ふるさとはよし夕月と鮎の香と 桂 信子
ひさしぶりの故郷での、それもささやかな宴の席での発句だろう。たそがれどき、懐しい顔がそろった。それだけでも嬉しいのに、ふるさと名物の新鮮な鮎が食膳にのぼり、ようやく暗くなりはじめた空には、見事な夕月までがかかっている。文句無しの鮮やかな故郷賛歌だ。ちなみに、作者は大阪生まれである。関西には「はんなり」という色彩表現があって、私には微細な感覚までは到底わからないのだが、この夕景はなんとなく「はんなり」しているように思われる。京都在住の詩人の天野忠さんも、好んで使われた言葉だった。ところで、この句はこれでよしとして、私も含めた読者がそれぞれの郷里をうたうとすれば、どのようなことになるのだろうか。わが故郷には、残念ながら、食膳に乗せて故郷を表現できるこれといった物はなさそうだ。『月光抄』(1938-1948)所収。(清水哲男)
【鮎】 あゆ
◇「年魚」(ねんぎょ) ◇「香魚」(こうぎょ) ◇「囮鮎」(おとりあゆ) ◇「鮎の宿」 ◇「鮎時」 ◇「鮎釣」 ◇「鮎膾」(あゆなます)
アユ科の川魚。秋、川で生まれるとまもなく海に下り冬は海で過ごす。春になる再び川を遡り、夏は上流で過ごす。秋には川の中・下流域へ下り産卵し、多くは死んでしまう。わずか1年の命であることから年魚という。香魚とも呼ばれるのは、川の清流の岩についた藻を食べるので、独特のよい香りがあることから。
例句 作者
鮎の腸口をちひさく開けて食ふ 川崎展宏
初鮎の目もと正しく焼かれけり 篠原とし
さび鮎をひとり食ふ影大いなり 殿村莵絲子
美作の父母の墓辺も鮎の頃 光信春草
鮎一尾反りて山雨のざんざ降り 鳴瀬芳子
どの部屋にゐても水音鮎の宿 小森広司
鮎打つや天城に近くなりにけり 石田波郷
鮎食べてかなしきまでに山の冷 秋山幹生