竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

不器用に見せてしたたか牛蛙 たけし

2019-06-12 | 入選句


不器用に見せてしたたか牛蛙 たけし

2019年6月12日㈬
朝日新聞 栃木俳壇の石倉夏生先生の選をいただきました
ここのところ落選つづきだったので
やはり嬉しい

句意は平明で深いところはないのだけれど
牛蛙との配合に自分自身で納得した1句である
コメント

時の日や縄文服を着てをりぬ 宮岡節子

2019-06-10 | 今日の季語


時の日や縄文服を着てをりぬ 宮岡節子

季語は「時の記念日」で夏。大正九年に定められ、天智天皇の十年(661)四月二十五日(陽暦六月十日)、漏刻(水時計)を使用した日を記念した日だ。滋賀県大津市の近江神宮では例年通り、今日の午前11時から「漏刻祭」が行われる。つまり「時の記念日」は「時間の記念日」ではなく「時計の記念日」である。私の子どもの頃には、この記念日は、今とは比較にならないくらいに、社会的に意識されていたと思う。学校の朝礼では時間厳守の大切さが話されたし、新聞でも必ず時計に関する何らかの話題が載っていた。それはひとえに、まだ時計が高価であり普及していなかったせいだったろう。時間厳守と言われても、子どもが腕時計を持つこともなかったし、大人でも田舎で持っている人は稀だった。時計といえば、家に固定された柱時計のみで、一歩表に出るや、正確な時刻などはわからない。わからないから、待ち合わせの時間に遅れるなどは日常茶飯事であり、いくら教師がしゃかりきになって時間厳守を説いても、無駄な説教なのであった。私の田舎では、いまでも農作業や山仕事の人々に時刻を知らせるために、朝昼夕と役場のサイレンを鳴らしている。そんな環境なので、集会の開始時刻なども、いまだに「田舎時間」のようだ。定刻通りに、きっちりとははじまらないのである。ひるがえって今の都会では、時計は自分の腕をはじめとして、いたるところに存在している。たとえ時計を持っていなくても、すぐに時刻がわかるほどだ。便利といえば便利だが、時計の普及のせいで、私たちの生活の合理化は極端に進んでしまい、もはや道具にすぎないはずの時計に支配されていると言っても過言ではない。掲句は、そんな世の中に対する皮肉なのだろう。擬似的にせよ、何かのイベントで縄文服を着てみることくらいしか、私たちはゆったりとした時の流れを味わうこともままならないというわけだ。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)

【時の記念日】 ときのきねんび
◇「時の日」
6月10日。天智天皇の時代、初めて宮中に漏刻(水時計)を置いて時を知らせたことに基づいて、大正9年(1920年)より記念日とされた比較的新しい年中行事。時間の観念の尊重や時間厳守を大切とする。

例句 作者

時の日の水の近江に遊びけり 大原教恵
時の日の日時計刻まぬまま暮れぬ 福田和子
時の日や近江神宮御造営 青木月斗
コメント

尺蠖のどこまで行くもまだ途中

2019-06-09 | 入選句



尺蠖のどこまで行くもまだ途中  たけし

2019年6月9日㈰
朝日俳壇 大串先生の選を頂いた
大串章先生の選は今年2度目
通算では2014年度から6回目
以下が今までの入選句だ
一斉に稲穂手を振り熱気球 2014/9/29
生身魂せつなきときは早く寝る 2015/10/26
百選の水てのひらに晩夏光 2016/8/22
煮大根何度も本音聞き返す 2018/2/19
抑留記読み止しを繰る冬籠り 2019/2/3

一年に1度あるかなしなのに
今年前半に2度の入選はちょっと信じられない

朝日俳壇は4人の選者が全投句を選句するかたちなので
どなたの選を得るかは分からない
善選者に選ばれた俳句はまだ見たことは無い
選者の好みや拘り、選句の条件がそれぞれ違うのが理由だと思う
一度だけ二人の選者に同時に選を得たことがあったが
これは希有なことdr狂気した記憶がある

最近は投句に際しては選者を予想している
掲句は大串章先生を予測したものだったので
その的中にも感激している

朝日俳壇への今年の入選目標は4句
この入選で達成したことになる
コメント

緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野

2019-06-08 | 今日の季語


緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野

誰にでも、季節は平等にめぐりくる。が、受け取り方は人さまざまだ。病者にとっては、とくに春のつらい人が多い。中途半端な気温、中途半端な自然の色彩。あるいはそこここでの生命の息吹きが、衰えていく身には息苦しいからである。そんな心境を強く表白すれば、この句のようになる。この句を読んで、誰も「あさましい」などとは思わないだろう。今年も、元気者だけのための「ゴールデン・ウィーク」がやってくる。(清水哲男)

【万緑】 ばんりょく


夏の見えるかぎり草木が緑であることをいう。中村草田男の『万緑の中や吾子の歯生え初むる』により、季語として定着した。

例句  作者

万緑を顧みるべし山毛欅峠 石田波郷
万緑に火をうち込みぬ登り窯 落合水尾
万緑や舟唄水に谺して 土屋うさ子
万緑や悲しみをもて胸充たす 殿村菟絲子
牛乳を飲む万緑に負けぬやう 辻 美奈子
万緑やバスの後退笛ひとつ 那須淳男
萬緑の動いて風の五浦かな 福島壺春
スイッチバックして万緑の深くなる 木村葉子
万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男
竹生島万緑太りしてゐたり 久染康子 
コメント

紫陽花や帰るさの目の通ひ妻 石田波郷

2019-06-07 | 今日の季語


紫陽花や帰るさの目の通ひ妻 石田波郷

波郷の句が苦手だという人は、意外に多い。いわゆる「療養俳句」の旗手だからではなく、描写が「感動を語らない」(宗左近)からである。この句もそうだ。見舞いに来た妻が、つと紫陽花に目をやったとき、その目が「帰るさ(帰り際)」の目になっていたというのだが、それだけである。妻の目が、作者にどんな感情を引き起こさせたのかは書かれていないし、読者に余計な想像も許さない。冷たいといえば、かなり冷たい感性だ。しかし、私は逆に、長年病者としてあらねばならなかった男の気概を感じる。平たく言えば、人生、泣いてばかりはいられないのだ。寂しい気分がわいたとしても、それを断ち切って生きていくしかないのだから……。(清水哲男)



【紫陽花】 あじさい(アヂサヰ)
◇「四葩」(よひら) ◇「七変化」(しちへんげ) ◇「刺繍花」(ししゅうばな)

ユキノシタ科の落葉低木。額紫陽花の園芸用改良種とされる。色は青から赤紫、また白色もある。花の色が変化することから「七変化」また4枚のガクが目立ち花びらのように見えることから「四葩」とも呼ばれる。

例句  作者

あぢさゐや生き残るもの喪に服し 鈴木真砂女
紫陽花の雨に濃くなる蒙古斑 石田玲子
紫陽花に霧くづれ舞ふ強羅の灯 横光利一
田に水を張つて紫陽花あかりかな 山上樹実雄
四葩切るや前髪わるゝ洗髪 杉田久女
あぢさゐに倖の色つひになし 殿村莵絲子
コメント

大灘を前に芒種の雨しとど/宇多喜代子

2019-06-06 | 今日の季語


大灘を前に芒種の雨しとど 宇多喜代子


【芒種】 ぼうしゅ(バウ・・)


二十四節気のひとつ。6月6日頃に当る。(小満の15日後)芒(のぎ)ある穀物を播く時期の意で、田植もこの頃から始まる。また入梅の頃でもある。

例句  作者

打集ひ何を芒種の鍛錬会/高澤良一
中空に見えて芒種の月の暈/岡田詩音
引潮に砂緊りたる芒種かな/後藤綾子
暁の西より晴るゝ芒種かな/後藤昭女
芒種はや人の肌さす山の草/鷹羽狩行
芒種なり水盤に粟蒔くとせむ/草間時彦
ガラス器と芒種の湖とがやがやす/金田咲子
コメント

ふるさとはよし夕月と鮎の香と 桂 信子

2019-06-05 | 今日の季語


ふるさとはよし夕月と鮎の香と 桂 信子

ひさしぶりの故郷での、それもささやかな宴の席での発句だろう。たそがれどき、懐しい顔がそろった。それだけでも嬉しいのに、ふるさと名物の新鮮な鮎が食膳にのぼり、ようやく暗くなりはじめた空には、見事な夕月までがかかっている。文句無しの鮮やかな故郷賛歌だ。ちなみに、作者は大阪生まれである。関西には「はんなり」という色彩表現があって、私には微細な感覚までは到底わからないのだが、この夕景はなんとなく「はんなり」しているように思われる。京都在住の詩人の天野忠さんも、好んで使われた言葉だった。ところで、この句はこれでよしとして、私も含めた読者がそれぞれの郷里をうたうとすれば、どのようなことになるのだろうか。わが故郷には、残念ながら、食膳に乗せて故郷を表現できるこれといった物はなさそうだ。『月光抄』(1938-1948)所収。(清水哲男)

【鮎】 あゆ
◇「年魚」(ねんぎょ) ◇「香魚」(こうぎょ) ◇「囮鮎」(おとりあゆ) ◇「鮎の宿」 ◇「鮎時」 ◇「鮎釣」 ◇「鮎膾」(あゆなます)
アユ科の川魚。秋、川で生まれるとまもなく海に下り冬は海で過ごす。春になる再び川を遡り、夏は上流で過ごす。秋には川の中・下流域へ下り産卵し、多くは死んでしまう。わずか1年の命であることから年魚という。香魚とも呼ばれるのは、川の清流の岩についた藻を食べるので、独特のよい香りがあることから。

例句 作者

鮎の腸口をちひさく開けて食ふ 川崎展宏
初鮎の目もと正しく焼かれけり 篠原とし
さび鮎をひとり食ふ影大いなり 殿村莵絲子
美作の父母の墓辺も鮎の頃 光信春草
鮎一尾反りて山雨のざんざ降り 鳴瀬芳子
どの部屋にゐても水音鮎の宿 小森広司
鮎打つや天城に近くなりにけり 石田波郷
鮎食べてかなしきまでに山の冷 秋山幹生
コメント

六月の氷菓一盞の別れかな 中村草田男

2019-06-04 | 今日の季語


六月の氷菓一盞の別れかな 中村草田男

氷菓(ひょうか)にもいろいろあるが、この場合はアイスクリーム。あわただしい別れなのだろう。普通であれば酒でも飲んで別れたいところだが、その時間もない。そこで氷菓「一盞(いっさん)」の別れとなった。「盞」は「さかずき」。男同士がアイスクリームを舐めている図なんぞは滑稽だろうが、当人同士は至極真剣。「盞」に重きを置いているからであり、盛夏ではない「六月の氷菓」というところに、いささかの洒落れっ気を楽しんでいるからでもある。「いっさん」という凛とした発音もいい。男同士の別れは、かくありたいものだ。実現させたことはないけれど、一度は真似をしてみたい。そう思いながら、軽く三十年ほどが経過してしまった。(清水哲男)

【六月】 ろくがつ(・・グワ・・)
6月は俳句の上では仲夏になる。緑も深まり、夏らしさが目について来ると同時に梅雨入りの時期でもある。
例句 作者
六月のわが隠れ場に河馬を飼ふ 高島さつ子
六月や比叡をはなるゝ根なし雲 下村牛伴
山毛欅の樹の水を吸ふ音六月来 平野無石
六月の女坐れる荒筵 石田波郷
六月の花のさざめく水の上 飯田龍太
六月の砂浜に逢ふ人もなく 星野高士

コメント

時計屋の微動だにせぬ金魚かな  小沢昭一

2019-06-03 | 今日の季語


時計屋の微動だにせぬ金魚かな  小沢昭一

さしたる蔵書もない(失礼)吉祥寺図書館の棚で、俳優の小沢昭一の句集『変哲』(三月書房)をみつけた。なぜ、こんな珍本(これまた失礼)がここにあるのかと、手に取ってみたら面白かった。「やなぎ句会」で作った二千句のなかから自選の二百句が収められている。この作品は、手帳にいくつか書き写してきたなかの一句だ。古風な時計店の情景ですね。店内はきわめて静かであり、親父さんも寡黙である。聞こえる音といったら、セコンドを刻む秒針の音だけ。金魚鉢の金魚も、静謐そのもの……。一瞬、時間が止まったような時計店内の描写が鮮やかである。うまいものですねえ。脱帽ものです。(清水哲男)

【金魚】 きんぎょ
◇「和金」 ◇「琉金」 ◇「出目金」 ◇「蘭鋳」(らんちゅう) ◇「丸子」(まるこ) ◇「尾長」 ◇「獅子頭」(ししがしら) ◇「錦蘭子」(きんらんし)
金魚は鮒の養殖変種。もともと中国から輸入された鮒がその後日本で品種改良されたもの。和金、出目金、琉金、蘭鋳など多数の種類があり、今では海外にも輸出されている。天秤を担いだ金魚売り、夏の夜店にならぶ金魚店と金魚すくい、涼しげな金魚鉢など、観賞されるだけでなく、多くの歌に詠まれている。

例句 作者

蘭鋳や漁夫に飼はれて静かなり 有馬朗人
金魚大鱗夕焼の空の如きあり 松本たかし
いきいきと灯を身のいろに夜の金魚 渡辺恭子
淋しくて金魚たくさん飼ひにけり 館岡りそ
寝支度の金魚がひとつ泡を吐き 本庄登志彦

コメント

恋文の起承転転さくらんぼ  池田澄子

2019-06-02 | 今日の季語


恋文の起承転転さくらんぼ  池田澄子

自分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」という次第。さながら「さくらんぼ」のように転転としてとりとめもないのだが、しかし、そこにこそ恋文の恋文たる所以があるのだろう。微笑や苦笑や、はたまた困惑や喜びをもたらす恋文の構造を分析してみれば、その本質は「起承転転」に極まってくる。「さくらんぼ」を口にしながら、このとき作者はおだやかな微笑を浮かべているにちがいない。同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。「さくらんぼ」の転転どころではない「起承転転」もなはだしい手紙なのだ。もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)

さくらんぼ】 さくらんぼ
◇「桜桃の実」(おうとうのみ) ◇「桜桃」

一般にいう「さくらんぼ」は西洋実桜の実のこと。「桜桃の実」ともいう。木はバラ科の落葉高木で、桜に似た白い花をつける。「桜桃」は本来中国原産のシナミザクラの漢名で別種である。この実も食用になるが栽培はされていない。ほのかな酸味を伴った甘さと愛らしい形を持つさくらんぼは夏の果物として人気が高い。

例句 作者

桜桃のこの美しきもの梅雨の夜に 森 澄雄
硝子器の底はや見えてさくらんぼ 藤南桂子
さくらんぼ赤子に一語生まれけり 曽根澄子
コメント

幼な顔残りて耳順更衣 本田豊子

2019-06-01 | 今日の季語



幼な顔残りて耳順更衣 本田豊子

耳順(じじゅん)は、六十歳の異称。「論語」による。四十歳の「不惑」はよく知られているが、どういうわけか「耳順」は人気がない。「人の話がちゃんとわかる」年令という意味だけれど、この受け身的な発想が好まれないのかもしれない。それはともかく、この句は巧みだ。人が、新しい気持ちで衣服を身につけたときの、一瞬の表情を見逃さずに作品化している。六十歳の初々しさをとらえて、見事な人間賛歌となった。実に鋭い。そして暖かい。(清水哲男)

【更衣】 ころもがえ(・・ガヘ)
◇「衣更う」(ころもかう)
季節の変化に対応して衣服を着替えること。平安時代の宮中から伝わる儀式。江戸時代では4月1日、10月1日をもって春夏の衣を変える日とした。現在では、学生の制服とサービス業関係の職場を中心に、6月1日と10月1日の衣更が残る。一方で和服には、今も歴然とした区別がある。爽やかな季節の推移を感じる風習の1つである。

例句 作者

身ひとつを大阪に置く更衣 長谷川 櫂
ちんどん屋通るが見えて更衣 藤田あけ烏
人にやゝおくれて衣更へにけり 高橋淡路女
丹沢の雲晴れてくる更衣 藤田弥生
更衣駅白波となりにけり 綾部仁喜
更衣ポケットにある皺のメモ 武藤あい子
更衣昨日と今日と違ふ風 桧林ひろ子
衣更へて鏡中ひとり遊びをり 佐山文子
神官の白から白へ衣更 板谷芳浄
過去遠くなるばかりなる更衣 岡安仁義
コメント