新日本プロレスの一大イベント『IWGP』。
欧州代表として12種類のスープレックスと
フライング・ニール・キックを引っ提げて凱旋帰国を果たした
前田 明(のちに本名の前田日明に改名)。
帰国第1戦は実力者ポール・オンドーフとの対戦でした。
セコンドには師匠のカールゴッチも。
大柄な身体から繰り出すダイナミックな
フライング・ニール・キックは圧巻のひと言。
スロイダー(変形のフロント・スープレックス)と
リバース・アーム・サルト(ダブルアーム・スープレックス)の
2種類のスープレックスを繰り出し、
鮮やかなデビューを飾りました。
当時、スープレックスが大好きだったので前田の登場は、
大変嬉しかったのを覚えています。
特にフロントスープレックスは見る機会が少なく、
スロイダーが決まったときは小躍りして喜びました。
ローラン・ボック張りの低い軌道を描き、
左足を流すようにヒネりを加えて投げます。
その姿はまるでランボルギーニの猛牛のよう
若手時代の前田を知らなかったので、
凄いのが出てきたモンだと驚きました。
藤波、長州を跳び越して猪木の後釜になるんでは、と思ってました。
IWGP決勝リーグでは猪木戦で
ジャーマン、藤波が封印していた禁じ手ドラゴン・スープレックスで
あと一歩のところまで追い詰めますが、
最後は猪木の延髄斬りであえなくカウントスリー。
(今から思えばとてつもなく大きな一歩ですが)
その後、新日本の正規軍の一員として
長州率いる維新軍との軍団抗争に加わりました。
1983年11月3日の蔵前国技館で行われた
「正規軍VS維新軍 4対4綱引きマッチ」では
綱引きによるくじ引きの結果、
維新軍の大将である長州力との対決が実現しました。
序盤から追い込んでいたように見えたのですが、最後は長州の横綱相撲、
リキラリアットからのサソリ固めの前にレフェリーストップで敗退。
このときの長州の強そうなコト。
対する前田は前歯が抜けていたコトもあり、
凱旋帰国時の輝きはありませんでした。
新日の序列の中で長州よりも下と決定づけられた試合でもありました。
翌年4月に新日を離脱し、新団体のUWF旗揚げに参加。
紆余曲折を経て、新しい格闘スタイルを確立していきます。
UWF以降の迫力ある前田もいいんですが、
ボクは凱旋帰国したときの前田が好きでした。
どうもUWFのシューティングシューズが大柄な前田には似合わない気がするのと
(高田、山崎なんかは似合ってると思いますが)
スープレックスがつなぎ技になってるのが気に入らないんですよ。
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