトに
芸能事務所のボンド企画が関わり、秋元康さんがアドバイザーとして、
リングネームを考案したりしていました。
学校の帰りにチケットが余っているからと誘われて、
旗揚げ間もないジャパン女子プロレスを見に行 . . . 本文を読む
夢中でプロレスを見てたころ、新日の常連外人と言えば、
ディック・マードックでした。
「狂犬」や「テキサス・スーパーロデオマシーン」などの異名を持ち
外人レスラーの中で常に2番手、3番手が定位置でした。
これはマードック自身がトップを張るコトに意欲がなく、
「上手いビールが飲めればそれでいい」っていう性格を反映していたそうです。
(母国アメリカでもそれは変わらず
NWAの世界チャンピオンにも . . . 本文を読む
亡くなった祖母がプロレス好きでした。
子供のころ、祖父母の家へ行くとよくプロレスを見ていました。
祖母の贔屓の選手はジャンボ鶴田。
祖母曰く、男前が好きとのコトでした。
ちなみに相撲では若三杉(のちの2代目若乃花)が好みとのコト。
(ボクとは少し基準が違うようです。)
タイガーマスクが現われプロレスブームが巻き起こり、
毎週見るようになったのですが、
どうもジャンボ鶴田を初めとする全 . . . 本文を読む