ああ今日が百日草の一日目 櫂未知子
季語は「百日草」で夏。夏の暑い盛りを咲き通す、憎らしいくらいに丈夫な花だ。メキシコ原産と聞けばうなずけるが、それにしても……。もっとも、名前だけなら「千日草(「千日紅」とも)」というはるかに凄いのがあって、こちらは枯れても花の色が変わらないというから、なかなかにしぶとい。むろん千日も咲いているわけではなく、両者の花期はほぼ同じである。ところで作者は、かなりの夏好きだとお見受けした。咲きはじめた百日草を見つけて、「今日が一日目」だと思いなした気持ちには、すなわちこれからの長い夏への期待が込められている。まだ「一日目」だ、先は長い。そう思って、わくわくしている弾んだ気持ちがよく伝わってくる。似たような発想の句としては、松本たかしの「これよりの百日草の花一つ」を思い出す。だが、こちらの句には櫂句のようなわくわくぶりは感じられない。どことなく「これよりの」暑い季節を疎んでいるかのような鬱積感がある。静かな詠みぶりに、静かな不機嫌が内包されている。作者が病弱だったという先入観が働くからかもしれないのだが、同じ花を見ても、かくのごとくに截然と感情が分かれるのも人間の面白さだろう。二つの句のどちらを好むかで、読者のこの夏の健康診断ができそうだ。セレクション俳人06『櫂未知子集』(2003・邑書林)所収。
(清水哲男)
なんにでも始まりがあって終焉がある。平易な措辞に深い真実とものの哀れを内在させているようだ。作者独特の断定的な表意がここと良い
(小林たけし)
例句 作者
がんばるわなんて言うなよ草の花 坪内稔典
ここからは鳥獣保護区草の花 薮田慧舟
すねてゐる子は忘れられ草の花 千原叡子
どこにでもメモを取る癖 草の花 玉置浩子
やすらかやどの花となく草の花 森澄雄
人形のだれにも抱かれ草の花 大木あまり
今昔のまはりこんだる草の花 松澤昭
幸せと言へばしあはせ草の花 吉田成子
散るまでを頷くばかり草の花 白岩絹子
来し方のところどころに草の花 森茉明
正岡子規に永井隆に草の花 宇多喜代子
色鉛筆あらかた使い草の花 切輪南子
草の花一つは妻が見つけけり 内野修
草の花褒める言葉をさがしおり 渡邊禎子
輝やかに草の花咲く弥陀ヶ原 臼田天城子
雑兵でよいではないか草の花 永野シン