竹とんぼ

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南無秋の彼岸の入日赤々と 宮部寸七翁

2019-09-24 | 今日の季語


南無秋の彼岸の入日赤々と 宮部寸七翁

今日は秋分の日、「秋の彼岸の中日」。俳句で、単に「彼岸」と言えば春のそれを指す。作句の時には注意するようにと、たいていの入門書には書いてある。それかあらぬか、秋彼岸句には「彼岸」そのものに深く思い入れた句は少ないようだ。秋の彼岸は小道具的、背景的に扱われる例が多く、たとえば来たるべき寒い季節の兆を感じるというふうに……。これにはむろん「暑さ寒さも彼岸まで」の物理的な根拠もあるにはある。が、大きな要因は、おそらく秋彼岸が農民や漁民の繁忙期と重なっていたことに関係があるだろう。忙しさの真っ盛りだが、墓参りなどの仏事に事寄せて、誰はばかることなく小休止が取れる。つまり、秋の彼岸にはちょっとしたお祭り気分になれるというわけで、このときに彼岸は名分であり、仕事を休むみずからや地域共同体の言いわけに近い。勝手に休むと白い目で見られた時代の生活の知恵である。「旧家なり秋分の日の人出入り」(新田郊春)、「蜑のこゑ山にありたる秋彼岸」(岸田稚魚)など。「蜑」は「あま」で海人、漁師のこと。どことなく、お祭り気分が漂っているではないか。その点、掲句は彼岸と正対していて異色だ。「南無」と、ごく自然に口をついて出ている。赤々とした入日の沈むその彼岸に、作者の心の内側で深々と頭を垂れている感じが、無理なく伝わってくる。物理的な自然のうつろいと心象的な彼岸への祈りとが、見事に溶けあっている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)



【秋彼岸】 あきひがん
◇「後の彼岸」(のちのひがん) ◇「秋彼岸会」(あきひがんえ)
秋分の日(9月23日ごろ)を中日とした1週間。彼岸会として仏事を行うことは春の彼岸と同じ。単に「彼岸」といえば春の彼岸をさす。単に「彼岸」というと春の彼岸なので、「後の彼岸」ともいう。

例句 作者

東京に井戸ある不思議秋彼岸 能村研三
濡れつづく母の爪革秋彼岸 中村明子
地獄波凪ぎ誕生寺秋彼岸 吉川鬼洗
畑中に火を焚く音の秋彼岸 三谷道子
故ありてあづかる位牌秋彼岸 亀田月庭
秋彼岸足音ばかり空ばかり あざ蓉子

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