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″超人″ ハルク・ホーガン

2016年09月21日 | プロレス

新日本、WWF(のちのWWE)で一時代を築いたハルク・ホーガン。

1982年、トップ外人だったスタン・ハンセンの抜けた新日本を
救ったのは、ハルク・ホーガンでした。

ハンセンのウエスタン・ラリアットを模した
必殺技アックスボンバーをひっさげ、




(相手ののど笛に叩きつけるラリアットとは違い、
直角に曲げた肘を相手のアゴに叩きつけるそうです。)


「一番」の掛け声で日本のプロレスファンの心を鷲掴みして、

一躍、新日本のトップ外人の座に就きました。

日本陣営にも加わり、MSGタッグリーグ戦では、
猪木ともタッグを組みました。


同時期に公開された映画『ロッキーⅢ』にサンダー・リップスとして出演し、

人気に拍車が掛かりました。

翌83年には
「世界中に乱立するベルトを統合し、世界最強の統一王者を」という
IWGP構想を実現した第1回IWGPリーグ戦の決勝で、
本命のアントニオ猪木を破り王者に。






そしてWWFへと転戦し、翌84年には
バックランドからベルトを奪ったアイアン・シークを破り、


WWFチャンピオンとまさに破竹の勢い。


WWFのベルトを手に日本に来日(凱旋帰国?)した際は、
ファンから暖かく迎え入れられました。

(このベルトはホーガンが「フライパンみたいでヤダ!」と
駄々をこね、早々に作り替えられたとか。)

その後、新日本とWWFとの提携が切れたため、
しばらく日本に来日しなくなりましたが、
1990年4月13日の日米レスリングサミットでは、
メインイベントで盟友スタン・ハンセンと対戦し、
見事アックスボンバーでフォール勝ちを収めました。




日本では黒いタイツに一番の文字、
アックスボンバーで暴れまくったホーガンですが、
アメリカでは黄色いタイツで、ギロチンドロップをフィニッシュに使うなど、
求められるスタイルを上手く使い分けていました。




タイガーマスクばりに、ヘッドロックから回転して
腕をひねって倒して、レッグロックにいくムーブとか
ありましたよね。

アンドレとの超ド級肉弾戦は、日米通じてドル箱対決でした。
アンドレ相手でも見劣りしない体格はホーガンならではですね。




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