
わが息のわが身に通ひ渡り鳥 飯田龍太
季語は「渡り鳥」。
歳時記では三秋。
本作の季感は仲秋がふさわしいか。
季節を違えずに去来する渡り鳥と、自らの絶え間ない呼吸とを照応させた。
自然の大きな推移のうちに自らの生命を据えた、とも言えるだろう。
ただし、「わが」が繰り返されている点、自然との融合というより、融合しきれない対立が自ずと表れている。
本句を読んで感じる孤寂は、そこに由来しているようだ。
(https://ameblo.jp/brmedit/theme-10040675880.htmlより転載)
飯田龍太は私の最も畏敬する俳人だ
掲句は龍太の句としては異色といえよう
取り合わせの渡り鳥の底通に
秋の孤愁を感じるが
少し物足りないと思うのは私の非力なのだろうか
(小林たけし)
俳句 作者名
ごちゃごちゃのクレヨンの色小鳥来る 望月哲土
てのひらに柱の丸み鳥渡る 川﨑奈美
どこまでも日高見の晴れ鳥渡る 八島岳洋
はらわたの熱きを恃み鳥渡る 宮坂静生
ふるさとの火種をもらい渡り鳥 舘岡誠二
ふわふわと父母訪えば小鳥来る 小川佑華
みずうみは青いキャンバス小鳥来る 飯田愛
もろ肌をつつみ臥す夜の渡鳥 原コウ子
よく切れる庖丁置かれ鳥渡る 平山道子