竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
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大花野お尋ね者の潜むなり  三沢浩二

2019-10-07 | 今日の季語


大花野お尋ね者の潜むなり  三沢浩二

秋の草花が咲き乱れている広大な野である。いちめんの草花に埋もれるようにしてお尋ね者が潜んでいるという、ただそれだけのことだが、この「お尋ね者」を潜ませたところに作者の手柄がある。今はあまり聞かない言葉だけれど、読者はその言葉に否応なくとらえられてしまう。昔も今も世を憚るお尋ね者はいるのだ。さて、いかなるお尋ね者なのかと想像力をかきたてられる。そのへんの暗がりや物陰に潜む徒輩とちがって、大花野が舞台なのだから大物で、もしかして風流を解する徒輩なのかもしれない。そう妄想するとちょっと愉快になるけれど、なあに小物が切羽詰って逃げこんだとする解釈も成り立つ。草花が咲き乱れている花野はただ美しいだけでなく、どこかしら怪しさも秘めているようでもある。浩二は岡山県を代表する詩人の一人だった。「お尋ね者」に「詩人」という“徒輩”をダブらせる気持ちも、どこかしらあったのかもしれない――と妄想するのは失礼だろうか。年譜によると、浩二は昨年七十五歳で亡くなるまでの晩年十年間ほど俳句も作り、俳誌で選者もつとめた。追悼誌には自選238句が収録されている。掲出句の次に「悪人来菊人形よ逃げなさい」という自在な句もならぶ。橋本美代子には「神隠るごとく花野に母がゐる」の句がある。この「母」は多佳子であろう。花野には「お尋ね者」も「母」も潜む。「追悼 詩人三沢浩二」(2007)所載。(八木忠栄)

咲き乱れる百花、なにが潜んでいてもおかしくない
華やかながらのうら哀しい空気も澱んでいて
冬に向かう晩秋の切なさもある
作者はそこにお尋ね者が潜んでいるという
そのお尋ね者への作者の優しい情けを感じる
(小林たけし)


あの世ってどんなとこかな花野行く 河黄人
あの雲に乗れば補陀落花野発 宇田篤子
うしろ手に花野夕山旅を閉じ 澁谷道
えんとつに雌雄のありし花野末 澁谷道
おでん啖べゐて花野へ逃げ戻る 文挾夫佐恵
おのずから岐れ道あり大花野 竪阿彌放心
ここまでと踵返せり大花野 鈴木俊子
つらなれば花野に疼く尾てい骨 福本弘明
ふところに入日のひゆる花野かな 金尾梅の門
ふるさとの隧道の先花野かな 山中佐津喜
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