竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

此のあたり目に見ゆるものは皆涼し 芭蕉

2017-07-15 | 芭蕉鑑賞
此のあたり目に見ゆるものは皆涼し




季語:涼しー夏  出典:藤の実  年代:元禄6年(1693年:49才位)
河のほとりの水楼に登って眺める景色はまことにすばらしい。
暑さを払う涼風に、
あたりのに見えるものすべてが涼しげである、の意。

※『笈日記』には「十八楼の記」と題する長い文章の末に付記する。
文は、稲葉山麓の賀島鴎歩(おうほ)〈岐阜の油商で俳人〉の水楼から見渡した長良川や、
遠近の農漁村、北方の連山など、
広い眺望を風景画風に描き、
その美景を中国の瀟湘(しょうしょう)八景・西湖十景になぞらえて、
水楼に「十八楼」の名を与えたもの。

流伴鑑賞
句だけで鑑賞すればなんとも平明だが
この句の収まるところをみれば
その深さが解けてくる
俳句は作品の背景と作者を理解することも大切のように感じる
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子ども等よ昼顔咲きぬ瓜むかん 芭蕉

2017-07-14 | 芭蕉鑑賞
子ども等よ昼顔咲きぬ瓜むかん



季語:昼顔ー夏  出典:藤の実  年代:元禄6年(1693年:49才位)
子どもらよ、
昼顔が咲いたぞ。
ここへ集まって瓜をむいて食べようではないか、の意。

流伴鑑賞
芭蕉がここでは一茶のようだ
芭蕉にもこの句があることが嬉しくもある
これも旅の途中なのかもしれない
人恋しい気分も滲んでいる
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京にても京なつかしやほととぎす 芭蕉

2017-07-13 | 芭蕉鑑賞
京にても京なつかしやほととぎす



(季語:ほととぎすー夏  出典:己が光  年代:元禄3年(1690年:46才位)
ホトトギスの声を聞いていると、
現在京都にいながら
いまさら京都が懐かしくなる、の意。

流伴鑑賞
芭蕉は京都をことのほか好んでいたのだろう
たくさんの知己もいて
さまざまな出来事、そして京の街並みや歴史
京に居るからこそそんな感慨がふかまるのだろう
そしてこのほととぎすの声
まちがいなくここは京都なのだ
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五月雨を集めて早し最上川 芭蕉

2017-07-12 | 芭蕉鑑賞
五月雨を集めて早し最上川




(季語:五月雨ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
折からの五月雨を集めて、
最上川は滔々と急流をなしている。
その速い流れの中を船で下っていくことよ、の意。

流伴鑑賞
芭蕉の代表作ののひとつ
おくの細道でも出色の作品
とうとうと流れのはやい最上川
船上の芭蕉が目に浮かぶ

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記五月雨を降り残してや光堂 芭蕉

2017-07-11 | 芭蕉鑑賞
五月雨を降り残してや光堂



季語:五月雨ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
じめじめした五月雨も、
ここばかりは降り残したのであろうか、
(平泉中尊寺の)光堂は今も昔のままの光輝を保っている、の意。

流伴鑑賞
何回か訪れた光堂
芭蕉の光堂をみての率直な感慨
降り残しては の措辞は他にみたことがない
写生の中に芭蕉が生きている
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やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

2017-07-10 | 芭蕉鑑賞
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声




季語:蝉ー夏  出典:猿蓑  年代:元禄3年(1690年:46才位)
盛んに鳴きたてる蝉の声を聞いていると、
秋を待たずに
すぐ死んでしまうような様子は少しも見えない、の意。

流伴鑑賞
芭蕉は目に見えないものを見る
奥深いところを見る
そして事実だけを詠む
だれもが気づいていて言葉にできなかった事を詠む
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あらたふと青葉若葉の日の光 芭蕉

2017-07-09 | 芭蕉鑑賞
あらたふと青葉若葉の日の光



季語:青葉若葉ー夏  出典:おくのほそ道  年代:元禄2年(1689年:45才位)
この日光山一帯の青葉若葉に夏の日が降り注いで、なんとまあ尊げであることよ、の意。

流伴鑑賞
「日光山に詣づ」との前詞があり、四月一日、
日光東照宮参詣の折りの作である。
 「日の光」に地名「日光」を掛け、
初夏の日に映える新緑美の中に
神域の荘厳感を織り籠めている。

日光には句碑がある
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蟻の道雲の峰よりつづきけん 一茶

2017-07-08 | 一茶鑑賞
蟻の道雲の峰よりつづきけん



季語:雲の峰ー夏  出典:おらが春  年代:文政2年(1819年:56才位)
今、目前に蟻の列が続いている。
この蟻の列は、あのはるかな入道雲から
続いてきているのであろうか、の意。

流伴鑑賞
おそらくは列の最後尾が見えない蟻の列に遭遇したのだろう
最近は見ないが私も子供のころに
どこまでこの蟻の列が続くのだろうと
その最後尾を探した覚えがある

あの雲の峰からとはさすがに一茶か・・・
蟻も雲の峰も夏の季語だが
この場合はやはり雲の峰が主だ
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蝉鳴くや我が家も石になるやうに 一茶

2017-07-07 | 一茶鑑賞
蝉鳴くや我が家も石になるやうに




季語:蝉ー夏  出典:七番日記  年代:文化10年(1813年:50才位)
蝉の激しく鳴きたてる声を聞いていると、
自分の住む家そのものが黙し凝結して
石になってしまうような感覚に襲われる、の意。

流伴鑑賞
上記の句意に明らかだが
一茶のこの時の年齢は50才の老境である
蝉の声には抗えない強さがある
諸行無常、我家が石になるとは
一茶はすでに悟りきっていたのではなかろうか
ものの哀れを超えている
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湖へずり出しけり雲の峰  一茶

2017-07-06 | 一茶鑑賞
湖へずり出しけり雲の峰



季語:雲の峰ー夏  出典:八番日記  年代:文政3年(1820年:57才位)
湖上にもくもくと成長した真っ白な入道雲が壮大なばかりにわき出てきた情景。
(如風訳:湖上に湧き立った入道雲が、湖面に映し出されて大きくなっていく、の意。)

流伴鑑賞

句意は簡明だがなか、なかそのまんまには詠めない
中七を「ずりいだし」との音で読まないといけない
これが入道雲の沸きあがる光景を助長して余韻を生んでいる
漂白の旅人は感性が研ぎ澄まされる
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大蛍ゆらりゆらりと通りけり 一茶

2017-07-05 | 一茶鑑賞
大蛍ゆらりゆらりと通りけり



(季語:蛍ー夏  出典:おらが春  年代:文政2年(1819年:56才位)
夏の世の闇の中を大きな蛍が悠々と光って飛んでゆく、の意。

流伴鑑賞
この句を詠んだ一茶は56才
蛍は黄泉路への案内の灯りともいわれる
いつもの蛍よりも大ぶりの蛍
一茶は己の来し方を振り返り
長くない命を思い
蛍に魂のように感じたのではないだろうか
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大の字に寝て涼しさよ淋しさよ 一茶

2017-07-04 | 一茶鑑賞
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ




季語:涼しー夏  出典:七番日記  年代:文化10年(1813年:50才位)
我が家では大の字に寝ころんでも、誰に気兼ねすることなく、涼しさを味わえる一方、
独り身の淋しさもかんじることである、の意。

流伴鑑賞
一茶がこんなにも自分の感情を
あからさまに訴えていることに驚くが
おそらくは
さびしさよ の措辞は
さぶしいよ との感情ではなく
ひとつの到達した悟りの境地
満ち足りた充足感なのだろうと思うのは私だけか?
寂しさは人を本物にする
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夏山や一足づつに海見ゆる 一茶

2017-07-03 | 一茶鑑賞
夏山や一足づつに海見ゆる




季語:夏山ー夏  出典:享和句帖  年代:享和3年(1803年:40才位)
夏山をのぼりつめてゆくと、
頂近くなって、
一足ごとに青々と光る海がだんだん見えてくる、の意。

流伴鑑賞
内陸から山道をきて峠を越えたのであろう
眺望は一気に変化する
ここからは一歩づつ海に向かって歩くのだ
海風も潮の香も感じられる
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やれ打つな蠅が手をすり足をする 一茶

2017-07-02 | 一茶鑑賞
やれ打つな蠅が手をすり足をする




季語:蠅ー夏  出典:八番日記  年代:文政四年(1821年:58才位)
蠅たたきで蠅を打とうとすると、蠅がしきりに手足をすり合わせるのを見て、
人間が手をすり合わせて命乞いをするさまに見立て、
はっとして打つのを思いとどまった、の意。

流伴鑑賞

蠅は手足の触覚で触れたものの正体を判断するのだという
手足を擦るのは
命乞いどころか
次の獲物を確かなものにするために
手足を研いでいるのが本当らしい
一茶はだまsれたか


一茶の真骨頂を感じる句だ
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しづかさや湖水の底の雲の峰 一茶

2017-07-01 | 一茶鑑賞
しづかさや湖水の底の雲の峰





季語:暑さー夏  出典:寛政句帖  年代:寛政4年(1792年:29才位)

湖水の彼方に沸き出た真っ白な入道雲が、青々とした湖水の底に影を映して動かない。
あたりはしんとして、炎熱の中に静かさが感じられる、の意。

流伴鑑賞

真夏の海、湖、沼、池に映る雲を詠んだ句は数多だが
この景を「しずけさや」と詠った句を他に知らない
真夏の灼ける日差しの中、舟に乗っての旅の途中なのだろうか
日を避けるものも乏しく
ただじりじりと暑さに耐えるのみなのであろう
水底の雲もじっと耐えているようだ

このしずけさは、声を出す気も抑えてしまう
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