郷里の生家へ久しぶりに帰る 2010-02-15 14:21:43 | 先祖を訪ねて 小学生時代に手作りの竹スキーで学校へ行き、竹スキー競技をした記憶が蘇る。 果物糀に取り組んで種々な果物の糀を検証していますが、田舎に柚子が生っている事を知り帰って来ました。 生家の襖絵が郷里のお寺雨錫寺(高野山真言宗・民族無形文化財「御田舞」)の襖絵と同じ絵師によって、同時期に書かれています。 これにはこの様な話があります。「昔、絵師が本来寺の仕事で本多で宿を貰っていたそうです。 当時、本多に綺麗な娘があって、独身の絵師が恋心を描いて、その目的で、襖絵を描かせて下さい!寺の襖絵が完成してからと・・・。 そのような訳で、寺の襖絵より我が生家の襖絵が綺麗です。・・・ 今も、寺の襖絵は御座います。 « みかんコンニャクの作り方 | トップ | 食料自給率を高めるご飯料理... »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 何時も美味しそうな料理を拝見しています。 (松井 萌) 2010-02-17 22:54:26 何時も美味しそうな料理を拝見しています。昔ながらのご飯の主食と、味噌汁、香の物、おかずというパターンが崩れて、自給率の低下をお嘆きのこと、同様に存じます。自給率について、また、別の見方を私のサイトに示しますた。結論から言えば、今、日本人は食糧の70%以上を海外の耕地に委ねています。カロリーベースとか金額ベースとか、尺度は違いますが、面積ベースというのも絶対的な重みを持ちます。国内耕地は460万ha。海外からの輸入は1200万ha相当です。日本の国土は、高々、3千万人が限界のようです。日本の国土面積は37万平方キロ。海外耕地に依存する面積は12万平方キロ。いくら頑張っても、自給率を100%とすることは不可能です。気が遠くなる目標です。しかし、およそ、3千万人しか食糧を生産できない国が、何時しか、12000万人の人を要するまでになっていることに驚きを禁じ得ません。ところで、「美味しさ」について、私見を認めます。昔、昭和30年代、までの農産物は美味しかったと思います。戦後の復興とともに、耕運機、トラクター、化成肥料が普及し、農業の生産性が高まりました。人力での農作業に比べれば、エンジンの力は100人力。疲れも知りません。若い人は、新し農機具で広い耕地を簡単に耕し、年寄りを家の片隅に追いやりました。このとき、昔ながらの「肥し」は姿を消しました。今、新しい高価な数億円も、10億円もする計測機器で判明しつつあることですが、昔の肥しは、作物に炭素を与えていたようです。勿論、炭ではありません。酢酸とかプロピオン酸とかいう有機物です。それが肥しの中に含まれて、作物に与えられ、そして、恰も日光のような役割を演じていたようです。窒素、リン、カリというような肥料では代替できません。気候の良い年は、豊作をもたらしました。豊作の年は、何でも美味しいとされていました。日光が作物に作用するとき、最初に、作物に生じる現象は、ブドウ糖の生成です。光合成です。ブドウ糖の体内濃度が高まれば、作物は否応なく、成長しようとするのでしょう。体の組織を大きくします。このとき、植物の体内ではブドウ糖の濃度が高まっています。化学反応、同化反応、代謝反応が迅速に進行するのは減員となるブドウ糖の濃度の高まりです。濃度が高いほど反応は早くなります。ブドウ糖の濃度が高いことは、糖分濃度が高いことでもあり、美味しいことでもあります。昔の肥しは、作物に有機物を与えることから、光合成の負担を減らし、ブドウ糖消費が抑制され、ブドウ糖濃度が高まります。今、食事が肉乳に傾いているのは、野菜やご飯のおいしさのレベルが低いからだと思います。日頃、お菓子ばかり食べてご飯を食べない子供が、田舎(良いコメの地方)へ行くと、折角、準備していた高価なお菓子ではなく、御飯ばかりお代わりして、他のものを食べない、と言ってました。子供は1千円札と500円玉の価値の違いが判らず、500玉を欲しがります。感覚的にきれいだからです。お菓子とご飯、本人にとって美味しいものに手を伸ばします。美味しいコメなら、自然と、御飯好きになるような気がします。ただ、今、そのような栽培は少ないように思います。それにしても、見事な襖絵と思います。どうぞ、ご自愛のほど。 返信する 松井 萌様 (本多碩峯) 2010-02-18 12:20:03 松井 萌様合掌 素晴らしいコメントを頂きまして衷心より厚く御礼申し上げます。 貴兄のご意見が快く小生の心に入ります。 此れを機会に宜しくお願いも仕上げます。 再拝 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
昔ながらのご飯の主食と、味噌汁、香の物、おかずというパターンが崩れて、自給率の低下をお嘆きのこと、同様に存じます。
自給率について、また、別の見方を私のサイトに示しますた。結論から言えば、今、日本人は食糧の70%以上を海外の耕地に委ねています。カロリーベースとか金額ベースとか、尺度は違いますが、面積ベースというのも絶対的な重みを持ちます。国内耕地は460万ha。海外からの輸入は1200万ha相当です。日本の国土は、高々、3千万人が限界のようです。
日本の国土面積は37万平方キロ。海外耕地に依存する面積は12万平方キロ。いくら頑張っても、自給率を100%とすることは不可能です。
気が遠くなる目標です。しかし、およそ、3千万人しか食糧を生産できない国が、何時しか、12000万人の人を要するまでになっていることに驚きを禁じ得ません。
ところで、「美味しさ」について、私見を認めます。昔、昭和30年代、までの農産物は美味しかったと思います。戦後の復興とともに、耕運機、トラクター、化成肥料が普及し、農業の生産性が高まりました。人力での農作業に比べれば、エンジンの力は100人力。疲れも知りません。若い人は、新し農機具で広い耕地を簡単に耕し、年寄りを家の片隅に追いやりました。このとき、昔ながらの「肥し」は姿を消しました。
今、新しい高価な数億円も、10億円もする計測機器で判明しつつあることですが、昔の肥しは、作物に炭素を与えていたようです。勿論、炭ではありません。酢酸とかプロピオン酸とかいう有機物です。
それが肥しの中に含まれて、作物に与えられ、そして、恰も日光のような役割を演じていたようです。
窒素、リン、カリというような肥料では代替できません。
気候の良い年は、豊作をもたらしました。
豊作の年は、何でも美味しいとされていました。
日光が作物に作用するとき、最初に、作物に生じる現象は、ブドウ糖の生成です。光合成です。
ブドウ糖の体内濃度が高まれば、作物は否応なく、成長しようとするのでしょう。体の組織を大きくします。
このとき、植物の体内ではブドウ糖の濃度が高まっています。化学反応、同化反応、代謝反応が迅速に進行するのは減員となるブドウ糖の濃度の高まりです。濃度が高いほど反応は早くなります。
ブドウ糖の濃度が高いことは、糖分濃度が高いことでもあり、美味しいことでもあります。
昔の肥しは、作物に有機物を与えることから、光合成の負担を減らし、ブドウ糖消費が抑制され、ブドウ糖濃度が高まります。
今、食事が肉乳に傾いているのは、野菜やご飯のおいしさのレベルが低いからだと思います。
日頃、お菓子ばかり食べてご飯を食べない子供が、田舎(良いコメの地方)へ行くと、折角、準備していた高価なお菓子ではなく、御飯ばかりお代わりして、他のものを食べない、と言ってました。子供は1千円札と500円玉の価値の違いが判らず、500玉を欲しがります。感覚的にきれいだからです。
お菓子とご飯、本人にとって美味しいものに手を伸ばします。
美味しいコメなら、自然と、御飯好きになるような気がします。
ただ、今、そのような栽培は少ないように思います。
それにしても、見事な襖絵と思います。
どうぞ、ご自愛のほど。
合掌
素晴らしいコメントを頂きまして衷心より厚く御礼申し上げます。
貴兄のご意見が快く小生の心に入ります。
此れを機会に宜しくお願いも仕上げます。
再拝